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みんなの変化をいただいていく

2年前の今日、僕は「みんなでみんなの人生を生きる」を書きました。そこではいさどんのこんな言葉を紹介しています。

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僕が他人について語る時、その人以上に詳しく語ることがよくあります。それは客観的な視点から語ることで、より深く多様にその人を描き出し、本人やみんなへ気づきをもたらしてきました。今、みかちゃんとなかのんが僕や僕の言葉について語っています。それは僕の言葉に新たなる彩りを与えています。切り口が変わり、多様な表現となっていきます。一人一人がこのように語りだしていくことで、ここの暮らしは新しいステージに移行し、より豊かな場となっていくでしょう。

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そしてほぼ1ヶ月前、僕は以下の文章を書いています。

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魂は生まれてきて自分に相応しい肉体と出会います。そして、両親に出会い、身内に出会い、友や仲間と出会って行きます。その中で感情が育まれていきます。すべては相応しく与えられる出会いであり、その出会いを通して魂は自分を知っていきます。

僕たちの本来の姿は魂です。肉体や感情は相応しく与えられるものであり、それを通して自分を知る材料であり、だからこそコントロールすることが出来、その変化を通して魂も変化していくのです。


この視点に気づいた時、魂はすべての出来事から離れ、自由となり∞(無限)の可能性へと開かれていきます。∞(無限)の世界の中で魂を成長させていく。それが心磨きです。

この視点は完全にニュートラル(中立・中庸)なものです。なぜなら魂の世界は人間社会の善悪や価値観を完全に超えた世界だからです。それらを超えた価値、あらゆる価値観を超えたニュートラルな価値があり、それを積み上げていく。それが魂の成長であり、心磨きです。

僕は今、こんなふうに感じています。

魂の成長。それはこの世界の本質に気付き、自由になっていくことであり、自らの思惑から解放されていくことです。それは今まで自分が身に着けてきた反応パターンのそぎ落としです。一つのパターンがそぎ落とされた時、自分自身の感情、そして出会う現実が変わっていきます。どんなふうに変わるかは変わってみなければ分かりません。だから、これは思惑を超えた世界であり、変化は自ずから起きるもの、変化を起こすのではなく、変化をいただく生き方なのです。


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客観的な言葉。それは切り口により深く多様なものとなっていきます。それがこの世界を豊かにしていきます。木の花ファミリーでは一人ひとりの人生をみんなで共有していますが、それを客観的な位置からみんなで語り合うことで、みんなの人生が∞(無限)に広がっていくのです。

客観的な言葉に至るには、一人ひとりが主観を超えていく必要があります。人は通常、自分の感情を通してこの世界を見て体験していきます。そして、世界を自分の色に染めていきます。それは行き過ぎると「自分」という単色の世界になっていくものです。感情に翻弄されている人の人生は、その人にとってはリアルでも他人からの共感は得られなくなっていきます。ですが人は自らの感情を離れてこの世界と自分を見ることも出来ます。その時、それは客観的であると同時に自分オリジナルなものともなるのです。そんな視点をみんなで混ぜ合わせていく。それがこの暮らしの醍醐味であり、心を磨くことでそれを味わっていけるのです。

コロンビアのサントス大統領は、ノーベル平和賞の授賞式で、対話の重要性を訴えました。「ここは何だろう・・・あれ?!」にも書きましたが、昨年のノーベル平和賞の受賞者チュニジアの国民平和カルテットも対話の重要性を訴えていました。ここ数年、対話の価値がクローズアップされています。ですが、ただ対話をすればよいということではありません。それぞれが自分の主張をするだけならば、いくら対話をしても分かり合うことはないでしょう。チュニジアが問題を抱えつつも民主化に成功しているのは、平和という大きな目的のために、それぞれの団体が自分の立場を超える努力をし続けているからでしょう。今、様々な危機が叫ばれる中、人々は自分の立場を超える努力をし始めています。それは希望ではありますが、受け身の態度とも言えます。危機が解決した際、元に戻るようならば、その態度は再び人類に危機をもたらすでしょう。自発的に自分の立場を超えていく。そのような態度が大切です。それを可能にするのが心磨きです。

魂を成長させ、自らの思惑を離れた時、世界と自分がひとつになっていきます。そうすると自分の変化がみんなの変化となり、みんなの変化が自分の変化となります。そして、それは自ら作り出すものではなくいただいていくものです。

自らの感情を離れて、予測不能の変化をいただき、それを通して世界と自分を知っていく。それは多様で変幻自在な世界と自分です。そのような生き方を多くの人が楽しむようになった時、世界は真の平和に向けて動きだすことでしょう。僕は木の花ファミリーのみんなと心を磨くことで少しずつそんな生き方を楽しめるようになっています(^-^)

行きつく先はきっと世界平和。でもそれは思い描いたものではなく予測をはるかに超えたものなのです。










真の信頼(神頼)関係を生み出していく

農事組合法人やNPO法人、そして一人ひとりのメンバーと様々な存在によって構成されている木の花ファミリー。それぞれが独自にお金を管理していますが、意識の上ではみんなのお金と見なしています。どこにお金があっても一つの目的のために使われていくのです。「所有」という概念から自由となり世のため人のためにお金を循環させています。そのあり方を説明する時、「信託」という言葉が当てはまるのではないかと思いました。僕らはお金を信じて託されているのであって、所有しているわけではないのです。

僕は最近、信託という言葉をたまたま目にしたのですが、この言葉は面白いなと思いました。僕らの人生は神からの神託(信託)に基づいています。

神は人間を信じ、人間に自由を与え自らの計画を人間に託しました。

神託は信託。神は自らの計画を手放し人間に委ねているのです。そこに大きな愛を感じます。

そして、同時にパンドラの箱の神話についてもよく考えるようになっています。

「神々からのすべての贈り物」を意味するパンドラは、神々から「開けてはいけない」と言われた箱を持って人間界に現れます。そして、好奇心から箱を開けてしまいます。すると箱からは疫病や悲嘆、欠乏、妬み、憎しみなどあらゆる災いが飛び出しました。こうして世界には災厄が満ち、人々は苦しむことになるのですが、絶望に沈むパンドラに語りかける存在がありました。それが希望です。あらゆる災いが飛び出した後、箱の底には希望が残っていたのです。

パンドラの箱はこんな話ですが、好奇心から箱を開ける行為は、神の言いつけに背く行為です。それは神が人間に与えた自由から生まれる行為で、自我(エゴ)に基づくものです。自我(エゴ)に基づいて行動する時、人は人間の醜さに向き合うことになります。それは人間を知ることに繋がり、プロセスとしては大切なものかもしれませんが、いつか行き詰まりを迎えます。

最終的にトランプ氏が勝利したアメリカ大統領選挙では候補者はお互いに罵り合っていました。それが世界の最高峰のリーダー候補者の姿です。

イラクのモスルではISが民間人を人間の盾とし、多数の犠牲者を出しています。

そして、総人口2100万人の半数以上が難民となり、21世紀最大の人道危機と言われるシリア内線は未だに続いています。

今、世界では様々なニュースが流れていますが、それぞれ人間の醜さや悲惨さ、残酷さを表していて、人間社会の行き詰まりを表しています。まさに絶望的な状況と言えますが、絶望から希望が生まれるのです。絶望、自らの望みを絶つ時、人間の自我(エゴ)の動きが止まります。そこに出来事を受け入れる余地が生まれ、思いがけない出来事に出会うのです。それは神からの働きかけであり、希望へと繋がるものなのです。

希望、まれな望み。

それは自我(エゴ)を手放し、自らの思惑から離れた時、生まれます。

戦争、紛争、経済格差や飢餓、気候変動や環境破壊など。山積する問題に対して、様々な対策が練られていますが、多くが自我(エゴ)の思惑から生まれた自分都合のものなのではないでしょうか?自我(エゴ)からの行動は人間の醜さと出会います。このような対策が思うように進まないのはある意味当然と言えるのです。

神は人間を信じ、自らの計画を手放し人間に託されました。同じように人間も自らの思いを手放し、神に人生を託す必要があるのではないでしょうか?その時、真の信頼(神頼)関係が生まれます。そして、それが思いがけない出来事を生み出し、今ある様々な問題はすべて解決されることでしょう。

そんな未来に向けて、僕たちは神託(信託)関係を深めています。その具体的実践の説明として、「自分ごと」から全体性へと至る道 の文章を紹介します。すべての人の「自分ごと」が全体性(神)へと至った時、この世界の出来事はすべてみんなのものとなります。そこではすべての存在の個性が生かされ真の平和が実現していることでしょう。


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宇宙の法の下では、自他の区別を超えてすべてが繋がり生かしあっています。それから外れた「想い」や「行動」はすべて「自分ごと」なのです。世界のことを考えていても、社会貢献をしていても、「自分が」という想いに基づいていたら、それはやはり「自分ごと」となります。

そして、「自分ごと」の想いや行動は、たとえそれが実現したとしても、この世界に偏りを生み出し、いずれ対立や格差、喪失などの滞りとなって現れるのです。

だから「自分ごと」を超えていくことが大切です。

自我が与えられた人間は、当然のように「自分ごと」の願いや想いを持ちます。そして、それは意欲にも繋がるものです。だから、それらを追い求めることは大切なことではあるのです。ただ、その際、宇宙の法を意識する必要があるのです。

宇宙の法とは天の流れあり、それは時代が生み出しています。

自らの希望を追い求めながらも、天の流れを感じ、結果をいただき学んでいく。

そんな姿勢でいると、自分が高まり、自然と全体性へと至るのです。

それは自分と向き合う旅であり、その旅は果てしない冒険であり、新しい発見は尽きません。新しい発見により自分がどこまでも果てしなく広がっていくのです。

ということでまたここでいさどんの言葉を紹介しますね。

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常に意識を全体性に持っていく必要があります。あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?それが重要です。個人的願望が全体性と共通していればいいのです。例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、全体性と個人は本来、共通していることなのです。ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。

心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。

だから何より心を磨き続けることです。

そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。

それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。



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いらなくなった状態をさらに超えた世界。
「みんなで」「ひとつになる」ことを極めた世界。

それはきっと「自分ごと」を超えて宇宙の法の下に生きる人々が、
自らの個性を最大限に発揮した豊かな世界。

バラバラな特徴を持つものが一つのハーモニーを表現する世界。

真の平和が実現しすべての存在が生かされ調和した世界。

言葉にすればこんな感じでしょう。

そんな世界へ向けて、日々の暮らしを大切にし、この道を極めていきます(^-^)




木の花ファミリーのみんな@日本平動物園



克服すべきは自分自身

キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が死亡しました。キューバ革命を成し遂げ、アメリカという大国の側で、独自の立場を貫いたカストロ氏は英雄と見なされる一方、100万人以上のキューバ人を難民にした無慈悲の独裁者としても見られています。

教育費や医療費の無料化を成し遂げ、99.8%(2011年)という高い識字率をキューバにもたらしたカストロ氏は、核の悲惨さや環境保護の大切さも語ってきました。カストロ氏が平等や平和を目指し、共産主義国家を樹立したことは間違えないのでしょうが、自由の弾圧という負の遺産も抱えているのです。

旧ソビエトでも中国でも共産主義の下に弾圧が行われました。これは共産主義の持つ負の側面ですが、その萌芽はマルクス思想の中に初めからありました。マルクスは歴史を階級闘争と見なし、資本家から権力や財産を奪取する必要性を訴えていました。権力や財産を奪取した後、社会全体のものに変えていこうとしたのですが、その奥には対立の心があり、それが原動力となっていたのです。

共産主義は、資本主義を悪とし、それに対抗することで自分たちが正義となり、それを誇りとしてきました。その誇りが時に暴走し、横暴な態度に繋がり弾圧を生み出してきたのです。出発点が対抗(対立)の心であるため、それはいつまで経っても真の平和に至ることがないのです。

同じようにアメリカの存在はキューバを脅かしましたが、それに対抗することがカストロ氏の原動力となっていたのだと思います。そのため平等や平和という高い志が実現することはなかったのです。カストロ氏の人生は対立の中にあるように見えます。

これはカストロ氏がどうこうという問題ではなく、時代がそういう時代だったということです。一つの時代を築き大きな影響力をもったカストロ氏の死亡は、時代の変化を表しています。それはトランプ氏が大統領選に勝利し、国の威信を低下させているアメリカの姿にも表れています。

今、時代は大きく変化しようとしています。

今までの時代は、外に悪を見出し、それを克服しようとすることを原動力とし、エネルギーを使ってきました。貧困、飢餓、環境破壊、気候変動など。これらは確かに大きな問題ですが、それらを悪とし克服しようとしても解決することはないでしょう。なぜなら、その奥には都合の悪いものを排除する心があり、その不寛容な心が人々の対立を生み出し続けているからです。

克服すべき対象は外にあるのではありません。克服すべきは自分自身です。一人ひとりが自分の中にある不調和な心を見出し克服し続けること。それだけがこの世界を真の平和へと導けるのです。

今、木の花ファミリーでは来年の1月28日(土)に行われる富士浅間木の花祭りへ向けての練習が始まっています。この祭りでは新しい時代の到来が表現されています。それが一番端的に表れている金神様と翁の問答を紹介します。自分を克服し、掃除洗濯を済ますことで、金神さまと共に尊き天意転換(たてなおし)を実現しましょう(^-^)

金神さまです。


金神様と翁の問答              

 
  
伊勢天照皇大神 熊野権現 富士浅間 ところは当初の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神  

この方(ほう)は、艮の金神と申す。
時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界(みちよかい)。 汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢れ(けがれ)逆巻く魔釣りの世。

      

艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう

金神
  
この方(ほう)は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙(うつ)の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢れ(けがれ)汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢れ(けがれ)混じること、適わぬ(かなわぬ)世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。
縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯 済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換(たてなおし)、汝らご用に使うてやる。


一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出る(いでる)と申されるか

金神  

いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人(かみびと)、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。
神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。
一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹にまことを据えるのじゃ。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。

      

引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神  

一度は渡したその榊。天の元に供えられい

(金神は後ろを向く。翁が榊の枝を金神の腰に差して退場する。
金神、根付きの榊に持ち替えて、四方でへんべいを踏んだ後、神座に戻る)

皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、真(まこと)の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真(まこと)次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
オー、オー、ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト オー。
真(まこと)の神が現れる。神人(かみびと)共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。
真(まこと)の真釣り(まつり)始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。




出会うことをいただいていく。

私たちが「生きている状態」とは、肉体と魂が一体となって生命世界において循環している状態です。それに対して、「死ぬ」ということは、肉体と魂が分かれ、肉体は生態系の構成要素として3次元宇宙の中に、魂はそれぞれに相応しい異次元宇宙に還っていくことです。

このように捉えると、肉体は死を境に消滅してしまうわけではありません。人間や動物、植物といった、ひとつの生命としての一時的な姿が終わるに過ぎないのです。常に変わり続けるもの、それが3次元生命の姿です。

これに対して、3次元生命を生命として束ねているものが魂・霊性です。私たちは魂と肉体の分離を死と呼びますが、それは終わりであると同時に始まりでもあるのです。死によって肉体は生命としての循環の仕組みから解き放たれ、原子の単位となってこの世界へ散らばっていきます。一方、魂は新たな次元において次の旅の準備を始めるのです。


「死生観」という表現は、死を生の側からの視点だけで捉えた言葉であると言えます。しかし、生死を超えた視点から死を捉えると、死生観というように、生の奥に生を支える魂の世界が連綿と続いていることになります。つまり私たちの本来の姿は魂、霊性であり、いわゆる「死後の世界」こそが本来の居場所であることになるのです。つまり、私たちは生死を繰り返すことによって学び、本来のあるべき立ち位置に目覚めていくのです。ですから死とは、その学びの大切な節目なのです。



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魂は生まれてきて自分に相応しい肉体と出会います。そして、両親に出会い、身内に出会い、友や仲間と出会って行きます。その中で感情が育まれていきます。すべては相応しく与えられる出会いであり、その出会いを通して魂は自分を知っていきます。

僕たちの本来の姿は魂です。肉体や感情は相応しく与えられるものであり、それを通して自分を知る材料であり、だからこそコントロールすることが出来、その変化を通して魂も変化していくのです。

この視点に気づいた時、魂はすべての出来事から離れ、自由となり∞(無限)の可能性へと開かれていきます。∞(無限)の世界の中で魂を成長させていく。それが心磨きです。

この視点は完全にニュートラル(中立・中庸)なものです。なぜなら魂の世界は人間社会の善悪や価値観を完全に超えた世界だからです。それらを超えた価値、あらゆる価値観を超えたニュートラルな価値があり、それを積み上げていく。それが魂の成長であり、心磨きです。

僕は今、こんなふうに感じています。

魂の成長。それはこの世界の本質に気付き、自由になっていくことであり、自らの思惑から解放されていくことです。それは今まで自分が身に着けてきた反応パターンのそぎ落としです。一つのパターンがそぎ落とされた時、自分自身の感情、そして出会う現実が変わっていきます。どんなふうに変わるかは変わってみなければ分かりません。だから、これは思惑を超えた世界であり、変化は自ずから起きるもの、変化を起こすのではなく、変化をいただく生き方なのです。

ところで、今年の7月、参議院選挙が行われましたが、その結果を受けていさどんは以下のように語っています。

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今回の参院選では、投票者数を上げるために、18歳以上の若者たちにも選挙権が与えられた。投票前はそれが希望ある話のように捉えられていたが、結果として、まだそこまでの社会的意識が育っていない者たちに何を持って投票意欲を起こさせたのかと言ったら、損得勘定だ。

人間は損得勘定を持つと、意欲が生まれる。本来、意欲というのは、生命力から生まれてこなければならない。それは損得勘定とは違い、自らがこの世界に生まれてきて役割を果たすことの意味が見つかった時に湧き出してくるものだ。
最終的には、自らの生命を完全燃焼させ魂の成長が成された時に、本来の生命としての目的が達成されたかどうかという意味での損得勘定はあるが、生きている間の学びの材料である一つひとつの出来事に囚われて損得勘定をしているようなことでは、人間の創る社会が本来の目的を現せないのは当たり前のことだ。
しかし、欲望の漬物のようになってしまっている今の社会では、損得勘定ですべてが進んでいくのも仕方がない。そうすると、損得勘定が人々の意識の元にあり、その上に社会ができるという非常に貧しい世界ができる。

これは極めて重要なところを突いているのだが、さて、損得勘定が巨大に膨らんでしまった今の世の中で、人々はどこまでその損得勘定の魔の手から離れて目覚めることができるだろうか。現代の人々は、ものの本質を観ようとするのではなく、損得勘定だけで結論を出そうとしている。国民は経済成長を支持したと言うが、そもそも経済とは何であるのかという実態がわかっていない。支持をされる側も、これを言ったら支持されるだろうということが当たっただけのことで、やはり実態がわかっていない。


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損得勘定から生まれる意欲。それは例えば、評価や結果を求める心となって現れますが、何かを目的にし、それに向って努力をする時、その分、自分の中に偏りが生まれます。目指すものの価値が大きくなり、ニュートラルではなくなります。そして、思惑が育っていきます。例えば、世界平和など崇高な目標であったとしても、それが損得勘定から生まれていたら、偏りが生じ思惑が育っていきます。その結果が今の社会です。

多くの人が世界平和を求めながらも、そこにはそれぞれの思惑があります。そのためそれは自分都合の平和となり、相容れない意見とは対立することとなります。対立は時に争いや格差に発展し、戦争や紛争、抑圧やそれに対するテロとなって顕れています。

安全保障関連法案に基づき、南スーダンでの自衛隊による駆け付け警護が閣議決定しましたが、そこにも政府の思惑が働いています。そのため相容れない意見との対立が生まれているのです。

多くの人が平和な世界を築こうと努力した結果が今の社会です。どんなに崇高な想いを持っていても、思惑や損得勘定に染まってしまうと偏りが生じ対立に繋がります。思惑や損得勘定を超えること。それが今、人々に求められることであり、これは精神革命です。それは何かを生み出す努力から、すべてをいただく姿勢への変化であり、その結果、世界平和、すべてが調和した社会が訪れます。

いさどんの言う通り、今の社会は損得勘定に染まっています。ニュースを見ても、日本の利益は?私たちの暮らしへの影響は?という感じでその奥には損得勘定があります。国と国との関係も損得勘定により繋がり、決別します。そんな中、上記のような視点で語ってもなかなか理解されないこともあります。そしてお互いの話が平行線となっていきます。そのような時に必要な心構えは?最後にその答えとなるいさどんの言葉を紹介します。

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ある価値観が広まるということは、その時代を生きる多くの人々が、その意識にならなければいけません。たとえその価値観が、大局から捉えれば重要なものであったとしても、それが世の中の主流になるかどうかはまた別の話なのです。
世界を大局で捉えず人智で捉えている人々にとっては、その人智で進めようとしていることが主流になるためには、革命や社会変革運動のように努力して勝ち取らなければならないかのように思えることでしょう。しかし大局で捉えている者にとっては、社会変革は時代の変遷であり、流れなのです。ですから、ただただ今行き着いた精神を日々の中で実践しながら、時が来るのを待つのが、大局で世界を捉えている者の姿勢なのです。

そういった大局的な視点で世界を捉える者たちが現れたということは、次の時代が訪れる予告でもあります。なぜなら社会の動きは時代によって生み出されているからです。ですからあなたの存在が時代の流れと共にあるならば、自らの存在に自信を持ち、信念に基づいた行動をやり続けていけば、息が切れるほど長い時を待たなくとも、現実化することでしょう。それが天意であるならば、何も焦る必要はないのです。

そして天と共にあるかどうかは、行動の結果もたらされる現象が教えてくれます。だからこそ、日常の中で出会う出来事を通して、自らの立ち位置を認識することが求められます。


時の流れを感じ、時代の大局と共にある人々の勇気を讃え、エールを送ります。



今朝の朝日です。太陽も地球も常に宇宙の中を新しいところを進み続けています。

すべてを生かしていく

パリ同時多発テロから1年が経ちました。当時、僕はこの事件からは大きな衝撃を受けました。そして、以下、3つのブログを書いています。

 客観性に基づく大いなる循環の中で祈りを捧げる

 永遠の相の下にプロセスとして見ていく

 みんな神さまでみんな好き

それぞれざっと読み返した時に、いさどんブログ21世紀のいのちの捉え方」から引用した以下の言葉が心に残りました。

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死を迎えることは、人生の区切りをつけ、次のステージに行くことでもあるのですから、亡くなった人を見送る人たちは、死者に対して、「こうだったらよかった」「ああだったらよかった」と考えるだけでも、その人が次のステージに行くための後ろ髪を引くことになるのです。
生死の流れからすると、亡くなった人たちは必ず次へ行かなければいけないのです。ですから、そこでは未練を持つのではなく、その人との出会いから感情を入れずに学ぶことが大切なのです。学ぶことがその人の死を生かすことになるのです。

生きている者からすると、その人の生き様を見せてもらったのですから、「あの人はこう生きてこのような結果を迎えたのだから、自分はこのように生きていこう」と自らの生き方につなげ、学ぶことが、人の死を生かすことになるのです。どんな人の生き様であっても、それが殺人者であろうが、自殺した人でも、一つ一つの事例として残された人に見せてくれているのです。

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この文章は原文ではさらに以下のように続きます。

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よくある話として、余命3ヶ月と宣告されると、「どのようにその期間を過ごしたらいいのでしょうか?」という質問をご家族から受けることがあります。その時に僕が答えるのは、その人が亡くなっても、その人の生き様(人生経験)は残った人たちの中に生かせるということです。ですから、生きている間にその人を観察し、なぜ今のような状態になっているのかを理解した時に、その人の人生を自分も生きたと捉えることができるのです。
わたしたちは自分ひとり分の人生を歩んでいますが、縁の近い人の生き様は身近で赤裸々に見せてもらっているのですから、それを自分も経験したと同じように捉えることができるのです。ですから、そこから学び、自分のこれからの人生に生かすと、死は世代を超えて生き続けることになるのです。
さらに、亡くなった本人自身の学びが不十分だったとしても、残った人たちがその人の生き様から学び、生かしてくれたということになると、本人から悔やみがなくなって次への旅立ちの手助けにもなるのです。
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縁の近い人と言えば、僕は父からは沢山の影響を受けています。「父の課題=僕の課題」と思って受け継いだ性質と向き合っていた時期もあります。(そのことについては「あなた未熟もみんなに役立つ」をお読みください)。父はまだ亡くなってはいませんが、身近な人として赤裸々にその人間性を見せてくれたとても大切な存在であり、父の人生は僕の人生であり、そこからの学びは今の僕に生きています。

僕に強い執着を持っていた父にとって僕が愛を持って離れた場所で暮らすことは父の業(カルマ)の解消に繋がります。事実、僕への執着から自由となった父は穏やかに暮らしています。それは母にとっても同様で、僕がこの場で心を磨くことは親族の業(カルマ)の解消にも繋がっていくのです。だからこそ、僕は父から受け継いだ特徴から自由であり続ける必要があります。

身近な人々がその生き方から人間というものを赤裸々に見せてくれるように、世界中で起きている出来事もその状況に応じた人間というものを見せてくれています。パリ同時多発テロ、そして、その後のフランスによるシリアへの攻撃、それらは人類の歴史の中で起きていて、人類全体の業(カルマ)となっています。それらは痛ましい出来事ですが、僕ら一人ひとりがそれをしっかり認識し、そこから人間というものを学ぶことで悲劇は生かされていきます。

何でも生かしていくことが大切で、そのためには繋がりを見出す必要があります。様々な出来事の奥にある繋がり、人と人、人と自然との繋がり。生と死との繋がり。そこを意識し行動した時、すべての出来事は生かされていくのです。

ですが今、世界は分断の極みにあります。それは人々が表面的な出来事や目先の損得に心を奪われているからであり、そのため立場が変われば意見が変わるバラバラの世の中となっているのです。テロや紛争はそんな人々の姿勢の延長で生まれています。

一人ひとりの人間はこの世界の中で様々な立場をとり暮らしています。そしてその立場からこの世界に関わり、善悪の判断をし、何かを求めます。ですが、それは一つの立場からの視点に過ぎず、他の視点を生かすことが出来ません。それを絶対視していると他者と分かり合えず対立や分断に発展していきます。

だからまず人は自らの価値判断を手放す必要があるのです。そして、「自分が・・・」という意識を超えて、すべての出来事をいただく心を育んでいきます。その先に人類の未来が開かれるはずなのです。

それは生命力が切り拓く未来です。生命力についていさどんは「この世界の仕組みに気付き自らの使命に目覚めた時、自然と湧き上がるもの」と表現しています。人はとかく評価を気にしたり、目先の損得を考えますが、その思考の奥には本当の自分がいて、それは世界に生かされ世界と一つなのです。世界と一つ。起きる出来事はすべて自分の顕れ。その心ですべての存在と繋がることですべての出来事は生かされていきます。

だから僕はそんなふうに生きていきます(^-^)


木の花の子どもたち。あっと言う間に集まりみんなで生かしあっています。


予測不能な物語を紡いでいく

国連は、9月16日を「国際オゾン層保護デー」を定めているようです。
静岡新聞2016年9月16日【大自在】にはフロンガスについて以下のように書かれています。

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化学分野で20世紀最大の発明とも言われたフロンガスについて、世界の見方が負へ転じたきっかけは1974年の米学者の論文。人類が排出したフロンが、有害紫外線から生態系を守るオゾン層を破壊しつつあるとの指摘だった。82年には、日本の南極観測隊が成層圏に生じたオゾン濃度が極端に低い「オゾンホール」を発見し異変を裏付けた

「まさに寝耳に水。フロンは物を冷やす機器に欠かせない冷媒で、電子部品洗浄やスプレーにも広く使われていた。万能物質がいきなり悪者になった」。浜松市で冷凍空調設備業を営む鳥波益男さん(76)は当時の衝撃を振り返る

オゾン層保護の国際的機運は高まり、87年にはフロン製造を規制する「モントリオール議定書」が採択された。ただ、冷媒として現に大量に使われるフロンの回収・処理の規定はなかった。「生業[なりわい]としている者が後始末の責任を果たさなければ」
全国に先駆けて94年、有志117社で「県フロン回収事業協会」を設立した。関連の法律も組織もない時代。全て手探りの中、横浜国大の研究者の協力で燃焼処理にも道筋をつけた

現在、鳥波さんが代表理事を務める協会の会員社は2倍に増えた。フロン排出抑制へ関心は高まり、法律も体制も以前に比べ格段に整いつつあるものの「まだ不十分」と自戒する

廃棄された機器からのフロン回収率は3割どまり、温室効果が高い代替フロンの規制や適正管理も急を要するという。事業協会の取り組みはさらに重みを増している。きょうは国連が定めた「国際オゾン層保護デー」。

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万能物質が悪者になる。

そういう事例は他にもあって、例えばアスベストなどはその一例です。

これは天の法則に基づく流れから生まれた出来事であり、
これらの物質は当時の人間の心を教えてくれています。

同じく9月16日、辺野古違法確認の判決が言い渡されました。
司法は翁長雄志知事による名護市辺野古埋め立て承認取り消しを違法としました。
これを受けて、沖縄では反発の声が上がり、翁長知事は最高裁へと上告します。

これも天の法則に基づく流れから生まれた出来事であり、
沖縄県民の反発は政府(本土)の沖縄への心がどんなものであったかを教えてくれています。

自分の視点だけで利益を求めることは様々な弊害を生み出します。
上記2点の事例は僕らにそんなことを教えてくれています。

自分の視点を離れ、「流れ」を見ていくが大切です。
その「流れ」についていさどんは以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡


「わからない」と言ったり、逆に「これだー!」と言ってテンションが上がり過ぎたりするのではなく、高くもなく低くもなく観ていく。その冷静な目で観れるところで展開されるものが、意欲につながるんだよ。そこで安定していられる。


何を持って良しとするか。物理的な結果を一つひとつ追って、それを見て良しとするのではなく、それすらもすべて流れの中にあるのだから、流れを観て良しとしなければいけない。常に流れを観て、次から次へといろいろなことが起きる、そのいろいろなことを紡いで物語として、人生を生きていく。その物語を自分らしく表現していくというところで、良しとしなければいけないんだよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

目の前の出来事に一喜一憂せず、様々な出来事を繋げて流れとして見ていく。
そして、その流れの良し悪しを判断し行動していくと一つの物語が出来上がります。
それが人生に深みを与えてくれるのです。

ただその物語にしても紡いでいく視点によりいかようにも変化していきます。

高度成長時代、人々は物質文明による栄華を夢見ました。
そして、フロンガスやアスベストの存在はその夢を後押ししたのです。
これも一つの「流れ」です。
ですが、物質文明は様々な弊害をもたらすようになりました。
それは一つのメッセージであり、新しい「流れ」の合図となります。
ですが、人類は未だに物質文明による栄華をという夢物語を捨て切れていません。
その延長に新しい技術による環境問題の解決という夢物語を描いていくのです。
この物語は人類の都合から生み出されたもので、そこには現状に対する執着があります。

それは沖縄での米軍基地の辺野古移設も同様です。
沖縄の人がどれだけ反発をしても、政府は「辺野古移設」を貫きます。
そこには「反発という困難を乗り越えて移設を実現する」という物語が感じられます。
奥にある心を見ていくことが大切です。
沖縄に対する想い。アメリカからの圧力。近隣の情勢。政府の都合。
様々な視点がある中、自分の都合で動いているからこそ現状があるのだと思います。

次から次へと起こることを物語として紡いでいく。

そこに自分の都合や感情をのせると、現実はそのように見えるようになります。
そして、自分都合の物語が生まれ、それが「流れ」だと感じるようになるのです。
ですが、その結果は必ず滞りとなって現れます。
その滞りを謙虚に受け止めることが大切です。

「流れ」を見るためには以下2つの姿勢が大切になるのだと思います。

 1、自らの立場や感情を離れて、ニュートラルな姿勢を保つこと。

 2、変化を受け入れること。一つの立場に固定しないこと。

そして、「流れ」の良し悪しを見ていく視点としては以下2つのことが大切になります。
 
 1、すべての出来事を生かすこと。生かして繋がり紡いでいくこと。
 
 2、対立や停滞をメッセージと捉え、それらを超えていくこと。

このような姿勢と視点で自らと世界を捉え、すべての出来事を繋いでいくこと。

そこから生み出される物語が天の物語であり、それは天と人との共同作業です。
人類は天と共にこの世界を創っているのです。
その事実を人類が思い出し天の物語を生きた時、
この世界の動きはダイナミックですべての出来事を生かしたものとなるでしょう。

そして、それは一人ひとりの物語も同様です。
天の物語を生きた時、
個人の物語も世界と同様ダイナミックですべての出来事を生かしたものとなっていきます。
そしてそれは自らの都合を離れた予測不能でオリジナルな物語です。
それを楽しめる心が育まれた時、世界は幸せな心で包まれていくことでしょう。

そんな世界に向けて木の花ファミリーではみんなで心を育んでいます。

国際オゾン層保護デーであり、辺野古違法確認の判決が言い渡された9月16日。
木の花ファミリーでは月に一度の誕生日会が行われ、みんなで楽しみました。
そこではみんなの個性が生き生きと発揮され、みんなで調和した心を育んでいます。
最後にその様子を写真で紹介しますね。













行動基準~死の向こうまで伴える価値を積み上げていく

ふっと気を抜いた瞬間に今までの疲れがどっと出て、身体が重くなる。

僕は時々にこういう経験をして来ましたが、昨日からもそんな感じになっていました。
そして今朝、ともちゃんと会話をしている時、身体が重くなることで、
思考が弱気になっていることに気づきました。

そしていさどんの言葉を思い出しました。
先月、僕が滞りを経験し立ち直った時、いさどんは以下のように語ったのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分というものを内からだけ見ていてはいけません。

外から見える自分と内から見える自分というものが、
自由自在に行ったり来たり出来る状態になることが大切です。
ブログを読んでそれが少し出来るようになってきたことを感じました。


☆彡 ☆彡 ☆彡

内から見える自分、それは自分の感情や感覚に基づいて物事を経験し、判断していくことです。
気を抜いたことで、自分がそちらに引きずられ外からの視点を失っていたのです。

弱気な思考は身体をさらに重くしていました。
そのことに気づいた時、疲れは残っているけれども身体が少しずつ軽くなるのを感じました。

身体の重さ → 弱気な思考 → 身体の重さ ・・・・

今まで自分が時々生み出してきた余計なサイクルを見通すことが出来ました。
身体が重くなったとしても心まで重くなる必要はないのです。
だから次に疲れが出た時はこれまでとは違う展開にしていけます。

癖は内から見える自分に留まることによって繰り返されます。
ですがそこから一歩外に出れば、それを見通し変化していくことが出来るのです。
僕は今、そんなふうに生きています。
だから癖の発見は常に変化へ向けての喜びとなるのです(^-^)

そして、外からの視線にもいろいろなものがあります。

僕は最近、昨年の6月にいさどんと交わした会話を思い出していますが、
その会話には重要な視点が示されています。以下、その内容を紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

いさどんのいただきます人生「死の向こうまで伴える価値を積み上げていく」より転載。

いさどんがなかのんと一緒に出張したとき、
以前ここを離れた元メンバーのことが話題になった。

彼について
いさどんはこう語った。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

彼がまだメンバーだったとき、
交通事故を起こしたでしょ。

その裁判の際、
弁護士を相手にどういうふうに付き合っていくのか。

それから、
弁護士の精神状態だけではなく、
被害者の性質を読み解きながら、
どうやって裁判を進めていくのかという
アドバイスをしていたんだよ。

結論としては、
こちらにとって特別有利に話を進めようとは思っていなかったけれど、
向こうのわがままに乗ってはいけないからね。

そういった正義感も持ちながら、
弁護士がついたからといって向こうの思うままにならないという意味では、
弁護士の精神状態も読みながら話を進めていったんだよ。

最終的にどこに結論が行くのかについては
裁判所が決めることだけどね。

そして、
結果的に当初の話の5%をこちらが勝ち取ったのだけど、
そういったお金の話が一番大切なのではなく、
人と交渉するときの交渉術を大事な学びとして彼には教えてあげたんだよ。

でも、
そういった学びを生かすことなく、
彼はここを離れていった。

結局、
根本の大事を忘れず求めるこころがないとダメだね。

彼は母親に対して、
まったく自己主張ができないのだから。

もし、
学びを生かせていたとしたら、
ここを離れていったときの
あの傲慢な態度はないはずだよ。

結局、
彼からしたらあの裁判は、
単なる数字だけの話になっていたのだろう。

でも場合によってはね、
今ちょっとばかり良い思いをするよりも、
たとえば余分に払ったとしても
それが将来の価値に対する種まきになることもあるんだよ。

つまり、
そういった波動を未来にもたらしているのだからね。

大切なことは、
そこが読み解けるかどうかだよ。

正確に言うと、
読み解くのではなく、
本能みたいなものだよ。

そのときに、
あせってすぐに結論を出そうとすると、
冷静さに欠いているから、
情報を正しく精査できなくなる。

さらに
損得勘定から「損をしてはいけない!」という思惑が働きすぎると、
そういった直観は鈍ってしまうね。

だから、
何かプラスアルファか感じ取れる状態でいることが
大切なんだよ!


そういった学びの位置に立てることすら、
なかなかできないからね。

まずその位置に立って、
その価値を思考することが人にはできないんだよ。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

いさどんの話を聞いていたなかのんは、
「本当にそう思います。

人はなかなかそこに行かないですよね。

ついつい、
結果を求める発想になってしまい、
結果がこうだから良かった・悪かったとなってしまうのです。

そのプロセスをしっかりと観ていって、
そこを味わっていき、
そしてそこから学んでいくことが大切ですよね。

当たり前の日常の中に、
たくさんの学びが詰まっているんですよね」と伝えた。

それを受けて、
いさどんはこう続けた。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

そこがわかると、
すごくダイナミックだよ!

ほんのちょっとのことが、
すごくダイナミックなんだよ!!

世界はね、
とてつもなく深いんだよ♪

そこまで心が通じる人は、
なかなかいないね。

だから、
僕はこの道を歩み始めてから、
ずっと孤独だった。

僕はね、
彼が母親と一緒に来てここを離れるときに、
「彼は今、今まで積み上げてきたものを全て崩して、
彼にとって一番大事なものを失おうとしている。
今までのことは彼にとって一体何だったのだろう?」
と思ったんだよ。

彼は、
「僕の人生の目的は悟ることです!」と言っていたのに、
最後、離れるとなったら、
もともと納得してここで暮らしていたはずなのに、
自分たちの主張だけを通して、
そのときに約束したことすら守らなかった。

彼のこころはぐらぐらしながら、
母親に対してさえ、
「お母さん、僕の話なのだからやめてくれよ」と
伝えることもできなかった。

なかのんは、
経理担当として
あのとき立ち会っていたけれど、
こちらの側にいて、
その柱のない人の姿を見せてもらう立場にいた。

この違いは大きいんだよ!

僕は最後に彼に言ったんだよ。

「よく観ているんだよ。
必ず、この目的は達成するからね。」

そしてこころの中で、

「あなたはその船を降りたんだよ。
そのことがよくわかっているか」と想い、
無言の意志を伝えたんだよ。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


「本当にそうですよね!
こちらの側にいて本当に良かったと思います!」となかのん。

そんななかのんに対し、
いさどんはこう伝えた。


゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

そんなあなたを観ていると、
うらやましいと思うよ♪

うらやましいと言ったら変かもしれないし、
一番誇り高い自覚を持っているのは
自分だと思うけどね。

そこに出会っているなかのんは、
普通の人からしたら
『よくぞ、そこに立てたね!』ということでしょ。

だからね、
そろそろ人々は、
そういった個人的なことを優先して生きることをやめるトキが来ている。

結局、
人間が個人的なことを優先し、
それが70億人集まって、
今のような世界を創っているのだから。

それと、
人間の世界の中で
どんなに優劣を競ったところで
たかだか知れているよ。

そのたかだか知れているところで生きても、
いつか自分が霊的な存在になるときに、
自らの価値を突きつけられることになるんだよ。

これから大切なのは、
つないで、
時代を創っていくことなんだよ。

死の向こうまで理解するものたちが生きているからこそ、
死の向こうまで伴える価値を積み上げていくことができる。

それが人生の勝利者であり、
道を目指すものにとって

一番大切なことだと思うんだよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

死の向こうまで伴える価値を積み上げる。

外からの視点で最も重要なのはその視点です。
それは宇宙の始まりから今に至る時代の流れを感じることであり、
自らの魂の向上であり、社会的評価や利益を超えたものです。

それを一番の大事として生きていきます。

自我が与えられ、それに基づいて生きていく以上、内からの視点は常に存在します。
僕らは内からの視点に基づきこの世界を経験していくのです。
ですが内からの視点は固定したものではありません。
一歩外に出ることにより、内からの視点は自由自在に変化していくのです。

その変化を味わうことは喜びです。
そこからこの世界の無限の可能性へと心が開いていくからです。
僕は今、そのほんの一端を味わっているだけですが、
そこに大きな可能性を感じています。

ところで今、日本の隣国、北朝鮮や中国は軍事行動により世界を騒がしています。

北朝鮮はG20開催中にミサイルを発射し、その後、核実験を強行しました。
そして中国は常設仲裁裁判所の判定を無視し南シナ海の軍事拠点化を進めています。

どちらの行動も外からの視点はなく、内からの視点、自分たちの想いに基づいたものです。
そして、それに対する日本やアメリカの対応も内からの視点、自分達の想いからとなっています。
どの国も自分の視点から外に出ようとすることはありません。
そのためそこには変化が生まれることがないのです。
この状況は多くの人の生きる姿勢の現れなのだと思います。

自らの想いを叶えることを重視し、そこから外に出ようとはしない。

そんな態度で生きていると、癖が繰り返され滞りとなり、人生に本質的な変化は生まれません。
そしてそんな姿勢の人が多いからこそ、その集合体である国々も同じ姿勢となり、
変化は生まれず対立が続くのだと思います。

一人一人が自らの姿勢を変えることは世界の動きへと繋がります。
自らの視点から一歩外に出て、世界に対して開かれること。
そんな姿勢が人々を繋げ、世界を平和へと導きます。
僕は世界の動きも見据えてそんなふうに日常を生きていきます。


人参の間引き。木の花ファミリーの日常の様子です。


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