予測不能な物語を紡いでいく

国連は、9月16日を「国際オゾン層保護デー」を定めているようです。
静岡新聞2016年9月16日【大自在】にはフロンガスについて以下のように書かれています。

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化学分野で20世紀最大の発明とも言われたフロンガスについて、世界の見方が負へ転じたきっかけは1974年の米学者の論文。人類が排出したフロンが、有害紫外線から生態系を守るオゾン層を破壊しつつあるとの指摘だった。82年には、日本の南極観測隊が成層圏に生じたオゾン濃度が極端に低い「オゾンホール」を発見し異変を裏付けた

「まさに寝耳に水。フロンは物を冷やす機器に欠かせない冷媒で、電子部品洗浄やスプレーにも広く使われていた。万能物質がいきなり悪者になった」。浜松市で冷凍空調設備業を営む鳥波益男さん(76)は当時の衝撃を振り返る

オゾン層保護の国際的機運は高まり、87年にはフロン製造を規制する「モントリオール議定書」が採択された。ただ、冷媒として現に大量に使われるフロンの回収・処理の規定はなかった。「生業[なりわい]としている者が後始末の責任を果たさなければ」
全国に先駆けて94年、有志117社で「県フロン回収事業協会」を設立した。関連の法律も組織もない時代。全て手探りの中、横浜国大の研究者の協力で燃焼処理にも道筋をつけた

現在、鳥波さんが代表理事を務める協会の会員社は2倍に増えた。フロン排出抑制へ関心は高まり、法律も体制も以前に比べ格段に整いつつあるものの「まだ不十分」と自戒する

廃棄された機器からのフロン回収率は3割どまり、温室効果が高い代替フロンの規制や適正管理も急を要するという。事業協会の取り組みはさらに重みを増している。きょうは国連が定めた「国際オゾン層保護デー」。

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万能物質が悪者になる。

そういう事例は他にもあって、例えばアスベストなどはその一例です。

これは天の法則に基づく流れから生まれた出来事であり、
これらの物質は当時の人間の心を教えてくれています。

同じく9月16日、辺野古違法確認の判決が言い渡されました。
司法は翁長雄志知事による名護市辺野古埋め立て承認取り消しを違法としました。
これを受けて、沖縄では反発の声が上がり、翁長知事は最高裁へと上告します。

これも天の法則に基づく流れから生まれた出来事であり、
沖縄県民の反発は政府(本土)の沖縄への心がどんなものであったかを教えてくれています。

自分の視点だけで利益を求めることは様々な弊害を生み出します。
上記2点の事例は僕らにそんなことを教えてくれています。

自分の視点を離れ、「流れ」を見ていくが大切です。
その「流れ」についていさどんは以下のように語っています。

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「わからない」と言ったり、逆に「これだー!」と言ってテンションが上がり過ぎたりするのではなく、高くもなく低くもなく観ていく。その冷静な目で観れるところで展開されるものが、意欲につながるんだよ。そこで安定していられる。


何を持って良しとするか。物理的な結果を一つひとつ追って、それを見て良しとするのではなく、それすらもすべて流れの中にあるのだから、流れを観て良しとしなければいけない。常に流れを観て、次から次へといろいろなことが起きる、そのいろいろなことを紡いで物語として、人生を生きていく。その物語を自分らしく表現していくというところで、良しとしなければいけないんだよ。

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目の前の出来事に一喜一憂せず、様々な出来事を繋げて流れとして見ていく。
そして、その流れの良し悪しを判断し行動していくと一つの物語が出来上がります。
それが人生に深みを与えてくれるのです。

ただその物語にしても紡いでいく視点によりいかようにも変化していきます。

高度成長時代、人々は物質文明による栄華を夢見ました。
そして、フロンガスやアスベストの存在はその夢を後押ししたのです。
これも一つの「流れ」です。
ですが、物質文明は様々な弊害をもたらすようになりました。
それは一つのメッセージであり、新しい「流れ」の合図となります。
ですが、人類は未だに物質文明による栄華をという夢物語を捨て切れていません。
その延長に新しい技術による環境問題の解決という夢物語を描いていくのです。
この物語は人類の都合から生み出されたもので、そこには現状に対する執着があります。

それは沖縄での米軍基地の辺野古移設も同様です。
沖縄の人がどれだけ反発をしても、政府は「辺野古移設」を貫きます。
そこには「反発という困難を乗り越えて移設を実現する」という物語が感じられます。
奥にある心を見ていくことが大切です。
沖縄に対する想い。アメリカからの圧力。近隣の情勢。政府の都合。
様々な視点がある中、自分の都合で動いているからこそ現状があるのだと思います。

次から次へと起こることを物語として紡いでいく。

そこに自分の都合や感情をのせると、現実はそのように見えるようになります。
そして、自分都合の物語が生まれ、それが「流れ」だと感じるようになるのです。
ですが、その結果は必ず滞りとなって現れます。
その滞りを謙虚に受け止めることが大切です。

「流れ」を見るためには以下2つの姿勢が大切になるのだと思います。

 1、自らの立場や感情を離れて、ニュートラルな姿勢を保つこと。

 2、変化を受け入れること。一つの立場に固定しないこと。

そして、「流れ」の良し悪しを見ていく視点としては以下2つのことが大切になります。
 
 1、すべての出来事を生かすこと。生かして繋がり紡いでいくこと。
 
 2、対立や停滞をメッセージと捉え、それらを超えていくこと。

このような姿勢と視点で自らと世界を捉え、すべての出来事を繋いでいくこと。

そこから生み出される物語が天の物語であり、それは天と人との共同作業です。
人類は天と共にこの世界を創っているのです。
その事実を人類が思い出し天の物語を生きた時、
この世界の動きはダイナミックですべての出来事を生かしたものとなるでしょう。

そして、それは一人ひとりの物語も同様です。
天の物語を生きた時、
個人の物語も世界と同様ダイナミックですべての出来事を生かしたものとなっていきます。
そしてそれは自らの都合を離れた予測不能でオリジナルな物語です。
それを楽しめる心が育まれた時、世界は幸せな心で包まれていくことでしょう。

そんな世界に向けて木の花ファミリーではみんなで心を育んでいます。

国際オゾン層保護デーであり、辺野古違法確認の判決が言い渡された9月16日。
木の花ファミリーでは月に一度の誕生日会が行われ、みんなで楽しみました。
そこではみんなの個性が生き生きと発揮され、みんなで調和した心を育んでいます。
最後にその様子を写真で紹介しますね。













木の花ファミリーの暮らしとは・・・・

木の花ファミリーでは9月10日に稲刈り神事が行われ、13日に新米をみんなで食しました。人は自然の恵み、お米という命をいただき自分の命を次へと繋げていきます。それは自然の大いなるサイクルの一部となることであり、そこに意識を向けることで自分の心は大いなる循環へと開かれ自然と一つになっていくのです。

人は自然や他者に生かされているのです。

木の花ファミリーではそのような心を大切に育んでいます。
それではそのメンバーになるとはどういうことでしょうか?

木の花ファミリーメンバーになるということは自我(エゴ)を超える道を歩むことです。今、多くの人は自我の赴くままに暮らしているので、自我を意識することはあまりありません。ですが自我を「超える」と決めることにより、その人の自我は浮き彫りになります。浮き彫りになることで自分と向き合うことになるのです。

行動基準~死の向こうまで伴える価値を積み上げていく」に描かれているように、過去には木の花ファミリーを離れていくメンバーがいましたが、彼らはその時点では自我のままに生きることを選び、自分と向き合うことを止めました。

自我を超えることを選び、浮き彫りになった自我に苦しみ、そしてそこから離れていく。

そこには一人の人間の物語があり、彼らを知ることは人間の業の深さを知ることに繋がります。そして今、社会には様々な問題が起きていますが、そこにも人間の業の深さが現れています。これらの出来事から浮かびあがる人間性、その業の深さ。その奥に時代の流れを感じます。今の時代、人間の自我は以下のような状態にあるのです。

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我思う、故に、我あり。(コギト・エルゴ・スム)

私が存在するのは、私が思考しているから。

自分の存在基盤を自分の思考に求めたこのデカルトの言葉は、自我による自然からの独立宣言で、
他者の存在なしでも自分は存在出来るという幻想を生み出しました。

自然から独立した自我は、自然をただの物質と捉え、切り刻み利用していきます。それは自我による可能性や欲の追求で、その結果、物質文明は発展しますが、自然環境は限界を迎え、人々は離れ離れとなり、自我は孤独になっていきました。

孤独となった自我は、不足感を持ち、それを埋め合わせよう努力します。不安から必要以上に求めるようにもなります。それは自然から離れた自我の生み出す矛盾です。矛盾した努力は天の法から外れ、人が努力すればするほど社会は混乱していったのです。


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近代以降、人間の自我は好き勝手に振る舞ってきました。そんな行動を積み重ねることで人間は業を深め、自我は混乱の極みにあります。今、自我の選択は多くの場合、自らを不幸にしていくのです。

例えば、それは依存症や引きこもりなどの社会不適応として現れています。
そして、世界に目を向けてもそのような事例は多々あります。

例えば、北朝鮮はミサイルの開発や核実験を重ねていますが、それは国の自我、国家エゴに基づいた行動です。国家エゴに基づいた行動が国際社会で北朝鮮を孤立させていきます。

そして、経済発展。今、人々のエゴは経済成長を求めていますが、それが経済格差や環境破壊をもたらし、人々そして自然との分断を広げています。

思い通りに行動することが自分や社会、自然に不幸をもたらしているのです。
人間は今、そのような状態にあるのですが、そこに歯止めが掛かりません。

そんな中、本当の幸せや平和を求めるならば、混乱した自我を超えるしかないのです。木の花ファミリーに出会い、その道の大切さに触れながら、そこを離れていく。それも混乱した自我の振る舞いと言えるでしょう。

それぞれの自我はそれぞれの幻想(都合のよい世界)の中で暮らしています。
70億人の人間が70億の幻想を持ち、世界が営まれています。

自我を超えることとはつまり自分や世界の実態に向き合い、真実を探求することです。実態に向き合いそれを知り、宇宙の法の下に自分や社会を位置付けていきます。そうすることで世界と自分が一つとなり、自分が無限の可能性に開かれていくのです。それは一人一人の自我に応じたオリジナルで個性豊かな道であり、何かを獲得していく人生ではなく、自分に相応しい出来事を頂き変化していく人生となります。

血縁を超えて人々が共に暮らす木の花ファミリーの暮らしは人間の実態を浮き彫りにします。人と人が深く関わることで、それぞれの人間性が浮き彫りとなり、向き合うことになるのです。自我の幻想の中で暮らしてきた人間にとって、その過程は確かに苦しみを伴います。思い通りにはならない経験をし、自らが抱える幻想が壊れていくからです。ですが、その苦しみを超えた時に真の喜びに出会えます。それは一人ひとりの本質が光り輝き、真の調和が実現した暮らしへと繋がります。

これからの時代、群れで暮らすことには大きな可能性があるのです。
そのことについていさどんは以下のように語っています。

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昔は、生きていくために群れの形態をとることは必須だった。そうしなければ存続することができないから、やむを得ずそうしていた。しかし今の社会は、生きることはそれほど難しくなくなった。だからこれからの時代は、個人が群れの中に暮らすのは生きるためではなく、目覚めるためだ。
群れの生活形態が個人を目覚めさせる。全体性を学び、エゴを洗い流し、世界の構造を理解するために、群れの暮らしが必要になる。群れて生きた結果、個人はそれぞれの歩みや個性にふさわしく目覚めていく。そしてそれぞれの事情を生かしながら、全体を創っていく。

これまでの時代は、人々は自由で個性的に生きているかのようで、実際は一律な欲求に翻弄され、惑わされて、極めて個性のない人生を生きてきた。しかしこれからの時代は、群れの中で生きる者は個人としての意識がより確立されるようになる。それは、本来別々の個性を持つ人々が一律な価値観のもとに既製品化されてきたこれまでの世の中の流れとは、逆の方向に進むということだ。


☆彡 ☆彡 ☆彡

目覚めとは実態に気づくことです。
群れの暮らしが自我の幻想を壊し、人間を実態へと導きます。
そして、人間の実態は宇宙と一つであり、宇宙の法の下に存在しているのです。
それは変化変容を基本とし、調和の中で常の新しいところへと向かっています。
そんな宇宙の法が自我を導き一人ひとりの個性を目覚めさせるのです。

群れで暮らす中で全体性を学び世界と一つになっていくこと。

これは混乱の極みにある自我、そして人間社会が取りうる希望への道です。
そしてそれは時代の流れと共にある道です(^-^)

銀河の夜明けが過ぎた今、時代がその後押しをしてくれているのです。


木の花ファミリーのみんな@稲刈り神事





行動基準~死の向こうまで伴える価値を積み上げていく

ふっと気を抜いた瞬間に今までの疲れがどっと出て、身体が重くなる。

僕は時々にこういう経験をして来ましたが、昨日からもそんな感じになっていました。
そして今朝、ともちゃんと会話をしている時、身体が重くなることで、
思考が弱気になっていることに気づきました。

そしていさどんの言葉を思い出しました。
先月、僕が滞りを経験し立ち直った時、いさどんは以下のように語ったのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分というものを内からだけ見ていてはいけません。

外から見える自分と内から見える自分というものが、
自由自在に行ったり来たり出来る状態になることが大切です。
ブログを読んでそれが少し出来るようになってきたことを感じました。


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内から見える自分、それは自分の感情や感覚に基づいて物事を経験し、判断していくことです。
気を抜いたことで、自分がそちらに引きずられ外からの視点を失っていたのです。

弱気な思考は身体をさらに重くしていました。
そのことに気づいた時、疲れは残っているけれども身体が少しずつ軽くなるのを感じました。

身体の重さ → 弱気な思考 → 身体の重さ ・・・・

今まで自分が時々生み出してきた余計なサイクルを見通すことが出来ました。
身体が重くなったとしても心まで重くなる必要はないのです。
だから次に疲れが出た時はこれまでとは違う展開にしていけます。

癖は内から見える自分に留まることによって繰り返されます。
ですがそこから一歩外に出れば、それを見通し変化していくことが出来るのです。
僕は今、そんなふうに生きています。
だから癖の発見は常に変化へ向けての喜びとなるのです(^-^)

そして、外からの視線にもいろいろなものがあります。

僕は最近、昨年の6月にいさどんと交わした会話を思い出していますが、
その会話には重要な視点が示されています。以下、その内容を紹介しますね。

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いさどんのいただきます人生「死の向こうまで伴える価値を積み上げていく」より転載。

いさどんがなかのんと一緒に出張したとき、
以前ここを離れた元メンバーのことが話題になった。

彼について
いさどんはこう語った。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

彼がまだメンバーだったとき、
交通事故を起こしたでしょ。

その裁判の際、
弁護士を相手にどういうふうに付き合っていくのか。

それから、
弁護士の精神状態だけではなく、
被害者の性質を読み解きながら、
どうやって裁判を進めていくのかという
アドバイスをしていたんだよ。

結論としては、
こちらにとって特別有利に話を進めようとは思っていなかったけれど、
向こうのわがままに乗ってはいけないからね。

そういった正義感も持ちながら、
弁護士がついたからといって向こうの思うままにならないという意味では、
弁護士の精神状態も読みながら話を進めていったんだよ。

最終的にどこに結論が行くのかについては
裁判所が決めることだけどね。

そして、
結果的に当初の話の5%をこちらが勝ち取ったのだけど、
そういったお金の話が一番大切なのではなく、
人と交渉するときの交渉術を大事な学びとして彼には教えてあげたんだよ。

でも、
そういった学びを生かすことなく、
彼はここを離れていった。

結局、
根本の大事を忘れず求めるこころがないとダメだね。

彼は母親に対して、
まったく自己主張ができないのだから。

もし、
学びを生かせていたとしたら、
ここを離れていったときの
あの傲慢な態度はないはずだよ。

結局、
彼からしたらあの裁判は、
単なる数字だけの話になっていたのだろう。

でも場合によってはね、
今ちょっとばかり良い思いをするよりも、
たとえば余分に払ったとしても
それが将来の価値に対する種まきになることもあるんだよ。

つまり、
そういった波動を未来にもたらしているのだからね。

大切なことは、
そこが読み解けるかどうかだよ。

正確に言うと、
読み解くのではなく、
本能みたいなものだよ。

そのときに、
あせってすぐに結論を出そうとすると、
冷静さに欠いているから、
情報を正しく精査できなくなる。

さらに
損得勘定から「損をしてはいけない!」という思惑が働きすぎると、
そういった直観は鈍ってしまうね。

だから、
何かプラスアルファか感じ取れる状態でいることが
大切なんだよ!


そういった学びの位置に立てることすら、
なかなかできないからね。

まずその位置に立って、
その価値を思考することが人にはできないんだよ。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

いさどんの話を聞いていたなかのんは、
「本当にそう思います。

人はなかなかそこに行かないですよね。

ついつい、
結果を求める発想になってしまい、
結果がこうだから良かった・悪かったとなってしまうのです。

そのプロセスをしっかりと観ていって、
そこを味わっていき、
そしてそこから学んでいくことが大切ですよね。

当たり前の日常の中に、
たくさんの学びが詰まっているんですよね」と伝えた。

それを受けて、
いさどんはこう続けた。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

そこがわかると、
すごくダイナミックだよ!

ほんのちょっとのことが、
すごくダイナミックなんだよ!!

世界はね、
とてつもなく深いんだよ♪

そこまで心が通じる人は、
なかなかいないね。

だから、
僕はこの道を歩み始めてから、
ずっと孤独だった。

僕はね、
彼が母親と一緒に来てここを離れるときに、
「彼は今、今まで積み上げてきたものを全て崩して、
彼にとって一番大事なものを失おうとしている。
今までのことは彼にとって一体何だったのだろう?」
と思ったんだよ。

彼は、
「僕の人生の目的は悟ることです!」と言っていたのに、
最後、離れるとなったら、
もともと納得してここで暮らしていたはずなのに、
自分たちの主張だけを通して、
そのときに約束したことすら守らなかった。

彼のこころはぐらぐらしながら、
母親に対してさえ、
「お母さん、僕の話なのだからやめてくれよ」と
伝えることもできなかった。

なかのんは、
経理担当として
あのとき立ち会っていたけれど、
こちらの側にいて、
その柱のない人の姿を見せてもらう立場にいた。

この違いは大きいんだよ!

僕は最後に彼に言ったんだよ。

「よく観ているんだよ。
必ず、この目的は達成するからね。」

そしてこころの中で、

「あなたはその船を降りたんだよ。
そのことがよくわかっているか」と想い、
無言の意志を伝えたんだよ。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


「本当にそうですよね!
こちらの側にいて本当に良かったと思います!」となかのん。

そんななかのんに対し、
いさどんはこう伝えた。


゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

そんなあなたを観ていると、
うらやましいと思うよ♪

うらやましいと言ったら変かもしれないし、
一番誇り高い自覚を持っているのは
自分だと思うけどね。

そこに出会っているなかのんは、
普通の人からしたら
『よくぞ、そこに立てたね!』ということでしょ。

だからね、
そろそろ人々は、
そういった個人的なことを優先して生きることをやめるトキが来ている。

結局、
人間が個人的なことを優先し、
それが70億人集まって、
今のような世界を創っているのだから。

それと、
人間の世界の中で
どんなに優劣を競ったところで
たかだか知れているよ。

そのたかだか知れているところで生きても、
いつか自分が霊的な存在になるときに、
自らの価値を突きつけられることになるんだよ。

これから大切なのは、
つないで、
時代を創っていくことなんだよ。

死の向こうまで理解するものたちが生きているからこそ、
死の向こうまで伴える価値を積み上げていくことができる。

それが人生の勝利者であり、
道を目指すものにとって

一番大切なことだと思うんだよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

死の向こうまで伴える価値を積み上げる。

外からの視点で最も重要なのはその視点です。
それは宇宙の始まりから今に至る時代の流れを感じることであり、
自らの魂の向上であり、社会的評価や利益を超えたものです。

それを一番の大事として生きていきます。

自我が与えられ、それに基づいて生きていく以上、内からの視点は常に存在します。
僕らは内からの視点に基づきこの世界を経験していくのです。
ですが内からの視点は固定したものではありません。
一歩外に出ることにより、内からの視点は自由自在に変化していくのです。

その変化を味わうことは喜びです。
そこからこの世界の無限の可能性へと心が開いていくからです。
僕は今、そのほんの一端を味わっているだけですが、
そこに大きな可能性を感じています。

ところで今、日本の隣国、北朝鮮や中国は軍事行動により世界を騒がしています。

北朝鮮はG20開催中にミサイルを発射し、その後、核実験を強行しました。
そして中国は常設仲裁裁判所の判定を無視し南シナ海の軍事拠点化を進めています。

どちらの行動も外からの視点はなく、内からの視点、自分たちの想いに基づいたものです。
そして、それに対する日本やアメリカの対応も内からの視点、自分達の想いからとなっています。
どの国も自分の視点から外に出ようとすることはありません。
そのためそこには変化が生まれることがないのです。
この状況は多くの人の生きる姿勢の現れなのだと思います。

自らの想いを叶えることを重視し、そこから外に出ようとはしない。

そんな態度で生きていると、癖が繰り返され滞りとなり、人生に本質的な変化は生まれません。
そしてそんな姿勢の人が多いからこそ、その集合体である国々も同じ姿勢となり、
変化は生まれず対立が続くのだと思います。

一人一人が自らの姿勢を変えることは世界の動きへと繋がります。
自らの視点から一歩外に出て、世界に対して開かれること。
そんな姿勢が人々を繋げ、世界を平和へと導きます。
僕は世界の動きも見据えてそんなふうに日常を生きていきます。


人参の間引き。木の花ファミリーの日常の様子です。


「自分ごと」から全体性へと至る道

木の花ファミリーでの僕の基本的な役割は「金庫番」で、
お金を中心とした事務仕事を主にしています。
ですが、農繁期で忙しい時は、畑に行ったり、田んぼに行ったりもします。
そして、お弁当の注文が沢山入った時はお弁当を詰める手伝いをしたりと・・・

木の花ファミリーの暮らしは多種多様な役割によって成り立っています。
そしてその土台には、自然からの恵みがあり、天の流れに基づいた生活となっているのです。


朝6時からスタートする落花生収穫の様子です。


田んぼに行ったり畑に行ったりすると、
自然のダイナミックな動きがリアルに感じられてとても楽しい時間となります。

木の花の暮らしは天の流れの下、一つの生き物のように動いていきます。
それはこの世界も同様で、時代は一つの生き物のように動いていきます。
その動きを感じられたら、この世界はとてもダイナミックで楽しい日々となるのです。

そんな世界観へと繋がる話を紹介します。

とりあえずはいさどんの言葉から。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この道を極めることが大切です。
そこに向けて真っ直ぐに行くと人の価値が上がります。
そして価値が上がると自然にみんなから支持されるようになるのです。
その位置で願いが叶っていくことが大切です。
想うと叶うというのはそういうことです。

ところがあなたの場合、叶わない現状にありながら、
願いを叶えたいという願望や欲望になっているものだから、
宇宙の法から外れてしまったのです。
だからそれは「自分のこと」であり、我欲となっていくのです。
宇宙は「もっと叶えたい。あなたの望みは全部叶えたい。」と願っています。
その代わり宇宙の法に沿って願えということです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

僕は最近なんどもこのいさどんの言葉を引用していますが、
この言葉は僕の思考を整理してくれました。

僕らはよく「自分ごとではなく全体のこと考える」と話していますが、
このいさどんの言葉により「自分ごと」とは何かが明確になったのです。

僕はずっと意識の関心が自分に向いていることが「自分ごと」だと思っていましたが、
この認識は正確ではありませんでした。

この世界で自分を最大限に生かすために、自分を正確に知っていく。

そんなふうに自分に関心を向けるならば、それは「自分ごと」ではなく、
世界のことであり全体性へと至る行動となるのです。

その一方、途上国の支援など社会貢献と言われる活動をしていたとしても、
それが自分都合になってしまっていたら、その活動は「自分ごと」なのです。

活動の動機をしっかりと観ることが大切です。

例えば、ODA(政府開発援助)ですが、本来、途上国のための援助のはずが、
日本企業の利益に繋がり、途上国に累積債務と環境破壊をもたらす事例もあります。
 ※Wikipedia「日本のODAの問題点」参照
このような活動は決して全体のことを思った行動とは言えません。
社会貢献活動を利用して日本は「自分ごと」で動いていたのです。
しかも日本全体ではなく、一握りの人の利益のためであり、極めて「自分ごと」と言えます。

今、G20が中国の杭州で開催され各国の首脳が集まっていますが、
どれだけの指導者が地球全体のこと思っているかは疑問です。

例えば、先日発表されたアメリカと中国によるパリ協定への批准ですが、
これは確かに全世界のためになる行動と言えます。
ですが、その動機は「全体のため」を思ったものではないのです。
これはあくまで各々の利害に基づく判断で、
だからこそ南シナ海の問題では米中は対立したままとなっているのです。

これでは真の平和には至りません。

指導者だけではありません。
今、この世界は「自分ごと」の集まりで動いているのです。

宇宙の法の下では、自他の区別を超えてすべてが繋がり生かしあっています。
それから外れた「想い」や「行動」はすべて「自分ごと」なのです。
世界のことを考えていても、社会貢献をしていても、
「自分が」という想いに基づいていたら、それはやはり「自分ごと」となります。

そして、「自分ごと」の想いや行動は、たとえそれが実現したとしても、
この世界に偏りを生み出し、いずれ対立や格差、喪失などの滞りとなって現れるのです。

だから「自分ごと」を超えていくことが大切です。

自我が与えられた人間は、当然のように「自分ごと」の願いや想いを持ちます。
そして、それは意欲にも繋がるものです。
だから、それらを追い求めることは大切なことではあるのです。
ただ、その際、宇宙の法を意識する必要があるのです。

宇宙の法とは天の流れあり、それは時代が生み出しています。

自らの希望を追い求めながらも、天の流れを感じ、結果をいただき学んでいく。

そんな姿勢でいると、自分が高まり、自然と全体性へと至るのです。

それは自分と向き合う旅であり、その旅は果てしない冒険であり、新しい発見は尽きません。
新しい発見により自分がどこまでも果てしなく広がっていくのです。

ということでまたここでいさどんの言葉を紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

常に意識を全体性に持っていく必要があります。
あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?
それが重要です。
個人的願望が全体性と共通していればいいのです。
例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。
個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、
全体性と個人は本来、共通していることなのです。
ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。

心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。
「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。

だから何より心を磨き続けることです。

そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。

それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。



☆彡 ☆彡 ☆彡

いらなくなった状態をさらに超えた世界。
「みんなで」「ひとつになる」ことを極めた世界。

それはきっと「自分ごと」を超えて宇宙の法の下に生きる人々が、
自らの個性を最大限に発揮した豊かな世界。

バラバラな特徴を持つものが一つのハーモニーを表現する世界。

真の平和が実現しすべての存在が生かされ調和した世界。

言葉にすればこんな感じでしょう。

そんな世界へ向けて、日々の暮らしを大切にし、この道を極めていきます(^-^)




宇宙の法に沿って願いを叶える

昨日の午後は苺の定植に行きました。
僕は木の花ファミリーに移住して8年目となりますが、苺の定植は初体験でした。
とても繊細な作業でしたが、楽しく充実した時間となりました。

苺をメインで担当しているのは和子ちゃんです。
和子ちゃんは昨年の6月、苺についてこんなふうに書いています。

いちご定植中の和子ちゃん(右)と僕


☆彡 ☆彡 ☆彡

毎日、いちごさんのお世話をさせてもらっている和子です。

いちごさんが実をつけるのも、もうあと少し。収穫しながら、打ち上げ花火のクライマックスのように、数々の花を咲かせてもえつきて終わっていく、そんなイメージと重なって、本当にいちごさんありがとう、おつかれさま、と語りかけました。

定植してから8ヶ月間ずっとみてきて、天然循環法である作物の声をききながら育てていくということを心がけて、試行錯誤しながらここまできました。ふりかえった時に、なんだか涙が出てきました。こんなに心をかけていとおしく思う気持ちは、お金をもとめるのではなく、作物から学ぶことを目的としているからです。毎日顔をみにいくのが楽しみです。赤い実がずらっとならんで輝いているのをみると、本当にうれしくなり、甘くていい香りが最高です。

~ 中略 ~

今年は、いちごの植えてあるところに落ち葉をしき、その上にいただいたワカメをしき、さらに青草をしきました。台風のさなかに、もしかしてハウスがたおれて崩壊するかもしれない、私の命も、いちごさんも危ないかもしれない、と思いながらワカメをしきつめていたことを思いだし、なんだかこっけいでした。

~ 中略 ~

化学肥料、化学農薬ばりばりする農家さんにとって、無農薬で化学肥料を使わないでできることは、おどろきのことだと思います。でも、できるんです。こんなにきれいないちごが!農家さんも、とてもびっくりしていました。

難しいことが可能になっていきます。しかも、味が濃くておいしいし、体に良い。一口食べただけで力がわいてくるといわれたこともあります。一度食べた人が、おいしかった、またお願いします、とリピーターになってくれて、配送や、近くのお店においてもらって、出荷しています。

~ 中略 ~

というわけで、もうすぐいちごも終了になりますが、一方で、今年の9月に定植する苗をそろそろ作りはじめます。親株からランナーをのばして、苗をとっていきます。もうクリスマスにむけてのいちごの苗を育てています。こうやって命が循環して、まわっているなぁと感じている今日この頃です。

作物を通して、どうすくすく育っていってもらえるのか、手助けし、何をしてほしいのかよみとって、会話していくことが、本当に大切だとあらためて思います。そして、太陽であり、水であり、空気であり、大地であり、自然が一体となってその中に自分もいる。すべてひとつだと感じます。
いい響きをもって、作物と接し、心を学んでいきます。これからも、エネルギーのある野菜を作っていきますので、宜しくお願いします。ありがとうございました。




☆彡 ☆彡 ☆彡

和子ちゃんと一緒に作業をしながら、僕はこの文章を思い出していました。
そして、苺に対する想いをこうして共有出来ることを嬉しく思いました。

そして今、和子ちゃんの文章をあらためて読んで、いさドンブログ「瞬間瞬間がオリジナル~群れが個人を目覚めさせる~」の以下の文章を思い出しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕は群れの中の一人ひとりに、個性的であることを求めている。しかし与えられることに慣れてしまった人々は、自らそれを目指し、獲得して、輝いていくということを怠る。もっとギラギラしたらいい。そのギラギラとは、宇宙の実相である活性であり、我々が生きる上での生活の表現でもある。そしてそれは、エネルギッシュで魅力的だ。その延長線上に、それぞれの役割や個性的な表現が充実していく。
そこでは、個人プレーは大いに歓迎される。それは全体性のための個人プレーだから。

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和子ちゃんは苺を通して自らの個性を表現しているのです。

同時に僕はいさどんの以下の言葉も思い出しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この道を極めることが大切です。
そこに向けて真っ直ぐに行くと人の価値が上がります。
そして価値が上がると自然にみんなから支持されるようになるのです。
その位置で願いが叶っていくことが大切です。
想うと叶うというのはそういうことです。

ところがあなたの場合、叶わない現状にありながら、
願いを叶えたいという願望や欲望になっているものだから、
宇宙の法から外れてしまったのです。
だからそれは「自分のこと」であり、我欲となっていくのです。
宇宙は「もっと叶えたい。あなたの望みは全部叶えたい。」と願っています。
その代わり宇宙の法に沿って願えということです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

作物は宇宙の法に沿って育っていきます。
その作物に心を寄せることは自ずから宇宙の法に沿うことになり、
法に沿って、願い(苺の成長)を叶えていくことになるのです。
それは人間としての価値を上げていくことに繋がります。

孤独感と万能感を超えていく」で僕は、小難しいことを書きましたが、
要は自我の持つ「思い通りにしようとする心」が様々な害をもたらしていると言いたいのです。

思い通りにしようとして強引なことをするのも害となりますが、
思い通りにならないと臆病になり何もしないのも害となります。

思い通りにしようとする心は人の行動に歪みをもたらしているのです。

想いを表現することで活力を得ることが出来ます。
だからまず想いを表現することが大切です。
ですが、その「想い」が宇宙の法から外れると、それは幻想となり、滞りへと繋がります。
だから「想い」を宇宙の法に沿わせる必要があるのです。

作物に想いをよせることにより、僕たちは法に沿った心を育てることが出来るのだと思いました。

人間は自我を持ち、思考する自由を与えられました。
そのため法から外れた「想い」を膨らませることも出来るようになりました。
ですが、人間も法の下に存在しているのです。
法から外れた「自分ごと」の想いは滞りとなって実を結ぶことになります。
そしてそれはその想いを持っている間、繰り返されます。

宇宙の法はこの世界に流れを生み出しています。
その流れに沿って生きる時、「自分ごと」だった想いや願いは自然と変化していきます。
変化の中で願いはみんなのものとなり叶っていくのです。

想うと叶う。

いさどんの言葉はそういうことを言っているのだと思いました。

想うと叶う。

それがこの世界に実相。だからそこには希望しかないのです(^-^)







孤独感と万能感を超えていく


僕は自我について以下のように書いたことがあります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

我思う、故に、我あり。(コギト・エルゴ・スム)

私が存在するのは、私が思考しているから。

自分の存在基盤を自分の思考に求めたこのデカルトの言葉は、
自我による自然からの独立宣言で、
他者の存在なしでも自分は存在出来るという幻想を生み出しました。

自然から独立した自我は、自然をただの物質と捉え、切り刻み利用していきます。
その結果、物質文明は発展しますが、自然環境は限界を迎えています。

その自然に対する態度は他者に対する態度にも反映されていきます。
自我にとって他者の存在は分析し利用する対象となってしまっているのです。
そして、それは他者の自我から見た自分にも言えることです。

近代以降、自我は孤独となり、不安を抱えています。


ニーチェは「神は死んだ」と表現しましたが、
人々は神である自然から命を奪っているのです。
そして、本来、人は自然の一部です。
自然から命を奪うことは自らの命を奪うことであり、
存在の基盤を失う結果に繋がります。
そのため自我は孤独となります。
孤独となった自我は他者を求めますが、
その態度に変化はなく、他者は分析し利用する対象のままなのです。

不安な自我は、安心を得るために自分に賛同してくれる存在を求めます。
他者からの承認を支えに生きていくようになります。
そのため、「間違え」は致命的な出来事であり、自らの「正しさ」を信じていたいのです。
自らの「正しさ」を信じるために、他者の間違えを指摘し続けているのです。




☆彡 ☆彡 ☆彡

孤独になった自我は同時に万能感も隠し持っています。

「他者の存在なしでも自分が存在出来る」という幻想は人間に傲慢さをもたらし、
自然を切り刻み、利用し続けることでバーチャルな空間を創り上げました。
現在の金融システムやテレビやインターネットの世界、
そしてポケモンGOに代表されるゲームの世界はその最たるものでしょう。
バーチャルな空間の中で人間は現実に向き合わずに暮らすようになっています。
そんな中、ますます傲慢となり万能感も育まれていくのです。

万能感はなんでも思い通りにしようとする気持ちとなって人間に現れます。

こんなことを書くと、

そんなことはない。自分は自分のことを駄目な人間だと思っている。

というように思う人もいるかもしれません。

ですが、思い通りにしたい気持ちは自分を責める言葉となって現れることもあります。

例えば、こんな感じです。

今の状況を自分は駄目だと思っている。
自分は本当に最低だと思う。
だから何とかする必要があるのだけれども、自分にはどうすることも出来ない。
本当に自分は駄目だ。

こんな言葉の奥に、誰かに改善してもらおうとする気持ちが含まれていたら、
それは他者を使用して状況を思い通りにしようとしている証です。

自分を責めている人を放っておくのは難しいことです。
そう考えるとこれは脅迫とも言える行為なのです。

自分を責めている人。

それを表面だけ見たら、苦しんでいる人に見えます。
ですが、奥の心を見ると脅迫し、要求している人なのかもしれません。

奥の心を見なければ、真実は見えてこないものです。

奥を見ていくと、無反応の中にも思い通りにしようとする気持ちが現れることがあります。

自分は反応をしない。でも誰かに状況を改善して欲しいと思っていたら、
それも他者を利用して状況を思い通りにしようとしている証です。

こんな気持ちを抱えていると無反応も一種の脅迫と言えます。

そして正義を貫く気持ち。

そんな一見正しい行動の奥にも思い通りにしようとする気持ちが隠れていることがあります。
だからいつでも奥の心を確認することが大切です。

万能感が満たされたらいい。思い通りになればいい。

そう感じる人もいるかもしれません。
ですが、万能感は孤独感と表裏一体なのです。

思い通りになる状態とは一方的な動きであり、他者との真の交流は生まれません。
そのため心の奥にはいつも孤独感を抱えることになります。

万能感。

それは自我から生み出された怪物、宇宙の法からはみ出た異物です。
その起源は、「他者の存在なしで自分は存在出来る」という法を無視した幻想にあります。

法の中で生きる人間が法を無視している。

その矛盾が今、社会の混乱や環境破壊という滞りとなって現れているのです。

現代人の自我は万能感と孤独感に汚染されてきました。
それは心の奥深くまで染み渡っています。
そして気付かぬうちに人々を苦しめ、世界を混乱させています。
その苦しみや混乱はバーチャルな空間や幻想から生まれているのです。

だから大切なのは現実の自分と向き合うことです。
そして宇宙の法に沿って、自分の想いを表現していくことです。

そうすることで、現実の中で自分がもまれ、想いも自分も変化していきます。
その変化が喜びとなり、新しい時代に向けた希望となっていくことでしょう。

僕は今、そんなふうに生きています。

昨日は新月。

決意を表現するのに適した時です。

僕は自我がもたらす幻想、万能感と孤独感を完全に超えていきます。
そして時代の変化と一体となり変化の喜びを体現していきます(^-^)

数日前の朝の富士山。空には三日月も浮かんでいます。



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