世界観を顕す「お祭り(お祀り)」

10年から15年ぐらい前、僕は河合隼雄さん、中村雄二郎さん、山口昌男さん、中沢新一さんなどの本をよく読んでいました。それぞれの専門分野から、人や社会、文化について探究している著作はとても面白く、刺激的でした。その頃得た知識の多くは忘れてしまっているのですが、その問題意識は心に残っていますし、断片的に残っている知識もあります。

そういう知識の中に 「祭り(祀り)」についてのものがあります。

「祭り(祀り)」は豊穣への感謝、祈りから生まれたと考えられます。
それは、宗教的であると同時に、政治的でもあり、経済的でもあります。
その社会の世界観が現れ、実現される場であり、非日常の空間を創り上げます。

そんな「祭り(祀り)」は、昔から社会のエネルギーの流れを健全に保ってきました。

王様がいた頃の西洋社会は、身分が固定されていて、上下関係がはっきりしていました。
ですが、「祭り(祀り)」の際は、その上下関係がひっくり返ります。
無礼講となり王様はバカにされる対象となります。
この「祭り(祀り)」は社会にとってとても重要な機能を果たしていて、
硬直してしまう日常生活の枠を解体し、人々は心を解き放ちます。
それにより、新たなエネルギーを得て、日常に戻っていくのです。
「祭り(祀り)」のこの機能が、制度化された日常生活を支えていました。

古代社会においては、権力者は自ら集めた富を、
「祭り(祀り)」の時、人々に振る舞っていました。
富の再分配し、富というエネルギーの流れを健全に保っていたのです。

この背後には、日常の権力構造とは別の秩序(神の前での平等など)があり、
「祭り(祀り)」により、その世界観が現わされ、社会は保たれてきました。

先週末、僕は2つの祭りに参加して来ました。
愛知県東栄町小林の花祭り白光真宏会の五井先生感謝祭です。

花祭りは国の重要無形民俗文化財に指定されていて、伝統的なお祭りです。


花の舞を舞う子どもたち


その始まりは、鎌倉時代末期から室町時代に掛けて、奥三河へやってきた熊野の修験者たちが「人間は修業によって生まれ変わった新しい人格へと自らを再生することができる」という修験道の教義を、歌や舞を通して村人たちにわかりやすく演じてみせたことと言われています。

花祭りの舞庭(まいど)は、中央のかまどと周囲の柱、陰陽五行説に基づく五色の神道や湯葢(ゆぶた)からなります。祭りの主役である鬼(榊鬼や山見鬼など)たちは、ここで地面を踏みしめます。これは「反閇(へんべ)」と呼ばれる陰陽道の歩行呪符であり、真冬に大地に沈み込んだ精霊たちの復活を意味します。
榊鬼

それは人々の「生まれ清まり」への願いに繋がります。花祭りでは、参加者みんなが歌ぐらを歌い、掛け声をかけ、舞手を囲んで共に舞い踊ります。舞手たちには神仏が降臨し降臨し神座となり、人々は舞手と共に舞うことで神仏から穢れを清め祓われ、新たな生命力を授かるのです。

現代の花祭りは、五穀豊穣、無病息災などの立願の祭りとなっていますが、
その背後には上記のような世界観があり、脈々と受け継がれているのです。

木の花ファミリーの創立メンバーは、創立前から東栄町の方と繋がりがあったのですが、
2011年、花祭りについて東栄町の方から直接ご指導いただく機会をいただきました。

四つ舞

その指導の元、舞手や囃子方(笛と太鼓)となったメンバーは練習を重ね、
他のメンバーみんなでそれをサポートしました。

そして2013年2月、みんなの努力が実り富士浅間木の花祭りを木の花ファミリーで開催することが出来たのです。今年の2月にも開催し、今後毎年、立春前に開催し続けることになっています。

花祭りは僕たちにとって、自分たちの世界観を顕す場としてとても大切なものとなっています。その歴史の流れを感じるために、東栄町小林の花祭りに7名のメンバーと共に参加して来ました。それはとても良い機会になりました。
自分自身が人類の歴史の繋がりの中に位置すること。それをみんなで表現することで、濃密で深い世界を生み出せる。そんなことをあらためて感じました。来年の2月に木の花ファミリーのみんなとそれを表現するのが楽しみです。

花祭りのクライマックス湯ばやしの様子です。




獅子舞です。


白光真宏会の五井先生感謝祭は、祈りによる世界平和を提唱した白光真宏会の開祖、五井昌久さんに感謝を捧げる日です。木の花ファミリーは毎年、このお祭りに出店させていただいています。
五平餅
はちみつクッキーあられ小麦粉野菜などの農産物や五平餅やぜんざいなどの食事を提供します。今年は米粉商品に力を入れていて、あんかけ米粉うどんを初めて提供しましたが、お客さんに好評でした。販売金額は合計で約85万円。雨のため例年よりは低い数字となりましたが、たくさんのお客さんにうちの商品を提供する機会となりました。



販売している様子です。

この白光のお祭りには木の花ファミリーの子どもたちも遊びに来ています。そして、ちょうど滞在中だったブラジル人映像作家のマルコスとジョアンナも同行しました。マルコスとジョアンナは、『自然の子ども』というプロジェクトで世界中の子どもたちを撮影しているのですが、日本の子どもとして木の花の子どもたちを撮影対象に選んだのでした。


祭典に参加する木の花ファミリーの子どもたち


白光のお祭りに来ることで、彼らは多くの子どもたちが世界平和について祈っているシーンを撮影することも出来ました。白光のお祭りとマルコスたちの滞在。とても大切な出来事が重なるとシンクロニシティを感じます。マルコスも「自分でどうにかしようと思わなくても、常に宇宙が導いてくれる」と話しています。
マルコスとジョアンナは、「カタカムナと子どもたち」というテーマで約1週間共に暮らし、木の花の子どもたちを撮影しました。その彼らの作品がどんなものになるかとても楽しみです。




世界平和を祈る祭典に参加している多くの子どもたち



人々を元気づけ、お金の流れも生み出し、社会を活性化させるお祭り(お祀り)。お祭り(お祀り)にはいろいろな要素がありますが、一番大切になるのはやはり世界観なのだと思います。豊穣への感謝や祈りを出発点とするお祭り(お祀り)の世界観は、畏敬の念や謙虚な気持ち、感謝の気持ちから成り立っています。それは表面的ではない深い世界を顕し、人々を一つにまとめる力を持ちます。お祭り(お祀り)の持つ世界観を知り、感じることを大切にし、未来に継承していきたいですね。




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