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僕が他人について語る時、その人以上に詳しく語ることがよくあります。それは客観的な視点から語ることで、より深く多様にその人を描き出し、本人やみんなへ気づきをもたらしてきました。今、みかちゃんとなかのんが僕や僕の言葉について語っています。それは僕の言葉に新たなる彩りを与えています。切り口が変わり、多様な表現となっていきます。一人一人がこのように語りだしていくことで、ここの暮らしは新しいステージに移行し、より豊かな場となっていくでしょう。
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そしてほぼ1ヶ月前、僕は以下の文章を書いています。
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魂は生まれてきて自分に相応しい肉体と出会います。そして、両親に出会い、身内に出会い、友や仲間と出会って行きます。その中で感情が育まれていきます。すべては相応しく与えられる出会いであり、その出会いを通して魂は自分を知っていきます。
僕たちの本来の姿は魂です。肉体や感情は相応しく与えられるものであり、それを通して自分を知る材料であり、だからこそコントロールすることが出来、その変化を通して魂も変化していくのです。
この視点に気づいた時、魂はすべての出来事から離れ、自由となり∞(無限)の可能性へと開かれていきます。∞(無限)の世界の中で魂を成長させていく。それが心磨きです。
この視点は完全にニュートラル(中立・中庸)なものです。なぜなら魂の世界は人間社会の善悪や価値観を完全に超えた世界だからです。それらを超えた価値、あらゆる価値観を超えたニュートラルな価値があり、それを積み上げていく。それが魂の成長であり、心磨きです。
僕は今、こんなふうに感じています。
魂の成長。それはこの世界の本質に気付き、自由になっていくことであり、自らの思惑から解放されていくことです。それは今まで自分が身に着けてきた反応パターンのそぎ落としです。一つのパターンがそぎ落とされた時、自分自身の感情、そして出会う現実が変わっていきます。どんなふうに変わるかは変わってみなければ分かりません。だから、これは思惑を超えた世界であり、変化は自ずから起きるもの、変化を起こすのではなく、変化をいただく生き方なのです。
「出会うことをいただいていく」より
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客観的な言葉。それは切り口により深く多様なものとなっていきます。それがこの世界を豊かにしていきます。木の花ファミリーでは一人ひとりの人生をみんなで共有していますが、それを客観的な位置からみんなで語り合うことで、みんなの人生が∞(無限)に広がっていくのです。
客観的な言葉に至るには、一人ひとりが主観を超えていく必要があります。人は通常、自分の感情を通してこの世界を見て体験していきます。そして、世界を自分の色に染めていきます。それは行き過ぎると「自分」という単色の世界になっていくものです。感情に翻弄されている人の人生は、その人にとってはリアルでも他人からの共感は得られなくなっていきます。ですが人は自らの感情を離れてこの世界と自分を見ることも出来ます。その時、それは客観的であると同時に自分オリジナルなものともなるのです。そんな視点をみんなで混ぜ合わせていく。それがこの暮らしの醍醐味であり、心を磨くことでそれを味わっていけるのです。
コロンビアのサントス大統領は、ノーベル平和賞の授賞式で、対話の重要性を訴えました。「ここは何だろう・・・あれ?!」にも書きましたが、昨年のノーベル平和賞の受賞者チュニジアの国民平和カルテットも対話の重要性を訴えていました。ここ数年、対話の価値がクローズアップされています。ですが、ただ対話をすればよいということではありません。それぞれが自分の主張をするだけならば、いくら対話をしても分かり合うことはないでしょう。チュニジアが問題を抱えつつも民主化に成功しているのは、平和という大きな目的のために、それぞれの団体が自分の立場を超える努力をし続けているからでしょう。今、様々な危機が叫ばれる中、人々は自分の立場を超える努力をし始めています。それは希望ではありますが、受け身の態度とも言えます。危機が解決した際、元に戻るようならば、その態度は再び人類に危機をもたらすでしょう。自発的に自分の立場を超えていく。そのような態度が大切です。それを可能にするのが心磨きです。
魂を成長させ、自らの思惑を離れた時、世界と自分がひとつになっていきます。そうすると自分の変化がみんなの変化となり、みんなの変化が自分の変化となります。そして、それは自ら作り出すものではなくいただいていくものです。
自らの感情を離れて、予測不能の変化をいただき、それを通して世界と自分を知っていく。それは多様で変幻自在な世界と自分です。そのような生き方を多くの人が楽しむようになった時、世界は真の平和に向けて動きだすことでしょう。僕は木の花ファミリーのみんなと心を磨くことで少しずつそんな生き方を楽しめるようになっています(^-^)
行きつく先はきっと世界平和。でもそれは思い描いたものではなく予測をはるかに超えたものなのです。
客観的な言葉。それは切り口により深く多様なものとなっていきます。それがこの世界を豊かにしていきます。木の花ファミリーでは一人ひとりの人生をみんなで共有していますが、それを客観的な位置からみんなで語り合うことで、みんなの人生が∞(無限)に広がっていくのです。
客観的な言葉に至るには、一人ひとりが主観を超えていく必要があります。人は通常、自分の感情を通してこの世界を見て体験していきます。そして、世界を自分の色に染めていきます。それは行き過ぎると「自分」という単色の世界になっていくものです。感情に翻弄されている人の人生は、その人にとってはリアルでも他人からの共感は得られなくなっていきます。ですが人は自らの感情を離れてこの世界と自分を見ることも出来ます。その時、それは客観的であると同時に自分オリジナルなものともなるのです。そんな視点をみんなで混ぜ合わせていく。それがこの暮らしの醍醐味であり、心を磨くことでそれを味わっていけるのです。
コロンビアのサントス大統領は、ノーベル平和賞の授賞式で、対話の重要性を訴えました。「ここは何だろう・・・あれ?!」にも書きましたが、昨年のノーベル平和賞の受賞者チュニジアの国民平和カルテットも対話の重要性を訴えていました。ここ数年、対話の価値がクローズアップされています。ですが、ただ対話をすればよいということではありません。それぞれが自分の主張をするだけならば、いくら対話をしても分かり合うことはないでしょう。チュニジアが問題を抱えつつも民主化に成功しているのは、平和という大きな目的のために、それぞれの団体が自分の立場を超える努力をし続けているからでしょう。今、様々な危機が叫ばれる中、人々は自分の立場を超える努力をし始めています。それは希望ではありますが、受け身の態度とも言えます。危機が解決した際、元に戻るようならば、その態度は再び人類に危機をもたらすでしょう。自発的に自分の立場を超えていく。そのような態度が大切です。それを可能にするのが心磨きです。
魂を成長させ、自らの思惑を離れた時、世界と自分がひとつになっていきます。そうすると自分の変化がみんなの変化となり、みんなの変化が自分の変化となります。そして、それは自ら作り出すものではなくいただいていくものです。
自らの感情を離れて、予測不能の変化をいただき、それを通して世界と自分を知っていく。それは多様で変幻自在な世界と自分です。そのような生き方を多くの人が楽しむようになった時、世界は真の平和に向けて動きだすことでしょう。僕は木の花ファミリーのみんなと心を磨くことで少しずつそんな生き方を楽しめるようになっています(^-^)
行きつく先はきっと世界平和。でもそれは思い描いたものではなく予測をはるかに超えたものなのです。
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