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自らの表現でみんなの世界を豊かにしていく。

自らの経験から


☆彡 ☆彡 ☆彡

常に意識を全体性に持っていく必要があります。
あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?
それが重要です。
個人的願望が全体性と共通していればいいのです。
例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。
個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、
全体性と個人は本来、共通していることなのです。
ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。

心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。
「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。

だから何より心を磨き続けることです。

そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。

それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

上記は昨年の7月、いさどんが僕に話してくれた言葉です。

最近、想いや願いについては、それを実現しようとすることが大切なのではないと思っています。
大切なのは、それを価値ある形で表現していくことなのだと思います。

想いが生じた時、ただそれを表現するだけでは、想いのままに生きているだけとなります。
ですが、それを超えた状態で表現する時、想いは必要に迫られたものではなくなります。

いらないを超えた世界。

そこに至った時、想いに翻弄されることなく、
世界を豊かにするために想いを表現していくことが出来るようになります。

自らの表現でみんなの世界を豊かにしていく。

そんなふうに生きていくために自らの価値を高めていこうと思っています。

人は想いを実現しようとすると、それに囚われて視野が狭くなっていきます。
その結果、未来を狭め、人は可能性を失っていくのだと思います。

昨年の僕は、願いを実現しようとし、視野を狭め、停滞していきました。
停滞しているということは、心磨きをさぼっているということです。
なぜなら、宇宙や自然は常に変化し続けていて、
その変化に身を委ねることが心磨きの本質だからです。

当時の僕には、それが分からず、自らの感情に囚われ、ますます停滞していきました。
そして、そのまま出口が見えない状態になり、限界に達する中でみんなに助けて貰いました。
※詳しくは「相応しいものになっていく」を参照して下さい。

あれから8ヵ月。そのころの教訓は今の自分の中で生きています。


憲法改正の話題から


安倍首相は19日、ネット討論で、憲法改正の意向について語りました。
安倍首相「次の国会から改憲議論」(東京新聞2016年6月20日) 

改憲の必要性を訴える安倍首相は、中国や北朝鮮など周辺国の脅威を感じているのですが、
平和のために軍備を増やす方向で視野が固定してしまっています。
安倍首相が描く未来は一つの可能性に過ぎないのですが、他の可能性を受け入れません。
そのため違う立場の人たちと分かり合うことがなかなかありません。

安倍首相は日本の平和のために未来を思い描き、軍備を拡張しようとしています。
そして、それに反対する動きが活発になり対立軸が生まれています。
そこには想いを実現しようとして囚われ、視野を狭めていく人間の姿が浮かんできます。

対立が生まれるこの延長線上には希望がありません。

平和を求めるならば、世界に平和をもたらす表現が必要です。
そして、そのためには平和な人格を育む必要があります。

天に変化を委ねる


人間は一人一人多種多様な視点を持ちますが、その視点は個人の知識に限定されます。
今まで多くの人々が、自分で何かを成し遂げようとして来ましたが、
その時、人は自らの限定された視点から行動することになります。
そしてその結果、この世界に矛盾や対立が生まれてきました。

自分で何かを成し遂げようとしても、これからの未来を切り拓くことは出来ません。
これから大切になるのは、天に意識を向け、委ねることです。

天に意識を向けることで人は全世界と繋がります。
その時、想いもよらない流れが生まれ、人々を繋ぎ合わせていきます。
天が人や世界を変化させていくのです。

今日は夏至。

2012年12月21日の銀河の冬至から3年半が経ちました。
それは大きな節目の時です。

これからどんどん世界に光が増していくことでしょう。
その光の中で、これから自らの表現で世界をどんどん豊かにしていきます(^-^)

6月18日(夏至3日前)のお昼の太陽です。







無意識の無意識による無意識のための意識

無意識の無意識による無意識のための意識。

これは昔、ユングやプロセスワークを学んでいた頃に自分に浮かんでいた言葉。
寝ている時に見る夢や言い間違いやしくじり行為。
無意識と呼ばれるこれらのものは自分が意図していないものです。
ですが、それも自分であり、そこには多くのメッセージが含まれているのです。
そういう意図していないものに開かれていようと思って、こんな言葉を掲げていました。

この意図していないことは、人との関係や世界で起きていることにまで広がっていきます。

人は自分に相応しい出来事に出会っていきます。
出会うこと、認識することすべてが自分を表しています。
つまりそれらも意図していない自分と言えるのです。
それらを通して知った自分こそが本当の自分で、
自分が変化する時には出会う出来事も変化していきます。
そして、それは頭(意識)で思い描くものではありません。
頭(意識)で変化を思い描いても、それは自分都合となり思い込みとなりがちです。

意図していないことに開かれていること。
そして、それを通して見える姿を自分として認めること。

そこからしか真の変化は生まれないのだと思います。

9月19日、安全保障関連法案が参議院本会議で可決されました。
以下の記事などに書かれているようにこれは始まりなのでしょう。

安保法案が成立 SEALDs奥田愛基さん「民主主義は終わらない、絶対あきらめねーぞ!」

中野晃一氏 スピーチ+コールSEALDs【戦争法案に反対する国会前抗議行動】

安保法案に集団違憲訴訟へ

納得できない現状に対して行動を起こす。
そのこと自体は大切な取り組みだと思います。

ですが、みんな意図していないことに開かれているのでしょうか?

世論の大多数が反対する中、安全保障法案が成立していく。

安全保障法案が成立したことで内閣の支持率が下がっていく。

これらのことは多くの国民や安倍政権にとって意図していないことです。
この意図していない出来事が今の日本、そして日本人一人一人を表しているのです。
その視点がない限り、今回の出来事はお互いの主張のぶつけ合いにしかなりません。

9月17日、参議院特別委員会で安全保障法案が可決された時、
与野党議員が入れ乱れた混乱が起こりました。
委員長席に飛び掛かった小西議員はその時のことをツイートしています。
 ※『小西洋之議員 飛びかかった理由を明かす』参照。

この出来事に対する木の花の子どもたちの反応やいさどんの話はともちゃんがFacebookでUPしてくれています。是非、読んでみて下さいね。※『全保障法案に対するいさどんの話など参照。

いろいろ言い分はあると思います。
ですが、お互いが自分の主張を通すことだけを考えて争っている姿は、
戦争と変わらないのではないでしょうか?

戦争を反対している人々が戦争と変わらない行動をしている。
そこに自分たちの実態が現れていて、
それが現実の戦争を生み出しているのではないでしょうか?

歴史社会学者の小熊英二さんは、
今回の出来事を「何かのはじまり」と表現していますが、
この自分たちの実態に目を向けない限り、
出会う出来事は変化しないのではないでしょうか?

作家の落合恵子さんは「新しい戦い」と表現していますが、
「戦う」心が真の平和を生み出すのでしょうか?

今の状態はただ「民主主義を勝ち取る」という物語に興奮しているだけなのかもしれません。
もしそうならば、この物語が成立するためには圧政者(安倍首相)が必要となります。
そして、この物語には「戦い」が伴うことになります。

自由や民主主義のために戦う。

もしあなたがこの物語にわくわくしているならば、争いは続いていくのではないでしょうか?

この想定があっているのかどうかは分かりません。
人の動機はいろいろだと思います。
ですが、現状がお互いに争っている状態であることに変わりはありません。

この状態を受けて自分と向き合っていくことで真の変化は生まれるのだと思います。

ちなみに今回の法改正が一番切実な問題となるのは沖縄です。
 ※『安保の現場とは、すなわち沖縄である。』参照。

在沖縄米軍の存在が日本の平和を守ってきた。

その事実にどれだけの人々が向き合っているのでしょうか?
沖縄の基地問題はずっと続いています。
9月21日、知事の翁長さんは国連人権理事会で演説をしています。
 ※『翁長雄志知事が国連で演説』参照。

様々な歪みがある現在の日本の安全保障。
それが日本、そして一人一人日本人の現れなのです。

ところで・・・

人民の人民による人民のための政治。

リンカーンによるこの言葉は民主主義の理念と言われています。
ですが、今の日本は、多くの人民が反対する法案が通っていく現実があります。

政府は人々の意向を無視して、自分たちが正しいと信じる政策を通していきます。

一方、普段の自分たちを観てみて下さい。

生きていると様々な意図していない出来事に出会います。
それらに心を開いているでしょうか?
それらを無視して自分が正しいと信じる行動を取っていないでしょうか?
また些細なことで人と言い争いをしていないでしょうか?

一人一人の行動と政治は繋がっています。
自分が信じる行動を貫く日常生活が今の政治を創っているのではないでしょうか?

人権宣言を生み出したアメリカ独立運動やフランス革命。
奴隷解放をもたらしたアメリカ南北戦争。

それらは人々に自分の意志を持つことの大切さを教えてくれました。
ですが、世界に平和をもたらすためにはそれだけでは不十分なのです。
なぜなら、それらの根底には自由のための「戦い」があり自己主張があるからです。

今、人々に求められているのは、行動による革命ではなく精神革命です。
「戦い」ではなく「調和」によって変化を生み出す革命です。
それには自分の意志により世界に心を開いていくことが求められているのです。

無意識の無意識による無意識のための意識。

宇宙や自然、世界や身近に起きる出来事に開かれている意識。

そんな意識へ向けて、一人一人が目覚めていく時代に来ています。
人にどう思われているかではなく現象そのものを観てその奥を感じていくのです。

9月19日~21日に開催された「宇宙おじさんの人生講座3:宇宙意識で生きる」では
そんな時代に必要とされる学びが提供されました。

そして、11月21日~23日に開催される大人サミット「地球会議 in 木の花ファミリー」では、そんな時代に向けた話し合いがなされます。それは精神革命が引き起こす次世代の「クニツクリ」の場となっていきます。大人サミットの主催文には以下のように書かれています(一部抜粋)。

人類は、地球生命を絶滅させる存在になるのか、それとも新たな時代をもたらせる存在になるのか。それは、私たち一人一人の生きていく姿勢や意識の広さにかかっています。
目覚めた人達が創る新しいクニ(地球)。大人サミットは、単なる会議ではなく精神革命が引き起こす次世代の「クニツクリ」の場です。地球・人類、そして個人がこれからの時代「どうあるべきか」、有志がこの場に集い語り合い今までとは違う次元のクニ(地球)をこの地から創造していきます。
これからの未来を本気で創り上げていく、固い石のような意志を持った参加者と共に次の時代のロールモデルとなる生き方を体現していきましょう!!





今、自分が暮らす木の花ファミリーから生まれようとしている時代の流れ。
その流れを担えるように自分自身も精神革命を遂げていく必要があります。

今日このブログを立ち上げて丸1年が経ちました。(2014年9月23日開設)。
そして、今日は秋分の日、昼夜の長さがほぼ同じになる中庸の日(こんな言い方は変かな?)。
そして、世界中どこから見ても太陽が真東から昇り真西に沈む日。

この節目の日に僕は一つの宣言をします。

無意識の無意識による無意識のための意識。

宇宙、自然、世界、社会、他者。

意図していないものに開かれ、その奥を感じ、意図していないもののために生きていきます!


秋分の日5時33分頃の空。雲の奥から光が。奥にあるものを意識するってことですね。


6時20分頃の空です。太陽が顔を出してくれました。




時代のうねりを感じる

8月が終わろうとしています。

終戦記念日(8月15日)のある8月。今年は戦後70周年です。
安倍首相による談話があり、テレビでも様々な特集番組が放送されていました。

木の花ファミリーでもこの8月、戦争の映像をいくつか観ました。
僕たちはそれを通して人間を知り、自分自身の心を見詰めていきました。
 ※「世界が僕を変える(2)」や「歴史が本当の変化を起こす転換期」を参照して下さい。

そして今、安全保障関連法案が参議院で審議され、国会前には法案に反対する人々が数多く集まっているようです。そんな中、昨日は坂本龍一さんがスピーチをしたようです。(全文はこちら

スピーチの中で坂本さんは「憲法の精神を取り戻すこの運動は『マグナ・カルタ』『フランス革命』に匹敵する」と述べています。そして、その言葉にみんな盛り上がります。

確かにそうなのかもしれません。ですが、イギリスが『マグナ・カルタ』を持ち、フランスが『フランス革命』を経験したヨーロッパにおいて第一次世界大戦、そして第二次世界大戦が起きているのです。

その事実をどう考えるのでしょうか?

僕は平和への願いはみんな共通していると思っています。安全保障関連法案は戦争法案と揶揄されることもありますが、安倍首相が戦争を願っているということはないと思います。

一人一人が平和を願いながら、それが実現しない。

そんな矛盾した状態を人間は生み出しているのではないでしょうか?

国会前に多くの人々が集まる熱気。一人一人がこの国について真剣に考えようとする姿勢。
そこに時代にうねりを感じます。
ですが、それだけでは真の平和が生まれることはないと思うのです。

一人一人、自分自身の心や日常生活を振り返ってみて下さい。
平和を願うあなたの心はいつも穏やかでしょうか?
他者の幸せを願っているでしょうか?
みんなと仲良く暮らしているでしょうか?

一人一人の心が集まり大きなうねりとなって社会を生み出しているのです。

毎年3万人近くの自殺者を生み出し、子どもや女性、老人を中心に貧困率が上昇している日本社会。精神疾患の患者も320万人と言われています。それが日本社会の実態です。

加えて、人類が大量のエネルギーを消費してきたことで、地球環境は疲弊し、気候変動により、スーパー台風、大干ばつ、集中豪雨など異常気象、そして大地震や火山の噴火などの天変地異が世界各地で起きています。

戦争だけではありません。

世界には今、たくさんの問題があり、それらは一人一人の心が生み出しているのです。

追究すべき対象は安倍首相でもSEADLsでもアメリカでも中国でも北朝鮮でもありません。
みんな自分自身を心を追求するべきなのです。

安全保障関連法案に反対し多くの人が国会前に集まりました。
それは大きなエネルギーです。

そのエネルギーが自分と向き合う方向に動いた時、この世界に真の平和が訪れる。

僕はそう確信しています。

広い世界観を持ち、個々の自我を超越すること。

この地球に真の平和をもたらすために出来ることはそれしかないと思っています。

8月最後になるこの投稿。地球談話を紹介することで締めくくりたいと思います。






「地球談話~真の平和を地球にもたらすには~」
2015.8.15

真の平和を地球にもたらすために、今わたしたちにできることは何でしょうか。それは広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。人間が自我の狭い枠に囚われている時、他者との違いによって他者に違和感を持つようになります。それが対立や争いの始まりです。しかし、わたしたちが存在しているこの世界は無限に広大な世界であり、そこは多様ないのちのネットワークで成り立っています。その調和のネットワークは、個を存在させるために全体があり、全体を存在させるために個がある相似形の仕組みによって成り立っているのです。
この世界の真実は、全てが一つということです。ですから、全てのものと自分自身との区別はないのです。このように人々の世界観が広がれば、平和な世界を創り上げようとしなくても、地球上に平和は自ずと訪れるものです。
日本の漢字に「働く」という文字があります。これは「労働」を意味します。しかし、真の意味は「傍(はた・他者)を楽(らく)」にすることです。働くことはある意味生きることですから、生きるとは自分を超えたネットワークの中で役割を果たし、他者のため、世の中のために生きることなのです。ですから、生きることは世界に平和をもたらすことになります。
ところが、今の世界は国なら国益、個人なら自身の利益を優先しているため、国家レベルの大きな戦争から個人レベルの小さな争いに至るまで、平和が保たれない状態になっているのです。それは人間の世界観が狭いことが原因です。対立や争いは、自我が優先された人間の姿勢から生まれてくるのです。
地球上の生命進化の歴史を観ると、過去6億年の間に6回大量絶滅が起きています。そしてその統計からすると、近い将来生命が絶滅する可能性があると言われています。過去から現在に至る地球生命の中で最も高い能力と大きな影響力を持つのが人間です。地球生命の頂点に立つ人間は、暴走することによって次の絶滅をもたらす可能性もあれば、絶滅の危機を超えてさらに進化した世界をもたらす可能性もあるのです。
21世紀に入り、わたしたちはいくつもの大いなる転換点を迎えています。太陽は天の川銀河を22600万年かけて1周し、その間に約9000回の螺旋を描きます。その1螺旋は25800年です。20121221日、25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、宇宙的には闇と争いの時代から光と調和の時代に入りました。さらに、冥王星は太陽のまわりを248年かけて1周します。2008年、冥王星の1周期を経て、ヨーロッパ産業革命以降250年間続いた西洋物質文明は終焉を迎えました。そして今、東洋精神文明が開花していく時代が始まったのです。
宇宙的には、すでに一人ひとりが目覚める段階に入っています。それゆえ、多くの人々は今までの価値観に疑問を感じ始めるようになり、新たな時代に向けての価値観が求められているのです。人類一人ひとりの精神革命が国を変え、そして世界を変えます。あなた自身が変わることが世界を変えることの始まりです。それは宇宙の意志であり、時代のサイクルの表れです。したがって、個人レベル・国家レベルそして地球規模で起きる全ての出来事も宇宙の意志であり、時代の流れの中にあるのです。そのように時代を読む捉え方は、わたしたちの個人的エゴからの解放と広い世界観を持つことによって可能となるのです。人類は肉体という物理的には小さな器の中にいたとしても、最終的には宇宙全てが自分自身であるという意識に到達することもできるのです。
21世紀中に人類はその意識レベルに到達することでしょう。それはこれからの1000年間で、物質的豊かさを追求する時代から、わたしたちの内面にある未開発の能力を開花させる時代へ移行していくということです。それを司るのがまだ使われていない人間の脳の90%です。わたしたちの内面に眠る未開発の能力が開花すれば、宇宙の意志・時代の流れを感受する直観が働き、地球にいながらにして宇宙を理解することが可能になるのです。そこでは宇宙を探査するテクノロジーの可能性は大いに広がることでしょう。新たな時代を生きるわたしたちは、近代的テクノロジーと物質的豊かさに加え、高い精神性とともに進化していくことができるのです。

21世紀はわたしたちが地球人として、さらに宇宙人としての意識を持ち、この世界に貢献していく時代の始まりです。今わたしたちは、次の地球生命の絶滅のきっかけをもたらすものになるのか、それとも新たな時代をもたらす存在となるのかの転換点を迎えています。そして、人類が次の時代が示す精神性を地球上に表現した時に、平和はもたらされることでしょう。

宇宙と共に人の本質を極めていく。

2015年8月15日。終戦記念日(戦後70周年)の朝は、太陽が輝き、地球が太陽の周りを運行していることを教えてくれました。そして、月は8月14日23時55分、終戦記念日の直前に新月となり、新しいサイクルで動き続けています。

昨日、安部首相による戦後70周年の談話が発表されました。

産業革命や資本主義の発達を背景に生まれた帝国主義の時代から現代までを振り返り、先の大戦を反省し、その教訓を生かし未来への提言をしていく。

そのような意図が談話にはあるのでしょうが、その振り返りは表面的なものとなってしまっています。人類の歴史の中で、戦争は繰り返され、今も中東やアフリカなどで紛争は続いています。その連鎖を止めるためには、人間の本質に迫り、争いを生み出す種(たね)を特定し、それを超えていく必要があるのではないでしょうか?日本がこれから本当の意味で世界の平和に貢献していくならば、先の大戦から振り返りを活かし、争いを生み出す人の本質を超えていく必要があると思うのです。

70周年談話はそのようなものにはなっていないと思います。起きた出来事を表面的に記述しているだけ、それは今までの人間の刺激と反応のパターンを示しているに過ぎません(「壊れる ~世界編~」も参照して下さい)。この世界に平和をもたらすためには、人間は今までのあり方を超えていく必要があるのではないでしょうか?

木の花ファミリーでは、そんな未来の人のあり方を探究し、人と人、人と自然が調和した暮らしを生み出して来ました。そんな僕らが今日、「地球談話」を発見しました。

広い世界観を持ち、個々の自我を超越すること。

真の平和を地球にもたらすために今、僕らに出来ることはそれだけなのです。

談話の中でも述べられていますが、冥王星は太陽の周りを248年かけて1周します。
それは安倍談話が考察の期間としている産業革命から現代までの期間とほぼ一致します。

冥王星は肉眼では見えない星で、太陽系の一番外に位置します。
それは太陽系が銀河系へと解き放たれる窓口ともいえ、究極の真理、悟りの境地を意味します。

見えないところで影響を与え続ける冥王星ですが、1930年に発見されています。
それは世界恐慌の翌年であり、この翌年、関東軍は満州事変を起こし侵略への道を進みます。

悟りに至るためには、人は自らの暗い側面を見つめ超えていく必要があります。
冥王星の発見が人々にそれを促し、心の中で処理出来ない人々が行動化した。
世界恐慌や満州事変、その後に続く日中戦争、太平洋戦争をそのように捉えることも出来るのではないでしょうか?

星々の運行も僕たちの生活に影響を及ぼしています。
太陽と冥王星の関係は、究極の真理を司り、それは大きな時代の流れを生み出しているのです。

悟りの境地については今まで主に宗教が探究してきました。
ですが、そこで説かれている悟りは、今の時代には古いものかもしれません。
そのことについて、昨日の大人ミーティングではいさどんを中心に以下のような話をしました。

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宗教は人々を救済するために解かれたもので、人生が罪もしくは苦しみであるという前提があります(仏教の四苦(生老病死)、キリスト教の原罪など)。そのため、そこで説かれる悟りにはその色が反映されています。

加えて、仏陀やキリストの時代はまだ人々は宇宙へ行くことがありませんでした。真理は宇宙法則の現れですが、それを知るための客観的データが今ほど充実していません。直観により宇宙を知ることが出来るのは事実ですが、客観的データが不足する分、その記述は限定的になります。

どんなに優れた教えでも、時代を反映し、時代の限定を受けたものです。
それを絶対視すると囚われとなり、真理を遠ざけます。
常に心をフリーにし、感情を離れて宇宙や世界をただただ記述していく。
そのことが大切であり、その先に悟りの境地はあるのです。

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悟りとは日常生活の中で実現するものであり、それは宗教だけの問題ではありません。
宗教と科学、生活と学問、思考と行動など。
悟りへとは、すべての垣根を取り払って、ただただ探究し続けるものであり、
時代と共に変化していくものです。

人々の心がそこに開かれた時、宇宙を感じ、星々と共に生きていけるようになるのでしょう。
その時、それぞれの違いは全体の中で活かされ、対立や争いは自然となくなり平和が実現するのではないでしょうか?

そんな未来に向けて、今日も太陽の光を浴び、蝉の声を聴きながら、生活していきます。




壊れる ~世界編~

それぞれの人がそれぞれの刺激と反応のパターンを抱えています。そして、それは一つのパッケージのようになっていて、一人一人の暮らしはそれに基づいて相応しく展開します。

壊れる」に書いたように、僕は先日、自分が壊れる経験をしました。
それは自分から抜け出し、上記のパッケージに気づくのにとてもよい機会となりました。

僕は常日頃から人に取り入ろうとしている。

その事実がとてもよく見えました。

取り入ろうとしている心の奥には思惑があります。

相手に自分を見て欲しいという思惑。自分を好きになって欲しいという思惑など。

それは自分の思うように相手を動かしたい気持ちと言ってもいいでしょう。

相手が自分を見てくれない時、そっけない態度を取られた時、
不満が生じたり、見返したいという気持ちが生じたりします。
こうなるとまるでコントロール合戦をしているようで、とても不毛で、とても変な感じがするのです。

こんなふうに変な感じになると、相手に取り入ろうとしている自分、
そしてその奥にある相手を思い通りにしたい心がよく見えてきます。

この相手を思い通りにしたい心ですが、
人との関係性が上手くいかない時にだけ生じるものではないのです。
この心は常日頃から自分の中にあります。

物事がスムーズに感じる時は、たまたま自分の思惑通りに進んでいるだけなのです。

そのことに気づきました。

僕はこの思惑に基づいて反応し、一喜一憂し、時々トラブルを起こしてきました。

これは一つのパッケージです。僕はこのパッケージを超えてこれからの生活を送ろうと思います。それが自分を超えるということであり、みんなと分かり合える客観的な心への道となるのです。

こんなふうに壊れることは認識を深める機会に繋がるのです。
そしてこれは国や社会についても同じことが言えるのではないでしょうか?

先日、戦後70年談話有識者懇談会の報告書が発表されました。今日(8月14日)、安倍総理はこの報告書に基づき70年談話を作成し、閣議決定する見通しとなっています。

報告書では、世界の帝国主義の流れから日本の日清日露戦争、満州事変、そして第二次世界大戦に至る過程の分析がなされ、その侵略行為を反省しています。以下、その内容を簡単に書いておきますね。

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ヨーロッパで帝国主義が生まれ侵略により勢力を拡大し自国の繁栄を求めていく時代が始まりました。それを支えたのがヨーロッパにおける技術革新です。技術革新がヨーロッパを優位な存在とし、他の地域は植民地となっていったのです。

この帝国主義ですが、民族自決の理念や第一次世界大戦の犠牲に対する反省からブレーキが掛かります。列強は、軍事的膨張を控え、経済的な行動に力を入れるようになります。国際協調の時代となります。

ですが、1929年アメリカで勃発した世界恐慌は日本の経済に大打撃を与えました。そのため日本は力による膨張を選んだのです。世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えることになります。このような選択をした日本の政府、軍の指導者の責任は重たいものです。

この経験からは5つの教訓が汲み取れます。


  1. 国際紛争は力によらず、平和的方法によって解決するという原則の確立
  2. 民主化の促進
  3. 自由貿易体制の大切さ
  4. 民族自決 ~すべての国が平等の権利と誇りを持って国際秩序に参加する~
  5. 途上国の経済発展への支援 ~貧困は紛争の原因となりやすい~

日本は上記の教訓を踏まえ、生まれ変わり、経済発展を遂げてきました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

上記の分析は当時の日本が受けた刺激とそれに対する反応の記述にはなっていますが、
その奥にある心まで分析することが出来ていません。
これでは戦争という「壊れる」体験を充分に生かせていないと思うのです。

帝国主義による勢力の拡大と戦後の経済発展。

この2つの奥には共通する心が見えます。

それは自らの欲望に基づいて拡張していく心です。

その心が今、経済破綻の危機や環境破壊の危機などを
世界にもたらしているのではないでしょうか?

冒頭に書いたように、それぞれの人がそれぞれの刺激に対する反応パターンをもちます。
それは多くの場合、自我(エゴ)に基づくものであり、自らの欲を求めます。

それが寄り集まることにより人々のコントロールを超えて、
戦争や格差、環境破壊へと繋がっていくのではないでしょうか?

ですが、人は自らの刺激と反応のパターンを超えていくことが出来ます。
(僕自身、まだ実現していませんが、そのことに対する確信はあります。)
そこには、すべての存在と共感できる感じ方、すべての存在を一つのまとめる心があって、
僕はそれを客観的な心と呼び、そんな心を育むことを心掛けています。

多くの人が客観的な心を育んだ時、きっとこの世界は地上天国となっていくのでしょう。
そんな未来を楽しみに毎日木の花ファミリーで生活をしています(^-^)

木の花ファミリーのみんな@川遊び



平和は調和の心から生まれる。

7月23日、24日と木の花ファミリーではカタカムナ研究会が開かれました。
 ※その様子はあわちゃんのウルルン木の花滞在記に掲載されています。
僕は研究会には参加していないのですが、23日の昼食を講師の芳賀さんと一緒にしました。

その時、地球暦が話題になり、芳賀さんは地球暦について以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

あれも数霊(かずだま)の一つだね。
時(トキ)の流れは一定のように思われているけれども、一人一人、その時その時違うんだよね。
楽しい時間が早く流れたり、退屈な時間はすごく長く感じたりするけれども、トキの流れが違うんだよね。「トキ」をカタカムナの単音で見ると、「ト」は統合で「キ」は発生。統合して発生することで「トキ」として動きだすのだけれども、そのためには満(ミツル)必要があるんだよね。ミツルことなく、動き出さない「トキ」もあって、それが流れに違いを生み出しています。

 カチカチカチカチカチカチ・・・・・
 カチ カチ カチ カチ ・ ・ ・ ・
 カッチ カッチ カッチ カッチ カッチ ・ ・ ・

こんなふうに「トキ」の流れが違ってくるのです。

地球暦は太陽を中心とした惑星の動きで客観的と言えますが、見る人の心で動きが変わります。そして、惑星自体、時々刻々と質量は変化し、動きは一定ではないのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そして今日、7月26日はマヤの新年、11MENです。
木の花ファミリーでは太陽マヤ族の活動に共鳴し、祈りの祭典を行いました(詳細はこちら)。
この祭典の中で、いさどんが挨拶をしたのですが、いさどんは「トキ」ということについて語っていました。以下、いさどんの言葉(あまり正確な記憶ではありませんが)を紹介しますね。

太陽の光(式典の最中)です。


☆彡 ☆彡 ☆彡

昔太平洋に存在したと言われているムー大陸。その高度に発達した文明は、言霊としてヤマトの国(日本)にカタカムナとして伝わりました。そして、「トキ」の秘密はマヤに伝わりました。マヤ暦は宇宙の流れを察知していて、その証として、2012年12月21日、銀河の冬至と同時に終了しています。冬至は最も暗い地点です。そこを通過した今、時代は光へ向かっています。
2012年12月21日 銀河の冬至に向けて、木の花ファミリーではカルマ読みなどを通して心を磨き、それを迎える準備をしていました。そして、2011年3月、東北大震災が起きた月に地球暦に出会い、昨年マヤにも出会いました。ヤマトとマヤの出会い。これは我々が意図していることではなく、時代に流れによるものです。

産業革命以降、人々は自我(エゴ)により社会を発展させてきました。これは人間が自らの可能性を発揮するという意味で必要なプロセスでした。ですが、自我(エゴ)による社会は様々な矛盾をもたらし行き詰まりを見せています。

「トキ」は今、大きなターニングポイントを迎えています。

平和は調和の中から生まれます。調和のない中で平和を求めても、それが一つの主張になり、新たなる争いを生み出すのです。調和を生み出すことが何よりも大切なのです。

一人一人が自我(エゴ)を超えて、みんなで調和に満ちた暮らし、阿吽(あうん)の暮らしを生み出していきましょう。そんな我々の暮らしが時代の先駆けとなります。

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芳賀さんの言うとおり、「トキ」の流れはそこに関わる人々によって変化するのかもしれません。銀河の冬至という大いなる流れも、それをどう捉えるかで「トキ」が満ちないこともあるのでしょう。だけれども、それはきっと変化に至るスピードの問題で時代の流れは確実に光の方へ向っているのでしょう。その流れを掴むことで主体的に楽しんでいきたいです。

今、時代は人間に自我(エゴ)を超えることを求めています。

SEALDsによる国会前での抗議デモをはじめとして、今、安全保障関連法案に対する反対運動が活発になっています。行動を起こすということは大切なことかもしれませんが、いさどんの言う通り、調和のない中で平和を求めても、それは一つの主張になってしまい、新たな争いを生み出すのではないでしょうか?

調和は一人一人が自我(エゴ)を超えた時に実現出来ます。一人一人が自我(エゴ)を超えた視点から判断出来ているかが重要になるのです。

安全保障関連法案に関しては、「安保法制について考える前に、絶対に知っておきたい8つのこと-伊勢崎賢治『戦場からの集団的自衛権入門』から」も興味深い記事でした。ここで述べられている8つのことを紹介しますね。


1、集団的自衛権の集団は「同盟国」のみを差し、同盟国はそれぞれの国益を行使している。

2、国際貢献の際、「お金だけでは駄目」というのは勘違い

3、イラク戦争の際、「Show the flag」という言葉が自衛隊インド洋派遣の原動力になったが、
  これは派兵を求めた言葉ではなく「旗幟を鮮明にしろ」と言っただけ。

4、安部内閣は集団的自衛権を行使しないとアメリカが助けてくれないと思っているが、
  それは勘違い。


5、アメリカは日本に自衛隊派遣を求めていない。

6、集団的自衛権の行使によりイスラム圏が持っている日本の良いイメージが壊れる。

7、今現在も自衛隊は命を失う危険がある活動をしている。

8、非武装の自衛隊による真の世界貢献をしていくことが大切。
  例えばアフガニスタンの国連軍事監視団を設け、その任務に日本が名乗りを挙げる。



戦場をリアルに知っているという伊勢崎氏による意見は説得力があり、安倍政権がいかにバカな選択をしているかが描かれています。安全保障関連法案に反対の人は、冷静な視点としてこの意見を積極的に取り入れるでしょう。ですが、僕はここに書かれていることも一つの可能性に過ぎないと思っています。いろいろな人の思惑の中で現実世界は動いていて、そんなに単純にことは運ばないと思うのです。この意見に賛同する時、どんな心から賛同しているのかを見てみるといいのではないかと思いました。

いさどんは安全保障関連法案について「すべての軍備を放棄して、日本の財政再建や世界各国の貧困をなくすことに繋げたい。仮に隣国が攻めてきたら、その国が日本を支配すればいい」と語ります(「いさどんのいただきます人生」参照)。大切なのは調和の心でその心を育む覚悟なのです。僕たち木の花ファミリーのメンバーはいさどんの言葉にみんな共鳴しています。それは自分を守ろうとする心の放棄であり、自我(エゴ)を超えていく試みだからです。そこに未来に必要な姿勢を感じているのです。

平和は調和の心から生まれます。

その視点からみんなが自分の心や行動を振り返ってみるといいのかなと思います。
そうすることで、「トキ」はきっとよりスムーズに流れます。

カッチ    カッチ    カッ

という状態から

カチ カチ カチ カチ ・ ・ ・ ・

という状態へ。


式典後みんなで撮った写真です。






見えないところに究極の真理がある

7月19日、木の花ファミリーでは月に一度の食事会「恵みいただきます」が開催され多くのお客さまを迎え豊かな時間を過ごしました(当日の様子はこちら)。

今回の「恵みいただきます」のメニュー。テーマは『こころ♡つながるアジアンごはん』でした。

そして7月18日~20日、「宇宙おじさんの人生講座2 人生地図を読む」も同時開催されていました。参加者のアンケートを見るとみんな充実した時間を過ごし、自分に対する認識を深めたようでした。

人生講座の初日、社会情勢のプレゼンがあり、大人ミーティングでは安全保障関連法案に対するいさどんの見解「あなたにも問われる」が読まれました。そして、いさどんは、今、宇宙に訪れている「トキ」について語りました(「あなたにも問われる 後編」参照)。
                                 
宇宙の「トキ」を感じる際、探査機「ニューホライズンズ」が撮影した冥王星の写真が送られてきているという事実はとても示唆に富んでいます(「冥王星の地表に氷の山脈」など参照)。

究極の真理(天)には心がある」にも書いているように、占星術や地球暦では、冥王星は、死と再生(破壊と創造)、究極の真理などを表します。そして、冥王星は肉眼では見えない星です。

見えないところに究極の真理があり、破壊と創造を司っているのです。

この冥王星は1930年に発見されました。その前年の1929年には世界恐慌が起き、その影響でファシズムが台頭し、世界は第2次世界大戦へ向けて進み始めていきます。究極の真理に向けて、まずは破壊が起きた。そんなふうに捉えることが出来るのではないかと思います。

そして、物理学は量子力学の時代に入っていきます。量子力学は、分子や原子、あるいはそれを構成する電子など力学を記述していきます。それはまさに見えない世界への探究と言えるでしょう。

そして今、探査機「ホライズンズ」によって冥王星の地表について新たな発見がもたらされています。それにより見えない世界への探求がそれだけ深まることが示唆されているのです。

今、この世界には様々な現象が起きていますが、それらはすべてプロセスであり、過去から未来へと続いていきます。そして、それを生み出しているのは、見えない世界、一人一人の心なのです。

例えば、安全保障関連法案ですが、先日、世論が反対する中、衆議院を通過しました。
これはとてもおかしな現象ですが、この現象は、2012年の衆議院選挙、そして昨年12月の衆議院解散総選挙での国民の選択が生み出しているのです。そして、その種は一人一人の心の中にあります。

経済成長という目先の利益を求める国民の心が安部政権を選びました。理由はそれだけかもしれません。ですが安倍首相は憲法改正を目指していて、安全保障に関して自衛隊の活動範囲を広げ、武器使用基準を緩和することは目に見えていました。つまり今の安全保障関連法案に反対ならば安部首相を選んではいけないのです。それなのに国民は安部首相を選んでおいて、今、批判をしています。とても自分勝手な国民の姿がそこにはあります。その利己心が現在の安全保障関連法案を巡る状況の種になっていて、それはその他、様々な社会問題にも言えることだと思います。

例えば、IS(イスラミックステート)について言えば、それはアメリカによるイラク戦争に遡りますが、イラク戦争の口実となった大量破壊兵器は見つかりませんでした。その奥には経済的理由が想定されていて、やはり利己心がもたらした戦争と言えるのです。

その他、東芝によって行われた不適切会計、ギリシアの財政危機を巡るEU内の対立、イランと6カ国により核協議の合意などもすべてプロセスであり、それに関わる一人一人の心がその現実を生み出しているのです。

なので、現象から宇宙の意志を知り、自分を知ることが大切になります。

 天と対話していく。

そのことにより見えないところにある究極の真理に近づいていくのでしょう。

冥王星はゴールではありません。
真理は太陽系の外にも開かれています。
より広い世界、銀河系、そして宇宙の果てへと広がっていくのです。

それは無限に続く旅。そこに心を開けば、その旅が僕らの心を育ててくれます。
そして、その育った心が豊な未来を生み出していくのです。

冒頭の「恵みいただきます」の料理はそんな豊かさの一つになっているかなと思っています。
来月は29日(土)に開催されますので、是非遊びに来て下さいね。


「恵みいただきます」終了後にみんなで撮った写真です。

そして、7月26日(土)はマヤ暦の新年11MENです。
太陽マヤ族の尊母ナー・キン氏は、イタリアのドロミティにて祈りの祭典を行います。
木の花ファミリーでは、同日午前10時より祈りを捧げる祭典を行います。
世界中のそれぞれの地で午前10時に祈りが捧げられる時、地球上に祈りのウェーブが巻き起こります。この祈りのウェーブに参加し、共に新しい時代の扉を開きませんか?
宇宙と共に生きていきましょう。 ※祭典の詳細はこちらをご覧ください。




天と対話していく。

心を磨いた結果出会うこと」に書いているように、僕には願いごとがあります。
その願いごとは個人の想いで叶えることではなくて、天の流れの中で叶っていくことなのだと思っています。なので、どうすれば叶うのかを想像することがまったく出来ません。

僕はとりあえず願いを置いておきます。そして、日々の生活を大切にしています。

天とは宇宙のこと。そして自分も宇宙の一部です。
ということは、自分の願望も、元を辿れば、天から与えられたものなのでしょう。
ではなぜ天は僕にその願望を与えているのでしょうか?
きっとそれを通して学び、心を育てることが求められているのだと思います。

なので、「叶わないから願いを捨てる」というのは違うと思います。
とはいえ、その願いに執着するのも違うと思います。

すべての出来事は自分に相応しく与えられています。
だから、願いを置いておいて、ただただ心を磨いていくことが大切なのでしょう。

それは天との対話なのだと思いました。
天から与えられた自分の願いごとや想いを通して、現実と向き合い、
その奥にある天に意思に気持ちを向けるのです。

結果を求めるのではなく、一つ一つのプロセスを楽しみ、
そこに天に意思を読み解いていくのです。
それがどんな未来を切り拓いていくのか?
それが自分の想像を超える出来事であることは間違えないでしょう。

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ところで、先日、安全保障関連法案が衆議院を通過しました。

安全保障関連法案に反対する学者の会SEALDsなどそれに反対する団体が活発に活動し、世論も反対が多数となっています(「《本社世論調査》内閣支持率急落35% 不支持51%」参照)。

多くの人が反対しているのに法案は成立していく。

そんなおかしな現象が起きているのです。

この法案については違憲という判断もあり手続き上の問題は多々あると思っています。
その問題を置いておけば、僕はこの法案について賛成でもなく反対でもありません。

大切なのは、真の平和を生み出すことであり、それは法案に対する賛成か反対かという2者択一の判断によるのではなく、その奥にある心がもたらすものなのではないでしょうか?

例えば、「戦争にNOを言う」ということが反対に理由に掲げられていますが、奥にある心が「外国のことはいいから自分の安全だけを守りたい」というものなら、それは新たな争いの火種になるのではないでしょうか?その利己的な姿勢は他者(外国)からの非難を生み出す可能性があるのです。

ならば、賛成すればよいかと言ったらそんなこともありません。今の世界には貧富の格差など構造的な問題が多々あり、その不満から戦闘が生まれています。それを武力で解決することは出来ないでしょう。法案に賛成すれば、そんな戦闘を支援することになり、それは不毛なものになりかねません。自分の利益を守る。そんな気持ちから戦闘が生まれているのです。

賛成、反対に注目するのは結果を求める心です。
そうではなく、今のプロセスを見極め、その奥にある天の心を感じることが大切だと思います。

僕は安全保障関連法案を巡る動きに時代のうねりを感じています。
天は僕らに大きな変化を求めています。

法案を進める人たちは、世論の反対に目を向けて、その現実から学ぶべきだと思います。
そして、反対運動をしている人たちは、反対しても法案が進んでいく現実から学んでいく必要があるのではないでしょうか?

どちらも天からのメッセージです。

一人一人の心の持ち方が違うからこのような現実が生まれているのではないでしょうか?

いさどんのいただきます人生「あなたにも問われる」の中で、いさ総理(いさどん)は「自分を守ろうとすることを放棄する」ように勧めています。

自分を守ろうとする心。

それは法案に賛成する人に中にも反対する人の中にもあるのではないでしょうか?
それが思い通りにならない現実を生み出し、時には争いに発展するのではないでしょうか?

自分を守ろうとする心を手放すこと。

僕は今の法案を巡るプロセスからそんな天のメッセージを感じています。

人間の力で意図的な現実を生み出す時、それに抵抗する力を生み出します。
人類はそんなふうに争いを生み出してきたのだと思います。

違う流れを生み出してみませんか?

願いや想いを置いておいて、ただただ心を磨いて、天と対話し流れを委ねる。

みんながそんな生き方をした時、この世界には人間の想像をはるかに超えた喜びが広がっていく。

僕は今、そんなふうに感じています。



見えない世界、そしてない世界を生きていく

宮ノ下広場にて

4月28日から5月1日までアウエハント静子さん(静ちゃん)と友人のモニカさんが木の花ファミリーを訪れました。2人が滞在中、なかなか天気に恵まれず富士山はずっと雲に隠れていたのですが、最終日の朝、その雄大な姿を見せてくれました。そこであわちゃんと一緒に2人を宮ノ下広場と大石寺下之坊へ案内することにしました。

当初は、ちょっと写真を撮るだけで移動していく予定でいたのですが、モニカさんの希望でしばらく宮ノ下広場で過ごすことになりました。そこで僕は草の中に寝転がっていました。



そんな僕に静ちゃんが語り掛けました。


あなたは今、雲の上で浮かんでいるんだよ。目を閉じて想像してみて。


僕は雲の上まで浮上しそのままそこで過ごしました。太陽がとても近くにあって僕は太陽の温かさを味わっていました。太陽のエネルギーは、口から僕の中に入ってきて、僕は太陽が僕の身体を創っていくのです。

僕は太陽であり太陽は僕なのです。

そんなことを感じていると静ちゃんが僕に声を掛けてきました。


今あなたが体験していることは本当のこと。本当のことよ。今の状態を充分に味わったら、ゆっくり身体の戻ってきてね。


僕はゆっくり地上に戻ってきてしばらく雲の上のいた時の余韻を味わいました。そしてその後、身体の声を聴きながらゆっくり立ち上がり動き始めました。





すると遠くで静ちゃんが手を振っているのが見えました。僕は彼女の方に歩いていき、握手をしハグをしました。






ここであらためて静ちゃんが僕に伝えます。


あなたが体験したことは本当のことだからね。あなたはこれからいつでもそこにいける。その世界はいつもこの世界と同時に存在しているのだから。毎日、少しの時間でもいいからその世界に行くようにしてね。


僕は頷きました。

その後、僕たちは大石寺下之坊へ移動しました。下之坊では今、藤の花がとてもきれいに咲いています。

大石寺下之坊の藤の花です。
藤の花がとても豊かに香っていました。僕はその香りにとても惹かれ、目を閉じて香りの世界に入っていきました。





そんな僕を見ていた静ちゃんが僕に語りかけました。


香りの世界を味わって。香りを身体全体に吸収してそしてそれを外に出していくの。


僕は彼女の言う通りにしました。そして香りの世界を楽しみました。

音が境界を越えて交わるように、香りも境界を越えていく。

そんなことを思いました。

「天然循環の暮らし(経済)」を書いた時、カタカムナで言う潜象界(ない世界)と宇宙が僕の中で繋がりました。宇宙は無限にエントロピーが増大する「ない世界」。それは3次元を超えて、現代、過去、未来を含め多次元に展開する世界。見えると同時に見えない。あると同時にない世界。そして、その宇宙が地球を生み出し、生命を生み出しています。

地球や生命。それらは目に見える存在ですが、同時に見えない存在でもあって、目を閉じた時にも豊かな世界が展開するのです。

水の流れる音に鶯(うぐいす)の囀り。そして、藤の花の香り。手に触れる大地の温もり。

目を閉じるとそれらの存在感が増してきます。目に見える世界と同時に音の世界、香りの世界、触覚の世界、そして心の世界が常に存在していて、この世界を彩っています。そして、それはきっと別の次元に開かれている。そんなふうに感じました。

視界から自由になる。

それが最近の僕のテーマになっていて、その時、静ちゃんと出会い、テーマ通りの体験をしました。とても面白く豊かな時間となりました。

ところで、「視界から自由になって大地に横になって空を飛ぶ」の中で、僕は安倍首相の米議会演説について触れました。僕は安倍首相の演説から悲壮感を感じたですが、この悲壮感はもしかしたら多くの人がそれぞれの人生の中で感じているのではないしょうか?

生きるためにはお金を稼ぐ必要がある。
お金を稼ぐためには好きでもない仕事でもする必要があるし、
他者との競争にも勝たなければならない。

僕は昔、上記のように思っていた時期がありましたが、こんなふうに思っていると、世界からゆとりや豊かさが失われていきます。きっと多くの人にとって世界はまだこのような場所で、安倍首相の演説はそれを反映していただけなのではないかと思えました。

もしそうだとしたならば、僕たちはなぜこのような世界を創り出してしまったのしょうか?
誰もそんな世界を望んではいないでしょう。

そこには多くの理由があるのでしょうが、その一つに「目に見える価値に囚われる」ということがあるのではないかと思うのです。目に見える価値を追い求めて、人々や国々は争っているのではないでしょうか?

でも本当の世界はもっと豊かで多様です。ない世界、見えない世界が同時に存在していて今を創っているのです。目に見える価値から自由になった時、濃密で豊かな世界が展開されていくのです。

そんな世界に向けて囚われから自由になる。

僕は木の花ファミリーで毎日、そのための実践をしているのです。


富士山をバックに静ちゃん(右)、モニカさん(左)と一緒に撮影。







視界から自由になって大地に横になって空を飛ぶ。

視界は世界に境界を生み出していく。

空に浮かぶ雲、そして空を飛ぶ鳥は、空から浮かび上がり別の存在として認識される。通常、それらは交じり合うことがない。

同じように、視界は、僕という存在も、他から独立した存在として浮かび上がらせる。視界は僕という人間に一つのフォルム(形・形状)を与える。僕はそのフォルムに基づいて決まった反応をしていく。視界は僕を一つの形に縛り付ける。

目を閉じて、心を澄ますと、周囲の音が身体に中に入ってくる。水の流れる音、鳥のさえずり、風の音。それらはすべて僕の身体の中で交じり合う。音は境界を越えていく。

目を閉じて近くのものを触れてみる。触れるものに境界はなく僕と繋がっている。

人の視線が気になる時がある。どう見られるのかが気になる。他者からの視点により、僕の意識は僕の姿や形に向い無駄なエネルギーを使う。

視界はたくさんの情報をくれる。生活の多くは視界に頼っているのは事実で、しかも視界は時に感動も与えてくれる。例えば、先日の「恵みいただきます」で蕎麦を調理しているやじーは超かっこよくて感動的だった(「あわちゃんのうるるん木の花滞在記:恵みいただきます(超人編)」参照)。でも、視界は情報や感動を与えてくれると同時に僕の一つ形に縛り付けていく。

そして僕は決まった反応パターンに組み込まれていく。僕は枠に覆われていく。

宮ノ下広場で横になっています。
そこから自由でありたくて、僕は身体を動かす。例えば、ぐるぐる回る。そして大地の上に寝転がる。身体に意識を向けて身体が動きたいと思う動きをしてみる。それが変な動きだったとしても。人の目を気にせずに。そんなふうにして決まった反応パターンから自由になっていく。これはずっとずっと続く取り組み。

ぐるぐる回って螺旋を描いて最終的にはきっと空を飛ぶ。

だから「空飛ぶぞ!」って呟いてみる(^-^)



なんてことを思って日々を過ごしています。

ところで今、4月29日(現地時間)に行われたアメリカ連邦議会上下両院会議における安倍総理大臣の演説が話題になっています。この演説の最後で安倍総理は「希望」という言葉を使っていますが、正直読んでいて悲壮感を感じてしまいました。

アメリカと一緒に経済成長を目指して軍備を拡張しなければ、日本は大変なことになる。

感じたのはそんな悲壮感です。

環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を通して経済成長をして、自衛隊と米軍に強力で軍備を拡張していく。

要するに演説ではそういうことを言っているわけですが、そこに希望はあるのでしょうか?

僕が感じたのは悲壮感です。

そうは言っても、北朝鮮の脅威に加えて、中国は今、南シナ海の南沙諸島で埋め立てを続け、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立されたし、軍事面でも経済面でも影響力を拡大しようとしている。そして尖閣諸島の問題もある。韓国では反日感情が見られ竹島の問題も抱えている。実際に大変な状況なんだよ。

こんなふうに言う人もいるかもしれません。それはそうかもしれません。でも、これは決まった反応パターンだと思うのです。集めた情報に反応しているだけなのではないでしょうか?

そもそも平和のために軍隊を持つなんておかしいことです。そのおかしいことを互いにしているから脅威がどんどん増しているのでしょう。

目を閉じて耳を澄ましてみませんか?きっと違う世界が見えるはずです。

国益を守るなんて当たり前過ぎる行動で、それはお決まりの反応パターンです。空を飛んで全体を俯瞰したならば、以下のような事実が見えるはずです。


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私たちは宇宙を旅する地球という星の上に生きています。そして、私たちは一つの太陽・一つの大地・一つの水・一つの空気・一つの風のもとに生きています。なによりも私たちは時代を共有して生きています。つまり、私たちは一つのいのちの兄弟であり、天然循環の中で地球という一つのいのちの一部を担っているのです。このように、私たちは人智をはるかに超えた大いなる宇宙の仕組みの元に生かされています。


※木の花ファミリーブログ「東洋の叡智が花開く時代~雑誌 世界建築」より

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私たちは一つのいのちの兄弟。それは日本とアメリカだけではなくて、中国や韓国、すべての国々が当て嵌まります。だから悲壮感なんて持つ必要はなくて、アメリカとだけ特別に仲良くする必要もないのです。

世界が一つになる。そのことを邪魔しているのはお決まりのパターンです。

だからまずは僕がそのパターンを超え続けます。

そうだから、「空飛ぶぞ!」って呟くのです(^-^)






人々が再生していく場所

4月12日の統一地方選挙。上野竜太郎さんはニートとして千葉市議会に立候補し、1399票獲得したそうです(BLOGSより)。15人中12位。定数の10位以内には入れなかったものの善戦と言え、ネット上では健闘を讃える声が挙がっているようです。選挙は上野さんにとって立ち直るきっかけとなったようでTwitterで以下のようなツイートをしています。

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今回の経験を通して「社会のゴミ」はリサイクルされ、少しマシになったようです。このペラペラの再生紙が、今後平凡な社会人として皆さまの社会に少しでも貢献出来れば幸いです。

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最近の大人ミーティングでも「ごみ」という言葉が話題になっていました。木の花ファミリーメンバーも一人一人癖があり世間では「ごみ」のような存在だったと言えます。ですが、この暮らしの中でリサイクルされ、個性が輝き世の為人の為に生き始めているのです。

ちなみに「ごみ」という言葉は「護美(ごみ)」とも書けます。「ごみ」がどこから生まれるかというと、例えば大量生産による無駄から生まれています。つまり無駄になっている状態が「ごみ」と言えるのではないでしょうか?それらが生かされ好循環が生まれる時、「護美(ごみ)」となってこの世界の美しさを護るものとなっていくのでしょう。

加えてカタカムナの単音思念も見てみます。「こみ」は「満ちて転がり出る」。潜象界(ない世界)から美しく転がり出たもの。そこに濁点(余計なもの)が加わることで、「ごみ」となっているのです。ということは、余分なものをそぎ落とし本来の姿に戻る時、再び美しい「こみ」となっていくのです。

共に生き、共に語り合う木の花ファミリーは人々にそのような変化をもたらします。その暮らしはメンバーだけでなく一般の人々にも開かれていて、多くのゲストの方がここで自分を知り、成長していきます。その中でも特に、うつ病や統合失調症など心身の病や偏った生活習慣などの問題を抱える方々を受け入れる自然療法プログラム(通称:ケア)では今まで様々な奇跡が起きています。

お腹に顔を描いてみんなを楽しませてくれるわけあり女さん。
もう僕の後頭部をこすることもありません。

その奇跡の事例の一つ、わけあり女さんは先日、木の花ファミリーでの滞在1年を迎え、みんなに手紙を読んでくれました(木の花ファミリーブログ参照)。木の花に来る前は、具体が悪く近所の精神障がい者向けのデイサービスにさえ行けない状態だった彼女が、今や塾の講師として立派に働いています。そして、ここに来た当初は座っている僕の後頭部をよくすっていたお腹は見違えるほどスリムになっています。

そして、あわちゃんは自らの経験を生かし、人と人が繋がるイベントを企画しています(詳細はこちらを参照)。

こんなふうに多くのケア卒業生が、「こみ」、「護美」となって自らの存在を輝かせているのです。


ケア卒業生にメンバーが送る寄せ書きです。
ところで、自然療法プログラムでは、ケア滞在者には同室で寝泊まりをするケアサポーターがつきます。僕は今まで9名のケア滞在者のケアサポーターをしてきました。そのうちの一人、しゅうくんは今、木の花ファミリーで長期滞在し自分の新たな可能性を探しています。こんなふうにケアを卒業した人たちと共に暮らし成長し合えることが嬉しいです。

ケアサポーターの経験はとても貴重なもので自分に多くの学びを与えてくれました。自然療法プログラムでは、ケア滞在者本人の自発的な成長を大切にしています。そのためケアサポーターには、良い悪いの評価を外してただ相手のことを想い、観察し続けて見える景色を伝え続けることが求められます。それは簡単なことではなく、この過程で自分の様々な癖に気づかされます。なかなか行動に移さない相手にいらだったり、なんとかしたいと思って過度に関わってしまったり。ケア滞在者はサポーターの鏡となって、その姿を映し出してくれるのです。そしてそれはその時その時のサポーターにとって必要な学びとなっています。

例えば僕は、2011年1月から10月まで、統合失調症のSくんとサポーターとして共に過ごしました。Sくんは荷物の整理をすることが出来ず、部屋中にいろいろなものを散らかしていました(6畳間の2/3は彼のスペースになっていました)。物を収集する癖があり必要のないものを次から次へとカバンに入れ部屋に持ち込んでいました。常に大きな荷物を持って動き周り田んぼ作業に行くだけのはずなのに、まるでどこかへ2~3泊で旅行に行くようでした。どんどん物を増やして整理をすることが苦手なSくん。僕が片づけようとすると勝手にいじるなと怒ります。話しをしながら一つ一ついらないことを納得させて整理をしていく必要があります。そんな状態だったので、朝1時間、夜2時間はSくんの荷物の整理などに付き合う時間となっていました。そんな感じで過ごしていると、Sくんが目を覚ますと僕も目を覚ましたり、見当たらなくなった時には、どこにいったかなんとなく分かるようになってきました。相手にどうなって欲しいとかそういう思惑を持たずにただ一緒にいて想いを寄せる。Sくんを通してそういう精神状態を体験することが出来ました。

Sくんと出会った2011年は農事組法人木の花ファミリーを設立した年でもあり、自分の能力向上が大きなテーマになっていました。積極的に仕事を増やしていき、どんどん自分の可能性を広げていました(「世界のお金がみんなのお金になるように」参照)。僕は僕の物語を生きていて、その流れの中でSくんとも出会い学びを深めました。自分の物語をしっかり生きる。それを通して僕は自分を成長させ、そして再生させていたのだと思います。この学びは当時の僕にとって本当に必要なものでした。

ですが今の僕の学びはもっと違うものになっています。なぜなら僕は今、個人の物語を必要としていないからです。時々、それが顔を出すこともありますが、常にそれを超えていくことを目指しています。

天の物語を生きる。

今はただそれだけです。なので、ケア滞在者との関係も、そこからの学びも変化しています。それは僕個人より木の花全体、そして社会全体を意識したものとなっています。

ニュースを見ると、介護・保育・障がい者福祉サービスの統合という話題が報じられています(産経ニュースより)。一般社会でそれを実現しようとすると、制度や資格など様々な縛りがあるのでしょうが、木の花ファミリーでは生活の中でそれが実現しています。「世話する/世話される」という関係ではなく、すべての人が対等な立場で共に学びあっているのです(あわちゃんブログ木の花ファミリーブログもお読みください)。この事実が社会に与えるインパクトはとても大きなものがあるでしょう。そのことを意識して日々の出来事を大切にして学びを深めているのです。

木の花ファミリーは日々、人々が個性豊かな姿で再生していく場所です。その生活を是非、体験しに来て下さいね。これからの多くの出会いを楽しみにしています。


【イベントの紹介】

この投稿でも触れているように、木の花ファミリーの自然療法プログラムでは、病院で治らないと言われた人々が自らの力で回復していきます。それはなぜか?5月17日、そのナゾを解き明かす出張木の花塾が千葉県の船橋にて開催されます!自然療法プログラム卒業生も参加します。現代医療の限界を突破するヒント、ここにあり。病気を持つ人も持たない人も、どうぞお越しください!
出張木の花塾@船橋  欝も統合失調症もプレゼント 〜 奇跡の自然療法プログラム〜』





コミュニティの仏陀 ~個性豊かな人々の集まり~

今年は戦後70年ということで安倍首相は終戦記念日に談話を発表する予定です。その談話について、伊勢神宮を参拝した安倍首相は、年頭の記者会見で、「(戦後50年の)村山談話を含め歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいく」と表明しました。(Yahooニュース参照)

村山談話は、戦後50周年(1995年)の終戦記念日に出されたもので、日本の戦争責任を認め、それを反省し謝意を表明しています。そして、独善的なナショナリズムを排し、唯一の被爆国として世界平和に貢献していくことを誓うものとなっています。

天皇陛下も新年の感想で、先の戦争が満州事変(日本陸軍による南満州鉄道の爆破)から始まっていることに触れ、歴史から学ぶことの重要性を伝えています。(「天皇陛下のご感想」平成27年

一人一人が、歴史から人間の闇を学び、平和な社会へと繋げていくことが大切なのです。

ところで、木の花ファミリーでは1月4日(日)、サンデーモーニングの特集「”群衆”と戦後70年」をみんなで観て、みんなで語り合いました。この時話し合った内容については、みかちゃんBLOGに上手に書かれているので、そちらをお読みください。

群集心理の時代から個々の目覚めの時代へ -宇宙の秘密みかこのブログ

ここでは少し違う視点を提供出来たらと思います。

l  在日コリアンに対するヘイトスピーチ(日本)
l  イラクやシリアで勢力を拡大するイスラム国(80ヶ国 15,000人以上が参加)
l  民主的選挙を求めてデモを続けた香港の学生(最大10万人以上集まる)
l  スコットランドの独立運動(イギリス)
l  カタルーニャ地方の独立運動(スペイン)
l  極右勢力による移民排斥デモ(ドイツ)
l  白人警官による黒人射殺をきっかけにした黒人デモ(アメリカ)


今、世界各地で群衆の動きが頻発しています。この番組では、群衆の動きから、現代の世界や日本で起きている様々な問題~環境問題、貧富の格差、地域紛争など~について考えていました。

群衆については『群衆心理』(著者:ル・ボン)を参照し、以下の9つの特徴を掲げています。

(1)感染する (2)過激に走りやすい (3)衝動的である (4)暗示に弱い
(5)時に高い徳性を示す (6)国民も群衆化する (7)反復・断言に弱い
(8)群衆は同一化する (9)群衆は服従する

市民革命を経て、民主主義が浸透していく中で、群衆が歴史を動かす時代となっていきます。ですが、その心理はいまだ未熟であり、同調の心理が働き、指導者に服従する状態となっています。それは今の社会の混迷を生み出している要因の一つでしょう。

群衆は群衆心理を超えた集団になる必要があるのです。


デカルトのこの言葉により、人(精神)は、身体(物質)を自分から切り離し、分析対象とするようになります。そして近代科学が生まれ、物質生活を豊かにしましたが、精神は荒廃していきます。身体との繋がりを失った精神は世界との繋がりを失ってしまったのです。そして世界とは神そのものだから、神の存在も見失うことになります。ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で「神は死んだ。私たちが殺した」と語ります。そして、その後時代が下り、虚無や人間疎外などの言葉も生まれるようになります。この状態が群衆の心理にも影響しているのだと思います。世界との繋がりを失った人々は、不安定なため同調し服従する必要があるのです。

自らの身体感覚を取り戻し、天に心を向ける。

それにより世界との繋がりを取り戻し人は安定します。安定した人と人との繋がりが、新しい集団を生み出すのです。コミュニティの仏陀を目指す木の花ファミリーは、日々そうなることを心掛けていますが、まだまだ足りない状態にあります。日々の暮らしの中で、考えずに他人と同調すること、誰も意見を言わずに場が固まってしまうこともあります。

では、どうすればよいのでしょうか?

一度、木の花ファミリーを離れ戻ってきたかとけんは、以前と比べて、重たい場でも自由に発言が出来るようになっています。何が変わってきたのか?かとけんは以下のように話してくれました。

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かとけん(大町ビレッジにて)
自分はもう固まるだけ固まった。もうこれ以上それをする必要はない。一昨年の10月、木の花ファミリーを離れた時は、自分はもう終わったと思った。どん底の体験をした。あの頃は、意識が全部、自分に行っていた。なんとかしようとしてもどうすることも出来なかった。でも今は違う。場が固まっている時でも、この場を面白く展開するためのシナリオが自然と湧いてくる。気持ちが内にこもらずに、とてもフリーな状態。自分に囚われなくなっている。

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かとけんはどん底を知ることで余計なプライドを手放したのだと思いました。そして、自分に対する囚われが弱まり自由になっているのでしょう。デカルトの「コギト(我思う)」は人間を世界から切り離すだけでなく、自意識過剰な状態ももたらしたのかもしれません。それを克服することも大切な要素なのだと思いました。

※かとけんはファミリー通信Vol.79に登場しています。是非、こちらもお読みください。


さて、1月4日は帰省していて木の花ファミリーにいないメンバーも多くいました。そこで、昨晩あらためて「”群衆”と戦後70年」をみんなで観ました。以下はその後のいさどんの話です。

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今の時代になぜ群衆心理について考える必要があるのでしょうか?例えば、コマーシャルを観て下さい。それは完全にマインドコントロールの手段となっています。コマーシャルにはメッセージが巧妙に入っているのです。美しい映像、例えば、幸せな家庭の映像が流れます。そこではみんなが笑顔で楽しそうにしています。それを観ていると、家を買いましょうということが言われます。ローンを組みましょうと勧誘が始まります。ローンは一生の話。一生、お金に縛られるようになります。お金を使いましょう。お金を使って幸せになりましょう。次から次へとそのようなメッセージが流れてきます。テレビを観ていて思考が停止している状態では、誘導されてしまいます。そこに何の罪も感じないでしょう。僕たちはここにいて、今の経済や環境問題について理解しています。テレビで魅力的な商品が紹介されていたとしても、それが世界に与える影響を知っています。だから、自分の心をコントロールしています。今日、花祭りの練習を観ていて、あらためてここの暮らしの豊かさを感じました。この生活は世の中の流れに翻弄されていません。独自の歩みを続けています。他にこのような場所はないのではないでしょうか?

安倍総理は年頭所感で、「輝かしい日本を取り戻す」と述べています。まだ経済成長を夢見ているのです。今は厳しい時代です。環境破壊は深刻で、生活を根本的に変えなければならない時が来ています。文明周期説で見ても今は大きな変化の時です。それは一人一人が自分で考え、人間の尊厳を考えて生きて行く時代で、価値観は完全に変わります。その時、木の花ファミリーの暮らしはデータとなって新しいモデルとなっていることでしょう。

それを思う時、胸を張って生きていけます。これから先この暮らしはもっと大事となるでしょう。その自覚を持って日々を過ごしていくことです。自分の価値を自分で創っていきましょう。

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それを聴いたともちゃんは以下のように言いました。

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ともちゃん@出航祈念祭(2014年11月)

今の人たちは、自分の頭で思考して変になっています。頭の使う位置が違うのだと思います。直観が大切です。そして謙虚であることが大切なのだと思います。今朝、いさどんは「僕には、他人や世界を変えることは出来ない。自分は無力なもの。無力だからこそ、天意を顕していける」と話してくれました。無力であることを誰よりも知っているから謙虚で深く学んでいくのだなと思いました。過去に悟りを啓いた人たちは個人で悟りを啓きました。個人で悟ることはその人の枠の中で出来ることであり、個人の努力の問題です。私は個人では悟ることは出来ないと思ったのです。でも、コミュニティの仏陀を目指すならば、みんなと一緒に悟るのならば出来ると思いました。足りないところを助け合って、一つを表現していく。そういうことをこれからやっていくのです。

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戦後70周年。冒頭の安倍首相や天皇陛下の言葉は、一人一人が謙虚に振り返ることの大切さを伝えています。ですが、安部首相は同時に「経済を最優先にする」と述べ、「輝かしい日本を取り戻す」とも述べています。そして、先の衆議院選挙でも多くの政党が経済成長について触れていました。政治家たちの意識転換はまだまだ遠い状態にあるようです。僕たちは先に時代の流れにのり変化していきます。

群衆は同一化し一人一人の個性が生かされません。これからの集団は、お互いに助け合い、一人一人の個性が充分に活かされるものとなるでしょう。一人一人が正直に自分の気持ちを出し、素直に相手の言葉を受け取ります。そして、すべては善きことのためにあると信じます。出来事を謙虚にいただき、その意味するところを考えていきます。その実践に積み重ねる中で、自分への関心を弱め、他人や世界に気持ちを向けていけるようになるでしょう。その先にきっとコミュニティの仏陀が立ち顕れます。そんな未来が楽しみです(^-^)




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