生かされている。ただその事実だけを誇りとして生きている。

このまま消えてしまいたいと思ったトキ、それでも生かされている自分に気づく。
自分を生かしているものは、大いなる存在であり、この世界のすべて。
それは尊く美しい命のはたらき。
ならば、生かされているという事実を誇りとすることが出来る。

消えてしまいたいと思うのは、自分が汚れているから。
自分の混沌が自分を汚し自分一人分世界を汚してきた。
そして自分の汚れが自分から誇りを奪ってきた。

自分と世界を汚してきたものは、自分の自我(エゴ)。
そんなものは本当に消してしまえばいい。

大いなるものに生かされている。
ただその事実だけを誇りとすればいい。
そしてその誇りに見合うものであるようにベストを尽くす。

生かされている。
ただその事実だけを誇りとして生きている。

そしてお迎えが来たら潔く美しく旅立っていこう。

☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 

上記は6月の終わりに書いた文章です。この頃、大人ミーティングでは、NHKスペシャル「天安門事件・運命を決めた50日」をみんなで観ましたが、この番組を観た後、ジイジは以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

私がこの番組を観ることを提案したのは、中国政府がどんなに今の中国が安泰だと言っても、それはそのように表面的には扱ってきているからであって、人間の心というものは抑えられれば表には出さないかもしれませんが、心までは束縛できないので内には鬱積したものがいつまでも残っているのです。それがいずれ爆発するのか、それとも穏やかに解放されていくのか。過去の歴史を振り返ってみると、人々が抑圧された場合、その鬱積したものは必ず革命や戦いによって決着がついてきました。しかし、中国のような強大な国にそういったことが起きると、世界的な問題になります。そこで、こういった問題は自然の流れのように出来事が解放され健全化していくことが大切だと思うのです。

 ~ 中略 ~

中国には経済的に華々しい未来がきっとあるのでしょう。しかし、このままでは人々の心の闇はますます増大していくことでしょう。これから地球人類社会に訪れるであろう宇宙的時代には、そうした人々に矛盾をもたらす発展はもはや終焉を迎えることを示しています。これからの時代は対立ではなく、調和がベースとなった時代づくりをすることを、宇宙は私たちに伝えているのです。

今、私たち木の花ファミリーの存在は世界的にはとても小さなものですが、確実にその歩みを進めています。どれほど小さくても、どれほど理解されなくても、私たちは自らの真実を生きるべきなのです。そのときに気をつけなければいけないことは、世界観が狭いと、結局自己主張のためにそういった行いをすることになってしまいます。しかし、この歩みは自己主張の道ではありません。もしあなたに時代の流れや宇宙の意思が感じられたら、いよいよ地球にも大調和の時代が訪れたことを知る者として、この生き方を社会に提案する者となってください。

今日はみんなでジャガイモ堀りをしましたね。ご飯も作りました。ロータスランドでお客さまも迎えました。私たちは普通の人として普通の日々を送っていますが、ぜひ、志は宇宙的であってもらいたい、そして揺るぎないものであってもらいたいと思います。

 ~ 中略 ~

個人には優しく、しかし人には厳しくなくてはならない。つまり、歴史の中でそれぞれが自らの立ち位置を役割として果たすことに、罪はない。ところが、一人ひとり、人としてあるべき姿勢を問われたら、そこでは問われなければならない。そうでなければ、今後も歴史の中で人間は自らの立場を守り利益を得るために、損得の立ち位置に立って天安門事件のような人の道から外れた行いをするだろう。これは、ひとつの出来事だけを追及しているのではない。人間の歴史上、そういったことがたくさん行われてきた。その一つひとつに正邪や優劣をつけることは困難なことである。

人類の歴史上、新たな時代を迎えることとなった今、人間が人であることの意味を理解し、本当の意味で霊的価値を高めるときが来ている。そしてそれが達成されたときに、どの民族もどの体制もどの国家も優れたものとなる。その時代の要請を受け、私たちはこの暮らしを実践しているのである。確実にその時は刻まれ、今、その真っ只中に生きている。 



☆彡 ☆彡 ☆彡

人類はずっと平和を求めてきました。ですが、天安門事件をはじめとする様々な悲劇がこの世界では起き続けています。それはきっと、平和を求める心の元が自己主張の道だったからなのだと思います。高い理想を掲げても、それが自分からの視点ならば、自己主張になっていき、世界に自己主張の響きが広がっていきます。自分という字は自らを分けると書くように、自己主張は世界に分断を広げ、そこから対立や孤立が広がっていくのです。

このまま消えてしまいたい

こういう気持ちもそのような中、生まれる自己主張とも言えます。

世界観を広げるために。自分の思考ではないところで生きていく。

そう語った途端にそれは自分の思考となっていきます。言葉を語ることは確認となりますが、確認したらすぐに手放さなければ固定されたものとなっていきます。そうすると高い理想も自己主張となっていく恐れがあります。

判断は、常に出会う出来事を頂くことによってしていく必要があります。そのようにしてはじめて自分の考えを超える可能性に開かれます。

ただ時代の流れや宇宙の意思を感じること。時代や宇宙の意思が自らを生み出したことに誇りを持ち、それを体現すること。そうすればきっと、トキの流れが人々や世界を繋げ調和をもたらします。それは星々の運行などが教えてくれるトキの流れです。だから、ただただそのことだけを心掛けて生きていけるように。未熟な反応に気づき手放すために毎日の生活はあるのです。

生かされている。ただその事実だけを誇りとして生きている。

ということで、7月26日、マヤ暦の新年というトキにジイジが語った言葉を紹介してこの文章を終わらせますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

世の中にはいろいろな宗教などがありますが、それらに影響されずに木の花ファミリーの道を歩んでいくのが今は大事なのかなという感覚があります。共通点はみんなあるのだから、交流していくのはよいとしても、我が道を行くというのが大事なのかなと思っているところです。

ここで湧いてきたことを基にして、一つの船としてここを仕上げていく。既に船は出航していて、みんな乗組員として共にいるわけで、こんなことをあらためていうのは変かもしれないけれども、もっともっと一つ一つの精度を上げていく必要があると感じているところで、他のところとは、連携はしていけばいいのだけれども、取り入れていく必要はないのかなと感じています。逆に我々が信念を持って、確信のところをついていくと、他の人たちが取り入れていくことがあるのかなと感じています。

我々は、カタカムナや地球暦を取り入れ、カルマ読みも行っていますが、それらはあくまで参考であって、目的はその人間の意識上昇です。その人間のオリジナルな歩みで次元上昇した時に、その人間自身が奇跡を起こしたり、直感で真理が湧き出してきたりということが重要なのだと思います。

人々はいろいろな宗教の力を借りてきましたが、宗教は人を根本的な解決には導けません。宗教レベルでは人を根本的には救えないのです。では、どこで救えるかと言ったら、自分自身の目覚めです。

そもそも自分をおとしめたのは自分自身です。世の中がどんなに狂っていても、目覚めている人は目覚めています。たとえば第二次世界大戦の頃は、世の中全体が狂っていましたが、その時代は、そういう人たちが時代の要請によって生まれてきているのです。ですが、そういう中でもたまに違う存在が表れ信念を貫いています。それは、大した力にはなりませんが、多様性の表現、そして次に時代の予告になっています。だから大事なのは、個々が自分と宇宙との対話によって、自分のオリジナルな道によって次元上昇していくことです。その時、その人の最もふさわしい悟りに至ります。

お釈迦様は、この世界に生まれることを憂いて救済すると言いました。そしてそれが宗教になっていきます。キリスト教もそうです。宗教は、救済するための道具となっていきます。そうすると救済されたい人間が集まってきますが、そういうものがいればいるほど宗教は組織となっていきます。ですが、そんなことを止めなければならないのです。

最終的に、あなたを救うのはあなた自身です。何かに頼って救われると、今のような駆け引きの世界が出来ます。最終的に行きつくところは自分で自分を救うこと。それをやるからこそ、自分としての尊厳とそのオリジナルを保って誇りのもとに人生を終わらせることが出来ます。

極楽浄土に行けるといって、お布施をして、お金を払って、これで幸せになれると思ったとしても、それは自分の実力ではありません。お寺だったり、お金だったりに依存していく。そういうことが世の中を濁らせていきます。

どこかに所属することが幸せにつながる。

そういうものが人の目覚めを妨げます。宗教は、大いなるものへ意識を向けて正しく認識するという意味では重要なものです。ですが、今までのような組織宗教になってしまうと毒になっていきます。

新しい時代は、組織がなくならなければなりません。組織は全部解体して、個人が目覚めて、個の目覚めのネットワークが出来ることで、宇宙の実態としての組織が出来るのです。それは既存の組織とは違う生命ネットワーク、宇宙規模になれば、宇宙ネットワークとなります。その区別が分かる必要があります。

いろいろな宗教はここに来れば幸せになれると言います。ですが、僕はそんなことは言いません。どこにいても心が悪ければ幸せになれない。それが宇宙の法なのです。

個人として目覚めていく。

そのことが大切なのです。

かつて僕はお釈迦さまにこんなふうに尋ねました。

お釈迦さまに道をいただきながら、それが尊いから私は歩んできました。そうしたら、その語ることに魅力を感じるものたちが集まってきました。こうやっていつかはこの集まりも組織となり、私は教祖となっていくのでしょうか?

それに対し、お釈迦さまは、そうではないと仰りました。そして、その言葉は次のように続きました。

これからの時代は組織を作るのではない。作るのは人々が集う場。人々が集い語り合え。語り合う中から真理が生まれる。

「語り合う中から真理が生まれる」ということは経典はいらないということです。経典を持つから固定されます。宇宙は常に変化変容変態を繰り返しているのに、経典を正解にしてしまうのです。

今日は726日、マヤ暦の新年です。2014年の10OCから始まり、この日、僕らは、地球を祈りのウェーブで包もうとやってきましたが、その祈りのウェーブは組織的なもので作れば分かりやすいですよね。だけれども、本来、それは人の目覚めによってなるべきで、それは726日ではなくても、いつでも地球のことを思い、地球の生態系と共鳴して日々を生きている人々の意識から発生するべきものです。それが本来の姿で、今はその過程にあります。そして、その過程は、銀河に報告するべきだと思うと、銀河まで意識して生きることになるのです。


ジャガイモ収穫の様子です。



自然で当たり前のことを当たり前にする

九州にて、大雨による被害が警戒されていますが、時代が令和を迎えた5月、ジイジは大人ミーティングで以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今は5月ですが、これから夏に向かうにつれて、また世界中に災害が起きてくることでしょう。それは自然の問題で、自分に問題があるわけではないと多くの人々は思っています。しかし、それはすべて、履物の話と同じなのです。履物が散乱しているのはその人の人間性の現われであるように、病気になるのも、その人の人間性です。災害が起きるのも、今の人類の人間性の結果なのです。そういったことを緻密に観て、しっかりと振り返り、改めて、先へ進むことが大切なのです。
そこで大切なことは、常に新鮮な出来事に新鮮な心で向き合い、自らの枠に囚われず、物事の実態を冷静に捉え、進化につなげていくことです。これまでは、過去のものを実績として積み重ねていくことが大切な時代でもありました。過去から学ぶことは大切なことです。しかし、そこで過去に執着したり、特定のものに正しさを求めると、古びたものに真実を固定してしまうことにもなります。正しさとは、未来に行って与えられるものなのです。
その時に、まだ来てもいない未来のことで結論を出してはいけません。わかるはずがないのですから。まずは今、自らが行うべきことをする。そうすれば、それにふさわしい答えが未来に結果として与えられます。宇宙や地球の仕組みは、常にその答えを返してくれるのです。自分で結論を出すのではなく、今やれることに最善を尽くし、その結果を未来に受け取っていく。それがこれから求められる地球上での人間の立ち位置です。
今、地球上に聖者はいません。しかし、人間は本来誰しもが、優れたものとして地球上に生きることができるのです。本来、そのために人間は地上に降ろされたのです。これまで、過去にどんなに優れた人が降ろされていたとしても、結果として人間たちは今、地球のガン細胞のような存在となりました。ですからその証として、現代に優れた人はいません。本当に優れている人ほど、自らの実力のなさが今の地球の現状を招いたのだと、謙虚に振り返っているはずなのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

ここで話は変わって。

昨年のこの時期、僕は自然療法プログラムに取り組んでいたAくんのサポーターをしていました。Aくんの卒業コンサートは、昨年の7月31日に行われたのですが、その時、ジイジが語った言葉を最近思い出しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

本当の自分の実力というのは、自分の正直な心を出して、その上で返ってきたいろいろな出来事を通し、それをどのように捉え、どのように前向きに進んでいくのかにかかっています。そのときに、本当の実力が出来、社会をたくましく生きていく力になります。これは、ここで決めていることなのではなく、実際に、生きるということはそういうことなのです。誰も、明日の自らの人生を読み解くことは出来ません。明日に出会うことは、今日までに出会ってきた延長にあるとは限らないのです。それが、人生というものです。

そのために、自らの予想を超えた想像の出来ないことが起きたとき、その出来事は新たなことに対する抵抗力を与えてくれていると思えば、とてもありがたいことなのです。なぜなら、それは自分を育ててもらっていることになるからです。そのように物事を前向きに捉えたら、「あれはダメだった」「これはこういう理由でダメなのだ」という言い訳は必要なくなります。そして、どんなに難しいと思われる出来事が起きたとしても、超えられないことは何ひとつありません。そこを一つ一つ取り組んでいくことによって、自分の力が身につき、生きる希望になるのです。それが、この自然療法の取り組みに対する考え方です。


☆彡 ☆彡 ☆彡

当時、不登校だったAくんは、健全な生活を取り戻すために自然療法プログラムに取り組んでいましたが、最初の頃は、出来ない理由ばかりを探していて取り組みはなかなか進みませんでした。そんなAくんが自らの意思を強くし、規則正しい生活リズムを整え、自分と向き合うことで成長し、卒業していきました。

Aくんのケースのように、自然療法プログラムでは、規則正しい生活リズムを一つの柱としています。それは、自然で当たり前なことを当たり前にするということを意味します。そのことを基盤として、日々出会う出来事を通して自分を見つめ変化していくのです。

自分で結論を出すのではなく、今やれることに最善を尽くし、その結果を未来に受け取っていく。それがこれから求められる地球上での人間の立ち位置です。

今年の5月、これからの人間の立ち位置として、ジイジは上記のように語っていますが、これは自然療法プログラムで求められる態度と共通しています。自然のことを気にせずにやりたい放題をして来た人類の姿勢は、昼夜逆転の生活を送っているようなものとも言えます。その結果、人間社会は自然との繫がりや秩序を失ってきたのです。

自然で当たり前のことを当たり前にする。

今の人間社会はそのことが出来ていない状態で、その表れとして、鬱や引きこもり、人々の分断や対立、そして自然災害があるのだと思います。

自然で当たり前のことを当たり前にする。

そのことが最善を尽くすこととなり、ヒトとヒトは繋がり、出会う出来事をいただき実力をつけていく基盤となるのです。今まで見てきた景色は、乱れた思考や生活から生み出されたもの。それが未来を作り続けるわけではありません。冒頭で、これからの時代について語るジイジの話を紹介しましたが、その話は以下のように締め括られています。時代は新しいところへと常に進み続けているのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これからの時代がどれほど困難であるのかは、行ってみなければわかりません。平成は、その困難な時代の予告編だったのかもしれません。令和になり、いよいよ本番です。ではなぜその本番を与えられたのかというと、その先があるからです。
過去6億年の間に6回大量絶滅を繰り返してきた地球の生命の歴史に照らし合わせてみれば、現代を生きる人類は、次の生命大量絶滅の引き金となるかもしれません。人々は、何かが壊れる前はそれを守ろうとします。そして壊れれば、それを惜しみます。しかし、壊れるからこそ新しいものをそこに表現できるのです。それは、大量絶滅をするたびに進化してきた生命の歴史と同じです。
ですからやはり、壊れなければなりません。そこで、積極的に壊れていくことを喜べる生き方とは、どのようなものでしょうか。それは、使えるものを壊していくということではなく、価値観を変えていくということです。出会ったことをポジティブに捉え、変化することを喜ぶ。その時の変化は、進化になります。
変化は積極的に喜びを持って受け入れるものですが、現状の自分を守ろうとすると、出会ったものを拒絶したくなります。さらに、その自分に執着すると、変化は苦痛になります。それは、地上にいて地獄を生きることとなるです。しかし、それが喜びとなった時、尊いものへと向かう目覚めが始まるのです。

火山が噴火する、地震が起きる、台風もたくさん来る。そういう日本にいて、それが喜びになる。大変なことがあるから、大調和になるのです。それが大和という国であり、その証として、令和という時代がいよいよ始まったのです。

令和は、平成よりも物理的にはさらに厳しい時代となるでしょう。それを、大調和を持って乗り越えなさいということです。その厳しさは、ただ乗り越えるためではなく、大調和することを呼び覚ますためにあるのです。これから、今までに人類が積み上げてきたものがどんどん壊れていく時代が始まります。それを乗り越えるために必要なことは、力を合わせること。そして、壊れた先には、これまでに出会ったことのない新しい世界が待っているのです。そのことを、令和という時代は、私たちに示してくれているのです。



木の花ファミリーのみんな@玉ねぎ収穫です。

一喜一憂している自分を離れて世界を見る。

富士山と太陽です(^-^)


2019年6月22日0時54分、夏至です。

天体の動きを見ると、今回の夏至で銀河の夜明け(2009年夏至から2016年夏至)から3年が経過することになります。銀河の夜明けが持つ意味について、天下泰平ブログ・第1話「宇宙時間」には、以下のように書かれています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

 新たな時代への潮流の中で大切なことは、(それが一番良い方法だと信じて)全てを自分でやろうとするあり方(誤解)から自分自身を解き放つことだ。自分が望む結果よりも、遥かに偉大な結果へと天が導いてくれるということを信じて委ねられるか。それは、また宇宙時間への回帰の大切さを意味している。』


 ~ 中略 ~

宇宙には天が意図した「ひふみの法則」というものがあります。


無意識に統合の時代を生きていた時代(ひふみの「ひ」=源)から、我々は「個」の体験を重ねるという分離の時代(ひふみの「ふ」=分離)を過ごしてきました。そして、今、まさに私たちは「生」の本来の目的を想い出そうとしているのです。(ひふみの「み」=意識をもって統合の時代を生きていく)。


『全ての生命(いのち)が響きあう場所で天に導かれて愛を生きる。』


競争やエゴ、自分(たち)さえ良ければ、今さえ良ければ、という世界ではなく、皆がひとつの真実の方向に向かって響き合う、「大いなる循環」の中で自らの輝きを活かしていく時代の到来。


統合の時代へとシフトする今このとき、宇宙時間の中で、自分の輝きを、自分の中心で、真の女性性を取り戻しながら神の子として蘇る。天と自分の魂との約束を果たす時が今まさにやって来たのです。


自分自身を籠の中に閉じ込めているのは、「自分のやり方こそがベストだ」と信じ込んでいる自分自身なのです。その観念を一旦天へと戻して、認めたくない自分やもう二度と感じたくはない感情と再び出逢い、向き合い、その奥に在る、分離の時代には成しえなかった


『自分の中にある本当の想いや愛と繋がりなおす。』


そういうチャレンジを体験することが、閉じ込めた籠の中から輝ける自分自身を解き放つことにつながっているのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

銀河の夜明けを超えて、天体の動きは光、統合へと向っていますが、現実世界は混沌の度合いを増しています。5月26日に北海道佐呂間で39.5度という高温を記憶し、28日には川崎市で、18人が負傷し、加害者を含めた3人が亡くなった痛ましい事件も起きました。この時間は社会に大きな衝撃を与えましたが、事件の数日後、ジイジは子どもたちに以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

発音が曖昧ということは、言葉が曖昧ということです。言葉が曖昧ということは、意味が曖昧ということです。意味が曖昧ということは、コミュニケーションが曖昧だということです。そうすると、自分の思うことも相手に伝わらず、相手の言うこともわからないまま適当に解釈することになって、曖昧な人間関係をつくることになっていくのです。そのように意識しないうちにすべてのことを曖昧にしていくと、やっていいことと悪いことも曖昧になります。そして、自分の行動に矛盾が発生してもそれをいいとも悪いともはっきりさせないまま、ただ都合のいい豊かさだけを追い求めていくからその豊かさも曖昧になります。そういった一人ひとりの小さな行いを曖昧にしていった結果、地球上にたくさんの矛盾が積み重なっていったのです。そして今、明快な災害が起きるようになりました。
人間関係も同じです。曖昧なまま進んでお互いのことを本当に理解し合わないうちに、人と人との関係にもたくさんの矛盾が発生し、そういった日々の生活の積み重ねが長い間にストレスとなって溜まっていった結果、ある日爆発して、明快な犯罪を犯すことにもつながるのです。

犯罪が起きる時は、とても明快です。今回の犯人も、積もり積もったストレスの結果、「やってやる!」という明快な意志を持ち、包丁を4本も用意して、手袋をはめ、子どもたちがバス停に並ぶ時間を狙って現場に行き、計画を実行したのです。

 ~ 中略 ~

犯人がどのような人物だったのかということは、まだよくわかりません。ただ、今の時点で報道されている情報によると、子どもの頃に孤独だったといいます。両親が離婚し、お父さんにもお母さんにも引き取られず、伯父さんの家に引き取られて育てられたそうです。

 ~ 中略 ~

きっと彼は、昼も夜もゲームをやって、だらしのない生活をしていたのでしょう。ところが、事件を起こした時にはとても明快でした。「やってやる!」と。そして捕まる前に、自らを刺して自殺しました。どんな人でも、死んでしまえば裁かれることはありません。罪を犯した時の最も重い刑罰は死刑ですが、その刑を自らに課したのです。ですからもう、罪を問われることはありません。
何かがおかしいでしょう?彼は死んでしまったから、行った行いについて、もう問われることがない。しかし本当は、なぜそれが起きたのかを明らかにするべきであり、彼が行ったことは、この社会の中で起きたのです。つまり、こういった事件が起きるような人間関係が、今の世の中にたくさんあるのです。一つひとつのことにけじめがなく、曖昧で、それをそのままにして進んでいく。その結果、人と心が通じない。互いを理解し合えず、誤解し、相手はこうだと思い込み、人間関係が悪くなっていく。まるで、日常生活の中に戦争が起きているようなものです。だからこそ、自分の思うことをいつでも正直に出すことが大切なのです。そして相手の思うこともよく聞いて、互いを理解していくのです。

これから、災害はますます増えていくでしょう。だからこそ、そうやってみんながお互いを理解し、助け合わないと、乗り越えられない時代になるのです。災害のない、平和な時代になってほしいと人々は言います。しかし、日本は今のところ戦争はしていませんが、先日トランプ大統領が日本に来た時に、日本の護衛艦を空母にするということを話していました。空母は戦争の道具です。戦争はしていなくても、戦争のための道具に、たくさんのお金を使っているのです。そして戦争はしていなくても、子どもたちが学校へ行こうとしたら、見知らぬ人に包丁で刺される時代になったのです。そんな社会は、平和な社会とは言えません。

家の中では家族でいがみ合い、ケンカをしている。それは、本当にわかり合うための努力をしていないからです。自分の主張ばかりして、相手のことを理解しない。それも、一つひとつにけじめがないということなのです。そういった世の中全体のあり方が、この事件をつくったのです。



☆彡 ☆彡 ☆彡

ものごとを曖昧にすることで矛盾が発生し、それが社会に反映されていく。だからこそ一人ひとりの生きる姿勢が大切になります。そして、なぜものごとを曖昧にしてしまうかと言ったら、自分を良いものだと思いたいからであり、自分のやり方(癖・性分)に染まりきっているからなのだと思います。時は遡り昨年の8月、ジイジはこんなふうに語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡


僕が今、考えているのは、人というのは自分を良いものだというふうに見せてカモフラージュしている。だから、正直でないことが染み付いていると、わからないことはこういうふうにしていこう、と見せたいものなのだ。自分の許容範囲の中に収めていきたいものなのだ。ところが、実際の人間というものは、日常親しく付き合っていればボロが出てくる。しかし、いちいちそこで問わない人間関係であれば、そんなことは誰も問わない。穏便にいけばいいから。お互いに自分の許す印象が維持されていれば、それでいいわけだから、それに言及しない。

ところが、それでは生きているという意味からしたら、人間は生きることによってただこの世界に役割を果たしているのではなく、自らのカルマというものを浄化するために生きている。だから、人間の生きる目的からは外れている。それをノーチェックでいって、そこに矛盾やエネルギーがたまっていけば、ぶつかったり、悩んだり、中にはうつ病になるものも出てくる。

そこに対して、その行動を理解して果敢に挑戦する気が自分にあるかどうか。そこをごまかして、自分に挑戦しないで、逃げている。それを自分だけの問題だと思っているのだが、それが世界の空気をつくっていく。

ここで難しいのは、自分の癖・性分というものは捨てるものではないということ。癖・性分というものは直すとか捨てるとか、そういうものではない。癖・性分というものは、有効に生かすというところで、初めて変化をもたらすことができる。そうすると、人は癖・性分を有効活用するというところになかなか行かないものだ。だから、同じことを繰り返す。

そこで、癖・性分を有効活用するにはどうしたらいいのか。まずは出来事を癖・性分で受け取っているのだから、出来事を客観的情報として冷静に分析する力を身につけないといけない。しかし、自分から離れて事象を観ることは難しい。それに一喜一憂している自分に対して、自分から離れて、それを観る。しかし、それは簡単にできるわけがない。一生の問題だから。

そのときに、それが可能になるのは真剣に取り組んでいく姿勢。真剣でも、方向が間違っていたら、同じような滞りが繰り返し起き、そのうちに嫌になって、やる気がなくなり、ダメになるというものも出てくる。一生懸命だったって、ただ一生懸命やっていると、ダメになる一生懸命もある。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ジイジは駄目になる一生懸命もあると語っていますが、今の混乱した社会も人々が一生懸命に生きてきた結果と言えます。元号が令和に変わった2019年5月1日、ジイジは子どもたちに向けてこんなふうに語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これからますます、世界中で地球規模の矛盾が現象化していくことでしょう。その矛盾とは、人的矛盾、社会的矛盾、そして環境的矛盾です。
人的矛盾と言うのは、人間一人ひとりが良いと思ってやることが間違いを起こし、世の中を悪くしたことです。そして一人ひとりが自分のことしか考えず、魂としてもレベルの低いものになってしまったということです。良いと思って間違いをやるのは矛盾です。ですから、悪いと思ってやる方がまだましかもしれませんが、それはそれでなお問題です。
社会的矛盾とは、例えば良い世の中を作るためにあるはずの教育が、格差を作っています。人々を健康にするための医療が、お金儲けの手段になっています。裁判所では、たくさん勉強をした優秀な人たちが、自分の利益のために罪のある人を無実にしたり、無実の人に罪を着せたりしています。お金を儲けて豊かになろうとする人たちが、何も生産しない仮想経済金融システムや、裏に隠されて表に出てこないアングラマネーの世界を作り、さらに格差を広げています。それらはすべて社会的矛盾であり、そういった現代にはびこる矛盾は数え上げたら切りがありません。
そして、地球温暖化に代表される環境的矛盾があります。太陽の黒点活動により、地球は今プラスエネルギー過剰になっています。人間が「もっともっと」「たくさん欲しい」というのはプラスでしょう?太陽がそれに応えて、エネルギーをどんどん地球に送り込んでいます。そして地球のマグマのエネルギーが強くなり、火山が噴火するようになります。日本では、地殻変動や火山の噴火が近い将来起こると予想されていますが、そういったことを誰が引き起こしているのかと言えば、人間のこれまでの地球上での生き方が、それを引き起こしているのです。

学校でいじめにあったり、社会に通用せず引きこもりになってしまうのは、子どもの問題のようですが、実はその家のお父さんとお母さんの仲が悪くその影響を受けていたりします。ではその両親の仲がなぜうまくいかないのかと言えば、そのまた両親の関係から来ていたりするのです。そういったことを正しく振り返り、いったいどこに問題があるのかを観て、最終的に自分自身に問題があることに気付き、自分をきれいにしていく。そうすると、そこから初めて自分自身の人生も、自分がこれから生み出すであろう子孫も、社会も良くなっていきます。



☆彡 ☆彡 ☆彡

長い間、多くの人々が自分の実態と向き合わず、都合の良い結果を求め続けた結果、一生懸命がこの世界に矛盾を生み出してきました。それは自分のやり方(癖・性分)でものごとを改善しようとしてきた結果で、日々の生活の困難、社会の混乱や災害は今までの生の結果と言えます。だからこそ今の状況を正しく振り返り、それを生み出した自分や社会の実態を知り、きれいにしていくことが大切になります。そのことがものごとを明快にし、場を整え美しくしていくのです。そして、そのためには、ものごとに反応し一喜一憂している自分を離れて、自分や世界を見ていく必要があります。

一喜一憂している自分を離れて世界を見る。

その姿勢が育まれたトキ、癖・性分に染まっていては、認めることが出来なかった本当の自分に出会い、この世界に流れる大いなる天の導きが見えてくることでしょう。

銀河の夜明けを経て、光が差し込む中で浮き彫りになり続ける混乱は、自我の闇の中で盲目だった人々を実態へと誘うエール、認めたくない自分や感じたくない感情と向き合い、その奥にある本当の自分、本当の世界へと至る道なのです。

2019年6月17日のお月様。射手座満月です(^-^)



うそにならないように・・・

今日、2019年5月20日で、僕は木の花ファミリーで丸10年過ごしたことになります。10周年を前にした5月13日、ジイジと話す時間を持った僕は、「自分のことばかり話しているね」というフィードバックを貰いました。

時は遡り、2009年2月16日。学校事務職員として働いていた僕は、こんな文章を書いています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人間の心の顕れがすなわち地球の心の顕れ。 
地球は(自然は)調和的であると共に利己的でもある。 
「種の保存」という言葉はそれを表している。 
それぞれが利己的なんだけれども、生態系という大きなバランスの元、

調和が保たれている。 
それが地球。 
人間は意識を持つことにより、そのバランスを超える力を持った。 
だから利己的な面が際立つようになっている。 
でもこれはそもそも地球が持つ一側面。 
地球の意識が利己的な面を増幅させた。 
それが人間の行動に顕れている。 
でも今、地球は成長しようとしている。 
バランスを超えた力を持ちながら、調和を保とうとしている。 
それが人間の意識にも作用している。 
そして今、エコビレッジを創ろうという動きが加速しつつある。 
これが今の僕の世界観。 
そして、僕は地球という大いなる存在の声を聴く必要がある。 
天に身を委ねる必要がある。 
とらわれない心。自由な心。軽やかな心。 
何かを所有する気持ちを手放す。 
そんな生き方をする時、今の仕事を続けることは出来ない。 
僕の言葉がうそになる。 
だから仕事を辞めようと思った。 
でも、20103月は遅すぎる。 
そこに計算が働いている。 
給料、有給休暇などを計算している自分がいる。 
もうこの時点で僕の言葉はうそになる。 
先日、カードリーディングをしてもらった。 
必要なカードでVacationが出た。 
Vacation
。空っぽになること。 
他に必要なことは高い意識を持ち直感を信じること。 
答えは明らか。 
僕はこの3月で仕事を辞める。 
今日、たまたま実家に帰ったので、両親にはその気持ちを伝えた。 
そして、明日、僕は退職届を出す。 
僕の言葉がうそにならないように・・・




☆彡 ☆彡 ☆彡

10年前、「僕が」矛盾のない生き方をするために、「僕の」言葉がうそにならないように、僕は木の花ファミリーに移住しました。そんな僕がここ数か月、「僕の」正しさ、「僕が」正しくあることに囚われることで、ここ数年語ってきた言葉をうそにしてしまいました。

2014年11月に書いた「僕といさどんと木の花ファミリー」で紹介しているプロジェクターのスイッチがつかないエピソード。このエピソードを受けて僕はこんなふうに書いています(いさどんはジイジの当時の呼び名です。)

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕はテレビを観ていなかった。テレビを観ていたのはいさどん。
プロジェクターをつけようとしたのはあくまで良心。
いやだな~と想いながらも他に動く人がいなかったから動いた。
それなのに怒られる。なんなんだよ。

心の中ではそんなふうに思っていました。でもそのままにしました。

いさどんに怒られたのにそのままにしている僕。

そんな僕に対して疑問を感じるメンバーが僕に話しかけてきます。
「いさどんが怒るからには何か意味がある」と伝えてきます。
僕はさらに理不尽に感じていきます。

ですが、いさどんはプロジェクターのスイッチをつけるコツを知っていたのです。
いさどんは始めそれを僕に説明しようとしました。
ですが、僕の頭は「出来ない」という苦手意識でいっぱいで、
その言葉が入る状態ではありませんでした。
そんな僕の意識状態に対していさどんは怒ったのです。

もし僕が自分の正当性を主張したら、
(世間の)多くの人は僕の言葉に耳を傾けたのではないかと思います。
なぜなら表面で起きている出来事だけを見ていたら、僕は被害者にも見えるので。
そして、僕はみんなに正しいと認めて貰います。
でも、その先に何があるのでしょうか?
優越感に伴う自己主張の心が育ち、
それは新たなる対立を生み出すのではないでしょうか?

虐げられた状態から逆転し見返す。

僕の無意識はこんな物語を好んでいました。
そのため僕は虐げられる状況を自ら創り上げてきました。
自分で自分を苦しめることになります。
僕の正当性が認められた時、僕は喜びます。
ですが、それはその不調和な心を強化していくのです。

これは僕だけの問題ではありません。
この僕の不調和な心が世界で起きているテロリズムに波動として繋がっていきます。
そして、悲しみの連鎖が続いていくのです。


いさどんはそんな僕の心にメスをいれてくれたのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この時、ジイジは正しいことを僕に伝えてくれました。ですが、仮に僕が正しかったとしても、僕の姿勢には大きな問題があります。自分が正しいか正しくないか、その視点に囚われると世界が狭くなります。その正しさが世界に何をもたらしているか?そのことが見えなくなります。この世界の中で「自分が」正しくあろうとしたり、「自分の」悟りを求めることは、結局、自分のことしか考えていない姿勢の表れなのです。

僕がジイジから「自分のことばかり話しているね」というフィードバックを貰った日、ロータスランドではお話会が開催されましたが、そのプレゼンではこんな言葉が紹介されています。

☆彡 ☆彡 ☆彡


今のように、人間が自分のことしか考えず
この世界に生かされているにもかかわらず
宇宙はおろか自然のことも考えない時代には、
宇宙や自然は人間たちに、困難という形でメッセージを送っています。
そのような時代に大切なことは、
つながり合い、自らの意思を他者に伝え、意見を聞き、
互いを認め合い、絆を結び、調和し生きていくことです。
それが次の時代を創り、良い地球創りとなるのです。
これからの時代を生きる人々は、命を大切にし、争わず
大調和を表すのが、時代から与えられた使命なのです。

それが本当の大和魂なのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

言葉がうそにならないように。

目指すのは、「僕の」悟りではなく、人類の悟り(差取り)であり地球の悟り(差取り)であり宇宙の悟り(差取り)。

自らの未熟が失敗に繋がると、心と身体が固まって、自分の成長を求めます。失敗がないように。その心が囚われとなり、固まった心が失敗を生み出し続けます。だから、しなやか心と頭と身体を育んでいこうと思っています。自らの未熟が失敗を生み出しても、それが繋がりの中で生かされていけばいいのです。

目指すのは、「僕の」悟りではなく、宇宙の「悟り」。すべてが繋がりの中で生かされる世界なのです。






5月19日 蠍座満月です。





令和を迎えて。

8年前、2011年の5月3日、60歳となったジイジ(当時はいさどん)の生前葬が行われました。その前日、オバマ大統領がオサマ・ビンラディン殺害の成功を発表し、ジイジは木の花ファミリーにて死生観について語りました。以下はその時、ジイジが語った言葉の抜粋です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

生命は命(いのち)と書きます。「いのち」は別の読み方で「みこと」と読みます。「みこと」というものはこの国では神のもう一つの言い方です。いのちというものによって、いのちは巡り巡って変化します。減りもせず、増えもせずに。これは宇宙の実態ですが、つまり宇宙の実態が、いのち、「みこと」であり、神そのものであるということです。われわれもその中の一部です。だから生命==神。それはすべての生命の集合であり、宇宙そのものです。宇宙が神であり、生命である。そして、我々であります。

生命を循環するための役割、一つの繋ぎ。そして自分の中でも循環している。それが無限に縦糸と横糸で編まれてこの宇宙が出来ています。広大な宇宙から自分自身、素粒子のレベルまでこの仕組みが同じように出来ています。そうすると人間の生まれた目的ですが、一つは生命輪廻の中の役割ですね。それから魂輪廻の繋ぎをするための目的ですね。それが義務としての役割です。もう一つ、個という自分がいますね。夕べ、オバマ大統領の演説がありました。オサマ・ビンラディンの暗殺に成功したというものです。10年前の911というテロ。その首謀者と言われたオサマ・ビンラディンをアメリカが殺害したというニュースが流れました。夜中の12時に緊急声明を発表しました。その時にホワイトハウスに1000人以上に市民が詰めかけてみんなでUSAコールをしている映像が流れました。この光景が非常に不可思議なものに見えました。1国の長、大統領が自分たちに危害を加えた犯罪者を自分たちの軍隊を使って殺したということを誇らしげに発表したのです。なんか戦時中の大本営発表みたいではないですか?それを国民が「USA! USA!」と言って、誇らしげに集まってきて叫んでいるのです。それがこの地球上、人類の最も栄えた国の実態です。それが我々人類のリーダーです。どうですか?オサマ・ビンラディンにはオサマ・ビンラディンの正義があるのです、かつてアメリカは正義の旗印の元にたくさんの命を奪ってきています。地球がダークの星になって太陽系の中で唯一光らない星になっているその原因を作ってきたのです。それに対してオサマ・ビンラディンの正義がありました。これは対立の心からです。しかし、これを支持するところからは正義の行動なのです。そして今度は、国家がそれを殺したと言ってみんなでフィーバーしています。これが人類の実態です。

不幸な星、地球。不幸な生命、人類。

僕の中に葬式をしようとしたことによって出てきたイメージがあります。目をつぶると、雲があります。その雲は地球上の雲ではありません。宇宙の星の雲であり銀河です。そこは僕の故郷の星、銀河から生まれて今ここにいると認識しています。そこへそろそろ役割を終えて、自分の所属を戻そうかと思っています。最近またリアルな映像が浮かんできています。そこには地球があります。地球はまだ青くありません。随分昔の地球です。そして、その地球を取り囲む船団がいます。そこに僕は乗っていました。そして、かつてのこの星に銀河から訪ねてきました。その時に僕はプランをもってきました。たくさんの魂たちと一緒に。その魂たちは本当に調和の取れている魂で、今からこの地球上に降ろすフロンティアを夢見ていました。みんなで一致団結してそれを成し遂げようと。そして地球の表面を、我々の魂の受け皿になるように念を送りながら整備をして、一つ、二つと魂を降ろしていきました。その船団はキリスト教でいうノアの方舟のようですね。魂の種をいっぱい持っていて、それを一つずつ地上に蒔いていきました。そしてこういう星にしたのです。その目的は当初、大いなるものから頂いたものです。しかし、だんだん一つ二つと地上に降りていくうちに、地上での肉体を持つ経験が執着になってきました。そうすると、大いなるものに目的を貰って自分がいるということを忘れて、自らの目的を果たすようになります。そうすると地上に降りることが役割なのか地上に存在することが役割なのか分からなくなります。そのうちに地上に降りた魂たちは地上がすべてだと思うようになります。もともと自分の所属である上の世界、地球を託されている目的を忘れてしまっています。最初の船団が持ってきたプロジェクト、それを神界と言います。その時に降りてきた魂たち、きれいな魂たちは神々です。それが地球上に降りてくることによって、神々であること、「みこと」であることを忘れて、自分というもの(自我)に執着して今のような人々になったのです。まだ地球が青くない、3次元生命の受け皿になっていない時代の記憶が最近僕に蘇ってくるのです。僕はもともとは地球の魂ではありません。皆さんと同じで、銀河の魂であり、太陽系の中では地球所属の魂ではなくて、金星所属の魂なのです。金星というところは、僕の故郷で、非常にバランスの取れたところです。地球暦で金星の軌道をみますと、まったくぶれずに太陽の周りをきれいにまわっています。それが金星の姿です。1000年ほど前に、金星から物質的な生を受けてインドのヒマラヤに降り立ちました。そして、何回かの転生を繰り返して、今ここにいます。今回が1,000年の契約の最終章の役割で金星に戻るかなと思っていたら、どうもそうではないらしいのです。銀河を旅すると言う話。そんな記憶が今浮かんでいます。人間の生まれた目的、生きている目的、死んでいく目的というものを聞かれると、もう少し今の人間に近い形に表現するのかな?と普通の人は思いますよね。ですが、我々の今存在しているこの状態、これは今この肉体を形成していますが、これは光の変化したものであり、土の変化したもの。水の変化したもの、空気の変化したもの、風、空間の変化したものでもあります。そうしたものがこれを形成しているわけですが、宇宙には何か他から供給されることはありません。あってあるものが変化している状態です。あってあるものが変化し続けるものだから、その変化のところに現在という現象が現れているものは、あってあるものであるけれども、特定することが出来ません。瞬間瞬間に変化するものだから、なきてなきものなのです。それがこの世界の実態です。そして、人間はその中でいのちの表現を与えられていきているのです。

それからもう一つ。自分というものは、元は銀河から目的があってこの星に来ていて、そしてこのプロジェクトを請け負った魂たちです。そのことを忘れたものたち。忘れているのはどうしてかというと自我という我にまみれている状態だからです。我々はそれを思い出すために地上に降りてきています。そのカルマ(垢)を取り去って綺麗になって、本来の目的に目覚めてそれを推進する必要があります。それが生まれてきた目的、生きている目的です。死んでいくというのは、1回でそれが出来なければ、2回、3回と繰り返していく。生命輪廻を繰り返すということです。そこには個人というものはありません。ところが、我々にはここに生きている個人というものがしっかりあるわけです。オサマ・ビンラディンを殺して喜んでいたアメリカの大統領、国民。自分に近い側の喜びを喜びとしています。これは菩薩ではないですね。だから、当然仏にはなりません。それがアメリカという神、宗教を基盤として国家なのです。それが人類の実態です。明日、葬式を迎える僕が、なんのためにそれをするのかというのは、僕の目的ではありません。これは太陽系の意志表示であり、そしてその太陽系の意志表示を人類にもう一度呼び覚ますためです。生命というものは、自らのための生命ではなくてこの大きな生命の流れを繋ぐ、そして大きな生命の調和、ハーモニー、それを奏でるために一人一人がいるのです。そこには確かに1個の音がありますが、その1個の音は1個の自分のためにあるのではなく、全体で創るもっと大きな目的、調和のハーモニー、歌、生命、それを表現するためにあるのです。己を捨てなさい。そして大いなる側に立って、大いなるものとして目覚め、その役割を果たしなさい。もともとそういうものであったのではないですかということを呼び覚まします。この世界に問題ごとがあり、人々は問題ごとに出会います。この問題ごとは必ず自らに執着した時、不調和から起こります。ということは、調和に戻すため、そして喜びを表現するために、本来の目的に立ち返りなさいという意志、力が働いています。葬式前の最後の話として死生観について徒然なるままにお話ししました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今日、元号が令和(レイワ)となりました。レイ(=ゼロ)になって調和(ワ)を表現する。それが令和、これからの時代です。8年前、ジイジが語った言葉は正に令和の精神を表現しています。きっとこれからそれが現実となります。

テロや災害が多発した平成はひどい時代だったのかもしれません。ですが、平成は、「イワト(平=一八十)成る時代」とも言われていました。テロや災害は、人間の実態への岩戸を開いたのかもしれません。ジイジは先月、こんなことを語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

一つの視点からすると、神様は不完全なものを創ることによって完全への道を示された。生命というものは動くこと、循環することが生命の表現、だから完成された状態でも、未熟でも、そこで止めておくというのは生命ではなくなる。神の実態は経路。神経。循環だから。そうしたら、その経路を移り行くこと、それが時空で宇宙の実態なのだから。そうすると、ひどい話が神の意思と言える。ひどい状態からスタートして、それを知って変化していくことが神の存在の顕れ。だからと言って、ひどいことやっても大丈夫ということではない。ひどい話という実態から進んでいくということ。そうでないと希望も喜びも生まれない。



☆彡 ☆彡 ☆彡

ひどい状態を知り、それと向き合い変化していくことに喜びと希望があり、その奥には神の意思が隠されています。それは神の経路であるこの世界を通して自我という自分をなくしていく旅路。令和の精神の表現なのです。




2019年4月28日、長野県大町の空です。

Your left Slidebar content. -->