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シェアリングエコノミー

昨日のNHKニュース深読みではシェアリングがテーマになっていました。シェアリングとは共有すること。車や服、空き部屋や駐車場など普段使っていないモノや空間を、インターネットを通して他人と貸し借りするシェアリングエコノミーが広がっているというのです。インターネットを通して、地域や人々の余剰と欠乏が見えるようになったこと。そして、節約の意識によってシェアリングエコノミーは広がっていると番組では分析していました。シャアリングを利用している人々は、それにより新しい人との繋がりを楽しみ、経済的メリットも享受しているようでした。

人々の間に自発的に広がりつつあるこのシェアリングエコノミーですが、社会問題の解決にもつながります。人口過密や就職難、賃金格差、高齢化などの問題を抱える韓国のソウルでは、行政が積極的にシェアビジネスを推進しています。市がシェアビジネスを認定することによって、人々に安心感を与え、利用者が増えているようです。

シェアビジネスが社会問題の解決に寄与している例ですが、例えば、ソウルでは高齢者の5人に1人は一人暮らしをしている状態にあります。その一人暮らしをしているお年寄りが大学生に部屋を安く貸すのです。大学生は部屋を安く借りられる代わりに、高齢者の世話をするのです。このルームシェアを利用する大学生には、行政は机など学習に必要な備品を提供し支援しているようです。

このような可能性を持つシェアリングですが、番組が実施したアンケートでは、回答者の87%が見知らぬ他人とのシェアリングはしたくないと答えています。シェアリングエコノミーは広がっているとはいえ、利用者はまだまだ一部なのでしょう。

シェアリングに否定的な理由として、事故があった時の対応が心配、危ないこと(犯罪)に巻き込まれないか心配など不安が背景にあるようでした。それは今の日本の人と人との信頼感の現れでしょう。

韓国のソウルのように行政が認定をすることにより安心感は増すのは事実でしょうが、認定基準を満たす必要が生じて、サービスが画一化し、魅力を失っていく傾向もあるようです。

人と人との信頼が社会全体に広がっていけば、より自由で工夫に満ちたシェアリングが広がっていくのでしょうが、そのためには一人一人の心が成熟していく必要があるのでしょう。

地球環境の有限性、現代の環境問題を考えた時、シェアリングエコノミーは時代の要請と言えるのではないでしょうか?ですが、アンケート結果は、人々の意識がそこについていっていない現状を示しています。

ソウル市のように仕組みを整えることは、それなりの効果が期待できますが、その効果は表面的なものに留まるのではないかと思います。時代は今、何を求めているのか?そのことを心から感じて一人一人が変化していくことが大切なのだと思います。

近代以降、人間は「個」というものを追求してきたのではないでしょうか?経済で言えば、私有財産が認められ、資本主義の元、人々は私財を増やすことを求めてきました。そして、自己実現という言葉は個人の夢や希望であり、それが最大限に尊重されてきました。その結果、人々は物質的には豊かになり、「個」の意識も確立しましたが、一人一人はバラバラになってしまいました。そこから、孤独や格差などの問題が生じています。それらの問題は、「個」というものを知った人々が再び繋がり一つになる必要性を示しているのではないでしょうか?

木の花ファミリーブログ「東洋の叡智が花開く時代~雑誌 世界建築より」には以下の文章が掲載されています。

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私たちは宇宙を旅する地球という星の上に生きています。そして、私たちは一つの太陽・一つの大地・一つの水・一つの空気・一つの風のもとに生きています。なによりも私たちは時代を共有して生きています。つまり、私たちは一つのいのちの兄弟であり、天然循環の中で地球という一つのいのちの一部を担っているのです。このように、私たちは人智をはるかに超えた大いなる宇宙の仕組みの元に生かされています。

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すべてのものは太陽や大地、水や空気から生まれ、育まれています。意識を広げて、地球や宇宙に目を向けたら、僕たちはもともとすべてのものを共有していることに気が付きます。すべて一つなのです。みんながこのことを思い出すことがまず何よりも大切なのではないでしょうか?この意識に基づいて、自分の枠を超えて、心を開き広げていくのです。そうすると、シェアリングエコノミーは自ずから生まれて様々な社会問題は解決していくのではないでしょうか?

木の花ファミリーはみんなですべてのものを共有して一つの経済を生み出しています。それは、仕組みやルールによって生まれているのではなく、上記の世界観を共有することによって生まれています。その暮らしはこれからの社会のモデルになる。僕たちはそう確信し日々を大切に生きているのです。


木の花ファミリーのみんな。1ヶ月の真学校の受講生と。



世界のお金がみんなのお金になるように。PART.3

3月21日春分の日。木の花ファミリーは21歳の誕生日を迎えました。

その日の夜は、まず子どもたちと一緒に、昨年ともちゃんが作成してくれた記念映像『木の花ファミリー ~20周年を迎えて』をみんなで観ました。そして、その後、いさどんBLOGに掲載されている『心が大きな人になるにはどうしたらいいの?~12歳のかのこちゃんから宇宙人ピトピへ』をみんなで読みました。

(※)かのこちゃんについては、天然生活in木の花ファミリー「木の花ファミリーで起こったこと~どんな種を蒔きますか?~」でも紹介されています。是非、こちらもお読みください。

BLOGの中で宇宙人ピトピは12歳のかのこちゃんに以下のように語ります。

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宇宙の中を動いている地球。

地球の上にいて、「ここは私の土地だ」と主張しても、宇宙から見るとその場所は1日に260万kmも移動しています。宇宙から見たら、その場所は常に動き続け、変化し続けているのです。

同じ家に暮らし続けると、固定した場所で暮らしていると思えるかもしれません。そして、そこを「私の家」、「私の土地」と表現するようになります。ですが、「私の土地」と主張している場所は常に移動し続け、変化し続けています。「私」は常に新たな場所に移動し続けているのです。

そして、それは「私」についても言えて、今の「私」は生まれたばかりの「私」とは全然違うものになっています。常に変化し続けていて、固定した「私」は存在しないのです。

そして、変化は常に宇宙の運行に基づいていて、自分の意志を超えています。
日が登り、日が沈み、季節が移り変わる。
そんな中、地球は変化し人々も変化していくのです。

そのような視点を得て、宇宙を意識して暮らす時、人間の心は大きくなります。
自分の欲を超えて、細かいことでは悩まなくなります。
そうすると、知恵が沸いてきて、人々にアドバイスが出来るようになるのです。

心を学んで自分を成長させることが大切で、勉強は心を大きくするための土台になります。

今まで長い間、人間は地球上でわがままを表現して来ました。
そのため、これから環境や経済、政治や医療、福祉。
様々な分野で色々な問題が生じてくるでしょう。

実際、台風は強烈になり、集中豪雨も激しくなってきています。
その環境では、だんだん食べ物を作ることも難しくなっていきます。
みんなで助け合わないと生きていけない時代がやってきます。
そんな中、かのこちゃんのような人が必要とされ、今の時代に生まれてきているのです。

わがままを止められない人たちは、まだお金を追い求め、競争し、バラバラに生きていますが、
あなたのような人たちが新しい時代を切り拓き、誰もが豊かに暮らせる世界が訪れるのでしょう。

新しい時代をあなたたちに任せたら、希望が湧いてきます。

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こんな話を「面白い!」と言ってかのこちゃんは聞いています。

そして、この日の夜、いさどんは、地球儀を抱えてさらに詳しく宇宙の話をしました。
その話を聴いた小学4年生のみのりは「いさどんの話す言葉は難しかったけど、言っていることの意味はわかった」と話します。(Facebook木の花ファミリーの投稿をお読み下さい。)

子どもたちの語り掛けるいさどん
こんなふうに心の大きな子どもたちが育っています。
彼女たちがこれからどんな世界を創っていくのかとても楽しみです。

さて、いさどんBLOGにもあるように、この世界には「自分のもの」は存在せず、すべてのものは「宇宙のもの」であり、「みんなのもの」なのです。


お金も同じです。

木の花ファミリーに今あるお金は、世界の人々のお金であり、それが今ここに流れてきている。そのように考えています。そして僕たちは、そのお金を、世界を豊かにするために使っていくのです。

3月22日。月に一度の自然食レストラン「恵みいただきます」が開催されました。
このイベントは、2013年8月から再開していますが、今まで僕たちは新しい食器や調理器具、そして会場の飾りつけなどでたくさんの出費をしています。それは利益率を考えると、割に合わない出費と言えます。
ですが、その出費が豊かな食事会を生み出し、お客さんに感動を与え、楽しい交流の場を生み出すのです。そう思うと惜しみなく使っていくことが出来ます。

そんな僕たちの心は天に通じ、人々に通じていきます。そして、支援して下さる方が現れます。

必要なものは必要な時にやってくる。

そんな信頼と安心感の元で、僕らはこの暮らしを営みその豊かさを世界に広げているのです。
その豊さを「恵みいただきます」当日の写真から感じていただけたらと思います。

お客さまに提供した料理です。

卓上の飾りつけです。
わけぎと紫芋のサラダです。

菜花です。

菜花とつくしのたわらお結びです。

桃の花です。

きし麺チームのみんなです。

キッチンスタッフのみんなです。

会場の様子です。

ホールスタッフです。子どもたちも手伝っています。

盛り付けをしています。


最後にみんなで撮った集合写真です。


 とりあえずこんな感じです。

さらに多くの写真をみたい方は「Facebook木の花ファミリーのアルバム」をご覧ください。
また長期滞在をしているあわちゃんが恵みいただきます当日に得た気づきを「ウルルン木の花ファミリー滞在記」に書いています。こちらも合わせてお読みください。

木の花ファミリーには多種多様な人々が集まりそれぞれが自分の切り口でこの暮らしを表現しています。その物語をお楽しみください。


世界のお金がみんなのお金になるように。PART.2

3月16日、僕は「世界のお金がみんなのお金になるように」という記事を投稿しました。そして、その日の大人ミーティングでシェアしようと思い、プロジェクターを使いスクリーンに映す準備をしておきました。ですが、いざシェアしようと思った時、パソコンの操作が上手くいかなくなるという現象をいただき、みんなにシェアをすることが出来ませんでした。そして、話題は次のものに移っていきました。

僕の中には投げやりな気持ちが生じました。そして、しばらく胸が熱くなっていましたが、気持ちを静め、その現象を振り返りました。

農事組合法人の決算&税の申告、個人の確定申告と忙しい日々が続く中で、心を見ることがおろそかになっていた。だからこういう現象をいただき、心を揺さぶって貰えたのだと思いました。これはとても面白く有難いことで、自分を知り、気持ちを引き締めることが出来ました。

この日の大人ミーティングでは、2月15日~3月14日まで行われた「1ヶ月の真学校」の受講生アンケートをみんなで共有し、それに長い時間を使いました。

僕は自分のブログをシェア出来るようにあらためて用意をし直していたのですが、夜も遅くなってしまっていたため、ブログのシェアはせず、上記の振り返りだけをみんなに伝えました。

そして次の日。ブログのシェアについてどうしようか考えました。

流れではないのかな?とも思えたのですが、木の花の経済についてみんなで共有する機会になるので、やはりシェアしようと決めました。ところが、大人ミーティングを迎えた時、ミーティングの議題を書くホワイトボードからは、昨日僕が書いた「ブログシェア」の言葉が消されていました。そして、ファシリテーターから、「もうブログのシェアはいいよね?」と声を掛けられました。

「やっぱり流れではないのだな」。僕はそう思って「うん、いいよ」と返事をしました。

ところが昨日、僕のブログを読んだいさどんから「この内容はみんなとシェアするといい」という言葉を貰いました。ということで、再びシェアをすることにし、ホワイトボードに書きました。

昨日の大人ミーティングでは、一つの出来事に対して右往左往する一人一人のメンバーの心が話題になりました。それはブログのシェアを巡る僕の心の動きそのものでした。僕は流れに従っているつもりで状況に翻弄されていたのです。

結局、昨日もブログのシェアはしませんでした。というのは、みんなで木の花の経済を共有し深めるのは別の機会の方がいいように思えたからです。

読もうと思ったブログが読めない。

そのことを通して、僕は心に芯が通っていないことを再認識し、学びを深めることが出来ました。

すべての出来事を相応しく与えられる。

そのことを実感しとても面白くなりました。やるぞーと思いました(^-^)


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ところで、僕は木の花ファミリーに移住する前、公立中学校で事務職員をしていました。
県に採用されて、市町村立の学校で勤務していました。

そのため仲間と、
「県民のお金を給料としていただいている」
「市民のお金を使って学校を運営させていただいている」
と話していました。

でも考えてみるとそれは公務員だけの話ではないのです。
なぜならお金は以下のように世の中を流れているからです。

国民(県民・市民) →(税金)→ 国(県・市) →(事業委託)→  業者 
→(給料)→ 従業員(国民) →(税金)→ 国(県・市) ・・・・・

サラリーマンの給料も、自営業者の収入も、国や県、そして他の市民のお金だった時があるのです。それをあらわしているのが、「世界のお金がみんなのお金になるように」でも紹介している以下の図です。


みんながみんなのお金で暮らしている。

それがこの世界の姿です。

ですが、個人の意識が強くなりすぎると、そのことを忘れ、みんなのお金を自分のところに溜め込むようになり、争いが生じるのではないでしょうか?

困った時はお互い様。

そんな信頼関係があれば、経済援助ももっと純粋なものになって有効に機能するのだろうなと思います。そして貧富の差がなくなるのではなく、意味をなさなくなるのだろうなと思います。


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大人ミーティングでのブログのシェアが遅れています。でもそれはこんなふうにお金に対する考察を事前に深めておく機会になっています。それはそれでいいのだろうなと思っています。

世界のお金がみんなのお金になるように。

木の花ファミリーで金庫番になって・・・」でも紹介していますが、木の花ファミリーの経済は以下のようになっています。

みんなのお金をみんなで集めてみんなで使います。

みんなのお金は個性豊かな一人一人のメンバー、そして農事組合法人やNPOのお金でもあります。

今日、木の花ファミリーメンバー40名分の確定申告書類を税務署に提出して来ました。木の花ファミリーメンバーの多くは農事組合法人の組合員ですが、法人と組合員との間に雇用契約は結んでいません。一人一人が独立した経営者として法人の運営に関わり、従事した分量に応じた配当金を受け取ります。組合員は、その配当金に基づいて確定申告をするのです(農業所得)。加えて、私たちは、本の出版やCDの製作販売、施設や田畑の見学への対応、不動産賃貸など農業以外の収入も得ています。それらについても毎年申告しています。

一般用、農業所得用、不動産所得用の3種類の青色申告決算書を作成し、それぞれ必要なメンバーに振り分けていきます。その他、年金収入や外勤メンバーの給与などを確認し、一人一人の年間の所得を割り出していきます。この作業はとても面白いです。木の花ファミリーのお金はみんなのお金です。でも、そのお金は均質ではなく、一人一人の個性に彩られているのです。数字からそれを感じてちょっと感動します。自分が作成した決算書を見て、「これも芸術だよな~」なんて思ったりもしました。(※お金とは何か?~「自分のお金」と「みんなのお金」もお読みください。)

誰か他のメンバーが持っているお金も、農事組合法人やNPO法人が持っているお金も、すべて「世の為、人の為」に使われ、世の中に循環していきます。だから、みんなどこにお金があっても気にしません。この安心感と信頼はこの暮らしの魅力でしょう。この温かい暮らしの中で、僕は能力以上の力を発揮して暮らしています。2月締め切りの農事組合法人の決算並びに法人税の申告を通してそのことを感じました。

農事組合法人木の花ファミリーは、お米や野菜、小麦や雑穀、豆類など多種多様な商品を販売し、農家民宿や農家レストランを展開しています。それだけでも経理は細かくなりますが、さらに静岡県と長野県と2つの県に事務所を構え、そして先にも触れた通り、組合員に給与を支給しない従事分量配当性を採用しています。そのため税の申告には特別な事務処理や書類が必要となるのです。(申告書の提出先も、国、静岡県、長野県、富士宮市、大町市と5つになります。)

加えて、農事組合法人木の花ファミリーは、上記の図にあるように、NPO法人ぐりーんぐらすや個々の組合員と連携して様々な事業を行っています。なので、NPO法人の経理や個々の組合員の経理にも目を配っておく必要があります。※それらも僕が経理を担当しています。

毎年2月は上記のような作業をするのですが、これは自分の能力の限界に対する挑戦となります。そして、エネルギーも身体の芯から絞りに絞り出すことになります。

そのプレッシャーはとても大きく、今年、僕はプレッシャーに押しつぶされそうになりました。この時は、決算に集中しなければ・・・とオフィスに籠り、みんなとの交流をなくすことで逆に自分の中からエネルギーを枯渇させてしまっていたのです。そんな状態の僕をファミリーのみんなは温かくほぐしてくれました。
(※この時のことは1ヶ月の真学校ブログ「ケア卒業生の学び」でよしてるくんが少しだけ書いてくれています。是非、こちらもお読み下さい。)

そんなみんなの温かさに支えられて、僕は忙しい時期を乗り切ることが出来ました。この場の持つエネルギーを改めて感じました。農事組合法人の決算は、ここで暮らしこの場のエネルギーを貰っているからこそ出来る仕事で、それがなかったらこんな「すごいこと」は出来ないだろうなと思います。(自分で「すごい」というのもなんなのですが・・・)

さて、能力以上の力を発揮する。それも素晴らしいことかもしれませんが、毎年2月が大変な状況にあることも事実です。当然、改善をしていく必要がありますが、そもそもこの状況を生み出したのは自分自身なのです。

2011年1月。当時、個人事業主の集まりとして経営をしていた木の花ファミリーに法人設立の話が浮上しました。この時期、僕はみんなの確定申告の計算をしていたのですが、まだまだ余力が残っていました。そしてより創造的な仕事をすることを望んでいました。僕はすごい人になりたかったのです。そこで、農事組合法人の設立事務を「やりたい」と言ってやらせて貰いました。そして、2011年3月。無事に法人を設立。これにより僕は、農事組合法人の行政対応から登記事務、そして経理に及びまですべてを引き受けるようになりました。そして、それはNPO法人ぐりーんぐらすも同じ状況にありました。

2012年2月。農事組合法人の初めての決算&税の申告。初めてのことで分からないことだらけの中、税務署に質問したり、自分で調べたりしながら仕事を進めていきました。そしてなんとかやり遂げた時、自分の能力のすべてを使い切ったことを感じ、達成感を味わいました。

その後、農事組合法人は2013年3月長野県に事務所を構え、NPO法人は便利屋など収益事業を開始し、事業が拡大し、税の申告も必要になっていきます。そんなふうにより多くのスキルが求められるようになっていきます。能力の限界に挑戦し続ける日々となり、余裕は少しずつなくなっていきます。

自分の納得がいく仕事が出来るようになった僕は、望んでいた「すごい人」になりました。ですが今、ひとりで極めた仕事を抱えて余裕を失っているのです。余裕がないと心の成長を求める気持ちが弱まります。一番大切なことがおろそかになってしまうのです。

望みは叶った。でも余裕を失う。

自分自身の理不尽さを感じるところです。

自分のやっている仕事を出来るだけ多くの人と共有することで楽になっていく必要があるのでしょう。それは、組織全体の成長にも繋がることです。

ちょっと前に、NPO法人フローレンスの駒崎代表とサイボウズ株式会社の青野社長の対談「残業はエクスタシー!? イクメン経営者に学ぶ働き方革命」を読みました。今は定時に帰り、子育ても楽しんでいるお二人ですが、昔は遅くまで仕事をしていたそうです。その頃のことについて、青野さんは「残業に自分のエクスタシーを求めていただけで、本当の意味で生産性を追求していなかった」と振り返りをしています。そして駒崎さんは「ベンチャー経営者は忙しくなけらばならない」という思い込みのヘットギアをしていたと述べています。

自分の満足を求めること、そして思い込み。

それらを超えた時、まったく新しい世界が開けるのだと思います。

3月7日、僕は40歳の誕生日を迎えました。そして、「不惑」を書きました。
そこでも書いた通り、今当たり前に思っていることもどんなふうに変化するか分かりません。
世界に心を開いて、変化に身を委ねていこうと思います。

最後に、前述した木の花ファミリーで実現している安心な社会。それは日本全体でも世界全体でも実現可能だと思うのです。例えば、日本の場合以下のような感じです。


みんなが日本のため、世界のためにお金を使い、みんなで豊かな世界を実現していく。そんな信頼感があったら、誰がお金を持っていても、どこにお金があっても気にする必要はありません。そして、有効に循環するならば、この世界は充分に豊かなのだと思います。
(※例えば、こんなページを見つけました。→ 「軍事費で出来ること」)

日本や世界は広すぎる。そんなの実現できっこない。

こんなふうに思う人もいるかもしれません。ですが、これも思い込みです。
思い込みを外して、ただただ世界に身も心も委ねたら、きっと奇跡が起きるはず。

そんな未来を共に築いていきましょう!



経済格差と経済成長、そしてIPCC第5次評価報告書とCOP20

12月8日、経済協力開発機構(OECD)は、経済格差が経済成長を阻害するという見解を示しました。(THE WALL STREET JOURNAL参照)格差の拡大が貧困家庭の子どもの教育機会を奪い、社会的流動性が低下し、技能開発が阻害され、経済成長に影響を及ぼすようです。富裕層への税負担を増加し、所得再配分機能することが経済成長を助け、教育の機会均等を保障することにも繋がると報告されています。経済成長の是非はおいておくとして、この報告は、富をみんなで分け合うことで、社会的流動性が進み、人々の教育レベルを押し上げ、技術開発も進むことが示唆されています。そして、このことは国ごとの経済だけでなく世界全体の経済にも共通するのではないのでしょうか?

12月1日から14日まで、南米ペルーの首都リマで開かれた国連気候変動枠組み条約第20回締約国会議(COP20)が開催されました。これは、2020年以降の地球温暖化に対する国際ルールを決めるための交渉で、来年パリで開かれるCOP21にて最終合意がなされる予定です。京都議定書では、先進国のみに温室効果ガスの削減を義務づけていたが、今回の合意では、先進国のみではなく途上国を含めたすべての国に削減義務を求めることになりました。ただ数値目標は自主的に定めるものとなっており、各国が掲げている目標は、現状では低めに設定されています。国連環境計画(UNEP)は、このままの数値では温暖化被害の深刻化を回避することは困難と報告しています。(毎日新聞記事を参照)そこで、それぞれの目標の妥当性を各国が相互に検証する方法を導入することが提案されていますが、それは通りませんでした。そのため今回の合意は実効性が乏しいものとなっています。(中国新聞の記事も参照して下さい)


OECDの報告は、経済成長を前提としていますが、IPCC第5次評価報告書を踏まえるとこれからも経済成長を求めることは現実的ではありません。定常化社会などのコンセプトが重要になります(「持続可能な福祉社会」参照)。有限な富をいかに効率的に分配し活用するかが重要になります。その際、OECDによる上記の報告は示唆に富みます。そして、それを世界全体で考えたら、先進国は、途上国の温室効果ガス削減を支援するだけでなく、その費用を負担することも検討したらよいと思います。現在の温暖化の原因は主に先進国のよる温室効果ガスにあります。ですが、その被害が深刻なのは途上国です。太平洋の島々やバングラディッシュでは、国土が水没し移住を余儀なくされる気候変動難民が出ることが想定されています。人道的観点から考えて当然、先進国はこれらの国々を支援するべきなのではないでしょうか?

各国が自国の経済的利益を優先してしまっている現状ですが、みんなで富を分け合う気持ちになれば、会議での交渉も進みきっと有効な解決策が生まれることでしょう。

木の花ファミリーの暮らしはそんな未来を先取りしています。木の花ファミリーでは富を分け合い一つの経済を築いていますが、そこで暮らすことで確信したことは、その経済を実現しているのは心磨きであり、木の花ファミリーでは日々の出来事から自らの心を見つめる作業を各自がしているのです。もしあなたが「優れた人はそれだけ経済的な豊かさを享受するのが当然」と思ったとします。そんなふうに思っていたとしたら、分かち合いの精神からは遠くなります。必要なものが必要な時に手に入るならば、それ以上のものは必要ないはずです。経済的豊かさを人と比べる必要もありません。そんな気持ちを持ってみんなで社会を創っていく時、富の再配分も有効に機能し始めるのだと思います。

今の経済は、今生きている人々の心が創っています。今、経済格差は拡大し、人々の関心が景気に集まっています。そのあり方からそれぞれの人が自らの心を振り返ることが大切だと思います。それを通して、人々、そして社会が変化し幸せな未来が訪れるのではないでしょうか?みんなが助け合って笑いあって暮らす社会に向けて、世界中の人々で心の振り返りが出来たらいいなと思っています。

これを読んだ方が一緒に心磨きをしていってくれたら嬉しいです(^-^)

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心磨きがしたい!でも、心磨きの方法が分からないという方へ 
 
木の花ファミリーでは以下のイベントが企画されています。是非、ご参加ください。そして、一緒にわくわくする未来を創っていきましょう!

2014年12月23日(火)  出張木の花塾@船橋「すべては響き~宇宙視点の性」
2015年1月10日(土)~1月12日(月)  地球の未来を真剣に語り合う「大人サミット」
2015年1月31日(土)   第3回「富士浅間木の花祭り」
2015年2月15日(土)~3月14日(土)  木の花塾「1か月間の真学校」

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みんなでカルタの内容を選んでいます。
ちなみに今、木の花ファミリーではカルト団体・・・ではなくカルタ団体となるべく「木の花カルタを創ろう!」いう企画が立ち上がっています(その経緯についてはまっちゃんBlogを参照して下さい)。そして、昨晩、みんなで内容を検討し、「あ」から「こ」までの言葉を決定していきました。それぞれ木の花ファミリーの暮らし、精神性を現わしている言葉です。以下、その一部を紹介しますね。

あ ・・・ 愛とお米があればいい
い ・・・ いつでもどこでも心のはなし
か ・・・ カタカムナ 響かせ創るみろくの世
け ・・・ 血縁を超えて繋がる家族の絆



カルタの内容を決めるためにみんなが見ている画面です。









天然循環法がもたらす本質的平等

中国で、前最高指導部、周永康氏の共産党党籍が剥奪され、逮捕などの刑事手続きが進められています(NHKニュース参照)。周氏は、汚職が原因で初めて党籍を剥奪された最高指導部経験者となります。政権に蔓延している汚職が、共産党の政権党の地位を脅かすと考えた処置のようです。中国の行き詰まりを現わしています。

中国における経済成長の渦と循環型経済の渦にも書いた通り、そんな中国でグリーンビルディングの実践をする25名の人々が木の花ファミリーを訪れました。この出会いはとても貴重で今日の大人ミーティングでいさどんは以下のように語りました。(僕の記憶で書くので正確でない部分もあるかもしれませんが・・・)

中国人にしたプレゼン資料から
人間でも中途半端に苦しんでいる人はなかなか改善しないが、苦しみが行き着くところまで行った時、ぱっと改善していく。中国は行き着くところまで行っている。これから中国は大きく変わっていく。このタイミングで中国から木の花ファミリーに25名の人々が訪れた。とても大きな時代の流れを感じる。時代の流れとは生そのもの。時の流れが生命を生み出している。誰も自分で生きている人はいない。生命は時の流れに生かされている。そして、その仕組みは「満つれば欠ける世の習い」。どんな存在も経済もこの仕組みの中にある。


中国は共産主義の国だった。そこに資本主義が中途半端に入り変なことになっている。その中国が正常な状態に立ち返る。立ち返る先は共産主義ではない。それは天然循環法による暮らし。木の花ファミリーは今、中国と出会っている。それはまだ小さな渦かもしれないが、これからどんな未来が訪れるかとても楽しみ。

いさどんの話を聴きながら僕は思いました。共産主義は形で平等を現わそうとしました。そこには無理があり、文化大革命などの悲劇が起きました。一方、天然循環法は本質的な平等をもたらします。その実践をすることで木の花ファミリーはこれからの社会のモデルとなるのでしょう。

それでは本質的な平等とは何か?
木の花ファミリー憲章「家族・本質的な平等」には以下のように書かれています。

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木の花ファミリーは全体としてひとつのいのちを構成し、すべてのメンバーはその一部として欠かせない役割を担っています。性別や職種といった社会的な役割や能力の違いを超え、誰もが互いに対等であり、完全に平等です。

大自然の中で、すべてのいのちは互いに生かしあって存在しています。いのちはそれぞれの個性に応じた欠かせない役割を持ち、互いに対等です。一方、自我を持ち、自他を比較する人間の心は、本来平等であるはずの人々の関係に格差や支配をもたらしてきました。
そこから生まれるさまざまな問題を解決しようと、人間社会は法にもとづいた形式的な平等を作りだしてきました。しかし、こうした方法は、本当に人々の個性を花開かせ、平和な社会をもたらすのに十分なものでしょうか。

私たちは、人間が真の平等に至るには、いのちの本質を見据え、その姿にならう必要があると考えています。自然の営みをある限られた視点から見ると、そこは互いの生存をかけた競争の世界にも見えます。しかし、より大きな視点で見れば、自然はいのちのバトンタッチで成り立っており、すべては循環していることが分かります。その視点に立ったとき、人はいのちが持つ本質的な平等を見出すことができるのです。

私たちは不平等を生み出す心を日々の暮らしの中で見つめあい、手放すように心がけています。皆で語り合い、自らの心の枠を広げることで、他によって生かされ、他を生かす存在としての自分に気付くことができます。そして、自らの役割に対する自覚とともに、他の存在への感謝の心が育っていくのです。

あなたはわたし。わたしはあなた。つながりの中で生かし合うこの世界で、すべてのいのちはひとつであり、本質的に平等です。互いを尊重し、信頼しあう暮らしの中で、私たちの絆はいのちの本質に限りなく近づいてゆくのです。

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天然循環の暮らしにおいて、現象はそれぞれに相応しく与えられます。我欲に基づいて生きれば、それはそのまま自分に返り、滞りを生みます。我欲をなくせば、時の流れとシンクロし、物事がスムーズに進みます。現象はすべての人々に平等に与えられ、常に自分自身を教えてくれるメッセージとなります。どんな現象も有難くいいただくことで人は成長することが出来るのです。このような生活に中で自分を知り、みんなと一つになり時代と一つになっていくのが木の花ファミリーの暮らしです。

経済(富の流れ)もこのような暮らしの中で、循環しすべての人々を満たしていくでしょう。

中国が変わっていく。

どんな未来が訪れるかがとても楽しみです。






中国における経済発展の渦と循環型経済の渦

12月3日~5日、東京で「悪意の商標出願」を防ぐ対策などについて話し合う国際会議が開催されました(NHKニュースより)。「今治」(タオル・観光)、「TOHACHI」(牛乳・チーズ・菓子)など、日本の名産品の地名が海外(多くは中国)で勝手に商標登録がされていて、輸出する際、その名称が使えないというケースが発生しているようです。この会議はその状況を改善するために開かれました。

中国については、少し前、小笠原諸島でのサンゴ密漁が話題になりました。(The Huffing Post 記事参照)これについては中国政府からの退去指示や小笠原周辺の取り締まり強化により収束に向かっているようです。

両方の事例とも、中国市民の経済発展への欲の強さを現わしているように思えます。
※もちろん一部の中国人の行動であり、すべての中国人に当てはまる行動ではないことは言うまでもないことですが・・・

その他、二酸化炭素の排出量が世界一位(85.6億トン、26.9%:2011年データ)だったり、PM2.5(微小粒子状物質)による大気汚染が話題になったりと中国での開発による弊害は大きなものとなっています。

プレゼンテーションをしているいさどん
12月5日、6日と、そんな中国でグリーンビルディングに取り組んでいる人たち25名が木の花ファミリーを訪れました。5日の夕方から6日の午前中までと短い滞在でしたが、夕食ウェルカムコンサート大人ミーティング、プレゼンテーションを通して、木の花ファミリーの暮らしを体験し、とても感動し、強い関心を示して下さいました。カタカムナから観た経済システムで書いたように、今、世界では2種類の渦が次から次へと湧き出ています。一つは我欲に基づく経済発展の渦。もう一つが調和の精神に基づいた循環型経済の渦です。現在の中国は我欲に基づく経済発展の渦の際たるものです。その中で、木の花ファミリーの暮らしに共鳴する人が現れることは、もう一方の渦、調和の精神に基づいた循環型経済の渦を生み出します。それはこの世界にバランスをもたらす渦となっていくことでしょう。


このはなこちゃん
ところで最初に商標に関するニュースを紹介していますが、Konohanafamily やこのはなこちゃん(ロゴ)を僕たちは商標登録しています。知人の勧めにより昨年登録したのです。その際、社長、商標登録はお済みですか』(著者:平野泰弘さん)を購入したりインターネットで調べたりしながら登録手続きを進めました。平野さんの本は、いろいろな事例が紹介されていて、おもしろく、商標に関する基本的な視点も学ぶことが出来ました。そして、「これで大丈夫だろう」と判断し、自分で商標登録願を作成し提出しました。ですが、拒絶理由書を受け取る形になってしまいました。登録をしてもらうためには、意見書と手続き補正書を作成する必要がありました。ここで特許庁に紹介された一般社団法人 静岡県発明協会 知財総合支援窓口に相談し、そのアドバイスを受けました。そしてめでたく登録が完了したのです。担当の中村さんには大変助けていただきました。このような機関が存在していることは有難いことです。

商標に関するニュースでは大企業より中小企業の方が「悪意の商標出願」の被害が深刻と書かれています。そして、円安による輸入原材料の価格高も中小企業に打撃を与えているようです。日本でも今は我欲に基づく経済発展の渦が猛威を振るっている状態です。この渦は、「我先の心」が原動力なので、弱肉強食になりがちです。それは、経済格差の拡大、子どもの貧困の増加などにも現れています。これらの現象は一人一人の心が生み出しています。それを思うと人間存在の業の深さを痛感します。そして調和の心に基づき生きるこの暮らし、その基盤となる心磨きの大切さをあらためて思います。自分を離れることで、出来事を客観的に見て、他者を感じる。日々の一つ一つの出来事を通して、その実践をすることで調和の心が生まれ、循環型経済が育っていきます。より多くの人がこの循環型経済の渦に乗り移ることを願い、この道を歩み続けます。



すべては自分を映す鏡

天然循環経済学への系譜/二宮尊徳と大原幽学 を読んだ森野さんからメールをいただきました。以下、そのメールを紹介しますね。

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学生時代、ひょんなことで農業経済の教室に出入りすることになったのがきっかけで、農業やその歴史に関心を持ち来ることなっちゃいましたが、専門的な研究をするというよりか、もう少しじぶんに内在する不分明な気持ちに近いところで暇をみながら楽しみ半分で読書したりしてきただけで、あまり語ることもしませんでした。

ましてや、金融再編でいまはなき相互銀行業界で活躍された大内健二さんは、『虜囚』という著作のなかで、

どうも日本人は同じ日本人の言ったことには目をくれない癖がある輸入ものは粗悪品でも上等品だという外国崇拝の考え方が残っている」

と、書かれていますが、それはいつの時代でもそうらしいので、農学や農業の歴史に登場する人物の思想や実践は趣味の範囲にとどめおこうと考えてきたわけです。

それに、ぼくの生まれたのは、かつて那須烏山藩の相模の国の飛び地で、那須烏山で尊徳仕法を手がけて領民を救済した円応和尚らがそこでも仕法を実施しようとし病に倒れることになる(円応を失った尊徳の悲しみはたいそうなものであったそうですが)場所で、阿夫利嶺を望むところでした。尊徳の生地、栢山(かやま)のある足柄平野とは箱根、足柄、丹沢の三方に山をみる地ですが、違う方向から同じ山嶺を望む場所でしたので、どことなく親しみがあり、皮膚感覚的なレベルでの関心でもありました。

最近、少しそういう方面のこともツイしゃべっちゃうようになり、歳のせいかな(笑)。

かつての思想や実践に尋ねる場合、人々は、それを鏡にして自分を写しているんですね。尊徳なら尊徳という鏡にじぶんを写している。

尊徳の一元相対の思想は、戦前なら日本主義的な方向から一生懸命読まれた。敗戦後は民主報徳です。時代時代で、その鏡に写す人は変わり、映る姿も変わるようです。

近世の経済論で有名な、平田篤胤の学統に属する佐藤信淵など、かつては、例えば、羽仁五郎がそこに独自の社会主義があるとして喜んだり、大川周明が、近代を乗り越えた戦時統制経済の預言者と読んでみたり、帝国主義の先駆者だとか、古臭い封建主義だとかいう人がいたり、評価がさまざまというよりは、そこにじぶんを写す人の数だけ佐藤信淵がいたということにすぎないのでしょう。

東アジアの風土で育まれた農法・農業という鏡に外国の方々が自らを写してみて、その姿に「パーマカルチャー」なんて言ってきたのは微笑ましいですね。

じぶんを写して見る鏡はたくさんあったほうがいい。なにしろじぶんというものが最大の謎で課題であるかもしれないですから。たやすくなにかに心酔しがちな精神を昨今、よくみかける気もしますし。

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森野さんからメールからいただくと、そこには自分にあまり馴染みのない言葉があり、思索を巡らすきっかけとなります。


相互銀行という言葉から、無尽会社、そして無尽へと日本の金融の歴史へと思索は巡ります。
無尽とは日本の金融の一形態で、人々や法人が無尽講(むじんこう)もしくは頼母子講(たのもしこう)と呼ばれる相互扶助組織に加入します。そして、加入した人々は、組織に一定額の払い込みをし、その組織の規定に基づいた給付を受けます。日本では鎌倉時代からあるという無尽ですが、明治以後、営業を目的として無尽業者が発生し規模の拡大に伴い、1915年の無尽業法の制定、1951年の相互銀行法の制定と進んでいきました。その後、相互銀行は、相互掛金という独自の金融商品を扱いましたが、1968年の金融機関の合併及び転換に関する法律を受けて、ほとんどの相互銀行は、普通銀行となり、1992年には相互銀行法は廃止されています。
相互銀行はなくなりましたが、沖縄の模合(もあい)など機能している無尽もあり、金融機関から融資を受けられない社会的弱者に対する扶助としても機能しているようです。

無尽には、個人のお金をみんなのお金へ変換する機能があり、人々を繋がる機能があるように思えます。ですが、沖縄以外の多くの地域では衰退してしまっているようです。そこには人々の仲間意識や共有意識などが関係しているのではないかと思います。人の心がシステムを生み出し、心が変わればシステムも変わるものです。相互扶助のシステムが衰退するのは、人々の中でその意識が弱まっていたからだと思われます。日本全体で一人一人がそんな自分たちの心について振り返ることが大切で、木の花ファミリーの暮らしはそんな実践の一つです。

二宮尊徳は宇宙の万物は混沌とした一つの根元に起源し、相対する各々の事象は、独立の存在ではなく、相関連して一つの円相をなすと考えました。相対的に見えるこの世界も、元を辿れば一つとなります。この考えは、木の花ファミリーの世界観、そして昨年出会い学びを深めているカタカムナの世界観とも共通するものです。この世界観に基づき、数多くの農村の復興を果たしたことに素晴らしさを感じますが、大切なのはやはり精神性のようです。
高平市民館福島県南相馬市)のバーチャル報徳講座に「なぜ報徳仕法が続かないのか」という文章が掲載されています。至誠・勤労・分度・推譲。天の意志に従って日常生活を送り、無駄をなくし、余剰分は人に分け与えていく。尊徳が勧める道徳的態度を第一の目標にすることが大切で、それが出来ていないと、経済が豊かになると共に報徳仕法は廃れていくようです。信仰心がとても重要となります。上記の文章では、信仰に基づいて生きている例としてアーミッシュが挙げられていて、とても心に残りました。
どんな暮らしも世界観から切り離れてしまうと、抜け殻のようになってしまうのだと思います。木の花ファミリーの暮らしも、暮らしを維持することが目的なのではなく、世界観を暮らしの中で表現することを目的としています。そして、一人一人が自分を見つめ、心を磨いていくのです。

いろいろ書いて来ましたが、ここで書いていることは、森野さんのいうように僕を映す鏡なのだと思います。起きること、出会うこと、そのすべては自分を映す鏡と言えるでしょう。

鏡については、木の花ファミリーの創立メンバーの一人、古田偉佐美(通称:いさどん)は以下のような話しをみんなにしてくれています。


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鏡は神社の奥に祀られているご神体です。すべての人はお互いを映し合う鏡です。ということは、すべての人がご神体ということです。「鏡(かがみ)」という字は真ん中に「我(が)」という字が入っていますが、この「我(が)」を取ると「神(かみ)」となります。相手に映る自分の姿を見て自分の「我(が)」を知ることが出来ます。「我(が)」を知ると、それを取り除くことも出来るようになります。心を磨き「我(が)」を取り除くと「神(かみ)」となり、そこには宇宙の秩序が映るようになります。内なる鏡に宇宙の秩序を映し合う時、すべては繋がり一つになっていくのです。

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鏡(心鏡)は太陽を象徴していると言われています。
すべては一人一人を映し出す鏡です。語る言葉はその人自身を現わしています。そして、一人一人の人間は主観を持ちます。相対主義の立場からすると、このことから絶対的な真理はないという結論に至るかと思います。ですが、「鏡(かがみ)」は「我(が)」を取ると「神(かみ)」となります。「神(かみ)」となった「鏡(かがみ)」が映し出す世界は、現象世界の背後にある絶対的真理を映し出します。二宮尊徳もカタカムナも木の花ファミリーもそんな世界観を持っています。
大切なのは、今、この瞬間何を感じ、どんな判断を下していくかにあると思います。その際、歴史を振り返っておくと、現在を俯瞰してみることが出来るようになります。過去から未来に向けての大いなる流れ。それを感じることが出来るようになるのです。


10月に開催された木の花塾で語っているいさどん

カタカムナの潜象界と二宮尊徳の一元は同じことを言っていると思われます。
木の花ファミリーではその世界観を「農」に生かし天然循環法と名付けました。
そして、それを日常生活にも広げ、実践しています。
そんな話を聴きたい人は是非、11月30日に千葉市にお越しください。
出張木の花塾@千葉「すべては響き~宇宙視点の農」が開催されます。
今、インドに出張中の塾長いさどんがパワーアップして帰ってきます。




田んぼ隊チェーン除草にみるスモール・イズ・ビューティフル

木の花茶会と7月~9月期GDP速報値でも引用しているE・F・シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』。この本は石油危機を予言したと言われ、当時ベストセラーになったそうです。

この本の概要をまとめると以下のようになります。
※この本を読んだのは数年前なので、記憶が曖昧な部分もありますが・・・

1970年代、世界は、生産を増やすことで貧困の撲滅を目指していました(ケインズ主義)。ですが、それは有効に働いていませんでした。生産を増やすことでは貧困は解決しないことが明らかになっていました。そして、資源は有限性も問題になりつつありました。この現状で、生産の拡大を続けることは人間社会の破滅につながります。

文明の核心は、欲望を増長させることではなく、人間を純化させることにある。シューマッハーはこのように考えます。そして、経済も人間性を純化させる必要があると考え、仏教経済学を提唱します。仏教経済学は、自然の循環システムに基づくもので、「足るを知る」人々からなる経済です。

この経済を実現するために必要となるのが、中間技術(適正技術)になります。中間技術とは、伝統技術よりは生産性で優れており、資本集約型の大量生産技術のような環境破壊はもたらさない技術です。それは、それぞれの地域に文化・経済・社会に適したものであり、人々のニーズを満たし、環境にも負荷をかけない技術です。

具体的にはどんな技術か?

現代社会では、多くの技術は機械によってもたらされますが、機械化には2つの種類があります。一つは人間の技能と能力を高める機械化、そして、もう一つは、人間の仕事を機械という奴隷に引き渡し、人間をその奴隷に従事者にしてしまう機械化です。

中間技術(適正技術)は前者、人間の技能、能力を高める機械化です。そして、中間技術(適正技術)は、地域の特性を活かすものであるため、地域毎にエネルギーや食の地産地消を促します。そのため規模も大規模なものにはならず、環境への負荷も抑えることが出来るのです。
本の中では、具体例として、小規模水車が挙げられていました。


富士山の麓でチェーン除草しています。
自給自足の生活を基盤とする木の花ファミリーの生活は、この中間技術(適正技術)により成り立っていると言えます。そのうちの一つが、田んぼ隊が行っているチェーン除草です。

天然循環法により作物を育てる木の花ファミリーは、農薬や除草剤は使うことはありません。よって除草作業がとても大きな作業となります。その除草を効率的に行うための技術がチェーン除草です。内径50mm長さ3メートルの塩ビパイプに長さ30cmのチェーンを3cm間隔で付けていく。それを引き摺って田んぼの中を歩くのです。この除草は、雑草が小さいうちにすることが大切で、適期にチェーン除草をすることが出来ると、雑草の生育を抑えることが出来て、その後の作業がとても楽になると言います。環境にも大きな負荷を掛けずに人間の身体を鍛える。そして、作業の効率性が大きく増す。まさに適正技術と言えるのではないでしょうか?

愛とお米があればいい

これは木の花ファミリーが大切にしている言葉の一つです。
僕たちはお米をとても大切にしており、お米の生育を重要な節目としています。
5月には田楽田植え祭り、9月には収穫感謝祭を行い、自然の恵みへの感謝の心を育みます。

5月の田楽田植え祭りの様子

9月収穫感謝祭後田んぼ隊で撮影


木の花ファミリーのお米は、天然循環法により、自然界の奥の響きを感じ、作物そのものが持つ生命力で育ったお米です。購入して下さったお客さまから素敵な感想もいただいています。
豊かな生命力あふれるお米を是非多くの方に味わっていただきたいと思っています。
ネットショップで購入することが出来ますので、是非お試し下さい。

晃ちゃん@人参畑~出張木の花塾にも参加します~

そして、天然循環法について興味を持たれた方は、11月30日に千葉県千葉市で開催される出張木の花塾@千葉「すべては響き~宇宙視点の農」に是非ご参加下さい。
農という切り口を通して、命、そして宇宙の本質を共に感じる時間となることでしょう。





みんなで落花生収穫をしています。





木の花茶会と7月~9月期GDP速報値

11月15日、木の花ファミリーでは、自家製紅茶とパン・スイーツを楽しむ「木の花茶会」が開催されました。

会場中央のテーブルの飾りつけです。
当日は合計38名のお客さんが来店し、ゆったりとした時間を過ごしていかれました。当日、僕は物販を担当しましたが、今回は、恵みいただきますとは違い、会場内に販売スペースを設けていたため、お客さんの様子や会場の雰囲気を感じることが出来ました。
お客さんの数を限定し、会場設営にゆとりをもたせ、その中でBGMが流れ、時々、和子ちゃんがピアノの生演奏をしました。洗濯物を畳んだり、食事をしたり、パソコンをしたり、ミーティングをしたり・・・といつも雑多な使われ方をしているひまわりホールが上品な空間に生まれ変わりました。


会場中央のテーブル飾りつけ
その空間の中で、料理はコースで提供されました。内容は、以下のとおりです。

1、紅茶のミード
2、スイートコーンのポタージュ
3、こんにゃくの燻製とくるみのグリーンサラダ
4、自家製小麦とオーガニック野菜のサンドイッチ
5、コノハナコスコーン 
  ※木の花ファミリーの小麦粉を使ったスコーン
6、洋ナシのソルベ
7、季節のデザートプレート
  ※シフォンケーキやフロランタンなど


アンケート結果からもお客さまに満足していただけたことが伺えて、木の花茶会は成功したと言えるでしょう。良い時間と空間を創ることが出来て良かったです。

木の花茶会で提供されたお料理です。

さて、この木の花茶会ですが、食事代として56,556円の売上がありました。
そして、物販合計は43,598円、すべて合わせて100,154円の売上です。

子どもたちもホールでお客さんを出迎えました。
それに対し支出は、ハニーディスペンサーの購入などで、38,287円でした。ここには、人件費や木の花で生産された材料費は含まれていません。

ここで静岡県の最低賃金に合わせた当日の人件費をざっくり計算してみます。
8時から準備を開始し、会場の片づけは18時過ぎまで行われていました。
これは、労働基準法では休憩が義務づけられる労働時間なので、みんなが1時間休憩したとします。すると労働時間は9時間となります。
メインのスタッフだけでなく、いろいろな人が大なり小なりこのお茶会の準備には関わっていますが、計算の単純にするために15名のスタッフがフルで働いたとします。静岡県の最低賃金は、765円です。
これで計算すると、15名×9時間=135時間。 765円×135時間=103,275円。
103,275円が人権費となります。当日の人件費だけで赤字となる計算です。

当日販売したはちみつです。
ですが、「不可能を可能にする暮らし」で恵みいただきますについて書いた通り、
僕たちは法人との間に雇用契約を結んでいないので、最低賃金を守る義務はないのです。
そして、原材料費のコストも自分たちで生産しているため、それほど大きな数字にはなりません。
なので、このイベントの収支も赤字にはならないです。

準備の段階から試作を重ね、沢山のエネルギーを掛けて創り上げた木の花茶会。
関わっている人の数もお客様の数も決して少ない数字ではありません。
ですが、お金の動きはそれほど大きな数字にはなっていません。
お金では測れない豊かさがあり、それがこの暮らしの魅力となっています。

みんなで集合写真

☆彡 ☆彡 ☆彡


ところで、11月17日に、7月~9月期四半期別GDP速報が出ました。
実質年率1.6%減と予想よりはるかに低い数字になっています。
それによりアベノミクスの失敗と阿倍政権を批判する声が高まっています。
経済成長を目標に掲げていたわけなので、確かに今回の出来事は失敗と言えるのかもしれません。ですが、そもそも経済成長を目標に掲げること自体が間違えていると言えるのではないでしょうか?経済成長を目標に掲げる限り、どんな人が政権を担当しても、それは失敗し、批判されることになるのではないかと思うのです。それは「持続可能な福祉社会」で書いた社会状況から伺えることです。

経済成長とはGDP(国内総生産)の成長であり、それは経済の規模を表す数字です。
内容は問いません。病院に通う金額も、壊れたものを修理する金額も含まれます。
そうすると、大きければ良いというわけではありません。
今回の実質成長率減には、企業が抱える在庫の減少(在庫調整)が影響しているという記事もありました。在庫の調整が進むことは好ましいことなのではないでしょうか?
そもそも、環境資源の有限性を考えるとGDPは小さい方が望ましいのではないのでしょうか?

経済の規模を小さくし、多くの人々を幸せにする。

それがこれから求められる暮らしだと思うのです。
木の花茶会はそんな暮らしから生まれたイベントです。

「人間は小さいものである。だからこそ、小さいものはすばらしいのである」

これは『スモール イズ ビューティフル』の中でのE・F・シューマッハーの言葉。

その言葉を実践し、こんなイベントが出来るこの暮らし。
豊かだと思いませんか?










天然循環経済学の誕生!!!

自然農法 → 天然農法 → 天然循環農法 → 天然循環法

この1年で僕たちは農法の呼び名をこれだけ変えてきました。
それは自分たちの実践の変化を踏まえて、より適した名前を求めてのことでした。

10月中旬、畑隊の晃ちゃんから天然循環農法(当時の呼び名)のプレゼンテーションがありました。


晃ちゃん@人参畑
実際の畑の写真を観ながら、現在、木の花ファミリーが行っている農法の説明をしてくれました。

団粒構造の土の様子やキャベツや人参、大根、苺、パパイヤなど、美しい作物の写真を通して、それを生み出している日々の営みが説明されました。

このプレゼンテーションを受けて、「これは農業の枠に留まることではないね」という話になり、天然循環法と名前を変えました。新しく発行された木の花ファミリー通信Vol.80には、この時の晃ちゃんの話が記載されています。以下、その一部を転記しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

気付いたのは、肥料って本当にいらないんだ、ということです。今まではボカシをあげていたけど、ボカシは米ぬかなどの有機物を一度微生物の力によって分解し終えたもの。それよりも、命そのものである生きた作物を次の命へとつなげていくことが、より命を豊かにしていくということに気付いたんです。今年は実験的に、キャベツなどの畝間に大豆を蒔いています。大豆の根には根粒菌がいて、作物の養分となる窒素を固定するので、最初キャベツは余分な栄養が吸えません。
キャベツ畝間の大豆
だけど結球期に入る前のあるタイミングで大豆を切ってやると、今度は大豆が微生物やキャベツの養分となっていく。それには直感で「今だ!」と感じるタイミングがあるんです。こうして育てたキャベツは、本当にやさしい味をしています。人参ももうずっと無肥料ですが、とても清楚で、美しい姿をしています。
 潜象界から現象世界へと命が現れる時、最も小さなものから現象化する(形になる)といいます。そしてだんだん大きなものへとバトンタッチされていく。微生物を増やすといいということは、これまでの自然農法でも言われてきました。しかし天然循環法では、目に見える微生物たちのさらに奥にある世界を観ています。そこは響きだけの世界。現代の科学では捉えることのできない、神の世界です。

 僕は微生物を増やす行為をしている時も、カタカムナのうたいを上げる時も、意識は常にそこを向いています。全てがそこへの働きかけです。そしてそこに遍満する宇宙根源の響きがあるところに達した時、命となってこの現象世界にぽっと現れる。命とは「みこと」、つまり神そのものなんです。そこにたくさんの命があればあるほど、それによって支えられる作物の命は豊かなものになります。その豊かな命によって、僕たちの命もまた支えられていくんです。
全ての生命は、それぞれの響きを持っています。僕たちの発する響きが、そのまま命として表現されていく。天然循環法とは、完成形を作ろうとすることではなく、元の響きを響かせ、その命が本来の生命力のままに自ら完成形となっていく場を整えることなんです。

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命とは「みこと」。神の御言(みこと)から生まれた御事で神そのもの。
その命が命を支えていく。
天然循環法はその場を整えていきます。

天然循環法には大きな可能性が秘められていると思います。

今、学問は細分化されていると言われていますが、
天然循環という視点で細分化された学問を統合していくことが出来ます。
そして、天然循環は実践から生まれた理論であり、目指すべき姿勢を示しています。
つまり理論と実践の統一を図ることも出来ます。

宇宙の始まりから現在に至るまで。
「ひとつらなりのいのち」としての流れがあります。
この流れは未来に渡って続いていきます。
そんな大いなる視点の元に人間の営みを位置づけることが出来るのです。

もちろん経済も人の営みとして、この流れの中に位置づいています。

それは、天然循環経済学と言えます。

天然循環経済学は、「仕組みに頼るのではなく」で書いた、
仕組みを生み出す心を表現するものであり、流れを表現し人々に感じてもらう経済学です。

それは既存の学問から観たら科学とは言えないものかもしれませんが、
きっと人々に多くの希望と可能性をもたらすものになることでしょう。

そんな経済についてこれから少しずつ書いていきます。


☆彡 ☆彡 ☆彡


ところで11月30日に千葉県千葉市で「出張木の花塾」が開催されます。
テーマは「すべては響き~宇宙視点の農」です。
天然循環法について詳しく知ることが出来る絶好の機会です。
是非、ご参加下さい。

前回の「出張木の花塾」に参加された皆さんです。



仕組みに頼るのではなく ~EUの事例から~

NHKクローズアップ現代「ベルリンの壁崩壊から25年①帰路に経つヨーロッパ統合」を観ました。

2つの大戦を経験したヨーロッパは、同じ過ちを繰り返さないために早くから統合へ向けた動きがありました。ですが、東西冷戦のため、その動きは西側諸国に限られていました。

ベルリンの壁崩壊
1989年11月9日にベルリンの壁崩壊によりそれが変化します。
翌年には、ドイツが再統一を果たし、その後、東ヨーロッパの国々の加盟が進んでいきます。
現在、欧州連合(EU)の加盟国は28か国にまで増えています。

2012年にはノーベル平和賞まで受賞したEUですが、加盟国間の経済格差が広がる中、
今年行われた欧州議会選挙では、「反ユーロ」「反緊縮」を掲げるEU懐疑派が躍進しています。

一つの欧州という理想は、経済格差という現実の前に、なかなか進まない状況です。

そして、今、ウクライナ情勢をきっかけにロシアとの関係も悪化し新たな冷戦を迎えつつあります。
ロシアとの関係悪化に関しては、欧州連合の拡大と共に、
軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)も東側に拡大したことが影響しています。

番組を見ていてなんとなく思ったことは、一番大切なのは仕組みではないということです。

EUは統一通貨や市場統合、自由な人の移動など様々な仕組みを生み出していますが、
一つになれない現状があります。

頭で仕組みを考えだす。そしてそれを現実に適用していく。
そういう形では現実は動かないのだと感じました。

例えば、田中優さんは今の社会を変える仕組みをたくさん提案してくれています。
その仕組みは説得力があって、それを適用しさえすれば世の中は良くなる!と思えます。

でもそうではないのだろうなとあらためて思いました。
仕組みには心が伴っている必要があります。
ただ形だけ当て嵌めるのではなく、一人一人の心が成長し、その成長が仕組みを生み出す。
そうなった時、初めて仕組みは生きたものとなっていくのでしょう。

優さんの話にしても、その価値は、提案する仕組みの鮮やかさにあるのではなく、
その話から勇気を得て、行動する人が生まれ、日常に落とし込むことにあります。

大切なのは仕組みよりも勇気であり心。
当然と言えば、当然のことなのかもしれません。

そして、木の花ファミリーの経済を語る時も、本当に大切なのはその仕組みではなく心です。
優しくユニークなので、その仕組みでみんなが幸せになれると僕は考えていましたが、
その発想は間違えていました。

この仕組みを生み出している心が大切であり、それを語る経済学が求められているのです。

それは固定的な仕組みを語るものではなく、流れを表現し、人々に感じてもらうものでしょう。
そんな経済学について、今後このBLOGで語っていこうと思っています。

キーワードは「天然循環」です。





無駄から学んでいく。~社会的共通資本を土台に~

NHKクローズアップ現代「人間のための経済学 宇沢弘文  格差・貧困への処方箋」を観ました。

先月、86歳で亡くなられた経済学者、宇沢弘文さんの特集です。
効率追求の経済が人々の格差を拡大し、貧困を生み出すことを察知した宇沢さんは、
人を幸せにする経済を探求し、「社会的共通資本」を提唱しました。

社会的共通資本は、自然や道路、教育や医療など人が生きていく上で必要不可欠なものをいい、これらについては市場原理から切り離し、市民の手で運用していくことを提案しています。

そうすることで、「ゆたかな経済生活を営み,すぐれた文化を展開し,人間的に魅力ある社会を安定的に維持する」ことを可能にしていきます。

番組の中で宇沢さんも「大切なのは心」と仰っていましたが、
社会的共通資本とは、人間にとって必要不可欠な財産をみんなで共有していくことを意味します。
そこには分かち合いの心が当然求められます。

自分は優れているのだから人より多く欲しい

例えば、こんな心が人々に浮上してしまったら、上記の取り組みは成り立たないでしょう。
幸せな社会を築き上げるためには、一人一人が自らの心をしっかりと見つめ、
成長していく必要があるのだと思います。

ところで、木の花ファミリーでは最近、無駄について話し合っています。

モノを壊した時に掛かる修理費。
必要以上に贅沢な品物を購入すること。

そのような出費がここ最近続いてしまいました。
それは本来必要のない出費であり無駄遣いとなります。
日常の中に無駄があるということ。それはそのまま心の現れです。

木の花ファミリーの暮らしは汗水を垂らし自然の恵みをいただくことで成り立っています。
100円の背後には多くの労働や自然からの配慮があります。
そんなふうにして得ているお金ですから、感謝し大切に使っていきたいものです。

みんなで休憩しています。


エゴマ脱穀の様子です。


無駄遣いが出来るということは、感謝の気持ちを忘れているからであり、
日常生活では、どこか意識がぼけていて、安直に物事を進めてしまうことに繋がります。
そんな時は人に対する態度も繊細さや優しさが欠けたものになりがちです。

今はそんな自分たちを振り返る機会となっています。
その際、落ち込むのではなく、無駄を生かしていくことを心掛けるようにしています。
先のことは誰にも分かりません。今の無駄が後になって生きることもあり得るのです。
大いなる流れに心を委ねること。出来事の背後にある意思を感じること。
そういう姿勢も大切になります。

地球は人類が生きていくのに十分な恵みを与えてくれています。
ですが現状は、格差が広がり、貧困や飢餓が生じてしまっています。
分かち合う心により、現状を変えて社会的共通資本を育むことが可能となります。
そして、それは人々に安心感を与えてくれるでしょう。

その安心感は土台となり、人々を更なる成長へと導きます。
安心に浸り感謝の気持ちを忘れてしまってはいけません。
安心出来る暮らしを土台にして、日々の中で自分の振り返り心を磨いていくこと。
それがみんなで出来るようになった時、理想の世界が実現していくのだと思います。

僕たち木の花ファミリーはそんな世界を目指しています。


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