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五感や情動に「命=ミコト」を吹き込む

この夏、韓国の子どもたちが木の花ファミリーを訪れました。

8月を迎えて、木の花ファミリーではジイジから子どもたちに戦争について話をする時間が持たれました。以下のその一部を引用します。

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皆は、学校の勉強をしていますね。学校の勉強をして、将来大きくなって、大きい会社へ入って、そこで良い製品を作って、それがたくさん売れたら、お金をたくさんもらえますね。その会社が爆弾を作る会社だったら、効率良くたくさんの人を殺す爆弾を作ったら、お金をたくさんもらえるのです。

たとえば、食べ物が安全でないものなのに、皆がたくさん食べたがるようなものをたくさん作るとします。そういう食べ物はコンビニなどでたくさん売られていますね。そうすると、安全でなくても、皆がたくさん食べたがるものを作ったら、会社は儲かって、これを作った人たちは給料をたくさんもらえるのです。だから、体に良いものではなくても、人がたくさん欲しがるものを作れば、お金になるのです。そういった食べ物をいつも食べないといられない人も出てきます。これを中毒と言います。そういった中毒の人がたくさん出てくるような食べ物を作れば、会社は儲かりますね。そして、それを考えた人はお金がたくさんもらえますね。お金がたくさんもらえたら、その人は優れた人になります。頭が良い人ですね。

~ 中略 ~


今日は、戦争の話をしようと思ってこの場に臨んだのですが、戦争のほうがわかりやすいですね。人と人が殺し合って大変なことになるのです。普通の人が「私は戦争なんかしていません。悪いことは何もしていません。お巡りさんにも捕まることはありません」と言いながら、他の生き物をたくさん殺したり、それどころか、「おいしいものを作ったから食べてね」と言って、そこには添加物や毒がたくさん入っていて、そういったものを長い間をかけて食べていると、それが原因で病気になって死ぬこともあるのです。癌が発生するのは、食べ物が原因で起こることが多いのですよ。そうしたら、食べ物を作っている人が癌ができる食べ物を作り、結果、人を殺しているのです。それは、誰がやっているのかといえば、頭が良い人です。学校で勉強ができる人です。


だから、皆は一生懸命勉強して、これからはそういった人にならないように、戦争が起きないように、他の生き物に迷惑をかけないように、地球がどんどん変になっていかないように、そしてそれを直していける人になってもらいたいと思うのです。今までの人間は、結果として悪い世の中にするために生きていたのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

ここで話は変わって。

2005年の夏、僕はハワイ島の小田まゆみさんのところで1週間ぐらい過ごしました。そのトキ、自分自身と向き合うツールとしてDakiniカードを紹介され、僕は毎日1枚ずつ引いていました。

「自分の女性性と向き合う」

ハワイ島ではそんなことをテーマに過ごしていたのですが、その中で 48 White Lady / Mother of Pearl というカードを引いたことがとても印象に残っています。

このカードでは、顔の見えない女性が真珠を振りまいているのですが、「顔が見えない」というのは「顔を見せない」ということでもあり、彼女は隠れた状態、行為に責任を持たず、言い逃れが出来る状態を保っています。その状態で真珠を振りまいて人を惹きつけているのです。

最近、このカードをあらためて思い出しました。そして以下のようなことを思いました。

五感や情動に囚われ、五感や情動を求めると、それは欲となっていきます。食欲だったり、性欲だったり。そしてそれは時に過剰になることがあります。だけれども五感や情動の奥、ヒトとしての本質に目覚めれば、すべての行為は生きるための営みとなります。そしてそれは「命=ミコト」としての神聖な表現となっていきます。五感や情動から自由になることで、そこに「命=ミコト」を吹き込むことが出来ます。

カタカムナで見ると、「欲(よく)」とはよこしまや混沌が自由になっている状態です。そして、「命(みこと)」とは満ちて転がり出て統合したものです。

White Ladyが振りまく真珠は人の五感を刺激するものですが、彼女は顔を見せることがありません。それは魂、心の欠落した行為であるため、五感の満足だけがすべてとなり悪くすると五感の虜となっていきます。それは今の広告や宣伝で溢れる消費社会、頭の良い人がお金儲けをしている社会の姿と重なります。そこには欲、よこしまが渦巻いていますが、「命=ミコト」、満ちて転がり出て統合するものが欠けています。「命=ミコト」は常にこの世界を循環しています。みことの「と」、統合(10)は1+0=1で新たな始まりでもあります。新しいものに向かって転がり出る。それが統合で生きとし生けるものの循環を意味しているのです。

「命=ミコト」との繋がりを失った五感や情動はただの欲となり、それは他との繫がりを失い自分本位のものとなっていきます。この状態では一生懸命に努力をしても結果として悪い世の中を生み出すことになるのです。現代の消費社会は、人間をそのような状態へと絶えず誘惑していますが、それは戦争を生み出す心にもなりえます。

顔が見えない女性。それは女性性の封印を表しているのかもしれません。物質主義、効率主義、そして社会的成功を求める男性社会の中で、真の女性性は蔑ろにされ、その個性が封印され顔がなくなっていったのかもしれません。女性が持つ本質は蔑ろにされ、五感や情動の対象となっていく。White Lady はそんな女性性の状況を表現しているのかもしれません。

真の女性性とは

『天の愛を受けとる在り方であり、天に導かれながら生きていくということ。』

滝沢泰平さんはそのように述べていますが、そんな女性性の本質をすべての人々が取り戻すことが今求められています。真の女性性に目覚めたトキ、きっとWhite Ladyの顔が表れます。そのトキはきっと真珠を振りまく必要はなくなっているのではないかと思います。

凛とした美しさ。

天の愛を受け取り、天に導かれて生きるトキ、きっとそんな魂の美しさが表現されます。そのトキ、五感や情動は、「命=ミコト」の神聖なる表現となり、生きとし生けるものの大いなる循環の中に包まれ、善意と愛と調和に満ちた世界の表現となっていくことでしょう。

そのために僕は、自分の五感や情動から自由になります。


魂の改定としての断食

8月11日18時58分、獅子座新月でした。1週間ぐらい前、この新月に合わせて断食をしようかなという思いが湧いて来ました。2014年に気候変動問題解決に向けて、月に一度の断食の誘いを受けたことがありしばらく実践していました。最近の異常気象の中、そのことを思い出していました。

ですが、実行するかどうかは保留にしていたのですが、先日、木の花ファミリー憲章を改定しようという話が浮上しました。憲章はこのコミュニティで最も大切にしている精神を明文化してもので魂とも言える存在です。憲章を改定するということは魂を改定するということです。

魂の改定。

ならば、それに相応しい準備をする必要があるということで8月10日から断食を始め、そして14日の朝に終了しました。4日間の断食を行ったことになります。

断食については以下のような効果が言われています。

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普段、私たちが食べたものは腸で吸収され、エネルギー源のブドウ糖となって全身に運ばれます。ブドウ糖は、何も食べないと通常8時間ほどで、全てなくなると言われています。


つまり、断食とはエネルギー源がゼロになる生命の危機なのです。
カラダがそのような状態になると、中性脂肪が肝臓に集まってきます。肝臓で脂肪が分解されてできるのが「ケトン体」です。このケトン体は新たなエネルギー源としてカラダのさまざまなところで働くことが分かってきました。さらにケトン体は、もう一つ重要な働きをしていることで世界中の研究者に注目されています。
「ふつう、われわれはエネルギー源としてブドウ糖を使います。しかし、それがなくなってしまうと脳が働かなくなるので、その代替エネルギーが脂肪から作るケトン体です。
ケトン体は、酸素をそんなに使わずに非常にエネルギー価が高いので、お手頃なエネルギー源になる。今、注目されている物質です。

断食をすることにより、ケトン体という脳内物質が増加します。ケトン体が増加すると、α波が出て、心身をリラックスさせる効果があり、さらに、普段以上に頭や五感も鋭くなり、冴えてくるといわれております。


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ですが今回の僕の場合、断食期間中は身体が重くだるい状態が続き、いつもと同じように散歩をしたことで筋肉痛となり、眠く頭もあまり冴えずエネルギーがない状態が続いていました。それでこれ以上続けると日常業務の妨げとなると判断し中止しました。

断食の効果として脂肪を分解して作られる「ケトン体」ということが言われていますが、今の僕には燃やす脂肪があまりないのではないかということを思ったりしました。

世の中にはプラーナを食べて生きているという不食の人もいるようですが、いきなりそんな身体になれるわけもなく、今回はこういう結果をいただきました。

今回の断食のメッセージとしては、自分は命という食に生かされているということです。すべての食べ物は命です。その命をいただくことがなければ、自分の活動もままならなくなります。僕は生きとし生けるものの循環に支えられて生きています。だから僕自身の命やエネルギーも循環の中で生かされていくべきものです。変化変容を本質とするこの世界の中で、今に囚われずに。

冒頭で取り上げたように、今、世界中で異常気象が続いています。それは生きとし生けるものの循環に滞りがあるから起きているのだと思います。無駄に消費され生かされずに残っていくごみが空気や海の中には溢れています。循環の異常が気候の異常として表現されているのだと思います。

今日、8月15日は日本では終戦記念日です。戦争こそ無駄な争いによって尊い命を犠牲にしてきた行いと言えますが、循環を意識していたら、生きとし生けるものに生かされていることを実感していたら、何かを攻撃しようという心は生まれないと思います。なぜなら、それは巡り巡って自分を攻撃することになるからです。

魂の改定へ向けての断食は僕に苦しみをもたらしました。それは生きとし生けるものの中で循環することの豊かさへと繋がる苦しみです。

例えば、キッチンスタッフの玲ちゃんは断食明けの僕にこう語りました。

「なかのんが断食中は(なかのんの好きな)かぼちゃは料理に使わないようにしようねってみんなで話していたんだ。今後かぼちゃ料理を出すからね」

そして、昨日の夕食の味噌汁にはかぼちゃが入っていました。まだまともに食事が出来ない僕にとって最も嬉しいプレゼントでした。

こんなふうに、僕の断食はみんなの心に響き、そしてみんなの心が僕に響き・・・こんなふうに循環していきます。

僕の魂は僕自身で完結するものでなく循環の中でこの宇宙のすべてと繋がっていきます。それは木の花ファミリー憲章も同様で、憲章は木の花ファミリーで完結するものではなく、この宇宙の仕組みの中で宇宙全体へと繋がっていくものです。

木の花ファミリー憲章改定を前にしてそんなことを再確認しました。

断食4日目の朝、みんなと落花生収穫をしていました。

太陽の光の下、惑いを学びに変えていく

今、天体を見ると、7月26日から水星が逆行していますが、水星逆行について今日は「時間をはずした日」、そして逆行ラッシュの夏休みには以下のように書かれています。

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水星逆行とは、太陽系の中で一番太陽にも近い水星が地球から見て逆方向に進むように見える目の錯覚の天体現象であり、1年に3回〜4回ほどの頻度で1度に3週間ほど続きます。

西洋占星術の考え方で水星が象徴しているのは、コミュニケーション・通信・連絡 ・知識や知性 ・技術、テクノロジー ・旅行 ・輸送などであり、これらの分野やキーワードが水星逆行中は、大きく乱れたり、上手くいかなかったりする現象が起こりやすいと言われています。


さて、今回の水星逆行は、またいつもよりも逆行っぷりが半端ではないかもしれません。

というのも、水星だけでなく、すでに火星、土星、海王星、冥王星が逆行しており、88日の88ライオンゲートの日からは、さらに天王星も加わって、819日の水星逆行が終了するまでに6つの星が逆行することになるそうです。

夏休み真っ只中、いつも以上にコミュニケーションのすれ違いに注意し、また遠出される時などは、交通機関の乱れも含め、旅行の計画には十分に注意くださいませ。

明日からの3週間は、サイドブレーキをひきながらアクセルを踏むような時期。

時には無理して前に進まず、立ち止まって一息ついたり、身の回りや自分自身を見つめ直すのも良いと思います。


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コミュニケーションのすれ違いを生み出す水星逆行、それに加えて火星、土星、海王星、冥王星が逆行し、昨日、8月8日からはさらに天王星が加わり6つの惑星が逆行していますが、この天王星の動きは特に大きな意味があります。なぜなら天王星は今年の5月16日に牡羊座から牡牛座に移動したばかりだからです。天王星はしばらく逆行し11月7日に一度牡羊座に戻ります。そして来年の1月7日に順行に転じて3月6日に再び牡牛座に戻ってきます。牡牛座は12星座の始まり。天王星のこの動きは始まりの再確認を意味するように思えました。

ちなみにこの惑星の逆行という現象ですが、天下泰平ブログに書かれている通り、地球視点から生まれる目の錯覚であり、視点を太陽系の中心、太陽へともっていけば、すべての惑星は常に順行しているのです。

地球視点とはつまり自分視点。自分からの視点で世界を眺めると、逆行のようにこの世界には多くの惑わすものがあります。それらはすべて自分に相応しく出会うものであり、それらを通して学びを深めていくのですが、その奥を貫く太陽の視点をいつも意識していると学びの奥行は無限に広がっていきます。そして、太陽はすべてを生み出す始まりでもあります。それで今、思い出したのが2年前のジイジ(当時はいさどん)が語った以下の言葉です。

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みんな自分が世直しを託されているとは思っていません。
だけれども、みんな間違えなくこの宇宙の法則の中で生きていて、
人類の70億分の1、この世界を託されているのです。

人は育っていく過程で欲求し、欲求を満たしながら成長していきます。
健全な秩序の中で欲求を満たしていく人もいれば、
秩序なく際限なく欲求を満たし求め続ける人もいます。
そういう経験の中で自分という人間性が出来てきます。

その中で、それぞれが自分の成り立ちを振り返って見ると、
それが宇宙の歴史や地球の成り立ちと一緒だということが見えてきます。
この世界は全部相似形なのです。

小さなところの集合が大きなところを創りだし、
大きなところの法則が小さなところに指針を与えています。

13,000年前のカタカムナの時代。
厳しい自然の中、人類は天然の法則を感知してすり抜けてきました。
ですが、その感覚は時代と共に失われてきました。
その叡智が天とつながることで現代に蘇るのです。

カタカムナの生き方を現代に表現していく。
それは、科学が発展したところに天然の精神を加えることです。
これはまさに新しい時代の生き方で、
木の花ファミリーはそれを表現していくのです。

2012年12月21日。太陽系は銀河の冬至を迎えました。
これからは少しずつ明るくなっていきます。
宇宙的には明るくなる現象が起きて、人間を後押しするのです。

健康に生きることは素晴らしいことです。
ですが、ただ健康になりたいだけで終わってしまったら人生は深まりません。
生きている過程でいただく病気や滞り。
その奥にあるメッセージを理解していくことが大切です。
そこを理解した時に現代人も天然の意識で生きていくことが出来ます。

この世界は心と肉体(物質)で出来ています。
まずは心、魂を磨くことが大切です。物質のことは考えなくてもいいのです。
今の世の中はまだ物質的豊かさを求めていますが、そういう世の中はひっくり返ります。

そのようなターニングポイントを今、迎えているのです。

人間の欲が戦争を生み出し、第二次世界大戦で大きな犠牲を出しました。
これは世の中の欲の心が壊れて一度リセットされた状態です。
ですが、戦後の復興は、もう一度、欲の心でなされました
そして、現代の混乱に至っています。

自分の健全、健康を求める心の奥にメッセージがあり、
それを通して自分がどう生きるべきかが見えてきます。
大切なのは、自分が健康に生きることだけではないのです。
自分のことばかり考えることで人間は不健康になっていったのです。
そのからくりを見通すこと。その先に世の中作りがあるのです。

世の中を良くするとみんなが良くなっていくのです。
自分が・・・と考えると住みにくい世の中になっていきます。
自分が・・・という心を超えていく。
それが天と共に生きることです。

~ 中略 ~

ここで健全な場を創り出すことが時代の流れをあらわすことになります。
世界のことを思い、自分を超えていく。
そのことが宇宙の中に光をさすことになるのです。

それを本当に信じて取り組むことです。

時代も神も目には見えません。人間の理解を超えています。
ですが、この世界にはそういう秩序が確実にあるのです。
そこに一人一人の人間が理解を示すことが大切です。

宗教はご利益を求める人により発展しましたが、
本来はそういうものではありません。

信仰とは宇宙の法則性の理解です。

法則性を理解し、自分が・・・という心を超えていく。

そのような本当の信仰心の下、天と共に生きていくのです。
それが世直しであり、この世界に平和をもたらします。


☆彡 ☆彡 ☆彡

自分の健全、健康、幸福を求める心は自分視点であり、それらは多くの惑いを生み出します。そこから学び、その心を超えたトキ、この世界の法則性という太陽の視点と出会います。その視点に気づくことがこの世界に光をさすことに繋がります。

天王星は革命、変革の星です。その天王星が始まりの星座、牡羊座にあるトキと銀河の夜明けの期間はほぼ重なります。それは根本の大きな革命を意味します。そして今、天王星は行ったり来たりしながら牡羊座から牡牛座へと移行しつつあります。それは根本で起きた革命を現実化していく流れを表しています。

自分視点の日常が生み出す惑いを、太陽の光の下、学びという豊かさに変換していく。

それがきっと天体が示しているメッセージ。だから僕はそんなふうに生きていこうと思っています。
8月8日の富士山と太陽です(^-^)





混沌(4)の中に天の意志(5)を見出す





先日の大人ミーティングにて、カタカムナの「よ」と「ゆ」の思念についてみんなで深める時間を持ちました。「よ」の思念は僕の名前(よしふみ)の中にも含まれていますが、僕は3年前の10月、以下のような文章を書いています。

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僕の名前、よしふみ「よ()」は「4」であり混沌を表す思念です。

「よ」(4)は、「い」(5)の方に進めば、「よい」となるのですが、
「み」(3)の方に戻ると、「よみ(黄泉)」となり、死の世界に入っていきます。
「よ」はどちらにも転がりえる、混沌の中にあります。

「よ」がつく言葉を見ると、喜び、良い、淀み、汚れなど両義的なのはその表れでしょう。

自分の中には混沌がある。

それは確かで、その混沌が「相応しいものになっていく」や「空っぽへのあこがれ」で
描かれているような滞りを時々僕にもたらしてきました。

それは「いやなもの」に感じます。

ですが、思いは満ちた(3)後、混沌(4)の中で広がり、
意志(5)の元、この世界に位置(5)を得るのです。

混沌はこの世界に広がりをもたらすもので、必要なものでもあるのです。

「よ」を名前にいただいた僕は、自らの持つ混沌としっかり向き合い、
この世界に広がりと豊かさをもたらす役割をいただいているのです。

だから僕は混沌を愛する。

そう宣言し、混沌「よ」(4)の中に天の意志「い」(5)を見出し、
それらが描く未来を楽しんでいこうと思います。




☆彡 ☆彡 ☆彡

今、この文章をさらに発展させると、「よしふみ」の「し」は「示し」ですが、小円(〇)の位置は「い」と同じ位置で、同じような意味を持ちます。小円の位置で見ると、「よしふみ」は「4・5・2・3」となります。

よしふみ

混沌(4)を示して(5)震えて(2)満ちる(3)

にもなるし、

混沌(4)の中に示し(5)を見出し、増えて(2)満ちる(3)

にもなりますが、この違いはとても大きなものです。

混沌を示して震えて満ちたトキ、僕は以下のような状態になりました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

中学校で勤めている時、僕は職員室の自分の机を蹴飛ばし、
そのままドアに向い、ドアを叩きつけて締めて、そのまま学校を離れました。
そして、道路を歩きながら、傘を叩きつけて、傘を壊したら、空から雨が降ってきて、
僕は濡れながら家まで5km歩いて帰りました。

僕はその頃、毎晩泣いていて、
人前でもきっかけがあると涙を止めることが出来ませんでした。

そして窓から飛び降りる衝動に襲われ、マグカップを人に投げつける衝動に襲われ、
心を静めるために一日に何回も屋上に行き、一人で佇んでいました。

なんか漫画みたいなバカな話。ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

僕はそれぐらい自分の感情に翻弄されていました。

それはある意味、極端な精神状態への憧れでもあります。
忘我。自分を忘れるほどの熱狂、狂気。
僕の中にはその状態を求める気持ちがあり、
それが時に無理な行動に繋がり、自分を壊していきます。




☆彡 ☆彡 ☆彡

ですが、混沌の中の天を意志を見出すトキ、みんなで共に暮らし、その大事をこうして発信するようにもなります。どちらに転がる(9)かは紙一重。常に自分を離れ、心を天に向けることが求められています。

「よい」でも同様です。

混沌(4)の中に意志(5)を見出し位置(5)を得るわけですが、混沌(4)がそのまま意志(5)となり位置(5)を得ることもあり得ます。

例えば、今、経済発展は「よい」こととされていますが、それは人々をお金に依存させ、地球環境にも大きな負荷を与えることで世界はどんどん住みにくくなっています。これは混沌、渦巻く欲(4)がそのまま位置(5)を得たためだと思います。

4(混沌)は5(位置)へと進むことで「よい」となりますが、5(位置)へと進む意志(5)がどんなものによって、「よい」がもたらすものも大きく変わります。人々が欲望(4)のままに位置(5)を見出すならば、これからも「よい」とされることが世界に混乱をもたらしていくことでしょう。だから今、人々は自分を離れ、天の意志(5)に自らの位置(5)を見出す必要があるのです。

4+5=9、「9」は飽和安定(8)を超えて転がり出る思念であり、統合(10)という現象化をもたらす思念です。混沌(4)に位置(5)が加わることで、世界は転がり出し(9)、現象化(10)しますが、その要(カナメ)となるものが、意志(5)なのです。

明日、8月6日はアメリカが広島に原爆を投下した日です。大きな被害や悲劇、苦しみをもたらした原爆投下ですが、当時のアメリカ軍は「よい」ことしてそれを行いました。そのためアメリカの中には今でも「原爆投下は必要なことだった」という意見があると言います。それは意志が自らの視点に偏り、全体性を失っている証と言えます。

天に心を向け、天の意志に自らの位置を見出す。それは自分を離れ全体性へと心を開いていくことです。混沌の中に天の意志を見出し、この世界の光(ヒカリ)の一つ(ヒトツ)となっていこうと思っています。






出会う出来事を通して逞しく生きていく

昨年の8月1日、大人ミーティングにてジイジは以下のように話をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人間がお金や物に執着するのは
生きることの本当の意味を失っているからだ。
だから、それは死生観の問題だ。

今の人間は生きることの意味を履き違えている。


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そして、今年の8月1日、大人ミーティングにてジイジの以下の言葉が紹介されました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分の考えで人の話を聴いても、それは自我を育てるだけ。
自分を離れて人の話を聴くトキ、新しいことに出会える。

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自分の考えで人の話を聴かないように。

この言葉は昔からよくジイジに言われていましたが、昔は言われている意味が全然分かりませんでした。ちゃんと理解する必要があると思うから「考えて」聴いているのに、それが違うと言われ、混乱することがありました。ではなぜ、それが違うのかと言ったら「自我を育ててしまう」からです。

出会う出来事に反応し一喜一憂するのが自我です。そこからお金や物への執着も生まれます。自我を育てることは執着をもたらし、それは今の社会の行き詰まりにも繋がっています。

子どもの頃、出会う出来事や人からの話は世界を広げてくれました。新しい知識を得て、知らなかったことを知るようになり、それがそのまま「生きて認識する世界」の広がりに繋がりました。

大人になると、出会う出来事は今までの繰り返しとなり、自分の都合のよい話ばかりを聴くようになります。それは経験によって認識の枠組みが固まっているからであり、自我はその枠組みに基づいて反応し、枠組みを強めていくのです。

人間社会はずっとお互いの自我を育んできました。出来事に一喜一憂しながら、個人個人の幸せを追い求めることで、認識はどんどん凝り固まり、狭くバラバラになっていきました。その結果、お金や物、仕事やレジャー、成功や地位や名誉への執着が生まれ、生きることの本当の意味を失ってしまったのです。

このような中、心身の病や偏った生活習慣などの問題を抱える人が多くなっていますが、木の花ファミリーではそのような人たちに自然療法プログラム(通称:ケア)を提供しています。以下はケアの取り組みの中でジイジが語った言葉です。

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出会う出来事は、環境も影響しますが、1番は本人の姿勢の問題です。親も完璧ではありませんし、親との間には意見の違いもあるものです。そういうことを対立や問題ごととして捉えることもできますが、それはある意味、困難な状況の中で自分を逞しくしてくれる要素でもあるのです。これからも人生の中ではいろいろなことがあると思いますが、それを生かしポジティブに捉えるように努力することが大切なのです。

~ ~ ~


ここで疑似体験をしてその延長で完璧に自信がつくということはありません。このケアの取り組みは70%、自分の今までのいろいろな癖やなぜこうなったのか、その理由に気が付くことです。それが分かって、その上でそれをどうやって改善し、次の新しい旅立ちに繋げるかということは、実際に新しいところへ踏み出してからです。それで力を身に着けることです。ここで出来ていることはここの環境、様々なサポートの中でのこと。本当の実力ではありません。


本当の実力は、自分の正直な心を出して、その上で返ってきたいろいろな出来事を通して、それをどう捉えて、どう前向きに進んでいくか、そういう中で本当の実力がつき、逞しい力となっていきます。それが生きるということです。


誰も明日の人生を読み解くことは出来ません。明日起きることが予定通りとは限りません。自分の予想を超えたこと、想像を超えた出来事が起きたトキ、その出来事は新しいコトに対する抵抗力を与えてくれます。そう思えば、その出来事は自分を育ててくれる有難い出来事です。そういうふうに物事を前向きに捉えたら、あれが駄目だった、これがこういう理由で駄目なんだということは思わなくなります。生きていれば難しい出来事に出会いますが、それらは一つ一つ向き合うことで自分の力がついて生きる希望となっていくものです。これがジイジのケアに対する考え方です。


行き詰っている人は、今までやり方が不器用だったから出来ない状態となっていますが、それがちゃんと出来るようになったら、その人流のいい人生を歩むことが出来ます。その人流というのは、今までたくさんの人のサポートをしてきたけれども、同じ人はいないからです。新しい事例を情報としてもらいながら、なんどもケア卒業の機会に出会うたびに、ますますこの大事をやらなければならないなと思っています。


今の世の中は行き詰った人たちをたくさん産んでいます。それは世の中にも原因があります。そして、本人たちは生き方が下手なのですが、そういう人たちの力になって、そして健全に生きてもらいます。その仕組みのからくりを世の中にフィードバックすることで世の中をよくするのです。とても今日は希望が湧いている感じです。


未来は常に未知です。まず一歩進めば、自分の考えていることと違うことが起きます。行く前から考え過ぎず、まずは進むことです。自分がどう生きるかは自分の人生の価値を付けること、自分が納得して人生を終われることが大切です。

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新しく出会う出来事を通して、自分を育み、前向きに進んでいく。

ケアの取り組みでは、そのような姿勢を育むことで行き詰った人々が健全になっていきます。それは生きることの本当の意味を取り戻すことにも繋がります。

自分の利益、自分の立場に固執していると、意見の違いは対立や問題ごとに繋がっていきます。そのような中、人々は苦しみ、世界各地で、紛争や戦争、そして政治上の対立が生まれています。

今年の8月1日、人類は1年間で使える地球資源を使い果たしました。今、自分たちが使っている資源は未来の世代から奪っていることになります。「1年分の資源を使い果たす日」をアース・オーバーシュート・デー」と言いますが、この日は年々早まっています。物質的な利益を求め続けた結果、人類は困難な状況を迎えています。

ですが、困難な状況は自分を逞しくしてくれる要素にもなります。そのために必要な態度が自分を離れることであり、そのトキ、出会う出来事や人からの話が新しい世界へと繋がっていくのです。

変化変容がこの世界の本質です。宇宙の始まりから続く変化変容の物語の中で、人は生を受け、それを次へと繋げていくのです。そういう大きな視点の中で自分自身の価値を付けること、それが生きることの本当の意味です。人々が自分の利益や立場を離れ、困難を通して自分たちを逞しくしていったトキ、表面上の違いを超えた真の調和が訪れ、そのトキはきっと地球とも調和した暮らしを営んでいることでしょう。

そんな歩みを自分一人分、しっかりと刻んでいます。

木の花ファミリーのみんなです。




今までの人類の感情を生きている

今日、7月26日はマヤ暦(13の月の暦)の新年です。今日から来年の7月24日までは13の月の暦では「赤い宇宙の月」となるようです。以下、天下泰平ブログ・今日は「時間をはずした日」、そして逆行ラッシュの夏休みより引用です。

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2018726日から2019724日までは「赤い宇宙の月」の年となります。

宇宙は「存在」「持ちこたえる」「越える」
赤い月は「普遍的な水」「清める」「流れ」

というキーワードがあるそうです。

自分自身の枠を超えた大いなる力や潜在能力が発揮される時。

これまで出来なかったこと、怖れていたことにもチャレンジすることによって、新たな自分の一面が表に出て活躍することかと思います。

また「赤い月」は、水の流れや浄化を意味することもあり、水の浄化がいろいろな意味で続く可能性がありますが、1人ひとりの「浄化」もまた、大きなテーマとなる1年だそうで、不要なものは次々に手放すこととなりそうです。

その中で、水のように流れる、委ねて進むことも求められます。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そんな節目の日、木の花ファミリーでは、朝6時に宮ノ下広場に集まり、カタカムナを奏上しました。そして、ジイジから語られる言葉をみんなで聴きました。その話を僕の中で咀嚼しまとめると以下のようになります。

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生きているとこの世界の刺激を味わうことになり、そこから囚われや欲が生まれます。生きることが楽になってきたこの社会の中で、刺激が増大し、そして自我が膨らんでいきました。その自我の不調和な響きが天災となって表れているように思えます。

今年の夏はとても暑い日々が続いていますが、来年の夏はおそらくもっと暑くなります。どんどん生きるのが厳しい時代となっていますが、それは自我のそぎ落としをもたらします。生きるのが精一杯の時代は、みんなで力を合わせ現実と向き合っていました。そこに個人的欲望の発生する余地はありません。今日の天災、そして政治や経済の混乱は、文明の崩壊を意味します。それはネガティブにも思えますが、今の文明によって膨らんだ自我のそぎ落としでもあるのです。

この世界で生きることの基軸は自分ではなく太陽にあります。そして太陽は銀河を基軸にしています。生きることの基軸は銀河にある。そのことが分かると今の世界の混乱も天体の動きと共にあることが見えてきます。

僕らは過去の響きを受け継ぐことで生を受け、その響きを未来へと繋げていきます。今、浮き上がる想いや感情は人類の歴史の中にあり、それを浄化することで、未来に美しい響きを受け渡すことが出来るのです。

自分を離れ、銀河を基軸に自分を導いて生きていく。そんなふうに生きたトキ、自分を誇れてかっこいいなと思えます。そしてそれは確実に未来へと繫がっていきます。

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自分を離れることは今の自分の枠を超えることです。銀河という大いなる基軸に自分を委ね、常に自分の枠を超え続けること。その中で自分の想いや感情を浄化し、それを未来へと繋げていこうと思っています。

ジイジと僕と熊野から来た神代杉(マヤの新年に宮ノ下広場にて)

改善のために努力しつつも改善を求めない(2)

昨晩の大人ミーティングでみかちゃんが瞑想やヨガをするとエゴが強まるという記事を読んだと話してくれた。そこでネットを検索すると以下の記事が見つかりました。

瞑想やヨガをするとエゴが強まるという研究結果(ドイツ研究)

この記事では瞑想やヨガの実践者の自己高揚感が高まっているという実験結果を紹介して、そこから上記の可能性を示唆しているのですが、そもそも瞑想やヨガの実践者がやり方を間違えている可能性にも触れています。それはこんなふうに表現されています。

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被験者がヨガや瞑想のやり方を間違っているという可能性だ。

被験者は全員ドイツで募集されたが、多くの学者は西洋人の仏教徒は無我を目指す実践ができていないと考察している。
ヨガや瞑想は本来自我を静める方法をとして意図されたものだったが、非仏教徒の実践者はこうした活動を自己の向上や不安を解消する目的で行なっている。
 
ヨガが自我を弱めるどころか強めるという意見は、ブランド物のスポーツウェアを着込んでヨガに勤しむいかにも聖人ぶった人間に出会ったことがある人にとっては、意外でも何でもないかもしれない。
しかし今回の研究は、仏教の教え自体が自我を拡大させるかどうかまでは調べていない。
ヨガだけでは自我を解消するために十分ではないのかもしれないし、たった1本の心理学の研究で数千年におよぶ仏教の教えと実践を否定できるものでもない。


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ここにはご利益主義の弊害が表現されています。世界には多くの宗教が存在しますが、平和のための宗教が争いを生み出してきた歴史があります。それは多くの人が自らの利益のために信仰することで、利己心を強めてきたからなのだと思います。

自分の宗教が一番。

そういう言葉を耳にすることがありますが、その言葉の奥には傲慢さや利己心が伺えます。そしてそれは宗教の本来の教えとは反することなのだと思います。

どんな立派な教えも、それを聴くものの中に利己心があれば、エゴで汚されていきます。

昨年、私たちに効果のあるがん治療を紹介してくれた方がいました。その方にジイジ(当時はいさどん)は以下のように返信しました。

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素晴らしい存在がいることをシェアしてくれてありがとう。ただ、わたしたちにとっては長生きすることや健康であることが最大の目的ではありません。極端なことを言えば、自分が望むように生きられることが一番の目的ではないのです。たとえ寿命が短くても、病気であっても、それはこの世界の多様性であり、そのことによって何かを失うわけではありません。つまり、病気であることから学び、寿命をもらうことによって学び、そして存在しているのですから、受け入れられないことは何もないのです。それが、この世界の本来の受け取り方です。ですから、学び受け取る姿勢がありさえすれば、すべてはこの世界の実態そのものなのです。それは、何でもいいということです。

その手法が画期的ですばらしいと思うということは、現状を改善したいと思っているからです。僕が常に皆に伝えていることは、そういった「~したい」「~になりたい」という願望を消しなさいということです。そして与えられるがままに存在しなさい、ということです。すべてを受け入れれば、己から解放されます。僕はそのことが伝えたいだけなのです。

今の姿のあなたがすべてではないのですから、いくらでも変化・変容・変態を繰り返すことが可能です。そして、それが宇宙の実相なのです。


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この言葉には僕たちの生きる精神が端的に表現されています。己を手放して、ただ出会う出来事をいただくことで自分の想像をはるかに超えた世界が展開します。そのことを通して自らの枠を超えて、世界と自分についての学びを深めていくトキ、多様性の中ですべての存在が尊重されていくのです。

そこには「こうでなければならない」「こうあって欲しい」という心はありません。なんでも構わない。ということは手法や技法を取り入れてもいいのです。僕たちが問題にしているのは手法や技法そのものではなく、それらがもたらす人の心の動きなのです。ご利益主義に基づいて手法や技法に出会うと、その手法を絶対視したり、それに依存する心が強まっていきます。その時、人の心は目覚めから遠ざかり、自分の成長や不安の解消が世界のすべてとなっていきます。それは利己的な心となり、結果、世界に争いを生み出すかもしれません。ただ淡々と必要なものとして出会った手法や技法を取り入れるならば、それはきっと相応しい恵みを人間に与えてくれるのだと思います。

ご利益主義、結果だけを求める心の弊害がこの世界には溢れています。

先日、サッカーのワールドカップで日本代表は決勝トーナメントへの進出を決めました。グループリーグ最終戦で日本は0-1で負けているのも関わらず、終盤消極的なパスワークで時間稼ぎをしました。それは結果を求めての選択ですが、その行為がこの世界に何をもたらすのか、そういうことに想いが至っていたとは思えません。

結果がすべて。

日本代表の選択はそんなメッセージを世界にもたらしますが、結果だけを求める行為はあの試合のように豊かなものではありません。結果に囚われず一生懸命に戦った心を称えあう。そういう心を育むことが、戦いから平和を生み、挫折者を生まずみんなが尊重される世界に繋がるのだと思います。

どんなに素晴らしい教えも、どんなに素晴らしい技法や手法も、そしてどんな素晴らしい出来事も、ご利益主義や結果主義が貧しいものにしていきます。それが今の人間社会なのだと思います。己を手放してただ出会う出来事をいただくトキ、この世界は豊かな恵みを与えてくれます。僕はそんな日々を木の花ファミリーのみんなと送っています。

合同会社ロータスランドの決算を終えてロータスランドで食事をしました。





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