恵みいただきます/経済的効率よりも大切なもの

11月29日は月に一度の自然食レストラン「恵みいただきます」の日でした。当日は雨だったのにも関わらず、218膳のお食事を提供することが出来ました。皆さんに大変満足していただけて、中にはお蕎麦を食べて涙して下さったお客さんもいました。こんなふうに感動がお客さまに伝わっていく時間と空間を毎月提供出来ることは本当に嬉しいことです。


当日提供したお料理です。65歳以上の方(152名参加)には500円で提供しています。


多くのお客様に喜んでいただいた「恵みいただきます」ですが、今回もたくさんの準備を重ねて当日を迎えました。ここではそんな話を少し書いておきたいと思います。

試作の段階で、お蕎麦がいまいちぱっとしないということがありました。その時、収穫隊のあきちゃんから外のお蕎麦屋さんに食べにいこうという提案がありました。そして、キッチンスタッフを中心に10名で食べに行きました。木の花ファミリーの生活は自給自足を基本としているため、外食をすることはほとんどなく、特別な体験です。それもこれだけの大人数で行くとなると、経費が掛かり人のエネルギーも大きなものとなります。「何かを得て来なければ・・・・」という思いが一人一人にありましたが、技術的なものに焦点を当てていた人たちはそれほど大きな収穫を得ることは出来ませんでした。ところが、ひとみちゃんはもっと違った視点からこのお蕎麦屋さんを体験していました。お蕎麦屋さんの雰囲気、そして食べに来ている人たちの様子を観察していたひとみちゃんは、「恵みいただきます」に来て下さるお客様との違いに気が付きます。

「恵みいただきます」に来たお客様はまず会場に入ることで顔を輝かせる。ぱっと明るくなる。そして、料理を見て顔を輝かせ、食事をして顔を輝かせ・・・、次から次へとやってくる感動で、帰る時にはまったく別人のような顔になっている。お客さまの人生を変えている!こんなことが出来る場所は他に思い当たらない。それこそが「恵みいただきます」の価値で、それは料理だけではなく、その受け皿となる会場、そして人、その空間と時間を創っているすべての要素がお客様を感動させている。こんなすごいことを自分たちはやっているんだ。

ひとみちゃんはこんなふうに語りました。語っているひとみちゃんの顔はとても輝いていて、その感動が伝わってきて、聴いていて涙が出て来ました。メンバーが外食にいくことで、「恵みいただきます」の価値をみんなで再確認することが出来たのです。当日へ向けた準備にもより心が入りました。

不可能を可能にする暮らしで書いたように、「恵みいただきます」は人件費を考えたら全く成り立たない取り組みです。自給自足と協同労働の仕組みがあって初めて成立します。経済的にはまったく効率的ではありません。ですが、それ以上に大切なことを「恵みいただきます」はしているのだと思います。
※持続可能な取り組みにする必要があるので、経済効率も当然大切な要素なのですが・・・・

「恵みいただきます」は料理と共に心を届けているのです。お金とは何か~「自分のお金」と「みんなのお金」でも書いたように、交易はモノの必要よりも人々の繋がりを生み出すためにあります。交易の手段となるお金(貝殻)も同様で、そこには「マナ」(神秘的な力)が帯びていて、かつてはそれが人から人へと伝わっていました。取引をする人と人は神秘的な力により繋がっていったのです。ですが、現代のお金からは「マナ」は取り払われています。お金はただの数字となり、人々の間を行きかうのみです。そして人と人との関係は希薄となり、孤独な人々が溢れています。

そんな中、「恵みいただきます」は心を届けることにより、人と人との繋がりを生み出します。感動が伝播し、同じ体験をした人たちで共有されます。大きな喜びで包み込まれるのです。こんな場所が増えていったら世界はとても幸せな場所になるでしょう。そんな場所を提供出来ていることは自分たちの誇りであり、みんなにありがとうが言いたいです。

本当にどうもありがとう!!!

さて、以下、当日の様子を写真で紹介しますね。

盛り付け準備中です。

会場の様子です。

普段大町ビレッジにいるみんなも応援に駆け付けてくれました。(写真はあいちゃん
子どもたちも手伝ってくれています。
外の売店も賑わいました。お菓子生はちみつはネットショップでも購入できます。
かまどで蕎麦を茹でています。前日蕎麦打ちをしたこまねち(写真左)とみかちゃん(写真右)です。
やじおさん(写真右)も前日丸1日蕎麦を打ってくれました。
駐車場係のじゅんちゃん、ゆうくん、くにさん。看板の字はまっちゃん作です。
商品化に向けてお客様に味噌と醤油の試食をして貰いました。
みんなで最後に集合写真です。

この日の恵みいただきますについては、ひろっちもBLOGに書いています。恵みいただきます当日までの流れ、そこに掛ける僕たちの思いが率直に書かれています。そちらも合わせて読んでみて下さいね。


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ティク・ナット・ハンの病と木の花ファミリーの暮らしとお金

ティク・ナット・ハンはベトナム出身の禅僧です。「行動する仏教(Engaged Buddhism)」の命名者で、ベトナム反戦運動を非暴力で貫きました。南軍北軍分け隔てなく両方の兵士を助けることで、両軍から誤解され、命を狙われるというシビアな状況に陥り、ティク・ナット・ハンは亡命を余儀なくされますが、仲間は非暴力を貫き両軍を助け続けたようです。1967年にはキング牧師の推薦でノーベル平和賞候補にもなっています。
現在は南フランスにあるプラムビレッジで暮らしています。そして、気づきの瞑想を実践し世の中に広げています。呼吸と共にあること、呼吸に意識を向けることを大切にしています。

ティク・ナット・ハンは次の時代の仏陀について以下のように述べています。

次の仏陀は人間の姿で現れることはないだろう。次の仏陀はコミュニティの姿で現れるかもしれない。それは他者を理解しようと努め、互いに慈しむ優しさを持ち、大事なことを常に意識しながら、人々が暮らすコミュニティである。これこそ地球の命をつなぐために私たちにできる、最も大事なことではないだろうか

ティク・ナット・ハンは今、プラムビレッジというコミュニティで暮らしています。それは次の時代の仏陀を現わすための実践なのでしょう。そして、それは木の花ファミリーも同様です。上記の言葉は木の花ファミリーが目指し実践していることを現わしています。そのため僕たちはティク・ナット・ハンの存在にずっと親しみを感じていました。

そのティク・ナット・ハンは現在、脳内出血のため入院中で厳しい状態にあるようです。プラムビレッジの僧侶は、マインドフルネス(気づき)の実践(一人一人が目覚めること)により、ティク・ナット・ハンにエネルギーを送って欲しいと求めています。そして、私たちはみんな、一つの大きな身体の細胞なのだから、この瞬間、一人一人が安定し、平和な心で過ごすことが、ティク・ナット・ハンへの一番の支えになると続けています。

一人一人が目覚めることが、お互いを支え合うことになり、遠く離れた人たちにもそのエネルギーは届いていく。心が通じ合っていれば、離れていてもお互いの思いや行動がシンクロしていく。この世界はそのように出来ているのです。

木の花ファミリーでは今、いさどんやようこちゃん、みちよちゃん、まゆちゃんがインドに出張しています。いさどんという精神的支柱がいない中、自分たちでどこまで場を創っていけるのか?また物理的な距離を超えてどこまで心をシンクロさせることが出来るのか?つまり、一つの大きな身体を現わすための実践の機会となりました。

ですが、それは僕たちがまだまだ心の解放や洞察が足りていないという現状を再確認する機会となりました。みんなの思いが響きあわず、なかなか良い場が創れない日が続きました。どうすればよいか?そんなことを模索する日々でした。そんな中、11月26日の大人ミーティングは繋がりを実感出来る時間となりました。



11月26日大人ミーティング後の写真
この日は、ケア滞在者の心のシェアや「僕といさどんと木の花ファミリー」を共有することで、メンバーの中で感動が響きとなって人から人へと伝わっていく時間となりました。そして「繋がること」の大切さを確認し合う時間となりました。そこに別室で書道をしていたまっちゃんが戻ってきました。まっちゃんはなかなか納得がいく作品が書けずにいましたが、とうとう書けたと言うのです。そして、「繋がり」の大切さに気づいたとシェアしました。一文字一文字は上手に書けていたのに、全体としてみたらしっくり来ない。そんな作品を何度が書く中で、字と字との繋がりの大切さに気づいたというのです。そして、それを意識して字を書いた時、心の底から納得がいく作品が出来たのです。まっちゃんの感動がその作品に入り、その作品がみんなを感動させていきました。こんなふうにしてみんなの心が一つになった時、今度はインドにいるようこちゃんからメールが届きました。それは「28日に木の花に帰った時、みんなと心を一つにして迎えたい」とい内容でその場で起きていることとまさに一致していました。「すご~い!」とみんなで感動を共有することが出来ました。

大切なのは、感動する出来事から、それを生んだ要素を学び、持続していくことです。その点はまだ不十分で27日は課題を再確認する時間となりました。

そして、今日、インドからみんなが帰ってきます。大きく成長し大きなうねりを持ってくることは間違いありません。そのうねりに乗れるように。これからが本番で、とっても楽しみです。

この僕たちのエネルギーはティク・ナット・ハンにも届いていくことでしょう。


☆彡 ☆彡 ☆彡

こんなふうに心は物理的距離を超えて人と人とを繋いでいき、みんなで一つの身体を表現することを可能とします。それは「木の花ファミリーで金庫番になって・・・・」で描いている世界です。この中で僕はお金を血液と表現していますが、お金は心と同じ機能を持っています。お金は時空を超えて存在し、知らない人同士の交渉を成立させることが出来ます。

「金(かね)」

カタカムナで見ると、「か」はこの世界に遍満する微細な見えないエネルギーです。そして「ね」は「根(ね)」、根源のもの、無限に広がる思念です。つまり「金(かね)」とは、この世界に時空を超えて無限に遍満している微細なエネルギーのことを現わしています。

お金とは何か?

この問いについては、お金とは何か?~「自分のお金」と「みんなのお金」~で書いていますが、
またあらためて別の角度からも書いてみたいと思っています。


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僕といさどんと木の花ファミリー

今回は、「すべては自分を映す鏡」でも紹介している「いさどん」こと古田偉佐美のことを書きたいと思います。

木の花ファミリーはいさどんの天啓に導かれて出来たコミュニティであり、
いさどんはとても大きな精神的支柱です。
みんながいさどんを頼り、いさどんから沢山のことを学んで来ました。
そんないさどんに対して、僕は反発をしたことがあります。
それは、2010年12月、僕が木の花ファミリーに来て2年目の冬のことです。

インド旅行中のいさどんです。


木の花ファミリーのメイン施設である「おひさまハウスひまわり」には大きなホールがあります。
僕たちはそこで食事をしたり、お客様を迎えるコンサートをしたり、
子どもミーティング大人ミーティングをしたり・・・と様々なことに活用しています。
そのホールにはプロジェクターとスクリーンがあります。
プロジェクターは高い位置に据え置きにしてあって、
リモコン操作をするようになっていました。
当時、僕はリモコンでプロジェクターのスイッチを入れるのが苦手でした。
電源ボタンを何度押してもスイッチが付かない。そんな経験をしていました。

その日の夕食はパンでした。
パンの時は、オーブントースターを4台ぐらい使うため、
テレビ&プロジェクターを付けるとブレーカーが落ちるということが度々ありました。
配線(電源を取る場所)の工夫が必要なのです。
その日はブレーカーが落ちてしまうような配線でした。
僕はブレーカーが落ちる度に「いやだな~」と思いながら、
ブレーカーを戻し、プロジェクターの電源を入れ直していました。
そして何か重要なニュースが放送されている時、ブレーカーが落ちてしまいました。
急いで対応する必要がある時、僕は苦手心があったため動きが遅くなりました。
そして、何度スイッチを押してもプロジェクターが付かないという現象が生じました。
そんな僕に対して、いさどんは怒りました。
僕は怒っているいさどんに対し、懸命に説明をしましたが、
いさどんは僕の言葉は聞きませんでした。
僕は怒られたことを理不尽に感じました。

僕はテレビを観ていなかった。テレビを観ていたのはいさどん。
プロジェクターをつけようとしたのはあくまで良心。
いやだな~と想いながらも他に動く人がいなかったから動いた。
それなのに怒られる。なんなんだよ。

心の中ではそんなふうに思っていました。でもそのままにしました。

いさどんに怒られたのにそのままにしている僕。

そんな僕に対して疑問を感じるメンバーが僕に話しかけてきます。
「いさどんが怒るからには何か意味がある」と伝えてきます。
僕はさらに理不尽に感じていきます。

ですが、いさどんはプロジェクターのスイッチをつけるコツを知っていたのです。
いさどんは始めそれを僕に説明しようとしました。
ですが、僕の頭は「出来ない」という苦手意識でいっぱいで、
その言葉が入る状態ではありませんでした。
そんな僕の意識状態に対していさどんは怒ったのです。

もし僕が自分の正当性を主張したら、
(世間の)多くの人は僕の言葉に耳を傾けたのではないかと思います。
なぜなら表面で起きている出来事だけを見ていたら、僕は被害者にも見えるので。
そして、僕はみんなに正しいと認めて貰います。
でも、その先に何があるのでしょうか?
優越感に伴う自己主張の心が育ち、
それは新たなる対立を生み出すのではないでしょうか?

虐げられた状態から逆転し見返す。

僕の無意識はこんな物語を好んでいました。
そのため僕は虐げられる状況を自ら創り上げてきました。
自分で自分を苦しめることになります。
僕の正当性が認められた時、僕は喜びます。
ですが、それはその不調和な心を強化していくのです。

これは僕だけの問題ではありません。
この僕の不調和な心が世界で起きているテロリズムに波動として繋がっていきます。
そして、悲しみの連鎖が続いていくのです。

いさどんはそんな僕の心にメスをいれてくれたのです。

表面的に見たら僕の方が正しいように見える。
そんな状況だったかと思います。
そして、僕は反発をしていました。
それでもそんな僕に対して大事を伝えてくれたのです。
その心労はとても大きかったかと思います。
それに気づいた時、受けた恩の大きさを感じました。

いさどんは人に対してとても厳しく対応することがあります。
それは具体的な出来事に対してではなく、
奥の心の対して厳しくしているのです。
そのためいさどんは時に誤解され、非難されます。
その非難は一見筋が通っているように見えることもあります。
なぜなら出来事だけを見ると、その人たちに正当性があることもあるので。

ですが、非難する人々はいさどんを非難することを通して何を得るのでしょうか?
自分の意見が認められたことに対する満足や優越感を得るのかもしれません。
でもそれはその人々や世界を幸せにするのでしょうか?
きっとそんなことはないでしょう。
幸せや調和よりも自分のこだわりを選び苦しんでいく。
そんな姿が目に浮かびます。
そしてそこに人が持つ理不尽さを感じます。
人間の持つこういう一つ一つの理不尽さが世界の戦争や環境破壊に繋がっている。
僕はそう思っています。
なので、心磨きが大切になり、木の花ファミリーでその実践をしているのです。

上記の出来事の1か月後。
僕はいさどんに面談をしてもらう機会を持ちました。
その時、僕は自分の人生を振り返り整理する時間を持ちました。
この面談の時、いさどんが僕に掛けてくれた言葉があります。

あなたがこのまま40歳まで木の花で暮らしたら、きっと立派な哲学を語れるようになる。

僕は来年の3月に40歳になります。あともう少しです。
このBLOGを立ち上げた時、
僕はいさどんの言葉を実現するためにこれがあるのだと思いました。
このBLOGは経済がメインテーマとなっていますが、
その背後に流れる世界観を抜きに経済は語れません。
なので、このBLOGは世界観(哲学)がテーマでもあるのです。

いさどんの言葉を実現すること。
それがいさどんに対する一番の恩返しになります。
だから、僕は思考し続け、世界を感じ続け、書き続けます。

いさどんについては、木の花ファミリーメンバーのひとみちゃんみかちゃんも書いています。
是非、読んでみて下さいね。
いさどんの深い視点に導かれ、僕たちファミリーメンバーは視点を深め広げているのです。

そんないさどんの話を聴きたいと思ったあなた!!!
是非、11月30日に千葉県千葉市に来て下さい(^ー^)
出張木の花塾@千葉「すべては響き~宇宙視点の農」が開催されます。
天然循環法による「農」がテーマですが、その精神は生活全般に広がっていきます。
是非、その生活が持つ豊かさと可能性を感じてみて下さい。
それは確実に世界を変えていきます。

当日は天然菜食弁当と手づくりおやつも出ます。
愛のこもった天然菜食弁当の持つエネルギーを是非感じてみて下さいね。o@(^-^)@o。ニコッ♪


10月に開催された「出張木の花」のお弁当です。

10月に開催された「出張木の花塾」のおやつです。







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すべては自分を映す鏡

天然循環経済学への系譜/二宮尊徳と大原幽学 を読んだ森野さんからメールをいただきました。以下、そのメールを紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡

学生時代、ひょんなことで農業経済の教室に出入りすることになったのがきっかけで、農業やその歴史に関心を持ち来ることなっちゃいましたが、専門的な研究をするというよりか、もう少しじぶんに内在する不分明な気持ちに近いところで暇をみながら楽しみ半分で読書したりしてきただけで、あまり語ることもしませんでした。

ましてや、金融再編でいまはなき相互銀行業界で活躍された大内健二さんは、『虜囚』という著作のなかで、

どうも日本人は同じ日本人の言ったことには目をくれない癖がある輸入ものは粗悪品でも上等品だという外国崇拝の考え方が残っている」

と、書かれていますが、それはいつの時代でもそうらしいので、農学や農業の歴史に登場する人物の思想や実践は趣味の範囲にとどめおこうと考えてきたわけです。

それに、ぼくの生まれたのは、かつて那須烏山藩の相模の国の飛び地で、那須烏山で尊徳仕法を手がけて領民を救済した円応和尚らがそこでも仕法を実施しようとし病に倒れることになる(円応を失った尊徳の悲しみはたいそうなものであったそうですが)場所で、阿夫利嶺を望むところでした。尊徳の生地、栢山(かやま)のある足柄平野とは箱根、足柄、丹沢の三方に山をみる地ですが、違う方向から同じ山嶺を望む場所でしたので、どことなく親しみがあり、皮膚感覚的なレベルでの関心でもありました。

最近、少しそういう方面のこともツイしゃべっちゃうようになり、歳のせいかな(笑)。

かつての思想や実践に尋ねる場合、人々は、それを鏡にして自分を写しているんですね。尊徳なら尊徳という鏡にじぶんを写している。

尊徳の一元相対の思想は、戦前なら日本主義的な方向から一生懸命読まれた。敗戦後は民主報徳です。時代時代で、その鏡に写す人は変わり、映る姿も変わるようです。

近世の経済論で有名な、平田篤胤の学統に属する佐藤信淵など、かつては、例えば、羽仁五郎がそこに独自の社会主義があるとして喜んだり、大川周明が、近代を乗り越えた戦時統制経済の預言者と読んでみたり、帝国主義の先駆者だとか、古臭い封建主義だとかいう人がいたり、評価がさまざまというよりは、そこにじぶんを写す人の数だけ佐藤信淵がいたということにすぎないのでしょう。

東アジアの風土で育まれた農法・農業という鏡に外国の方々が自らを写してみて、その姿に「パーマカルチャー」なんて言ってきたのは微笑ましいですね。

じぶんを写して見る鏡はたくさんあったほうがいい。なにしろじぶんというものが最大の謎で課題であるかもしれないですから。たやすくなにかに心酔しがちな精神を昨今、よくみかける気もしますし。

☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡

森野さんからメールからいただくと、そこには自分にあまり馴染みのない言葉があり、思索を巡らすきっかけとなります。


相互銀行という言葉から、無尽会社、そして無尽へと日本の金融の歴史へと思索は巡ります。
無尽とは日本の金融の一形態で、人々や法人が無尽講(むじんこう)もしくは頼母子講(たのもしこう)と呼ばれる相互扶助組織に加入します。そして、加入した人々は、組織に一定額の払い込みをし、その組織の規定に基づいた給付を受けます。日本では鎌倉時代からあるという無尽ですが、明治以後、営業を目的として無尽業者が発生し規模の拡大に伴い、1915年の無尽業法の制定、1951年の相互銀行法の制定と進んでいきました。その後、相互銀行は、相互掛金という独自の金融商品を扱いましたが、1968年の金融機関の合併及び転換に関する法律を受けて、ほとんどの相互銀行は、普通銀行となり、1992年には相互銀行法は廃止されています。
相互銀行はなくなりましたが、沖縄の模合(もあい)など機能している無尽もあり、金融機関から融資を受けられない社会的弱者に対する扶助としても機能しているようです。

無尽には、個人のお金をみんなのお金へ変換する機能があり、人々を繋がる機能があるように思えます。ですが、沖縄以外の多くの地域では衰退してしまっているようです。そこには人々の仲間意識や共有意識などが関係しているのではないかと思います。人の心がシステムを生み出し、心が変わればシステムも変わるものです。相互扶助のシステムが衰退するのは、人々の中でその意識が弱まっていたからだと思われます。日本全体で一人一人がそんな自分たちの心について振り返ることが大切で、木の花ファミリーの暮らしはそんな実践の一つです。

二宮尊徳は宇宙の万物は混沌とした一つの根元に起源し、相対する各々の事象は、独立の存在ではなく、相関連して一つの円相をなすと考えました。相対的に見えるこの世界も、元を辿れば一つとなります。この考えは、木の花ファミリーの世界観、そして昨年出会い学びを深めているカタカムナの世界観とも共通するものです。この世界観に基づき、数多くの農村の復興を果たしたことに素晴らしさを感じますが、大切なのはやはり精神性のようです。
高平市民館福島県南相馬市)のバーチャル報徳講座に「なぜ報徳仕法が続かないのか」という文章が掲載されています。至誠・勤労・分度・推譲。天の意志に従って日常生活を送り、無駄をなくし、余剰分は人に分け与えていく。尊徳が勧める道徳的態度を第一の目標にすることが大切で、それが出来ていないと、経済が豊かになると共に報徳仕法は廃れていくようです。信仰心がとても重要となります。上記の文章では、信仰に基づいて生きている例としてアーミッシュが挙げられていて、とても心に残りました。
どんな暮らしも世界観から切り離れてしまうと、抜け殻のようになってしまうのだと思います。木の花ファミリーの暮らしも、暮らしを維持することが目的なのではなく、世界観を暮らしの中で表現することを目的としています。そして、一人一人が自分を見つめ、心を磨いていくのです。

いろいろ書いて来ましたが、ここで書いていることは、森野さんのいうように僕を映す鏡なのだと思います。起きること、出会うこと、そのすべては自分を映す鏡と言えるでしょう。

鏡については、木の花ファミリーの創立メンバーの一人、古田偉佐美(通称:いさどん)は以下のような話しをみんなにしてくれています。


☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡

鏡は神社の奥に祀られているご神体です。すべての人はお互いを映し合う鏡です。ということは、すべての人がご神体ということです。「鏡(かがみ)」という字は真ん中に「我(が)」という字が入っていますが、この「我(が)」を取ると「神(かみ)」となります。相手に映る自分の姿を見て自分の「我(が)」を知ることが出来ます。「我(が)」を知ると、それを取り除くことも出来るようになります。心を磨き「我(が)」を取り除くと「神(かみ)」となり、そこには宇宙の秩序が映るようになります。内なる鏡に宇宙の秩序を映し合う時、すべては繋がり一つになっていくのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡

鏡(心鏡)は太陽を象徴していると言われています。
すべては一人一人を映し出す鏡です。語る言葉はその人自身を現わしています。そして、一人一人の人間は主観を持ちます。相対主義の立場からすると、このことから絶対的な真理はないという結論に至るかと思います。ですが、「鏡(かがみ)」は「我(が)」を取ると「神(かみ)」となります。「神(かみ)」となった「鏡(かがみ)」が映し出す世界は、現象世界の背後にある絶対的真理を映し出します。二宮尊徳もカタカムナも木の花ファミリーもそんな世界観を持っています。
大切なのは、今、この瞬間何を感じ、どんな判断を下していくかにあると思います。その際、歴史を振り返っておくと、現在を俯瞰してみることが出来るようになります。過去から未来に向けての大いなる流れ。それを感じることが出来るようになるのです。


10月に開催された木の花塾で語っているいさどん

カタカムナの潜象界と二宮尊徳の一元は同じことを言っていると思われます。
木の花ファミリーではその世界観を「農」に生かし天然循環法と名付けました。
そして、それを日常生活にも広げ、実践しています。
そんな話を聴きたい人は是非、11月30日に千葉市にお越しください。
出張木の花塾@千葉「すべては響き~宇宙視点の農」が開催されます。
今、インドに出張中の塾長いさどんがパワーアップして帰ってきます。




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田んぼ隊チェーン除草にみるスモール・イズ・ビューティフル

木の花茶会と7月~9月期GDP速報値でも引用しているE・F・シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』。この本は石油危機を予言したと言われ、当時ベストセラーになったそうです。

この本の概要をまとめると以下のようになります。
※この本を読んだのは数年前なので、記憶が曖昧な部分もありますが・・・

1970年代、世界は、生産を増やすことで貧困の撲滅を目指していました(ケインズ主義)。ですが、それは有効に働いていませんでした。生産を増やすことでは貧困は解決しないことが明らかになっていました。そして、資源は有限性も問題になりつつありました。この現状で、生産の拡大を続けることは人間社会の破滅につながります。

文明の核心は、欲望を増長させることではなく、人間を純化させることにある。シューマッハーはこのように考えます。そして、経済も人間性を純化させる必要があると考え、仏教経済学を提唱します。仏教経済学は、自然の循環システムに基づくもので、「足るを知る」人々からなる経済です。

この経済を実現するために必要となるのが、中間技術(適正技術)になります。中間技術とは、伝統技術よりは生産性で優れており、資本集約型の大量生産技術のような環境破壊はもたらさない技術です。それは、それぞれの地域に文化・経済・社会に適したものであり、人々のニーズを満たし、環境にも負荷をかけない技術です。

具体的にはどんな技術か?

現代社会では、多くの技術は機械によってもたらされますが、機械化には2つの種類があります。一つは人間の技能と能力を高める機械化、そして、もう一つは、人間の仕事を機械という奴隷に引き渡し、人間をその奴隷に従事者にしてしまう機械化です。

中間技術(適正技術)は前者、人間の技能、能力を高める機械化です。そして、中間技術(適正技術)は、地域の特性を活かすものであるため、地域毎にエネルギーや食の地産地消を促します。そのため規模も大規模なものにはならず、環境への負荷も抑えることが出来るのです。
本の中では、具体例として、小規模水車が挙げられていました。


富士山の麓でチェーン除草しています。
自給自足の生活を基盤とする木の花ファミリーの生活は、この中間技術(適正技術)により成り立っていると言えます。そのうちの一つが、田んぼ隊が行っているチェーン除草です。

天然循環法により作物を育てる木の花ファミリーは、農薬や除草剤は使うことはありません。よって除草作業がとても大きな作業となります。その除草を効率的に行うための技術がチェーン除草です。内径50mm長さ3メートルの塩ビパイプに長さ30cmのチェーンを3cm間隔で付けていく。それを引き摺って田んぼの中を歩くのです。この除草は、雑草が小さいうちにすることが大切で、適期にチェーン除草をすることが出来ると、雑草の生育を抑えることが出来て、その後の作業がとても楽になると言います。環境にも大きな負荷を掛けずに人間の身体を鍛える。そして、作業の効率性が大きく増す。まさに適正技術と言えるのではないでしょうか?

愛とお米があればいい

これは木の花ファミリーが大切にしている言葉の一つです。
僕たちはお米をとても大切にしており、お米の生育を重要な節目としています。
5月には田楽田植え祭り、9月には収穫感謝祭を行い、自然の恵みへの感謝の心を育みます。

5月の田楽田植え祭りの様子

9月収穫感謝祭後田んぼ隊で撮影


木の花ファミリーのお米は、天然循環法により、自然界の奥の響きを感じ、作物そのものが持つ生命力で育ったお米です。購入して下さったお客さまから素敵な感想もいただいています。
豊かな生命力あふれるお米を是非多くの方に味わっていただきたいと思っています。
ネットショップで購入することが出来ますので、是非お試し下さい。

晃ちゃん@人参畑~出張木の花塾にも参加します~

そして、天然循環法について興味を持たれた方は、11月30日に千葉県千葉市で開催される出張木の花塾@千葉「すべては響き~宇宙視点の農」に是非ご参加下さい。
農という切り口を通して、命、そして宇宙の本質を共に感じる時間となることでしょう。





みんなで落花生収穫をしています。





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天然循環経済学への系譜/二宮尊徳と大原幽学

ゲゼル研究会を主催している森野栄一さんにこのBLOGを読んでいただいたことがあります。
農事組合法人木の花ファミリーと6次産業化」など農事組合法人について記載した文章に興味を持っていただき、江戸時代後期に大原幽学が設立した先祖株組合の存在を教えていただきました。

この先祖株組合は天保9年(1838年)に設立されたもので、世界で初めての農業協同組合です。
大原幽学は、先祖株組合の設立以外にも、農業技術の指導や耕地整理、質素倹約の奨励などを通して農民を指導し、長部村(※現在の千葉県旭市)の農村復興に貢献したといいます。

同時代には、二宮尊徳もいます。二宮尊徳は報徳思想を広め、農村復興に貢献していきます。報徳思想は、経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく、社会の貢献に努めることがいずれ自らの幸せに繋がるという思想です。この思想は、神道、仏教、儒教の教えと農業の実践から生み出されました。二宮尊徳の功績は大きく、大飢饉で疲弊した600以上の農村を復興させています。また世界で初めての信用組合である五常講を作りました。

この2人が活躍したのは、幕府の財政が逼迫していた江戸時代後期。人口も減少していたといいます。現代と共通する特徴があります。この時代に活躍していた2人からは学ぶ点が多いのではないかと思っています。

まずは協同組合や信用組合の設立精神から学ぶことがあるかと思います。
収益を上げながら社会問題を解決していく社会的企業
協同組合や信用組合はそれを支える組織形態として特にヨーロッパで取り組みが進んでいます。
日本でも2013年2月に放送されたNHKのクローズアップ現代『働くみんなが経営者~雇用難の社会を変えられるか~』で、協同労働が紹介されていましたが、それは協同組合に繋がります。
大原幽学や二宮尊徳の取り組みは、この社会的企業の始まりと考えらえます。
その設立の精神はこれからの社会に生かされていくことでしょう。

木の花ファミリーも、農事組合法人として、この協同労働の仕組みを採用し、一人一人が独立した経営者として働いています。これは人々が助け合って働く組織形態としてこれからの社会でより必要になってくると思っています。そして、それをさらに進めたものが生活も協同で創り上げる木の花ファミリーの暮らしです。それは生活することがそのまま社会のためになるシンプルで自然な暮らしです。

次に2人の思想からも学ぶ点は多いかと思います。
大原幽学も二宮尊徳も農業の実践からの学びを生き方に繋げていきます。
土を基盤とする農を大切にすること。それは自然への感謝。環境への配慮にも繋がります。
経済も人や自然への配慮、道徳と融合していきます。

道徳を忘れた経済は、罪悪である。

経済を忘れた道徳は、寝言である。

上記の二宮尊徳の言葉は今の社会に対しても大切なメッセージとなっています。

生姜畑で休憩中
木の花ファミリーも、農法である天然循環法を生活、そして生き方へと繋げています。そして経済もその生活を基盤としています。

いのちがいのちを支え循環していく。

そんな農法であり生活であり経済が天然循環法であり、天然循環経済学です。
この循環には「ない世界」から「見えない世界・ある世界」への循環も含まれます。
一つ一つバラバラに見える現象世界の物事も潜象界(ない世界)へ行くとすべて一つです。
いのちの源に還り、そこから存在や事象を読み解き、味わい、過去から未来へと繋げていく。それは宇宙の始まりから続く循環の流れに想いを馳せることであり、今この瞬間にそれを表現していくことです。

二宮尊徳や大原幽学の精神もこの流れの中で生かすことで、未来に繋がっていく。
そんなことを今、思っています。


※ちなみにゲゼル研究会のゲゼルとは、シルビオ・ゲゼルという20世紀初めに活躍した経済学者です。ゲゼルについては、機会をあらためてこのBLOGで取り上げようと思っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

天然循環法に興味を持たれた方は、11月30日千葉県千葉市で開催される出張木の花塾『すべては響き~宇宙視点の農』にご参加下さい。きっと刺激的で充実した時間になるかと思います。



前回の出張木の花塾の参加者です。

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衆議院解散と木の花ファミリーの暮らし

ある日の大人ミーティングの様子です。
木の花ファミリーでは毎晩、大人メンバー全員が集う「大人ミーティング」を行っています。大人ミーティングでは、日々の連絡事項から一人一人の心のこと、この宇宙の神秘に及ぶまで様々なことをみんなで話し合い学びあいます。みんなで共に暮らすためには、心を合わせることが重要で、この大人ミーティングはそのための核としてずっと機能しています。昨晩、ひとみちゃんから、その大人ミーティングで衆議院解散について話そうという提案があり、みんなで話し合いました。そして話し合いのきっかけとして、まず僕から以下のような説明をしました。


☆彡 以下、説明のための用意しておいたメモからの転記です ☆彡

今後の日程
  • 衆議院解散 1121
  • 衆議院選挙 122日告知 1214日投開票


衆議院解散とは?
  • 司法(裁判所)、立法(国会)、行政(内閣)の三権分立を踏まえて、内閣が国会に対して持つ権利。※国会は内閣に対して不信任決議案の権利を持つ。


なぜ解散するか? (安倍首相の言葉)
  • 7月~9月期GDP速報値が実質年1.6%減という数字。2四期連続のマイナス。
  • それを受けて消費税率の引き上げ時期を、201510月から20174月に先伸ばしをする。
  • それは大きな決断なので、国民の信を問う必要がある。加えて、アベノミクスについての判断も国民に仰ぎたい。


この理由がおかしい理由
  • 消費税の増税についてはもともと景気を見て判断すると明記されている。増税の見送りは、それほど大きな政策の変更とは言えない。


問題点
  • 本来、1130日まで続く予定だった臨時国会が21日で終了してしまう。→審議できない法案(女性活躍推進法案など)が生じる。
  • 選挙費用が700億円掛かる。


想定される本当の目的
  • 衆議院の任期はあと2年だが、今、再選されたら、今後の任期は4年になる。国民の信を得る形で長期政権となることが出来る。
  • お金に関する不祥事があったが、それほど傷口は大きくない。だが現状は、景気の低迷などのマイナス要因がある。それが広がる前に、国民の70%が反対している消費税の増税を延期した上で解散をする。そうすることで自民党に有利になる。
    ※野党は選挙の準備ができていないと言われている。

☆彡 メモはここまで ☆彡


僕からの説明を受けて、田んぼ隊のまこっちゃんがさらに詳しい話をしてくれました。まこっちゃんは3年間の引きこもり経験があり、その間に政治について沢山調べていました。その知識を余すところなく披露し、その知識の広さにみんなを感動していました。

話しの中で、以下のことを確認し合いました。
  • 日本のトップの立場にある人が自分の都合で動いている。
  • そして、そういう人を選び、生み出しているのは国民一人一人であるということ。
  • 国民一人一人の意識レベルが今の政治を創り出し、それは機能していない。
  • それだからこそ、木の花ファミリーで一人一人が自分の視点を超えて、みんなで共に生きていくことに意味があり、その実践が世界へ向けたメッセージになる。

そんな流れの中で、みかちゃんがホワイトボードを使って話し始めました。
そして話は、「クニツクリ」「マツリゴト」へと発展していきます。

みかちゃんが描いたホワイトボードです。


政治とは「国づくり」で、「クニ」をカタカムナの単音思念で見ていくと、
「ク」は自由、潜象界の意志を表し、「二」は定着することを表します。
そうすると「クニ」とは、「潜象界の自由な意志が定着したところ」となります。
潜象界とは「ない世界」であり、この世の現象を生み出す元で、神さまの世界です。
神さまの中でも、宇宙の創造を司り、宇宙そのものと言えるのがアメノミナカヌシさまです。そのアメノミナカヌシさまの意志を通し、現象世界に顕すことで1本の芯が通るのです。ですが、今の政治には、そのような観点はなく、バラバラの状態になっています。
アメノミナカヌシさまの存在を感じ通すこと。それがとても重要なのです。
そして、政治とは「マツリゴト」です。世界観を顕す「お祭り(お祀り)」でも書いた通り、「マツリ」は豊穣への祈り、感謝を起源とし、宗教的でもあり、政治的でもあり、経済的でもあり、社会的でもある総合的な取り組みです。「マツリ」の「マ」には、この世界の真実「真(マ)」を入れて芯を通す必要がありますが、現在は個人個人の欲望である「魔(マ)」が入ってしまっています。そのためお祭りにも政治(マツリゴト)にも人々を束ねる力がないのです。

木の花ファミリーの暮らしは、現象世界にアメノミナカヌシさまの意志を通し、「マツリ」の「マ」を「真」にするための実践です。木の花ファミリーも一つのクニと言えます。世界の縮図が日本という説がありますが、僕たちはその説を踏まえ、木の花ファミリーをさらにその日本の縮図と捉え、日々を営んでいます。

僕たちの心が一つに揃わないこと。それがバラバラな世界を顕しています。
心を揃え、調和の心の元にみんなで暮らすこと。
それが出来る時、その心は波動となって世界に広がっていきます。

このようになった時、宗教(信仰心)や政治、経済、これらすべては社会に組み込まれ、みんなが繋がり一つの暮らしを生み出します。その暮らしは安心安全な暮らしで一人一人の個性が輝く暮らしです。

そんな社会へ向けて、日々の出来事から自分を振り返り、みんなで共有していく。
木の花ファミリーの暮らしはそんなふうに営まれています。

ちなみにみかちゃんも「宇宙の秘密みかこのブログ」の中でこの日の大人ミーティングについて触れています。良かったら読んでみて下さいね。

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木の花茶会と7月~9月期GDP速報値

11月15日、木の花ファミリーでは、自家製紅茶とパン・スイーツを楽しむ「木の花茶会」が開催されました。

会場中央のテーブルの飾りつけです。
当日は合計38名のお客さんが来店し、ゆったりとした時間を過ごしていかれました。当日、僕は物販を担当しましたが、今回は、恵みいただきますとは違い、会場内に販売スペースを設けていたため、お客さんの様子や会場の雰囲気を感じることが出来ました。
お客さんの数を限定し、会場設営にゆとりをもたせ、その中でBGMが流れ、時々、和子ちゃんがピアノの生演奏をしました。洗濯物を畳んだり、食事をしたり、パソコンをしたり、ミーティングをしたり・・・といつも雑多な使われ方をしているひまわりホールが上品な空間に生まれ変わりました。


会場中央のテーブル飾りつけ
その空間の中で、料理はコースで提供されました。内容は、以下のとおりです。

1、紅茶のミード
2、スイートコーンのポタージュ
3、こんにゃくの燻製とくるみのグリーンサラダ
4、自家製小麦とオーガニック野菜のサンドイッチ
5、コノハナコスコーン 
  ※木の花ファミリーの小麦粉を使ったスコーン
6、洋ナシのソルベ
7、季節のデザートプレート
  ※シフォンケーキやフロランタンなど


アンケート結果からもお客さまに満足していただけたことが伺えて、木の花茶会は成功したと言えるでしょう。良い時間と空間を創ることが出来て良かったです。

木の花茶会で提供されたお料理です。

さて、この木の花茶会ですが、食事代として56,556円の売上がありました。
そして、物販合計は43,598円、すべて合わせて100,154円の売上です。

子どもたちもホールでお客さんを出迎えました。
それに対し支出は、ハニーディスペンサーの購入などで、38,287円でした。ここには、人件費や木の花で生産された材料費は含まれていません。

ここで静岡県の最低賃金に合わせた当日の人件費をざっくり計算してみます。
8時から準備を開始し、会場の片づけは18時過ぎまで行われていました。
これは、労働基準法では休憩が義務づけられる労働時間なので、みんなが1時間休憩したとします。すると労働時間は9時間となります。
メインのスタッフだけでなく、いろいろな人が大なり小なりこのお茶会の準備には関わっていますが、計算の単純にするために15名のスタッフがフルで働いたとします。静岡県の最低賃金は、765円です。
これで計算すると、15名×9時間=135時間。 765円×135時間=103,275円。
103,275円が人権費となります。当日の人件費だけで赤字となる計算です。

当日販売したはちみつです。
ですが、「不可能を可能にする暮らし」で恵みいただきますについて書いた通り、
僕たちは法人との間に雇用契約を結んでいないので、最低賃金を守る義務はないのです。
そして、原材料費のコストも自分たちで生産しているため、それほど大きな数字にはなりません。
なので、このイベントの収支も赤字にはならないです。

準備の段階から試作を重ね、沢山のエネルギーを掛けて創り上げた木の花茶会。
関わっている人の数もお客様の数も決して少ない数字ではありません。
ですが、お金の動きはそれほど大きな数字にはなっていません。
お金では測れない豊かさがあり、それがこの暮らしの魅力となっています。

みんなで集合写真

☆彡 ☆彡 ☆彡


ところで、11月17日に、7月~9月期四半期別GDP速報が出ました。
実質年率1.6%減と予想よりはるかに低い数字になっています。
それによりアベノミクスの失敗と阿倍政権を批判する声が高まっています。
経済成長を目標に掲げていたわけなので、確かに今回の出来事は失敗と言えるのかもしれません。ですが、そもそも経済成長を目標に掲げること自体が間違えていると言えるのではないでしょうか?経済成長を目標に掲げる限り、どんな人が政権を担当しても、それは失敗し、批判されることになるのではないかと思うのです。それは「持続可能な福祉社会」で書いた社会状況から伺えることです。

経済成長とはGDP(国内総生産)の成長であり、それは経済の規模を表す数字です。
内容は問いません。病院に通う金額も、壊れたものを修理する金額も含まれます。
そうすると、大きければ良いというわけではありません。
今回の実質成長率減には、企業が抱える在庫の減少(在庫調整)が影響しているという記事もありました。在庫の調整が進むことは好ましいことなのではないでしょうか?
そもそも、環境資源の有限性を考えるとGDPは小さい方が望ましいのではないのでしょうか?

経済の規模を小さくし、多くの人々を幸せにする。

それがこれから求められる暮らしだと思うのです。
木の花茶会はそんな暮らしから生まれたイベントです。

「人間は小さいものである。だからこそ、小さいものはすばらしいのである」

これは『スモール イズ ビューティフル』の中でのE・F・シューマッハーの言葉。

その言葉を実践し、こんなイベントが出来るこの暮らし。
豊かだと思いませんか?










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世界観を顕す「お祭り(お祀り)」

10年から15年ぐらい前、僕は河合隼雄さん、中村雄二郎さん、山口昌男さん、中沢新一さんなどの本をよく読んでいました。それぞれの専門分野から、人や社会、文化について探究している著作はとても面白く、刺激的でした。その頃得た知識の多くは忘れてしまっているのですが、その問題意識は心に残っていますし、断片的に残っている知識もあります。

そういう知識の中に 「祭り(祀り)」についてのものがあります。

「祭り(祀り)」は豊穣への感謝、祈りから生まれたと考えられます。
それは、宗教的であると同時に、政治的でもあり、経済的でもあります。
その社会の世界観が現れ、実現される場であり、非日常の空間を創り上げます。

そんな「祭り(祀り)」は、昔から社会のエネルギーの流れを健全に保ってきました。

王様がいた頃の西洋社会は、身分が固定されていて、上下関係がはっきりしていました。
ですが、「祭り(祀り)」の際は、その上下関係がひっくり返ります。
無礼講となり王様はバカにされる対象となります。
この「祭り(祀り)」は社会にとってとても重要な機能を果たしていて、
硬直してしまう日常生活の枠を解体し、人々は心を解き放ちます。
それにより、新たなエネルギーを得て、日常に戻っていくのです。
「祭り(祀り)」のこの機能が、制度化された日常生活を支えていました。

古代社会においては、権力者は自ら集めた富を、
「祭り(祀り)」の時、人々に振る舞っていました。
富の再分配し、富というエネルギーの流れを健全に保っていたのです。

この背後には、日常の権力構造とは別の秩序(神の前での平等など)があり、
「祭り(祀り)」により、その世界観が現わされ、社会は保たれてきました。

先週末、僕は2つの祭りに参加して来ました。
愛知県東栄町小林の花祭り白光真宏会の五井先生感謝祭です。

花祭りは国の重要無形民俗文化財に指定されていて、伝統的なお祭りです。


花の舞を舞う子どもたち


その始まりは、鎌倉時代末期から室町時代に掛けて、奥三河へやってきた熊野の修験者たちが「人間は修業によって生まれ変わった新しい人格へと自らを再生することができる」という修験道の教義を、歌や舞を通して村人たちにわかりやすく演じてみせたことと言われています。

花祭りの舞庭(まいど)は、中央のかまどと周囲の柱、陰陽五行説に基づく五色の神道や湯葢(ゆぶた)からなります。祭りの主役である鬼(榊鬼や山見鬼など)たちは、ここで地面を踏みしめます。これは「反閇(へんべ)」と呼ばれる陰陽道の歩行呪符であり、真冬に大地に沈み込んだ精霊たちの復活を意味します。
榊鬼

それは人々の「生まれ清まり」への願いに繋がります。花祭りでは、参加者みんなが歌ぐらを歌い、掛け声をかけ、舞手を囲んで共に舞い踊ります。舞手たちには神仏が降臨し降臨し神座となり、人々は舞手と共に舞うことで神仏から穢れを清め祓われ、新たな生命力を授かるのです。

現代の花祭りは、五穀豊穣、無病息災などの立願の祭りとなっていますが、
その背後には上記のような世界観があり、脈々と受け継がれているのです。

木の花ファミリーの創立メンバーは、創立前から東栄町の方と繋がりがあったのですが、
2011年、花祭りについて東栄町の方から直接ご指導いただく機会をいただきました。

四つ舞

その指導の元、舞手や囃子方(笛と太鼓)となったメンバーは練習を重ね、
他のメンバーみんなでそれをサポートしました。

そして2013年2月、みんなの努力が実り富士浅間木の花祭りを木の花ファミリーで開催することが出来たのです。今年の2月にも開催し、今後毎年、立春前に開催し続けることになっています。

花祭りは僕たちにとって、自分たちの世界観を顕す場としてとても大切なものとなっています。その歴史の流れを感じるために、東栄町小林の花祭りに7名のメンバーと共に参加して来ました。それはとても良い機会になりました。
自分自身が人類の歴史の繋がりの中に位置すること。それをみんなで表現することで、濃密で深い世界を生み出せる。そんなことをあらためて感じました。来年の2月に木の花ファミリーのみんなとそれを表現するのが楽しみです。

花祭りのクライマックス湯ばやしの様子です。




獅子舞です。


白光真宏会の五井先生感謝祭は、祈りによる世界平和を提唱した白光真宏会の開祖、五井昌久さんに感謝を捧げる日です。木の花ファミリーは毎年、このお祭りに出店させていただいています。
五平餅
はちみつクッキーあられ小麦粉野菜などの農産物や五平餅やぜんざいなどの食事を提供します。今年は米粉商品に力を入れていて、あんかけ米粉うどんを初めて提供しましたが、お客さんに好評でした。販売金額は合計で約85万円。雨のため例年よりは低い数字となりましたが、たくさんのお客さんにうちの商品を提供する機会となりました。



販売している様子です。

この白光のお祭りには木の花ファミリーの子どもたちも遊びに来ています。そして、ちょうど滞在中だったブラジル人映像作家のマルコスとジョアンナも同行しました。マルコスとジョアンナは、『自然の子ども』というプロジェクトで世界中の子どもたちを撮影しているのですが、日本の子どもとして木の花の子どもたちを撮影対象に選んだのでした。


祭典に参加する木の花ファミリーの子どもたち


白光のお祭りに来ることで、彼らは多くの子どもたちが世界平和について祈っているシーンを撮影することも出来ました。白光のお祭りとマルコスたちの滞在。とても大切な出来事が重なるとシンクロニシティを感じます。マルコスも「自分でどうにかしようと思わなくても、常に宇宙が導いてくれる」と話しています。
マルコスとジョアンナは、「カタカムナと子どもたち」というテーマで約1週間共に暮らし、木の花の子どもたちを撮影しました。その彼らの作品がどんなものになるかとても楽しみです。




世界平和を祈る祭典に参加している多くの子どもたち



人々を元気づけ、お金の流れも生み出し、社会を活性化させるお祭り(お祀り)。お祭り(お祀り)にはいろいろな要素がありますが、一番大切になるのはやはり世界観なのだと思います。豊穣への感謝や祈りを出発点とするお祭り(お祀り)の世界観は、畏敬の念や謙虚な気持ち、感謝の気持ちから成り立っています。それは表面的ではない深い世界を顕し、人々を一つにまとめる力を持ちます。お祭り(お祀り)の持つ世界観を知り、感じることを大切にし、未来に継承していきたいですね。




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