自分は親孝行をしていたはずなのに、与えようとする意識とそれを受け取る意識の価値観が違うがために、親不孝をしていることがわかったのです。親孝行や人を想うことは、相手と通じたときに価値があるのです。どんなに相手を想う心であっても、それがいかに尊くても、相手と通じなければ意味がないと考えたときに、自分は間違っていたと気付きました。その極めつけとして、「自分は世のため人のための人生を生きると言っておきながら、結局自分の先祖や両親を優先して考えていた。ここにも我があることを知って、天はこの我も取りなさいと教えてくれているのだ」と気付き、親元を離れ、富士山へ行き、この生活をしようと決意したのです。
このようにして、ふるさとでの理想郷づくりを半年で断念した僕は、ふるさとを出発する当日、その志を滝神社の氏神様に報告しに行きました。そうしたら、氏神様から次のような言葉が降りてきました。「そなたのことは、上の神様より聞いておった。そなたがここに来て、わたしを盛り立ててくれることを喜びとしておった。だから、まさかここで別の地へ行くとは思わなかったが、それは理解できる。旅立ちのはなむけに、言葉を送る。どんな大海を行く者も、その始まりはふるさとに降るしずく一滴より始まることを忘れるな。」
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上記はいさどんが故郷を離れる時のエピソードですが、人間はみんな一滴としてこの世に生を受け、そしてこの世を旅立つ時、この世界という大海と一つとなります。ですが、あの世に旅立つ前にこの世にいながら大海と一つとなって歩むことも出来ます。それが心磨きの道だと僕は思っています。
話しは変わって。
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そば粉のガレット |
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のんちゃん |
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今日は、お昼に出かけることになっていたんだけれど、バタバタしてしまい、昼食を食べる時間が取れそうもなかった。
「まあ、いいか」と思っていたら、そんな僕の様子を察してのんちゃんがお出かけ用に、おにぎりとゆで卵を用意してくれた。
のんちゃん、すげー!!!
って思った。僕は何にも言っていないのにね。
※写真のおにぎりは酵素玄米にピーナツと黒米餅あられが入っているもの。この他、キビご飯の焼き飯のおにぎりや、とろろと黒ゴマと梅を使ったおにぎりが入っていて、とっても美味しかった(^-^)
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そして、おにぎりで思い出すのは、昨年の誕生日に同じくのんちゃんに作ってもらった大きなおにぎり(下の写真)。この時、僕はこんな文章を書いています。
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そして、おにぎりで思い出すのは、昨年の誕生日に同じくのんちゃんに作ってもらった大きなおにぎり(下の写真)。この時、僕はこんな文章を書いています。
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とっても素敵な料理を作ってもらって胸がいっぱいになりました。そして、みんなで僕を囲んで写真を撮ってくれたのですが、「なかのん、誕生日おめでとう!!!」という声と共にみんなが拍手をしてくれました。それも思いがけなくて胸がいっぱいになりました。デザートはほとんど子どもにあげてしまったのですが、こうやって共有出来ることがただただ幸せでそのことも僕の胸をいっぱいにしました。僕は感動で満たされました。
変化変容を繰り返すこの世界の法則はみんなを幸せに繋いでいきます。それを邪魔するのは「自分が・・・」と際立つ心だけです。僕は魂の地点に立って、自分の思考や感情から自由となり法則のままに生きていきます。そしてみんなとその豊かさを表現して発信していきます。その時きっと自分自身が永遠の表れとなっていることでしょう。
そう、僕は永遠に続く宇宙です(^-^)
いや、「僕は・・・」ではなく「僕も・・・」ですね。
気付けばみんな永遠に続く宇宙、共に未知の道を旅しているのです。
「自分自身が永遠の表れであるように」より
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自分を超えて法則のままに生きる時、人は宇宙そのものの表現となり大海と一つとなるのだと思います。これから僕は祖母の葬式に行きますが、僕はそんな心を持って祖母を見送ろうと思っています。その場で会う僕の身内は一滴としての僕を生み出したくれた人たちですが、僕は同時に大海でもあります。自分自身が大海としてその場に臨めば、滴としての僕らは溶け合って時空を超えて、生死を超えて一つとなっていきます。忙しい時期であり物理的には僅かな時間しか共に過ごすことは出来ませんが、大きな心で共に過ごそうと思っています。
2月という1年で最も忙しい時期に病気をいただき、そして祖母が亡くなりました。思いもかけないことが続きますが、神さまの計らいも同時に感じています。例えば農事組合法人、税申告の締め切り日に葬式が突然入ったらどちらかを諦める必要があるわけですが、何とか出来る可能性は保たれているのです。
そして今、僕は木の花のみんなの中で生きています。そしてみんなが僕に気を掛けてくれています。素敵なデザートを運んでくれたのんちゃんだけでなく、癒し処たんぽぽの鍼灸師じゅんぞうくんは頼みもしないのにいつも僕の身体の状態を見てくれます。そして、日々の細かなことに気を掛けてくれるオフィスチームのみんな、僕のエールのために大事を語ってくれたいさどん、全部、僕が意図していないところで起きていることです。僕の意図していないことが僕を支え僕を生かしてくれています。
自分にとって都合のよいことも都合の悪いことも、嬉しいことも辛いこともみんなみんな自分の意図を超えたところで起きていて、それが僕の胸をいっぱいにして僕の幅を広げてくれます。僕という一滴を壊し大海へと導いてくれているのです。
大きな流れがこのタイミングで僕を肉親の元へと導いています。僕はただその流れを受けて行動し滴としての自分を確認すると同時に自分自身が大海の表れであるように生きていこうと思っています。それはこんな感じの人生です。
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僕は海。そして浮かんでは消える波として人生を送ります。
波としての自分に焦点を当てれば、それは自分の人生と感じるかもしれませんが、僕は本来、海そのものなのです。だから、波(自我)としての自分は他のすべての波(自我)と同様で、世界の彩りの一つに過ぎず、それはみんなのものなのです。
僕は自分を通してみんなの人生を生きる。
それは僕の人生が僕だけのものではなくみんなのものでもあるということです。
「みんなの人生を生きる」より
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木の花ファミリーのみんな |
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