天を歩く

あなたの未熟もみんなに役立つ」を大人ミーティングでシェアした時、
場はシーンとしてしまい、「共感できない」というコメントや
「文章に僕が多い(自分が強いという趣旨)」というコメントを貰いました。
もちろん好意的なコメントもあったのですが、
場の雰囲気と先のコメントにより僕は固まってしまいました。
僕のその状態は30分ぐらい続きました。

そこで天の視点に立ってこの出来事を眺めてみることにしました。

先に挙げたコメントは僕のブログに対する評価ですが、
その場ではそんなことはあまり重要ではないのです。
大人ミーティングの流れ、そしてそれを含めた木の花ファミリー全体の流れの中で、
このタイミングでブログをシェアしたことはどうだったのか?
それがここ全体に何をもたらすのか?
大切なのはそういう視点です。
だけれども、ミーティング中固まった僕にはそういう視点はありませんでした。
その場の雰囲気に反応し、自分ごと(ブログの出来不出来)に囚われてしまったのです。

天とは何かを尋ねると・・・」にも書いた通り、自分の意図していないことはすべて天なのです。
ミーティングでのシーンとする反応も天の意志です。
なので、それと対話していくことが大切です。

まず一つ言えることは、ミーティングでの反応は僕の未熟さを浮き彫りにしました。
その場の雰囲気により僕は自分に囚われました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分というものを内からだけ見ていてはいけません。

外から見える自分と内から見える自分というものが、
自由自在に行ったり来たり出来る状態になることが大切です。
ブログを読んでそれが少し出来るようになってきたことを感じました。



☆彡 ☆彡 ☆彡

上記は約1ヶ月前のいさどんの言葉です。

自分の内と外を自由に行き来する。

大切なのはそういう姿勢を育むことであり、今回の出来事を通して僕は試されたのです。
試された結果、まだまだの実態が浮き彫りになりました。
ですが、この出来事は僕の心に刻まれ、積み上がっていきます。
目指す先は自由自在な自分です。

天を歩く。

そんな言葉が浮かんできました。

様々な出来事が僕からいろいろな反応を引き出します。
常にそれを離れた視点から眺めることが大切です。

自分の意図していない出来事はすべて天からの意思です。
それに反応し右往左往していたのでは、天の意図は読み切れません。
自分を離れ、出来事の上を歩いていく。
その位置に立った時、はじめて天の意図を感じていくことが出来るのです。

ミーティングの反応は天からの答えです。
それを受けて、「ならばどうするか?」を考えていくことが大切です。

だから僕はそうしていきます。

人間社会や地球環境に目を向けると人間の意図を超えた出来事が沢山起きています。

戦争や紛争、経済格差や飢餓、異常気象や海面上昇など。

それらに右往左往するのではなく、起きる問題ごとの上を歩いていく。
そして、天のメッセージを感じ取る。

そんな姿勢になった時、今の問題ごとは生かされ、人類は次の時代を迎えるのでしょう。

そんな未来に向けて、まずは日々、自分の日常から学び続けていきます(^-^)

富士山と朝日です。毎日毎日、日は昇るのです。たとえそれが見えなくても。




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