困りごとから果実が生まれる

8年ぐらい前、研修会でプレゼンをする機会があって、その時、「因」という字と「困」という字を間違えたことがありました。当時の日記を見るとこんなふうに書いています。

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(研修の)最後・・・ということで、
今まで学んだこと。
自分の変化。
これからのビジョン。
そんなことを3分間で話した。

プレゼン用に模造紙を書いている時、
僕は「困⇒果」という文字をたくさん書いて、
それが天の意志で調和に向かっている図を描いた。

「因⇒果」と書いているつもりだった。
「因」「困」を間違えて書いていることに、
人から指摘されるまで気付かなかった。

僕はこの図は以前から何度か書いていて、
その度に「困⇒果」と書いていた。

書き間違い。
そこから言葉が生まれた。

「困りごとから果実が生まれる」
そして、それが調和に向かっている。

欠点や問題は神からの祝福。
それを通じて自分を磨ける。
愛おしい特質。

欠点や問題を通じて学ぶことでそれらを生かせる。

それが僕の生きかた。

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困りごとから果実が生まれる

昨日、なぜかこの言葉を思い出しました。

このプレゼンをした時は、ホワイトボードに模造紙を貼ったのですが、準備をする時、内容を書いた方ではなく、何も書いていない方を表にして貼っていました。真っ白。そんなものを見せてもプレゼンが出来るわけがないのに。これも人から言われて気づき直しました。そして、笑いを取りました。笑いを取って、まさに困りごと(失敗)から果実(笑い)が生まれましたね。と話し始めました。

間違えや失敗など。人は不都合なことに出会うと困るものです。ですが、困りごとに心を開くと自分を改善するきっかけとなり、自分の幅を広げてくれます。

・・・と簡単に書きますが、現実の社会を見ると人は間違えを繰り返し、そこから学んでいるようには思えません。長崎市長は、平和宣言で原爆の悲惨さを訴えると共に、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない日本政府へ、その姿勢を見直すことを訴えています。加えて、核の保有国及びその傘の下にいる国々に、核軍縮の義務を果たすことを求めています。そして、世界中の人々に「最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです」と呼び掛けています。

無関心、忘れていくことが最大の問題なのです。

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人は失敗などの現象に出会った時、ああだったから、こうだったからと理由を並べるけれども、理由を並べることで、問題を自分の人間性から切り離していく。そして、問題をなかったことにしていく。

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昨晩いさどんが別の話題でこんなふうに語ったことが心に残っていますが、人は放っておくと問題をなかったことにしていく、つまりは忘れていくのです。

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この世界は氷山のようなもので目に見えていることは10%に過ぎなくて、その奥に90%あって、その90%を探求していくことが大切。

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これもいさどんの言葉ですが、問題事が起きた時、人が並べる理由は大抵、目に見えていることで、氷山の10%の中で語られています。出来事に反応して表面的なことを語っているだけでその背後を掘り下げていないのです。

今年の7月26日、マヤの新年の際、いさどんはこんなふうに語っています。

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私たち人間は、生きている限り、この地球上で様々な出来事に出会います。人生の中で出会うことは、すべて私たちの生きた証であり、それまでの生き様にふさわしい結果として出会っているのです。今、世の中には、世界的な規模で解決策を見出せないようなたくさんの滞りがあり、それを何とか解決しようと世界のリーダーたちは模索していますが、その動きでは解決できないでしょう。なぜなら、どのような現象も、そこに生きる者たちのそれまでの生き様の結果として与えられたものですから、その現象を変えるには、それをもたらした人々の生き様を変える必要があるのです。その現象に出会った結果、それまでの自らの生き様がどのような結果をもたらすものであったのかを悟り、その生き様を変えていくことによって、自ずと、自動的に、その現象は存在する意味をなくし、消えていくのです。そこで、原因である生き様を変えずに、学びのない姿勢のまま、現象を追い求めていることを「欲」と言います。


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すべては自分自身、そして人類全体の生き様の結果です。そして、生き様を変えることとは、氷山の見えない部分、90%を掘り下げることであり、それが出来た時、現象(問題事)は自ずと、自動的に消えていきます。ですが、多くの人は「欲」のままに現象(改善)を追い求め、氷山の見える部分、10%を分析しているのです。それは自分や人間の本質からは切り離された分析であり、表面的で深みはなく、人の印象には残りません。いつしか問題は意識から薄れ忘れ去られていきます。そして、再び問題に出会い同じことが繰り返されていくのです。

すべては自分自身、そして人類全体の生き様の結果、その奥にはそこに至る物語があります。その物語をしっかりと把握し生き様を変えた時、自ずと、自動的に、その現象は存在する意味をなくし、消えていくのです。

氷山の見えない部分、90%には人の本質が隠されていて、そこを探求することで人生は一つの物語となりとても豊かなものとなります。不都合な出来事や意図していない出来事に出会うと人は困るものです。ですが、その困りごとをきっかけに人は本質の探究をすることが出来ます。この探求が始まった時に初めて、困りごとから果実が生まれるのです。

だから常に探求していくことです。

正解や結果があって、それに基づいて生きていく。人はとかくそんな生き方を求めがちですが、それは本質を探究する姿勢ではありません。正解や結果に固執することで未来を自分の視点で区切ってしまうのです。

流れを観て、流れに沿っていく。そして、未知なる未来をいただいていく。

そんな姿勢が人を本質へと誘います。

過去から現在、そして未来へと繋がる、宇宙や地球、人類、そして自分の物語。流れに沿うことで、それを探求し紡いでいく。僕はそんなふうに日々を楽しんでいます(^-^)

ブルーベリーの果実です。

世界の側から自分を見る

日本列島を台風が通過する中、8月8日3時11分の満月、そして2時22分~4時19分の部分月食を迎えました。僕の住む静岡県は台風の影響を受け、それらを目にすることは出来ませんでした。

目には見えなくても天体は動き続け、この世界に流れを生み出し続けています。だから常に目の前の出来事や自分の感情の奥に目を向けていく必要があります。そして、台風が一つのメッセージなのだとしたら、それは人間社会の混乱の現れであり、人々は混乱のために天の流れが見えなくなっているということなのだと思います。

8月7日は立秋。立春正月からちょうど180度の地点となりました。僕は立春正月に「ひっくり返った」宣言をしています。それは自分の立脚点の大転換です。それまでの僕が自分の側から世界を見て、世界をどうにかしようとしていたのに対して、今の僕は世界の側から自分を見て、自分を正しています。そして、ただ出会う出来事を楽しんでいます

様々なレベルの流れを読み解く」に書いたように、一人ひとりの人間が持つ感情や欲得、都合もこの世界に流れを生み出しますが、それは表面上の出来事で、その奥には常に天の流れが存在しています。一人ひとりの想いはこの世界に広がりを生み出しますが、物事を先に推し進めるのは天の流れです。今、社会が行き詰まっているのは、一人ひとりが自らの想いに囚われ、天の意向を汲み取ることが出来ていないからです。

世界の側から自分を見る。

それは現象の奥に流れる天の流れを意識して、それに沿っていくことです。天の流れにそって、天の流れを踏まえて自分を改善し続けます。その自分の変化がこの世界の変化に繋がっていくのです。

8月6日は広島へ原爆が投下された日、そして9日は長崎に原爆が投下された日です。人類はあのような地獄を生み出しました。その悲惨さを経験した日本が核兵器禁止条約に署名をしていません。その理由として核の抑止力や北朝鮮の脅威が挙げられていますが、この発想は利己的な想いからの囚われに過ぎません。世界中の国々がこんな発想をしていては利害の違いで対立し混乱が広がっていくのは当然といえます。

今、社会の混乱は様々な事例を通してみることが出来ます。昨年の7月、第10回大人サミットにて、介護殺人の事例に触れていさどんは以下のように語っています。

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今、日本では年間3万人もの自殺者が出ていますが、今や年老いた家族までも殺すような時代になりました。2025年、日本では65歳以上の3人に1人、そして全国民の10人に1人はボケると言われており、人類の歴史でも例を見ない事態が10年後に迫っています。そうすると、それは全体の中の10%ですから、介護をする人が足りなくなってくるのです。それで殺すしかないという発想が今、現象化しています。家族を介護していて、それがやり切れず殺したとします。そして、その人を法律で裁き、刑務所に入れるのです。

僕は裁くべきは別のところにあると思うのですが、皆さんはどこにあると思いますか?

裁くべきは、人をそのような状態にした人間社会です。介護している家族があまりにも悲惨な状態となり、思い余って殺してしまう。そして殺される側もお願いだから殺してほしいと言うようになる――、そうした現状が今、日本中に現れてきています。それは、自殺のレベルでも、孤独死の時代でもありません。そして介護殺人をした人たちは、法律で裁かれ、刑務所に送られるのです。しかし、彼らがいくら罪を償っても、心は癒されません。ストレスから介護殺人を起こしたその人のみを裁いても、社会はいっこうに良くならないのです。それは、裁くべき対象が違うからです。

しかし、社会を被告人にするわけにはいきません。そこで、誰を裁くのかと言ったら、その社会を構成している一人ひとりを裁かなければいけないのです。しかし、その一人ひとりを誰が裁けますか?それはできませんね。そのときに、自分がその社会を構成している一人だと気付き、自らの姿勢を改めることで、この社会に起きるすべての出来事を他人事とせず、自分が創っているこの社会を自分一人分裁くということです。それをしない限り、この世界は正常には戻りません。そのことに気付き、自分ひとり分変えることができれば、難しいことではありません。ですから、今の法律で裁いても、解決できることではないのです。それは、社会を構成しているわたしたち一人ひとりが目覚めれば、自ずと解決されていくのです。


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自分が創っているこの社会を自分一人分裁く。それは先にあげた核兵器の事例も同様で、今の社会のあらゆる問題にみんな一人分の責任を持っているのです。

自我が与えられ、自分の視点を持つ人間です。常にそこから沸き起こる想いや感情があるのは当然です。この時、自らの想いや感情に囚われると、それを通すこと、叶えることに気持ちがいきます。すると人は天の流れから外れていきます。天の流れから外れると、天は滞りを持ってそのことを教えてくれます。それが今の社会、そして多くの人の姿なのだと思います。

大切なのは、このような時、それを「話す」ことにより「放す」、表現することで自らを解き放っていくことです。自らを解き放つ時、人は天の流れに開かれ、流れに沿っていきます。そして、自らの想いは天と一つとなっていきます。変化変容、そして常に新しいところへと進んでいくのが天の法則です。天の流れに沿うことで、人は天と共に変化し常に新しいところへと進んでいけるのです。その時、この世界と一人ひとりの想いや行動は調和したものとなり美しいハーモニーを奏でるようになります。

僕が暮らす木の花ファミリーはその実践の場であり、未来の人間社会のモデルとなることを心掛けています。

自分一人分この社会を裁くとは、天の流れにそって自分を見ることであり、その時、人は世界の側から自分を見ています。そして世界とはみんなで共有出来る世界であり、みんなが「いいね」と思える世界。僕は、そんな世界から自分を見て、常に自分を高めています(^-^)

蓮池と富士山(ちなっぴ撮影です)





様々なレベルの流れを読み解く

1年前、天の流れについていさどんは以下のように語っています。

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天は流れを創る。そしてその流れに具体的にことを乗せるのは、地の仕事である。流れを観て、流れに応じた行動をする。そういうコラボである。
道理を考えて人智を回すことも大事だが、それをやり過ぎると人智だけになり流れを忘れるから、流れを観ながら人智を回していく。当たり前のことだが、ついつい出来事に意識が行き過ぎると、そのことを忘れる。流れを観ていれば、ことはスムーズに進む。
それは流れているのだから、行きつくところに行きつく。

流れを観るとは、結論が出るということではない。

流れを観て、それに沿うと、行きつくところに行きつくから、その時に「ああそうか」といただく。結論はない。しかし流れをしっかり読める人間は行き着く先が想像できるものだから、思った通りにことが成るということだ。それは最初から成るべきことが成るように生きているということである。このようなものの捉え方でいると、道理が常に通っているから、自分の考えている通りにすべてが回る。



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そして、最近、いさどんがこんな話をするのを聴きました。

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この世界は氷山なんだよね。海面から見えるのは氷山の10%だけ。残りの90%は隠れている。それで、世間が言っていることは見える部分で、それを無視するわけにはいかないが、例えば、風が北から南に吹いている時、氷山は別の方向に動くことがある。それはなぜか?奥にある海流が別の方向に流れているからだよね。世間の風はこっちに吹いているのに現実が違う方向に動くことがある。安倍首相がいくらデフレ脱却、実質2%、名目3%の経済成長を目標にし、日銀を利用してマイナス金利まで導入しても、それはうまくいっていない。それは時流を読んだら、今の人間社会の表面に見える人間の欲得の世界ではなくて、時代の動き、宇宙は今、何を人間に与えようとしているのかということを読んだら、安倍首相は逆をやっている。だから表面に見える社会現象をすべてとしそれに乗ることを止めなければならない。たとえ世間からは理解されなくても何か別のものを見て時代にのっていくことが大切。本当の流れは表面からは見えない海流が生み出しているのだから。

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最近、支持率が低迷している安倍内閣ですが、2015年の夏、安全保障関連法案を成立させた時はとても強気でした。世論が反対していても、実行すれば世間はいずれその正しさを理解するという趣旨の発言をしていたのを覚えています。安倍首相は世論を甘く見ていたのです。今、南スーダン国連平和維持活動の日報隠ぺいが問題になっていますが、これは駆け付け警護の前例を生み出すために敢えて行ったように思えます。そこにも世論を甘く見る姿勢が伺え、その結果として今の支持率低迷がありますが、その種はずっと前からあったのだと思います。

高い支持率を維持していた安倍内閣がここ1、2ヶ月で国民の支持を大きく失っています。それは海上を吹く風、世間の流れです。世間の風は、人々の関心、損得や欲得でコロコロ変わります。そして表面に表れる現象の種は常にちょっと前に蒔かれています。現象は収穫のようなもの、種は常に前に蒔かれていて、そして今この瞬間は未来の種となっているのです。だから目の前の出来事に一喜一憂せず今を大切に積み上げていくことです。

その際に必要となるのが、天が生み出す流れを感じることです。天の流れは海流です。どんなに風が強くとも氷山を動かすのは海流であり、天の流れに基づくことであらゆる出来事が生かされていきます。そして、そんなふうに生きるためには目に見える出来事の奥を感じていく必要があります。

安倍首相は日本の総理大臣ですが、その支持率の高低は表面に表れている現象であり、その奥には天が生み出す流れがあります。近代以降特に、人間社会は個人の欲望を追い求めてきましたが、その結果、格差や貧困、環境破壊など様々な問題が発生し行き詰まりを迎えています。これは今までの人間の在り方が限界に達している証であり、天の流れは人間に変化を促しているのです。ですが、安倍首相の政策はそのような流れを掴めてはいません。

流れを観て、それに沿うと、行きつくところに行きつくから、その時に「ああそうか」といただく。結論はない。

いさどんはそんなふうに語りますが、その流れが海上の風、世間の流れならば、それはコロコロ変わるものであり、天の流れに沿っていなければ、おそらくどこにも行きつきません。その時その時の状況で一喜一憂するだけとなるでしょう。だからそれらはきっとどうであってもいいのです。

大切なのは、海流である天の流れに沿うことです。そして、天の流れは表面上の出来事の奥にあるものだから、それを感じるには、自分を離れ、高い視点に立つ必要があります。高い視点に立つことで初めて人は自分を通して天を表現することが出来るのです。

そし流れを観るとは、結論が出るということではない。といさどんは言います。

人はとかく結論を出したがるものですが、結論を出した途端に人智となり、天の視点を失います。常に新しいところ、未知なるところを進んでいく。それも天の法則の一つであり、天の流れは常に未知なるものなのです。

未知なる道を進み、行きつくところで「ああそうか」といただく。そしてまた未知なる道へと進んでいく。そんなふうに生きて経験を積み上げていこうと思っています。



いらなくなった状態を超えた世界

常に意識を全体性に持っていく必要があります。あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?それが重要です。個人的願望が全体性と共通していればいいのです。例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、全体性と個人は本来、共通していることなのです。ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。

心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。

だから何より心を磨き続けることです。

そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。

それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。



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いさどんのこの言葉は、このブログでは何回も引用していますが、読む度に湧いてくることがあります。個人的願望とは自我の産物ですが、心を磨き自分を高めていくと自我の動きから自由でいることが出来るようになります。すると何もいらなくなるのです。

いらなくなるというのは拒絶するのとは違います。意図的に何かを求めることがなくなるということで、出会うことは素直にいただいていきます。


自我を超えていらない状態となった時、世界を動かす宇宙の法則が見えてきます。それはこの世界のすべてを生み出しているもので、みんなに共通する世界です。ただその世界を極めていく。それは法則のままに生きるということで「みんなで」「一つになる」世界です。木の花ファミリーの暮らしはそんな世界を表現する試みです。


昨晩、いさどんから働くこと、そして生きることについて語られました。


いさどんの話は、仮想通貨ビットコインの分裂や社会保障給付金の話、そしてアメリカトランプ政権のスカラムッチ広報部長の解任と、その日のニュースの話題から始まりました。それらは今の社会の状況を表しています。


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人間がお金や物に執着するのは
生きることの本当の意味を失っているからだ。
だから、それは死生観の問題だ。

今の人間は生きることの意味を履き違えている。

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いさどんのこの言葉が端的に示す通り、今の社会では多くの人がお金と引き換えに働いており、働くことが生きることそのものではなくなってしまっています。そして、人びとは仕事でストレスをためこみながら、個人的欲望を追い求めていますが、それが社会に分断や対立などの混乱をもたらしているのです。

本来、はたらくことは生きることそのものであり、生きることを通して傍(はた)を楽(らく)にすることであり、それは自分を超えた大いなるネットワークの中で役割を果たしていくことです。この宇宙の中で自分に与えられた役割をしっかりと担っていくこと。自分が大いなるものの一部であること。その自覚が人に喜びと安定感を与えます。そんなふうに生きて働くことが木の花ファミリーの暮らしでそれは人類の未来へ向けての希望となるのです。

こんなふうに語るいさどんの言葉からみんなでその大事を確認しました。

そこには個人的欲望はいらないのです。

いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界。

みんなと一緒にそんな世界を表現していこうと思っています(^-^)


昨晩、いさどんからみんなに生きること、働くことの意味について語られました。



ただ出会う感情を楽しんでいく

出会う出来事を感情を挟まずにいただいていくように、出会う感情も感情を挟まずにいただいていく。それは感情から自由になるということです。出来事をいただくということは我慢とは違います。常に感情から自由でニュートラルである必要があります。

過去に滞りをいただいた時のことを思い出すと、大抵、何らかの感情に飲み込まれていることに気づきます。それは自覚している時もあれば、無自覚の時もあるのですが、感情が物事を見えなくさせているのは事実です。

自らの感情を表現しながらも、それを離れて眺めて、どう展開していくかを楽しんでいく。そんな姿勢が大切なのだと思います。この世界の中のものはすべて変化していきます。ならば感情も変化していくのですが、感情に飲み込まれてしまうと、それが絶対になり感情を満たすことに心を奪われていきます。そして、感情に翻弄され、それが出来事にも影響し右往左往することになります。

出会う出来事が自分の今までの生き方の結果であるように、出会う感情も自分の今までの生き方の結果です。それは自分に相応しく与えられています。そして、今の自分の感情が未来を生み出していきます。だから常に自分自身を見つめ導く必要があります。

変化変容がこの世界の法則です。その法則に自らの感情を委ね、出会う感情を楽しんでいく。そして感情が生み出す出来事をいただき楽しんでいく。そんなふうに生きていけば、きっと自分自身が天の法則の表現となります。

今、世界には多くの滞りが発生しています。それは今までの人類の歴史の結果であり、そこから生まれる感情も同様です。湧きおこる感情のままに行動していたら、今まで通りの世界が展開することになります。

今、北朝鮮がミサイル発射の実験を繰り返しています。

それは今までの北朝鮮や韓国、日本、中国、アメリカなど関係諸国の政治や経済が生み出している結果です。そこに感情的に反応し、そこから判断を下していたら今まで繰り返しとなります。例えば、それに脅威を感じて米軍と自衛隊が共同訓練をすることや外交圧力を強めることから新しい動きが生まれるようには思えません。

今までの自分たちを振り返ることで認識を深め、そこから新しい感情が生まれることで新しい動きは生まれます。きっとそれが滞りの解決へと繋がっていきます。

政治や経済、そして社会の動きは一人ひとりの心の総和です。一人ひとりが日常の中で自分を見つめ導くことで新たな動きが生まれます。それは人間の理解、理屈を超えた動きであり、だからこそ希望があります。どうにもならないと思える状態も変化していくのです。そうだから、ただ出会う感情を楽しんでいこうと思っています(^-^)

(以下、7月22日、早朝の空と富士山です)






10次産業を実現している場所

木の花ファミリーの経済について説明している時、いさどんはこんなふうに語りました。

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うちの経済は本当に面白いよ。NPO法人や農事組合法人、合同会社などがあって当然それぞれが独立した帳簿を持っているんだけれども、その奥には生活共同体木の花ファミリーがあって、生活共同体がすべての組織の運営をしているんだよ。だからどこにお金があってもみんなにとっては同じ。みんなのために使われている。それで6次産業化も完全に実現している。いや、6次どころではないな、1次+2次+3次で6次産業、うちはそれに4次も加わるから10次産業だよ。「4」は「死」。生きるものが行きつくところ。つまり究極。そして、「10」はカタカムナで言えば、統合。1+2+3+4=10、ヒフミヨイムナヤコト、「ヒト」を生み出す暮らしを木の花はしているんだよ。

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聴いていて面白いなと思いました。そしてネットで10次産業という言葉を調べたら、いくつかの記事にヒットしました。10次産業、使われ始めている言葉なのですね。

その一つがYahooニュース「農業・漁業の再生は第10次産業化の発想で!〜知的コーディネート力がカギ」ですが、そこにはこんなふうに記載されています。

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4次産業が1次、2次、3次産業を新発想でコーディネートすることが重要だ。足し算すると第10次産業。まさに大学などの研究機関が起点となって、産学連携をダイナミックに進めるということだ。これは本気で行うなら価値がある。どれだけ本気になってできるか、にかかっている。大学や研究所、学会が起点となって、様々な分野の連携を促しながら、新たな展開をすることができるなら、まだまだ、日本の社会が伸びていく余地はある。

日本の社会は蛸壺化してしまった。横断的な繋がりや発想が出にくい社会になったのだ。

 ~ 中略 ~



第10次産業化が閉塞した日本の起爆剤になる。第10次産業によって何ができるか、何が生まれるか。日本の新たな挑戦だ。

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4次産業とは情報産業や医療産業、教育サービス産業など知的集約産業に対して使われるようになってきている言葉ですが、上記の記事では4次産業が持つコーディネート力に注目して、そこに6次産業成功の鍵があると述べられています。

現在、多くの6次産業の取り組みが失敗に終わっているようです。そんな中、木の花ファミリーでは特別な努力なしに6次産業が実現しています。それは木の花ファミリーの産業は、生きることそのものであり、そこにはすべての取り組みが含まれているからでしょう。そのため、それは経済的成功だけではなく、生活の充実、人格の向上、人生の意味の探求など様々なものをもたらすのです。そして最終的には僕らは「ヒト」となります。「ヒト」とは何か?いさどんはこんなふうに語ります。

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ヒトというのは、人間という地球上で物理的に進化してきたもののことではないんだよ。それは、物理的に進化してきたものが最終的に到達する目的地点であり、宇宙にはもともとヒトという意識レベルの存在があったはずだ。なぜなら、ヒトとは宇宙の仕組みをマスターした存在を言うのだから。
ついつい人間たちは、ヒトのことを人間と勘違いする。人間とヒトでは、定義が違う。ヒトは形ではない。宇宙の法を理解し、マスターした存在をヒトと言うのであり、それは目覚めということでもある。

 ~ 中略 ~

人間は何か滞りに出会うと、それを不愉快なものだと捉え、滞りを避けようとする。しかし滞りを乗り越えた時、そこでは必ず一回り進化した新たな世界に出会う。つまり滞りとはとても大切なものであり、我々にはその滞りの正体を見極めるだけの余裕が必要なんだよ。

 ~ 中略 ~

この世界は人間の理屈を超えたところで成り立っている。だから科学や理屈で考えて納得できるところを超えた時に、奇跡が起きるんだよ。

宇宙は奇跡の連続だ。なぜなら、もともと人間の思考のキャパを超えたところで成り立っているのだから。だから宇宙を生きるという意識レベルを考えるのならば、科学や理屈を超えたところでものごとを受け取る器を持つことが必要だ。そうでなければ、真実は観えてこない。それには、人間壊しをすることだ。人間を壊して、ヒトとして存在する。それがヒトイズムだ。


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人間として生きていると様々な滞りに出会います。その時、人間としての自分の思考を超えて、余裕を持ってそれを受け取り、そこから学んでいく。そうすることで新たな自分と出会います。それは絶えず続く人間壊しであり、それが「ヒト」への道です。そして、そこを歩むことが生きる本来の目的です。

今、社会は細分化され、産業も1次、2次、3次、4次と分かれています。そして人々の関心は経済的なものに特化し、マスコミは消費を煽り、政府は経済成長を求め続けています。そのような中、社会的分断や対立、環境破壊が進んでいます。これは人類が出会っている大きな滞りです。

大切なのはこの滞りを余裕を持って受け止め、大きな視点から見つめることです。

先に紹介した記事にもある通り、今の社会は蛸壺化することで人々から繋がりを奪っています。そして産業は生活から切り離され、細分化されています。その状況から非効率や無駄、孤立が生まれ、それが滞りを生み出し続けているのです。そこには滞りから学ぶ人間壊しはありません。

木の花ファミリーにとって産業とは生きることそのものであり、そこにはこの世界のすべてが含まれます。宇宙に想いを馳せ、季節の移り変わりと共に作物を育て、恵みをいただき、みんなで喜びを分かち合います。それがそのまま経済活動ともなっています。すると失敗事例が多い6次産業化の取り組みが努力なしに実現していきます。

それはなぜか?

きっとすべてが繋がり無駄なく生かされているからです。もちろん、その暮らしの中にも滞りはありますが、僕らはそれを人間(=自分)壊しの機会とし、「ヒト」への歩みを進めるように努めています。

今、人間社会に求められていることは様々な繋がりを取り戻すことであり、その過程で人間(=自分)を壊し、「ヒト」への道を歩むことです。その時、社会の産業は至るところで繋がりたくさんの10次産業が現れることでしょう。

そんな未来の先駆けとして暮らしていこうと思っています(^-^)

ジャガイモ一斉収穫の時の写真です。

時代人となる

7月26日はマヤの新年です。3年前の7月26日、メキシコの太陽マヤ族最高司祭である尊母ナー・キン氏が木の花ファミリーを訪れ、宮ノ下広場でマヤ新年”10OC”を祝う祭典を行いました。それ以来、木の花ファミリーではこの日にみんなで集まり調和の祭典を行っています。今年は朝6時に宮ノ下広場に集まり大切な時間を共有しました。祭典の最後、霧雨の中、いさどんはこんなことを語りました。

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今、ミストシャワーのような雨が降っていますが、雨は命に潤いを与えてくれます。祭典だから晴れて欲しい。それは人間の都合で、実際にすべての日が晴れ渡ったら私たちは困ってしまいます。命の潤い、それをいただきますという気持ちで浴びれば尊いものともなります。自分の都合を手放しいただくことの大切さをこの雨は教えてくれています。
毎日生きている限り出会う出来事はすべて生きた証として相応しく出会っています。どの現象もそこに生きる人達の生き様の結果与えられています。滞りに出会ったならば、自らの生き様を変えていけば、その滞りは自然に消えていくのです。それなのに生き様を変えないで現象だけを変えようとするのが欲の心です。現象は因果律によって約束されています。そのものに相応しい現象が現れます。出来事を不愉快だからと言って解決する時代はもう終わりです。どういう時代にするかは、そのものがどんな人生にするか、何を望むかによって変わってくる。つまり、生きることが自分の手の中にあるのです。今までなぜ人々の手の中に生きることがなかったのかと言ったら、一人よがりでこの世界の仕組みを無視して欲のままに生きていたからです。その結果、自らの欲に翻弄され人生を失っていくのです。

※いさどんの言葉全文はいさどんブログ「3000年に向けて新たな時代を生きる人々へ」をお読みください。

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生きることが自分の手の中にある。この言葉を聴きながら、僕は先日、養蜂場でいさどんに聴いたこんな話を思い出しました。

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一つの群れに一匹だけ存在し数年間生きる女王蜂ですが、その役割は産卵をするだけです。巣の清掃、幼虫のお世話、蜜集めなどは働き蜂が引き受け、約1ヶ月(冬場は半年)という短い寿命で新陳代謝していきますが、コミュニティの在り方を決めているのは寿命の短い働き蜂なのです。

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短いサイクルで入れ替わる働き蜂は一人ひとりの人間、そして女王蜂は時代を表しているように思えました。いさどんブログ「私たちは時代人(じだいびと)です」に書かれているように、時代は生命であり、時代が意志を持って、時代を紡いでいます。ですが、一人ひとりの人間の生の在り方が時代を創っているのも事実です。それは人間が現象化を担うからであり、その姿は、様々な役割を担う働き蜂がコニュニティの在り方を決めているのと同様に思えました。僕たちは一人分時代を担っているのです。

時を司るマヤの新年。それは時代の流れの節目です。

このタイミングで、自らの欲を離れ、あらためて現象の奥を見つめ時代の流れを意識しましょう。その時、見えてくるのは、以下のような時代からのメッセージです。

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時代は生きています。時代は意志を持っています。わたしたち人類はその時代の変化を感知し、時代に寄り添っていく立場にあるのであって、時代を創ろうとする必要はないのです。

そのように考えていくならば、この世界は一体です。すべてのものが時代と共に一体となって動いています。それが宇宙の実相です。そのような意識レベルを有した者が地球上に現れたならば、その響きがこの世界に放たれ、それに共鳴した者たちの行動が少しずつこの世界を変えていきます。そしてさらにそれに共鳴した者が行動することによって、その響きがこの世界に放たれていく――、その連鎖が時代を動かしていきます。その響きがこの世界の混乱を鎮め、人類の営みによって傷つけられてきた地球を包み込み、地球を本来の美しい星へといざなっていくのです。

 〜 中略 ~

今こそ、わたしたちは自らを自我の枠から解き放ち、この無限なる宇宙の中で自由自在に生きる時が来たのです。わたしたちの中から願望や野心が消えた時、宇宙の真理が湧いてくるようになります。そして、人類が誕生した目的にのっとった最もふさわしいポジションにわたしたちは立てるのです。そういった真理に目覚め悟った者は、時代を読み、流れを感じ、今を生きる「時代人」となるのです。


それが、21世紀初頭にあたり、時代がわたしたち人類に伝えているメッセージです。


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マヤの新年。時代人となることを宣言します(^-^)

2017年7月26日マヤの祭典@宮ノ下にて

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