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宇宙時間を生きる(2)

6月21日19時07分、夏至です。夏至は光のピークのトキですが、梅雨の期間であるため雨降りのことが多くなります。光(火)と雨(水)、これは陰陽の統合を表しているのだと思えました。一年草(稲、トウモロコシ、大豆、コスモス、菊、朝顔、麻など)の短日植物はここから光の量が少なくなることを感じて、成長期から開花期へと変容をはじめていきますが(地球暦サイトより)、植物は陰陽の統合を経て実りへと向かっていくのでしょう。

天体の動きを見ると、今回の夏至で銀河の夜明け(2009年夏至から2016年夏至)から2年が経過したことになります。銀河の夜明けが持つ意味については、以下の天下泰平ブログ・第1話「宇宙時間」に明確に示されています。まずはその中に書かれている先住民の長老の話を引用します。

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 新たな時代への潮流の中で大切なことは、(それが一番良い方法だと信じて)全てを自分でやろうとするあり方(誤解)から自分自身を解き放つことだ。自分が望む結果よりも、遥かに偉大な結果へと天が導いてくれるということを信じて委ねられるか。それは、また宇宙時間への回帰の大切さを意味している。』

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過去から未来へとずっと続いていく宇宙時間。そのために必要なことは「真の女性性をよみがえらせる」ことです。以下、再び泰平さんの文章を引用します。

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真の女性性とは
『天の愛を受けとる在り方であり、天に導かれながら生きていくということ。』

かつて、「死」さえも天が統治して導いてくれているということを感謝と共に受け入れていた時代がありました。身体を持った「生」の時間と、身体から離れた「死」という時間を、行ったり来たりすることは、"悠久の宇宙時間"の中に在る魂にとっては何も怖いことではなかったのです。


しかし、「生」にあった時、「出逢った大切な人・時間と共にいつまでも在りたい」という当たり前の欲求によって、"宇宙時間"から自分達のための"人間(物質)時間"への執着が生まれたといいます。


やがて"人間時間"の中でのサバイバルを目的とした「男性性」が暴走を始めます。自分たちのやり方で、競争・支配(コントロール)の価値観に基づき、自分たちのルールと科学に傾倒していくうちに、いつしか私たちは天(宇宙に委ねていく在り方)から離れました。


『天から離れたということは、内宇宙と外宇宙が分離し共振性が損なわれたということ。』


私たちの身体の中に存在する内宇宙。それは微生物たちも含めた世界であり各々の心の周波数が創り出す世界です。その内宇宙と、地球と同期する外の微生物たちが創り出す世界(外宇宙)は、本来は統合していて共に響き合っていました。


宇宙には天が意図した「ひふみの法則」というものがあります。


無意識に統合の時代を生きていた時代(ひふみの「ひ」=源)から、我々は「個」の体験を重ねるという分離の時代(ひふみの「ふ」=分離)を過ごしてきました。そして、今、まさに私たちは「生」の本来の目的を想い出そうとしているのです。(ひふみの「み」=意識をもって統合の時代を生きていく)。


『全ての生命(いのち)が響きあう場所で天に導かれて愛を生きる。』


競争やエゴ、自分(たち)さえ良ければ、今さえ良ければ、という世界ではなく、皆がひとつの真実の方向に向かって響き合う、「大いなる循環」の中で自らの輝きを活かしていく時代の到来。


統合の時代へとシフトする今このとき、宇宙時間の中で、自分の輝きを、自分の中心で、真の女性性を取り戻しながら神の子として蘇る。天と自分の魂との約束を果たす時が今まさにやって来たのです。


自分自身を籠の中に閉じ込めているのは、「自分のやり方こそがベストだ」と信じ込んでいる自分自身なのです。その観念を一旦天へと戻して、認めたくない自分やもう二度と感じたくはない感情と再び出逢い、向き合い、その奥に在る、分離の時代には成しえなかった


『自分の中にある本当の想いや愛と繋がりなおす。』


そういうチャレンジを体験することが、閉じ込めた籠の中から輝ける自分自身を解き放つことにつながっているのです。


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自分の思考や感情は自分自身の体験や特徴、自我に縛られています。自我は自分の都合を追い求めますが、自分の都合を追い求めることは自分の可能性を潰すことでもあり、それを環境や他者のせいにして過ごすようになります。出来ないという諦め、世の中を嘆き社会を責める気持ち、それらの奥に自分の都合を求める心がないかを確認する必要があるのです。

認めたくない自分、感じたくない感情と向き合うことは自分を生かすことに繋がり、自分が輝き、それが社会に広がり社会も輝いていきます。ひふみの「み」は実りです。全体と個人が統合することで社会全体も一人ひとりの人生も実りのトキを迎えます。

個々の欲望を追い求めた結果、この世界の環境は破壊され、ゴミが溢れています。戦争や紛争、テロはなくならず、その結果、多くの命が犠牲となっています。多くの人が自分の都合を追い求めることで世界や自分を不毛なものとして来ましたが、それを実りへと転換するトキが来ているのです。



123(ひふみ)は人、456(よいむ)は国、789(なやこ)は天地と表します。


上記の図(くみくら)はみかちゃんが教えてくれたものですが、ヒト、個人の言葉(ヒ)と心(フ)が一致(統合)することで行動という実り(ミ)となって表れ、クニの言葉(ヨ)と心(イ)が一致(統合)することでクニに実り(ム)がもたらされ、天地の言葉(ナ)と心(ヤ)が一致(統合)することで天地に実り(コ)がもたらされます。

それは同時にヒトとクニが一致(統合)することでもあり、ヒトとクニの統合により天地に実りがもたらされ弥勒(369)の世が実現するのです。ヒフミヨイムナヤコ、ヒト(ヒフミ)、クニ(ヨイム)、天地(ナヤコ)と進むこと(3×3=9)で真の統合(ト・10)へと至ります。

宇宙時間を生きる。

そのために僕は自分の感情ではなく天の道理に基づいて行動します。感情は観察する対象であり、世界は自分の願いを叶えるためにあるのではなく、この世界を輝かせるために自分はあります。恵みは世界の輝きの中でいただくものであり、だからこそ自分の想像を超えて僕を満たしていくのです。

僕は今、宇宙時間を生きています。


「今ここ(イマココ)」に意識を向ける

昔、ハワイ島の小田まゆみさんは呼吸について以下のように語ってくれました。

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ハワイの言葉で「ALOHA(アロハ)」という言葉がありますが、これは英語で言うと「Face with Breath」、呼吸と共にいることです。呼吸と共にいること、それが「こんにちは」という意味となり「愛している」という意味にもなるのです。多くの人は呼吸を意識せずに暮らしていますが、もしすべての人が呼吸を意識して暮らすようになれば、この世界の争いの90%はなくなると言われています。

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この言葉を受けて、僕は以下のような文章を書いています。

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コキュウ(呼吸)

カタカムナでみると、「渦(ウ)がゆらゆら(ユ)と立ち上がり(キ)転がり出る(コ)」。もしくは、「転がり出て(コ)渦(ウ)となってゆらゆら(ユ)と立ち上がる(キ)」となりますが、呼吸はすべての現象を生み出す元とも言えます。呼吸がすべての生命を生み出していて、僕らは息を吸うことによって空気をいただき生かされています。そして息を吐き出すことは、自分の中にあるものを吐き出すことであり、それがこの世界の空気と混じり合い影響を与えていくのです。

呼吸を意識すること。それは自分を生かしているもの、そして自分が世界にもたらすものに対する自覚を深めることに繋がります。だから呼吸を意識することで認識が深まり、結果、多くの争いがなくなっていくのでしょう。


それは「今ここ(イマココ)」に意識を集中することでもあります。




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ここで意識を宇宙に向けてみます。木の花ファミリー憲章「世界観・概要」には宇宙の成り立ちについて以下のように書かれています。

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私たちは宇宙に始まりも終わりもないと考えていますが、ある地点を区切り、そこを「始まり」と見なすことも出来ます。現象をありのままに眺めていると、すべての現象が「想い」という種から生まれていることが見えてきます。宇宙も同じです。「はじめに言葉ありき」と聖書にありますが、言葉とは「想い」のことです。「想い」のみが存在している時点。そこを始まりと見なします。

「想い」は圧縮して爆発し、「相反するもの」を生みだしました。磁石の両極のように、相反するものは惹かれ合い、新たな振動を生みだします。それがこの世界を創っています。


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ここで語られている「想い」の圧縮とは、カタカムナでいう「ヒフミヨイムナヤ」で飽和安定している状態、そして爆発とは「転がり出る(コ)」ことです。このようにして相反するものが存在するこの世界が生まれ続けているのです。この爆発は宇宙の呼吸の始まりとも言えます。爆発することで、圧縮した想いを宇宙が吐き出し続けている。そして、宇宙が吐き出し続けているものを僕らは吸うことで頂いている。そんなふうに思えます。

天の意志から生まれた宇宙の息吹。そこに一人ひとりの呼吸が重なりこの世界は出来ています。一人ひとりは思惑を持つから、だから空気にはいろいろなものが混じり合っています。いろいろなものが混じり合っている中、天の息吹をダイレクトに受け取るためには、まずは吐くことで自分を空にしていくことが大切なのだと思います。

呼吸の「呼」は「はく」という意味と同時に「呼ぶ(よぶ)」という意味も持ちます。吐くことは呼びかけること。何に向って呼びかけるかで吸うことでいただくものも変わっていきます。呼吸を意識することは自分が何に向って呼びかけているかを意識することになります。吐くことを通して心を空にして天へと呼び掛ける。そして吸うことを通して天の気をいただいていく。それは「今ここ(イマココ)」に意識を向けることです。

イマココ

転がり出た(コ)ものが位置する(イ)時空間(マ)

圧縮された「想い」が転がり出るトキトコロ。

天の意志は常に「今ここ(イマココ)」に表されています。そこは現象化の場であり、救いや学び、そして喜びはすべて「今ここ(イマココ)」と向き合うことで生まれます。

呼吸を通して「今ここ(イマココ)」に意識を向けること。

そうすることですべての存在と一つとなり真の調和が実現するのでしょう。その確信はあります。

小田まゆみさんの絵です。(とようけのもりHPより)






人生とは場創りである(3)

射手座の満月です(^-^)

  • 自分は基本的に場を創りたくない人。みんなの前で話をしようとするとただの事務連絡だけでも心臓がバクバクする。この場をよくしていこうという提案に乗れない自分がいる。そのため「こんな自分はここにいてはいけないのではないか?」という考えが浮かんでくる。そして、実際に出ていくことをシミュレーションしてみる。「自分が出ていくならば、引継ぎとして最低でも1ヶ月は必要だよな~」とか「ここを出て行った場合、道義として同じような暮らしは出来ないよな~。そうすると、生きていくために適当な仕事を探して無気力で生きていくのかな~。」なんて考えて、「こんなことを考えても仕方がないので、ダメかもしれないけどやれるだけやろう」と言い聞かせて過ごしている。

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4年前の5月、僕はこんなことをみんなの前で話しました。そしてそんな僕に対してみんなが見える視点を伝えてくれました。

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  • こんなふうに言うことでなかのんは失敗した時のための予防線を張っている。本当は良くしていきたい気持ちがあるのに、それを推し進める力がない。ならば人に心を開いて頼ればよいのに、それもプライドが高いために出来ずにいる。なかのんは無駄な思考、エネルギーを使っている。ここを出ていくことに良いイメージがないのに、そんな考えにエネルギーを使っている。湧いてきた無駄な想いを手放していくということをしているようだが、本当に高い視点を持って、その位置にい続けたら、そんな想いは湧いてくることがなくなる。そこまで自分を高めることが大切。


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当時の僕は肯定出来ない自分をそのままにして、その上、「僕は一生懸命に考えているんだよ」というアピールまでしていました。まさに予防線を張っていたのですが、それが自分や世界に何をもたらすかには想いが至っていませんでした。

肯定出来ない自分をそのままにして保身に走る。

そんな姿は至るところにあるのかもしれません。

例えば、安倍首相は加計学園や森友学園の問題について国会で追及されていますが、そんな自分を肯定出来るとは思えません。ですが、安倍首相がやっていることは自らの保身のための行動であり真相を闇へと葬りさろうとしています。例えば、その姿はテレビを見ている子どもたちにどのように映って、どのような影響を与えていくのか、そういうことには想いが至っていないのです。

今、アメリカと北朝鮮とで米朝首脳会談に向けてのせめぎ合いが行われていますが、その背後にも金正恩体制の維持やトランプ大統領の支持率などの保身が見え隠れしています。

政治家にとって支持率はとても重要です。それを重視するあまり、自分自身が肯定出来る(誇れる)かどうかは蔑ろにされていきます。肯定出来ない自分であっても周りに受け入れられればそれでいいのです。そしてそれは今の世の中全般に言えることだと思います。

例えば松岡正剛さんは千夜千冊1604夜『勝手に選別される世界』の中で、「評判の社会」から「評価の社会」へと変わっていくことが大切だと述べていますが、この文章も上記の傾向がある社会に対する提言と言えます。以下、松岡さんの文章を引用します。

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むろん評判がいいのは悪いことじゃない。視聴率がいいのもベストセラーが出るのも結構だ。けれども21世紀の現在社会はついつい「評判の社会」になりすぎてきた。芸能界を筆頭に、評判で人気とりをするポビュリズムは政治家たちを含めてずっと以前からあったけれど、アクセス数に溺れまくるネット社会になって、その傾向が極端に増大した。増大しただけではなく、それが止まらなくなった。

   ~ 中略 ~

われわれが望むべきは評判ではない。今後の社会に示されていくべきは評判のランキングではない。ましてその集計結果ではない。「評価」(evaluation)の内実であるべきである。「いいね」のヒット数などではなく、「いい」をめぐる対話を交わすことなのだ。


だから「評判の社会」から「評価の社会」へであり、「レピュテーションからエヴァリエーションへ」なのだ。「レピュ」から「エヴァ」へ。これがぼくの注文なのだ。

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今、人々は評判を求めるあまり内実は置き去りにされています。今の状態は一人ひとりが生きてきた結果であり、それぞれに理由があるのは当然ですが、その理由を使って肯定出来ない自分であってもそのままにしていきます。そして人々に受け入れられることは求めるから表面だけを取り繕うことになります。みんなで表面上だけで受け入れあって大切なものは蔑ろにされていく。評判だけを過度に求める今の社会は人々をそんな状態にしていくのです。

だから僕は自分の肯定出来ない部分と向き合ってきました。場を創りたくないと表明した僕は、人生とは場創りと語るようになりました。その言葉には以下のような気持ちが込められています。

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他者のために。

そう思った時、特定の他者を想定すると視点が狭くなり、囚われとなる恐れもあります。ですが、場を同時に意識していれば、視点は時空を無限に広げていくことが出来ます。そして、場が健全になれば自ずと人は癒されるのです。だから常に場作りを心掛けていくことが大切なのです。

視点を場に持って行くと自分からも離れることが出来ます。そして健全な場は人を癒すのだから、自分自身も癒されます。自分のことを考えなくても、場を意識していれば、自ずと自分のためにもなるのです。

自他の区別を超えてみんなのために。

場創りを意識していればそんなふうに生きることが出来るのです。


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保身に走るのも評判を求めるのも意識が自分にいっているからであり、その結果、大切なものが蔑ろにされて自分の価値を落とすことになります。ですが、意識を場にもっていけば、場創りを通して自分が癒されると同時に自分の価値を上げていけるのです。

昨日、5月29日23時20分、射手座の満月です。

射手座の支配星は発展と成長、コミュニティを司る星、木星です。今は自分の可能性を思いきり広げるトキです。僕はこのトキを迎えて自分自身の肯定出来ない部分に徹底的に向き合います。そして、それを解き放ち自他の区別を超えた場へと意識を広げます。

人生とは場創り。

それは自他の区別を超えてすべての存在を幸せにしていくということです(^-^)





人生とは場創りである(2)

今日、5月20日で木の花ファミリーに移住して丸9年となりました。これから10年目の日々を送ります。「10」はカタカムナで統合・悟り、そして「10」は「1+0=1」で新たなる旅の始まりでもあります。木の花ファミリーで暮らした9年間を一つの気づきとして昇華させ、これから一つ次元の上がった旅が始まります。

木の花ファミリーに移住して丸5年となった2014年5月20日、僕はみんなに対して「場創りをしたくない」と宣言をしました(「まなこいから11ヶ月」を参照)。そんな僕が今年の2月、「人生とは場創りである」と語るようになりました。場創りをしなければ生きる意味がないのです。

自分の希望や願望で動くのではなく、場を大切にすることで自分の価値を高めること。そうすると思いもよらない出来事に出会い感動し、当初の願望はどうでもよくなっていきます。それがこの9年で僕が得た気づきです。

これから新たな旅が始まりますが、その前日の夜、木の花ファミリーのみんなと「モアナと伝説の海」を観ました。この映画については以前、「天下泰平ブログ/モアナと伝説の海、そしてスサノヲ」で読んでいて心に残っていました。以下、少し文章を引用します。

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「モアナと伝説の海」は、もともとはポリネシアに伝わる神話をモチーフにしたようですが、その内容はいくつも日本の神話を感じさせる物語であり、特にメインに感じた神様は「スサノヲ」でした。

荒ぶる神、スサノヲ。

国生み神話の神である父神イザナギと母神イザナミ。

イザナギから生まれた三神のうち、アマテラスは高天原を、ツキヨミは滄海原を、そしてスサノヲは大海原を治めることを任されました。

スサノヲ=海の神=ポセイドンでもあり、日本神話にしろギリシャ神話にしろ、インドの神からユダヤの神に至るまで、世界神話には何かしらの共通性があります。

モアナでは、風と海を治める半神半人として「マウイ」という人物が出てきますが、彼はおそらくスサノヲがモデルだと思います。

荒ぶる神であるマウイは、この世界を作った女神の心を盗み、無人島へと1000年間も幽閉されていました。

女神の心がなくなった世界は、闇に覆われ、世界が破滅する危機を迎えます。

この辺りは、アマテラスの岩戸隠れを連想をさせる展開です。

またマウイが神であるためのアイテムとして「釣り針」が登場しますが、これもまたスサノヲの象徴である「剣」を連想させるものであり、やはりマウイ=スサノヲを強く感じさせます。

物語の中で最重要人物(神)となっているのが、この世界を創った女神テ・フィティ

本来の姿は、横たわった女性の島ですが、心をマウイ(スサノヲ)に盗まれたことで、悪魔の神テ・カァへと変貌し、心を探し求めて荒れ狂っています。

まるで、地から溢れるマグマの神。それこそ、ハワイ島のキラウエア火山に鎮座する火の女神ペレそのものであり、おそらくは悪魔の神テ・カァのモデルはペレかと思います。

火の悪魔、火の女神に挑むのが、水の神に選ばれた主人公のモアナ。

クライマックスでは、モアナが海を割るシーンがあり、海の底を歩いていきますが、これは完全に旧約聖書に登場するユダヤ人モーセの姿そのもの。

最終的に水の神と火の神の陰陽統合によって、心を取り戻して本来の創造の女神テ・フィティに戻り、世界も平和を取り戻しますが、水の神セオリツヒメの時代や陰陽統合の時代背景も考えると、かなり奥が深い映画のように感じます。

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5月3日、いさどんがジイジとなった時にハワイ島のキラウエア火山の噴火が始まりました。5月17日にも爆発的噴火が起き、今も被害が広がっています。そのタイミングでこの映画を観ることに意味をみかちゃんの言葉で確認しました。

この物語では、マウイが女神の心を盗むことからこの世の闇が始まりますが、マウイは人間に火を与えた存在でもあり、女神の心も人間の欲望を満たすために盗んだのです。つまり人間が自らの我欲を追い求めることが女神から「心」を奪うこととなり、結果、この世界に闇が広がっているのです。それは現代社会の姿と重なります。

闇が広がる中、モアナは海から選ばれます。それはモアナという存在を超えた大いなる流れ、意志の導きです。モアナは一度、それを放棄しますが、自らの意志で再びそれを選びます。それはマウイも同様で、大いなる意志の導きを自らの意志で選ぶこと。そこに生きることの意味があるように感じました。

この映画を観た後、ジイジは、男神アマテラスやセオリツヒメの復活について語りましたが、それは宇宙の大いなる流れの中にあります。その流れの中でそれぞれに与えられた使命、それを感じ、自らの意志でそれを選ぶことで未来の扉は開かれます。

自らの使命。それはきっと、自らの希望や願望ではなく、場を大切にし自らの価値を高めることで自ずから見えてきます。だから僕は、これからも場創りを大切にしていこうと思っています。

木の花ファミリーのみんな@田楽祭田植え祭り


魂の変遷を見ていく

先日に大人ミーティングで、「心の水爆」という言葉が話題に上りました。これは昨年の9月、ジイジ(当時はいさどん)が大町へ行った時に語った言葉で以下のように表現しています。

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それはプロセスも何もいらないんだよ。だってそうじゃん。人間の思考回路を見てごらんよ。すべてにプロセスがあり、こういう原因があってこういう経緯でこの結果になって、というのが連続して、ずーっと物語を刻んでいるんだよ。それは宇宙の法であり、何かと言ったら因果の法則を立証しているわけだ。原因があってそれにふさわしい結果が起きて世界はこのようになってるんですよ、と。
ということは、現状が良くないものであるとしたら、そこから抜け出るにはどうしたらいいか。こうするとこうなるからああしてこうして・・・などと頭を回しても、それは今の結果を作ってきたのと同じ思考回路だから、結局同じ結果になるんだよ。そうではなく、この思考回路の物語をここで爆発させて、終わらせるということだ。

「わかったぞ!だからこうしよう」なんてことを繰り返していても、結局は同じことなんだよ。そこで爆発させると、物語が終焉を迎える。だから、これは言わば小型の水爆。霊的水爆だよ。


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自我を持つ人間は思考回路の物語を生きています。そしてそこから人生の変遷が生まれます。ですが、人間の思考回路の奥には、魂の変遷があり、人はそれにより生かされているのです。心の水爆を爆発させる。それは思考回路の物語を終わらせ魂の変遷へと自分自身を委ねていくことなのだと思いました。魂の変遷とは何か?「21世紀の死生観・2~真学校でもっとも伝えたいこと」には以下のような記述があります。

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例えば今のあなたが、お父さんやお母さんは大切だ、おじいちゃんやおばあちゃんがいたから自分がいるのだ、自分の一族がいたお陰で今の自分がある、と思ったとします。もっと言えば、自分の国があったから自分はいるのだ、と思ったとします。それは、この図(生命の織物2)でいうと縦のラインですね。
ところが魂の遍歴を観ていくと、前世、前々世というように、横のライン上にもさかのぼって自分はいます。前世では、今世で戦争をした相手の国に生きていたかもしれません。縦だけではなく、この横のラインにも、宇宙の始まりから終わりまでの情報があり、その中にあなたがいます。前々世では、アボリジニだったかもしれないし、ネイティブアメリカンだったかもしれません。今世では今のあなたの人生があるわけですが、来世でどこに生まれるのかは、今世の結果によります。いろんなことを経験してきた結果、今のあなたがあり、今の経験の結果が、未来のあなたをつくっていくのです。
そのように観ていくと、あなたはどこか特定の場所に所属しているわけではなく、「地球が我が家」ということになりませんか?

ですから、ご先祖様とは、過去に存在したすべての人々がご先祖様です。子孫とは、未来に存在するすべての人々が子孫です。もしくは、すべての生命のことです。先ほど、縦のライン上を受け継がれてきたDNAの話をしました。宇宙の始まりから宇宙の終わりまでの情報が、細胞一つひとつのDNAの中に入っています。同じように、この横のラインを左へずっと辿っていけば、宇宙の始まりにたどりつきます。右へずっとたどっていけば、宇宙の終わりにたどりつきます。「私」という今の自分が、魂の輪廻をくり返しながら、宇宙の始まりから終わりにまで関わっているのです。そして、その織物の糸をつなぐつなぎでもあるのです。
私たちの内にはさらに、目には見えない霊的なDNAが伝承されています。目には見えませんが、霊的なDNAの情報ボックスというものがあり、それを名付けて「宇宙図書館」と言います。そこには様々な情報が整理されており、未だ使われていない90%の脳を使ってそこにアクセスすると、すべての情報が出てくるのです。私たちは、そのような物理的、霊的複雑な仕組みのもとに存在しています。
肉体のDNAの解析と同時に、霊的なDNAにアクセスし、人類の営みを進化させるのが2000年から3000年にかけての人類の歩みです。その中で、物理的テクノロジーも進化していきます。そこに霊的なテクノロジーが重なっていきますから、3000年になるころには我々は今は想像もつかないような世界を見ることになるでしょう。

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魂の変遷を見ていく。それは全宇宙の物語の一部を担うということです。そしてそれは自我による思考回路の物語の奥に常に流れています。

近代自我による思考回路は自らを世界から切り離すことで、多大な欲望と共に孤独や疑心暗鬼を生み出してきました。加計学園や森友学園の問題は政府の信頼を揺るがしていますが、それは近代の思考回路の産物とも言えます。だからこの問題を表面的に罰したとしても人類の思考回路が変わらない限り、問題は形を変えて起こり続けると思います。だから心の水爆を爆発させ思考回路を壊していくのです。この時大切なのは、壊れていく自分を見ていくことです。見ていくことで今の実体を学び次へと生かしていけるのです。

太陽系は今、銀河の夜明けを超えて光の時代へと向かっています。それが宇宙の物語であり、近代自我による思考回路はその流れの中で大きな矛盾を生み出しています。自我という偏りを思う存分追求してきたのが近代ならば、これからは偏りから繋がることも大切さを学ぶ時代です。ここでまた「21世紀の死生観・2」からの文章を引用します。

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『偏りから、つながることの大切さ(宿命)を学ぶようになっている』とあります。宿命というのは、私たちがつながるようにできています。単独で自らの都合だけで生きてはいけませんよ、という世界になっているのです。「自分勝手に生きてもいいじゃないか」と言っても、世の中があるからそういう我儘もできるわけです。空気が無しで生きていけるのか、太陽が無しで生きていけるのか。私たちが生きているということは、必ず他のものに生かされているということです。宇宙は常に対向発生です。他者と関わり、力を合わせることで宇宙が成り立っているのです。その物理性の根本が、愛なのです。
ところが地球上に、ヘンなものが現れました。そんなに歴史は古くありません。しかし、ものすごい勢いで繁殖し、この世界に大きな影響をもたらしています。それが人間の存在です。「自分が」「自分が」と言って、宇宙の仕組みを無視しているのです。
それでも長い宇宙の歴史から言えば、これもほんの一瞬のことです。今は、人間が自我の方向へ暴走したことにより、人間社会は行き詰まりをもらっています。しかし、天はそういった愚かしい人間の中から、賢い者たちを選抜し、次の時代への準備をしています。今、銀河の冬至を越え、冥王星の248年のサイクルが終焉を迎え、次の時代を担う人々が確実に生まれてきています。ということは、私たちは既に、希望ある時代へと足を踏み入れているのです。

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5月15日20時49分牡牛座新月、そして5月16日0時20分に天王星が牡牛座に移動します。新月はリセット、そして天王星は革命の星。それが愛と美しさを司る牡牛座でエネルギーを発揮します。その節目を前に、壊れること、そして生を超えた魂の変遷に想いを馳せてみました(^-^)




「定め」とは変化し続けるということ

5月7日の大人ミーティングでは、ジイジブログ「線路は続くよ天までも」がシェアされました。そこでは人間の自由について以下のように表現されています。

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人間は、人生を30%の定めのもとに生まれてきます。そして残る70%は、自由が与えられています。その70%の自由によって、自ら落ちていくものもいます。
30%は、この世界を生きる上で、自分の力ではどうにも変えることのできない宿命です。それはいただくものです。その30%を、徹底して生きればいいのです。ところが人間は、70%の自由にばかり心を奪われ、30%を忘れてしまうのです。そうすると、自らの存在価値すら失い、取り返しのつかないところまで進んでしまうのです。
70%の自由を正しく使えるか、間違って使うかについては、それぞれの個性の違いはありますが、仕組みは皆同じ条件です。正しく使えない者は、それにふさわしい痛みを与えられます。そこでの痛みは、救済です。その救済の手に乗れば、痛みを学習として、正しく進むことができます。一方、70%の自由を正しく使う者は、現象として痛みをもらいません。痛みが伴わないことにより、進んでいる方向の正しさを確認していきます。痛みを伴わないと、人は奢って「これでいいのだ」と自我を増幅させるものですが、どんなに正しい道を歩んでいても、常に「これは天のご意向だ」という心があれば、ずっと痛みや問題ごとなく歩んでいけるのです。

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人生の30%は定め。そのことについて大人ミーティングでジイジは以下のように語りました。

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定めの30%は「1・2・3(ヒフミ)」。人間の基本です。動物ではなく人間として生かされている。人間は水や空気、食べ物がないと生きることが出来ないとても不自由な存在です。いろいろな制約があります。その事実にしっかりと向き合うことが人間を正しい方向へと導き、70%の自由へと生かされていくのです。

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30%の定めは人間の基本、そして「定めはいただくもの」とも述べられています。この「いただく」ということについて別の場所でジイジ(当時はいさどん)は以下のように述べています。

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宇宙は、常に変化することで成り立っています。波動が高いところでどんどんどんどん変化すること ─── それが活性化です。人間が自我を持ち、欲を持つと、変化しないことを求めるようになります。何かに囚われ、現状を守ろうとするのです。しかしその自我の欲が満たされても、人間は成長しません。むしろ、その欲に支配されて、不自由に生きることになるのです。
けれども、人間が自らを手放し、自分から解放することにより、自我の枠から離れることができます。この、自分自身を手放すことを、シヴァのはたらきと言います。シヴァとは、破壊の神の物理性です。宇宙は、この世界をどんどん変化させていきます。それは、無限の宇宙の中で、トキ軸を柱にし、常に先へ先へと、未知なるところに向かって旅し続けているということです。それが生命の宿命であり、宇宙を生きる上で正常な状態なのです。その中で、私たち人間も、自らの価値観を絶対とするのではなく、宇宙が変化していく流れをいただいていく。「いただく」ということは、古いものを捨てるということです。

宇宙を生きるとは、どういうことでしょうか。それは、自分を手放すということです。ところが、現状に執着する人にとっては、それは苦痛となります。そして宇宙の流れに逆らってでも、現状を保とうとするのです。そうすると、宇宙はその人に問題ごとを与えます。それは宇宙の法則からのメッセージです。そしてそれが、神様が私たちに与えてくれている、愛です。あなたを捨てなさい。そして私と共にありなさい


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「いただく」ということは、古いものを捨てるということ

定めとは変えることの出来ない宿命。その宿命とは変化し続けるということです。その事実を受け入れること。そして出会う出来事に応じて変幻自在に自分を表現すること。それが本当の自由で、主体は常に「世界」の側にあります。

そして定めの30%は「1・2・3(ヒフミ)」で人間の基本です。その言葉から思い出すのは、「ひふみの法則」。以下、そのことを説明した文章を引用します。

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宇宙には天が意図した「ひふみの法則」というものがあります。
無意識に統合の時代を生きていた時代(ひふみの「ひ」=源)から、我々は「個」の体験を重ねるという分離の時代(ひふみの「ふ」=分離)を過ごしてきました。そして、今、まさに私たちは「生」の本来の目的を想い出そうとしているのです。(ひふみの「み」=意識をもって統合の時代を生きていく)。
『全ての生命(いのち)が響きあう場所で天に導かれて愛を生きる。』
競争やエゴ、自分(たち)さえ良ければ、今さえ良ければ、という世界ではなく、皆がひとつの真実の方向に向かって響き合う、「大いなる循環」の中で自らの輝きを活かしていく時代の到来。
 ~ 中略 ~自分自身を籠の中に閉じ込めているのは、「自分のやり方こそがベストだ」と信じ込んでいる自分自身なのです。その観念を一旦天へと戻して、認めたくない自分やもう二度と感じたくはない感情と再び出逢い、向き合い、その奥に在る、分離の時代には成しえなかった
『自分の中にある本当の想いや愛と繋がりなおす。』

そういうチャレンジを体験することが、閉じ込めた籠の中から輝ける自分自身を解き放つことにつながっているのです。


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こんなふうになって欲しいと世界を選り好みする自分、その自分が本当の自分を籠の中に閉じ込めます。なぜなら世界は自分そのものだから。定めをいただき変化し続ける中で認めたくない自分が浮上することもありますが、そこと向き合う中で本当の自分が解き放たれます。そんなふうに生きることが人間としての基本、僕はそんなふうに生きています。


富士山@2018年田楽祭

出来事に解体され出来事に生み出される

悟るということは「差を取る」ということ。
何と何の差を取るのかというと、お釈迦様は「自分と宇宙」と言われました。自分というものに目覚めると「自我」が発生します。そして常に自らの解釈がこの世界を図っていくのです。
般若心教では・・・
「色即是空 ……ここでいさどんは般若心教のお経を唱え始めました)」
今、「無」ばかり出てきましたね。これは「ない、ない、ない、ない」と言っているのです。それは、自分という意識を持つとこの世界を自らの秤をもって図るのでこの世界と自分に差ができる、ということです。そして、自らの秤を持たないようになる、つまり図る自分がなくなれば、この世界が「ない、ない、ない・・・」と思えるようになるのです。そしてこの世界が「絶対有」であるという状態になるのです。今日はゆう君の誕生日ですからね(チーン 笑)。
そこで、「絶対有」とはどのような「有」かというと、すべてが自分自身である、ということです。自分とこの世界に差がある状態を悟りとは言いませんね。人は自らの解釈に依らない境地になったときに差が取れて、この世界すべてが自分になるのです。
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上記は2年前の4月8日、お釈迦様の誕生日にいさどんに降りてきた言葉です。悟りについて語っていますが、悟りについていさどんは別の時、こんなふうにも語っています。

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カタカムナによると、宇宙は、八つで飽和安定だね。八鏡文字で言えば、円があってそこに宇宙最極小微粒子の「カ」が集まっていって、そして「ヒフミヨイムナヤコト(1・2・3・4・5・6・7・8・9・10)」とエネルギーが集まることによって現象化して、この世界ができる。「コ」で転がり出て「ト」で統合する、その現象化の前の「ヤ」、つまり八の状態は、とても安定した状態だよね。そうすると、そこでは現象化は起きないんだよ。だからそれをわざわざ九まで進めた。八の飽和安定はそのまま止まっている状態だけど、九まで行くと、常に変化変容を繰り返すということ。それは地球の実体であり、宇宙の実体でしょう。飽和安定した世界も、そこを超えると、現象化ができて、それが宇宙の実体なんだよ。
宇宙というのは、本来はないもの。飽和安定の先に、「ある」ということを認識するために九を創ったのだから、その前の飽和安定の状態では「ない」んだよ。だから「ない世界」なんだよ。何もないんだから。

だけど、「アマ」というのは「ある世界」の元を創った。その「ある世界」ができたことによって、この世界はもともと「ない世界」だったけれど今は「ある」んだな、ということが理解できる。そこでトキとトコロが統合して、悟りになるんだよ。統合とは、理解なんだよ。

~ 中略 ~

生きていれば、変遷を見ていくことが出来る。変遷を見るということは、客観的視点で見るということであり、それが悟り




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この文章を見て「変遷を見る」ということはトキの差を取ることだなと思いました。今この瞬間を切り取ってそこだけに反応するのではなく、過去から未来へと続く宇宙の流れを感じることでトキが繋がりひとつになっていくのです。

悟りとは自分と宇宙の差を取ること。それはトキ軸とトコロ軸、両方について言えることで、宇宙の始まりから今に至る歴史、そこから未来へと繋がる時間軸、そしてどこまでも果てしなく広がる空間軸、時空を超えてすべてとひとつとなるのが悟りです。

こんなふうに壮大な悟りの意識。では悟ったものの日常はというと、ただ与えられた役割をたんたんとこなすだけなのだと思います。悟りとはトキとトコロの統合であり理解。決して万能になるわけではありません。髪の毛は髪の毛のまま。爪は爪のまま。それは身体全体からしたらちっぽけなものかもしれませんが、確かに身体の一部でありそれぞれの役割があります。そしてそれぞれがその役割を確実にこなすことで身体全体が機能しています。人間も同じで、宇宙全体からしたらちっぽけなものですが、確かに宇宙の一部であり、それぞれがその役割を自覚し確実にこなすことで宇宙全体が美しいハーモニーを響かせるようになるのです。このような視点、理解があれば、どんな役割も宇宙全体と繋がり誇りを持って生きることが出来るようになります。それが悟りなのだと思っています。

そしてこれは頭による理解ではなく心による理解です。「自分の役割は○○だ」と決めつけるものでもありません。変化変容を繰り返すのが宇宙の本質です。ならば、それに合わせて自分も変化し、役割も変化していくものです。

出会う出来事によって自分を知り、出会う出来事によって変化していく。それが本来の人の姿で、そこから本来の役割も見えてきます。ですが、人間は自我を持ち、今の自分に囚われこだわることがあります。そうすると本来の自分、そして本来の役割を見失い、変化が阻害され滞りに出会うことになるのです。今は世界全体がそのような状態になっています。

自我は自らの秤を持って世界を図りますが、人間は長らくこの自我の欲望を満たそうとしてきました。その結果、世界は自我の欲望で膨れ上がり、はかりごとに満ちています。それは闇のピーク(2012年12月21日)へ向けての宇宙の流れを受けたものとも言えますが、今、宇宙は銀河の夜明けを超えて光へと向かっています。膨れ上がった欲望をそぎ落とし、きれいにしていくサイクルに入っているのです。

宇宙の流れに沿うこと。それはすべての人に与えられた役割と言えます。

大気汚染や海洋汚染、戦争や紛争、政治の腐敗、経済格差や貧困や飢餓。

今の汚れを生み出しているのは今までの人類一人ひとりの歩みです。変遷を見ることでトキの差を取り、今この瞬間で過去を浄化していく必要があります。起きた出来事は変わりませんが、その意味付けを変えることは出来ます。泥は、土足で入ることで建物を汚すものともなりますが、美しい蓮の花を咲かす土台ともなります。泥は、状況次第でいろいろな影響を与えるものとなります。同じように、今この瞬間に過去が与える影響も、意味付け次第でいろいろなものに変化していくものなのです。

今、星々からのメッセージはそぎ落としです。自らの秤をなしにし、「ない」から「絶対有」へと至る道を辿り続ける必要があります。それは出会う出来事に向けて常に自分を解体していくことなのだと感じています。出来事に心の開き自分を解体し自分をなしにしていく。そうすると出来事が新しい自分を生み出してくれます。その繰り返しの中で余分なものはそぎ落とされていきます。そしてそれは過去にも至り、過去の意味付けも余分なものはそぎ落とされ今この瞬間に活かされるようになっていくことでしょう。

出来事に解体され出来事に生み出される

僕はこれからそんなふうに宇宙の流れを感じながら生きます(^-^)

蜜蜂さんの生き方は見本となります(「蜜蜂のように生きる」をご覧ください)

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