∞(無限)に開かれていく

僕はいさどんから以下の言葉を貰っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「なかのんのブログに書いている事は仕上がってきてはいるが、
実際の心情についてはまだ仕上がっていない」という事でもある。
微妙な所だけど、ブログには「僕にはこの道しかない」となかのんは宣言している。
心情的には何かが残っているんだけど
「僕にはこの道しかないから、辛くても行きます」
というような事になると、目指すものと違う。
目指す所は、「人間を磨いていくと磨くことによって次の次元、
高い意識になって自ずと新しい現象に出会う、
自ずと過去に自分が思ってた事が叶うという事がある」という話だよ。
それは、目指していく事でもなければ、
それが尊い事だからといって我慢していくという事でもない。
それでは目指す所と違う世界になってしまう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この時、いさどんは僕について
なかのんが自分の担当以外の事を全然考えていない
とも言っています。

・ 心情的には何か残している。

・ 自分の担当以外のことを全然考えていない。

この2つは同じことを言っているのだと思っています。
心情的に何かを残すとは、自分の心情に囚われ、
そこから自由になっていないということです。
そして、「自分の担当以外のことを全然考えない」ということは、
自分の担当という範囲に囚われ、そこから自由になっていないということです。

どちらもテーマは自分自身の解放です。
自分の心情や自分の担当という枠を超えて、自分自身を表現していく。
いさどんの言葉は僕にはもっとそういうことが出来るというエールなのです。

話しは変わって。

昔、人々は神話と共に生きていました。
彼らの居住空間はそのまま宇宙の表現であり、世界と自分たちが繋がっていました。
移動する範囲や見聞する範囲はごくわずかであったとしても人々は宇宙と繋がっていたのです。

今、テレビや新聞、インターネットを通して世界中から様々な情報が入ってきます。

・ イスラム国が住民をモスルに強制移動させて人間の盾にしている。
・ イエメンで政府軍とフーシ派が衝突。
・ シリア学校空爆 子ども22人死亡。
・ 地中海渡る移民の死者、年初から3,800人に達し、通年ペースで過去最多。

こんなふうに沢山の悲惨なニュースが流れて来ますが、
日本での暮らしとの繋がりを意識している人はごくわずかなのではないでしょうか?

広範囲からの情報が入るようになりましたが、人々は世界との繋がりを失っているのです。

またまた話は変わって。

木の花ファミリーでは毎年立春前に、富士浅間木の花祭りが開催されますが、
そこでは艮の金神さまの神話が表現されています。





以下、金神さまの神話を少しだけ紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

宇宙の創造神である七代の神々が世に現れ、
そこから個性豊かな八百万(やおよろず)の神々が次々と生まれた神代の時代。
自由気ままに振る舞おうとする八百万の神々に、
地の大神様は世を乱さぬようにと心の掟を厳しく説かれました。
地の大神様は名を国之常立大神(くにのとこたちのおおかみ)といい、
その厳しさ故に八百万の神々から疎まれておりました。

「こう厳しくされてはかなわん。何とかならないものか。」
相談した八百万の神々は、天の大神様のもとへと向かいました。
「どうかあの神様にご退陣頂けるようお願いくださいませ。」
八百万の神々の懇願を受け、天の大神様は国之常立大神にこう伝えました。
「すまないが、一度この世の表から退いてくだされ。
しかし、いつか必ず世が立ち行かなくなる時が来る。
その時再び現れ、この世界を立て直してくだされ。」

それを受けた国之常立大神は、艮(東北)の方角へと退かれ、
それより後「艮の金神(うしとらのこんじん)」と呼ばれるようになりました。
そしてこの方角は「鬼門」として恐れられ、封印されたのです。


それから、長い時が経ちました。
八百万の神々が好き勝手に振る舞った結果、世の中は荒れ放題。
自分さえ良ければ良いという「我よし」、
力あるものが弱いものをねじ伏せる「力よし」の世となり、
まさしく、かつて天の大神様が
「いつか必ず世が立ち行かなくなる時が来る」
と言われた時代が訪れたのです。




☆彡 ☆彡 ☆彡


今、日々流れる悲惨なニュースを見ると、まさに「我よし」「力よし」の世の中と言えます。
それは八百万の神、その影響を受けた人々が好き勝手に振る舞った結果です。

人類は長い間、自らの願いを叶えることを喜びとして来ました。
願いが叶った時、確かに喜びが生まれますが、
すぐに次の願いが生まれ、欲望は際限なく続きます。

結果、社会は混乱の極みにあります。

願いを叶える。

それは自分主体の姿勢であり、関心が自分に集まり、
人々は世界との繋がりを失っていきました。
思い通りに生きているようで、
実は自らを「願い」という狭い世界に閉じ込めているのです。

金神さま、国之常立神は地の大神であり地球そのものです。
金神さまが復活することにより、
人々は主体を自分から地球という大きなものへと移し、
それは宇宙へと繋がっていきます。

すべての生命を生み出し維持している地球。
それは個々人から見たら∞(無限)の大きさを持つものであり、
過去から未来へとすべての存在を繋いでいきます。

その立ち位置で自分というものを表現していく。
それは出会った出来事から
時代が生み出す大いなる物語を読み解き見ていくということです。

その時大切なのはしっかりと心を把握しコントロールしていくことです。
自分を知り把握出来れば、コントロールする可能性が開かれます。

頭ではばかげていると思っても心情的にはリアルなことがあります。
その時、心情に従っていたら、主体が自分となり変化はありませんが、
心情自体を変えていければ自分と現実は変化していきます。

それが変化変容を本質とする地球や宇宙を主体として生きるということです。

だから何より自分と向き合い続けることです。

そして心を創っていくことです。

僕は心にメスを入れ続け、変幻自在にしていきます(^-^)

心が変わればすべてが変わるのです。

それは思い通りになるということではなく、
大いなるものへと自分自身を解放していくということです。

それが富士浅間木の花祭りを毎年開催している意味であり、
冒頭のいさどんの言葉に含まれている僕へのエールなのです。


ちなみに一昨日の29日、木の花ファミリーでは誕生日会が開かれ、
そこで子どもたちが富士浅間木の花祭りの演目を披露してくれました。
とっても可愛らしかったです(^-^)


富士浅間木の花祭りの演目「花の舞・やち」です







0 コメント:

目指す世界を実現するために何も目指さない

「なかのんのブログに書いている事は仕上がってきてはいるが、
実際の心情についてはまだ仕上がっていない」という事でもある。
微妙な所だけど、ブログには「僕にはこの道しかない」となかのんは宣言している。
心情的には何かが残っているんだけど
「僕にはこの道しかないから、辛くても行きます」
というような事になると、目指すものと違う。
目指す所は、「人間を磨いていくと磨くことによって次の次元、
高い意識になって自ずと新しい現象に出会う、
自ずと過去に自分が思ってた事が叶うという事がある」という話だよ。
それは、目指していく事でもなければ、
それが尊い事だからといって我慢していくという事でもない。
それでは目指す所と違う世界になってしまう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これは数日前のいさどんの言葉で、僕は心に留めて日々を送っています。

僕は昨日、社労士をしている女性から話を聴く事がありました。
彼女は人事・労務管理の重要性、職場環境を整える重要性を一生懸命に話していました。
そして、こんなエピソードを話して自慢げになっていました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

契約を結んでいる会社で出社出来なくなっている若い子がいて、
私は個人的にその子をランチに誘ってあげたの。
それも3回。私がランチをおごるのだから2,000円は下らない。
例えば、2,000円のイタリアンのコースにおまけにデザートをつけてあげたりしたの。
そしたらね、その子はまた会社に行ってみようという気になっているの。

☆彡 ☆彡 ☆彡

話しを聴きながら、これは良いことなのだろうか?と疑問に思いました。
出会う出来事はその人の人間性の現れであり、
出社出来なくなるからにはそれだけの理由があるはずなのです。
出会った出来事を通して自分を見る機会となるはずなのに、
ご馳走になって元気になるだけなら自分を見る貴重な機会を失うことになります。
結局また同じ状態に陥るだけなのではないかと思いました。

社労士は法律に則り職場環境の改善など、
一人ひとりが働きやすい場創りを考えているのでしょうが、
その視点はどうしても一面的になるのではないかと思いました。

例えば、今の経済システムは地球環境には大きな負荷を掛けています。
そういうことも踏まえて、労働というものを考えていく必要があると思うのですが、
そのような視点はなかなか持てないのではないかと思います。

自分の専門の視点から状況を眺め改善に努めていきます。
それはある部分から観たら改善しているのでしょうが、
全体から観たらそうとは言えないのかもしれません。

先に紹介した社労士の女性は自分が良いことをしていると思っています。
そして自慢げになっています。
ですが、その行動が社会にもたらすものは本当に良いことなのでしょうか?

今の社会は混乱し様々な問題が山積みになっています。

それは人々の思惑が絡み合い出来上がった世界です。
それが正義であろうが善意であろうが、
思惑から結果に対する所有や執着が生まれ、不満や対立が生まれていくのです。

世界をよくしようと思ったとしても、思惑を手放せなければ、
社会の混乱を助長するだけです。

自分ではなく出来事を主役にする。

そんな姿勢が大切なのだと思いました。

自分の意図で何かを生み出そうとするのではなく、
出会う出来事を通して自分を知っていく。
そして出来事の奥に流れる天意を感じていくのです。
そこに生まれる物語は自分だけのものではなく、
出来事を共有するみんなの物語となっていきます。

出来事を主役にすることで、人々が繋がっていきます。
そして、それは過去から現代、そして未来へと繋がっていきます。

ここで冒頭のいさどんの言葉です。

僕らは目指す世界を実現するために何も目指さないのです。
なぜなら何かを目指すことで思惑となるから。
心情的に何かが残っているならば、ただ淡々とそれを見つめ整理するだけです。
そして世界と出会っていく。

主役はこの世界であり、出会う出来事すべて。

僕はその物語の一部です。

僕が出来事を共有している木の花ファミリーのみんなです。

0 コメント:

「ここは何だろう・・・あれ?!」という世界

3ヶ月程前、いさどんはこんな言葉を語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

昔、その不可思議な異次元空間が当たり前に身近にあるけれど、
あまりにも身近にありすぎて、
あることが気付かないようなところにあった。
そこに現れるその異次元空間が、新たな時代を創っていく。
それは潜象界のようだ。

「難しいことを与えておるゆえ、心してゆけ。」
ここまでそれがわかってくると、難しいことの意味がまったく違ってくる。
それは難しいだろう、それはわからないだろう、という話にもなる。
それは、「難しいからやっていくぞ!」というものではない。
ともこのように気合を入れて宣言してやるようなものではない。


僕はただ、
「ここは何だろう・・・あれ?!・・・ここはどこ?・・・」
という場を創りたいのだが、皆は何もわかっていない。

※潜象界とはカタカムナの用語です。
 カタカムナについて1ヶ月間の真学校「4日目カタカムナ」を参照して下さい。

☆彡 ☆彡 ☆彡

このとっても不思議でどこか魅力的な言葉を聴いて、
僕は以下のようにいさどんの心を感じ、表現してみました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

※青字がいさどんの言葉、黒字がそれに対する僕が感じた表現です。

昔、その不可思議な異次元空間が当たり前に身近にあるけれど、
あまりにも身近にありすぎて、
あることが気付かないようなところにあった。

自我を持った人間は、自分の実態から離れ、
幻想の世界で暮らすようになりました。
自我は土台がなく孤立しています。
そのため他人からの承認や評価を必要とするのです。
評価を得て、承認をされることで自分の存在を維持しているのです。

そんな自我の奥には「自分の実態(実体)」が存在しています。

この世界に存在するものはすべて循環の仕組みの中で存在しています。
生き物が生き物を支えることで成り立つ生態系。
そこに存在するものはすべて一つなのです。
自我の奥に存在する「自分の実体(実態)」も
この世界の循環の中で存在しています。
つまり、それはすべての存在と繋がり、
宇宙の法則の下に存在しているのです。

全存在と繋がる「自分の実態(実体)」は、
自我の想像を超える体験をもたらします。
それは自我にとって不可思議な異次元空間のような存在です。
そして、常に自我の一番近いところに存在し続けています。
ですが、自我は幻想の世界に埋没しているため
その存在に気づくことがないのです。

そこに現れるその異次元空間が、新たな時代を創っていく。
それは潜象界のようだ。

人類は長いこと各々の自我の幻想の中で暮らしていました。
一人一人の幻想から共通項を抜き出し共通の幻想を創り上げ、
実態の存在を忘れてきました。
人類は実態を無視した幻想の中で一喜一憂し、毎日の糧を得ていました。
それは各々の欲望を際限なく追及する姿勢に繋がりました。
今、その暮らしが限界を迎えようとしています。
実態を無視し、際限なく己の欲を追求した自我の振る舞いは、
この世界を蝕んできたのです。

自然災害や環境破壊、テロリズムや紛争、貧困、経済格差など。

今起きている様々な問題は社会が生き詰まりを迎えているサインなのです。

今、一人ひとりが「自分の実態(実体)」に気づいていく必要があります。
その時、自我の想像を超えた異次元空間が開かれ、
新しい時代が創られていくのです。

今までの社会は物質循環のみで営まれ、天然循環はしていませんでした。
そのため物質のエネルギーは枯渇し、環境破壊が進んでいるのです。
一人ひとりが「自分の実態(実体)」に気づいた時、
天への扉が開かれ、エネルギーは潜象界に返り、天然循環が始まります。
天然循環する暮らしはこの世界に新鮮なエネルギーをもたらします。
そのエネルギーは想像を超えた出来事を人類にもたらし、
今ある問題はすべて解決されるでしょう。

「難しいことを与えておるゆえ、心してゆけ。」
ここまでそれがわかってくると、難しいことの意味がまったく違ってくる。
それは難しいだろう、それはわからないだろう、という話にもなる。

難しいにもいろいろな意味があります。
自分がこの道を貫くことの難しさ。
この道の大切さを世の中に伝えることの難しさ。
どちらも難しいです。
今、この道の大切さは僕の中では明確となり、他に道はありません。
今や、僕がこの道を貫くことは当然のことなのです。
ですが、分かれば分かるほど、
この道は今の社会の常識とは大きな隔たりがあります。
それを人々に伝えることを考えると、
それは難しいだろう、それは分からないだろう、
とそんなふうに思えてくるのです。

それは、「難しいからやっていくぞ!」というものではない。
ともこのように気合を入れて宣言してやるようなものではない。

先にも伝えた通り、僕にとってこの道は明確であり、
もう他には道がありません。
今や「もう他に道はない」という言葉すら必要がなくなっています。
「もう他に道がない」と表現することは、
他の道に対して、それは違うと否定する意味合いも含まれます。
そこには力も入ります。
ですが、もう自分の視野には一本の道しかないのです。
だから、わざわざ「他に道はない」と表明する必要はないのです。
ただ淡々と歩むことであり、気合は必要としないのです。

僕はただ、
「ここは何だろう・・・あれ?!・・・ここはどこ?・・・」
という場を創りたいのだが、皆は何もわかっていない。

みんなが「自分の実態(実体)」に向き合うと、
異次元空間への扉がここかしこに開かれます。
もうそれは自我からしたらわけの分からない世界であり、
大いなる存在へと繋がる世界です。
そんな世界をここに表現した時、訪問者の自我は弱まり
「ここは何だろう・・・あれ?!・・・ここはどこ?・・・」
という体験をします。
この空間自体が訪問者へ
「実態(実体)=異次元空間」への旅を促すようになるのです。

僕はそんな場を創りたいのです。

だけれども、みんなは相変わらず自我に翻弄され続けています。
みんな、自我の下、自分の想定内の毎日を送っています。
そんな暮らしは面白味がありません。
僕はそんな生活には1日だって耐えることは出来ません。
ですが、みんなは平気な顔でそんな毎日を送っています。
それはこの暮らしの価値が分かっていないということなのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

まず自分の幸せがあり、その後に他人のことを考える。
それが今の世界の価値観なのではないでしょうか?
多くの人が自我の願望を満たすことを考えていて、
それと現実との間に矛盾が生じた時に調整を加えていきます。
あくまで自我を基準に世界を見て体験しているわけですが、
自我の奥には「思い通りにしたい」心があるのです。

今年のノーベル平和賞にはコロンビアのサントス大統領が選ばれました。
この話題が昨日のNHKニュース深読みに取り上げられ、
番組紹介には以下のように書かれています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今年のノーベル平和賞に、南米・コロンビアのサントス大統領が選ばれました。
半世紀にわたり反政府ゲリラ組織との内戦が続き
20万以上の命が失われたコロンビアで、
粘り強く“対話”を続け、
先月和平案の合意にこぎつけたことが評価されました。
この“対話による解決”は、
世界で続く紛争やテロを終結するヒントになると期待されています。
世界の平和を築くためにいま必要なことはなにか?
ノーベル平和賞をきっかけに考えます。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そして昨年のノーベル平和賞はチュニジア国民対話カルテットであり、
そこでも対話の重要性が強調されました。

※国民対話カルテットについては、六辻さんのブログ
 「チュニジア「国民対話カルテット」のノーベル賞受賞-その軌跡と意味
 がとても参考になりますが、そこにはこんな表現があります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

選挙や民主主義は、国民の要望を取りまとめるという「統合」の側面があります。
しかし、その一方で、個人や各勢力が自らの意見や利益を表面化し、
競合することにより、そこには宿命的に「分裂」の側面もあります。
民主政で名高い古代ギリシャで、市民権が拡大するにつれ、
富者と貧者の間の階級間闘争が激化し、
最終的に専制君主国家のマケドニアがギリシャ世界を併呑したことは、
民主主義がもたらす社会の分裂の危うさを現代に伝えるものです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

各自の意見や利益が表面化することで「分裂」していく。
それは現代の民主主義が直面している課題です。
それをいかに「統合」の方へと進めていくか?
そのために対話が重要となるのですが、
それが功を奏するにはそれぞれが自分の立場を超える必要があります。

チュニジアが問題を抱えつつも民主化に成功しているのは、
平和という大きな目的のために、
それぞれの団体が自分の立場を超える努力をし続けているからでしょう。

その一方で、コロンビアの和平案は国民投票により否決されました。
和平案の成立を阻んだのは、それぞれの立場のこだわりなのではないでしょうか?

多様性が分断ではなく統合に進むためには、
一人ひとりが大いなる流れに従う必要があります。

一人ひとり多様な個性を持つ人間ですが、
みんな宇宙、そして太陽や地球に生かされて存在しています。
そのことは共通していて、そこには一つの大いなる流れが存在しています。

自我を離れ、その流れに意識を向けた時、
自分の想像を超えた世界が展開し、流れが人々を一つに繋げていきます。

それが「ここは何だろう・・・あれ?!」という世界であり、
僕らは未熟ながらも日々そこへと意識を向けています。

昨日、開催された恵みいただきます&ロータスカフェは、
そんな僕らの日々の実践から生まれたもので、
「ここは何だろう・・・あれ?!」という世界の一つです。

その様子を写真でお伝えしますね。

お客様に提供した料理です。内容は下の絵を参照して下さい。




会場は様々なで彩られていました。



売店で元気に活躍するえいこばあちゃんです。

当日のスタッフの写真です。全員ではありませんが・・・

まずは大いなる流れを意識して対話をする。
その先には対話もいらない阿吽(あうん)の世界が開かれます。
そんな暮らしを実現し、その幸せが世界に広がるように。
一人ひとりが自らの自我を乗り越えていく。

木の花ファミリーの暮らしはそんな暮らしです(^-^)

現在の価値観の中、それを人々に伝えるのは難しいのかもしれませんが・・・
大切なことはきっと伝わっていきます。
伝えるではなく、伝わる。
そういう気持ちで日々を大切に生きています。


0 コメント:

僕であって僕でないもの

先日、いさどんと以下のような会話をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

いさどん:

何か自分がアプローチして駄目だった場合、
それは諦めることなのか、再チャレンジすることなのか、
そこを見極める必要がある。
形としては、願いを叶えるという形でそれを達成するのではなくて、
それが自ずと叶う、願っていなくても叶う。
そこのところにいかないと本当ではない。

なかのん:

願いを叶えるという姿勢だと狭いところに入っていく感じがする。

いさどん:

願いを叶えるということになると目的を達成するために何かをしていることになる。
それは宇宙の法とも自然の流れとも違う。
それは個人の人間が自分の立ち位置で欲求を果たすということ。

なかのん:

でも多くの人は願いが叶うことを良しとしている。

いさどん:

願いを叶えることを良しとしているから今の世の中がある。
それは正義を貫く態度にも通じる。
一人ひとりがそれぞれの正義を貫くことで社会は混乱の極みに達している。
今、それぞれの正義を手放さなければいけない時が来ている。

そしてそれは理解するということも同様で、
大切なことは、分かろうとして分かるのではなく、自ずと分かっていく。

例えば、高い次元で語られた話に出会ったとする。
それを自分の自我の延長に、
自分の何かを満たすためにその話を聴いてはいけない。
極めてフラットな状態でそれを聴く必要がある。

それを聴いた時にどうするか?
自分とは関係のないことにしてしまったら価値がなくなる。
そこを目指す。ならばそれを理解する前に毎日心を磨けばいい。
するといつの間にか経験したことのない場所に出会うようになる。
そして、それがあの時聴いた話だと自ずと分かるようになる。

人は誰でも相応しい場所に出会っているのだから。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分の感情から物事を観た時、願いが叶うことが良いことに思えます。
ですが、自らの価値という視点に立った時はそうとは限りません。

願いが叶うことで価値が上がることもあれば、下がることもあります。
反対に、諦めることで価値が上がることもあれば、下がることもあります。

そう考えると願いが叶うかどうかは大して重要ではありません。

出会った出来事に対して自分がどう向き合っていくか?

大切なのは自分と向き合う姿勢なのです。

自分と状況を外から眺めることで必要な姿勢は自ずと明らかになります。

だから常に自分の外に出るように心掛ける必要があります。

僕であって僕でないもの。

その立ち位置が自分を常に新しい世界へと導きます。

僕と世界は一つ。

僕の経験は世界に刻まれ、僕が変化することで出会う世界が変化します。
そしてそのことを通して僕はこの世界を知っていきます。

然るべきことが自ずと叶い、そして然るべきことが自ずと明らかになる。

そんな世界に今、生きています。







0 コメント:

天に昇り太陽に心を向ける

なかのんが進むとそのままズトンと落ちる」で僕はいさどんの以下の言葉を紹介しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

何のために文章を書いているのか?

全体のためでなく自分のため、自分のこだわりになり始めている。

変に力が入っている。だから疲れる。

余分な力を入れずにもっとニュートラルになることが大切。

なかのんの中では今でも地球は平らになっている。

だからなかのんが進むということはそのままズドンと落ちるということ。

☆彡 ☆彡 ☆彡


これは「分からないことの先に無限の広がりがある」に対するフィードバックですが、
この言葉から僕が感じたことをもう少し詳しく書いておこうと思います。

「地球が平」というのは天動説の時代であり、
その頃の人類にとって地球が宇宙の中心でした。
地球とは体験の場所であり、地球暦や占星術では「自分」を表す惑星です。
つまり「なかのんの中では今でも地球が平」というのは、
僕が自分中心の視点になっているということです。
自分中心の視点となり自分で物事を進めようとしていたのです。
この状態では、周りが見えなくなるので、
ズトンと落ちる。
つまりはなんらかの滞りに出会うということです。

だから僕は天に昇ると書きました。

天に昇り地球を見れば、
地球が丸く、様々な惑星との関係の中で存在していることが見えてきます。
それは自分の実態を知る体験です。

この時、自分が何よりも太陽の存在に生かされていることが見えてきます。
いさどんは僕にそういう視点を大切にするように伝えてくれたのです。




ということで、僕は天の昇り、この世界で起きることを眺めます。
すると、タイのプミポン国王死去のニュースが目につきました。

僕の友人でアジアの動きに詳しい川崎大輔くんはこのことを以下のように書いています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

タイにとうとうこの日が来たかって感じです。

 プミポン国王死去。88歳で、70年間も国民の厚い信頼と人気があったので、
タイもいよいよ本当の時代の転換期を迎えます。

これによって直近ではタイの経済活動の停滞など影響は1カ月ほどあります。

会社と学校など1週間程度の休みになる可能性が出てます。
70年前は国民が半年ほど、喪に服してたと聞いています。
これからは誰も経験したことのない長い時間が始まります。

また軍が政治に介入しそうです。テロが起きて戒厳令、
クーデターなどの可能性もあります。
直近では空港がテロの対象になっている話も流れてきています。
みなさまお気をつけください。

最終的には、後継者問題でまた国が真っ二つになると考えられます。

王位継承の発表は皇太子で、現在は出ているようです。

タクシンももう我慢できずに帰るでしょう。
皇太子から恩赦をもらうよう働きかけるのでますます混沌とします。

タイが安定しないとその周辺国にも影響が及びます。
ASEAN諸国が不安定になりやすい状況であることは免れません。

混沌とした感じのひとときです。そして、アセアンの転換期でもあります。

国王は全てのタイ国民に尊敬され精神的支えのような存在でした。

御冥福をお祈りするとともに、この転換期を無事に乗り越えられますよう。


合掌



☆彡 ☆彡 ☆彡

プミポン国王はタイ国民の精神的支え、太陽のような存在でした。
その国王が亡くなったのですから、人々が動揺し、不安定になる可能性があります。
ですが、タイ国民にはもう一つの太陽があります。それは仏さまの教えです。

昨年の12月5日、プミポン国王誕生日の日、いさどんはタイでスピーチをしました。
以下はその一部です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

皆さん、こんにちは。わたしは今、とても幸せな気持ちです。
それはなぜかと言うと、今日、この場に出会えたからです。
わたしはいつも幸せを願って生きています。
それは自分の幸せではありません。
全ての地球生命が輝いて幸せでいることを願っているのです。

わたしは日本の富士山麓にある木の花ファミリーから来ました。
わたしたちのコミュニティが始まってから21年になります。
わたしはこれほど皆の心がつながって調和がとれているところを他に知りません。
その理由を考えてみますと、
わたしたちは富士山麓で自然と調和することを常に考え生きてきました。
富士山は日本人の心の柱です。
そして、わたしたちにはブッダの伝えてくれる精神があります。
その二つの柱に支えられ、木の花ファミリーはとても幸せな生活をしています。

そして、はじめに伝えましたように、わたしの心は今、とても幸せです。
皆さん、それはなぜだかわかりますか?
皆さんには、今日お誕生日を迎えられたプミポン国王という大きな山がありますね。
国王様、お誕生日おめでとうございます。
そして、皆さんにも生活の柱となるブッダの精神があります。
ですから、わたしは日本の木の花ファミリーにいるときと
同じような幸せをここで感じているのです。

 ~ 中略 ~

最初に、わたしは日本の富士山から来ましたと皆さんに伝えましたが、
その前にわたしは地球から来ました。そして宇宙から来ました。
では皆さん、宇宙はどこにありますか?
宇宙は今、皆さんのいるここにあります。
皆さんの心の柱であるブッダの精神は宇宙そのものです。
ですから、ブッダイコール宇宙です。皆さんも宇宙人ですよね。
そして、その境地に至れば皆さんもブッダなのです。

「仏の悟りは仏のためにあらず。仏の悟りは一切衆生のためにあり。」
お釈迦様はこの精神をわたしに伝えてくれました。
そして、その精神を生きて、その心をこの世界に示しなさいと言われました。
それで、富士山麓に木の花ファミリーという理想郷を創ったのです。
木の花ファミリーは宗教団体でも寺院でもありませんが、
寺院のように人々が道を求め、宗教団体のように人々が集う場です。
そして、それは自らの悟りを求める道ではなく、皆で共に極める道です。
時代は、個人の悟りの時代から人類全体の悟りの時代へ移行しています。
他者の喜びを自らの喜びとして生きる菩薩の里――
そのような場がこれからの時代のあり方であり、
そのように人々が生きることができれば、真に尊く美しい世界が自ずと表現されるのです。
わたしはここにいる皆さんと共にそのような理想世界を創っていきたいと願っています。




☆彡 ☆彡 ☆彡

ブッダの精神とは宇宙そのもの。つまりは宇宙の法則です。
それは人類共通の太陽であり、柱です。
そこに意識があれば、どのような困難も乗り越えていけるのです。

太陽はいつも教えてくれています。

木の花ファミリー通信Vol.87」には以下のような記述があります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今、世界中で様々な問題が起きています。
例えばどこか遠い国で起こるテロは、
自分とは関係のないものだと思うでしょうか。
地震や台風のような天変地異は、
人間にはどうすることもできない自然の驚異だと思うでしょうか。

私たちの生きる地球は、太陽の導きの元にあります。
太陽は常にその心を送り続け、人間がそこから外れれば、
それにふさわしい現象を地球上に起こし、
「気付きなさい」とメッセージを送っています。
今世界で起きていることの現実を知り、
自分のしていることがそこにどのような影響を及ぼしているのか
ということが観えた時に初めて、人は変化の道を歩み始めます。

~ 中略 ~

これまでは物理的豊かさを追い求め、
医療も経済も拡大していくことばかりが善しとされる時代でしたが、
本当に必要なものだけを選んでいく、そぎ落としの時代に入ったのです。
それは世の中が大きく歪んでいた分、いっときは痛みを伴うかもしれません。
けれどもその先に、生きていることそのものに豊かさを感じられる世界があるのです。

この世界には、流れがあります。
出来事の表面ではなく、その奥に心の目を向ける時、
全ての出来事の背後を常に変わることなく流れ続ける、
大きな流れがあることが観えてきます。
自らの立ち位置を離れ、その流れに乗って生きると、
不思議なほど色々なことが連鎖し、とんとん拍子に物事が進み、
自力で何かを成し遂げようとしていた時には
想像もできなかったような世界が現れるのです。
その流れの中では、余分なものは自然とそぎ落とされ、
人々の中に眠る無限の可能性が花開いて、
様々な個性が響き合いつながり合い、美しく循環していくことでしょう。
それは個人の満足をはるかに超える、
ダイナミックな生命の喜びにあふれた世界なのです。


だから太陽は、私たちに心を送り続けています。


あなたたちが美しく健康であるように

互いを想いみんなでつながって生きるように

そして世界が豊かになるように

いつも私の方を向いていなさい  ──────────


そう呼びかけているのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

プミポン国王の死去も宇宙の流れの中での出来事です。
その奥には、一人ひとりの目覚め、皆で共に極める道が流れています。

大切なのは天に昇り太陽に心を向け続けることです。
そこには余分な力はいらないのです(^-^)










0 コメント:

Your left Slidebar content. -->