孤独感と万能感を超えていく


僕は自我について以下のように書いたことがあります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

我思う、故に、我あり。(コギト・エルゴ・スム)

私が存在するのは、私が思考しているから。

自分の存在基盤を自分の思考に求めたこのデカルトの言葉は、
自我による自然からの独立宣言で、
他者の存在なしでも自分は存在出来るという幻想を生み出しました。

自然から独立した自我は、自然をただの物質と捉え、切り刻み利用していきます。
その結果、物質文明は発展しますが、自然環境は限界を迎えています。

その自然に対する態度は他者に対する態度にも反映されていきます。
自我にとって他者の存在は分析し利用する対象となってしまっているのです。
そして、それは他者の自我から見た自分にも言えることです。

近代以降、自我は孤独となり、不安を抱えています。


ニーチェは「神は死んだ」と表現しましたが、
人々は神である自然から命を奪っているのです。
そして、本来、人は自然の一部です。
自然から命を奪うことは自らの命を奪うことであり、
存在の基盤を失う結果に繋がります。
そのため自我は孤独となります。
孤独となった自我は他者を求めますが、
その態度に変化はなく、他者は分析し利用する対象のままなのです。

不安な自我は、安心を得るために自分に賛同してくれる存在を求めます。
他者からの承認を支えに生きていくようになります。
そのため、「間違え」は致命的な出来事であり、自らの「正しさ」を信じていたいのです。
自らの「正しさ」を信じるために、他者の間違えを指摘し続けているのです。




☆彡 ☆彡 ☆彡

孤独になった自我は同時に万能感も隠し持っています。

「他者の存在なしでも自分が存在出来る」という幻想は人間に傲慢さをもたらし、
自然を切り刻み、利用し続けることでバーチャルな空間を創り上げました。
現在の金融システムやテレビやインターネットの世界、
そしてポケモンGOに代表されるゲームの世界はその最たるものでしょう。
バーチャルな空間の中で人間は現実に向き合わずに暮らすようになっています。
そんな中、ますます傲慢となり万能感も育まれていくのです。

万能感はなんでも思い通りにしようとする気持ちとなって人間に現れます。

こんなことを書くと、

そんなことはない。自分は自分のことを駄目な人間だと思っている。

というように思う人もいるかもしれません。

ですが、思い通りにしたい気持ちは自分を責める言葉となって現れることもあります。

例えば、こんな感じです。

今の状況を自分は駄目だと思っている。
自分は本当に最低だと思う。
だから何とかする必要があるのだけれども、自分にはどうすることも出来ない。
本当に自分は駄目だ。

こんな言葉の奥に、誰かに改善してもらおうとする気持ちが含まれていたら、
それは他者を使用して状況を思い通りにしようとしている証です。

自分を責めている人を放っておくのは難しいことです。
そう考えるとこれは脅迫とも言える行為なのです。

自分を責めている人。

それを表面だけ見たら、苦しんでいる人に見えます。
ですが、奥の心を見ると脅迫し、要求している人なのかもしれません。

奥の心を見なければ、真実は見えてこないものです。

奥を見ていくと、無反応の中にも思い通りにしようとする気持ちが現れることがあります。

自分は反応をしない。でも誰かに状況を改善して欲しいと思っていたら、
それも他者を利用して状況を思い通りにしようとしている証です。

こんな気持ちを抱えていると無反応も一種の脅迫と言えます。

そして正義を貫く気持ち。

そんな一見正しい行動の奥にも思い通りにしようとする気持ちが隠れていることがあります。
だからいつでも奥の心を確認することが大切です。

万能感が満たされたらいい。思い通りになればいい。

そう感じる人もいるかもしれません。
ですが、万能感は孤独感と表裏一体なのです。

思い通りになる状態とは一方的な動きであり、他者との真の交流は生まれません。
そのため心の奥にはいつも孤独感を抱えることになります。

万能感。

それは自我から生み出された怪物、宇宙の法からはみ出た異物です。
その起源は、「他者の存在なしで自分は存在出来る」という法を無視した幻想にあります。

法の中で生きる人間が法を無視している。

その矛盾が今、社会の混乱や環境破壊という滞りとなって現れているのです。

現代人の自我は万能感と孤独感に汚染されてきました。
それは心の奥深くまで染み渡っています。
そして気付かぬうちに人々を苦しめ、世界を混乱させています。
その苦しみや混乱はバーチャルな空間や幻想から生まれているのです。

だから大切なのは現実の自分と向き合うことです。
そして宇宙の法に沿って、自分の想いを表現していくことです。

そうすることで、現実の中で自分がもまれ、想いも自分も変化していきます。
その変化が喜びとなり、新しい時代に向けた希望となっていくことでしょう。

僕は今、そんなふうに生きています。

昨日は新月。

決意を表現するのに適した時です。

僕は自我がもたらす幻想、万能感と孤独感を完全に超えていきます。
そして時代の変化と一体となり変化の喜びを体現していきます(^-^)

数日前の朝の富士山。空には三日月も浮かんでいます。



0 コメント:

Your left Slidebar content. -->