仏陀がすべてが繋がり合うこの世界の中で「天上天下唯我独尊」と語ったのは、自分が消えたら認識が消え去るから。これは認識に価値を置いた言葉で、人間を人間にしている人間らしさは「認識」にあると思っています。
だけれども、人間の認識は自分の身体や経験に縛られていて、そのままではこの世界の真実の姿を観ることが出来ません。だから心を磨いて自我を手放し自分の視点を超えていくことが大切なのだと思っています。
自分の思惑や感情を手放し目の前の出来事に心を開き、そこから学ぶトキ、変化は自ずから起きて、そして自ずから成長していきます。自分の想像を超えた自分と出会うことが出来ます。
多くのヒトが共に暮らすコミュニティは多くの視点が混じり合うことで自分の視点を超えるようにと導いてくれます。その先にあるのは、この世界の実相への認識。それは無限の深みがあるもので、探求しても探求してもきりがなくて、いつも自分の想像を超えてきて、面白く面白くて仕方がないものなのです。
長くなりましたが、思うことを書かせていただきました。
読んでくれてありがとうございます。
上記は、人間を人間にしている人間らしさとは?という質問に答えた言葉です。僕はその答えとして「認識」を挙げていますが、「認識」の価値を示す言葉としては、以下のような話もあります。
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昔々、まだ地球も、宇宙さえも生まれる前の遠い昔、この世界にはただ“響き”があるだけでした。
そこは、すべてがぴたりとかみ合った、一切の歪みのない、永遠なる完全の世界。
神様ただお一人の世界だったのです。
神様は、退屈でした。
「完全の中にいては、完全を知ることはできない。
完全である私は、完全であるがゆえに私を知ることができない。」
光だけの存在であった神様には、光が何であるのかが見えなかったのです。
そこで神様は、その完全なるひとつの体を、分けられました。
光とは何かを知るために闇を、天とは何かを知るために地を創られました。
そして、その不完全なる世界を、自らと相反する遠いところへ置かれました。
その時、そこに時が生まれ、空間が生まれ、元のひとつへと還っていく時空が始まったのです。
オルゴールのねじがまわるように、
不完全から完全へと還る中で世界は様々な音を響かせ、音楽を奏でます。
そこは、すべてがぴたりとかみ合った、一切の歪みのない、永遠なる完全の世界。
神様ただお一人の世界だったのです。
神様は、退屈でした。
「完全の中にいては、完全を知ることはできない。
完全である私は、完全であるがゆえに私を知ることができない。」
光だけの存在であった神様には、光が何であるのかが見えなかったのです。
そこで神様は、その完全なるひとつの体を、分けられました。
光とは何かを知るために闇を、天とは何かを知るために地を創られました。
そして、その不完全なる世界を、自らと相反する遠いところへ置かれました。
その時、そこに時が生まれ、空間が生まれ、元のひとつへと還っていく時空が始まったのです。
オルゴールのねじがまわるように、
不完全から完全へと還る中で世界は様々な音を響かせ、音楽を奏でます。
「木の花記~金神様の巻」より
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この話からすると、始まりの存在である神さまが自らを認識するために、この世界はあって、この世界の出来事はすべて神さまの自己認識となり、世界の進化は神さまの認識の進化となります。最近、僕はNHKの「ヒューマニエンス 40億年のたくらみ」という番組を毎週観ているのですが、この番組を見ていると、上記のことが本当にそうだなと思えます。この世界の進化は、「認識」を深め発展させるためにある。そのように思えるのです。
例えば、皮膚というものを考えてみます。「0番目の脳」とも呼ばれる皮膚。単細胞生物の頃は、皮膚とも言える自らの境界から様々な情報を取り入れ反応していました。脳がなくともある種の認識があり反応しているのです。それが哺乳類にまで進化すると、より高度な情報処理が脳を通して行われますが、皮膚は身体を守るために毛で覆われ、その機能を低下させます。そのような中、人間は、熱を発散させるために体毛を捨てます。それは、森から草原に出た人類の祖先が、長距離を歩いたり走ったりするようになり、過熱を防ぐ必要が生じたためです。これはライフスタイルに合わせた変化ですが、体毛を捨てることで、昔の皮膚感覚が蘇り、脳をさらに発展させることに繫がったのです。
体毛を捨てた人間はその後、7万4000年~7万年前、トバ火山噴火に伴う寒冷化に対応するために、服を着始め、その後、針を発明していきます。服は、人間の活動範囲を飛躍的に広げると共に、民族衣装にまで洗練されることで、人々の絆や文化を生み出していきます。この服を着始めた7万年前は、脳が飛躍的に進化したと言われるタイミングとも重なっています。
脳は、認識の深まりを表す物理的な表現なのだと思います。地球の歴史を見ていると、脳を発展させるために、環境の変化があったように感じます。そして、それは神さまの自己認識の深まりに繫がっているのではないかと思うのです。
歴史を見ていると、出来事はすべて人間の意図を超えていて、もしかしたら神さまの意図も超えているのかもしれません。始まりのトキ、神さまは完全なる身体を分けられましたが、それにより何が生じるかは分からなかったのではないかと思うのです。なぜなら、この時点の神さまに認識はなかったのですから。なにより退屈を超えるためには想像を超えた出来事に出会う必要があります。
分からないところに向って変化変容を繰り返していく。
それが神さまの意思であり、この世界の法則なのだと思います。その目的は、認識を深めることにあります。そうだとしたら、この世界で生きる上で大切なのは、どんな意図を持つかでも、どんな行動をするかでもありません。出会う出来事を通して、認識を深めていくこと。出来事の奥に流れているものを感じていくことです。その認識は、自分の認識であると同時に神さまの認識でもあります。
天上天下唯我独尊
ただ我だけを尊ぶ。
それは自分の物語がそのままこの世界の物語であり、自分はそこからしか世界に貢献できないからです。自分を生きるとは世界を生きることであり、世界を丁寧に生きるために認識を深めていくのです。その実践例がジイジの以下の言葉に表れています。
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私たち一人一人は、温暖化対策として、何ができるのか?
それにはまず、自分の脱いだ履き物を揃えることです。履き物を揃えることは、温暖化対策だよ。どうしてだかわかるかな?
ジイジは幅が広いから、どんなことからでも地球を良くすることに結びつけます。自分が脱いだ履き物がどうなっているのに注目することは、その日一日を自分がどのように過ごしたのかを振り返ることと同じです。脱ぎっぱなしでは美しくないでしょう?脱いだ履き物を見ることで、自分がどんな姿勢で、どんな行動をしたのかを振り返り、その行動で良かったのかを考える。そしてその都度履き物を揃えることで、その自分を修正していくのです。履き物を脱ぎっぱなしにすることは、自分の行動を振り返らずに地球の環境を汚したり、人と考えが合わないからと言って対立することと同じです。それは無駄なエネルギーをたくさん使うことになります。
それにはまず、自分の脱いだ履き物を揃えることです。履き物を揃えることは、温暖化対策だよ。どうしてだかわかるかな?
ジイジは幅が広いから、どんなことからでも地球を良くすることに結びつけます。自分が脱いだ履き物がどうなっているのに注目することは、その日一日を自分がどのように過ごしたのかを振り返ることと同じです。脱ぎっぱなしでは美しくないでしょう?脱いだ履き物を見ることで、自分がどんな姿勢で、どんな行動をしたのかを振り返り、その行動で良かったのかを考える。そしてその都度履き物を揃えることで、その自分を修正していくのです。履き物を脱ぎっぱなしにすることは、自分の行動を振り返らずに地球の環境を汚したり、人と考えが合わないからと言って対立することと同じです。それは無駄なエネルギーをたくさん使うことになります。
☆彡 ☆彡 ☆彡
自分は、この宇宙の物語のかけがえのない一部です。それはすべての存在と同様で、だからこそ自分の行動が世界を良くすることに繋がっていきます。
そんなことを意識して生きていこうと思っています。
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