循環と変化によって成り立つ「ひとつらなりのいのち」

木の花ファミリーでは、月に一度、誕生日会が開催されます。誕生日会では、みんなでその月に生まれた人達を祝い、ケーキを食べて、歌や踊りなどを楽しみます。

赤ちゃんはどこから生まれてきたの 神様の光の響きから来たの
宇宙の命の奥から来たの 天と地が結ばれて生まれて来たの

今月2歳になる結宇光くんです。
これは誕生日会の時にいつも歌う「おたんじょうびのうた」の歌詞です。僕たちはみんな太陽の光から生命力をいただいています。そして、いのちはお互いの存在を必要とし合い、なくなることはありません。例えば、シマウマに食べられた草は、シマウマへと変化し、シマウマはライオンに食べられライオンへと変化します。そして、シマウマやライオンの死骸や排泄物は微生物たちが土に返し、それを養分にして草が育っていくのです。生命は、いのちといのちの織物の中、他の生命へと変化し、受け継がれていきます。そして、魂は次元を超えた存在であり、個体が消滅する時、この世界の本質(宇宙の命の奥)に戻り微細になります。そして再び旅立つことで肉体を得て新たな人生を歩んでいくのです。この世界に死は存在しません。誕生とは、変化であり肉体を得ることであり、この世界への魂の再生と言えるでしょう。

循環と変化によって成り立つ「ひとつらなりのいのち」

日和がみんなに作ったケーキです。
誕生日会ではその尊さを祝い、みんなで楽しい時間過ごします。今月の誕生日会は、17日(土)の夜に行われました。今月は、31日(土)に開催される富士浅間木の花祭りに向けて、いさどんみかちゃんから子どもたちへ木の花祭りのプレゼンテーションが行われました。そして、花の舞(矢剣・やち)、三つ舞(扇)、湯囃子(ゆばやし)などの舞が披露されました。以下、その様子を写真でご覧ください。




花の舞(矢剣)を舞う、はるとあっくん、なり(左から)です。


三ツ舞(扇)を踊るゆうゆ(右)ときよ(左)

同じく三つ舞(扇)を踊るみのり

湯囃子(ゆばやし)の舞です。

白光真宏会の方々が久しぶりに訪れてくれていました。


富士浅間木の花祭りについては、みかちゃんが「いさどんと鬼の面」でとても詳しく書いてくれています。ここで書かれている内容は僕たちにとってとても大切な内容であり、これからの人間社会に必要とされるメッセージがたくさん含まれています。ここで少し内容を引用しますが、是非、原文を読んでいただけたらと思います。

富士浅間木の花祭りでは、鬼が主役となります。その鬼についてカタカムナの単音で調べると以下のような意味となります。

「オ」 6方(前後左右上下)へ限りなく拡散、または凝縮する思念
    大きい 重い 奥の方・潜象の場  ※潜象界とはカタカムナでは「ない世界」のこと
「二」 定着する

この意味を発展させて「いさどんと鬼の面」では鬼について以下のように説明しています。

「オニ」とはマクロにもミクロにも限りなく広がる現象界、および現象界の元になる潜象界をも含む、両方の世界の働き(仕組み)を定着させるものである。そして、「鬼が云う」と書いて「魂」となる。魂とはこの世界の仕組みのもとにある心で、鬼は人間に、この世界の道理を伝えるものなのである。

怖い顔をして怒っている鬼。その怒りは人間への愛であり、今の人間がそれだけ道理から外れているということです。それは世界で起きている様々な出来事を見れば明らかでしょう。

フランスで起きた出版社襲撃事件は、更なる争いをもたらそうとしています。シャルリー・エブドは再びムハンマドの風刺画を掲載し、パキスタンではデモが暴徒化しました(「シャルリー・エブド」の漫画家を「すぐに絞首刑に」パキスタンでデモが暴徒化)。

ナイジェリアでは、イスラム武装組織ボコ・ハラムとナイジェリア政府軍、双方に住民は苦しめられています(ボコ・ハラム:日本メディアが報じない「ナイジェリア政府軍」の蛮行)。

そして、気候変動も深刻で、昨年11月に公表されたIPCC第5次報告書では、厳しい温暖化対策が必要なことが提示され、それを裏付けるように、2014年の世界の平均気温は1880年以降で最も高い数字となりました(朝日新聞より)。そんな中、日本人の多くは経済成長を求めているのです(3人に1人は「GDP成長のジレンマ」(必要だが不可能)を感じているー経済成長についての世論調査よりー)。

この世界で起きている争いや不条理はまだまだ上げればきりがありません。鬼はそんな人間に対して、やさしさを秘めながら怒ってくれているのです。やさしくあたたかい存在です。

木の花祭りはそんな鬼たちを主役にして開催されます。その鬼たちの中でも特に重要なのが榊鬼(さかきおに)で、鬼の総大将になっています。僕たちは榊鬼を地球神である「国常立大神(くにのとこたちのおおがみ)」・「艮(うしとら)の金神」と捉えています。国常立大神は、地獄では閻魔(えんま)様となり人々に喝を入れますが、弥勒菩薩となり幸福な未来へと人々を導く存在でもあります。

榊鬼は、木の花祭りの中で、斧を振るって、「反閇(へんべい)」と呼ばれる大地を力強く踏みしめる所作を繰り返し、大地を祓い(はらい)清め、真冬になって地中に沈み込んだ精霊たちを、呼び覚まし復活させます。新しい生命が次々と鼓舞されて出てくるのです。

榊鬼の面に手を入れているいさどんとりょうちん
今年、この榊鬼の面を新しく購入しました。ですが、その面は威厳に掛けていました。そこで怒っている表情を出すために、いさどんの想いを受けて、りょうちんが手を入れました。怒った表情になった面は削って真っ白になっていました。新しく色を決めることになり、みんなで「金色」に決めました。

榊鬼の面の色が金色になった時、ひろっちの中に、「金神」様という言葉が浮かびました。
榊鬼である「艮の金神」は、厳しいことを言う神様だったので、それを疎ましく思う八百万の神に艮の方角(北東)に封印されました。今、道理が通らず乱れた世の中になっているのはそのためと言われています。ですが、世の乱れを正すために艮の金神の封印は解かれる時が来るのです(『大本神諭(おおもとしんゆ』を参照)。


三千世界一度に開く梅の花、
艮(うしとら)の金神(こんじん)の世に成りたぞよ。
梅で開いて松で治める、
神国の世になりたぞよ。・・・・
今日(いま)は獣類(けもの)の世、
強いもの勝ちの、
悪魔ばかりの世であるぞよ。・・・
是(これ)では、世は立ちていかれんから、
神が表に現れて、
三千世界の立替え立直しを致すぞよ。
用意をなされよ。
この世はさっぱり、
新(さら)つの世に替えて了(しま)ふぞよ。
三千世界の大洗濯(おおせんたく)、大掃除を致して
天下泰平(てんかたいへい)に世を治めて、
万古(ばんこ)末代(まつだい)続く神国の世に致すぞよ。・・・
天理、金光(こんこう)、黒住(くろずみ)、妙霊(みょうれい)、 先走り、
とどめに艮(うしとら)の金神が現れて、

世の立替えを致すぞよ。
                   (天下泰平「日月神示と艮の金神」より引用)


この「艮の金神」の復活を、木の花祭りの演目に入れることにしたのです。木の花祭りはこれにより、さらに広がりを持つようになりました。そして、これは木の花ファミリーの生き方そのものです。

1月17日、国会議事堂前を、戦争に反対する人々が取り囲んだようです(女たちが国会包囲「子どもを戦争に行かせない」)。彼女たちは平和のための活動をしています。ですが記事を読む限り、その動機は自分や自分の家族の安全を守るためのようです。それぞれの人が、他人の立場や全体性を考慮せず、自分の都合を推し進めることによって争いや戦争は生まれています。そこを見詰めずに行う反戦デモは、それ自体が争いの種になってしまうのではないでしょうか?

多くの人が平和を求めています。でも、それは実現していません。それは人々が自分の都合を手放すことがないからではないでしょうか?自分の都合を手放した時、人と人とは繋がりあい、平和が実現します。そのために必要なのが心磨きであり、艮の金神をはじめとする鬼が示してくれる道理に従うことなのです。

11月、いさどんはインド最大のコミュニティ「オーロビル」で「シュリ・オーロビンド(1950年没)」の魂に出会い、艮の金神だと感じたようです。その特徴は以下の通りです。(いさどんブログ「天教山から地教山に向かって」より)

植物があり、その葉っぱがあるとか、大理石の柱があるとか、壁のペンキの傷だとか、それを僕が指差すと、「そこに私はいる」、「そこにも私はいる」、「どこにでも私はいる」と言葉が降りてくる。それで、その存在はすべてに遍満している存在なのだと直感したら、「すべてに遍満しているということは無である」と降りてきた。つまり、すべてに遍満しているということは、その存在は特定の位置に立たないから、すべてが自らであり、自ら(自我の特定)はないことになる。

無という境地は深いものであり、仏教で伝えられている奥にある存在なのだ。そして、もしかしてこの魂は地球の魂なのではないかと直感した。

 (※いさどんブログ「チベット人女性、カルサンとの対話」にもこのエピソードは出てきます。)

艮の金神、国常立大神は地球神であり、その存在は世界に遍満しています。そして、それは「ひとつらなりのいのち」として続いてきたものです。その封印が解かれることはエネルギーの解放であり、新たな誕生を意味します。僕たちは木の花祭りでそれを表現し、その精神を生きていくのです。

木の花祭りは愛知県奥三河の天竜水系にある東栄町の「花祭」に由来しています。東栄町でいさどんはある太鼓集団と一緒に活動をしていました。そして、そこから派生したグループは今、世界で多くの人々を魅了しています。そのグループの映像を観ていさどんは以下のように語りました。


この映像は、人間は極めるとここまで出来るということを示しています。
その技術で世界中の多くの人々を魅了しています。
僕たちも木の花祭りを極めることでこれから多くの人々を魅了していくことでしょう。
でも私たちが極めるのは技術ではなく「心」です。
日々の暮らしの中で自分に真剣に向き合い、自分を手放していくこと。
その姿勢が舞に顕れます。そして、それが多くの人々に感動をもたらすでしょう。

この生き方はこれからますます大切になります。
みんな覚悟を持って生きていきましょう。


僕たちはこんな気持ちで富士浅間木の花祭りに向けて準備をしています。
祭り当日、多くの方と感動を共有出来たらと思っています。
心が動いた方は是非、富士浅間木の花祭りにご参加下さい。お待ちしています。
(参加申し込み及び詳細はこちらまで → 第3回「富士浅間木の花祭り




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