ただそこにはええかっこしいのみがあった。
人々は理想を語る。そして平和を目指し人のためになろうとする。
だけれども、その動機はええかっこしいだけだったから、
行動に魂が入ることは滅多にありませんでした。
そして思うように進まないことで、落ち込んだり怒ったり不貞腐れたり。
そんな心が、対立や争い、混乱を生み出していきました。
そうやって人々は嘘つきになっていくのです。
けれども、人々には嘘をついている自覚がありません。
ええかっこしたいという気持ちは本当だから、
自分は人のためになろうとしていると信じ込んでいるのです。
思うように物事が進まないのは、周りが悪いから。
自分は全く悪くない。自分はよい人間。
そう信じ込んでいるから、全く嘘をついている自覚がないのです。
そうやってよい人間だと思い込んでいる人たちが集まって、
世界に対立と混乱は広がっていきました。
そしてトキは進み・・・・
政治や経済は混乱を極め、気候変動による天災が多発するようになる中、
そんな世界の状態に疑問を持つ人々が表れました。
そして世界をありのままに眺めることで、彼らは気づいたのです。
実態は語る言葉ではなく、出会う現象に中にあることに。
ええかっこしたいならば、まずは自分の実態を把握し、
日々の生活を大切に丁寧に整えていく必要があります。
そうすることで初めて人のため、世界にために生きることが出来るのです。
その事実に気づき彼らは軌道修正をしたのです。
そうして世界は少しずつ変わっていきました。
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2019年、木の花ファミリーのテーマは「軌道修正」です。そのテーマはジイジのこんな言葉から始まりました。
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2019年のテーマは、「軌道修正」と出た。それは、人類の歩みの方向転換である。そこで何を軌道修正するのか。それは、人間たちの歩んできた一時見た夢が幻であることに気付き、その夢から覚めて、この実相世界の真実に目覚めること。それは、視点を拡大し、世界観が広がらなければ観えないものである。何びとも、この世界に生きるということは、実相世界の時代の波に翻弄されるが、人間以外のものは翻弄されずにその波のままに存在しているだけである。人間たちも、いよいよそのサイクルに戻る時が来ている。今、時代と共に軌道修正の波が来ているにもかかわらず、今までの幻影を追いかけて歩んでいては、時代の波に乗り遅れる。だから、来年のテーマは「軌道修正」と出た。
そして、これからいよいよ群れの時代が始まる。今まで社会は個のパフォーマンスを表現する時代だったが、いよいよ群れの時代の幕開けだ。群れで生きていかなければ、これから生きられない時代が来る。今までの社会は、個人がテーマだったから無駄が多かった。それが群れになって繋がると、無駄はなくなる。これからは無駄をなくさないとこの時代の変わり目に、今までの無駄のツケは乗り越えられない。そういった時代のうねりを敏感に感じる人であることが求められる。つまり、時代のパフォーマンスを感じ取れるセンサーを人間一人ひとりが持たなければ、この変わり目において見当違いな方向にまた進んでしまうことになる。それを正しく見極めなければ、生きることの矛盾や自らの人間性の狭さ・小ささ・低さの実態が明らかになるだろう。だから、広い世界観がいよいよ必要な時代になってくる。
そしてトキは進み、2019年10月5日、大人ミーティングではこんな文章がシェアされました。
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あの不良品たちがうちにいるだろう。あれを何とかしてください、と言ったら、あれは糊であると天は言うんだよ。我々と何か(道)をくっつける糊であると。それで、糊というものは、そのもの自体は必要としない。しかし、それがあることによって、あるものとあるものがくっついて新しい役割が果たせるものができる。だからとても必要なもの。糊は使ってしまえばその存在は不要になり、存在すら忘れられる。しかし、そのものの働きは、糊によって維持されるわけだよ。だからとても重要なものでもある。
例えば、問題ごとが起き行き詰った状態をどう捉えるかということも、それが問題だと思えばそこからレベルアップするためのきっかけになる。しかし、その現象を通り越してしまえば、問題事があったことすら忘れてしまう。なぜその繰り返しの位置にいるのかといえば、振り返れば、繰り返しの問題ごとがあったからといって、その者はその位置にその性質をもってあり続けている。これはわかりやすい分析で、もっと多彩なメッセージがそこに隠れていると解釈すれば、不要なものは何もないという解釈の延長にある。
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この文章を受けて、ジイジは以下のように語りました。
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どんなものでもこの世界は対向発生、2極で出来ています。そうすると自然界、人間以外のものは、そのどちらかに偏ってものを解釈するということをしません。対象のものがあって自分が存在しているだけであって、自分の存在が対象のものを育てているし、逆に対象のものがあるから自分が発展していっています。そうすると、物事の捉え方、価値判断の位置によって、善い悪いと判断することはありません。ですが人間は、自我に囚われて、囚われている自分の位置に固定することで、有害なものになってしまうのです。つまり対向発生の世界でありながら、そうではない解釈のもとに生きることで、生きることが無効となり繫がりを失っていきます。だけれども、対向発生の位置に立って、自我がそれを認識するというところにいけば、どちらの側にも立たないで、全体を認識することが出来きます。その認識に至ると、どんなに間違えに思えることであっても間違えではなくなります。なぜなら、間違えが生まれるのは正しいという認識があるからであり、もしもこれが正しいという認識をなくしたら、間違えもなくなります。それで間違えという認識をなくしたら、正しいも正しいとは言えなくなります。事実はただそこにあるだけです。
・・・という解釈をして、それでも最終的にはある特定のところにいくのです。それは、大いなる存在である「あなた」のところ。「あなた」という存在は何者なのかと言ったら、世界は対向発生で出来ているのに、「あなた」という存在は、もともと対向発生を超越したところにいたのです。それで自分だけだったから、その状態が限りなく永遠と続いたから、「私は存在しているが、私は何者なのか。私が私だけである限り、私は私の存在が分からない。」という状態でした。それで興味を持ち、そのために自分を割いて遠くへ投げました。そして、遠く離れた向こうからこちらに還ってくる「道」を創りましたが、自らを遠く投げた時点で空間が生まれて、還ってくるという「道」を創ったことで時が生まれて、時空が発生したのです。これが宇宙の始まりです。
だから、不良品という話をここでしていますが、「あなた」自身が元々、不良品だったのです。すべての存在は、「あなた」の生き写し、人間は神の分け御霊だから、不良品なところも分け御霊なのです。ですがヒトには「あなた」へと還る道があります。
もうそろそろ不良品たちは、糊として生きるのではなくて、糊が生み出す次の状態のものとして生きることが求められています。それが宇宙のプロセスです。糊では面白くありませんよね。糊でくっつけて出来上がったものが目的で、糊自体は目的ではありません。モノがくっついていないうちは、糊は重要ですが、くっついてしまえば、糊は忘れられます。だから糊ではなく目的のものにならなければならないのです。あれでは駄目だよな~ということを引き起こして、そこから学習しなければ、そのものは他者が学ぶための糊に過ぎません。ですが自分の行いでも、アホなことをした時、それを見て、次のプロセスに行くネタにしたら、自分を糊として、次の段階のものとして生きることが出来ます。同じ失敗を繰り返す必要はないのです。
たとえば、ライオンがシマウマを食べることは殺戮とも言えます。ある視点からはイメージが悪いことですが、その行為があることでライオンは生かされ、シマウマも数が調整され生かされています。そうするとその行為は循環のための糊と言えます。そしてシマウマはなくなりライオンへと完全に形を変えていきます。同じようにすべての出来事は循環、進化のための糊となり、次の目的のものを生み出していきます。
だから、今、目の前のあることをしっかりとやる。余計な心を持たない。そして、しっかりと稼ぐ(笑)。ここが充実するということは、この精神が世の中に広がるということです。ここが経済的に安定しているということは、ああいうふうに生きると、争わず競争せずに安定して生きられることを示すことになります。不安がない、そういう本来のヒトの在り方、必要とする糊をいっぱい使って目覚めていくプロセスを示すのです。そうやって糊を活かして、目覚めの道を歩んでいくと、ああいう結論になって、世界の根本まで理解できる悟る(差取る)という世界にいくということを示すのです。
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気候変動や異常気象、戦争や紛争など。
今、世界では様々な問題が発生していますが、それらは人間の愚かしさの顕れです。その
愚かしさから道の尊さを実感すると、愚かしさは人間と道をくっつける糊となりますが、愚かしさに価値があるわけではありません。
個がテーマの時代は、自我を思い切り表現することで、自我の愚かしさを表現してきました。そのことを見通すことで、その認識を糊とし、群れとして繋がって生きる。そういう軌道修正が今、必要なのです。その先にある世界は、一人ひとりがヒトとして目覚め、人間を含めた地球生態系を一つの群れとして仕上げた世界です。それがどれほど尊いものかは、今の僕の想像を超えています。ただ、そこに至るように。今、目の前にあることをしっかりとやるのです。
木の花ファミリーのみんな@稲刈り神事です。 |
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