闇からの卒業、そして時代人として

闇からの卒業、そして時代人として

闇からの卒業にあたって 卒業式にあたって、自分の歩む道の方向性をつけるのに、どのような心構えをしたらいいでしょうか、という質問があったので答えます。まず、自分が歩む方向についてですが、自分が思う方向に進めばいいと思います。もし、思う方向が定まらなければ、自分に近い人が教えてくれる方向に進めばいいと思います。その自分が進む方向が決まったら、今度は、それがより健全で正しい道を選ぶことです。この世界にある物事はすべて、必ず善と悪に仕分けることができます。それを比べたときに、必ず片一方が少し劣っており、もう一方が少し優れているというように仕分けられます。それがあまりにも同じようでわからないときには、それを細かく捉えていって観れば、必ずそこでは優劣があるものです。そうしたら、ほんの少しでもいいから優れている方向へ進めばいいわけです。そして、選んでいった結果、最後に残ったところ、それが自分の進むべき道です。 これは「闇からの卒業」であり、「愚かからの卒業」であり、「神様へ進む道」です。 次に、この道を歩む縁をもらったものは、その道には道にふさわしい色々な困難があるものです。そして、それを歩む人には人にふさわしい迷いがあるものですが、この道を歩むものはまず、この道に縁があったことを歓びとして感じていくことが大切です。善いとか悪いとか、そういう判断をするのではなく、この道を歩めることを最大の歓びにすれば、どんなことがあっても、この道を歩むことから外れることはありません。そして、その選び方は、消去法でほんの少しでも光のほうへ、ほんの少しでも善意のほうへ、ほんの少しでも愛のほうへ、ほんの少しでも調和のほうへ、ほんの少しの違いがあってもより尊きほうへ道を歩めば、必ずその道は最後には人の行くべき最終到達地点につながっていることでしょう。 道は、人の目には観えないものですが、心の眼があるものには、その眼が愚かしいを避けて、正しいほうへ導いてくれるでしょう。心の眼を開けるためには、自らの内側にある本当の想いが天のほうへ眼を向けて、天のほうへ向かっていく。まっすぐに向かっていく道を意識したときに、眼はより良く観えるようになります。誰の中にもあるその眼は、全く揺るがないものであるのです。その眼が自らの中にあることを信じ、歩んでいけば、迷うことは全くなくなるのです。そして、過去に自らが迷ったことを思い出して、その迷いの愚かしさ、辛さを思えば、なおさらその真理への道を歩むエネルギーと追い風になってくれるはずです。 迷っているときは、あなたの我が自らをたったひとりにして、まわりのものから遠ざけてしまうものですが、真理への道は必ずまわりのものをしっかりと見出し、助け合い、調和し、歩むように眼を開いてくれます。それは、楽しく希望ある豊かなものになるでしょう。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 今年最後の文章はやっぱりこれを取り上げたいです。この文章は「必死」とは「必ず死ぬ」と書く ~きょうこちゃんの「どこまでもいただきます」物語からの引用ですが、この文章を聴いたきょうこちゃんは以下のように話します。 ☆彡 ☆彡...

一喜一憂しながら一つになっていく

一喜一憂しながら一つになっていく

子宮頸がんで10月26日から12月12日まで病院に入院していたきょうこちゃん。そのきょうこちゃんをお見舞いに行ったいさどんとの会話をようこちゃんがまとめた「必死」とは「必ず死ぬ」と書く ~きょうこちゃんの「どこまでもいただきます」物語には沢山の学びが詰まっています。今回は以下の文章を引用します。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 わたしは「今回、奇跡って何だろう?と思ったときに、『奇跡』はその人の『軌跡』・その人の歩いた跡だから、奇跡をその人にとっての最高の境地だとするならば、奇跡とはそこに至るまでのその人の歩みにしかすぎないんだよね」と言い、いさどんは「それはDNAだからね。DNAは体験したことが記憶してある情報にしかすぎない。だから、自分がぶれなくてもいいんだよ。自分を観て、ぶれていたら、揺れている自分がいるなと思うだけだ。そしてそこをどうしていくかという歩みが一つの生きるエネルギー源になっていく。そのままでいいなら、皆あっさりと向こうに行っているはず。そこにもだえ、苦しみ、抵抗し、そこで何かを掴んで人は成長していく。世の中にはもだえ、苦しみ、抵抗しただけで終わり、学びが一切なく、転げ落ちていく者もいるから、いろいろだ。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 そして、僕は先日、いさどんと以下のようなことを話しました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 3次元世界に暮らしながらも人間は物事を2元的に観ている。それは、出会うこととそれに対する自分の反応で物事を見ているから。それで平面的になっていく。だけれども、その奥にはこの世界を動かしている意志がある。出会うこととそれに対する自分の反応、そしてその奥にある意志。それらすべてを意識した時、この世界を立体的に観ることが出来る。...

それぞれにふさわしい「頂き増す(いただきます)」がある

それぞれにふさわしい「頂き増す(いただきます)」がある

12月24日、木の花ファミリーではクリスマス会&お誕生日会が行われ、みんなで楽しい時間を過ごしました。この日、久しぶりにきょうこちゃんがギターを弾きました。子宮頸がんのため10月26日から12月12日まで48日間、病院に入院していたきょうこちゃん。一時は何度も生死の境を彷徨いました。そのきょうこちゃんが元気にギターを弾く姿にみんなで幸せな気持ちを味わいました。そんなきょうこちゃんの物語が木の花ファミリーブログに掲載されました。 「必死」とは「必ず死ぬ」と書く ~きょうこちゃんの「どこまでもいただきます」物語 きょうこちゃんと木の花楽団のみんな この物語にはたくさんの印象的なエピソードや文章が散りばめられていますが、今回は以下の文章を引用したいと思います。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 こうちゃんは「覚悟がないと、奇跡を起こそうという今までと同じ欲の延長になっちゃう。でも覚悟があって、いつでもいただきますという精神に至って初めて、奇跡を起こす側の立場になるのかなと昨日から思っていた。自分はどうかな?と思いながら」と言い、いさどんは「自分の想いを行動に移してみると、すべてつぶされていくでしょ(笑)。それでもう一回振り返ってみると、想っても仕方がなかったことがわかる」と言うと、こうちゃんは「輸血のことでも、輸血は1回だけだと言われて、僕としたら当然前回と同量くらい輸血するのだと思っていたら、前回の3分の1の500ccだけで、そこでひとつ外れたなと思ってさ。そうすると、自分の中に『あと1リットルくらい輸血してくれるだろうな』とか『なんでそんな話になったのだろうか』という想いが湧く。それで今日の夜中に500cc以上出血したものだから、どんどん手放していけということだと思った。自分では手放しているつもりでも、想いは湧いてくる。だから、一つ一つ現象が教えてくれている」と言い、わたしは「きょうこちゃんの魂が、きょうこちゃんが言葉では一時『すべてがありがたい』と言っても、『本当にあなたはすべてをありがたいと思っているのですか?』と問うてくれたのだと思った。だから昨日、『何かが違う』と伝えてきた。単に輸血して放射線治療を受けて、物理的に一時安定してそれでよかった、という浅いところではなく、魂の価値のことを教えてくれていた。ありがたいにしても、どんどん深みが増していく」と言った。 きょうこちゃんは「さらに自分の想いを本当になしにしていくというかね。いただいているつもりでも、まだいただいていなかったり、そういうことを日々学んでいると思う」と言い、こうちゃんは「本当に不思議だよな。だからといって、考えなくていいというわけではない」と言うと、いさどんは「それが生きているということだ。だから、生きているということは、あるものとコミュニケーションをとっているということ。この世界にはあるものというものがあるんだよ。秩序として、厳然たる不動のものがね」と言った。 さらにこうちゃんは「数日前から思っていたのは、どこまで行っても深くなる一方だから、どこまで行ったらということはとりあえず肉体を持っている限り、ない。感謝でもいただくでも、どんどん奥がある」と言うと、いさどんは「ということだ!わかったか(笑)。結論は何もわからん」と言い、わたしが「それがこの世界の実体だものね。人間にわかっちゃいけないんだよ」と言うと、こうちゃんは「生まれたときから死ぬときまでぜんぜんわからないことの連続だから」と言い、わたしが「生きているということはわからないことがわかるということ」と言うと、いさどんは「わかるを自分の側に置こうとするからいかんのだ。やはりいただいていく精神だ」と言った。 こうちゃんは「深いね。だって、探求してわかろうと思う想いがなかったら、ここには至らないしさ、けど・・・」と言うと、いさどんは「わかろうと思って、わかったら違うんだよ」と言い、もう言葉では表現できず、どうでもよくなる、という結論に至った。きょうこちゃんも「深いね!」と言い、いさどんは「生きていても死んでいてもいいんだよ。この間ここへ来たときは『死んでいる場合じゃないぞ!』と言ったけど、そんなことはどうでもいいんだよ」と言い、こうちゃんは「もしかしたら次の計画を先に練りだしているかもしれないし(笑)」と言い、いさどんは「『おまえ、こっちで手が足らんから早く来い!』と言われているかもしれない(笑)。それで行ってみたら、なんてことはない、こっちよりももっと親しい人たちがいたりしてな。『あっちに囚われている場合じゃなかった!これがわかっていたら早く来たかった!』ということになるかもしれない」と言い、皆で笑った。 最後にこうちゃんは「なかなか病院で笑っている人たちはいないよ(笑)」と言い、きょうこちゃんは「ほんと、ほんと!死ぬかもわからないけれど、面白い人生をもらっているなと思ってね。だって、この間せっかく血が入ったのに、もう全部出ちゃったもの!」と言うと、みかちゃんが「木花咲耶姫様のモットーは潔く生きて潔く散るということだからね」と言い、いさどんは「その散り際の美しさが木花咲耶姫の個性だ」と言い、皆で病室の窓から雪の王冠をかぶった美しい富士山を見た。きょうこちゃんは「一言では言えないけれど、良い時間だった!どこまで覚悟ができているかはわからないけれど、もう何度もそういう場面が来ているから、ある意味覚悟はできているなと思う。そこまで腹をくくっちゃうと、面白いな。ありがたいとかいただくことの深みを日々学ばせてもらっているな」と言い、いさどんは「ありがたいも深みがあるんだよ。『いただきます』だから、いただき(頂き)・・・頂上まである」と言うと、みかちゃんは「頂き増す!どこまで行っても頂きが増していくんだよ」と言い、こうちゃんは「登山に終わりはないってことだ」と言い、皆で拍手して病院を後にした♪ ☆彡...

みんなの中でよみがえり生きていく(2)

みんなの中でよみがえり生きていく(2)

12月18日(日)は月の一度の自然食レストラン「恵みいただきます」の日でした。メニューは12月ということで、★メリークリスマス・スペシャルプレート★でした。そして、僕は例年通りトナカイとなって売店でお客様をお迎えしていました。 「恵み」当日。サンタさんたちと記念撮影です。 クリスマスと言えば、イエス様です。僕はイエス様のお話については以下のように考えています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 多くの人々に救いをもたらしたイエス・キリスト。イエスは処刑されますが、予言通り3日後に復活します。僕は常々、イエス・キリストの死と復活については、心の成長過程のモチーフになっていると思ってきました。イエス・キリストはすべての人間の罪を背負って磔(はりつけ)にされ、命を落とします。人間の罪とはすなわち「自我(エゴ)」だと思うのです。自我の元、人間は自らの欲望を叶えようとし、世界に働きかけます。その結果が今の社会であり、環境問題、経済格差、人種差別、民族紛争など様々な問題を生み出しました。イエスの死は、問題を起こしてきた自我の死を意味します。自我の死とは自意識を捨てることであり、自分視点を離れることです。その体験は人に恐怖を与えるのかもしれません。執着の感情が湧き上がるのかもしれません。ですが、自我の死、自意識を手放すことは人間に新しい可能性をもたらします。磔にされ肉体の死を迎えたイエス・キリストは、3日後に復活するのです。それはイエスの魂の復活であり、それ以後、イエスは人々の中で再生し、今も世界を見まもり続けています。人が自意識を捨てる時にも同じようなことが起こります。自意識を捨てる時、人は今まで囚われていたものから解放されます。その時、人は、自分(自意識)が知らなかった自分と出会います。思いもよらない感情や能力が湧き上がってくるのです。そしてそれは波動となって世界に広がり、人々の心に伝わっていきます。自意識の元、自分の中だけに留まっていた心、感情が動き出し他の人々の心の中に入っていくのです。そして、その心は人々の心の中で生き続けます。自分の魂が肉体を超えてみんなの中で生きていく。自意識を超えた時、そんな生き方が可能となるのです。木の花ファミリーの生活は自我を手放す生き方へとみんなを導いてくれます。多くの人と共に暮らす生活では、調和の心が何よりも大切になります。自分だけの都合で動くことは、軋轢が生じるきっかけとなります。毎日の生活の中で、現象を通して、自分を知り、自意識を手放していくことが出来るのです。そして、自意識を手放し空っぽになった自分の中には、みんなの心が入ってきます。個性豊かな人々の心によって自分が創られていくのです。こうなると成長の可能性は無限大となります。出会う人々、出会う体験が自分を創っていくのです。それがどんなものになるかは自分の想像をはるかに超えることです。人生はまさに道(未知)への旅です。わくわくします(^-^) 「みんなの中でよみがえり生きていく」より ☆彡 ☆彡 ☆彡 上記は2年前、2014年の12月に書いた文章です。文章を読んであらためてこの時期の自分の心がクリア(明晰)だったことを感じます。その後、2015年の夏から秋に掛けて自分の自我(エゴ)が浮き彫りになり、その後もいろいろありましたが、今はそれらの体験を活かし深みを持ってあの頃の明晰さを取り戻していると思っています。 ところで、僕は今年の8月いさどんから以下の言葉を貰っています。 ☆彡...

願いを叶えるのではなくただ探求していく

願いを叶えるのではなくただ探求していく

同じ法則が貫いている 第二次世界大戦中、レヴィ=ストロースはフランス軍兵士として戦場に赴きます。ある日、塹壕に入ってぼぉっと景色を見ていたところ、たんぽぽの花に目が留まります。そして美しい秩序を持つたんぽぽの花を見つめるうちに構造の考えを思いついたのです。自然界の秩序と人間の思考の秩序は本質的に同じではないのか。宇宙の運動の中から地球が生まれ、地球に生命が発生し、脳が創られ、そこに精神があらわれます。自然界の中から生み出される精神の構造と自然の構造。レヴィ=ストロースはどちらも同じ構造を持つと捉えます。そして、人間の精神を構造という視点で科学的に分析したのです。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 上記は、名著de100分『野生の思考』からの言葉です。人類学者のレヴィ=ストロースは未開社会と言われる人たちと共に過ごす中で、その社会に高度な文化を見出します。それは近代科学や合理的思考によって発展してきた欧米社会の奥にも共通して流れているもので、その構造を描き出し蘇らすことで人類の未来が開かれると考えていました。 言葉は違っても、木の花ファミリーでもいつも同じようなことを語り合っています。例えば、いさどんブログ「円が縁を紡ぐ〜人間からヒトへ」にていさどんは以下のように述べています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 なぜ生命が生まれたのかというと、世界があるからだ。この世界は生命そのものであり、それを立証するために三次元生命が生まれた。その三次元生命の発生の元となっているのが縁であり、縁とはこの世界の秩序をつなぐもののことを言う。 〜 中略...

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