木の花ファミリーは、一人一人独立した個人が集まり一つの経済を生み出しています。その暮らしは、とてもユニークで優しく本質的な平等が実現しています。天然循環法による恵みをいただき宇宙を語る木の花ファミリー。お金を通して心を表現していきます。
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他者のために自分を表現していく

木の花ファミリーのメイン施設、おひさまハウスひまわりが改修工事に入り、オフィスの引越しをしました。その際、昔の書類がいろいろ出て来ましたが、そのうちの一つがいさどんとの面談記録です。僕といさどんと木の花ファミリーで紹介しているプロジェクターを巡るエピソードを受けてこの面談は行われました(2011年1月16日)。

面談では子どもの頃からの自分の人生を振り返り、それをいさどんに見てもらう機会となりました。例えば、僕は小学校1年生の頃、万引きをして店員さんに捕まりました。そしてその頃は常に嘘をつき続けていました。そんなエピソードに見ていさどんは以下のように話してくれました。

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万引きする人ってね、ものを盗ることだけが目的ではないんだよね。そういう屈折した自己表現というのがここには出ているよね。なかのんはお母さんに対して寂しさを感じたと言っているけれども、寂しさを感じたら、その寂しさを子どもらしく表現すればいいんだよね。でも、そのような心を外に見せないで、母親に表現しないで終わる。こういうところが、今の大人になるまでの人間形成となっているんだよね。

「見栄を張る」とか「自分で嘘と分かっていることを話していた」とか、「取り繕う」、「やったことをやっていないと言ったりしたが人を騙そうとする意図はない」というのは、騙すんじゃなくて、自己表現。そういうふうに自己表現することがある意味では正当なことだったんだな。自分の心を納得させなければならないから。積極的に人を傷つけようとするものではないけれども、自分を守るための嘘ということ。自分を正当化するために頑固にやり続けていたということだね。やっぱり、自分を評価されたいとか、正当なものっていうふうに見る時、自分のコンプレックスなんかを言われると傷つくでしょ。だから自分を守る。それに対して、積極的で、明るくて、元気で、かわいいという、自分にないものに対して極端に憧れ、足りない部分を埋め合わせようとして自分だけの満足できる世界に走る。そんなところも今の人間性になって表れている。

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いさどんの言葉により、子どもの頃からの僕の「歪み」が明確になっていきます。その他にも様々な分析がなされた後、いさどんはこんなふうに語ってくれました。

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あなたの中には、道を究めたいとか、正当でありたいとか、そういうことに対する考えも持っているし、それはある意味確立されているけれども、もう一つのところに、何か自分の捻じ曲がった表現の仕方とか、過去にずっと持ってきたようなものが処理しきれないで残っている部分があって。あなたは「見たことがない景色が見てみたい」と言う。それがあなたのこれからの生きていく一番の原動力であろうし、ここは一番正直に、一番エネルギーを使って、歩んでいくことが大切です。そのことにより悪気がないとしても伝承されてきた歪みの断ち切りとなっていく。

~ 中略 ~

自分というものがこんなに明快に分かるわけだ。親の歪みはとても分かりやすくて、それがそのまま自分に来ているわけだ。そしたら、どこが問題でどこが問題でないかとても明快。後は、自分の歪みをとって、ただひたすらに足りない部分を埋め合わせる。多い部分を取り去っていく。そういう作業をすれば、あなたの人生は光る。最後に自分の生に対して誇れたり、充分な満足を持って、未練のない形で旅立つことが出来る。


※親とのエピソートは「あなたの未熟もみんなに役立つ」をお読みください。

この振り返りをずっと見ていて、あぁ、いい歩みをしているな、という評価が出来る。すごく歪んでいる、歪みがあるからこそ、余計に、是正するところが明快にされている。こんなに分かりやすく示されている。たくさん痛い思いして、分かりやすい状態になっている。順調。それこそ、あと4,5年もいけば、あなたは結構、正当な哲学というか、そういうのを語っている人になっていると思うよ。

~ 中略 ~

なんかあなたを見ていると、お釈迦様の弟子の、最初はすごく不細工で、ぶきっちょうなんだけれど、がたんがたんしながら行って、最後は道を究めた人を思い浮かべる。

~ 中略 ~

だからあなたが自分の中で一人でワールドを作ってるっていう事は、あなたにとっては自分の中で悦に入っている事で心地いいのかもしれないけれども、それは周りに何ももたらさない。逆に言えば、あなたらしいつまらない人生というかな、そのことがあなたをあなたの中に閉じ込めて、狭い人にする。やっぱり心掛けるのは、自分の存在は他者のためにある。だから、自分を他者に共有して、あの変な捻じ曲がった駆け引きのために他者と接するのではなく、ただひたすらに、他者のために、もっとストレートに自分を表現していくっていうこと。

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これが6年前の僕。あれから僕は成長していて、このブログで道について語り続けています。これからもそんなふうに生きていくだけです。

歪んだ行動や感情は自我にしみ込んだ反応パターンです。その奥には常に本当の自分がいて、いつもそこに意識を向けていれば、自我から自由でいることが出来ます。自らを分けると書く自分、自我はそんなふうに振る舞いますが、自分を他者から分けて際立たせようとするから比較が生まれ、そこに優越感や不足感が生まれます。ですが本来、自分はこの世界そのものでこの世界と一つです。

自分自身が永遠の表れであるように

そんなふうに生きていくだけです。何かを願ったり、望んだり、そんな思惑からではなく、ただただ自分を他者のために表現していく。そんなふうに生きていくだけだなと、この文章を読んであらためてそう思いました。

そこで引っ越しの際に出てきた古い紙面をもう一つ紹介します。それは僕が公立中学校で相談員をしていた頃のもので、『兎の眼』と題する相談室便りです。

『兎の眼』は生徒の投書(無記名)を元に作成。全校生徒、保護者、教職員を前にした公開相談を紙面上で実施しました。一人の問題はみんなの問題。だから学校みんなで考える。そんな実践への試みでした。

『兎の眼』(表)平成12年11月8日発行

『兎の眼』(裏)平成12年11月8日発行

当時、『兎の眼』は話し合いのきっかけとして機能していて、例えば、いじめられている生徒がそのことを訴える投書を紹介したこともあるのですが、そこから友達同士の話し合いが生まれ、状況が改善したこともありました。普段は口にしなくても同じような気持ちを抱えていることが多く、そういう話に発展する機会を提供していたのです。またそこに書かれている子どもたちの率直な言葉に衝撃を受けたという親御さんや教員もいましたが、それも子どもへの理解に繋がるきっかけとなりました。

この『兎の眼』を作成するのはとても楽しかったです。生徒、保護者、教職員、それぞれの立場を意識し、みんなが「いいね」と思えるようなやり取りを紡いでいく。そのためにはみんなが共有出来る感覚へと自分の意識を持っていく必要がありました。それは自分にとってとても貴重なトレーニングの機会となっていました。

みんなが共有出来る視点、感覚が生まれる場所あるのです。自分を離れることで人は誰でもそこへ至ることが出来ます。そして世界と自分をそこから見ることで、自分をこの宇宙の大いなる物語の一部として位置付けることが出来ます。それは祝福であり喜びです。

その地点に立つと、囚われなくただ出会う出来事を楽しんでいくことが出来ます。

ですが、自我の反応パターンに飲み込まれるとすべてが台無しとなり、自分だけの狭い世界が作られていきます。そこは優越感や劣等感、不足感や無力感、そして傲慢さなどが溢れる場所で、人は自分で自分を苦しめていくのです。貧困や格差、戦争やテロなど悲しいニュースはそんな人々の姿勢の反映とも言えます。

だから常に自分を離れる力を育むことが大切です。自分から離れた場所で、他者のために自分を表現していく。みんながそんな姿勢を育んだ時、すべてを共有し共感できる美しい世界が生まれます。

木の花ファミリーの暮らしを通して僕はそんな世界を表現していきます。

木の花ファミリーのみんな@田楽祭田植え祭り

宇宙時間を生きる

6月21日13時24分、夏至です。銀河の夜明け(2009年夏至から2016年夏至)から1年が経過したことになります。銀河の夜明けが持つ意味については、以下の天下泰平ブログ・第1話「宇宙時間」に明確に示されています。まずはその中に書かれている先住民の長老の話を引用します。

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新たな時代への潮流の中で大切なことは、(それが一番良い方法だと信じて)全てを自分でやろうとするあり方(誤解)から自分自身を解き放つことだ。自分が望む結果よりも、遥かに偉大な結果へと天が導いてくれるということを信じて委ねられるか。それは、また宇宙時間への回帰の大切さを意味している。』


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自らを分けると書く自分。自我を持つ人間は、自らを他者から分けて際立たせます。それは海の表面の波のようなもので、本当の自分は海そのものなのです。

自我は波。海から見たらほんの一部ですが、自我はそれがすべてと誤解します。そして、そこから感情が動き、何かを望み、何かを願います。

昨年の夏至、僕は一つの決断をしましたが、それは自分の望みに基づくものでした。僕は波と同化し、そこから生まれる望みを追究しましたが、それは砕け散りました。自我の望みは波のように浮かんでは消え、また浮かびます。だから繰り返されます。

昨年の夏至、僕が追い求めようと決断した望みは長年の望みでとても強い望みです。だけれども、それは浮かんでは消える自我の望みで僕を海から遠ざけるものです。

そう、昨年の夏至、僕は間違えた決断をしたのです。上記の文章を読み宇宙の流れを意識しているつもりで宇宙の流れに反する動きをしました。それぐらい僕は自らの望みに翻弄されていたということです。それでも真剣だったから、そこから学んだことはあり、それは今の自分に生きていますが、こういう学びはもう終わりです。

自らの望みはすべて手放す。

それは絶対の基準で、それにより天は、自分が望む結果よりも遥かに偉大な結果へと導いてくれるのです。だから、ただ出会う出来事を楽しんでいく日々の生活の中でそんな心を育み自我の望みを超え続けています。それは宇宙時間を生きる試みです。

宇宙時間への回帰のために泰平さんは「真の女性性をよみがえらせる」ことが大切だと書いています。以下、再び泰平さんの文章を引用します。

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真の女性性とは

『天の愛を受けとる在り方であり、天に導かれながら生きていくということ。』

かつて、「死」さえも天が統治して導いてくれているということを感謝と共に受け入れていた時代がありました。身体を持った「生」の時間と、身体から離れた「死」という時間を、行ったり来たりすることは、"悠久の宇宙時間"の中に在る魂にとっては何も怖いことではなかったのです。

しかし、「生」にあった時、「出逢った大切な人・時間と共にいつまでも在りたい」という当たり前の欲求によって、"宇宙時間"から自分達のための"人間(物質)時間"への執着が生まれたといいます。

やがて"人間時間"の中でのサバイバルを目的とした「男性性」が暴走を始めます。自分たちのやり方で、競争・支配(コントロール)の価値観に基づき、自分たちのルールと科学に傾倒していくうちに、いつしか私たちは天(宇宙に委ねていく在り方)から離れました。

『天から離れたということは、内宇宙と外宇宙が分離し共振性が損なわれたということ。』

私たちの身体の中に存在する内宇宙。それは微生物たちも含めた世界であり各々の心の周波数が創り出す世界です。その内宇宙と、地球と同期する外の微生物たちが創り出す世界(外宇宙)は、本来は統合していて共に響き合っていました。

宇宙には天が意図した「ひふみの法則」というものがあります。

無意識に統合の時代を生きていた時代(ひふみの「ひ」=源)から、我々は「個」の体験を重ねるという分離の時代(ひふみの「ふ」=分離)を過ごしてきました。そして、今、まさに私たちは「生」の本来の目的を想い出そうとしているのです。(ひふみの「み」=意識をもって統合の時代を生きていく)。

『全ての生命(いのち)が響きあう場所で天に導かれて愛を生きる。』

競争やエゴ、自分(たち)さえ良ければ、今さえ良ければ、という世界ではなく、皆がひとつの真実の方向に向かって響き合う、「大いなる循環」の中で自らの輝きを活かしていく時代の到来。

統合の時代へとシフトする今このとき、宇宙時間の中で、自分の輝きを、自分の中心で、真の女性性を取り戻しながら神の子として蘇る。天と自分の魂との約束を果たす時が今まさにやって来たのです。

自分自身を籠の中に閉じ込めているのは、「自分のやり方こそがベストだ」と信じ込んでいる自分自身なのです。その観念を一旦天へと戻して、認めたくない自分やもう二度と感じたくはない感情と再び出逢い、向き合い、その奥に在る、分離の時代には成しえなかった

『自分の中にある本当の想いや愛と繋がりなおす。』

そういうチャレンジを体験することが、閉じ込めた籠の中から輝ける自分自身を解き放つことにつながっているのです。



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昨年の夏至、僕はこの文章を読みながら間違えた決断をしました。それは望みを追求することが自分を解き放つことになると思ったからですが、これは大きな勘違いでした。真の解放は、自らの望みの奥にあり、すべてを見通すことにあります。

「自分の中にある本当の想いや愛」

それは特定のものや瞬間に向かうものではなく、永遠で無限なるもの、まさに宇宙そのものです。自分の中にあるすべての想いと向き合いそれらを超えることで、本当の想いや愛に至ることが出来ます。意識をそこに合わせる時、人は宇宙時間を生きることになるのです。

北朝鮮やシリアなどで緊迫した状況が続き、アメリカはパリ協定から離脱しました。日々のニュースに触れると人類は悪化の一途を辿っているようにも見えます。ですが、その奥には光の時代へと向かう宇宙の流れがあり、今は闇に隠れていたものがあぶり出されているのです。大切なのは個々の出来事の奥を見通すことであり、それには自らの想いや感情を超えていく必要があります。

世界の指導者もテロリストもそれぞれの視点の正義があり、それぞれの平和を求めています。その結果が今の混沌とした世の中で、自我の求める平和は世界に分断をもたらしてきました。自我は自らを世界と分けて際立たせます。その自我の求める平和が分断をもたらすのはある意味当然であり、今、世界はその極みにあります。

どんなに美しい理想でも、自我が思い描くものは世界に分断をもたらします。

今の社会はそのことを見せてくれているのであり、それが光の時代へと向かう宇宙からのメッセージと言えます。だから今必要なのは、自我の想いを超え、宇宙そのものとなり宇宙時間を生きることです。そんなことは不可能と思えるかもしれませんが、時代はその後押しをしてくれています。今まで不可能だったこともこれからは可能になってくるのです。

自らの想いを表現しながらその奥を見ていく。
想いを表現すると同時に想いから離れる。
すべての想いを手放し自由になっていく。

そうすることで僕は宇宙時間を生きていきます(^-^)


6月19日 夏至2日前の富士山と太陽です。





怒りに向き合い、怒りから自由となる

困った相手に対して正当性を通そうとして同じ土俵に立っている。表面上は穏やかに接していてもその奥には怒りがあって、そのためムキになって自分で対応しようとしている。正当性を通そうとする態度が相手を刺激して、さらに相手を困った存在にしている。正当性を主張するのではなく、こっちが困った人になればいいんだよ。それはおかしな言い分は相手にしないってこと。相手にしなければ、向こうが困るのだから。

まあ、これは最初から然るべき人に相談して頼ればいいだけの話なのにね。

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上記は最近の自分に対するいさどんの言葉です。

僕は最近、困った人と出会いました。それで僕は、筋を通しながら流れを見ていこうと思っていたのですが、筋を通そうとする心の奥には、非常識な相手に対する(あまり自覚していない)怒りがあって、僕はその怒りに翻弄されていただけなのです。

僕といさどんと木の花ファミリー」に書いているように、僕は長年「虐げられた状態から逆転し見返す」という物語を好んできました。そのため無自覚に虐げられる状態を生み出してきたのです。

この一見理不尽な行動、その奥にはこの世界に対する「怒り」の心がありました。僕は今日、そのことを確信しました。「怒り」の心があるから「怒って然るべき」状況、虐げられる状況を無自覚に生み出してきたのです。

そして「世界と一緒に変化を楽しむ」に書いているように、「正義を掲げ、その正義を貫くことに熱くなる」物語も好んできました。正義を貫くためには悪が必要で、対象が悪ければ悪いほど、正当に「怒る」ことが出来るのです。

そう、僕は正当に「怒れる」状況を長年好んで来ていて、だけれども「怒り」を求める自分には無自覚で、そのために滞りを生み出してきたのです。

余裕がほとばしり出るような徳の積み方(後編)で紹介していますが、ノーベル平和賞受賞者カイラシュ・サティヤルティさんは、経済的理由で学校を去らなければならない友人、売春宿に売り飛ばされる奴隷の娘、カースト最下層の不可触民に対する差別や政治家の欺瞞などに触れて憤りを感じて来ました。そして、その怒りからアイデアを生み出し行動に繋げて行ったのです。そのカイラシュさんは、スピーチ「怒りで世界に平和をもたらす方法」の中で以下のように語っています。

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エゴと利己心が渦巻く小さな殻の中に閉じこもっていると、怒りは憎しみ、暴力、復習、破壊に変わっていきます。でもその悪循環を断ち切ることが出来れば、その怒りを偉大なパワーに変貌させることが出来るのです。誰もが持つ思いやりで、この循環を断ち切れば この世界をよくするため思いやりを持って世界と繋がることが出来るのです。

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カイラシュさんが書いているように、怒りを自覚し、怒りに向き合い、怒りから自由になれば、思いやりの心を持って、その怒りを利用できるのです。いさどんは常日頃、そんな姿を僕らに見せてくれています。

だけれども僕はあまりにも怒りに無自覚でした。無自覚だったので、正当に怒ることが出来る状況を生み出したり、怒りを抑圧して来たりしたのです。それは、怒りに翻弄されている状態です。

僕の中には「怒ってはいけない」という囚われが強く染みついているのでしょう。その囚われは、僕が怒りに向き合うことを邪魔し、結果、怒りから自由となり、思いやりを持って怒ることを出来なくしているのです。

だから僕は、今日から自分の中に怒りを認め、その怒りと向き合い続けようと思います。それは怒りから自由になるための取り組みです。

怒りから自由になれば、正当性なんてどうでもよくて、ただ湧いてきたものを表現して世界と一つになっていくだけ。そんなふうに生きていきます(^-^)

一緒に暮らしている木の花ファミリーのみんなです。





そぎ落としにより発展する

6月9日は射手座満月でした。射手座満月について天下泰平さんは以下のように述べています。

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今晩、2210分より満月となります。

201769日の満月は「射手座満月」。


  ~ 中略 ~

その射手座満月のポイントは、ずばり「和合・調和」のようです。

まず、数秘術の世界でも69日」というのは“6”“9”の陰陽和合を意味する特別な日であり、それに加えて今回の射手座満月の星の配列は、太陽と月、そしてラッキースターである木星が直角三角形を形成していることに大きなポイントがあるようです。

射手座の支配星である木星、そして太陽と月という陰陽の調和。

この射手座満月は「和解」などが大きなテーマとなるようです。

さらに、今年26日から「逆行」に入っていた木星が、なんとこの満月の1時間後には4ヶ月ぶりに「順行」に戻ります。

ラッキースター木星は、今は地球や地球人個人にとってとても強く影響を及ぼす重要な惑星。

この4ヶ月間、滞っていた物事がスムーズに行き始めたり、今晩を境に明日からは心機一転新たな流れが始まると思います。


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6月9日、陰陽和合を意味する日にロータスランドはちょうど営業69日目となりました。3月21日、太陽が春分点を通過した最初の朝にプレオープンし、水星逆行が終了し立夏を迎えた5月5日にグランドオープンしたロータスランド。その動きは常に宇宙の運行と共にあることを感じさせます。

同じく6月9日、天皇退位の特例法が成立しました。ライオンズゲートの日であり、アース・オーバーシュート・デー」(1年分の資源を使い果たす日)でもあった昨年の8月8日、天皇陛下は退位についてのお気持ちを表明しました。そして退位のための法案が陰陽和合を意味する日に成立するのも宇宙の流れの中にあることだと思われます。

※ちなみに6月9日のロータスランド来店者数は88名でした。

静ちゃんプロデュースの中国人お客様ツアー(5月30日~6月1日)@ロータスランド

その6月9日の22時10分。僕はどうしていたかというと風邪をひいて寝込んでいました。そして、次の日も寝込み、何も食べずに過ごしました。発展や拡張を意味する木星が順行になるタイミングで寝込み断食する自分。自分の思惑とは大違いの出来事に出会いましたが、これは僕にとっての発展や拡張が「そぎ落とし」によって成り立つことを意味しているのだと思いました。

自らを分けると書く自分。天の流れに沿って生きていこうとしている僕にとって、自分から生まれる想いや願いや不要なものです。例えば、いさどんは以下のように語っています。

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僕が常に皆に伝えていることは、そういった「~したい」「~になりたい」という願望を消しなさいということです。そして与えられるがままに存在しなさい、ということです。すべてを受け入れれば、己から解放されます。僕はそのことが伝えたいだけなのです。

今の姿のあなたがすべてではないのですから、いくらでも変化・変容・変態を繰り返すことが可能です。そして、それが宇宙の実相なのです。


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上記のいさどんの言葉にあるように「~したい」「~になりたい」という願望を消し、己から解放されれば、ただ出会う出来事を楽しんでいくことが出来ます。それは「流れ」という全体性と一体になり、この宇宙そのものを楽しむ道です。そこにこそ、僕の発展や拡張があり、そのために日々、自らに湧き上がる想いや願いをそぎ落としていく必要があるのです。自らの想いをそぎ落とすことで大いなる流れと和解し調和する。風邪という都合の悪い出来事はそんなふうに生きていくことの再確認の機会となりました。

今もまだ残る頭痛。それは思考を超えよう!!!というメッセージと受け止めています。

常日頃から「頭で考えるのではなく、信じて歩んでいくと、後からその意味が示され解る」と語るいさどん。以下の絵はそんないさどんの話を聴いたジョイさんからいさどんに手渡された本の表紙です。



泥のようにも感じる自分の都合の悪い出来事。それは自分の段取りや思考を超えるきっかけを与えてくれます。段取りや思考を超えて信じて歩いていく。その先に美しい蓮の花が咲くのでしょう。

泥の中で自分の都合をそぎ落とし美しい花を咲かせますね(^-^)

余裕がほとばしり出るような徳の積み方(2017)

大いなる力には大いなる責任が伴う」に書いたように、僕には心の道を歩む責任があると思っています。とは言っても、人には結果をコントロールすることは出来ません。未来がどうなるかはいつも未知であり、未知だからこそ道と言えます。だからただいつも目の前の出来事に丁寧に向き合うだけであり、結果やそれに伴う評価については完全に手放すことになります。

ところで僕は2年前の6月、いさどんからこんな言葉を貰っています。

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なかのんは真面目で一生懸命やっているが、もう少しそこに余裕があると、あの人は本当に徳を積んでいるねということなんだけど、一生懸命「この道だぁぁぁ」とやっていると、そこに余裕がないと、何とか一生懸命気合いを入れてそこを保っているという状態。

余裕がほとばしり出るような徳の積み方というものがある。



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2年前に比べると今の自分には大分、余裕があります。その余裕がどこから来るかと言ったら、結果や形に囚われない姿勢から生まれているのだと思っています。

結果や形に囚われない。

言葉では当時も同じことを語っています。ですが、これは頭の理解ではなく体験を通して育まれていく姿勢です。自らを分けると書く「自分」は、この世界を切り取り固定することを求めます。そして自らが切り取った世界に対する評価や承認を求めます。その「自分」、自我の動きから自由となり、そこから「自分」を眺め、「自分」を育んでいくのです。これは終わりのない旅であり、僕はこれからさらに自由となり、余裕を育んでいくことでしょう。

多くの人は自らの思惑で状況を変化させようとします。そして努力をするのですが、その努力は現実とぶつかりなかなか思うようには進まないものです。自分と相いれない他者の思惑に出会い、苛立ち苦しむことになります。フランスや韓国の大統領選挙、そしてアメリカによるパリ協定離脱宣言と社会の分断を表すニュースが続いていますが、それらは多くの人々が自らの思惑に基づき努力をした結果です。今、人智による努力は社会を混乱させています。

ですが、結果や形から自由となり余裕を育んでいくと出会う出来事が変化していきます。そして、その変化を楽しむことが出来ます。それは自らの想像を超えた世界で、様々な立場の人を繋げていきます。人智を超えた大いなる流れ。人々がそれを意識し委ねた時、世界はきっと新しい扉を開くのだと思います。

そんな心を育むための集まりが2017年7月15日(土)~17日(月)まで開催される第11回大人サミット~私たちはこれから何を目指すのか〜」です。以下、案内文を引用しますね。

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人は、見えないと「どうなるかわからない」と不安になり、未知なるものを恐怖に感じて何とか現状を維持しようとします。ところが地球は、広大な宇宙空間を実に秒速30kmというスピードで、らせんを描きながら常に未知なるところへ未知なるところへと進み続けています。どんなに今いる場所を絶対だと思っても、次の瞬間にはもう、私たちはまったく違った新しい場所にいるのです。変化変容し続けるのが地球の、そして宇宙の実体であり、そのエネルギーは我々人間の力など到底及ばない、とてつもなく大きなものなのです。

宇宙探査機が目的地に向かう時に、「スイングバイ」という方法を使うことがあります。探査機のエネルギーだけで遥か彼方の目的地に行こうとすれば、莫大なエネルギーが必要になります。そこでどうするのかというと、天体のエネルギーを利用するのです。とてつもないエネルギーで宇宙を移動し続ける天体の引力を利用し、その公転軌道に乗ることで探査機の推進力を上げ、しかるべきタイミングで軌道を離れて目的地に向かえば、少ない燃料で効率よく到達することができます。探査機だけの力では行けなくとも、天体の推進力に乗ればいいのです。

今、最も力強い推進力は、20121221日の「銀河の冬至」から始まった新たな時代の流れです。地球が一年に一度冬至を越えて光を増していくように、太陽系もまた25800年ぶりの冬至を越えて、闇の時代から光の時代へと切り替わる大転換期が始まりました。今こそ、私たち人類は出口の見えない混乱を抜け出し、この壮大なる時代の流れにスイングバイする時がやってきたのです。その先には必ず、今はまだ見ぬ新たな世界があります。もしも今あなたが生き辛さを抱えているとしたら、それはきっと「そろそろ新たなルートへ進みなさい」という天からのメッセージであり、あなたへの追い風なのです。

さあ、準備は整いました。個々が幸せを求めて一生懸命エネルギーを費やしてきた結果が今の社会ならば、個々の囚われを手放し、大いなる時代の流れに乗る時がやってきたのです。これから世界には、大変革の時が訪れます。人々が恐れようと理解できなかろうと、確実に時代はその方向へ進んでいます。その時代の流れを感じ、そこに乗って新たな世界へと踏み出した時、私たち人類はこの世界に生きる真の意味に目覚め、時代と共に希望溢れる未来を創造していくことができるようになるのです。そして、世界に二つとないあなただけの人生の花が美しく花開くことになるでしょう。


どうぞ共に時代に乗って、新たな世界へスイングバイしませんか。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自らの思惑を叶えるのではなく、ただ出会う出来事を楽しんでいく。その結果、人と人が繋がり幸せになっていく。そんな心を育みたい方。是非、大人サミットにご参加下さい。共に未知の未来を楽しみましょう(^-^)


2016年7月に開催された第10回大人サミットの様子です。

未知であるからこそ道

6月になりました。昨年、一昨年と6月を起点にしてしばらく「自分の望み」に囚われた苦い思い出があります。それは僕が抱えていた爆弾で、大きな波に飲み込まれたようなものです。

この課題を達成することで壁を超える
この課題を達成することで新しい世界を切り拓く。

当時はそんなふうに思っていて、そこには決心もあったのですが、その奥には「自分の望み」があって、その波に飲み込まれていただけなのです。自分が設定した課題に向って努力をしてはいましたが、それは囚われた思考の下の努力なので、心はどんどん狭くなっていきます。だから当然のように滞りをいただきました。

波に飲み込まれ、罠に引っかかり盲目となった当時の僕。

その痛みは僕を謙虚にしてくれますが、これ以上繰り返す必要はありません。だから今年は違う道を行きます。未知(みち)の場所に行くからこそ道(みち)と言えます。繰り返しは歩みの停滞。僕はもう歩みを止めません。立春正月にひっくり返り、春分を機にただ出会うことを楽しむようになった今年の僕は、今までとは立脚点が違います。

自分の側から世界を見るのではなく、世界の側から自分を見る。自分に湧き上がる想いは満たすためのものではなく、世界に向けて解放するものです。解放することで想いは変化変容を繰り返しこの世界と一つになっていきます。行動や判断の基準は自分の想いではなくこの世界の流れであり、そこに彩りを与え筋道を通すことです。

そんな視点から1年前の今日に書いた以下の文章を見てみます。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕は子どもの頃、誘拐される夢を沢山見ました。
それらの夢はとっても怖かったです(-_-;)。

ある日の夢では、僕は両親と妹と自動車に乗っていました。
その時、かぼちゃの顔をした「かぼちゃマン」が走って僕らの車を追いかけてきたのです。
かぼちゃマンはとっても早くて僕らの車に逃げ切ることが出来ません。
そして、かぼちゃマンは高らかに笑っています。
かぼちゃは当時の僕が最も嫌いだった食べ物。
そのかぼちゃが迫ってくるのが本当に怖かったのです。

プロセスワークでは、子どもの頃の夢を「人生の神話」として捉えています。
それは人の人生を貫く大きなテーマとなるのです。

僕は子どもの頃の夢での中で何度も何度も誘拐されました。
それは、血縁の家族や個人的な繋がりではなく、
もっと大いなるものに導かれて生きていくということです。

大いなるものとはこの世界のすべて。
世界は僕で、僕は世界。
この世界が僕を生み出し、僕がこの世界を生み出している。

だからこの世界に起きることすべてに僕は一人分の責任を持ちます。

それで再び「願い」について思います。
そして、以下のような結論に達しました。

それが道の途上にあるものならば必ず実現する。
なぜなら僕は心の道を極めるから。

それは手に入れようとするものではなく、自然となるもの。

これから価値あるものとして僕のいろいろな思いが表現されていきます。

それが天との約束だから。

ちなみにかぼちゃは今、僕の最も好きな食べ物となっています。
かぼちゃはきっと僕にとって天からの使者なのです(^-^)




☆彡 ☆彡 ☆彡

この文章、だいたいそうだなと思えるのですが、「願い」についての結論でおかしくなります。道は未知だからこそ道と言えます。それなのに、僕は「必ず実現する」と書いています。変化変容を繰り返すのがこの世界の本質で、「願い」も常に変化するものであり、その実現はどうでもいいのです。ただ大いなるものに導かれ生きていくだけです。

そして世界に目を向けると、アメリカのトランプ大統領が「パリ協定」からの離脱を表明し、国際社会、そして人々の分断がさらに際立つようになりました。その分断は、多くの人が今の自分の想いや願いを満たそうとして生まれています。それが変化していくことは考えず、ただただ今の自分の願いや想いに固執し、その結果、違いが際立ち分断が進んでいくのです。そして平和への願いすら、それに固執することで争いや分断を生み出す原因となっています。

人は自らの想いに基づき未来を固定しようとして道を外れて来ました。未知であるからこそ道であり、未来を固定しようとする思惑は滞りへと繋がっていきます。それが今の地球の姿です。未知なる道、未知なる未来に向けて自らの想いを解放する時、思いもよらない出来事をただただ楽しむことが出来ます。それは人智を超えた動きであり、すべてを一つにする動きであり、そこに未来への希望があります。

僕は道を歩みます。それは未知への旅であり、ただ出会うことを楽しむ旅です。

今朝の富士山と太陽です(^-^)






改善のために努力しつつも改善を求めない

素晴らしい存在がいることをシェアしてくれてありがとう。ただ、わたしたちにとっては長生きすることや健康であることが最大の目的ではありません。極端なことを言えば、自分が望むように生きられることが一番の目的ではないのです。たとえ寿命が短くても、病気であっても、それはこの世界の多様性であり、そのことによって何かを失うわけではありません。つまり、病気であることから学び、寿命をもらうことによって学び、そして存在しているのですから、受け入れられないことは何もないのです。それが、この世界の本来の受け取り方です。ですから、学び受け取る姿勢がありさえすれば、すべてはこの世界の実態そのものなのです。それは、何でもいいということです。

その手法が画期的ですばらしいと思うということは、現状を改善したいと思っているからです。僕が常に皆に伝えていることは、そういった「~したい」「~になりたい」という願望を消しなさいということです。そして与えられるがままに存在しなさい、ということです。すべてを受け入れれば、己から解放されます。僕はそのことが伝えたいだけなのです。

今の姿のあなたがすべてではないのですから、いくらでも変化・変容・変態を繰り返すことが可能です。そして、それが宇宙の実相なのです。

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上記は効果を上げている癌の治療法を木の花ファミリーに紹介してくれた人に対して、いさどんに湧いてきた言葉で、僕たちの生きる精神を端的に表しています。

自分の想いを手放し、ただただ出会うことをいただく時、自分の想像をはるかに超えた世界が展開します。木の花ファミリーの生活はそのことを世界に示す実験の場となっています。

僕たちは手法を否定しているわけではありません。必要な時には病院の治療も受けています。木の花ファミリーブログ「きょうこちゃんのどこまでもいただきます物語」には癌の治療を通したきょうこちゃんとファミリーみんなの学びが描かれています。必要な治療をただ淡々と受けるならば、それは有難いいただきものであり、時には人の学びともなります。

僕たちが問題にしているのは、手法や治療を受ける時の心の動きです。改善したいという気持ちが強い時、効果的な手法に出会うと、その手法を絶対視したり、その手法に依存する心が育っていきます。その時、人の心は目覚めから遠ざかり、症状の改善が世界のすべてとなっていきます。そして、症状は改善したとしても、それを生み出した心の姿勢(種)は変わらないままとなっているので、その種は人間関係など他の場面で問題となって表れることになり、この世界を創っていくのです。

改善のために努力しつつも改善を求めない。

それはただ道理を通すことを心掛けることであり、そんな姿勢で症状や出来事に臨む時、結果がどのようにものとなったとしても、その症状や出来事に出会った意味を知り、そしてそこから大きな学びを得ることが出来るのです。それがこの世界を生きる醍醐味であり、表面上の出来事に右往左往していては味わえない喜びなのです。

この世界は一人ひとりの心の反映なのだから、大切なのは心を育むことです。

改善を求める心は、過度になると自分都合の世界を求める心となります。自分都合の世界を求めると思い通りにならない世界に苛立っていきます。外にばかり悪を見て、自分を振り返らずに改善を求める。それが今の多くの人々の姿勢であり、今の社会を創っています。大切なのは道理を通すこと、出来事に柱を立て意味を見出すことです。

みんなが平和を求めます。

ですが、平和を求めることが大切なのではなく、平和な心を育むことが大切なのです。

平和のために努力しつつも平和を求めない。

そんな心を育むことで、変化変容に富んだこの世界を楽しんでいこうと思っています(^-^)

そう、ただ出会う出来事を楽しんでいくのです。



みんなの人生を生きる

昨年の9月、僕は自我について以下のように書いています。

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近代以降、人間の自我は好き勝手に振る舞ってきました。
そんな行動を積み重ねることで人間は業を深め、自我は混乱の極みにあります。
今、自我の選択は多くの場合、自らを不幸にしていくのです。

例えば、それは依存症や引きこもりなどの社会不適応として現れています。
そして、世界に目を向けてもそのような事例は多々あります。

例えば、北朝鮮はミサイルの開発や核実験を重ねていますが、
それは国の自我、国家エゴに基づいた行動です。
国家エゴに基づいた行動が国際社会で北朝鮮を孤立させていきます。

そして、経済発展。今、人々のエゴは経済成長を求めていますが、
それが経済格差や環境破壊をもたらし、人々そして自然との分断を広げています。

思い通りに行動することが自分や社会、自然に不幸をもたらしているのです。
人間は今、そのような状態にあるのですが、そこに歯止めが掛かりません。

そんな中、本当の幸せや平和を求めるならば、混乱した自我を超えるしかないのです。
木の花ファミリーに出会い、その道の大切さに触れながら、そこを離れていく。
それも混乱した自我の振る舞いと言えるでしょう。


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自我は浮かんでは消える波のようなもの。本当の自分は海そのものですべての存在と繋がっています。だけれども多くの人は波がすべてと思って、それに固執し自我の波に飲み込まれ右往左往して暮らしています。

どんな大きな波が来ても、自分が海だということを覚えていれば、飲み込まれることはありません。そして、すべての波(自我)が繋がっていることが理解出来ます。そんな心を育むことが自我を超えることであり、木の花ファミリーの暮らしです。

もうすぐ「まなこい」から3年に書いたように、3年前、僕は「場創りをしたくない」と宣言しました。そんな僕が今、足りないところは多々ありますが、場創りを楽しんでいます。人は変わるもので、そんな僕を見て、「目標だ」と言ってくれる人がいます。僕を見て「目標だ」と感じる人がいる。ならば、そうあり続ける責任(Responsibility)が僕にはあって、そうすると僕の人生は僕だけのものではないと思うのです。

木の花ファミリーの暮らしは「みんなで自我を超える」実験の場です。それは僕たちの趣味ではなく人類の未来へ向けた実験です。ならば、僕の人生は人類の未来のものです。

僕は海。そして浮かんでは消える波として人生を送ります。

波としての自分に焦点を当てれば、それは自分の人生と感じるかもしれませんが、僕は本来、海そのものなのです。だから、波(自我)としての自分は他のすべての波(自我)と同様で、世界の彩りの一つに過ぎず、それはみんなのものなのです。

僕は自分を通してみんなの人生を生きる。

それは僕の人生が僕だけのものではなくみんなのものでもあるということです。

ところで今日はふたご座の新月です。

ふたご座の新月は「選択」がテーマとなると「双子座新月はベストチョイスが出来る時」には書かれています。そして、その時大切になるのが、自分自身のハートで選択するということです。このタイミングで僕は、自分の人生ではなくみんなの人生を生きることを心の底から選択します。

それは自分の満足を求めるのではなく、みんなの満足、この世界の道理に基づき生きるということ。山の裾野は広くとも、頂上は一つ。この道は進めば進む程狭くなっていきますが、それは窮屈になるということではなく、より明快になるということで、高みに行けば視界は開け、心はクリアになっていきます。心がクリアになればなるほど、自分の人生が自分だけのものではなくみんなのものであるということが見えてくるのです。

そして今日、この新月のタイミングで合同会社ロータスランドが生まれます。

特に新月を意識していたわけではないのですが、たまたまこのタイミングで準備が整いました。この会社は、まずはカフェ&ショップ・ロータスランドのショップ部門に担うことから始まりますが、これから木の花ファミリー、そして社会に新しいお金の流れを生み出していきます。これは僕らの選択から生まれる新しい流れで、これからお金を通して、この世界に幸せの循環を生み出していくことでしょう(^-^)

午前4時44分。毎朝、僕が起きる時間に月はふたご座で新月となりました。

僕は月の後押しを受けて目覚め、みんなの人生を生きていきます(^-^)





世界に向かって転がり出る

5月20日で木の花ファミリーに移住し、丸8年となり、今は9年目の日々を過ごしています。「9」という数字から思い出すのは、小学校6年生の時、校長先生が語っていた以下の言葉です。

苦(9)を超えなければ、充(10)の喜びは得られない。

当時の校長先生(服部先生)は、卒業式の時、色紙にこの言葉を書きみんな(160名ぐらい)に贈ってくれました。その色紙は今も実家の部屋に飾ってあります。

そしてこの言葉は、遠藤周作さんや河合隼雄さんが生前に語っていた「くるたのしい」という言葉に通じるのではないかと思い、ネットを検索すると以下の文章に出会いました。

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「くるたのしい」とは、苦しさと楽しさとが同居している様子をいうようですが、もう少し掘り下げて考えてみましょう。

作家が書いた小説というものは、その作家が頭で描いた構想を膨らませてできたものですから、作家が思うようにコントロールしてできたもののように思われますが、『ケアの本質』の著者であるメイヤロフ氏は、小説というものは作家が思いつくままに書いたものではなくて、小説を書くとは、自分が選んだある構想が自分の中で成長していくのを援助すること、あるいは、その構想が持つと考えられる本質的な特徴を発見し探索することであると言っています。

同時に、作家の関心は、自分にではなく、自分が取り組んでいる構想自体に向けられているとも言っています。

要するに、小説とは作家が構想を練ることによって出来上がるわけですが、その「練る」とは、作家が勝手にコントロールすることではなくて、その構想が自ら成長していくのを援助することが「練る」ことであって、創作活動の主体は構想の側にあって作家の側にはないということです。

メイヤロフ氏はこのように言っているわけですが、書く者としては、やはり自分が主体となって書こうとするでしょう。そうすると、行き詰って書けなくなり苦しくなるという事態に追い込まれるというわけです。

そこで、自分が主体になっていることに気づき、それを棚上げして構想の方に主体を移し、構想に耳を傾けることができるようになったとき、作家の筆はなめらかとなり、苦しみはいつの間にか楽しみに変わっているのではないかと想像します。

この辺のところを河合さんは、植物は太陽の熱と土とがあればゆっくりと成長していく、そのゆっくりとした成長に心を合わせてやると、植物の成長がとても楽しみに思えてくるが、植物の成長をこっちがコントロールしてやろうとすると、思いのままにならないことが出てきていやになってくるのではなかろうか、と言っておられます。



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「自分が・・・」という思いに基づき行動すると、思いもよらない出来事に出会いいらだち苦しくなります。ですが、「自分が・・・」という思いを手放す時、思いもよらない出来事を楽しむことが出来るようになるのです。世界を楽しむコツは自分を離れることにあるようです。

冒頭の、苦(9)を超えて、充(10)の喜びを得る。という言葉。

それは「自分が・・・」という心を超えて、天の法則、流れに身を委ねることなのだと思います。

視点を変えて、カタカムナでみると、「9」は「転がり出る」です。「7」で質的転換し、「8」で飽和安定した存在は、「9」で転がり出て、「10」で統合へと至ります。

転がり出る先は???

きっと世界です。魂は自らの感情や身体と出会い、様々な経験を通して自分を育んでいきます。世界から分かれた自分を育んでいく。その状態が飽和し安定した時、世界に向けて転がり出ることで、世界と一つとなり存在は完成していくのです。

「自分が・・・」という心を超えて、世界に転がり出ることで、天の法則の下、世界と一つとなり、充の喜びを得て統合へと至ります。

今年は木の花ファミリー9年目。世界に向けて転がり出ることで10年目、2018年での統合へと至りますが、2018年には平成の終了が予定されています。平成は「イワト(平=一八十)成る時代」。その終了と共、僕の木の花での1サイクル(ヒフミヨイムナヤコト)も終わるわけで、そんな時代の流れも意識して日々を送ろうと思っています。

そんな感じで世界に目を向けたら、「9」と言えば、憲法9条です。9条は前文と共に平和憲法の核となる部分ですが、今、改憲に向けた動きが加速しつつあります。

世界が平和でありますように。

そんな思いはきっとみんな共通しているのに世界は争いが絶えません。きっとそれはみんなが自分都合の平和を求めているからだと思います。自分「が」平穏でいたいから・・・だから平和であって欲しい。そんな動機から平和を求めていたら、他人の痛みや苦しみは目に入りません。そして、その態度は争いを生み出す原因ともなります。

争いを排除することで争いを引き起こす。

多くの人が自分都合の平和を求めているからそんな世界が展開するのだと思います。

憲法9条は平和を謳っています。ですが、改憲にしろ護憲にしろ、それを自分都合で求めていたら、生まれる世界は争い、いがみ合いの世界です。

自分都合、自分が・・・という心はこの世界に苦しみをもたらすのです。

だから大切なのは、思いもよらない出来事に心を開いていくことです。自分の都合、自分が・・・という心を手放し、ただ出会う出来事を楽しんでいく。みんながそんな姿勢で世界に転がり出る時、個性豊かな存在が繋がり合い、真の統合が生まれるのでしょう。

そんな未来に向けて、僕は世界に転がり出ます。

5月20日、木の花ファミリー蓮池の写真です。






人間を壊して「ヒト」へと至る

2017年も3分の1が終わりました。このタイミングで年初に語ったことを振り返ってみました。「心を爆発させ思考の枠を吹き飛ばしていく」にも書いているように、年越しのタイミングは木の花ファミリーのみんなと「ヒトイズム₋ヒトという存在の実体は何ものなのか₋」を読んでいました。ヒトイズムについていさどんは以下のように語っています。

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宇宙創成のプロセスは、「ヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ・ヤ・コ・ト」という数理で表すことができる。その始まりである「ヒ」から最終の「ト」までのプロセスを理解し、それらを統合して成り立つ存在が、ヒトだ。それが時代人(じだいびと)であり、時代主義(Eraism=エライズム)を生きる存在だよ。

~ 中略 ~


ヒトというのは、人間という地球上で物理的に進化してきたもののことではないんだよ。それは、物理的に進化してきたものが最終的に到達する目的地点であり、宇宙にはもともとヒトという意識レベルの存在があったはずだ。なぜなら、ヒトとは宇宙の仕組みをマスターした存在を言うのだから。
ついつい人間たちは、ヒトのことを人間と勘違いする。人間とヒトでは、定義が違う。ヒトは形ではない。宇宙の法を理解し、マスターした存在をヒトと言うのであり、それは目覚めということでもある。


~ 中略 ~


宇宙は奇跡の連続だ。なぜなら、もともと人間の思考のキャパを超えたところで成り立っているのだから。だから宇宙を生きるという意識レベルを考えるのならば、科学や理屈を超えたところでものごとを受け取る器を持つことが必要だ。そうでなければ、真実は観えてこない。
それには、人間壊しをすることだ。人間を壊して、ヒトとして存在する。それがヒトイズムだ。


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2017年のテーマは「爆発」です。今、ロータスランドが始まりとても忙しい毎日を送っていますが、それは心を爆発させ思考の枠組みを取り払うためにあります。その先にあるのは、人間壊しであり、ヒトへと至る道です。心を亡くすと書く「忙しい」日々ですが、僕らは思考のキャパを超えるためにそんな日々を過ごすのであり、心の豊かさを失ってはいけません。だから常に初心を思い出し、天に心を向けることが大切です。その先に宇宙の法の理解があり、それを生きる日々があるのです。

経理を担当する僕は今、新しいお金の流れと向き合うことになっています。ロータスランドが始まることで日々のお金の流れがガラリと変わりました。そのリズムに慣れ、新しいシステムを構築していく必要があります。これは僕にとってかつてないチャレンジであり、まだこれだ!という結論には至っていません。でもそれでいいのだと思います。今年のテーマは爆発であり、僕は思考の枠組みを取り払っていくのです。だからこれから構築するシステムは自分の思考から生み出されるものではなく、流れの中から生み出されていくものなのです。きっと先に行けば見えてきます。

僕らは自分たちのためにお金を得ているのではありません。活動の維持に必要な利益は当然上げていく必要がありますが、真の目的な健全なお金をこの世界に循環させることにあります。このブログでは何度か紹介していますが、いさどんはこんなふうに語っています。

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今の社会では、みんな収入を得るために必死に仕事をしています。お店ならば、お客を獲得するために一生懸命、商品開発や営業活動を行っています。お客の増減はお店にとっては死活問題なのです。ですが、木の花ファミリーの活動はそれとは違います。私たちは天の恵みである作物をいただき、それを基盤として生活を営んでいます。収益を得ることが死活問題とはなっていません。ですから、私たちの商売は一般とは違うものなのです。同じ基準で考えてはいけません。天の恵みによって暮らす私たちは、心に余裕やゆとりがあります。そして、その余裕を心磨きに向けることが天との約束です。商売もその延長にあります。天の恵みの恩恵を世の中に広げていく。それが私たちにとっての商売で、心を伝えること、幸せを循環させることがその本質にあるのです。


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横浜でアジア開発銀行の総会が開催され、TPPはアメリカ抜きでは発行が目指されています。どちらもグローバル化した経済の中でお金を循環させる約束を創り上げているのですが、そこに自分を離れた全体視点はありません。すべての参加者が自国の視点から世界を眺め、自国の利益を追求しています。そのため約束ごとは利害関係の調整に終始し心豊かな関係には繋がりません。今、お金を巡るトラブルが多発していますが、それは自分の利益を追求する人々の姿勢の反映であり、お金の流れが人々を苦しめるようになっています。

そんな中、僕たちは天の恵みによるお金を生み出しこの世界に流し込んでいきます。その動きは人々の心に豊かさをもたらします。日々、ロータスランドを訪れて下さるお客様の言葉からもそのことは感じることが出来ます。

自分の利益、自分の幸せを追求する姿勢が人との違いや距離を生み出し、人は苦しんできました。それが人間としての生き方だとしたら、これからはその人間を壊し、ヒトとなることで、繋がりが生まれ、人々は幸せになっていくのでしょう。宇宙の法を理解するヒト、宇宙とはこの世界全体であり、自分視点を離れ、全体視点へと至ることが幸せへの道なのだと確信しています。

是非、ロータスランドに遊びに来て下さいね(^-^)
※営業時間 8:00~19:00(ラストオーダー18:00)、月曜定休日です。












もうすぐ「まなこい」から3年



3年前(2014年)の5月、木の花ファミリーにて僕の「まなこい」が行われました。そして2年前(2015年)の4月、僕は「まなこいから11ヶ月」という文章を書きました。

「まなこい」とは何か?そこでどんなことが行われたのか?

以下、「まなこいから11ヶ月」の文章を引用することで説明します。

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「まなこい」とは何か?

それは「まな板の上の鯉」の略で、僕はまな板の上の鯉のように抵抗することなく、みんなに自分を晒し料理をしてもらいました。まず僕自身が自分の分析をして、それに基づいてみんなが僕についての分析をするのです。そうすることで、お互いの認識のギャップを埋めて、みんなで客観的な視点を身に着けていくことを目的にしていました。

この「まなこい」の場で僕は以下のようなことをみんなに伝えていました。

  • 自分は基本的に場を創りたくない人。
  • みんなの前で話をしようとするとただの事務連絡だけでも心臓がバクバクする。
  • この場をよくしていこうという提案に乗れない自分がいる。そのため「こんな自分はここにいてはいけないのではないか?」という考えが浮かんでくる。そして、実際に出ていくことをシミュレーションしてみる。「自分が出ていくならば、引継ぎとして最低でも1ヶ月は必要だよな~」とか「ここを出て行った場合、道義として同じような暮らしは出来ないよな~。そうすると、生きていくために適当な仕事を探して無気力で生きていくのかな~。」なんて考えて、「こんなことを考えても仕方がないので、ダメかもしれないけどやれるだけやろう」と言い聞かせて過ごしている。


そんな僕に対してみんなが見える視点を伝えてくれました。

  • こんなふうに言うことでなかのんは失敗した時のための予防線を張っている。
  • 本当は良くしていきたい気持ちがあるのに、それを推し進める力がない。ならば人に心を開いて頼ればよいのに、それもプライドが高いために出来ずにいる。
  • なかのんは無駄な思考、エネルギーを使っている。ここを出ていくことに良いイメージがないのに、そんな考えにエネルギーを使っている。湧いてきた無駄な想いを手放していくということをしているようだが、本当に高い視点を持って、その位置にい続けたら、そんな想いは湧いてくることがなくなる。そこまで自分を高めることが大切。


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当時(2014年5月)の僕がやる気を失っていたのは、特定のもの(結果)を求めてそれが手に入らなかったから。言ってしまえばただそれだけです。そして、僕はまなこいを機会にしてやる気を出そうと決意します。そして積極的に行動しましたが、「変わろう」と思って行動しても僕は変わりませんでした。2014年の終わり、そんな僕に転機が訪れました。以下、天の物語を生きる~1年の振り返りとして」から文章を引用します。

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僕はこれまでずっと自分の物語を生きて来ました。

それは「世界が僕を変える」や「世界と一緒に変化を楽しむ」に書いた英雄物語だったり、「僕といさどんと木の花ファミリー」に書いた「虐げられた状況から逆転する物語」だったりします。その自覚はずっとあって、それを意識的に変えようと努力を重ねてきました。ですが、それらの努力は功を奏しませんでした。僕は変わりませんでした。

そんな中、今年の9月24日、このBLOGを立ち上げました。タイトルは「木の花ファミリーの経済から世界を見る」。「世界を見る」とタイトルをつけたからには、そこに書かれるものは、世界を意識したものでなければならない。そんなふうに思いました。そして普段から世界で起きていることと木の花ファミリーの暮らしを繋げて考えるようになりました。そうすることで、この暮らしの意味をあらためて感じることになりました。そして、その意識を保つために一定のペースでこのBLOGを書き続けました。

すると大人ミーティングが今まで以上に面白い場となってきました。そこから世界が見えるのです。そんな大人ミーティングの場で、12月の初め不思議な体験をしました。その時、いさどんがみんなに向って語っていたのですが、僕は天から暖かいエネルギーが降り注ぐのを感じたのです。いさどんの話が天の扉を開き、そして、天からエネルギーが降り注いでいたのです。そのエネルギーはとても大きく暖かいものでした。僕はこの時、初めて天の存在を感じました。ずっとあることを知っていた天の存在をリアルに感じたのです。この日から僕は天に意識を向けるようになりました。

天に意識を向けると、自分の感情や枠を超えることが出来ます。自分から自由になって、天の温かさを感じることが出来ます。それがとても心地よく毎日がとても幸せなのです。そんなふうに過ごしていると、周りから「変わった」と言われるようになりました。

このBLOGを立ち上げた時、僕は別に「変わろう」とは思っていませんでした。ただ広い視点を持つことを心掛けて毎日を過ごしていました。その結果、僕はとても幸せになりみんなに変わったと言われます。一方、僕が意識的に変わろうと努力した時、僕は変われなかったし、あまり幸せにもなれませんでした。

その違いは何か?

僕が意識的に変わろうとした時、僕は自分の変わる姿をイメージしていました。評価される自分、出来る自分をイメージしていました。要は自分がかわいかったのです。そして、自分に囚われていました。その囚われが僕の変化を邪魔していたのでしょう。

今は自分に対するイメージは持っていません。「どうなりたい」という思いもありません。ただ、天を意識し感じ続けること。それが僕の一番の望みで、それだけ出来ればよいのです。だから僕はこれから何があってもずっと幸せだろうなと思います。

僕を変えて幸せにしてくれたのは世界であり、天です。
自分では幸せになれませんでした。
だから、これからは天の物語を生きていきます。
それは僕を幸せにし、そしてみんなを幸せにする物語になるのだろうなと思っています(^-^)

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2014年の終わり、「天の物語を生きる」と書いた僕ですが、その後も自分の物語、自分の想いを追求したい心を残していました。それは時々浮上してきては僕の人生に滞りを生み出してきました。だから今年の立春正月にひっくり返る必要があったのです。以下、「僕はひっくり返った」からの文章を引用します。

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1年前の僕には望みを追求したい心がありました。結果は委ねると言いながら、望みを追求していました。その態度は世界を望みの中に閉じ込めることになります。望みは世界を歪め出来事に一喜一憂する心を強めていきます。僕はひっくり返っていなかったのです。

それが分かっているから今は望みを追求しません。どんな望みが生まれようと気にしないようにしています。それは叶うこともあれば、叶わないこともある。どちらにしてもそのうち変化していきます。宇宙の本質は変化にあるのだから。


法則性を理解し、自分が・・・という心を超えていく。

その時展開される世界は自分の想像を超えていきます。想像を超えた流れを通して自分を見て、自分を知っていく。その時、広い世界の中に自分をしっかりと位置付けることが出来るのです。


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この道を歩く上で大切なのは、どれだけ自分を離れることが出来るかなのだと思っています。人はみんな自分の視点で世界を観て体験していきます。それがそれぞれの物語となり世界に彩りと多様性を与えていきます。ですが今、人々の物語はバラバラとなり分かり合えなくなっています。それは人々がすべての奥に流れる天の物語を忘れているからです。天の物語が糸(意図)となりすべての物語を束ねているのです。

自分の想い、望みを離れることで天の物語が見えてきます。そしてそこから世界を眺める時、自分を含めたすべての物語が繋がり分かり合えるのです。

イギリスのEU離脱の決定、アメリカでのトランプ大統領の誕生、そしてフランス大統領選挙でのルペン氏の台頭など。世界は今までの秩序が壊れる方向で動いています。分断が進む世界は一人ひとりが自分の想いを追求した結果であり、その姿勢が限界を迎えていることを教えてくれているのです。

それぞれが自分の都合を離れたら、そんな世界の姿が見え、その奥にあるメッセージを感じ取っていけるのです。

まなこいを経験し、オフィス障がい者の認定を受け、秋分にこのブログを立ち上げた2014年は特別な1年でした。「2+0+1+4=7」。「7」は「なる」。カタカムナでは質的転換を意味します。文字通り質的転換を遂げた僕は、2015年に飽和安定(8)し、2016年に転がり(9)出て、今年(2017年)統合(10)し新たに歩き始めています(1)。

自分が・・・という心を超えていく。

それは世界に向けて自分を解き放つということであり、一度達成したら終わりというものではなく常に心掛ける姿勢です。自我を持つ人間は常に「自分が・・・」という想いを浮上させます。その想いを感じながらも離れている。そしてすべてを世界に委ね行動していく。出来事を求めるのではなく出来事から自分を知っていく。今僕はそんなふうに生きています(^-^)


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