木の花ファミリーでの正月 ~天の物語を生きるために~

今年の正月は木の花ファミリーで過ごしています。新年になりいろいろな人が自らの想いを発信していますが、1月2日の大人ミーティングでは、みんなでそれを共有しました。以下、共有したBLOGを紹介します。

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みっちゃんの想い~老人ホームで働いて -木の花ファミリーブログより

2015年の「船出の年」を迎えて  - 木の花ファミリーブログより(まりねえの投稿)

やっぱり天の物語を生きる ~新年の挨拶として~ - このBLOGの投稿です。

第1回「木の花ファミリー 大カルタ大会」開催しました! -まっちゃんのBLOGです。

明けましておめでとうございます - シャイニング ジュピター(りゅうしろうのBLOGです)

木の花ファミリーで起きたこと - 宇宙の秘密みかこのブログ(みかちゃんのBLOGです)

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みっちゃんは木の花ファミリーから近所の老人施設に働きに出ています。その経験から語るみっちゃんの言葉は、今の老人福祉の現状とそれに対する木の花ファミリーの暮らしの価値を教えてくれます。みっちゃんが働く施設だけでなく、お金儲けが優先していたり、そうではなくても採算を取るために充分な人材が確保出来ていない老人福祉施設は多いのではないでしょうか?そのような状態では、利用者のことを充分に理解し、深い関係を築いていくことは難しいのではないでしょうか?お年寄りが生きがいを持って暮らせているのか疑問です。

木の花ファミリーでは、赤ちゃんからお年寄りまで幅広い年齢層の人々が共に生活することにより、自然とみんなが元気に暮らしています。お年寄りや赤ちゃんも「世話する/世話される」という関係を超えて、共に生活を創り上げる仲間となります。みんなが自分らしさを発揮し生きいきと暮らすことが出来るのです。

お年寄りは小さな子どもと遊ぶことで元気になります。そして、子どもはお年寄りからその知恵を学ぶことが出来ます。福祉施設は、同じ年代の人だけを集めてサービスを提供するのではなく、多様な年齢層の人々が集まり共に助け合っていく場となっていくとよいのではないでしょうか?木の花ファミリーの暮らしはまさにその実践例となっているのです。

このようなメッセージを自分の言葉でしっかりと語ってくれるみっちゃんの存在は僕たちの誇りです。是非、リンク先の本文を読んでみてくださいね。

ちなみに僕たちの暮らしは、経済的観点からも老人福祉を改善する可能性を持っています。健康寿命(健康状態に問題がなく自立して過ごすことが出来る期間)を伸ばすことで、10年間で2兆円から5兆円節減出来るという試算が出されているのです(Yahooニュース参照)。お年寄りを健康にする木の花ファミリーの暮らしは健康寿命を延ばすことにも大きく貢献するのです。

まりねえが書いたBLOGは、僕たちが大切にしていること、目指している境地が適格に表現されています。言葉を超えた繋がり「阿吽(あうん)」がその一つで、具体的なエピソードとして僕が紹介されています。大人ミーティングの場では、この時、僕に起きたことを検証する時間も持って貰いました。

こはるちゃんが涙を流しながら気持ちを伝えている時、その気持ちはひとみちゃんには全然入っていませんでした。跳ね返している感じがしました。そして、ひとみちゃん自身その自覚があるようで、「私に余裕がない」と言っていました。僕はそんなひとみちゃんに対して、天に心を向けながら、「ひとみちゃんは余裕がないの?」と話しかけました。なんと、その瞬間に泣いてしまったのです。そして、ひとみちゃんも泣いていて、自分の気持ちをコントロール出来ずに苦しんでいることを話してくれました。僕は、自分が泣いたタイミングから、ひとみちゃんの苦しみが伝わって涙したのではないかと推察しています。でもこの苦しみはひとみちゃん自身が創り出したもので超えるべきものです。なので、この涙はあまり良い涙とは言えません。ですが、言葉を超えて共振が起きたことは事実でしょう。なお、この背後には、ひとみちゃんに変化を促すいさどんの大きな愛があり、今、ひとみちゃんは苦しみを超えて前向きに自分と向き合っています。さらに成長していくひとみちゃんの姿が楽しみです。

みかちゃんのBLOGは、2014年の木の花ファミリーを振り返り、そして、今、僕たちが迎えている大きな流れについても触れられています。まっちゃんのBLOGは、大カルタ大会を通して感じた学びを共有し、りゅうしろうのBLOGは新年の挨拶をしています。

是非、それぞれの個性豊かなBLOGを読んでみてくださいね。

大人ミーティングでは、BLOGのシェアから「自分の強さ」が話題となりました。自分がない人ほど、物事をスムーズに進め、楽に生きることが出来ます。自分の思い通りにしたい人は、それだけ周りとぶつかる機会が多くなり滞りを生みます。そして、自分への関心が強い人(自意識が強い人)は、評価を求め、失敗を恐れることで、自分を縛り正直ではなくなります。結果滞りに繋がるでしょう。自分を手放すことで、自由になり、結果、より多くの力を発揮することが出来るのです。

そんなことを確認した後、初日の出の写真と1月2日の太陽の写真をみんなで観て、この日の大人ミーティングは終わりました。


1月2日の太陽の写真です。日和が撮影したものです。

1月3日、みんなで心の話を思い切りしよう!ということで、午後2時からホールに集まりました。そして、子どもたちも同じ空間で過ごす中、夜の12時まで様々なことを話しました。そのうちのいくつかを紹介したいと思います。


ホールにこたつを運んできました。
(1)いさどんの今朝の夢の話から

いさどんはみんなに質問をしました。

「この暮らしの価値としていくらの値段をつけるか?いくら貰ったらこの暮らしを離れるか?」

それに対して、具体的な金額の答えはあまり出ませんでした。

「お金に換えることは出来ない」

それがみんなの気持ちなのです。その気持ちの再確認が目的で、いさどんはこの質問をしましたが、この質問は朝に見た夢で思いついたそうです。いさどんの夢の中では、ファミリーメンバーひとりひとりにいろいろな値段がついていて、それが見えたそうです。


(2)なぜこの道を選んでいるのか?大多数の人が別の生き方をしている中でなぜ?

この時代に生まれこの場所にいるのはなぜなのか?一人一人にここに至るまでの物語があります。それを再確認しようという投げかけがありました。その場では話しませんでしたが、この投げかけに対する自分の答えを書いておこうと思います。

矛盾のない生き方がしたい。正しくありたいという気持ちがここに僕を導きました。ですが、正しくありたいという気持ちはこの暮らしの中で手放すことになります。善悪はあくまで相対的なもの。正しいを主張すると悪者を生み出すことになります。善悪を超えて、自由になることが大切なのです。自由になった今、この道を選んでいるのは、天の物語を生きていきたいからです。それを実践する場としてはここ以外に思い当たりません。

子どもたちも一緒に話を聴いています。
(3)自我を超える方法は?

生命を維持しようとすることが自我の始まりです。自我は必要なものとして与えられていますが、強い自我は対立の原因ともなります。自我を超えていくことで物事の流れがスムーズになります。自我を超えるには2つの方向性があります。一つは自分の想いが沸いて来た時に、それに気づき手放すこと。もう一つは自分の枠を広げ、自分と万物が一体となることです。自分に執着がある状態では、世界を広げることは出来ないので、まずは想いを手放す取り組みが大切となります。それが出来るようになってきた時、今度は我を大きくしていくのです。このことについて、いさどんは以下のように語りました。

我が大きくなるとこの世界全部になります。その時、特定の個人という我がなくなり、自分の感情にも囚われなくなります。無所有と言いますが、無所有とは絶対所有のことなのです。なぜなら、すべてを所有したら、すべてが自分となり所有の感覚はなくなるからです。無の境地というものがありますが、いくら無と言っても自分はここにいるのです。その事実に変わりはありません。無という囚われのない状態から意識を広げることが大切なのです。この境地に至った時、自分は存在するけれども、瞬間瞬間変わり続けています。有るけれども無い。特定出来るけれども特定出来ないものなのです。巨大な宇宙と一体であり、巨大な宇宙の中で、ここにある必要があるからここにあるのです。

(4)精密に物事を見ていくことの大切さ

ものをあまり考えないで表面的に反応している人がいますが、それは子どもの頃からの癖でそうなっています。適応するために評価を求める必要があったり、自分を押し殺す必要があったり、原因は様々ですが、子どもの頃からの体験の蓄積で、その反応は出来上がっています。では、その人は被害者かというとそんなことはありません。こういう場合、親も子どもの頃、同じ体験をしていることが多く、親のことを責めることは出来ないのです。そして、何よりその人の魂がその場所を選んでいるのです。その状態を超えることを求めて、その場所に魂は降りてきたのです。この状態を超えるためには自分と向き合い、精密に見ていく必要があります。一つ一つの自分の反応の動機を確認していくのです。それには自分を探求する覚悟が必要になります。木の花ファミリーのことを評価するけれども、ここの生活を選ばない人がいます。その人たちは探究したいという気持ちをアクセサリーにしているのです。自分を探求することが大切だと分かっているので、そのように振る舞うことを求めています。ですが、覚悟がないので、自分自身に向き合う必要が生じた時、逃げ出してしまうのです。人生は自分との出会いです。そこが出発点で、そこから世界を知っていくのです。

(5)木の花ファミリーで語る「天」とは?

木の花ファミリーで語っている「天」とは宇宙の法則であり、現代物理学やカタカムナが示しているものです。僕たちはそれを感じる時、思惑を挟むことはありません。お告げなどとは違うのです。あくまでそれは客観的なものであり、その背後にある意志を感じているのです。

(6)エントロピー

エントロピーは、熱力学や情報学で使われる言葉ですが、大きくなる状態は、拡散、無秩序の方向へ進むことであり、小さくなるのは、収縮、秩序化の状態と言えます。人間関係の中でも、エントロピーが小さくなり、収縮、秩序化の方向に進むと、省エネで物事を進めることが出来ます。文明の歴史に応用すると、西洋文明(物質文明)はエントロピーが増大していく方向で発展し、東洋文明(精神文明)はエントロピーが縮小していく方向で発展すると言えるのではないか?そして今は、精神文明が発展する時なので、これからエントロピーは縮小していくのではないか?そんな話をしました。そして、それは腐敗分解と発酵分解にも言えることで、腐敗分解は、分解が早く形がすぐになくなります。それはエントロピーの増大をもたらします。一方、発酵分解は、酵素を出し、いつまでも形が残ります。発酵は蘇生であり、エントロピーは縮小するのです。

(7)ない世界(潜象界)/みえない世界・ある世界(現象界) ~ カタカムナ ~

みかちゃんがホワイトボードに書いたものです。

このBLOGの投稿「今年もあと1日」にも書いた通り、今、見えない世界(幽界)にはたくさんの不浄の霊が存在しています。それが靄(モヤ)となり地球を覆っているのです。肉食を続けることは、家畜を屠殺(とさつ)することであり、地球は霊的に汚れていきます。僕たちは自然環境だけでなく霊的なことも視野に入れて、菜食をしています。そして、天然循環法の暮らしを営んでいます。

(8)この時間を持った意味

船出の年を進むにあたって、天の物語を生きていく覚悟を再確認しました。そのことをいさどんは以下のように語りました。

人が生きるということは楽しんで生きることが目的です。思うようにならないと苦しむ人がいますが、それはからくり(宇宙法則)を知ると解放され、世界が楽しい場所となっていきます。無我の方向へ行くと天意が顕れます。自我は世界を無秩序にし、執着へ向かいます。方向を間違えると人はいつでも(地獄へ)と落ちていきます。(天へ)上がっていくためには出来事や自分の心を吟味する必要があります。確実に緻密に学びを積み上げていく。そのような覚悟を創るためにこの場はありました。わけがわからないけれどもこれが大事という心が大切です。道理を調べていけば、揺るぎない心を育てることが出来ます。ここの生活やみかちゃんの書くもの、それと日月神示の記述は一致します。その確認は確信をもたらします。揺るぎない心で生きて行く。今、帰省で帰っていて、ここにいない人も分も表現して、この場を仕上げていきましょう。


元旦のいさどん。ある方は、胸にある光を富士山のご神体と表現されました。

とにかく天の物語を感じ、それを生きて行く。僕はこの2日間でその心を深めました。そして、これからもどんどん深めていきます。それがどんな物語がとても楽しみです(^-^)

※1月3日に話されたことについてはみかちゃんBLOG「群衆心理の時代から個々の目覚めの時代へ」にも書かれています。こちらも合わせてお読みください。


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