未知を歩き宇宙を歩く

課題に出会うことは、その課題を超えて新たな可能性に出会うということであり、それは本来喜ばしいことだ。しかし、それまでに持っていた概念にとらわれていては、その課題は常に目の前にある障害物にしか見えない。

一年に四季があるように、人間が生きていく上で新たな発想が芽生え、伸びていく時がある。その成長が旺盛になり物事がどんどん様変わりしていく。そしてそれが熟して収穫をする秋を迎え、次の課題のための熟成の冬を迎える。そして、新たな課題に出会い、自らの新たな可能性の春に出会う。人間の生の一年の中にも四季のリズムがあり、それは一生の中にも同じように刻まれている。

大局的にとらえれば、どのような時も前向きに生を全うすることができるが、大局は人間の思考の中にあるのではなく、宇宙の星々の運行であり、その星々の関係性の法則の中にあって、それは人間の思考を超えた仕組みによってもたらされている。それを人間一人ひとりが命の営みの中で受け取り、思考に転換し、自らの生の中に表現していく仕組みになっている。

我々の命は自然そのものであり、さらに自然の奥にある宇宙秩序そのものであり、自然の奥にある自然を法則化している天の意志・「天然」そのものである。それを理解するためには大局的にものをとらえないと、この世界の事象の奥にある本当を観ることはできない。

だから、人間が考える思考と、生命として生態系につなぐ自然と、さらにその自然を保つための宇宙の法則・天然、その3つの視点があってこそ、人間が生を受けてきた目的や役割、そしてこの地に降り立った意志を満たすことができる。

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上記は3年前のいさどんブログからの引用です。昨日たまたまこの文章を目にしとても心に響きました。課題は常に人を新しい可能性へと導いてくれています。それを障害物と感じたとしたら、それは今までの自分の概念の囚われている証です。そんなふうに自分をチェックしていけます。

最近のブログで書いているように、人は出会う出来事に反応します。出来事と自分の反応。この2点に心を奪われていると思考が平面的となり薄っぺらになっていきますが、その奥には自然の営みがあり、天の流れがあるのです。

自分の思考を超えて、大局で捉えたら、現象を通して自分を知り、天の流れを自分に落とし込むことが出来ます。それは自分を超えた大きなスケールの下に生きていくということです。

トランプ大統領が誕生しました。このブログでは何度も触れているようにそれは時代の流れが生み出したものであり、天の法則、人間の思考を超えた仕組みが生み出したものです。ですが、この出来事を自分の思考の範囲で捉えていたら、この世界のダイナミックさ、豊かさを見逃してしまいます。

トランプ大統領の政策、そして、それが自分たちの生活に与える影響。

多くの報道がそんな視点からなされていますが、それでは広い世界を自分の中に閉じ込めてしまいます。扱っている内容は広い世界のことであっても語っている内容は自分ごとなのです。世界から観たらとっても狭い自分です。そこに囚われていたら出会う出来事に翻弄され続けてしまいます。

それとは反対に、天に心を開いていたら、日常が天の法則の顕れとなり、ただ道を歩くことが未知を歩くこととなり宇宙を歩くこととなるのです。

未来は常に未知なものです。だからただ出会うことをいただくだけなのです。それを通して自分と世界を知っていく。そして奥に流れる天の心を感じていきます。

そして過去を振り返り天の心を見出し物語を生み出します。

僕は現在という1点で生きていますが、自分を離れたら、過去から未来へと続く流れの中に位置づけることが出来ます。それは永遠へと至ります。

僕はみんなと一緒にそこへと至ります(^-^)

木の花ファミリーのみんな@どんと焼

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