木の花ファミリーは、一人一人独立した個人が集まり一つの経済を生み出しています。その暮らしは、とてもユニークで優しく本質的な平等が実現しています。天然循環法による恵みをいただき宇宙を語る木の花ファミリー。お金を通して心を表現していきます。

納得がいらない世界を創る

3年前の11月に書いた「僕といさどんと木の花ファミリー」で紹介しているエピソードは、自分の納得を超えることを受けとる体験でした。それまで自分の納得の元に生きてきた僕にとってそれは大きな出来事となりました。その体験について僕はこんなふうに振り返っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

もし僕が自分の正当性を主張したら、
(世間の)多くの人は僕の言葉に耳を傾けたのではないかと思います。
なぜなら表面で起きている出来事だけを見ていたら、僕は被害者にも見えるので。
そして、僕はみんなに正しいと認めて貰います。
でも、その先に何があるのでしょうか?
優越感に伴う自己主張の心が育ち、
それは新たなる対立を生み出すのではないでしょうか?

虐げられた状態から逆転し見返す。

僕の無意識はこんな物語を好んでいました。
そのため僕は虐げられる状況を自ら創り上げてきました。
自分で自分を苦しめることになります。
僕の正当性が認められた時、僕は喜びます。
ですが、それはその不調和な心を強化していくのです。

これは僕だけの問題ではありません。
この僕の不調和な心が世界で起きているテロリズムに波動として繋がっていきます。
そして、悲しみの連鎖が続いていくのです。

いさどんはそんな僕の心にメスをいれてくれたのです。

表面的に見たら僕の方が正しいように見える。
そんな状況だったかと思います。
そして、僕は反発をしていました。
それでもそんな僕に対して大事を伝えてくれたのです。
その心労はとても大きかったかと思います。
それに気づいた時、受けた恩の大きさを感じました。



※具体的な内容については「僕といさどんと木の花ファミリー」をお読みください。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人間の自我は納得を求めますが、納得は自我を強化します。もしあの時、僕の正当性が認められ、僕が納得のいく結果となったら、僕の中で自我が強化されていたでしょう。そしてその視点で世界に眺め、世界を自分の色に染め、世界を狭くしていったと思います。

人は納得を求めて時に自己主張をします。ですが、自己主張は人との距離を生み出し人を孤独にしていきます。だから納得がいく結果になったとしてもどこか寂しさを感じることになるのです。そのため更なるアピールが必要となりますが、アピールのために自己主張をしても人との距離は広がる一方です。一見多くの人の希望を満たしたように見える現代社会で、孤独死などの問題が生じるのも納得を求め自己主張をしてきたことによる弊害なのではないでしょうか。納得を求めての自己主張、それは人を幸せにはしないのです。

子どもから大人に成長する過程では納得を求めることも重要になります。それは自分を確立する過程だからであり、健全な子どもは自己主張ではなく自己開示をしていきます。そしてそこから生まれる対話の中で納得し、自分を変化させていくのです。それは確立することを通しての成長です。

ですが、大人の自己認識は固まっています。そのような中、納得を求めることは今の自分を貫くことになり、その結果、変化を拒むことにもなるのです。

納得を超えたものに出会い、それを受け取る時、人の器が一つ大きくなります。それが人を成長させます。そして、納得を超え続けていると、いつの間にか納得がいらなくなるのです。ただその時の流れを感じて行動するようになります。そうなると、人の器は常に広がり続け、変化し続けることになります。それは世界と一つになる方向への変化です。

納得を超えるということは自我を超えることです。流れの中で世界と一つになっていく。そんな人々が集まった暮らしについていさどんはこんなふうに語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ロータスランドのオープンに向けて、今、みんなで一丸となってひとつのことをやっている。一丸となってひとつのことを越えていくというのは、たくさんの心がそこに共鳴しあって、人に希望を与えることだ。


その中で、誰か一人でも自我にまみれていては、そのような場はできない。自我を忘れて、みんなが渦になる。カタカムナで言えば、「マワリテメクル」ということ。それは地球の動きだ。地球は自転し、公転し、歳差運動をし、微振動をしながら進んでいる。これは、古くから日本人の中にある、「マツリ」の精神だ。

 ~ 中略 ~

宇宙は、動いている。我々は毎日を認識し、時が過ぎていくが、これは巨大なエネルギーがうねっている「マワリテメクル」の世界だ。その中の一環としてこの仕組みがあるということを理解すると、すべてのところにその法則が遍満していることが観えてくる。それを意識しながら生きていくことが大切だ。

この理論が体得できるようになると、自我は消え、この世界を構成するものとして、大いなる生命としての役割を果たしながら、宇宙の実体のままに生きていくことになる。現代の人々は大いなるものから離れ、自我にまみれていがみ合っているが、そういったことがすべて帳消しになってしまう世界が、いがみ合いの奥にいつでもちゃんと控えているのだ。

それを語っていくことは、物理的な現状の地球を見ていると不可能なように思えるかもしれないが、ここではその存在を知って、語り出した。いずれ必ず、人間たちがそれを理解する時が来る。既に扉は開き、その動きは始まっているのだと思うと、やはりテンションは上がる。それこそ病魔に侵されて死にかかった者が生きることの本当の意味を知って「死んでなんかいられない」となるように、僕も、夜中だけど寝てなんかいられないよというテンションになった。まあ、語ったらまた寝るけどね()。しかし何か、この今のときめきを語っておかなければいけない、と思った。

 ~ 中略 ~

「祭」という字は「サイ」とも読む。「何々祭」というと、それは日常の生活から離れた儀式の場で使う用語になる。そこには天と地があり、地が天を崇めて祭典をするという「サ」=差のある状態だ。「サイ」は「マツリ」とは違い、まだマツリに至らない段階の儀式に用いられる。

それが「マツリ」になると、「マ」は宇宙空間であり、生命が躍動する特定の場、宇宙の法則が表現される場所のことであり、「ツ」は集い、「リ」は離れるということ。自我から離れた者たちが集い、宇宙の法則のままに生命が躍動する。それがマツリだ。そのような無我の境地で、美しく、日々を舞い踊るように生きたいものだ。



☆彡 ☆彡 ☆彡

先日、トランプ大統領は初の単独記者会見をしましたが、それは自己主張に溢れていました。その自己主張は人との距離を生み出し、アメリカ社会は分断が進んでいます。それは一人ひとりの意識の表れで、日頃、多くの人が納得を求め自己主張をしているのではないかと思います。そのような時だからこそ、自我を離れた人々が集い、流れの中で一つになり大きなうねりを生み出していきたいと思っています。

明日から1ヶ月間の真学校が始まり、3月21日には異次元空間カフェ&ショップロータスランドがオープンします。盛りだくさんの毎日、毎日が「マツリ」です。


ロータスランド完成イメージ図です。


以下、ロータスランドオープンに向けて開発中のメニュー写真を紹介しますね。


日替わりランチ。500円(税抜き)です。


富士山ひまつぶしです。
鉄板ナポリタンです。
スコーンです。
豆乳クリームとトマトソースのパスタです。

シナモントーストです。
ほうじ茶ラテです。
抹茶パフェです。
ヒマラヤ焼きカレーです。
富士山ひまつぶし御膳です。



0 コメント:

Your left Slidebar content. -->