光と影が交錯し、そのことで光が増し影が生かされていく世界

元日の富士山(ちなっぴ撮影)です。

あけましておめでとうございます。2018年木の花ファミリーのテーマは『再スタート』です。2017年のテーマは『爆発』でした。僕らは心の水爆を爆発させ今までの自分をリセットし、今年新たな物語を生み出していきます。意識は物質よりも根源的。心がリセットすれば物理的なことは自ずと変化していくのです。

爆発のラストを飾る2017年大晦日の大人ミーティングでは21世紀に求められる神通力がシェアされました。そこでは、神通力、神に通じる力について以下のように語られています。それは願いを叶えるものでもなく特別なものでもないのです。

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我々は肉体を持っている。肉体というものは物質だから、そこに光が当たると同時に影ができる。魂が我々の本来の存在なのだが、その魂が設計図となり、魂の思いが響きとなって世界に発せられると、それが現象化を引き起こしていく。それが現象となった時点で、我々は自我を持ち、特定する自らの枠を決め、枠以外のものを他者だと区別する。そのことによって、影ができるのだ。

その影は、物理的な光では消すことはできない。霊的な光でなければ、その影は消せないのだ。そうすると、思いの力を持って影を消すことはできるのだが、その思いの内容によっては重くなって、逆に影が濃くなることもある。それは、自我に囚われることが原因でそうなるのだ。

そして、その影は、未解決事件の背景に流れるものだと思った。それは、この世界に黒い雲のように漂う魔だ。その魔が存在する限り、いくら人に正論を語っても、健全にはならないということだ。

 ~ 中略 ~ 

今のような人々が真実をはき違えた時代には、神通力が必要になるとも思えるのだ。神通力とは、神に通じる力。その霊的な光で照らさなければ、人間に真理という光を照らしても、人間は質量を持っているためにその光が奥の魂まで射さないのだ。光が射さないから、その影があることがわからない。神通力というのは、人間の道理ではなく、霊的な光のことだ。だから、物質的に汚染されてしまった人間の思考をその光で突き通す必要がある。我々が肉体を返上し魂だけになった時に自らの実態があからさまにわかるのと同様に、そういった物事の本質を掴み取る知恵を人々が得るためには、立ち込めた魔を払い、真実の光を照らす必要があるのだ。現代の人間世界にはあまりにもたくさんの影が発生し、そこに漂う黒い雲が世界に蔓延し、多くの矛盾を発生させている今、人々にいくら正しいを語っても、人々は目覚めない状態になっている。

 ~ 中略 ~

今、世の中の現状を観てみれば、高い意識レベルの神通力は必要であることが観える。お釈迦様は「ガンジスの川の砂のごとく、衆生はおる。そのすべての衆生に仏性あり」と言われた。それはお釈迦様の意志として仏教に伝えられている。ところが、そこでお釈迦様は発していない言葉がある。その後にお釈迦様が伝えられたのは、「ただし、その道を歩んだものにだけ」ということ。つまり、いくら仏性があって、ブッダへの道があったとしても、それに目覚めて歩まないものにはない、ということだ。それで、そういった道を忘れ、歩まない現状の人間世界がある。

 ~ 中略 ~

それで、今年のはじめに、なぜ神通力というビジョンが降りてきたのか。そして、今年の暮れまで来た。今こそ、神通力が本当に必要な時が来ている。つまり、世界の仕組みを理解したものたちが、自らの高い意識を持って、この世の中の雲を払拭していかなければ、本来ヒトとして悟れる素質があるものも、その価値を見出すことはできない。そして、さらに現状の世界が続くだけのことになる。

この世界に漂っている暗雲を払拭しなければならない。神通力をもって払拭する。僕一人の力では世の中すべての暗雲を払拭することはできないし、今はそういった一人の力に頼る時代でもない。この悟りを人々に伝え、自らを価値あるものとして腹に落とし、歩んでいくものたちが現れてくる時が来ている。その歩みが2018年にスタートする。

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魂としてのヒトはこの世界と一体です。ですが、自我を持つ人間は、自らを世界から分けて際立たせます。そして、その動きにより自分だけの世界、影を生み出します。影は本来、光を認識するためにあり、それが悟りへの道となります。ですが、その道を歩まなければ、人間は自分だけの世界、影をすべてとし、その結果、世界に暗雲を広がっていくのです。今の社会の混乱はその表れで、いさどんはそれを払拭していく決意をしています。

そして僕は、大晦日に「変遷として見ていく」をシェアしました。この記事は2017年の振り返りとなっていますが、その学びは以下の言葉に集約されます。

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僕の中には好き嫌いや善悪の価値判断がありますが、それらは僕が出会った縁の中で育んだものであり絶対的なものではありません。世界には様々な好みや価値基準があります。多種多様な好み、価値判断のどれが正しいかと考えることにはあまり意味がなくて、それらの奥には天の流れがあり、すべては役割としてあるのです。そのことが見えると、分断や対立の奥に流れる大いなる意志を感じ、お互いを理解し合うことが出来るのです。

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それぞれの人がそれぞれの出会いの中で好みや価値判断を育みますが、多くの人がそれを絶対視しているのが今の世界です。そのことが影となり分断や対立が生まれています。アメリカ、中国、ロシア、北朝鮮、イスラエル、パレスチナ、日本。それぞれの国が自分の立場からの正しさを主張し対立しています。それは国内を見ても同じです。自分の立場から見える安全や利益を求めて改憲、護憲などの対立が生まれています。

自分の側から世界を見て正しさを追い求める。それは影からの視点であり、常に偏り分断や対立に繋がっていきます。無明。自らが影の中にいることを理解していないのです。

今、必要なのは、世界の側から自分を見ることです。その視点が霊的な光となり自我の枠を溶かし目覚めへと繋がっていきます。自分自身を世界の中に位置づけその役割に気づくことが出来るのです。

世界の側から自分を見る。するとこんな世界が見えてきます。

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宇宙と自分は一つ。その中で過去から続く因縁によって今この場にいて、そして今の自分の言動が新たな縁を生み出していきます。それは円運動によって究極的には宇宙の中心と繋がっていきます。日々出会う出来事は、視点を高くすれば、無限なる宇宙の円運動のひとコマとして出会っているものであり、それは自らの生の結果でもあります。

何かに出会った時、自分の中にはいろいろな反応が芽生えますが、それは今までの生の結果であり多様な因縁があるからこそ、多様な反応をしているということです。その中で何を選ぶかで解消される因縁もあれば強まる因縁もあります。そして、それは無限に連なる宇宙の中心へと繋がっているのです。

 ~ 中略 ~

自分の今までの生、因縁によって芽生える様々な感情。その中で自分が選んだ感情が波動となって宇宙の中心へと繋がり、この世界の一翼を担っていく。それは本当に些細なものであっても自分一人分、この世界に対する責任です。


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目覚めの波動を宇宙の中心へと伝えていく。そんな人たちが増えていくとこの世界の暗雲が晴れていき、道理の道を歩む人が増えていきます。今年がそんな年になるよう自分一人分責任を果たしていこうと思っています。

世界の側から自分を見る。その世界とは本来の自分のことです。なぜなら、宇宙と自分は一つだからです。自我が生み出す影は、光を認識するためのものであり、それは本来、光の一部であり光の中の役割なのです。

光と影が交錯し、そのことで光が増し影が生かされていく世界。

それが目覚めたものが生み出す世界であり、喜びと希望に満ちた世界です。そんな世界を木の花ファミリーのみんなと表現していこうと思っています。最後に元日のファミリーの様子を紹介して終わりにしようと思います。今年もどうぞよろしくお願い致します。

みんなで初日の出を見ました。

集合写真です。

昼食の様子です。

昼食です。

夕食の様子です。

夕食です。

夜は子どもたち企画のゲームをして遊びました。すもうをしています。
卓球をする人たちもいます。


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