分からないことの先に無限の広がりがある

昨晩の大人ミーティングでいさどんは以下のような話をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

生きていると分からないことに出会うことがありますが、人の成長はその時の態度で決まります。
本来、分からないところに行くのは希望です。
ですが、自分に囚われていると、分からないことは悪いこととなり、思考が停止します。
自分の願いを叶えることばかり考えていると、分からないことに対する希望は生まれません。
この状態では都合の悪い出来事は心には残らず、人が変わることはありません。
自分と向き合い分からないことを突き詰めていくと、直観がやってきます。
その直観により人は新しい世界へと開かれ、成長していくのです。

自分と向き合うことをしないと人は成長しません。
道理ではこちらが正しいと分かっていても愚かしい自分を選んでいきます。
自分を否定してでも道理を選ぶ。その覚悟があるかどうかが問われます。
その覚悟が人を正しい道へと導きます。
覚悟が伴う時、突き詰めれば突き詰めるほど直観が湧いてくる人になります。

人生は山登りに例えられます。
山の頂上は一つです。最後は必ず一つに至ります。
狭くとも頂上まで至ると一本道となる。それが天の導きです。
ですが頂上まで行かずに降りることを選択する人もいます。
降りる道は迷いの道です。
無限に正しいがある自我の道。降りる時には自我が増していきます。
そして、自分が自分を翻弄させるのです。

自ら上に登っていく意志が大切です。

変わるように問われた時、どう変わるのか分からないという人がいます。
ならばなぜ問われているのでしょうか?
分からないからこそそちらに行くのです。

多くの人は自分で考えて答えを出してから進もうとしますが、そのような姿勢を止めるのです。
分からない方へ進んでいく。そしてその答えを見ていく。
それはいただく精神であり、その精神が行き詰まりを解消するのです。

この世界の成り立ちを観たら、先に宇宙や地球があり、その後に自分の意志があるのです。
自分で考え答えを出すのは、この世界の成り立ちに沿ってはいません。

パリ協定の発効が決まり、11月にはCOP22で話し合いが行われる予定ですが、
いただく精神のない今の姿勢のままでは解決に至ることはないでしょう。

これからも矛盾は積み重なり、問題ごとは起こり続けます。

分からない方に進んでいく。

いただく精神。

人類が次の時代を迎えるためにはそういうものが必要なのです。

そしてそれは一人ひとりの道であると同時にみんなで歩く道です。
それがこれからの時代の悟りであり、その悟りが未来を切り拓いていきます。
そこに求められるのは一人ひとりの意志であり、その確認をしているのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡


この話を聴きながら、いさどんが昔してくれた以下の言葉を思い出していました。

☆彡 ☆彡 ☆彡


『頭で』思い描いた願望に集中し実現したとする。 
一般的にはそれは望ましいことだよね。 
でも、望みが叶えば、叶う程、

『望み通りの世界』という狭い世界に閉じ篭ることになる。 
頭で思い描いた狭い世界に閉じ篭ることになる。 
だから『頭で』思い描いた願望なんて捨てた方がいい。 
そしたら無限の世界に自分は開かれていく。 
自然は豊かで僕たちを満たしてくれる。 
自然と調和していく。 
そのために望みは捨てていく。 




☆彡 ☆彡 ☆彡

この世界は無限の広がりを持っています。
人間の思考では分からないことだらけです。
ですが、その分からないことの先には無限に広がる世界の豊かさがあるのです。
そこへの道は喜びへの道です。

それなのに、多くの人は分かってから進もうとします。
加えて、自分の状態が愚かだと分かったとしてもそこにとどまろうとします。

それは多くの人が自分の想いや感情に飲み込まれたまま無自覚に生活しているからです。
日常の何気ない行動に自分の色眼鏡が反映されています。

だから自分を離れて見る視点が必要であり、それは努力して育んでいく必要があるのです。

自分を離れて見る。

その視点により、自らにメスを入れ、分からない方に進んでいくことが出来るようになります。
その時、人は進んだ分だけ世界に開かれ変化していくのです。

僕は最近、大人ミーティングで自分の書いたブログをシェアすることが多いのですが、
そのことに意味があるのか迷いが生じていました。

ただ発表して感想をもらうだけならその場はあまり豊かとは言えません。

その時間をみんなで創り上げていく。

そんな時間にしたいと思っているのですが、出来ずにいました。
そしてそのことが悩みとなっていました。

ですが、これは頭で思い描いたものを実現しようとしていたことに気づきました。
あくまで自分の想いからの視点なのです。

僕のシェアするブログは毎回違うものであり、1回1回新鮮なものです。
それがその場に何をもたらすかはシェアしてみなければ分からないことです。

何が起きるか分からない。

僕自身がそんな世界に開かれていくことがまずは大切なのです。

加えて、僕はまだ自分を充分には突き詰めていません。
まだまだ奥があります。
そして、奥を突き詰めれば突き詰める程、それは僕の文章に反映されます。
だから僕の文章はこれからどんどん変化していきます。
ならば、それをシェアした時、場にもたらすものも変化していくはずなのです。

たから思惑をもたずただただそれを続けていこうと思いました(^-^)




空っぽとなり一人ひとりの物語に寄り添う

数日前、「完全解剖ティラノサウルス~最強恐竜 進化の謎~」をみんなで観ました
最新の研究を踏まえたティラノサウルスの物語はとても面白く興味深いものでした。
そして、この番組を観た後、いさどんは以下のように語っています。

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ティラノのことを考える。恐竜が絶滅した後もずっと物語があって、我々につながっている。
すべてが物語でつながっている。それで僕は、すべての物語に寄り添いたいと思った。
そうでなければ、この世界の実態はわからない。

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いさどんは常日頃から宇宙や地球の物語について語っています。
それを聴いてきているので、僕もそれらを意識するようになっています。
ですが、いさどんはティラノサウルスの物語にまで想いを寄せているのです。
その心の広さを感じると共に自分自身の日常を振り返ってみました。

宇宙や地球だけでなく、僕の身の回りには様々な物語が溢れています。
毎日を一緒に過ごし生活を共に創っている一人ひとりに、
過去から現在、そして未来へと続く物語があるのです。

ですが僕は、一人ひとりの今の心に反応し、
その人の物語には想いが至っていなかったことに気づきました。
そして目の前の人の物語を感じ、それに寄り添ったならば、
日常生活に奥行が生まれ、なんでもない瞬間も豊かになることに気付きました。

それぞれの人の過去に思いを馳せ、今を感じる。
そして未来を想像していく。
それはとても楽しく豊かなことです。

自分の視野が少し広がりました(^-^)

ところで地球の物語として今、温暖化が進んでいます。
それに対する人類の物語として、パリ協定が来月の4日に発効することが決まりました。
これは人類の未来にとって不可欠な取り組みであり、真剣さが求められるものです。

ですが、日本のニュースを観ると、日本は批准が遅れたため不利になったというものや、
これが炭素社会から新しい社会に向けてのビジネスチャンスになるというものを見かけます。
キルバスやツバルなど海面上昇による水没の危機にある国々がある中、
これはあまりにも自分本意な姿勢であり、その奥には競争の心も感じました。

この世界では、心が現実を生み出します。

自分本位な姿勢や競争の心が経済発展を生み出し、
その弊害として経済格差や環境破壊が進み、地球温暖化ももたらしているのです。

その心のままパリ協定が発効しても有効な取り組みに繋がるとは思えません。

自分たちの利益を離れ未来を見据えていく必要があるのです。

地球温暖化。それは空気の問題です。

本当の空っぽへと至る道」にも書いた通り、
一昨日の大人ミーティングでは「空気」が話題となりました。
そこで語っているいさどんの言葉をもう一度引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡


なぜ、今、空気はこの状態なのか。それは生命の歴史と連動していて、
空気の成分は変化してきている。
そうすると、そこにいる生命の存在も変わってきていて、
空気も汚染されてきた結果、人間の歴史も変わってきている。
つまり、我々は空気だ。
空気は絶対なくてはならないものだが、
空気の存在によっては生命は対応できず、絶滅もする。
だから、空気の存在は時代が動いていく中で、とても大きな役割を果たしている。
空気は何でもなくあるようで、ものすごく大きな存在。
気付けば気付くほど、その存在は大きく、あまりにも身近にありすぎて解釈できない。
この空気と対話したり、空気の存在を解明したら、何か新しい世界が観えてくるのではないか。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分たちそのものであり、自分たちを生かしてくれている空気。
それを変えていくには自分たちが変わっていく必要があるのです。

先に挙げた競争の心ですが、それは自我の産物であり幻想です。
幻想により人々は奪い合い、世界を貧しくしています。
ですが自然界では本質的な平等が実現し、すべてのものは生かしあっています。
人はその本来の姿に目覚める時が来ているのです。

いさどんはかつて以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

皆さんは「コモンズ」の研究をされているわけですが、
私たちは土地などの物理的なもののみならず、精神性まで共有する生活を送っています。
ですから、悲しみや喜び、そして学ぶということも皆で共有するわけです。
そして、それは決してここだけのものではなく、
自然の仕組みを紐解いていくと、この世界自体がまさしくそういった姿になっています。

今日は、皆さんとそこのところを共有したいと思い、今この場にいます。
例えば、私たちはひとつの太陽のもとにいのちを紡いでいます。
さらに、ひとつの海のもとにも、私たちはいのちを紡いでいます。
太陽が降り注ぎ、雨が降り、そして大地に植物が芽生えてきます。
その芽生えてきた植物は私たちのいのちに変わるわけです。
そして、私たちは嫌いな人とも共通の空気のもとに生きています。

それから、この空間です。
私たちはこれを大地の上にある生活空間と思っていますが、
実は宇宙空間も私たちは共有しているわけです。
今、共通して私たちは1秒間に30km移動しています。
それを1年続けると、太陽のまわりを一周することになります。
そして、秒速470mでこの星は自転しています。
それで、今日のお昼に出会ったみなさんと一緒に夕暮れを迎えようとしています。

そうやって、私たちはこの世界の仕組みから自分たちを観てみると、
共有していることが沢山あるのです。
その中でも、もっとも共有しているものが時空です。
過去から未来へ時間が刻まれていく中で、私たちは瞬間を共に歩んでいるわけです。

その中で、地球の生態系は様々な生命がそれぞれオリジナルないのちを表現しています。
それは生態系として循環しているわけですから、小さく観ると弱肉強食になります。
しかし、ライオンとシマウマの関係で言えば、
お互いが存続するために絶対必要なものとして、
いのちのバトンタッチ、リレーがされているということなのです。
ライオンに食べられたシマウマは確実にライオンのいのちに変わっていくのです。
そういった生き物は自らの体を大地に返し、植物になり、それが循環しています。
宇宙も含めて、私たちは共通した中にいると考えたときに、
自らと他者との区別がどこにあるのだろうかと私は思います。





☆彡 ☆彡 ☆彡

私たちはすべての存在と時空を共有し、そこから多種多様な物語が生み出されています。
そのすべてを包み込んでいるのが空気であり、それが今、汚染されているのです。
それは私たち一人ひとりの心の現れであり、
その汚染を浄化するには、私たち一人ひとりの心を浄化していく必要があります。
それは真の「空っぽ」へと至り、世界と、そして空気と一体となっていく道のりです。

「空っぽ」となりすべてを包み込み、すべての物語と寄り添っていく。

自分の物語がみんなの物語となり、みんなの物語が自分の物語となり交じり合っていく。

そうなった時、地球温暖化をはじめとする今ある問題はすべて解決しているでしょう。

僕は今、そんな未来を予感しています(^-^)

いさどんティラノ。ティラノサウルスに想いを馳せているのでしょう。




本当の空っぽへと至る道

1年前、僕は以下の文章を書きました。

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忘我。自分を忘れるほどの熱狂、狂気。
僕の中にはその状態を求める気持ちがあり、
それが時に無理な行動に繋がり、自分を壊していきます。

思考の停止状態。それは空っぽの状態とも言えるかもしれません。
ですが、この空っぽは自分を保ったまま、自分が消耗する空っぽです。

この狂気への憧れの残骸が現れて、ここ3ヶ月、僕は苦しみ消耗しました。
ですが、それももう終わりです。

自我を超えた本当の空っぽは別のところにあります。
それは日々、客観的視点に立ち、自分の感情を眺め、コントロールしていく。
その積み重ねの中で育まれていくものでしょう。

きっとそれは極端とは無縁の世界です。

その本当の空っぽを実現出来た時、生み出される世界。
それは持続可能で人と人が繋がるとっても豊かな世界。
人が集まれば集まるほど豊かで美しくなっていく世界。
その姿は今、いさどんが見せてくれています。

だから僕は一歩ずつそちらに向かって歩んでいきます。(^ー^)


空っぽへのあこがれ」より


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これは「あなたの未熟もみんなに役立つ」で紹介している僕の課題についての宣言でした。
そしてこれはいさどんがしてくれた以下の話を受けてのものでした。

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なかのんは、自分の状態は問題だということは言います。
だけれども、駄目なところに情を掛けて執着してしまっているのです。
そこはシビアになって抜け出さないと次の段階に行けません。

そこに情を持って執着していると、言っていることとやっていることが違ってきます。
それは矛盾を創ります。
そんなことをずっとやっていたら霊的には罪を犯すことになります。

問題があると認識しているならば、そのことを認めて改善する意志を明快に示すことです。
そして、常に問題を意識して生きるのです。
毎日を冷静に見ていく。緻密に見ていく。
客観的に自分を離れてみていくことが必要なのです。

 ~ 中略 ~

客観的に見たら、そんな行動を取るのはおかしなことでしょう?
それなのに、なぜそのおかしな行動を取るかといったら、
その未熟な自分に執着しているからです。

それで、僕の話をしますが、僕も昔、同じところを通ってきました。
僕は、お釈迦さま、そして神さまに出会い、道理を伝えられてきました。
お釈迦さまが語られるのは仏道、道なのですよね。
プロセスをずっと見ていく客観視点を育てられます。

そうすると自分の感情が苛立っている状態を観なければいけなくなります。
普通の人は感情が出てくると、感情のままに出して、
それを主張することが自由だったり束縛されていない状態と思ったりしています。
ところが、僕にはもう一つの目線がありました。
それも強制的に示される目線です。
そちらの方から「お前の今の感情はこうだぞ」と言われると、
僕みたいな道理人間、理屈人間は理屈で負けてしまうのです。

それでどうするかというと、僕は理に叶った方に行こうとします。
自分の主張が愚かであっても、そこに執着したい自分がいますが、
理に適った方に行かなければなりません。
そのように、そちらを選べば選ぶ程、情がわいている自分を否定することになります。
理に適った方を選んでは自分を否定していく。
その繰り返しになりますが、その覚悟が出来ていないとだんだん辛くなるのです。

そこで「俺はつらいんだー」となって爆発したことがありました。
そうすると、お釈迦さまは「それなら止めるか?」と尋ねてきました。
「なんてひどい薄情なことをいうの?あなたは」と思いました。

そこでまた道理を考えました。
僕が執着して道を歩むことに辛い想いをしていることに対して、
そのまま執着して進むことは、その道を外れるということになります。
止めるか?という話に乗るのもこの道を外れることになります。
どちらの自分も認めることが出来ません。

道理のところに行くことによってのみ楽になれる。
自分で自分を本当に意味で認めることが出来るのです。

認めたくない自分に執着をしてそのままで行こうとしますが、
それはすごいバカなことをやっているのです。
それでも執着している時はつらいものです。

僕はその想いを怒りに変え、伝えました。

「何を言っているのですか。止めるわけがないではないですか。
これを知らずにいかない人は世の中に沢山いますが、
一度、これを知って行かないものがいるでしょうか?
絶対やめない。見ておれ。やめんから。」

逆切れしたのですよね。

さっきのなかのんの言葉もある意味逆切れですよね。
だけれどもなかのんは自分と向き合わない方向に切れていました。

僕は「絶対にあなた(お釈迦さま)のところにいく」という逆切れ。
同じエネルギーの掛け方でも違う方向に向かっているのです。

僕は辛いから泣きました。でもその涙は自分にとって肯定的です。
そこまでやるんだ。
その想いが自分を強くしてくれます。

なかのんの逆切れは心を強くするものではなく、ある意味逃げています。
そうやって逃げていくと悔やみの心が出てきます。

また自分が否定する、本当はそうではないという方向に行ってしまった

その繰り返しになり、だから定期的にその想いが湧いてくるのです。
自分が嫌いな自分を演じて、自分で苦しんでいる状態です。

※いさどんとお釈迦さまのエピソードは「木の花記~金神さまの巻~」をお読みください。

空っぽへのあこがれ」より


☆彡 ☆彡 ☆彡

自分への執着、それは自分の感情に対する執着とも言えます。
自分の姿がみっともなくとも、自分が感じていることに従いたい。
そんな気持ちを超えることが出来ずにいたのです。

1年前、そんな自分を超えると決意しました。
そして、日々を大切に積み上げていきました。
ところが今年の8月、もう一度滞りを経験することになります。

情けない。どうしようもない。

こんな気持ちが生じましたが、これが僕の転機となりました。
この時、僕は自分の中を識別してそぎ落とすことが出来たのです。

情けない、嫌になる、投げ出したい。

そんな自分の感情を離れて、外から自分を眺め、
自分の中のいらない部分(ネガティブな感情や我欲)をそぎ落としました。
そして、自分と向き合う意欲は維持し続けました。
この時、僕は「超えた」と確信することが出来たのです。

滞りはチャンスであり、滞りを通して、僕は自分を変えて行きました。

そして、今の自分がいます。


ところで昨晩の大人ミーティングでは「空気」が話題になりました。
いさどんは「空気」について以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡


なぜ、今、空気はこの状態なのか。それは生命の歴史と連動していて、空気の成分は変化してきている。そうすると、そこにいる生命の存在も変わってきていて、空気も汚染されてきた結果、人間の歴史も変わってきている。つまり、我々は空気だ。
空気は絶対なくてはならないものだが、空気の存在によっては生命は対応できず、絶滅もする。だから、空気の存在は時代が動いていく中で、とても大きな役割を果たしている。空気は何でもなくあるようで、ものすごく大きな存在。気付けば気付くほど、その存在は大きく、あまりにも身近にありすぎて解釈できない。この空気と対話したり、空気の存在を解明したら、何か新しい世界が観えてくるのではないか。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕は、冒頭の文章の中で「空っぽ」という言葉を使っています。
空っぽの「空(から)」は「空(そら)」でもあり、「空気」の「空(くう)」でもあり、
色即是空の「空(くう)」でもあります。

空っぽになるとは空気のようになることであり、空(そら)のようになること。
それらは地球上ですべての存在を包み込み、そして見守っています。
その中ですべての存在は相互に関連し合い依存し合っているのです(「空(くう)」)。
つまり、空っぽになるとはすべてのものと関連し合い一体となることなのです。
そのためには「僕」を超えていく必要があります。

数日前、「天を歩く」を大人ミーティングでシェアした時、いさどんは以下のように言いました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

確かになかのんのブログには「僕」が多く使われています。
それはなかのんが自分を調整する必要がある段階だからで、仕方がないことです。

この文章に関して言えば、今、聴いていて、
8mmフィルムの映像がコマ送りで流れている様子が浮かんできました。

天を歩く。

天とは宇宙であり、地球も宇宙の一部です。
そして地球の反対側の人たちは、僕らが地面と思っている方向を天と呼んでいます。
すると僕らは毎日、天を歩いているのです。

そのことに気づくかどうかです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「僕が多い」という言葉を貰ったということは、その状態を超える時が来たということです。
自分の調整にはエネルギーを使わず、すべてのものと関連し合い一体となる。
それと同時に、空(そら)や空気のようにすべての存在を包み込み、見守るあり方。
それが本当の空っぽであり、そこを目指せというメッセージを今貰っているのです。

「僕」を離れて、空気を読んで必要ならば空気を変える。

そんな気持ちで日々を生きることが、本当の空っぽへと至る道だと思いました。

1年前にした「空っぽ」への決意。

それを新たに、これからもこの道を歩みます(^-^)









天を歩く

あなたの未熟もみんなに役立つ」を大人ミーティングでシェアした時、
場はシーンとしてしまい、「共感できない」というコメントや
「文章に僕が多い(自分が強いという趣旨)」というコメントを貰いました。
もちろん好意的なコメントもあったのですが、
場の雰囲気と先のコメントにより僕は固まってしまいました。
僕のその状態は30分ぐらい続きました。

そこで天の視点に立ってこの出来事を眺めてみることにしました。

先に挙げたコメントは僕のブログに対する評価ですが、
その場ではそんなことはあまり重要ではないのです。
大人ミーティングの流れ、そしてそれを含めた木の花ファミリー全体の流れの中で、
このタイミングでブログをシェアしたことはどうだったのか?
それがここ全体に何をもたらすのか?
大切なのはそういう視点です。
だけれども、ミーティング中固まった僕にはそういう視点はありませんでした。
その場の雰囲気に反応し、自分ごと(ブログの出来不出来)に囚われてしまったのです。

天とは何かを尋ねると・・・」にも書いた通り、自分の意図していないことはすべて天なのです。
ミーティングでのシーンとする反応も天の意志です。
なので、それと対話していくことが大切です。

まず一つ言えることは、ミーティングでの反応は僕の未熟さを浮き彫りにしました。
その場の雰囲気により僕は自分に囚われました。

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自分というものを内からだけ見ていてはいけません。

外から見える自分と内から見える自分というものが、
自由自在に行ったり来たり出来る状態になることが大切です。
ブログを読んでそれが少し出来るようになってきたことを感じました。



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上記は約1ヶ月前のいさどんの言葉です。

自分の内と外を自由に行き来する。

大切なのはそういう姿勢を育むことであり、今回の出来事を通して僕は試されたのです。
試された結果、まだまだの実態が浮き彫りになりました。
ですが、この出来事は僕の心に刻まれ、積み上がっていきます。
目指す先は自由自在な自分です。

天を歩く。

そんな言葉が浮かんできました。

様々な出来事が僕からいろいろな反応を引き出します。
常にそれを離れた視点から眺めることが大切です。

自分の意図していない出来事はすべて天からの意思です。
それに反応し右往左往していたのでは、天の意図は読み切れません。
自分を離れ、出来事の上を歩いていく。
その位置に立った時、はじめて天の意図を感じていくことが出来るのです。

ミーティングの反応は天からの答えです。
それを受けて、「ならばどうするか?」を考えていくことが大切です。

だから僕はそうしていきます。

人間社会や地球環境に目を向けると人間の意図を超えた出来事が沢山起きています。

戦争や紛争、経済格差や飢餓、異常気象や海面上昇など。

それらに右往左往するのではなく、起きる問題ごとの上を歩いていく。
そして、天のメッセージを感じ取る。

そんな姿勢になった時、今の問題ごとは生かされ、人類は次の時代を迎えるのでしょう。

そんな未来に向けて、まずは日々、自分の日常から学び続けていきます(^-^)

富士山と朝日です。毎日毎日、日は昇るのです。たとえそれが見えなくても。




あなたの未熟もみんなに役立つ

弱さの情報公開


9月29日放映のクローズアップ現代+「生きづらさを抱えるあなたに~障害者殺傷事件が投げ掛けたもの~」を観ました。その内容を要約すると以下のようになります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

相模原市の知的障害者施設で起きた殺傷事件。
その容疑者は「障害者は役に立たない」という供述をしています。
そして、「障害があって家族や周囲も不幸だと思った。
事件を起こしたのは不幸を減らすため」とも述べています。

そのため多くの障害者が身の危険を感じるようになっています。

この「役に立つ」という言葉。
効率を追求する現代社会を表す言葉で、その言葉が社会から多様性を奪い、
障害者だけでなく、健常者も生きづらさを感じるようになっているのです。

ですが、「障害のある人たちが働ける企業は成長する」し
「多様性こそ人間の繁栄を支えてきた」ということが最新の研究で分かってきました。

偏った価値観を超えて共生社会をいかに実現するかが課題となります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この番組の中で「べてるの家」向谷地生良(むかいやちいくよし)さんは、
弱さの情報公開」というキーワードを挙げていました。

この言葉はとても印象に残りました。

もし社会が人々の多様性を認めるようになれば、
そして一人ひとりが自分と向き合い自らを受け入れたならば、
共有された「弱さ」はみんなに生かされていくのです。

「弱さ」だけではありません。
一人ひとりがしっかりと自分と向き合い受け入れたならば、
すべての特性がみんなの中で生かされていきます。

そんな話を一つ紹介します。

あなたの未熟も場創りに役立つ


1年前の10月2日、大人ミーティングでいさどんはこんなふうに話しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

我々は何をするかというと、僕と同じような話をみんなにしろって言っているのではないのです。
「みんなで」という気持ちで暮らし、それを人々に見てもらいたいのです。
こんな素晴らしい世界がいっぱいに広がって欲しいから、人々に見て欲しいのですよ。
たったそれだけです。

それは日常、みんなが気持ちよく「さーと」心が通っていって、
「ああこれだったんだね。これがやりたかったんだね。」
そういうことを言葉ではなく空気を感じて、
「神さまの目的はこういう世界だったんだ」と理解することです。

これはとても身近にあって、アカデミックでもなんでもありません。
哲学とか立派な話でもなんでもありません。

「あぁ、いい空気だね。」
「こういうところに生涯身を置きたいね。」
「こういう生き方を自信を持って、安心の場所でやりたいね。」

そう感じたら誰だって出来るんですよ。

 ~中略~

みんなで良い響きを生み出していく。そんなふうでありたいです。

なので、お願いだから、人の心を調整するような時間をこの場に持ち込まないで下さい。
自分の心は自分で調整して下さい。もうそういう段階です。

それでも、残念ながら、充分に果たせなかった時に、
それを投げやりにならないで、表に出して、みんなにそれを正す方法を請うて下さい。
自分に実力がないのですから。

そして、みんなに助けてもらって、心から「ありがとうございます」と言って進んで下さい。
そうしたら、あなたの未熟も「良い場創りに役だったね。」ということになります。

みんなが他者のことを思い合う。
そういう心の表現に繋がるのですから。

だから未熟でもいいのです。
本当にみんなに託していく。そういう場創りが大切です。
そしてそういう場はいつでも表現出来るのです。
道を難しい道だと思わないでください。




☆彡 ☆彡 ☆彡

この日のミーティングでは僕の滞りが話題となり、みんなに沢山の時間を掛けてもらいました。
その滞りは僕が長年向き合ってきたテーマであり、人生最大の課題となっていました。
1年前、大きな滞りの中で僕はそのテーマと向き合いました。
そして今、その課題を超えています。

あれから1年が過ぎ、そして今日は新月です。

この節目にそのテーマについて書くことで、自分の歩みをより力強くしていこうと思います。

僕の父さん


僕の父さんは僕に対しとても強い愛着を持っていました。
自分の中心を投げ出し僕に置いていたのです。
僕の行動が気になり、僕の一挙手一投足に一喜一憂する状態でした。

そんな父さんとの間にはいろいろなエピソードがあります。
以下いくつか紹介しますね。

エピソード(1) 体育祭の打ち上げ


僕が高校生の頃、体育祭の打ち上げでクラスのみんなとカラオケに行くことがありました。
カラオケボックスで21時ぐらいまで遊んで家に帰るのは22時過ぎになったのですが、
父さんは家に帰った僕を見るなりいきなり頬っぺたをビンタし怒りだしました。
加えて、僕が家に帰ってくるまでの間に、
心配で心配でクラスの子の家に電話までしていたのです。
これには参りました。
そして挙句の果てには、
「カラオケセットを買うからうちにみんなを呼んで遊べばいいだろ」
とまで言い出しました。
ただ僕を側においておきたいだけで、他の子のことは全然考えていないのですよね。
困ったものです。f(´-`;)ポリポリ
もちろん、こんなナンセンスな言葉に僕は応じませんでしたが。

エピソード(2) 駅に迎えに来る父さん


大学生になって帰りが23時過ぎになった日のことです。
家の最寄り駅で電車を降りると自転車に乗っている父さんと出会いました。
僕のことが心配で心配で様子を見に来たのです。
その姿に僕は不機嫌になるのですが、
そんな僕を見た父さんは「散歩していたんだよ」と言ってそそくさと帰っていきました。

エピソード(3) 今生の別れの杯を交わす


23歳の春、僕は友人とハワイのオワフ島に行くことにしました。
初めての海外旅行です。
それを聞いた父さんはショックを受け大慌てとなります。|゜□゜;|┐ガーン!!

飛行機が落ちる

銃で撃たれる。

父さんにとって飛行機は落ちるものであり、海外は銃で撃たれるところなのです。

これはもう理屈ではないのです。

そんな父さんに僕は語りました。

父さんの気持ちは分かりますが、僕は自分の可能性を広げたいし、広げる必要があるのです。
だから海外に行かないという選択肢はありえません。
そう、僕はこの機会に死んでしまうかもしれません。
それでも僕は行くのです。
僕が死んだ時は不幸な息子としてお許しください。

こんなふうに伝えて一緒にお酒を飲みました(^-^)


とまあこんな感じです。
まだまだ例を挙げたらきりがありませんが、とりあえずこんなところで。

自分の中心を投げ出し僕に置き、僕の言動に一喜一憂する。

僕が苦しめられた父さんのこの特性は、僕の心と身体に染み渡り、
そのまま僕自身の特性となり僕の中の爆弾となっていきました。
そして遡ればきっと、これはじいちゃんの特性でもあり時代の中で生み出された歪みなのです。

ここで紹介した父さんの姿はそのまま僕自身であり、時代の一つの現れです。

僕は長い間この特性に向き合いきれずに翻弄されてきました。
そんな中、一番苦しい時期には以下のような状態にもなりました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

10年前の10月、中学校で勤めている時、僕は職員室の自分の机を蹴飛ばし、
そのままドアに向い、ドアを叩きつけて締めて、そのまま学校を離れました。
そして、道路を歩きながら、傘を叩きつけて、傘を壊したら、空から雨が降ってきて、
僕は濡れながら家まで5km歩いて帰りました。

僕はその頃、毎晩泣いていて、
人前でもきっかけがあると涙を止めることが出来ませんでした。


そして窓から飛び降りる衝動に襲われ、マグカップを人に投げつける衝動に襲われ、
心を静めるために一日に何回も屋上に行き、一人で佇んでいました。



空っぽへのあこがれ」より(年数を修正)

☆彡 ☆彡 ☆彡

こんな感じで、この特性は僕の中の爆弾となり、定期的に火がついていたのです。

1年前、僕は再び自分の中心を他者に投げ出し滞りを経験しました。
ですが今、僕はその滞りを克服しています。
それは「物語の終焉、そして始まり」に書いた通りです。

僕は少しずつ天から自分に柱を降ろしてきました。
そして、それは今も続いています。
今、僕の中心は天から僕へと貫く柱となっています。
まだ細い柱ですが、日々の生活を重ねる中でどんどん太くしています。
その柱を意識している限り、僕は自分の中心を他者に投げ出すことはありません。
だからもう二度と再び同じ滞りを経験することはないのです。

自分の中心を他者に投げ出し、他者に依存していく。

僕が向き合い乗り越えた「弱さ」は今、一つの物語として完結しています。
それをみんなと共有することで、僕らは人間に対する認識を深めていけます。
そして、その学びは僕らの人間性を向上し、豊かな世界へと繋がります。

僕の弱さ、未熟はこんなふうに生かされています。
そして、僕を謙虚な気持ちへと導いてくれています。

あなたの未熟もみんなに役立つ。

そう、だからただただ思い切り生きるだけなのです。

思惑は何もいりません。

そして出会うことをいただき学びを深めています(^-^)

みんなが思い切り生きることで個性豊かな多様な場が生み出されます。

それはきっと宇宙の実相へと至るのです。

9月27日朝、人参間引き中の写真です。

揚羽蝶を見つけました。










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