「正しい立場」を手放す

この世界のすべての汚れは人間のカルマから生まれている。

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数日前の大人ミーティングでいさどんはそんなふうに語り、そうだなと思いました。

仏教用語で無明という言葉があります。これは迷いのことで、人間の自我が生み出す見解(我見)が無明であり、そこからすべての苦が発生すると言われています。自我を持つ人間はみんな、自分の尺度を持ち、そこから世界を感じて世界を評価しています。その状態が無明であり、そこからすべての苦しみが生まれるというのですが、それは同時にカルマと汚れも生み出しているのだと思います。

2012年12月22日、太陽系は銀河の冬至を迎えましたが、それは25800年周期で訪れる闇のピークと言われています。闇とは光のない状態、無明です。そして無明とは自我が生み出す世界のこと。人類は星々の運行と連動し、それぞれの自我を増長させてきました。その結果が今の世界であり、貧困や飢餓、戦争や紛争、自然災害などの苦しみ、そして大気汚染や海洋汚染などの汚れでいっぱいになった世界を生きています。

ですが、闇のピークはもう超えました。

2016年6月21日、銀河の冬至前後7年間の銀河の夜明けを経て、太陽系は本格的に光の時代に向かっています。それは自我の生み出す闇を抜け出し、智恵の光のもとに生きていくということです。自我を超えることでもたらされる智恵の光。それだけが今の世界を苦しみや汚れから解き放つのだと思います。

話しは変わって。

森友学園への国有地売却を巡る財務省による決済文書改ざん問題、加計学園獣医学部新設を巡る「官邸主導」の疑惑、自衛隊イラク、南スーダンの日報問題、そして財務省次官によるセクハラ疑惑・・・

今、政権の信頼が揺らぐニュースが次々と報道されています。

それに対して野党は「正義」の側に立って政権を問いただしています。その野党の動きは社会的には正しくて必要なものかもしれません。ですが、その先に明るい未来を感じることは出来ません。野党は「正義」を掲げていますが、その奥にはそれぞれの思惑が溢れています。思惑は自我から生まれるものであり、この世界の闇を深め新たな苦しみや汚れを生み出します。

正義とは本来、立場ではなく心の姿勢です。正義を主張している時、その自分の姿勢はどうなのかをチェックする必要があります。ですが、人は正義を主張出来る立場になると、自分のことを棚に上げ、相手だけを裁くようになります。その姿勢は正義とは言えず、新たな争いの種となっていきます。

ここで思い出すのが、「正義のメッキを剥がして本当の自分を見ていく」にも紹介している阿修羅のエピソード。そのメッセージは「たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる」というものです。自分から見える正義、正当性に心を奪われると、自分が見えなくなり、結果、思わぬ悪を生み出すことになるのです。

多くの人が正しい立場にいることを求めているのではないでしょうか?正しい立場に立つことで思う存分に持論を展開する。そこに心地よさを感じているのではないでしょうか?そしてその奥には失敗することに対する恐れ、間違えを犯すことに対する罪悪感などがあります。それらすべて自我の生み出す幻であり、無明であり、苦しみや汚れを世界にもたらしていきます。

だから僕は。

これから「正しい立場」を手放していきます。そして恐れや罪悪感も手放していきます。永遠の相の下に。過去から現在、そして未来に向けて、ありのままの姿をただ淡々と描いていこうと思っています。そしてそこからどんな世界が展開していくかをただ見ていこうと思っています。


阿修羅のイラスト(著作者: Vector Graphics)




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