実態から潜象界へと至る

自分の思考や感情の奥には自分の実態があり、自分の実態は天と繫がり、この世界に流れを生み出しています。それは自分自身、そして人類に相応しい流れです。ですが、多くの人は自分の思考や感情で判断し行動しているので、自分の実態が見えず、流れをつかめずにいるのです。この世界に多くの滞りが生じ、その原因を人々が理解できないのはそのためと言えるでしょう。


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3月7日は僕の誕生日でした。そしてその数日前、3月1日は農事組合法人木の花ファミリーの10歳の誕生日でした(10周年記念日でした)。誕生日の言葉として、農事組合法人木の花ファミリー10周年のトキ、ジイジが語った言葉を紹介したいと思います。


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一番、我々の姿勢で大切なことは、自分の実態をよく知ること。自分の実態を良く知って、その自分の実態に相応しく適切に歩んでいくことです。これは何かの教えの中にもあるのですが、悟りへの道なのです。悟りへの道は己の実態を知ることである。こんな言葉があったかと思います。

自分の存在には、いろいろな切り口がありますが、自分の実態を知ることによって、自分を正しく導くことが出来るのです。ですから、この農事組合法人がどんな存在で何者であるかということを知るからこそ、適切な運営が出来るのだし、自分たちがどんな時代を生きているか、自分がどんな人格なのか、それに知ることによって進路は自ずと決まってくるのです。

今までの時代は、人間は、自分の実態を知るのではなく、自分の中から湧いてくる願望を叶えることを優先してしまっていて、自分の実態を無視して、情報や風評を聴いて、ああなりたい、こうなりたいと言って歩んでいったのです。自分の実態はどうでもよかったのです。

今、温暖化とマイクロプラスチックなど、地球には様々な問題がありますが、そんな地球の実態を知ることも自分を知ることなのです。自分から湧き出してくるもので、世の中の人々は生きていますが、それが自分や地球、宇宙に何をもたらすのか、それを理解するのは難しいことですが、それを理解しないと次の時代を人類は迎えられません。


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ジイジは実態を知ることの大切さを語っていますが、実態を知ることは僕らを無限の世界へと導きます。そんなことを表現した文章を引用したいと思います。


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3ヶ月程前、いさどんはこんな言葉を語りました。

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昔、その不可思議な異次元空間が当たり前に身近にあるけれど、
あまりにも身近にありすぎて、
あることが気付かないようなところにあった。
そこに現れるその異次元空間が、新たな時代を創っていく。
それは潜象界のようだ。

「難しいことを与えておるゆえ、心してゆけ。」
ここまでそれがわかってくると、難しいことの意味がまったく違ってくる。
それは難しいだろう、それはわからないだろう、という話にもなる。
それは、「難しいからやっていくぞ!」というものではない。
ともこのように気合を入れて宣言してやるようなものではない。

僕はただ、
「ここは何だろう・・・あれ?!・・・ここはどこ?・・・」
という場を創りたいのだが、皆は何もわかっていない。

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このとっても不思議でどこか魅力的な言葉を聴いて、
僕は以下のようにいさどんの心を感じ、表現してみました。

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※青字がいさどんの言葉、黒字がそれに対する僕が感じた表現です。

昔、その不可思議な異次元空間が当たり前に身近にあるけれど、
あまりにも身近にありすぎて、
あることが気付かないようなところにあった。

自我を持った人間は、自分の実態から離れ、
幻想の世界で暮らすようになりました。
自我は土台がなく孤立しています。
そのため他人からの承認や評価を必要とするのです。
評価を得て、承認をされることで自分の存在を維持しているのです。

そんな自我の奥には「自分の実態(実体)」が存在しています。

この世界に存在するものはすべて循環の仕組みの中で存在しています。
生き物が生き物を支えることで成り立つ生態系。
そこに存在するものはすべて一つなのです。
自我の奥に存在する「自分の実体(実態)」も
この世界の循環の中で存在しています。
つまり、それはすべての存在と繋がり、
宇宙の法則の下に存在しているのです。

全存在と繋がる「自分の実態(実体)」は、
自我の想像を超える体験をもたらします。
それは自我にとって不可思議な異次元空間のような存在です。
そして、常に自我の一番近いところに存在し続けています。
ですが、自我は幻想の世界に埋没しているため
その存在に気づくことがないのです。

そこに現れるその異次元空間が、新たな時代を創っていく。
それは潜象界のようだ。

人類は長いこと各々の自我の幻想の中で暮らしていました。
一人一人の幻想から共通項を抜き出し共通の幻想を創り上げ、
実態の存在を忘れてきました。
人類は実態を無視した幻想の中で一喜一憂し、毎日の糧を得ていました。
それは各々の欲望を際限なく追及する姿勢に繋がりました。
今、その暮らしが限界を迎えようとしています。
実態を無視し、際限なく己の欲を追求した自我の振る舞いは、
この世界を蝕んできたのです。

自然災害や環境破壊、テロリズムや紛争、貧困、経済格差など。

今起きている様々な問題は社会が生き詰まりを迎えているサインなのです。

今、一人ひとりが「自分の実態(実体)」に気づいていく必要があります。
その時、自我の想像を超えた異次元空間が開かれ、
新しい時代が創られていくのです。

今までの社会は物質循環のみで営まれ、天然循環はしていませんでした。
そのため物質のエネルギーは枯渇し、環境破壊が進んでいるのです。
一人ひとりが「自分の実態(実体)」に気づいた時、
天への扉が開かれ、エネルギーは潜象界に返り、天然循環が始まります。
天然循環する暮らしはこの世界に新鮮なエネルギーをもたらします。
そのエネルギーは想像を超えた出来事を人類にもたらし、
今ある問題はすべて解決されるでしょう。

「難しいことを与えておるゆえ、心してゆけ。」
ここまでそれがわかってくると、難しいことの意味がまったく違ってくる。
それは難しいだろう、それはわからないだろう、という話にもなる。

難しいにもいろいろな意味があります。
自分がこの道を貫くことの難しさ。
この道の大切さを世の中に伝えることの難しさ。
どちらも難しいです。
今、この道の大切さは僕の中では明確となり、他に道はありません。
今や、僕がこの道を貫くことは当然のことなのです。
ですが、分かれば分かるほど、
この道は今の社会の常識とは大きな隔たりがあります。
それを人々に伝えることを考えると、
それは難しいだろう、それは分からないだろう、
とそんなふうに思えてくるのです。

それは、「難しいからやっていくぞ!」というものではない。
ともこのように気合を入れて宣言してやるようなものではない。

先にも伝えた通り、僕にとってこの道は明確であり、
もう他には道がありません。
今や「もう他に道はない」という言葉すら必要がなくなっています。
「もう他に道がない」と表現することは、
他の道に対して、それは違うと否定する意味合いも含まれます。
そこには力も入ります。
ですが、もう自分の視野には一本の道しかないのです。
だから、わざわざ「他に道はない」と表明する必要はないのです。
ただ淡々と歩むことであり、気合は必要としないのです。

僕はただ、
「ここは何だろう・・・あれ?!・・・ここはどこ?・・・」
という場を創りたいのだが、皆は何もわかっていない。

みんなが「自分の実態(実体)」に向き合うと、
異次元空間への扉がここかしこに開かれます。
もうそれは自我からしたらわけの分からない世界であり、
大いなる存在へと繋がる世界です。
そんな世界をここに表現した時、訪問者の自我は弱まり
「ここは何だろう・・・あれ?!・・・ここはどこ?・・・」
という体験をします。
この空間自体が訪問者へ
「実態(実体)=異次元空間」への旅を促すようになるのです。

僕はそんな場を創りたいのです。

だけれども、みんなは相変わらず自我に翻弄され続けています。
みんな、自我の下、自分の想定内の毎日を送っています。
そんな暮らしは面白味がありません。
僕はそんな生活には1日だって耐えることは出来ません。
ですが、みんなは平気な顔でそんな毎日を送っています。
それはこの暮らしの価値が分かっていないということなのです。


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これからどんどん地球環境は厳しくなることが予想されます。人類にとってとても厳しい時代となるでしょう。それが地球、そして人類が実態ですが、実態はすべての存在と繋がっています。それはちっぽけな自分を超えて、常に大いなる存在と一つなのです。それはどんなに厳しくとも、新たな時代を創っていく異次元空間です。そんな空間を感じることが出来れば、その可能性に委ねることが出来れば、すべての存在が繋がる新しい時代を感じ、楽しむことが出来るでしょう。そんな未来に向けて、自らの実態を踏まえ、自らの実態に相応しい歩みを重ねていこうと思います(^ー^)








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