希望は変化し続けることから生まれる。

村上龍さんの小説『希望の国のエクソダス』は、優秀な中学生たちが北海道に自分たちの独立国家を築き上げていく物語ですが、その中でリーダー格の少年ポンちゃんは、「この国にはなんでもある。でも希望だけがない」と語っています。

この小説は10年以上前のものですが、いじめや不登校などの教育問題は変わらず存在し、社会の閉塞感も変わらずに存在しているのではないでしょうか?

ところで8月11日、九州電力は川内原発を再稼働させました。世論調査では過半数が反対する中(賛成34.4% 反対56.7% 7月共同通信)、火山を周りに抱え、避難計画も不十分な状態での再稼働です。

今、参議院で審議をしている安全保障関連法案も世論の反対の中、成立に向けて動いています。

社会は世論が反対する方向に進んでいっています。これはとてもおかしな現象です。この現象も社会に閉塞感をもたらし、人々から希望を奪う原因の一つなのではないかと思いました。


希望とは何か?と考えた時、思い出すのがギリシア神話の「パンドラの箱」です。

人類最初の女性とされるパンドラが、好奇心から「パンドラの箱」を開けた時、疾病や悲嘆、欠乏、嫉妬、怨恨などありとあらゆる災いが飛び出してきました。その時、最後に箱の中に残ったものが希望とされています。

パンドラの箱から飛び出した災いは世間にあふれています。それは人間の表面を覆う本質となり、何もしないでいると人々はその災いに翻弄されて暮らすことになります。ですが、それらと向き合い、その奥を覗き込むとそこに希望が見えてくるのです。

災いはそこと向き合うことにより希望に変化し、この世界は喜びに満ちたものになっていきます。
変化が希望を生み出し、希望が変化を加速させるのです。


さて、原発の再稼働に話を戻します。

2011年3月11日。福島原発事故という大きな災いが生じ、一度すべての原発は運転を停止しました。その原発が世論の反対の中、再稼働されたのです。

これは本当におかしな出来事です。
ですが、このおかしな出来事は一人一人の日本人が生み出していることなのです。

安全を求める心、経済的豊かさを求める心、自分たちの利権を求める心など。

人々の様々な心が絡み合い世界は動いています。
今の世界の動きは人々の心の総和と言っていいでしょう。

日常の中で、物事を明確にするのを避け、曖昧な状態で過ごし、矛盾を生み出している。
そして災いに翻弄されている。
そんな人々の姿が原発の再稼働を生み出しているのではないでしょうか?

一人一人の日常が世界の動きを創っていると思うのです。
だから、一人一人が災いと向き合い、その奥にある希望を見出したならば、
世界全体にも希望がもたらされると信じています。

8月12日~14日。木の花ファミリーで開催されている希望の光プロジェクトの第2回イベント「私たちみんなが希望の光」~宇宙と友に生きる~は、この世界に希望をもたらす取り組みです。

希望は変化し続けることから生まれます。
そして、変化は宇宙や自然の法則です。

変化ということを考えた時、昨年末に書いた以下の文章を思い出しました。
「天の物語を生きる。~1年の振り返りと来年の抱負として~」より)

☆彡 ☆彡 ☆彡


僕はこれまでずっと自分の物語を生きて来ました。

それは「世界が僕を変える」や「世界と一緒に変化を楽しむ」に書いた英雄物語だったり、「僕といさどんと木の花ファミリー」に書いた「虐げられた状況から逆転する物語」だったりします。その自覚はずっとあって、それを意識的に変えようと努力を重ねてきました。ですが、それらの努力は功を奏しませんでした。僕は変わりませんでした。

そんな中、今年の9月24日、このBLOGを立ち上げました。タイトルは「木の花ファミリーの経済から世界を見る」。「世界を見る」とタイトルをつけたからには、そこに書かれるものは、世界を意識したものでなければならない。そんなふうに思いました。そして普段から世界で起きていることと木の花ファミリーの暮らしを繋げて考えるようになりました。そうすることで、この暮らしの意味をあらためて感じることになりました。そして、その意識を保つために一定のペースでこのBLOGを書き続けました。

すると大人ミーティングが今まで以上に面白い場となってきました。そこから世界が見えるのです。
そんな大人ミーティングの場で、12月の初め不思議な体験をしました。その時、いさどんがみんなに向って語っていたのですが、僕は天から暖かいエネルギーが降り注ぐのを感じたのです。いさどんの話が天の扉を開き、そして、天からエネルギーが降り注いでいたのです。そのエネルギーはとても大きく暖かいものでした。僕はこの時、初めて天の存在を感じました。ずっとあることを知っていた天の存在をリアルに感じたのです。この日から僕は天に意識を向けるようになりました。

天に意識を向けると、自分の感情や枠を超えることが出来ます。自分から自由になって、天の温かさを感じることが出来ます。それがとても心地よく毎日がとても幸せなのです。そんなふうに過ごしていると、周りから「変わった」と言われるようになりました。

このBLOGを立ち上げた時、僕は別に「変わろう」とは思っていませんでした。ただ広い視点を持つことを心掛けて毎日を過ごしていました。その結果、僕はとても幸せになりみんなに変わったと言われます。一方、僕が意識的に変わろうと努力した時、僕は変われなかったし、あまり幸せにもなれませんでした。

その違いは何か?

僕が意識的に変わろうとした時、僕は自分の変わる姿をイメージしていました。評価される自分、出来る自分をイメージしていました。要は自分がかわいかったのです。そして、自分に囚われていました。その囚われが僕の変化を邪魔していたのでしょう。

今は自分に対するイメージは持っていません。「どうなりたい」という思いもありません。ただ、天を意識し感じ続けること。それが僕の一番の望みで、それだけ出来ればよいのです。だから僕はこれから何があってもずっと幸せだろうなと思います。

僕を変えて幸せにしてくれたのは世界であり、天です。
自分では幸せになれませんでした。
だから、これからは天の物語を生きていきます。
それは僕を幸せにし、そしてみんなを幸せにする物語になるのだろうなと思っています(^-^)


☆彡 ☆彡 ☆彡

原発反対とか戦争反対とか具体的なものをイメージするとそれが囚われになり、変化の邪魔をすることもあるのではないでしょうか?

ただただ世界に心を向けて、天を意識して暮らしていく。

一人一人がそうなることで、世界は自然と変化していくのではないでしょうか?

その時、人々は世界の変化をみんなでただ純粋に楽しむことが出来るのだと思います。
そんな日に向けて心を磨き続けていこうと思っています。

木の花ファミリーのみんなです。



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