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覚悟・さとって自由に転がり出る


ぼくたちは
とても大それたことをしているんだよ。

大それたということは、
恐れ多くも、ということを言っているのではなく、
非常に重要で誇らしい生き方をしているということなんだよ。

いずれ、
人々が到達すべきことを
先に知ってしまうということは、
まわりにはまだ知らない人がたくさんいるということなのだから、
孤独にもなる。

しかし、
世界観が広ければ、
そのカラクリがわかっているのだから、
たとえどのような無理解に出会ったとしても、
やり続けることができるんだよ。

時代を切り開いていくことが
使命だとわかっていたらね。

そうやって
世の中は開かれていくし、
惑星の動きや時代もそれを後押ししていくんだよ。

そこで、
そのようになっていくから
放っておけばなるのかといったら、
必ずそのようになるときには
ぼくたちの生きる現象世界では、
誰かがそれを受けて示すことが必要になる。


それを示すものたちは
どのような意識であるのかというと、
星の意志や時代の流れを
受け取れるものであるわけだ。

それが高い意識であり、
天とつながることだよ。

しかし、
その役割を受けたものであっても、
役割を怠っていたら、
代わりは他にもいるということでもある。

星のサイクルのように、
時代の流れのように、
時は刻んでいく。

木の花は、
確実に時代の意志を受けている。

なぜなら、
それを提唱している僕がそういう人だから。

そして、
それに共鳴した人たちと共に
歩んでいるのだから。

だから、
わからないからわかりたいとか、
こういった立場に立ちたいとか、
自我に囚われることは禁物だよ。

星の意志や時代の流れを受け取るものとして、
そこでは明快な覚悟があるからこそ、
時代の意志(天)と共に歩めるんだよ。



☆彡 ☆彡 ☆彡

上記は3年前の夏、夜道を歩きながらジイジ(当時はいさどん)がみちよちゃんに語った言葉です。昨晩、大人ミーティングでジイジの話を聴いていたら、この話を思い出しました。

僕ら木の花ファミリーメンバーは星の意志や時代に流れを受けて生きている。

その自負があるからこそ、自我を超えて空っぽになって星の意志や時代の流れの器となっていくのです。そしてその答えは現実の中でいただき続けます。

明快な覚悟をもって歩む。

覚悟をカタカムナでみると以下のようになります。

宇宙最極小微粒子である「カ」。「カ」は宇宙の内外を問わず普遍的に存在している潜態エネルギーですが、その「カ」が自由に(ク)極限を超えて転がり出ていく(コ)状態。これは現象化、何かを実現する力と言えます。

そして漢字で見ると、「覚」も「悟」も「さとり」という意味です。「さとり」は「差取り」。自他の区別を超えて一つになっていく。あなたはわたし。わたしはあなた。そんな世界の表現となります。

一人ひとりの人間が持つ思惑や感情はこの世界に表面的な「差」を生み出します。それぞれの立場や性格の違いによって別々のものを求めるようになります。ですが、その奥ではすべての存在が繋がり合っています。思惑や感情を超えることで、世界とひとつになること、それが覚悟を持つことであり、そのトキ、時代の流れの現象化を担えるのです。

人類の歴史は繰り返しとも言えます。各国は思惑でもって近づいたり離れてりしていますが思惑が時代を動かすことはありません。それは空に浮かぶ雲のようなもの。発生したり消えたり形を変えたりしますが、雲を生み出しているのは大気であり、そこには太陽の働きかけがあります。

トランプ大統領と金正恩氏との世紀の会談。お互いの思惑によって成り立ったものですが、その奥には時代の流れがあります。それを感じ取り現象化を担えるように。

明快な覚悟をもって歩みます。


今の社会は自分の未熟を表している(2)

以下、3年前の大人ミーティングでのジイジの言葉です。

☆彡 ☆彡 ☆彡


物事の捉え方はたくさんあってね。

善意で捉えようと思ったら、
この世界にある全てのことは、
善意になるんだよ。

ただ、
人にはそれを善意で捉える力がないだけなんだよ。

宇宙は全て善意でできている。

なぜかというと、
宇宙は調和でできているから。

調和は、
悪意では保てない。

調和は、
善意によってしか、
成り立たない。

だから、
物事を善意で捉えられないときには、
自分が未熟だと思わないといけない。

そこを悪意で捉えるということは、
自分を観ないで、
悪意は相手から来ると思っているのだけど、
悪意は、
自らの未熟さから生まれるものなんだよ。

だから、
自分が言っていることは全て、
自分自身を表しているんだよ。

そこに気付かないと、
自らを改めることはできないね。

人間というものは、
必ず自分の都合の良いように
答えを求めようとするんだよ。

だから、
自分の本心があっても、
そういった人たちは「けど」「でも」と言って、
本心と違う行動を取るんだよ。

そのカラクリをわかって、
自分自身に修正の目を向けられるようになったら、
人は成長できる!

そのためには、
自らの想いをどんどん外に出していって、
まわりからフィードバックをもらい、
客観的な視点を育てていくことが大切だね。




☆彡 ☆彡 ☆彡

昨日、米朝首脳会談が行われ包括的な合意文章に署名がされました。これは平和へ向けての動きと言えますが、その一方でトランプ大統領はイランとの核合意を破棄し、イスラエルの米大使館をエルサレムへ移動しています。これは中東情勢を不安定にする行為であり、ヨーロッパ諸国との関係も悪化しています。

また先日行われたG7サミットでは、トランプ大統領は一度纏まった合意文書(コミュニケ)への承認を撤回し、海のプラスチックごみを減らす数値目標を盛り込んだ文書への署名も拒否しています。海のプラスチックごみは近年深刻な問題として話題となっていますが、アメリカそして日本は署名を拒否し、後ろ向きな姿勢を示しているのです。

滅茶苦茶な状態で、そこに善意があるようには見えません。

そこに自らの未熟さを見る。

ジイジの言葉はそういう姿勢へと導いています。

米朝首脳会談の様子を見ながら、僕は昨年の秋分の日にジイジがケア滞在者に語った以下の言葉を思い出していました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

理屈っぽい人は理屈で先に結論を出す傾向がありますが、それは良くないことです。そうすると「あなたはなんでそんなふうに断定するの」となって人間関係が壊れていく原因にもなりえます。結果は常に現象をもって判断する必要があります。大事なのは常に努力していくことで結果はいただくものです。やってみること。試すことは必須です。理屈をこねる人は、結果を想定し、そこに持っていこうとするのだから、それは傲慢とも言えるのです。いただく姿勢が大事です。

人に対しては、相手の行動をあなたの理屈の中で分析しようとしています。分析してはいけません。相手には相手の好き嫌い、モードがあります。理屈なしで生きていきたい人もいるし、理屈抜きでやり取りをする必要がある場面もあります。それを無視すると、相手があなたを避けて通るという現象になって表れます。相手を感じて相手に合わせて接していく必要があります。そういうことは、相手の目線を意識するとだんだん分かるようになります。人にはそれぞれ生きてきた経緯があります。それを理解することです。これは無理に合わせるということではなく、人はそれぞれ違うということを理解し、それを踏まえて行動することが大切なのです。

あなたは「どうせ理屈で分かり合えないのだからいいや」と言いますが、そこに投げやりな姿勢を感じます。その状態だとお互いに嫌な感情を残します。どういう結論が出るにしてもその場の出来事を完熟させ、しこりのない状態にする必要があるのです。違いがあるならば、お互いの違いを認め合って終わりにする必要があります。

ところが、あなたの場合、自分の理屈を通そうとする結果、勝ち負けになる傾向があるのです。相手に理屈で勝とうとしています。それは、トランプ大統領と金正恩氏と一緒です。2人はお互いに、相手を否定して自分を立てようとしています。それをとことんしようとしてどんどんエスカレートしているのが今の状態です。今まで、アメリカの大統領はそれをしなかったから北朝鮮を育てたとも言えます。だから悪いことばかりではないのかもしれませんが、あまりにも過激になると取返しがつかないことにもなりかねません。そこで理性、人としても道が問われるのです。しこりがないように完熟させる必要があります。そのために相手を理解し、自分を手放す姿勢が必要となるのです。


宇宙を生きる」より

☆彡 ☆彡 ☆彡

当時、核実験やミサイル発射を繰り返す金正恩氏のことをトランプ大統領は「ロケットマン」と揶揄し、お互い舌戦を繰り広げていました。それが昨日、お互いに握手を交わしました。その握手の背後にはお互いの思惑が渦巻いているのですが、一つのしこりが消えてなくなる可能性が生まれました。それを単純に喜べないのは、その一方でイランやパレスチナに新たなしこりを生み出し続けているからです。

そこに自らの未熟を見ます。

自らを分けると書く「自分」は、世界から際立ち「自分の」想いや感情を重視しますが、そこから他者と分かり合えない未熟が生まれます。それは絶え間なく続くプロセスであり、この世界には常に未熟が生まれ続けます。ですが、ヒトには自分を手放す道が与えられています。道を歩むことで、ヒトは生まれ続ける未熟を手放し続けることが出来るのです。

トランプ大統領と金正恩氏の握手はそれぞれの思惑の中でなされたものです。だから別のところであらたなしこりを生み出します。ですが、お互いに自分を手放したトキになされる握手はすべてのしこりを消し去ります。今、世界に求められているのはそのような握手であり、それは一人ひとりの日常の中で表現していくものです。

今の社会は自分の未熟を表しています。

その未熟は絶え間なく生まれ続けるもので、だから僕はその未熟を超え続け、そしてその先に表現される世界を見ていこうと思っています。

木の花ファミリーのみんな(心学堂ツアーの人たちと)

一人ひとりの認識がこの世界を創っている。

三角エコビレッジ・サイハテ坂井勇貴さんが以下の問いを発しているのを目にしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人間らしさを学び、育む場としての村づくりやコミュニティ作りは今後ますます求められていきますが……あなたにとって『人間らしさ』とはなんでしょう?コメントお待ちしています!

☆彡 ☆彡 ☆彡

それに対して僕は以下のように答えました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

仏陀がすべてが繋がり合うこの世界の中で「天上天下唯我独尊」と語ったのは、自分が消えたら認識が消え去るから。これは認識に価値を置いた言葉で、人間を人間にしている人間らしさは「認識」にあると思っています。

だけれども、人間の認識は自分の身体や経験に縛られていて、そのままではこの世界の真実の姿を観ることが出来ません。だから心を磨いて自我を手放し自分の視点を超えていくことが大切なのだと思っています。


自分の思惑や感情を手放し目の前の出来事に心を開き、そこから学ぶトキ、変化は自ずから起きて、そして自ずから成長していきます。自分の想像を超えた自分と出会うことが出来ます。

多くのヒトが共に暮らすコミュニティは多くの視点が混じり合うことで自分の視点を超えるようにと導いてくれます。その先にあるのは、この世界の実相への認識。それは無限の深みがあるもので、探求しても探求してもきりがなくて、いつも自分の想像を超えてきて、面白く面白くて仕方がないものなのです。

長くなりましたが、思うことを書かせていただきました。
読んでくれてありがとうございます。


☆彡 ☆彡 ☆彡

一人ひとりの認識がこの世界を創っている。

今はそう確信しています。だからこそ認識には価値があり、仏陀は「天上天下唯我独尊」と語っているのです。ですが今、多くの人の認識は、エゴから生まれる欲や不安、恐怖に染まっていてバラバラになっています。バラバラの認識が世界に反映されて、戦争や紛争、孤立や分断となって表れているのです。

だから今、大切なのは人々が共通の認識を得ることです。そのためには自らを囚われから解放し、現象の奥へと探求を深めていく必要があるのです。

本来、ニュースや報道はそのような視点を提供するものなのだと思います。誰の立場にも立たずに客観的視点から出来事を紡いでいくトキ、そこからその奥を感じられるようになります。それは探求の入り口となるのです。ですが、今のニュースは国や団体などの立場からの視点を提供しています。それはそれぞれの立場の視点を強め、分断を助長する結果となって表れています。

そしてコマーシャルは、大量消費社会の中、人々の欲望を刺激しています。これも人々の囚われを強化することに繋がります。

それぞれの視点に対する囚われが強化され、そしてその表れとして社会は混乱していきます。それは一人ひとりの認識が生み出していることです。

だから認識を新たにすればいいのです。ただこれは何でも自分の思い通りになるということではありません。

この世界を平和だ

そう思い込めば平和になる。そんな簡単な話ではありません。思い込みと認識は違います。何かを実現しようとして願ってもそれは認識とは違うものです。認識とは恵みであり恵みとは認識です。そしてそれは出来事をいただくことで「頂き」が「増し」、視野が広がっていくものなのです。ジイジは恵みと認識について以下のように語っています。

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「恵み」とは生きることそのもの。人間は何かを貰った時やご利益を得た時に「恵み」と考える傾向がありますが、人は生きることにより物事を認識していきます。その認識こそ「恵み」です。先にこの世界があり、自分という個性が組み合わさります。一人一人個性的な眼鏡でこの世界を認識していきます。人間は他の生命とは違い自由が与えられ、自己実現の願望を持ちます。そして広い視野を持ち尊く生きることも出来るし、狭い視野に陥り地獄を生きることも出来るのです。それらすべてが恵みです。



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広い視野は尊い生き方に繋がり、狭い視野は地獄へと繋がっていきます。自分の思惑や感情を超えて出来事をそのままいただくことで視野は広がっていきます。その開かれた視野がすべての存在を繋げ、この世界に調和をもたらしていくのです。

この世界は一人ひとりの認識が創っています。

だから自らの認識を広げることによりこの世界に実相に向けて深めていく。そしてそれをみんなに共有することは世界平和に向けての力強い取り組みです。なぜなら、この世界の実相は一つで、そこではすべてのものが調和しているからです。

蓮池の花が咲き始めています。


奥の心を探求することでゴミがなくなっていく

昨晩の大人ミーティングでは、クローズアップ現代「あなたの隣もごみマンション!?現役世代に広がる”孤立”」を観ました。この番組について、ジイジは以前、以下のように語っています。

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今の社会では人付き合いが表面的になっていて、番組に出ている人たちはそれでよい評価を得たりしている。だけれども実体、人としての成長は伴っていないから、実体を表すように部屋がゴミ屋敷になっていく。今の社会ではお酒や性に溺れる人たちがいるが、それも同じこと。表面を取り繕ってもどうにもならない実際の人間性がゴミ屋敷やお酒に表されている。社会、人間性の崩壊は潜在的にはここまで進んでいるということでこれは深刻な問題。番組では孤立をクローズアップしていてコミュニケーションの大切さを訴えているけれども、孤立の奥には人間性の未熟があってこれは小手先でどうこうなる問題ではない。一人ひとりが自分の人間性に向き合い向上していくことが大切で、その方法がみんなで共に暮らすこの暮らしの中にある。だから本当にこの暮らしはこれから必要になってくる。


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この世界に表されることはすべて人間性の表れです。心の中にゴミがあるからこそ「ごみマンション」がその姿を表してくれているのです。そして、今日の大人ミーティングであらためて心に残った言葉は、「自然界にはごみはない」という言葉です。なぜ自然界にごみがないのかと言ったら、すべてが繋がり循環し生かされているからで、人間の世界にごみがあるのは、分断が進むことによって生かされず無駄になるものが発生しているからです。それは心の中も同様で人との繋がりがないまま自分の想いに浸っていると、無駄な思考や感情がたくさん発生し、それが心の中のゴミとなっていくのです。

「自分が・・・」という意識や「自分の・・・」という意識が強まることでこの世界に分断を広げてきましたが、その分断は一人ひとりの内面にも起きていて、自分の嫌な部分、受け入れたくない部分は心のゴミとなり、人生のトラブルとなって表れます。

ごみマンションは今の社会、そして一人ひとりの心を表しています。だからごみマンションの解決に一番大切なのは自分自身と向き合うことなのです。

話しは変わって。

今、日大アメリカンフットボール選手によるラフプレーが社会問題となっていますが、そのことについてジイジは以下のように語りました。

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みんな行為を見て善悪で裁きたがっているが、本当に大切なのはその行為の奥にある心を見ていくこと。奥にある心を感じるトキ、それが何だったのかを本当の意味で理解出来る。

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奥の心を見ていく。

それは事件の当事者の心の奥を推察するだけでなく、善悪で裁こうとするトキの奥の心を見ていくことも大切になります。行為を善悪で裁こうとするトキ、その奥にある自分の心はどんな心なのか、そのことを常に観察していくことが大切です。

ごみマンションに象徴されるように、今、多くのヒトの心の奥にはゴミがあります。そのゴミとは、無駄な思考や自分の受け入れたくない部分であり、そうすると自分に対する理解は自分都合で表面的なものとなります。他者に対する理解も自分都合で表面的となり、自分の受け入れたくないものを他者に見て裁いている。行為を見て善悪で裁く心の奥にはそんな心を感じます。もちろんそうではない場合もあるのでしょうが。

自分に対する探求を深めれば深めるほど、心の中のゴミはなくなっていきます。そしてこの世界は心の反映だから、心のゴミがなくなれば、この世界からもゴミがなくなっていきます。起きた出来事の奥の心を探ると深いところで理解し合えて、それは次へと繋がる学びとなります。すべての出来事が生かされていく。つまりは経験の中にゴミがなくなっていくということです。

奥の心を見ていくこと。

それはきっとこの世界からゴミをなくす取り組みとなり、その先にはきっとすべての存在が繋がり生かされる世界があります。だから僕は木の花ファミリーのみんなと現象の奥の心を探るよう心掛けています。


木の花ファミリーの暮らしの一コマです。




人生とは場創りである(2)

今日、5月20日で木の花ファミリーに移住して丸9年となりました。これから10年目の日々を送ります。「10」はカタカムナで統合・悟り、そして「10」は「1+0=1」で新たなる旅の始まりでもあります。木の花ファミリーで暮らした9年間を一つの気づきとして昇華させ、これから一つ次元の上がった旅が始まります。

木の花ファミリーに移住して丸5年となった2014年5月20日、僕はみんなに対して「場創りをしたくない」と宣言をしました(「まなこいから11ヶ月」を参照)。そんな僕が今年の2月、「人生とは場創りである」と語るようになりました。場創りをしなければ生きる意味がないのです。

自分の希望や願望で動くのではなく、場を大切にすることで自分の価値を高めること。そうすると思いもよらない出来事に出会い感動し、当初の願望はどうでもよくなっていきます。それがこの9年で僕が得た気づきです。

これから新たな旅が始まりますが、その前日の夜、木の花ファミリーのみんなと「モアナと伝説の海」を観ました。この映画については以前、「天下泰平ブログ/モアナと伝説の海、そしてスサノヲ」で読んでいて心に残っていました。以下、少し文章を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡


「モアナと伝説の海」は、もともとはポリネシアに伝わる神話をモチーフにしたようですが、その内容はいくつも日本の神話を感じさせる物語であり、特にメインに感じた神様は「スサノヲ」でした。

荒ぶる神、スサノヲ。

国生み神話の神である父神イザナギと母神イザナミ。

イザナギから生まれた三神のうち、アマテラスは高天原を、ツキヨミは滄海原を、そしてスサノヲは大海原を治めることを任されました。

スサノヲ=海の神=ポセイドンでもあり、日本神話にしろギリシャ神話にしろ、インドの神からユダヤの神に至るまで、世界神話には何かしらの共通性があります。

モアナでは、風と海を治める半神半人として「マウイ」という人物が出てきますが、彼はおそらくスサノヲがモデルだと思います。

荒ぶる神であるマウイは、この世界を作った女神の心を盗み、無人島へと1000年間も幽閉されていました。

女神の心がなくなった世界は、闇に覆われ、世界が破滅する危機を迎えます。

この辺りは、アマテラスの岩戸隠れを連想をさせる展開です。

またマウイが神であるためのアイテムとして「釣り針」が登場しますが、これもまたスサノヲの象徴である「剣」を連想させるものであり、やはりマウイ=スサノヲを強く感じさせます。

物語の中で最重要人物(神)となっているのが、この世界を創った女神テ・フィティ

本来の姿は、横たわった女性の島ですが、心をマウイ(スサノヲ)に盗まれたことで、悪魔の神テ・カァへと変貌し、心を探し求めて荒れ狂っています。

まるで、地から溢れるマグマの神。それこそ、ハワイ島のキラウエア火山に鎮座する火の女神ペレそのものであり、おそらくは悪魔の神テ・カァのモデルはペレかと思います。

火の悪魔、火の女神に挑むのが、水の神に選ばれた主人公のモアナ。

クライマックスでは、モアナが海を割るシーンがあり、海の底を歩いていきますが、これは完全に旧約聖書に登場するユダヤ人モーセの姿そのもの。

最終的に水の神と火の神の陰陽統合によって、心を取り戻して本来の創造の女神テ・フィティに戻り、世界も平和を取り戻しますが、水の神セオリツヒメの時代や陰陽統合の時代背景も考えると、かなり奥が深い映画のように感じます。

☆彡 ☆彡 ☆彡

5月3日、いさどんがジイジとなった時にハワイ島のキラウエア火山の噴火が始まりました。5月17日にも爆発的噴火が起き、今も被害が広がっています。そのタイミングでこの映画を観ることに意味をみかちゃんの言葉で確認しました。

この物語では、マウイが女神の心を盗むことからこの世の闇が始まりますが、マウイは人間に火を与えた存在でもあり、女神の心も人間の欲望を満たすために盗んだのです。つまり人間が自らの我欲を追い求めることが女神から「心」を奪うこととなり、結果、この世界に闇が広がっているのです。それは現代社会の姿と重なります。

闇が広がる中、モアナは海から選ばれます。それはモアナという存在を超えた大いなる流れ、意志の導きです。モアナは一度、それを放棄しますが、自らの意志で再びそれを選びます。それはマウイも同様で、大いなる意志の導きを自らの意志で選ぶこと。そこに生きることの意味があるように感じました。

この映画を観た後、ジイジは、男神アマテラスやセオリツヒメの復活について語りましたが、それは宇宙の大いなる流れの中にあります。その流れの中でそれぞれに与えられた使命、それを感じ、自らの意志でそれを選ぶことで未来の扉は開かれます。

自らの使命。それはきっと、自らの希望や願望ではなく、場を大切にし自らの価値を高めることで自ずから見えてきます。だから僕は、これからも場創りを大切にしていこうと思っています。

木の花ファミリーのみんな@田楽祭田植え祭り


価値あるものとして自分の想いを表現する

昨日、5152049分に牡牛座新月となり、そして今日、516020分に天王星が牡牛座に移動しました。2011312日から続いた天王星牡羊座時代が今日終わりました。牡羊座は12星座の始まり、自分自身の原点を表す星座です。そこに革命の星、天王星が7年間働き掛けていました。その最終日の昨日は新月、新月はリセットを表します。そのタイミングで僕は自分自身の原点の革命、リセットの確認をしました。それは2015102日の大人ミーティングです。この時の僕は人生最大の課題に翻弄され壊れかけていました。そして疲れて投げやりになり大人ミーティングでコメントを求められてもそれを断っていました。そんな僕に対してジイジ(当時はいさどん)は以下のように語りました。

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話すことがないというのはあなたの都合であって、そのあなたの都合が全体にどんなものをもたらすのか?そういうことを自分で感じてコントロールする段階に行かないといけません。今、自分にはまっているからそういうことを言っているわけだけれども、全体性というものを大事に考えていたら、そういうことは言わないはずです。

今のあなたの状態は定期的に起きてくるもの。定期的に起きてくるならば、今はそこのポイントのところに向う良いチャンスだと思うが、それをやらないといつまでも超えることは出来ません。今、何をやれという具体的なことは何も言いません。ですが、あなたのその姿勢では問題です。きちんと向き合い超えていく。それが覚悟というものです。一人一人が自分と向き合ってみんなで場を創っていくのです。そういうことをしないと次のビジョンは実現出来ないのです。

日頃、自分が安定している時に極めていこうという志と、一度何か滞って、自分から見て自分自身の印象が悪い時の開き直り、そして、やる気のなさがあなたの場合、極端になっています。ですが、それは本当は逆なのです。日頃の時ももちろん大事ですが、自分がやる気がなくなった時に自分と向き合う。そこが一番のポイントです。

日頃、一生懸命に積み上げていたものが、その状態だとある瞬間に全部ぶち壊してしまいます。このあなたの本質が変わっていないのは、覚悟を決めてそこに向き合っていないからです。

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こんな話がされている時、みちよちゃんは以下のオーロビルのマザーの言葉を訳していたそうです。

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The Mantras of Bliss and Transformation !

Are you ready to change yourself completely? 
You will have to throw off your ideas,ideals,values,interests,and opinions.
Everything will have to be learnt anew.
If you are ready for all this,then take aplunge;
otherwise don't try to step in.


至福と変容のマントラ

完全にあなたを変化させる準備ができていますか?
あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。
全ては新しいものとして学ぶべきことです。
もしあなたがこうした全てに準備ができていたら、飛び込んで。 
さもなければ、それには踏み込もうとしないことです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

その言葉はまさに当時の僕に向けられた言葉で、この言葉を受けて、ジイジは以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕があなたに伝えていることは、決してあなたに不愉快を与えるものではありません。どれ程の想いを込めて、そして願って、あなたの追い風になろうとしているか。そういうことが分かったら、今の状態でいる自分が、いかに恥ずかしいことで申し訳ないことであるかに気づくでしょう。

「あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。」というマザーの言葉。それは自我を捨てて、天のままに生きるということです。僕は昔、それを天のマリオネットと表現しました。でも、その考えは今は変わっています。昔、夜、外に出て上を見て、月が出ていれば月、星が出ていれば星、曇っていたら、その上に星や月を想像して語っていました。

「神さま、私はあなたの意志に沿うものです。」

そうすると、そういうことを語っていた時、その間違いに気付きました。「あなたの意志に沿うものです」ということは、あなたという意志があって、そして、それを受けている自分がいるということです。でもよく考えてみたら、あなたという意志はわたしに表れています。だから、本当のそれが通じた時に、私の意志はあなたそのものなのです。

あなたはわたし、わたしはあなた。

その時、「神さま」とそこに気持ちを向けたり、「あなたの意志」というようにそこに特定を持った時に、すでに自分、自我を成立させているのだと気づいたのです。

まわりてめくる。

すべては新しい出来事として学ぶべきことです。常に新鮮で新しい毎日が来るわけですから。

これを世間の価値観で生きる人たちはなんだろう?と思うかもしれませんが、すべての人が行きつく先はそこなのです。まだ社会がそこまで熟していない時に、我々が先駆けとしてこれをやっています。その構造が分かるならば、本当にそのことの貴重さ、尊さ、有難さを思って、あっさり一目散にそこに向かうでしょう。

なかのんはブログで立派なことを書いています。今の状態でそれを書くことは、偽物を書いて罪を犯しているような話で、それは自分の価値をどんどん落としているのです。でも、だからブログを書くなということではないのです。ブログに相応しいものになるとしたら、そんな状態でいるはずはないのです。

そこは僕のためではなく、あなたの価値を上げるということと、世の中の為にあなたに目覚めて欲しいと僕は願っています。

そして価値あるものとしてあなたのいろいろな思いが表現されていく世界を実現しなければなりません。愚かしいところで、目覚めない状態で自分の願いを叶えるということは、自分にとっても世界にとっても何もいいことはありません。そこを分かるということだと思います。

我々は何をするかというと、僕と同じような話をみんなにしろって言っているのではないのです。「みんなで」という気持ちで暮らし、それを人々に見てもらいたいのです。こんな素晴らしい世界がいっぱいに広がって欲しいから、人々に見て欲しいのですよ。たったそれだけです。

それは日常、みんなが気持ちよく「さーと」心が通っていって、「ああこれだったんだね。これがやりたかったんだね。」そういうことを言葉ではなく空気を感じて、「神さまの目的はこういう世界だったんだ」と理解することです。

これはとても身近にあって、アカデミックでもなんでもありません。哲学とか立派な話でもなんでもありません。

「あぁ、いい空気だね。」
「こういうところに生涯身を置きたいね。」
「こういう生き方を自信を持って、安心の場所でやりたいね。」

そう感じたら誰だって出来るんですよ。

僕はこういう話をしばらく避けてきましたが、みんなが僕の気持ちに共鳴するならば、僕からどんどん発信されて、「そうだね、そうだったね。」となるんだったら、いくらでも話す価値があるなと思うのです。

でも待ちの姿勢で話を聴いて、良い話だったねとなって後で忘れていくならば、僕もジレンマを感じてしまいます。みんなで良い響きを生み出していく。そんなふうでありたいです。

なので、お願いだから、人の心を調整するような時間をこの場に持ち込まないで下さい。自分の心は自分で調整して下さい。もうそういう段階です。それでも、残念ながら、充分に果たせなかった時に、それを投げやりにならないで、表に出して、みんなにそれを正す方法を請うて下さい。自分に実力がないのですから。

そして、みんなに助けてもらって、心から「ありがとうございます」と言って進んで下さい。そうしたら、あなたの未熟も「良い場創りに役だったね。」ということになります。

みんなが他者のことを思い合う。そういう心の表現に繋がるのですから。

だから未熟でもいいのです。本当にみんなに託していく。そういう場創りが大切です。そしてそういう場はいつでも表現出来るのです。道を難しい道だと思わないでください。


☆彡 ☆彡 ☆彡

今思うのは、やる気がなくなった時というのは、自分にとって都合の悪いことが浮上している時であり、そこに向き合うことが変革へと繋がるのです。壊れていく自分を見ていく。そして向き合っていくことで自分の原点にメスを入れ自分を変えていけるのです。

ですが僕はなかなかその作業をすることが出来ませんでした。そんな僕についてジイジは「往生際が悪い、覚悟が出来ていない、自分に執着している」と表現していましたが、まさにその通りで、僕はずっと自分の感情に執着をしていたのです。自分の奥から湧き上がる情動、自分と向き合いながらも最後の最後でそれに従うことを選んできました。ですが、本当の自分は情動の奥にいるのです。情動は自分から自由を奪うものでありその奥へ行くことで初めて目覚めることが出来ます。自分の感情に執着していた当時の僕はそのことに気づいていませんでした。だから努力をしていても最後の最後でその努力をぶち壊してきたのです。今はその構造が見えています。

2015102日、僕は自分自身の感情に翻弄されることで自分の努力をぶち壊しました。それは本当にひどい状態でした。そんな僕にジイジが語る言葉により僕は自らの愚かさに気づきました。それから僕はやる気がなくなった時、壊れていく自分を見てきました。それは自分の原点にメスを入れる作業であり、これからもずっと続けていくことです。

そして天王星は牡牛座に移動しました。牡牛座は五感の美しさ、豊かさを表現する星座です。これからそこに革命を起こしていきます。それは高い志の下、価値あるものとして自分のいろいろな想いを表現することできっと実現します。「みんなで」という気持ちで豊かさを表現していこうと思っています(^-^)


木の花ファミリーのみんな@田楽祭田植え祭り

「定め」とは変化し続けるということ

5月7日の大人ミーティングでは、ジイジブログ「線路は続くよ天までも」がシェアされました。そこでは人間の自由について以下のように表現されています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人間は、人生を30%の定めのもとに生まれてきます。そして残る70%は、自由が与えられています。その70%の自由によって、自ら落ちていくものもいます。
30%は、この世界を生きる上で、自分の力ではどうにも変えることのできない宿命です。それはいただくものです。その30%を、徹底して生きればいいのです。ところが人間は、70%の自由にばかり心を奪われ、30%を忘れてしまうのです。そうすると、自らの存在価値すら失い、取り返しのつかないところまで進んでしまうのです。
70%の自由を正しく使えるか、間違って使うかについては、それぞれの個性の違いはありますが、仕組みは皆同じ条件です。正しく使えない者は、それにふさわしい痛みを与えられます。そこでの痛みは、救済です。その救済の手に乗れば、痛みを学習として、正しく進むことができます。一方、70%の自由を正しく使う者は、現象として痛みをもらいません。痛みが伴わないことにより、進んでいる方向の正しさを確認していきます。痛みを伴わないと、人は奢って「これでいいのだ」と自我を増幅させるものですが、どんなに正しい道を歩んでいても、常に「これは天のご意向だ」という心があれば、ずっと痛みや問題ごとなく歩んでいけるのです。

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人生の30%は定め。そのことについて大人ミーティングでジイジは以下のように語りました。

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定めの30%は「1・2・3(ヒフミ)」。人間の基本です。動物ではなく人間として生かされている。人間は水や空気、食べ物がないと生きることが出来ないとても不自由な存在です。いろいろな制約があります。その事実にしっかりと向き合うことが人間を正しい方向へと導き、70%の自由へと生かされていくのです。

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30%の定めは人間の基本、そして「定めはいただくもの」とも述べられています。この「いただく」ということについて別の場所でジイジ(当時はいさどん)は以下のように述べています。

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宇宙は、常に変化することで成り立っています。波動が高いところでどんどんどんどん変化すること ─── それが活性化です。人間が自我を持ち、欲を持つと、変化しないことを求めるようになります。何かに囚われ、現状を守ろうとするのです。しかしその自我の欲が満たされても、人間は成長しません。むしろ、その欲に支配されて、不自由に生きることになるのです。
けれども、人間が自らを手放し、自分から解放することにより、自我の枠から離れることができます。この、自分自身を手放すことを、シヴァのはたらきと言います。シヴァとは、破壊の神の物理性です。宇宙は、この世界をどんどん変化させていきます。それは、無限の宇宙の中で、トキ軸を柱にし、常に先へ先へと、未知なるところに向かって旅し続けているということです。それが生命の宿命であり、宇宙を生きる上で正常な状態なのです。その中で、私たち人間も、自らの価値観を絶対とするのではなく、宇宙が変化していく流れをいただいていく。「いただく」ということは、古いものを捨てるということです。

宇宙を生きるとは、どういうことでしょうか。それは、自分を手放すということです。ところが、現状に執着する人にとっては、それは苦痛となります。そして宇宙の流れに逆らってでも、現状を保とうとするのです。そうすると、宇宙はその人に問題ごとを与えます。それは宇宙の法則からのメッセージです。そしてそれが、神様が私たちに与えてくれている、愛です。あなたを捨てなさい。そして私と共にありなさい


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「いただく」ということは、古いものを捨てるということ

定めとは変えることの出来ない宿命。その宿命とは変化し続けるということです。その事実を受け入れること。そして出会う出来事に応じて変幻自在に自分を表現すること。それが本当の自由で、主体は常に「世界」の側にあります。

そして定めの30%は「1・2・3(ヒフミ)」で人間の基本です。その言葉から思い出すのは、「ひふみの法則」。以下、そのことを説明した文章を引用します。

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宇宙には天が意図した「ひふみの法則」というものがあります。
無意識に統合の時代を生きていた時代(ひふみの「ひ」=源)から、我々は「個」の体験を重ねるという分離の時代(ひふみの「ふ」=分離)を過ごしてきました。そして、今、まさに私たちは「生」の本来の目的を想い出そうとしているのです。(ひふみの「み」=意識をもって統合の時代を生きていく)。
『全ての生命(いのち)が響きあう場所で天に導かれて愛を生きる。』
競争やエゴ、自分(たち)さえ良ければ、今さえ良ければ、という世界ではなく、皆がひとつの真実の方向に向かって響き合う、「大いなる循環」の中で自らの輝きを活かしていく時代の到来。
 ~ 中略 ~自分自身を籠の中に閉じ込めているのは、「自分のやり方こそがベストだ」と信じ込んでいる自分自身なのです。その観念を一旦天へと戻して、認めたくない自分やもう二度と感じたくはない感情と再び出逢い、向き合い、その奥に在る、分離の時代には成しえなかった
『自分の中にある本当の想いや愛と繋がりなおす。』

そういうチャレンジを体験することが、閉じ込めた籠の中から輝ける自分自身を解き放つことにつながっているのです。


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こんなふうになって欲しいと世界を選り好みする自分、その自分が本当の自分を籠の中に閉じ込めます。なぜなら世界は自分そのものだから。定めをいただき変化し続ける中で認めたくない自分が浮上することもありますが、そこと向き合う中で本当の自分が解き放たれます。そんなふうに生きることが人間としての基本、僕はそんなふうに生きています。


富士山@2018年田楽祭

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