自分を知り、その自分を超えていく

プロセスを楽しむ」でも書きましたが、いさどんは僕に以下のように語ってくれたことがあります。

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自分を見て、自分を分かれば分かるほど、精度高く見るようになっていく。
分からない人間は出来ていると思いがち。
分かれば分かるほど、人は「まだまだ」と思う。
そしてその「まだまだ」という心が人を創っていくんだよ。
分からない人はもう出来たと思うから、全然心を磨かず失敗を繰り返しドツボにはまっていく。

「まだまだ」と思いながら高いプライドを持つ。それを同時進行していくことが大切なんだよ。

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高いプライドはどこから来るかと言ったら、自分を超えていく意思から来るのだと思います。

知れば知るほど、至らない自分が見えてきます。

「世の為人の為」という理想を掲げながらも自分の都合で動いている自分。
周りからの評価を気にする自分。
失敗を恐れる自分。
そして、ちょっとの失敗で落ち込む自分。

などなど。

誤魔化さずに真っ直ぐに自分を見ると至らないところがたくさん見えてきます。
ですが、自分を知ることで自分を対象として眺めることが出来ます。
そして、いつもその位置にいることが出来たならば、
人は自分を超えて、自分から自由になれるのだと思います。

自分を知り、その自分を超えていく。

きっとそこは「みんながひとつ」の世界で、そこに究極の喜びがあるのだと思います。
そしてそこを目指す意思が高いプライドとなっていくのでしょう。

矛盾を超えて生きていく。」にも書きましたが、ここ最近「人の気持ちを理解していない」ことを痛感する出来事が続きました。あらためてその時のことを振り返ると、自分が自分の感情のままに行動し、そして感情に振り回されていることに気づきます。ここ数週間でいさどんから貰った言葉を書いてみます。

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1、自分の衝動のままに(文章を)書いている。そのため相手がどう感じているかが見えていない。

2、相手の意向ばかり気にしていてこちらの立場をしっかり示せていない。そのおどおどした態度が相手に「何かあるのではないか?」という印象を与え、相手の中に余計な心を育てていく。

3、なかのんは分かっていることを分かっている立場で語っている。客観的な位置に立つことが出来ていない。

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2の「相手の意向ばかりを気にする」ということは、一見、相手の立場を考えているように思えるかもしれませんが、それは違うのです。僕の中には思惑があって、その思惑に沿って欲しいという気持ちがありました。そして相手に余計な気遣いをしたり、余計なことを伝えたりしたのです。その結果、会話がスムーズにいかなくなりました。結局、相手の状態(心)を冷静に見ることが出来ていないのです。

願いから自由になるために生まれてきた。」を書いた頃、僕の心は澄んでいました。生きているのが楽で楽しく、滞りもほとんど起こりませんでした。その後、僕の中に「願い」が生じ、感情が乱れ、滞りも起きるようになりました。

これは僕が退化したのかと言ったらそんなことはないのです。

より広く深く世界を見ることが出来るように。もっともっともっと成長するように。
そのために僕の中に「願い」が生じ、感情が乱れ、僕は今、そこと向き合っているのだと思っています。

それは自分をさらに深く広く知るための旅路です。

僕は今、滞りの中で自分に対する認識を深めています。
そして、僕は、認識を深める中で知った自分を超えていくのです。

きっと人生はこの繰り返し。

次から次へと湧き上がる感情を通して、自分を知っていく。
そして、その自分を超えることで、自分の「濁り」を取っていく。
そして、また感情が生じる。

その繰り返しの中で自分に対する認識が深まり、世界が広がり、
宇宙をより感じるようになっていくのでしょう。
その中で積み上げていく価値は、時代や社会を超えて普遍的なもの。
そうやって死の向こうまで伴える価値を積み上げていくのです。
そして、その結果、出会う現実も豊かに変化していくのでしょう。

僕はまだまだ未熟ですが、それでも出会う現実は確かに変化しています。

心を磨いた結果出会うこと。

人生はただただそれをいただいていくだけなのです。






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