怒りに向き合い、怒りから自由となる

困った相手に対して正当性を通そうとして同じ土俵に立っている。表面上は穏やかに接していてもその奥には怒りがあって、そのためムキになって自分で対応しようとしている。正当性を通そうとする態度が相手を刺激して、さらに相手を困った存在にしている。正当性を主張するのではなく、こっちが困った人になればいいんだよ。それはおかしな言い分は相手にしないってこと。相手にしなければ、向こうが困るのだから。

まあ、これは最初から然るべき人に相談して頼ればいいだけの話なのにね。

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上記は最近の自分に対するいさどんの言葉です。

僕は最近、困った人と出会いました。それで僕は、筋を通しながら流れを見ていこうと思っていたのですが、筋を通そうとする心の奥には、非常識な相手に対する(あまり自覚していない)怒りがあって、僕はその怒りに翻弄されていただけなのです。

僕といさどんと木の花ファミリー」に書いているように、僕は長年「虐げられた状態から逆転し見返す」という物語を好んできました。そのため無自覚に虐げられる状態を生み出してきたのです。

この一見理不尽な行動、その奥にはこの世界に対する「怒り」の心がありました。僕は今日、そのことを確信しました。「怒り」の心があるから「怒って然るべき」状況、虐げられる状況を無自覚に生み出してきたのです。

そして「世界と一緒に変化を楽しむ」に書いているように、「正義を掲げ、その正義を貫くことに熱くなる」物語も好んできました。正義を貫くためには悪が必要で、対象が悪ければ悪いほど、正当に「怒る」ことが出来るのです。

そう、僕は正当に「怒れる」状況を長年好んで来ていて、だけれども「怒り」を求める自分には無自覚で、そのために滞りを生み出してきたのです。

余裕がほとばしり出るような徳の積み方(後編)で紹介していますが、ノーベル平和賞受賞者カイラシュ・サティヤルティさんは、経済的理由で学校を去らなければならない友人、売春宿に売り飛ばされる奴隷の娘、カースト最下層の不可触民に対する差別や政治家の欺瞞などに触れて憤りを感じて来ました。そして、その怒りからアイデアを生み出し行動に繋げて行ったのです。そのカイラシュさんは、スピーチ「怒りで世界に平和をもたらす方法」の中で以下のように語っています。

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エゴと利己心が渦巻く小さな殻の中に閉じこもっていると、怒りは憎しみ、暴力、復習、破壊に変わっていきます。でもその悪循環を断ち切ることが出来れば、その怒りを偉大なパワーに変貌させることが出来るのです。誰もが持つ思いやりで、この循環を断ち切れば この世界をよくするため思いやりを持って世界と繋がることが出来るのです。

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カイラシュさんが書いているように、怒りを自覚し、怒りに向き合い、怒りから自由になれば、思いやりの心を持って、その怒りを利用できるのです。いさどんは常日頃、そんな姿を僕らに見せてくれています。

だけれども僕はあまりにも怒りに無自覚でした。無自覚だったので、正当に怒ることが出来る状況を生み出したり、怒りを抑圧して来たりしたのです。それは、怒りに翻弄されている状態です。

僕の中には「怒ってはいけない」という囚われが強く染みついているのでしょう。その囚われは、僕が怒りに向き合うことを邪魔し、結果、怒りから自由となり、思いやりを持って怒ることを出来なくしているのです。

だから僕は、今日から自分の中に怒りを認め、その怒りと向き合い続けようと思います。それは怒りから自由になるための取り組みです。

怒りから自由になれば、正当性なんてどうでもよくて、ただ湧いてきたものを表現して世界と一つになっていくだけ。そんなふうに生きていきます(^-^)

一緒に暮らしている木の花ファミリーのみんなです。





1 件のコメント:

  1. 素晴らしい考えだと思います。やはり大人ミーティングや天の意思を示しているいさどんあってこそこれだけ素晴らしい考えや道が浮かぶんですね!これからも勉強させていただきますm(_ _)m

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