希望は思考の奥から湧いてくる

どんなに希望を見出そうとしても思考からは希望は生まれない。希望は思考の奥から湧いてくる。それは自分を生かしているこの世界の法則であり大いなる意思の力。そこから希望は湧いてくる。その力なしでは思考は空虚な空想となっていく。だから、思考は、大いなる意思に沿って展開するといい。そうするときっと、思考は希望の顕れとなり、人生は、人智を超えて無限の可能性に開かれていく。

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上記の言葉が僕に湧いてきたのは、ある日の大人ミーティングでジイジの話を聴いてから。その話はこんな感じの話でした。

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第二次世界大戦。当時の日本人は、全然違う情報を貰って、多少足並みの乱れはあったものの、国中が一丸となって、正しいと信じて、国策として戦争に突入し、その結果、日本中が焼け野原となりました。そしていよいよアメリカ軍が上陸してくるという時、人々はみんな竹やりを作って戦う準備をしていましたが、終戦を迎えて日本は負けました。その後、だんだん分かってきたのは、自分たちが聞いていた情報はまったく嘘だったということです。勝利どころか惨敗で、初めから勝てるわけがなかったのです。それで負けたのだと意気消沈していたところに米兵が上陸してきますが、そうすると日本人は、「男は全部、強制的に去勢される、日本人の種を無くすために。女は、米兵を見たら振り返ってはいけない。振り返ったらOKですよと言っているようなもの。笑うなんて絶対に駄目。もしも米兵が来て自分に近づいてきたら、自分は生理だと言いなさい。」ということがまことしやかに広がったといいます。
実際に米兵が来たらそんなことはなかったのですが、ではその発想はどこから湧いたのかと言ったら、日本人がそういう発想をしていたということです。何も情報がないのにそういう発想が出るということは、自分たちが、米兵が憎くて、「あいつらが来たらこうしてやろう、ああしてやろう」と思っていたからです。自分たちの心がそのような発想を生み出したのです。だから自分が発したことは自分の中にあることです。それを「ああだったから、こうだったから」と理由を話しだしたら、自分と向き合うことにはなりません。

そして、満州からは日本人の引き上げがありましたが、関東軍はソ連兵が満州に侵攻すると、何も言わずに逃げてしまって、残された満蒙開拓団の民間人は、なんか変だと思っていたら、ソ連兵による攻撃を受けて逃げ惑い、中国人は自分たちの田畑を奪いに来るのです。もともと日本人が中国人の田畑を取り上げて開拓に入っていたのだから、奪いに来るのは当然です。それでも中国人は意外に穏やかだったといいますが、ソ連兵は残虐でした。ソ連の精鋭部隊はヨーロッパ戦線に使われていました。そのためシベリアなど東方に向ける軍人が不足し、囚人を使うようになりました。囚人だから秩序が全くありません。もともと犯罪者なのだから、略奪や破壊、殺人、強姦を繰り広げます。満州の日本人はその中を逃げてきました。

人の生き方、死に方にはいろいろありますが、そういうふうに民族全体が狂っていた頃がありました。でもそれは団結することで正義になってきたのです。だから本当に真面目に振り返らなければなりません。戦争で、人類は正義を旗印にどれだけ残虐なことをしてきたか、そういうことを本当の学びとしていくにはどう分析しどう解釈したらいいのか、そういうことをしっかりとやっていかないと、命を懸けて狂った過去の犠牲を蔑ろにすることになります。

中国が建国70周年の式典で、その豊かさと繁栄を祝いましたが、それを誇るのが兵器、軍事力となっています。軍事力をもって何を誇り、祝うというのでしょうか。ですが、それが今の人間の実態です。日本では憲法9条改正の議論がされています。攻撃は最大の防御と言いますが、その奇妙な恐怖から人間が人間を信頼できなくなり、兵器を持って平和が保たれています。これは本当におかしな状態と言えます。

それで最近気づいたことがあるのです。あることに思考を巡らしている時に、思考と思考の隙間に出会います。あることに思考を巡らして一段落した時、次の思考に行く前に思考の隙間があるのです。その時にぱっと湧いてくるものがあります。それは思考ではありません。思考ではないもの。「だからもう一回、一からやり直そう」という想いです。生きていればいろいろなことに出会います。ドジをすることもあります。だからそれを良く振り返ってしっかり腹に落として次に生かすのだと。そういう想いが湧いてくるようになっています。それが生きているという証です。

そこで何回も同じことを繰り返すということは、生きているということに相応しくない思考をしているということです。生きているということは現象に出会うということ、現象に出会うとは、自分の言葉が具現化するということ、そして自分の行動が具現化し、自分自身が具現化します。具現化したことに対して、それを分析し、「だからこう生きるのだ」と学ぶことでヒトは成長していくのです。その繰り返しの中で、いろいろ振り返って、「だから満足だ、だからいい人生だ」と思えた時に逝く。それが人生を全うすることになるのです。

私たちは生きているのが当たり前になっているから、思考しているということは知っていますが、その思考と思考のつなぎ目の空間に生きていることの意味や癖があるということを知らずにいるのです。僕は最近そのことを発見しました。生きるということはそういうことなのです。生きるということは、一つの出来事が終わって死んで。次の出来事に出会い、誕生する。そして成就して終わって死ぬ。瞬間瞬間、生きる死ぬの繰り返しです。人の一生も魂の輪廻もそれと同じことでサイクルが少しずつ長くなっているだけです。つまりは枠の違いです。そして魂という大きな枠で捉える時、死に方の大切さが分かります。死に方を考えるということは、もっと身近な生き方を考えるということで、そしてもっと身近な瞬間瞬間を考えないといけません。この大事な想いは思考では生まれてきません。思考と思考の隙間の気づきによって生まれてくるのです。

魂の輪廻転生の仕組み:木の花ファミリー通信「ある世界とない世界」より


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思考と思考のつなぎ目の空間にある生きていることの意味や癖

そこに意識を向けることで、僕らは思考を自我から取り戻し健全にしていけるのだと思います。そしてそのことが、大型台風をはじめとする数々の災害に見舞われる現代社会の希望となっていくことでしょう。ということでそんな希望を語っている木の花ファミリー通信第99号「カタカムナ」からの文章を紹介してこの原稿は終わろうと思います。

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全身全霊とは、全身を構成する数十兆の細胞がパラボラアンテナとなり、脳の思考ではなく全身で響きを感受し、その響きを自らの命に染みわたらせ、言葉や姿勢を通して表現することを言います。私たち生命は、この世界を単独で生きているのではありません。まず大宇宙があり、その中に銀河があり、太陽系があり、地球生態系があり、人類がいて、私たち一人ひとりが存在しているという生命の序列のもとに生きているのであり、すべての生命は一番の大本である宇宙の根本原理に基づいて存在しているのです。自然界の動物や植物は自我による汚染がないため、細胞のDNAが純粋に宇宙と呼応しています。ですからその生命活動は、教わらずとも宇宙の仕組みを反映し、美しい表現となるのです。それに対し人間は、進化の過程において唯一、思考を持つ生きものとなりました。そしてその思考を自我によって実現する能力を与えられたことで、自らの欲望を満たす快感の虜となり、自我を肥大させ、自らが宇宙と呼応する存在であることを忘れてしまったのです。そして宇宙の根本原理から外れることで、現代人は今、生命世界を汚染し、破壊する存在にまでなっているのです。
人間が再び宇宙と呼応する存在となるために、私たちはもう一度、思考を自我から取り戻す必要があります。自我に翻弄されるのではなく自我をコントロールする立場に立つことで、思考を宇宙と呼応させるのです。その時に宇宙と対話するアンテナの役割となるのが、全身の細胞の中にあるDNAです。私たちが生命として生きる時、全身の細胞は既にその生命原理を持ち合わせ、女は女のように、男は男のように命を表現し、人生を全うします。それと同じように、宇宙生命の一部である私たちのDNAには、宇宙の始まりから終わりまでの情報が眠っているのです。そこには未来への設計図があり、私たちは生命として生きることで、それを体験という形で、次の時代への英知としてさらにDNAに刻んでいくのです。
その自らを自我の囚われから解放した時、私たちは本当の自由を生きることになります。「クニ」という思念をカタカムナでひも解くと、それは国境で区切られた領土のことではなく、自由「ク」が定着した場「ニ」を示しています。それが、クニ(地球)を生きることの真の意味です。自らを解放し、全身全霊をもって宇宙に語りかけ、全身全霊をもって宇宙からのメッセージを受け取るのです。
その時に、宇宙根源の純粋で美しい響きがあなた自身から発せられ、この世界に響き渡ることでしょう。その響きは、世界の歪みを解き、生命に活力を与え、壊れたものは自ずと修復され、正常に戻っていくことでしょう。それが天然循環の世界であり、カタカムナを生きるということなのです。


トキ・トコロを得る

富士山(2019年9月23日秋分・ちなっぴ撮影)

2019年9月23日秋分の日、このブログを立ち上げて丸5年となりました。「5」はカタカムナでは「い」・位置。電気、磁気、力がトキ・トコロを得て現象界に粒子となって顕れる思念です。

トキ・トコロを得る。

それをヒトの姿勢で言うと、この時代、この場所(トキ・トコロ)に自分が生かされている使命に気づくことだと思っています。それを忘れた人間は、自らの自我に翻弄され混沌としていきます。ということで、このブログの位置・トキ・トコロを得て生み出された意味を再確認しようと思いました。まずは昨年の秋分の日に書いた言葉です。

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変化変容が本質であるこの世界では、未来は常に未知なるものです。そして、それは自分自身にも言えることです。現象を追い求める「欲」の心は、そのような未来や自分を思い通りにしようとします。その結果、未来や自分の現実が見えなくなり、混沌が深まっていくのです。「欲」の心は、混沌のままに動きまわることで、混沌を深めていきます。

気候変動や自然災害、紛争や戦争、貧困や餓死。今の世界には様々な問題がありますが、ただそれを解決しようとしても、それは現象を追い求める「欲」の心であり、混沌を深めるだけとなります。それらの問題を生み出している元の心、人間一人ひとりの姿勢を明らかにし、それを正していくトキ、今ある問題は自ずと消えていくのです。

赤米が実っています。

今日は秋分の日、秋の真ん中です。収穫の秋は、種まきの結果をいただくトキであり、明らかになることで諦めるトキです。自我という「余地」が与えられたことで人間には自ずから「欲」の心が生まれます。それは絶えず続く心の動きです。だから人は、絶えずその心の動きを諦めることで明らかにし、自分と世界の現実と向き合い正していく必要があるのです。その動きが世界に彩りを生み出すと共に調和というバランスをもたらします。


国連総会が開幕しています。国連総会が毎年秋に行われるのは、「欲」の心を明らかにし諦めることの大切さを表しているようにも思えます。


そして、このブログを立ち上げたのも秋分の日、今日で丸4年となりました。秋分の日に立ち上げたのはたまたまですが、今思うと、このブログを通して表現し、自ら実践することも、「欲」の心を明らかにし諦めることにあります。





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そして、もう一つは最近ジイジが語った僕のブログに対するこんな言葉です。

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個人の葛藤等の自分色をなくして書くことで、
僕が天の代理として生きているように、

なかのんも僕の代理として、僕の話を引用することは大切なことだよ。

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個人の葛藤等の自分色をなくし、大事な話を引用し発信していく。

それがこのブログがトキ・トコロを得て生み出された意味です。ということで、同じく秋分の日に発行された木の花ファミリー通信秋分号「カタカムナ」の言葉を引用したいと思います。

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その昔、宇宙には、叡智が漂っていました。その叡智が時代の要請を受け、現象を引き起こす思念となりました。それがこの世界の現象化の始まりです。そして始まりが叡智であったように、私たち人間も、他のあらゆる存在も、すべての現象界の設定は、いずれまた叡智へと還っていくのです。その時に、現象のすべては空となるのです。
このことを理解するためには、人間は「自分はこの世界のことを知っている」という側に立つことをやめ、「自分はこの世界によって生かされている」という側に立たなければなりません。その時に、宇宙の叡智は自ずと自らの中に入ってくることでしょう。宇宙は変化・変容・変態し続け、時代と共に真実も移り変わります。ですから現在のカタカムナの解釈をもって、これがすべて正しいとする必要もないのです。それは知識として固定されるものではなく、それを会得することで大宇宙生命の根本の響きと共振し、この世界を動かす、目には見えない大いなる流れを感じ取るのです。これからの時代は、生きることがますます厳しくなってくることでしょう。その時代の変化の中で、瞬間瞬間を感じ取り、そこを生き抜いていく力を身に付ける、そのための情報に今、あなたは出会っているのです。
宇宙は情報です。生きるとは、こうするとこうなるという因果応報の情報の連鎖に出会うことであり、カタカムナはその根本原理を私たちに教えてくれているのです。しかし、その原理が通用しない世界が宇宙にはあります。私たちは、因果応報の原理に基づくトキとトコロの対向発生によって存在する、天の川銀河の法則のもとにあり、他の銀河へ行けば、そこにはまた別の法則があるのです。
このように宇宙を捉えていくと、これまでに使ったことのない脳の部分が働き始めます。すると、視点が変わります。視点が変わることで、人は自我から解放され、自由になるのです。

今、時代は大きく変わろうとしています。時代が変わろうとしているのに、人間が変わらないから、社会も変わらず、そのギャップがふさわしい現象となって現れているのが現代の社会です。今社会で起きている様々な現象は、私たち人間が意識を変えて生まれ変わる、即ち質的転換をする大いなる機会を与えられていることを、教えてくれています。無限の可能性を秘めた私たち人間は、どこまで到達することができるのか。その本領を試される時が今、来ています。

カタカムナ人とは、遠い昔を生きた自分とは別の人々ではありません。カタカムナは、私たちの生きる世界の原理原則であり、今この瞬間も、その仕組みによって世界が動いています。その事を理解し、それを生きた時、私たちは現代を生きるカタカムナ(宇宙)人となるのです。


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天の川銀河のすべての存在はトキとトコロの対向発生によりこの世界に生み出されています。その背後の流れる大いなる意思に心を向けたトキ、すべての出来事は永遠に続く旅路の中のワンシーンとなり、繫がりの中でヒトとしての可能性を探求することが出来ます。それはきっと、思い通りにはならないけれども、思い通りにはならないからこそ、可能性は人智を超えて無限に広がっていくのです。ということで、大いなる意思に心を向けたジイジの至福の言葉でこの原稿を締め括りたいと思います。

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私はいつも意識があなたのほうを向いていることに気付きます。それは、私がこの世界に存在することの原点を感じるからであります。そのあなたを感ずる私の力は微妙なものであります。私が肉体的意識をセンサーにして生きれば、あなたの存在を感じることは難しいものですが、たびたび意識の隙間からあなたの存在する世界にセンサーがアクセスすることがありますので、存在を感じるのです。私はあなたの存在を感じたとき、不思議な気持ちになります。それは私の存在する世界で、どのように喜びを発掘しようと思っても得られないものです。そのあなたのおいでになるほうに意識を向け、あなたの存在の息吹を感じたとき、なにかしら言いようのないすべてのふるさとのように感じられる響きの世界があることを感じ、私が存在するこの現象世界で得られるであろう喜びのすべてを超越した満足が、そこにあることに気付くのであります。

ですから、私は時々この世界にいることを空しく思い、そしてあなたのほうに旅立つことを望むのであります。どちらにしても、あなたのもとから来た私にとっては、いずれまたあなたのもとへ還るのですから、私は十分に満足なのです。

毎日、瞬間瞬間の時の旅を留まることなく永遠に歩んでいますが、この永遠は私個人の体感する枠の中では有限なのです。私はそのことがわかっているので、永遠に続くように思われるこの現象世界の中にいても、至福の心を持ち続けることを可能にするのです。

私は赤子のように物理的なすべてを取り去って裸になり、霊的にすべてのこだわりを取り去り魂だけになったとき、この境地に浸ることの喜びに至るのです。


移ろいゆくものに心奪われることなく



2019年3月7日、魚座新月の日は朝から雨で、この季節には珍しく雷も鳴りました。そしてその夕方、雨はあがり、空には美しい虹が掛かりました。その虹はまるですべてを洗い流した空を祝福しているかのようでした。(「人類共通の学びを紹介していく」より)

9月14日13時33分、魚座満月です。3月7日、魚座新月の日に浄化され、そこから芽生えた「想い」が何らかの結果を示すと共に洗い流され、これからはどんどん手放していく流れとなります。そんなトキの流れに意識を向けながら、いくつか文章を紹介したいと思っています。


魚座満月(2019年9月14日0時30分頃撮影)です。

まずはこんな文章からです。

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目の前の出来事に右往左往せずにプロセスとして見ていく。こんなふうに思っていても、大きな衝撃に出会うと目の前の出来事に右往左往するようになる。大切なことを忘れてしまう。だから大切な姿勢を思い出そう。こんなふうに思考が展開したトキ、それは違うなと思いました。


出会う出来事はすべて自分に相応しく与えられています。大きな衝撃も今までの生の結果として出会うことで、目の前の出来事に右往左往するのは、自分の中の本質が育っていなかった証です。

プロセスとして見ていく。そんなことを語っていても、本質を育むことを怠り、物事に表面的に対応していると、そのうちそういう自分を教えてくれる現象と出会い苦しむことになるのです。その苦しみは天からの恵みとも言えるのですが、苦しみを超えてただ出会う出来事を楽しんでいく。そのようになるためには、それだけ自分の本質を磨く必要があります。

移ろいゆくものに心奪られることなく

これはお釈迦様が語った言葉と言われていますが、こういう聖人聖者が語った言葉を正解とすることは、結局、表面的な対応をしているに過ぎません。正解だと思うことに自分を合わせようとしているだけなので。偉大な言葉は道しるべに過ぎません。この世界に前もって分かる正解はなく、すべては今までの生の結果であり、人の本質はあくまで出会う出来事を通して磨かれていきます。磨いた結果、自ずから悟り(差取り)に至るのが本当です。

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そして次に紹介するのは、2017年マヤ新年の朝、ミストのように降り注ぐ雨の中でジイジ(当時はいさどん)が語った言葉です。

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私たち人間は、生きている限り、この地球上で様々な出来事に出会います。人生の中で出会うことは、すべて私たちの生きた証であり、それまでの生き様にふさわしい結果として出会っているのです。今、世の中には、世界的な規模で解決策を見出せないようなたくさんの滞りがあり、それを何とか解決しようと世界のリーダーたちは模索していますが、その動きでは解決できないでしょう。なぜなら、どのような現象も、そこに生きる者たちのそれまでの生き様の結果として与えられたものですから、その現象を変えるには、それをもたらした人々の生き様を変える必要があるのです。その現象に出会った結果、それまでの自らの生き様がどのような結果をもたらすものであったのかを悟り、その生き様を変えていくことによって、自ずと、自動的に、その現象は存在する意味をなくし、消えていくのです。そこで、原因である生き様を変えずに、学びのない姿勢のまま、現象を追い求めていることを「欲」と言います


この自然界、そして宇宙の法則は、すべて因果応報の仕組みで成り立っています。原因があって結果がある。そこでは、その原因にふさわしい現象が起きることが約束されているのです。こんなにありがたいことはありません。なぜなら、その者にふさわしい現象が顕れるからです。そして今、この場に立ち会う人々も、なぜここに集うのかというと、それにふさわしい生き方をしてきたからです。今皆さんは、どのくらいの意識を持って今日この場に集っているのか。その今の意識が、皆さん一人ひとりのこれから先の人生に形として顕れていくと同時に、社会を創っていくのです。それは当然のことなのです。

人類はそろそろ、そのことを知らなければなりません。出来事の表面だけを見て、それが不愉快だと言って解決しようとする時代は終わりました。これからどのような時代を生きていくのかは、その者が自らの人生をどのようにしようとしているのか、そこで何を望んでいるのかによって変わっていきます。つまり、生きることが自らの手の中にあるのです。これまで、なぜそれが人々の手の中になかったのかというと、自らの独りよがりで、この世界から与えられている命の仕組みを無視し、欲のままに生きてきたからです。



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この年、木の花ファミリーの聖地、宮ノ下広場にて、熊野杉とヒマラヤ樫が出会い祭場が生まれました。これらはジイジによって植えられたのですが、祭場は、結果生まれたもので、ジイジの意図を超えた出来事です。人間は、生きているのではなく生かされている存在です。それは自らの意図を超えたことで、意図を超えた出来事の中に自らの実態、本質が表現されるのです。そこを謙虚にいただくことが本質を磨くことに繋がります。

ということで、次に紹介するのは6年前、2013年に交わされたジイジ(当時はいさどん)とともちゃんの会話です。

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いさどん:昨日の夜、家に帰る時に夜空を見上げながら、できればこの質量を放棄して、あの星に向かってこのまますーっと行きたいなあ、って思った。それは、「上」に行く、ということではないんだよ。宇宙空間へ出るというだけのことで、宇宙には上下はないからね。
それで、どこへ行くかというと、やっぱりこの太陽系を離れて、銀河の旅をしたいんだよ。この天の川銀河も離れて、別の銀河へ行きたいなあって思ってしまうんだよ。

こうやって話すと絵空事みたいだけど、僕のその想いは本物なんだよ。そしてその想いが現実を創っていく。聖書に「始めに言葉ありき」とあるでしょ。言葉っていうのは想いからできてるから、始まりは想いなんだよ。「想う」という段階では、目には見えない。つかむこともできない。けれども、すべての形あるものは、始めにイメージすることから生まれてくるんだよ。「想う」ということは、宇宙を創造する原理なんだよ。
だから、僕は銀河の旅のこともすっごいマジに考えてるのよ。この肉体から離れることが、すごく楽しみなんだよ。そしてその真剣な想いは、より現実化していくんだ。

結局、その人が何を思考するかが、その人の存在を決めるんだよ。愛ある思考を持っていれば愛ある世界ができるし、愛もどきだったらもどきの世界ができる。そのことに僕はずいぶん前に気付いたものだから、疑わないでとことんやることにした。そうすると、その世界は現実化し、深くなっていく。

ともこ:私も愛ある者になりたくて、それをやろうとするんだけど、一生懸命やろうとしてるうちは“もどき”だなって思うの。「愛あるものになるんだ!」って頭の中で思ってるだけで、心はそうじゃない。そんな者にも、本物の愛が育っていくのかな?

いさどん:それがもどきであるうちは、もどきの世界ができるよね。でもいつか、その一生懸命がもどきじゃないものにつながれば、その時にはそれにふさわしい世界が表れるよ。その人の心のあり方が忠実に再現されるのがこの世界の法則だから。そこのところをとことん理解して、信じて、それになりきれば、その想いにふさわしい現象を生んでいくよ。

僕は確信を持ってるんだよ。昔、富士のふもとに菩薩の里を創ろうとイメージした時に、「いや、そんなことは無理だ」とか「自分みたいなものが人に影響を与えられるようになるのだろうか」という想いが湧いた。だけど同時に、それだからいけない、自分で自分の想いを否定するようなことではいけない、と思ったんだよ。だからその自分を否定する自分を否定して、自分にはそれができるんだと信じ切ることにした。やるだけやって、結果をもらえばいいじゃないか、って考えるようにしたんだ。

極端なことを言うとね。これは本当だろうかと考えるようなことがあった時に、それは僕をたぶらかそうとしている悪魔が、僕をからかって、天になりすまして与えたものだったとするでしょ。僕は、それでもいいと思うんだよ。なぜなら、僕はこの道を歩む時に、とことん信じることをベースにしているから。とことん信じて、まっすぐ進むということをベースにして歩んでいる限り、たとえそれを与えているのが悪魔だったとしても、それでもかまわないんだよ。
そして、僕が人生を終える時に悪魔が
「はっはっは。どうだ、見事にお前を騙してやったぞ。引っかかったな」
と言ったらね、僕はそこでにっこり笑ってね、
「そうですか。あなたは悪魔で、私を騙してきたんですね。
でもその悪魔に私が提供したものは何だと思いますか」
と言うんだよ。そしてね、その僕を騙し続けてきた悪魔に向かって、こう言うんだ。
 
「僕はまっすぐ信じて、この道を歩み切りました。
 この私の人生をあなたにプレゼントしますよ。」
 
 
ねじれて、歪んで、疑っているものを悪魔と呼ぶならば、その悪魔にとって、そんな恐ろしい返り討ちはないんだよ。だってそれは、完全に彼を否定するものだから。彼はそこで「ああ、やられた」と言って消えていくか、それとも、申し訳なかったと言って心を入れ替えるかの、どちらかだろうね。
だから、たとえ悪魔であったとしても決して屈しないんだよ。ましてやそれが神であるならば、なおさらそのまま進んでいけばいい。


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想いが現実を創っていく。その人が何を思考するかが、その人の存在を決める。

ジイジはそう語っていますが、学びのない姿勢のままだと「想い」は「欲」となり自らの独りよがりとなっていきます。多くの人が平和を望みながら、人間社会では争いが続いています。それは平和を望む「想い」がもどきであり、本物ではない証と言えます。基本的に人は自らの「想い」がどのようなものかを知りません。それを教えてくれるのが、目の前に現れる現象であり、それを謙虚にいただくことが自己認識に繋がり、学びとなっていくのです。平和もどき、愛もどきの「想い」が今の世界を生み出していますが、そのような自分たちを知り、だからこそ本物を目指して余分なものをそぎ落としていく。そんな「想い」が今、必要なのだと思います。ということで最後に、今年のマヤ新年にジイジから発信された言葉を紹介しますね。

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地球に生きる私たちは、日々の中で様々な物理的現象に出会います。それは、その現象からきめ細やかな学習の機会を与えられ、生きているということです。そこで自らの思惑から外れたことに出会えば、その未熟さゆえに、人間は悲しみ、怒りもするものです。しかし、宇宙の法とは因果応報であり、輪廻転生であり、常に新陳代謝を繰り返す永遠なる循環の世界です。その中で特定の状態に執着する思考を持っていれば、循環の中に滞りを生み、宇宙の意思から外れていくのです。その囚われから、人間はどれだけ自らを解放することができるでしょうか。
何人も、世界の現状を自らと切り離して捉えるのではなく、自らのあり方が世界の現状を創っていることに責任を持ち、謙虚な姿勢で生きることの表現に取り組んでいかなければなりません。これまでの人々は、問題ごとに出会えば自らを差し置いてその問題ごとに怒りを向け、批判をする立場に立ってきました。けれども今私たちに必要なことは、怒りや批判ではなく、宇宙の中で私たち人間がどのような存在であるかに気付き、自らが謙虚に生きることなのです。
そのような意識レベルに到達した時、私たちは、この世界がすべて愛でできていることを、知ることとなるでしょう。私たち木の花ファミリーは小さな存在ではありますが、これは地球の未来に向けた、宇宙秩序に基づく生き方の実践です。宇宙の成り立ちがそうであるように、地球の生態系に表現されたその尊い宇宙の奇跡を、そこに生きる私たちは、ふさわしく表現していかなければならないのです。
目覚めよ。
その目覚めが、宇宙の奇跡である地球と共に、人類が尊き存在として歩むことにつながることを願って ──────

生かされている。ただその事実だけを誇りとして生きている。

このまま消えてしまいたいと思ったトキ、それでも生かされている自分に気づく。
自分を生かしているものは、大いなる存在であり、この世界のすべて。
それは尊く美しい命のはたらき。
ならば、生かされているという事実を誇りとすることが出来る。

消えてしまいたいと思うのは、自分が汚れているから。
自分の混沌が自分を汚し自分一人分世界を汚してきた。
そして自分の汚れが自分から誇りを奪ってきた。

自分と世界を汚してきたものは、自分の自我(エゴ)。
そんなものは本当に消してしまえばいい。

大いなるものに生かされている。
ただその事実だけを誇りとすればいい。
そしてその誇りに見合うものであるようにベストを尽くす。

生かされている。
ただその事実だけを誇りとして生きている。

そしてお迎えが来たら潔く美しく旅立っていこう。

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上記は6月の終わりに書いた文章です。この頃、大人ミーティングでは、NHKスペシャル「天安門事件・運命を決めた50日」をみんなで観ましたが、この番組を観た後、ジイジは以下のように語っています。

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私がこの番組を観ることを提案したのは、中国政府がどんなに今の中国が安泰だと言っても、それはそのように表面的には扱ってきているからであって、人間の心というものは抑えられれば表には出さないかもしれませんが、心までは束縛できないので内には鬱積したものがいつまでも残っているのです。それがいずれ爆発するのか、それとも穏やかに解放されていくのか。過去の歴史を振り返ってみると、人々が抑圧された場合、その鬱積したものは必ず革命や戦いによって決着がついてきました。しかし、中国のような強大な国にそういったことが起きると、世界的な問題になります。そこで、こういった問題は自然の流れのように出来事が解放され健全化していくことが大切だと思うのです。

 ~ 中略 ~

中国には経済的に華々しい未来がきっとあるのでしょう。しかし、このままでは人々の心の闇はますます増大していくことでしょう。これから地球人類社会に訪れるであろう宇宙的時代には、そうした人々に矛盾をもたらす発展はもはや終焉を迎えることを示しています。これからの時代は対立ではなく、調和がベースとなった時代づくりをすることを、宇宙は私たちに伝えているのです。

今、私たち木の花ファミリーの存在は世界的にはとても小さなものですが、確実にその歩みを進めています。どれほど小さくても、どれほど理解されなくても、私たちは自らの真実を生きるべきなのです。そのときに気をつけなければいけないことは、世界観が狭いと、結局自己主張のためにそういった行いをすることになってしまいます。しかし、この歩みは自己主張の道ではありません。もしあなたに時代の流れや宇宙の意思が感じられたら、いよいよ地球にも大調和の時代が訪れたことを知る者として、この生き方を社会に提案する者となってください。

今日はみんなでジャガイモ堀りをしましたね。ご飯も作りました。ロータスランドでお客さまも迎えました。私たちは普通の人として普通の日々を送っていますが、ぜひ、志は宇宙的であってもらいたい、そして揺るぎないものであってもらいたいと思います。

 ~ 中略 ~

個人には優しく、しかし人には厳しくなくてはならない。つまり、歴史の中でそれぞれが自らの立ち位置を役割として果たすことに、罪はない。ところが、一人ひとり、人としてあるべき姿勢を問われたら、そこでは問われなければならない。そうでなければ、今後も歴史の中で人間は自らの立場を守り利益を得るために、損得の立ち位置に立って天安門事件のような人の道から外れた行いをするだろう。これは、ひとつの出来事だけを追及しているのではない。人間の歴史上、そういったことがたくさん行われてきた。その一つひとつに正邪や優劣をつけることは困難なことである。

人類の歴史上、新たな時代を迎えることとなった今、人間が人であることの意味を理解し、本当の意味で霊的価値を高めるときが来ている。そしてそれが達成されたときに、どの民族もどの体制もどの国家も優れたものとなる。その時代の要請を受け、私たちはこの暮らしを実践しているのである。確実にその時は刻まれ、今、その真っ只中に生きている。 



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人類はずっと平和を求めてきました。ですが、天安門事件をはじめとする様々な悲劇がこの世界では起き続けています。それはきっと、平和を求める心の元が自己主張の道だったからなのだと思います。高い理想を掲げても、それが自分からの視点ならば、自己主張になっていき、世界に自己主張の響きが広がっていきます。自分という字は自らを分けると書くように、自己主張は世界に分断を広げ、そこから対立や孤立が広がっていくのです。

このまま消えてしまいたい

こういう気持ちもそのような中、生まれる自己主張とも言えます。

世界観を広げるために。自分の思考ではないところで生きていく。

そう語った途端にそれは自分の思考となっていきます。言葉を語ることは確認となりますが、確認したらすぐに手放さなければ固定されたものとなっていきます。そうすると高い理想も自己主張となっていく恐れがあります。

判断は、常に出会う出来事を頂くことによってしていく必要があります。そのようにしてはじめて自分の考えを超える可能性に開かれます。

ただ時代の流れや宇宙の意思を感じること。時代や宇宙の意思が自らを生み出したことに誇りを持ち、それを体現すること。そうすればきっと、トキの流れが人々や世界を繋げ調和をもたらします。それは星々の運行などが教えてくれるトキの流れです。だから、ただただそのことだけを心掛けて生きていけるように。未熟な反応に気づき手放すために毎日の生活はあるのです。

生かされている。ただその事実だけを誇りとして生きている。

ということで、7月26日、マヤ暦の新年というトキにジイジが語った言葉を紹介してこの文章を終わらせますね。

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世の中にはいろいろな宗教などがありますが、それらに影響されずに木の花ファミリーの道を歩んでいくのが今は大事なのかなという感覚があります。共通点はみんなあるのだから、交流していくのはよいとしても、我が道を行くというのが大事なのかなと思っているところです。

ここで湧いてきたことを基にして、一つの船としてここを仕上げていく。既に船は出航していて、みんな乗組員として共にいるわけで、こんなことをあらためていうのは変かもしれないけれども、もっともっと一つ一つの精度を上げていく必要があると感じているところで、他のところとは、連携はしていけばいいのだけれども、取り入れていく必要はないのかなと感じています。逆に我々が信念を持って、確信のところをついていくと、他の人たちが取り入れていくことがあるのかなと感じています。

我々は、カタカムナや地球暦を取り入れ、カルマ読みも行っていますが、それらはあくまで参考であって、目的はその人間の意識上昇です。その人間のオリジナルな歩みで次元上昇した時に、その人間自身が奇跡を起こしたり、直感で真理が湧き出してきたりということが重要なのだと思います。

人々はいろいろな宗教の力を借りてきましたが、宗教は人を根本的な解決には導けません。宗教レベルでは人を根本的には救えないのです。では、どこで救えるかと言ったら、自分自身の目覚めです。

そもそも自分をおとしめたのは自分自身です。世の中がどんなに狂っていても、目覚めている人は目覚めています。たとえば第二次世界大戦の頃は、世の中全体が狂っていましたが、その時代は、そういう人たちが時代の要請によって生まれてきているのです。ですが、そういう中でもたまに違う存在が表れ信念を貫いています。それは、大した力にはなりませんが、多様性の表現、そして次に時代の予告になっています。だから大事なのは、個々が自分と宇宙との対話によって、自分のオリジナルな道によって次元上昇していくことです。その時、その人の最もふさわしい悟りに至ります。

お釈迦様は、この世界に生まれることを憂いて救済すると言いました。そしてそれが宗教になっていきます。キリスト教もそうです。宗教は、救済するための道具となっていきます。そうすると救済されたい人間が集まってきますが、そういうものがいればいるほど宗教は組織となっていきます。ですが、そんなことを止めなければならないのです。

最終的に、あなたを救うのはあなた自身です。何かに頼って救われると、今のような駆け引きの世界が出来ます。最終的に行きつくところは自分で自分を救うこと。それをやるからこそ、自分としての尊厳とそのオリジナルを保って誇りのもとに人生を終わらせることが出来ます。

極楽浄土に行けるといって、お布施をして、お金を払って、これで幸せになれると思ったとしても、それは自分の実力ではありません。お寺だったり、お金だったりに依存していく。そういうことが世の中を濁らせていきます。

どこかに所属することが幸せにつながる。

そういうものが人の目覚めを妨げます。宗教は、大いなるものへ意識を向けて正しく認識するという意味では重要なものです。ですが、今までのような組織宗教になってしまうと毒になっていきます。

新しい時代は、組織がなくならなければなりません。組織は全部解体して、個人が目覚めて、個の目覚めのネットワークが出来ることで、宇宙の実態としての組織が出来るのです。それは既存の組織とは違う生命ネットワーク、宇宙規模になれば、宇宙ネットワークとなります。その区別が分かる必要があります。

いろいろな宗教はここに来れば幸せになれると言います。ですが、僕はそんなことは言いません。どこにいても心が悪ければ幸せになれない。それが宇宙の法なのです。

個人として目覚めていく。

そのことが大切なのです。

かつて僕はお釈迦さまにこんなふうに尋ねました。

お釈迦さまに道をいただきながら、それが尊いから私は歩んできました。そうしたら、その語ることに魅力を感じるものたちが集まってきました。こうやっていつかはこの集まりも組織となり、私は教祖となっていくのでしょうか?

それに対し、お釈迦さまは、そうではないと仰りました。そして、その言葉は次のように続きました。

これからの時代は組織を作るのではない。作るのは人々が集う場。人々が集い語り合え。語り合う中から真理が生まれる。

「語り合う中から真理が生まれる」ということは経典はいらないということです。経典を持つから固定されます。宇宙は常に変化変容変態を繰り返しているのに、経典を正解にしてしまうのです。

今日は726日、マヤ暦の新年です。2014年の10OCから始まり、この日、僕らは、地球を祈りのウェーブで包もうとやってきましたが、その祈りのウェーブは組織的なもので作れば分かりやすいですよね。だけれども、本来、それは人の目覚めによってなるべきで、それは726日ではなくても、いつでも地球のことを思い、地球の生態系と共鳴して日々を生きている人々の意識から発生するべきものです。それが本来の姿で、今はその過程にあります。そして、その過程は、銀河に報告するべきだと思うと、銀河まで意識して生きることになるのです。


ジャガイモ収穫の様子です。



自然で当たり前のことを当たり前にする

九州にて、大雨による被害が警戒されていますが、時代が令和を迎えた5月、ジイジは大人ミーティングで以下のように語っています。

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今は5月ですが、これから夏に向かうにつれて、また世界中に災害が起きてくることでしょう。それは自然の問題で、自分に問題があるわけではないと多くの人々は思っています。しかし、それはすべて、履物の話と同じなのです。履物が散乱しているのはその人の人間性の現われであるように、病気になるのも、その人の人間性です。災害が起きるのも、今の人類の人間性の結果なのです。そういったことを緻密に観て、しっかりと振り返り、改めて、先へ進むことが大切なのです。
そこで大切なことは、常に新鮮な出来事に新鮮な心で向き合い、自らの枠に囚われず、物事の実態を冷静に捉え、進化につなげていくことです。これまでは、過去のものを実績として積み重ねていくことが大切な時代でもありました。過去から学ぶことは大切なことです。しかし、そこで過去に執着したり、特定のものに正しさを求めると、古びたものに真実を固定してしまうことにもなります。正しさとは、未来に行って与えられるものなのです。
その時に、まだ来てもいない未来のことで結論を出してはいけません。わかるはずがないのですから。まずは今、自らが行うべきことをする。そうすれば、それにふさわしい答えが未来に結果として与えられます。宇宙や地球の仕組みは、常にその答えを返してくれるのです。自分で結論を出すのではなく、今やれることに最善を尽くし、その結果を未来に受け取っていく。それがこれから求められる地球上での人間の立ち位置です。
今、地球上に聖者はいません。しかし、人間は本来誰しもが、優れたものとして地球上に生きることができるのです。本来、そのために人間は地上に降ろされたのです。これまで、過去にどんなに優れた人が降ろされていたとしても、結果として人間たちは今、地球のガン細胞のような存在となりました。ですからその証として、現代に優れた人はいません。本当に優れている人ほど、自らの実力のなさが今の地球の現状を招いたのだと、謙虚に振り返っているはずなのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

ここで話は変わって。

昨年のこの時期、僕は自然療法プログラムに取り組んでいたAくんのサポーターをしていました。Aくんの卒業コンサートは、昨年の7月31日に行われたのですが、その時、ジイジが語った言葉を最近思い出しました。

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本当の自分の実力というのは、自分の正直な心を出して、その上で返ってきたいろいろな出来事を通し、それをどのように捉え、どのように前向きに進んでいくのかにかかっています。そのときに、本当の実力が出来、社会をたくましく生きていく力になります。これは、ここで決めていることなのではなく、実際に、生きるということはそういうことなのです。誰も、明日の自らの人生を読み解くことは出来ません。明日に出会うことは、今日までに出会ってきた延長にあるとは限らないのです。それが、人生というものです。

そのために、自らの予想を超えた想像の出来ないことが起きたとき、その出来事は新たなことに対する抵抗力を与えてくれていると思えば、とてもありがたいことなのです。なぜなら、それは自分を育ててもらっていることになるからです。そのように物事を前向きに捉えたら、「あれはダメだった」「これはこういう理由でダメなのだ」という言い訳は必要なくなります。そして、どんなに難しいと思われる出来事が起きたとしても、超えられないことは何ひとつありません。そこを一つ一つ取り組んでいくことによって、自分の力が身につき、生きる希望になるのです。それが、この自然療法の取り組みに対する考え方です。


☆彡 ☆彡 ☆彡

当時、不登校だったAくんは、健全な生活を取り戻すために自然療法プログラムに取り組んでいましたが、最初の頃は、出来ない理由ばかりを探していて取り組みはなかなか進みませんでした。そんなAくんが自らの意思を強くし、規則正しい生活リズムを整え、自分と向き合うことで成長し、卒業していきました。

Aくんのケースのように、自然療法プログラムでは、規則正しい生活リズムを一つの柱としています。それは、自然で当たり前なことを当たり前にするということを意味します。そのことを基盤として、日々出会う出来事を通して自分を見つめ変化していくのです。

自分で結論を出すのではなく、今やれることに最善を尽くし、その結果を未来に受け取っていく。それがこれから求められる地球上での人間の立ち位置です。

今年の5月、これからの人間の立ち位置として、ジイジは上記のように語っていますが、これは自然療法プログラムで求められる態度と共通しています。自然のことを気にせずにやりたい放題をして来た人類の姿勢は、昼夜逆転の生活を送っているようなものとも言えます。その結果、人間社会は自然との繫がりや秩序を失ってきたのです。

自然で当たり前のことを当たり前にする。

今の人間社会はそのことが出来ていない状態で、その表れとして、鬱や引きこもり、人々の分断や対立、そして自然災害があるのだと思います。

自然で当たり前のことを当たり前にする。

そのことが最善を尽くすこととなり、ヒトとヒトは繋がり、出会う出来事をいただき実力をつけていく基盤となるのです。今まで見てきた景色は、乱れた思考や生活から生み出されたもの。それが未来を作り続けるわけではありません。冒頭で、これからの時代について語るジイジの話を紹介しましたが、その話は以下のように締め括られています。時代は新しいところへと常に進み続けているのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これからの時代がどれほど困難であるのかは、行ってみなければわかりません。平成は、その困難な時代の予告編だったのかもしれません。令和になり、いよいよ本番です。ではなぜその本番を与えられたのかというと、その先があるからです。
過去6億年の間に6回大量絶滅を繰り返してきた地球の生命の歴史に照らし合わせてみれば、現代を生きる人類は、次の生命大量絶滅の引き金となるかもしれません。人々は、何かが壊れる前はそれを守ろうとします。そして壊れれば、それを惜しみます。しかし、壊れるからこそ新しいものをそこに表現できるのです。それは、大量絶滅をするたびに進化してきた生命の歴史と同じです。
ですからやはり、壊れなければなりません。そこで、積極的に壊れていくことを喜べる生き方とは、どのようなものでしょうか。それは、使えるものを壊していくということではなく、価値観を変えていくということです。出会ったことをポジティブに捉え、変化することを喜ぶ。その時の変化は、進化になります。
変化は積極的に喜びを持って受け入れるものですが、現状の自分を守ろうとすると、出会ったものを拒絶したくなります。さらに、その自分に執着すると、変化は苦痛になります。それは、地上にいて地獄を生きることとなるです。しかし、それが喜びとなった時、尊いものへと向かう目覚めが始まるのです。

火山が噴火する、地震が起きる、台風もたくさん来る。そういう日本にいて、それが喜びになる。大変なことがあるから、大調和になるのです。それが大和という国であり、その証として、令和という時代がいよいよ始まったのです。

令和は、平成よりも物理的にはさらに厳しい時代となるでしょう。それを、大調和を持って乗り越えなさいということです。その厳しさは、ただ乗り越えるためではなく、大調和することを呼び覚ますためにあるのです。これから、今までに人類が積み上げてきたものがどんどん壊れていく時代が始まります。それを乗り越えるために必要なことは、力を合わせること。そして、壊れた先には、これまでに出会ったことのない新しい世界が待っているのです。そのことを、令和という時代は、私たちに示してくれているのです。



木の花ファミリーのみんな@玉ねぎ収穫です。

一喜一憂している自分を離れて世界を見る。

富士山と太陽です(^-^)


2019年6月22日0時54分、夏至です。

天体の動きを見ると、今回の夏至で銀河の夜明け(2009年夏至から2016年夏至)から3年が経過することになります。銀河の夜明けが持つ意味について、天下泰平ブログ・第1話「宇宙時間」には、以下のように書かれています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

 新たな時代への潮流の中で大切なことは、(それが一番良い方法だと信じて)全てを自分でやろうとするあり方(誤解)から自分自身を解き放つことだ。自分が望む結果よりも、遥かに偉大な結果へと天が導いてくれるということを信じて委ねられるか。それは、また宇宙時間への回帰の大切さを意味している。』


 ~ 中略 ~

宇宙には天が意図した「ひふみの法則」というものがあります。


無意識に統合の時代を生きていた時代(ひふみの「ひ」=源)から、我々は「個」の体験を重ねるという分離の時代(ひふみの「ふ」=分離)を過ごしてきました。そして、今、まさに私たちは「生」の本来の目的を想い出そうとしているのです。(ひふみの「み」=意識をもって統合の時代を生きていく)。


『全ての生命(いのち)が響きあう場所で天に導かれて愛を生きる。』


競争やエゴ、自分(たち)さえ良ければ、今さえ良ければ、という世界ではなく、皆がひとつの真実の方向に向かって響き合う、「大いなる循環」の中で自らの輝きを活かしていく時代の到来。


統合の時代へとシフトする今このとき、宇宙時間の中で、自分の輝きを、自分の中心で、真の女性性を取り戻しながら神の子として蘇る。天と自分の魂との約束を果たす時が今まさにやって来たのです。


自分自身を籠の中に閉じ込めているのは、「自分のやり方こそがベストだ」と信じ込んでいる自分自身なのです。その観念を一旦天へと戻して、認めたくない自分やもう二度と感じたくはない感情と再び出逢い、向き合い、その奥に在る、分離の時代には成しえなかった


『自分の中にある本当の想いや愛と繋がりなおす。』


そういうチャレンジを体験することが、閉じ込めた籠の中から輝ける自分自身を解き放つことにつながっているのです。

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銀河の夜明けを超えて、天体の動きは光、統合へと向っていますが、現実世界は混沌の度合いを増しています。5月26日に北海道佐呂間で39.5度という高温を記憶し、28日には川崎市で、18人が負傷し、加害者を含めた3人が亡くなった痛ましい事件も起きました。この時間は社会に大きな衝撃を与えましたが、事件の数日後、ジイジは子どもたちに以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

発音が曖昧ということは、言葉が曖昧ということです。言葉が曖昧ということは、意味が曖昧ということです。意味が曖昧ということは、コミュニケーションが曖昧だということです。そうすると、自分の思うことも相手に伝わらず、相手の言うこともわからないまま適当に解釈することになって、曖昧な人間関係をつくることになっていくのです。そのように意識しないうちにすべてのことを曖昧にしていくと、やっていいことと悪いことも曖昧になります。そして、自分の行動に矛盾が発生してもそれをいいとも悪いともはっきりさせないまま、ただ都合のいい豊かさだけを追い求めていくからその豊かさも曖昧になります。そういった一人ひとりの小さな行いを曖昧にしていった結果、地球上にたくさんの矛盾が積み重なっていったのです。そして今、明快な災害が起きるようになりました。
人間関係も同じです。曖昧なまま進んでお互いのことを本当に理解し合わないうちに、人と人との関係にもたくさんの矛盾が発生し、そういった日々の生活の積み重ねが長い間にストレスとなって溜まっていった結果、ある日爆発して、明快な犯罪を犯すことにもつながるのです。

犯罪が起きる時は、とても明快です。今回の犯人も、積もり積もったストレスの結果、「やってやる!」という明快な意志を持ち、包丁を4本も用意して、手袋をはめ、子どもたちがバス停に並ぶ時間を狙って現場に行き、計画を実行したのです。

 ~ 中略 ~

犯人がどのような人物だったのかということは、まだよくわかりません。ただ、今の時点で報道されている情報によると、子どもの頃に孤独だったといいます。両親が離婚し、お父さんにもお母さんにも引き取られず、伯父さんの家に引き取られて育てられたそうです。

 ~ 中略 ~

きっと彼は、昼も夜もゲームをやって、だらしのない生活をしていたのでしょう。ところが、事件を起こした時にはとても明快でした。「やってやる!」と。そして捕まる前に、自らを刺して自殺しました。どんな人でも、死んでしまえば裁かれることはありません。罪を犯した時の最も重い刑罰は死刑ですが、その刑を自らに課したのです。ですからもう、罪を問われることはありません。
何かがおかしいでしょう?彼は死んでしまったから、行った行いについて、もう問われることがない。しかし本当は、なぜそれが起きたのかを明らかにするべきであり、彼が行ったことは、この社会の中で起きたのです。つまり、こういった事件が起きるような人間関係が、今の世の中にたくさんあるのです。一つひとつのことにけじめがなく、曖昧で、それをそのままにして進んでいく。その結果、人と心が通じない。互いを理解し合えず、誤解し、相手はこうだと思い込み、人間関係が悪くなっていく。まるで、日常生活の中に戦争が起きているようなものです。だからこそ、自分の思うことをいつでも正直に出すことが大切なのです。そして相手の思うこともよく聞いて、互いを理解していくのです。

これから、災害はますます増えていくでしょう。だからこそ、そうやってみんながお互いを理解し、助け合わないと、乗り越えられない時代になるのです。災害のない、平和な時代になってほしいと人々は言います。しかし、日本は今のところ戦争はしていませんが、先日トランプ大統領が日本に来た時に、日本の護衛艦を空母にするということを話していました。空母は戦争の道具です。戦争はしていなくても、戦争のための道具に、たくさんのお金を使っているのです。そして戦争はしていなくても、子どもたちが学校へ行こうとしたら、見知らぬ人に包丁で刺される時代になったのです。そんな社会は、平和な社会とは言えません。

家の中では家族でいがみ合い、ケンカをしている。それは、本当にわかり合うための努力をしていないからです。自分の主張ばかりして、相手のことを理解しない。それも、一つひとつにけじめがないということなのです。そういった世の中全体のあり方が、この事件をつくったのです。



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ものごとを曖昧にすることで矛盾が発生し、それが社会に反映されていく。だからこそ一人ひとりの生きる姿勢が大切になります。そして、なぜものごとを曖昧にしてしまうかと言ったら、自分を良いものだと思いたいからであり、自分のやり方(癖・性分)に染まりきっているからなのだと思います。時は遡り昨年の8月、ジイジはこんなふうに語っています。

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僕が今、考えているのは、人というのは自分を良いものだというふうに見せてカモフラージュしている。だから、正直でないことが染み付いていると、わからないことはこういうふうにしていこう、と見せたいものなのだ。自分の許容範囲の中に収めていきたいものなのだ。ところが、実際の人間というものは、日常親しく付き合っていればボロが出てくる。しかし、いちいちそこで問わない人間関係であれば、そんなことは誰も問わない。穏便にいけばいいから。お互いに自分の許す印象が維持されていれば、それでいいわけだから、それに言及しない。

ところが、それでは生きているという意味からしたら、人間は生きることによってただこの世界に役割を果たしているのではなく、自らのカルマというものを浄化するために生きている。だから、人間の生きる目的からは外れている。それをノーチェックでいって、そこに矛盾やエネルギーがたまっていけば、ぶつかったり、悩んだり、中にはうつ病になるものも出てくる。

そこに対して、その行動を理解して果敢に挑戦する気が自分にあるかどうか。そこをごまかして、自分に挑戦しないで、逃げている。それを自分だけの問題だと思っているのだが、それが世界の空気をつくっていく。

ここで難しいのは、自分の癖・性分というものは捨てるものではないということ。癖・性分というものは直すとか捨てるとか、そういうものではない。癖・性分というものは、有効に生かすというところで、初めて変化をもたらすことができる。そうすると、人は癖・性分を有効活用するというところになかなか行かないものだ。だから、同じことを繰り返す。

そこで、癖・性分を有効活用するにはどうしたらいいのか。まずは出来事を癖・性分で受け取っているのだから、出来事を客観的情報として冷静に分析する力を身につけないといけない。しかし、自分から離れて事象を観ることは難しい。それに一喜一憂している自分に対して、自分から離れて、それを観る。しかし、それは簡単にできるわけがない。一生の問題だから。

そのときに、それが可能になるのは真剣に取り組んでいく姿勢。真剣でも、方向が間違っていたら、同じような滞りが繰り返し起き、そのうちに嫌になって、やる気がなくなり、ダメになるというものも出てくる。一生懸命だったって、ただ一生懸命やっていると、ダメになる一生懸命もある。

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ジイジは駄目になる一生懸命もあると語っていますが、今の混乱した社会も人々が一生懸命に生きてきた結果と言えます。元号が令和に変わった2019年5月1日、ジイジは子どもたちに向けてこんなふうに語っています。

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これからますます、世界中で地球規模の矛盾が現象化していくことでしょう。その矛盾とは、人的矛盾、社会的矛盾、そして環境的矛盾です。
人的矛盾と言うのは、人間一人ひとりが良いと思ってやることが間違いを起こし、世の中を悪くしたことです。そして一人ひとりが自分のことしか考えず、魂としてもレベルの低いものになってしまったということです。良いと思って間違いをやるのは矛盾です。ですから、悪いと思ってやる方がまだましかもしれませんが、それはそれでなお問題です。
社会的矛盾とは、例えば良い世の中を作るためにあるはずの教育が、格差を作っています。人々を健康にするための医療が、お金儲けの手段になっています。裁判所では、たくさん勉強をした優秀な人たちが、自分の利益のために罪のある人を無実にしたり、無実の人に罪を着せたりしています。お金を儲けて豊かになろうとする人たちが、何も生産しない仮想経済金融システムや、裏に隠されて表に出てこないアングラマネーの世界を作り、さらに格差を広げています。それらはすべて社会的矛盾であり、そういった現代にはびこる矛盾は数え上げたら切りがありません。
そして、地球温暖化に代表される環境的矛盾があります。太陽の黒点活動により、地球は今プラスエネルギー過剰になっています。人間が「もっともっと」「たくさん欲しい」というのはプラスでしょう?太陽がそれに応えて、エネルギーをどんどん地球に送り込んでいます。そして地球のマグマのエネルギーが強くなり、火山が噴火するようになります。日本では、地殻変動や火山の噴火が近い将来起こると予想されていますが、そういったことを誰が引き起こしているのかと言えば、人間のこれまでの地球上での生き方が、それを引き起こしているのです。

学校でいじめにあったり、社会に通用せず引きこもりになってしまうのは、子どもの問題のようですが、実はその家のお父さんとお母さんの仲が悪くその影響を受けていたりします。ではその両親の仲がなぜうまくいかないのかと言えば、そのまた両親の関係から来ていたりするのです。そういったことを正しく振り返り、いったいどこに問題があるのかを観て、最終的に自分自身に問題があることに気付き、自分をきれいにしていく。そうすると、そこから初めて自分自身の人生も、自分がこれから生み出すであろう子孫も、社会も良くなっていきます。



☆彡 ☆彡 ☆彡

長い間、多くの人々が自分の実態と向き合わず、都合の良い結果を求め続けた結果、一生懸命がこの世界に矛盾を生み出してきました。それは自分のやり方(癖・性分)でものごとを改善しようとしてきた結果で、日々の生活の困難、社会の混乱や災害は今までの生の結果と言えます。だからこそ今の状況を正しく振り返り、それを生み出した自分や社会の実態を知り、きれいにしていくことが大切になります。そのことがものごとを明快にし、場を整え美しくしていくのです。そして、そのためには、ものごとに反応し一喜一憂している自分を離れて、自分や世界を見ていく必要があります。

一喜一憂している自分を離れて世界を見る。

その姿勢が育まれたトキ、癖・性分に染まっていては、認めることが出来なかった本当の自分に出会い、この世界に流れる大いなる天の導きが見えてくることでしょう。

銀河の夜明けを経て、光が差し込む中で浮き彫りになり続ける混乱は、自我の闇の中で盲目だった人々を実態へと誘うエール、認めたくない自分や感じたくない感情と向き合い、その奥にある本当の自分、本当の世界へと至る道なのです。

2019年6月17日のお月様。射手座満月です(^-^)



うそにならないように・・・

今日、2019年5月20日で、僕は木の花ファミリーで丸10年過ごしたことになります。10周年を前にした5月13日、ジイジと話す時間を持った僕は、「自分のことばかり話しているね」というフィードバックを貰いました。

時は遡り、2009年2月16日。学校事務職員として働いていた僕は、こんな文章を書いています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人間の心の顕れがすなわち地球の心の顕れ。 
地球は(自然は)調和的であると共に利己的でもある。 
「種の保存」という言葉はそれを表している。 
それぞれが利己的なんだけれども、生態系という大きなバランスの元、

調和が保たれている。 
それが地球。 
人間は意識を持つことにより、そのバランスを超える力を持った。 
だから利己的な面が際立つようになっている。 
でもこれはそもそも地球が持つ一側面。 
地球の意識が利己的な面を増幅させた。 
それが人間の行動に顕れている。 
でも今、地球は成長しようとしている。 
バランスを超えた力を持ちながら、調和を保とうとしている。 
それが人間の意識にも作用している。 
そして今、エコビレッジを創ろうという動きが加速しつつある。 
これが今の僕の世界観。 
そして、僕は地球という大いなる存在の声を聴く必要がある。 
天に身を委ねる必要がある。 
とらわれない心。自由な心。軽やかな心。 
何かを所有する気持ちを手放す。 
そんな生き方をする時、今の仕事を続けることは出来ない。 
僕の言葉がうそになる。 
だから仕事を辞めようと思った。 
でも、20103月は遅すぎる。 
そこに計算が働いている。 
給料、有給休暇などを計算している自分がいる。 
もうこの時点で僕の言葉はうそになる。 
先日、カードリーディングをしてもらった。 
必要なカードでVacationが出た。 
Vacation
。空っぽになること。 
他に必要なことは高い意識を持ち直感を信じること。 
答えは明らか。 
僕はこの3月で仕事を辞める。 
今日、たまたま実家に帰ったので、両親にはその気持ちを伝えた。 
そして、明日、僕は退職届を出す。 
僕の言葉がうそにならないように・・・




☆彡 ☆彡 ☆彡

10年前、「僕が」矛盾のない生き方をするために、「僕の」言葉がうそにならないように、僕は木の花ファミリーに移住しました。そんな僕がここ数か月、「僕の」正しさ、「僕が」正しくあることに囚われることで、ここ数年語ってきた言葉をうそにしてしまいました。

2014年11月に書いた「僕といさどんと木の花ファミリー」で紹介しているプロジェクターのスイッチがつかないエピソード。このエピソードを受けて僕はこんなふうに書いています(いさどんはジイジの当時の呼び名です。)

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕はテレビを観ていなかった。テレビを観ていたのはいさどん。
プロジェクターをつけようとしたのはあくまで良心。
いやだな~と想いながらも他に動く人がいなかったから動いた。
それなのに怒られる。なんなんだよ。

心の中ではそんなふうに思っていました。でもそのままにしました。

いさどんに怒られたのにそのままにしている僕。

そんな僕に対して疑問を感じるメンバーが僕に話しかけてきます。
「いさどんが怒るからには何か意味がある」と伝えてきます。
僕はさらに理不尽に感じていきます。

ですが、いさどんはプロジェクターのスイッチをつけるコツを知っていたのです。
いさどんは始めそれを僕に説明しようとしました。
ですが、僕の頭は「出来ない」という苦手意識でいっぱいで、
その言葉が入る状態ではありませんでした。
そんな僕の意識状態に対していさどんは怒ったのです。

もし僕が自分の正当性を主張したら、
(世間の)多くの人は僕の言葉に耳を傾けたのではないかと思います。
なぜなら表面で起きている出来事だけを見ていたら、僕は被害者にも見えるので。
そして、僕はみんなに正しいと認めて貰います。
でも、その先に何があるのでしょうか?
優越感に伴う自己主張の心が育ち、
それは新たなる対立を生み出すのではないでしょうか?

虐げられた状態から逆転し見返す。

僕の無意識はこんな物語を好んでいました。
そのため僕は虐げられる状況を自ら創り上げてきました。
自分で自分を苦しめることになります。
僕の正当性が認められた時、僕は喜びます。
ですが、それはその不調和な心を強化していくのです。

これは僕だけの問題ではありません。
この僕の不調和な心が世界で起きているテロリズムに波動として繋がっていきます。
そして、悲しみの連鎖が続いていくのです。


いさどんはそんな僕の心にメスをいれてくれたのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この時、ジイジは正しいことを僕に伝えてくれました。ですが、仮に僕が正しかったとしても、僕の姿勢には大きな問題があります。自分が正しいか正しくないか、その視点に囚われると世界が狭くなります。その正しさが世界に何をもたらしているか?そのことが見えなくなります。この世界の中で「自分が」正しくあろうとしたり、「自分の」悟りを求めることは、結局、自分のことしか考えていない姿勢の表れなのです。

僕がジイジから「自分のことばかり話しているね」というフィードバックを貰った日、ロータスランドではお話会が開催されましたが、そのプレゼンではこんな言葉が紹介されています。

☆彡 ☆彡 ☆彡


今のように、人間が自分のことしか考えず
この世界に生かされているにもかかわらず
宇宙はおろか自然のことも考えない時代には、
宇宙や自然は人間たちに、困難という形でメッセージを送っています。
そのような時代に大切なことは、
つながり合い、自らの意思を他者に伝え、意見を聞き、
互いを認め合い、絆を結び、調和し生きていくことです。
それが次の時代を創り、良い地球創りとなるのです。
これからの時代を生きる人々は、命を大切にし、争わず
大調和を表すのが、時代から与えられた使命なのです。

それが本当の大和魂なのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

言葉がうそにならないように。

目指すのは、「僕の」悟りではなく、人類の悟り(差取り)であり地球の悟り(差取り)であり宇宙の悟り(差取り)。

自らの未熟が失敗に繋がると、心と身体が固まって、自分の成長を求めます。失敗がないように。その心が囚われとなり、固まった心が失敗を生み出し続けます。だから、しなやか心と頭と身体を育んでいこうと思っています。自らの未熟が失敗を生み出しても、それが繋がりの中で生かされていけばいいのです。

目指すのは、「僕の」悟りではなく、宇宙の「悟り」。すべてが繋がりの中で生かされる世界なのです。






5月19日 蠍座満月です。





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