生活を通して心を学ぶ

1月10日~12日まで。木の花ファミリーでは大人サミットが開催されています。

大人サミットの「大人」とは、年齢に関係なく、「大きな精神」を持つ人を意味します。
 自らの意識が世界を創造している、という自覚と責任を持ち、個人の枠を超えて、他者のため、地球全体のために生きる人 ─── それが真の「大人」です。

そんな大人として生きていくのはどういうことか?
サミット初日、いさどんは、語りました。
(以下の文章は、いさどんブログ『大人として生きていく』の要約です。

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今、日本の財政は自己破産状態にありますが、政治家や企業の経営者たちは、子どものように分別がなく、社会を一方的に物・金の価値観に誘導しようとしています。そして、人々の心は、物やお金に依存するようになっています。世界観が狭く未熟で、他の生命のことを考えない、ひとりよがりの生活をしている状態です。
本来、人間の優れた能力は、この世界の中で自分たちのポジションを悟り、世界に貢献していくためにありました。ですが、今の人間は、傲慢になり、自然を思うようにコントロールしようとし、このままでは宇宙にさえも、愚かな行為をもたらしかねない状態です。今、人類はタイムリミットを迎えようとしています。それは天盤の巡りや文明周期説からも見えることで、今の文明の成り立ちは終末を迎える段階に至っているのです。ここにおいて、人類が、現状を客観的に捉え、自らの中から変革を生み出し、新しい時代を迎えるのか?それとも、この世界によって人類が淘汰され、次の世界へ移行していくのか?今はそのターニングポイントにあります。
今、太陽の黒点の活動が変化してきています。それを受けて、地球のマグマが活動期に入り、地震や火山の噴火などの自然災害が起きようとしています。そこに人為による気候変動もプラスされるのです。生命すべての元は太陽の光にあります。黒点の活動の変化は、太陽の意志の顕れであり、人間の活動にNOを示していると取ることも出来ます。このような捉え方で地球上に起きていることを判断することが、天の声を聴くことになるのです。
大人の「オ」をカタカムナでひも解くと、上下前後左右の6方向に拡大・縮小するという意味になり、大人の視点から天を捉えると、天とはこの世界すべてとなります。この構造を理解し、生命のプラスとマイナスのエネルギーのバランスを秩序良く保つこと。それが健全な大人が生み出す社会です。このサミットをきっかけにし、大人としての意識に目覚め、天とは何か?地とは何か?生命とは何か?自分とは何か?生きるとは何か?ということを理解し、生きていきましょう。

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大人サミットでは、天の声を聴くこと。そのための柱を一人一人が立てることがテーマとなっています。

11日の午前中。大人サミットの参加者も交えて、どんと焼きが行われました。書初めや門松を燃やすことで、無病息災、世界平和などの願いを天・潜象界(ない世界)に還しました。以下、その様子を写真で紹介しますね。




点火前に集合写真を撮りました。



お神酒で乾杯です。

火を点ける前にみかちゃんが「おいわいえ」を歌っています。
着火されました。富士山を背景に煙が浮かび上がります。





みんなで歌を歌いました。






お餅を焼いています。
お食事前のお祈りです。







みんなでカタカムナ63首を歌っています。

木の花祭りの舞「四つ舞」です。

参加者の中には「みくさのみたから」を学ばれている方がいました。そして、その方がリードし、みんなで「みくさのみたから」を踊る時間も持ちました。






そして、この日の大人ミーティング。どんと焼の際、踊りをリードした方から「みくさのみたから」を木の花で取り入れては?という提案を受けました。僕はそれに対して、自分たちが心を大切にしていること。手法を重視していないことなどを伝えましたが、伝えたいことを充分には伝えることが出来ませんでした。どうしたらよいのか?思案しているところ、いさどんが語りだしました。

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あなたは「みくさのみたから」に出会ったばかりで新鮮に感じているように見えます。そして、まだ理解は浅く本質までには至っていないのではないでしょうか?そういう状態で、「みくさのみたから」を所有しているのです。人は本質を理解した時、そのものを手放し、流れに委ねることが出来るのです。あなたは今、新鮮な気持ちから伝えたい、広げたいという気持ちが強くなっています。それはニュートラルな状態ではありません。その気持ちから伝えようとする時、きっと抵抗に出会うこともあるでしょう。それはあなたにとって自分を知る機会となります。

主催者の飯田茂実さんがやっていることを聴きましたが、時代の寵児になっていることを感じました。「みくさのみたから」はとても速いスピードで広がっています。そこから浅く広がっていることが推察されます。このまま広がっていくと、飯田さんは大変になるのではないでしょうか?

私たちは、生活を通して心を学ぶことを基本としています。手法は大切にしていないのです。例えば、健康についてですが、私たちは「健康になる」ことを大切にしていません。健康は結果いただくものです。不健康は自分自身の状態を教えてくれる有難いものなのです。それを手法で直してしまうと、その問題をいただいたことを生かしていくことが出来ません。常に心を学ぶこと、緻密に見ることがベースにあるのです。それを基本として出会いや縁を大切に取り入れるものもあります。例えば、カタカムナ地球暦がそれに当たります。そして、一度取り入れたならば、僕たちはそれを深く追求していきます。

「みくさのみたから」については今のところ分からないというのが正直なところです。どちらにしても、今のあなたが持っている「広げたい!」という気持ちに私たちが乗ることはありません。もっと奥に大切にしているものがあると思うのです。そこは共有することが出来たらいいと思っています。

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天とはこの世界のすべて。この世界に起きるすべての出来事は天からのメッセージです。そこから心を見詰めることは、自分を知る機会となります。いさどんはそのことを上手に伝えてくれました。もし、いさどんの話がなかったら、この方には「自分の提案が断れた、気持ちが伝わらなかった」という残念な気持ちだけが残ったことでしょう。自分の力量不足を感じましたが、良い学びの機会ともなりました。人に大切な心が伝えられるように今回の経験を生かしていきます。

他の参加者の中にもいろいろな心の動きが起きています。大人サミットは今日の昼までです。どんな変化が生まれるか?それがこの世界になにをもたらすか?とても楽しみです。



人生の意味をひも解いていく

1月7日、フランスの風刺週刊誌「シャルリエブド」本社にて、3名の男が銃を乱射し、12名の犠牲者が出る事件が起きました。その追悼集会が各地で行われ、この事件を「表現の自由に対する挑戦」とし怒りを露わにしているようです。「私はシャルリー」怒る10万人 仏新聞社襲撃、各地で追悼集会


表現の自由は当然守られるべきもので、暴力やテロは絶対に許されません。それはその通りなのですが、表現する側も、表現の目的を吟味する必要があるのではないでしょうか?シャルリエブドの風刺画は何のためになされているのでしょうか?

シャルリエブドは、過去にもイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載しており、イスラム団体に非難されてきていました。そして、2011年には火炎瓶が投げ込まれ事務所が全焼しています。その行為は許されないものですが、相手をそれだけ怒らせているのも事実です。風刺画は相手の嫌悪感を押してまで表現しなければならないものなのでしょうか?

表現の自由を守らなければならない

それは確かでしょう。ですが、それだけが大儀名文になり意地の張り合いになってはいないでしょうか?この状態で、この先、解決の見通しはあるのでしょうか?


シャルリエブドは来週号を100万部発行する予定のようです(銃撃事件の仏週刊紙が来週号発行へ、部数は30倍の100万部)。編集長が命を落とす中、発行を続ける努力は素晴らしいと思います。ですが、そこに今回の犯行に対する対抗意識があるとしたら、それは更なる悲劇へと繋がる可能性を持ちます。憎しみや悲しみの連鎖となって現れるでしょう。

今回のことで容疑者をしっかり断罪するのは当然です。
ですがそれと共に、シャルリエブドの方も他者の気持ちを逆なでる風刺を控えることを明言する必要があるのではないでしょうか?それがバランスの取れた姿勢だと思います。

表現の自由を守ることは正義です。ですが、正義も振りかざすことになれば、暴力となります。追悼集会で怒りを表明する10万人の群衆。それは未熟な群集心理の現れなのではないでしょうか。群衆心理は(1)感染する (2)過激に走りやすい (3)衝動的である という特徴を持ちます(群衆心理については、「コミュニティの仏陀 ~個性豊かな人々の集まり~」も参照して下さい)。多くの場合、群集心理は思考停止をもたらし、世の中を混乱させます。実際に今、事件への報復と見られる襲撃が相次いでいるようです(焦点:仏銃撃事件で炎上か、イスラムめぐる欧州「文化戦争」)。憎しみの連鎖を断ち切るように。一人一人が群衆心理を超え、客観的な位置からこの出来事を見詰め、そこから学べるようになることが大切です。

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ところで、1月8日の大人ミーティングで、僕たちは群衆心理について話し合う時間を持ちました。
いろいろな人がそれぞれ思うことを言う中、みほちゃんから「動物の群れ」と「群衆」の違いという話題が出ました。それを聞いたいさどんは面白い着眼点だねと言い、みんなに意見を求めました。
そして、出てきた意見としては以下のような感じでした。

【野生動物の群れの特徴】
自然の摂理で動いている。思惑を持たない。個が全体のために動き、全体が個のために動く。
種の保存のためにエネルギーを使っている。お互いに生かし合う役割から逸脱することはない。
危険などに対してセンサーが正確に働いている。

【群衆の特徴】
思惑を持つ。個体の保存のためにエネルギーを使っている。選択の幅が多く、役割から逸脱する。
危険などに対してセンサーが働かない。

出てきた意見はどれもそれなりの両者の特徴を掴めているものです。ですが、それぞれが意見を言っているだけという状態で場は纏まりませんでした。そんな状態で話題が、「ミーティングでの学びを日常に生かす」というものに変化し、そして、また動物の群れと群衆に戻って・・・というようにし締まりのない場となっていきました。そして、そのままその日にあった出来事へと話題が移っていったのです。

黙ってしばらく様子を見ていたいさどんは、この状態について以下のように言いました。


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発言していくことがテーマの人がいて、その人たちが発言していくことは良いことだと思います。だけれども、場を収める役割の人たち、そこまで成長している人たちもいるはずです。そんな人たちがこの場で機能していません。野生動物の群れと群衆の違いですが、動物は本能でいのちを繋いでいます。自然から外れることはありません。その一方、人間は思惑で動いています。自然界から外れることで、群集心理の特徴が出てくるのです。その人間が再び、自らの意志で天と共に進んでいく。そこにこれからの人間の姿があり、その点を確認することが大切なのです。ですが、先ほどの場は、このポイントを共有することなく、ダラダラと意見を述べている状態でした。それでは良い場になりません。

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この時の自分の心境を振り返ると、2点反省するべきところがありました。最近BLOGに大人ミーティングの様子を紹介することが多くなり、「記録に残す」ことを意識するようになっていました。この時も意識がそちらに行き「場を創る」意識が疎かになっていました。これがまず1点目の反省点です。そして、僕の中には余計な思い込みもありました。この話題について、いさどんが深遠な答えを用意しているという思い込みです。みんなからある程度意見が出た後、深く長く語り出すだろうと思っていたのです。そのため、それを待つ姿勢になり、自分で場を創っていく姿勢が欠けるものになってしまったのです。これは自分の中の依存心の顕れで、こういう心が群衆心理に繋がり、場を停滞させ、つまらないものにするのだと思いました。これが2点目の反省点です。

この後、いさどんの話は、様々なことに及びましたが、その一つに「人生の意味をひも解く」というものがありました。


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この近くには、大鹿窪遺跡がありますが、これは13,000年前のものです。13,000年前はカタカムナの時代であり、現在になり、この場にカタカムナがやって来ています。その意味するところはなにか?りょうちんは今、鬼の面に魂を入れていますが、それは花祭りをここに定着させるためのもので、とても重要なことです。花祭りの自分たちの企みでやっているわけでなく、天意により、この場にもたらされたのです。そして、上条千居にも遺跡(4000年前)があり、僕らはそこで蜂を飼っています。不二阿祖山太神宮にも一昨年の11月に出会いました。これらすべては繋がっていて、出来事や出会いを通して、僕たちは天意のひも解きをしているのです。

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この話を聴き、僕は今の自分をあらためて大いなる物語の中に位置づけることが出来ました。

学びを知識だけのもので終わらせず、実践の中でそれを確かめる。それが僕たちの暮らしの醍醐味であり、僕は上記の反省を生かし、具体的な行動に繋げていきます。1月9日の大人ミーティングでは、ともちゃんが「昨日の学びをみんなは生かしているのか?」と投げ掛けることで、場がシーンとなるということがありました。こういう時は、身体が固くなるものです。そうなると全く発想が降りて来なくなるので、とにかく身体をリラックスさせようと腕を振り回したりしながら、その場に臨みました。他の人も場を創ろうと努力をしています。今、木の花祭りの鬼の面を創り、そこに魂を入れているりょうちんや大人サミットの準備をしているみかちゃんが、昼間にいさどんと話したことをシェアすることで場を創っていってくれました。そして、それに「乗っかる」形で他の人も場創りに協力していきます。そんな中、僕も以下のように自分の気持ちをシェアしました。

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昨日、動物に群れと群衆心理が話題になった時、僕は、その場を収める努力をしませんでした。こんなことではBLOGを書いてはいけないなと思いました。なぜなら、BLOGで書いていることが言葉だけになり、実態が伴わないものになるからです。だから書けるように自分を創っていく必要があります。

昨日のいさどんの言葉で印象に残っているものがあります。それは「人生のひもを解いていく」というものです。僕たちは木の花ファミリーで暮らし様々な出来事に出会ってきました。それらの出来事は天意の顕れであり、それを通して天意をひも解いて来ました。そして、それはここに集まる一人一人についても言えて、ここで出会う出来事を通してそれぞれの人生の意味を知っていくのです。人生の意味を知ること、それが生きる醍醐味であり、僕たちはそれを通して宇宙の神秘に触れることが出来るのです。

1月7日、フランスの風刺週刊紙「シャルリエブド」本社が襲撃される事件がありました。それに対して、フランスの人々は「表現の自由を守る」ために戦おうとしています。これは人間が考えた正義のための戦いであり、お決まりの物語の一つです。熱狂することでお決まりの反応パターンの中に組み込まれていきます。一方、テロリストたちにも正義があり、それは例えば虐げられた歴史に対する反抗であり、彼らも自由のために戦っています。そして、これもお決まりの反応パターンと言えるでしょう。このお互いに相容れない反応パターンに基づき世界は混迷を極めています。

これら反応パターンの奥に天意があり、お互いに対する理解があります。自分が今この瞬間この場所にいることの意味があります。それは自分を手放し出来事をいただく姿勢になった時に観えてくるものです。これこそ人類の未来に必要な生き方であり、僕たちはその実践をしているのです。

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その後、ともちゃんが再びみんなに「学びを活かせているか」を問い掛け、最後にいさどんが話を纏めてくれてこの日のミーティングは終わりました。コミュニティの仏陀は、一人一人が天と繋がり、直観を生かして主体的に行動し、お互いを生かし合う中で生まれます。コミュニティの仏陀を目指して日々、楽しみながら心磨きを続けているのです(^ー^)


こんな未来の暮らしについて共に学びたいと思った方。
是非、前人未到の“ありえへん”プログラム・木の花塾『一ヵ月間の真学校』にご参加下さい。

みかちゃんが描いたイラストです。


以下、1ヶ月間の真学校の案内です。


【日程】
2015年2月15日(日)〜3月14日(土) 28日間
 
【場所】
木の花ファミリー
静岡県富士宮市猫沢238−1
 
【対象】
■ 自分を変えたい人
■ 世界を変えたい人
■ 今の世の中をどこかおかしいと感じながら、どうすればよいかわからずにいる人
■ 自分は何のために生まれてきたのかを知り、真に人生を謳歌したい人
■ この星に生きる人 すべて

 
【内容】
すべての出来事は、目には見えない大いなる時代の流れから生まれています。
目の前で起きている現象だけを捉えれば問題ごとに思えることも、その背後にある、この世界を生み出す側の視点に立った時、それはまったく違った意味を持って見えてきます。そして、壮大な時代の流れに沿い、人として生まれてきた役割を果たすための叡智が湧いてくるのです。
古い時代の知識が、その叡智が湧くことを邪魔しています。
「1ヶ月間の真学校」では、固定概念を打ち破り、宇宙全体を俯瞰するマクロの視点と、日々の出来事を丁寧に分析していくミクロの視点の両面から、自分という存在を紐解き、人がこの世界で生きることの本当の意味を知る旅をします。
そして、木の花ファミリーメンバーと実際に生活を共にしながら、一人ひとりは不揃いな人たちがなぜ調和して共に幸せに生きることができているのか、その秘訣を実体験を通して身に付けていきます。それは、間違いなく、様々な困難が待ち受けるこれからの時代を生き抜くために大切なことだからです。
講座は「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多岐に渡り、下記にその一例を記載していますが、プログラム内容は固定されていません。受講生の皆さんと木の花ファミリーの双方向の掛け合いにより、その時、その場で、もっともふさわしいものが提供されていく、誰にも予測不可能なプログラムです。
あなた自身が創りあげるオリジナルの、世界に二つとない学びです。
  
【1日の流れ】
140307-121701
7:30  朝食
8:30  午前の講座(途中休憩あり)
12:00 昼食・昼休み
15:00 午後の講座(途中おやつ休憩あり)
17:30 入浴
18:30 夕食
20:30 大人ミーティング(自由参加)
*時間は日によって変更があります。
*毎週日曜日は休講日となります。
*講座は座学と実習を織り交ぜ、農作業やキッチン、子育てなどを自由に体験する「生活体験」の時間もあります。
  
【講座例】
140228-144326
天然循環法の畑作・稲作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/カルマ読みと地球暦/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造味噌作り/創造性と芸術/カタカムナ/性と宇宙/自然再生と災害復興/持続可能な心の持ち方
*その他、お誕生日会や子どもたちの卒業パーティー、地域の方に向けた食事会など、イベントも盛りだくさん!豊かなコミュニティの暮らしをリアルに体感してください。
  
【サポーター指名制】
受講生には当初、木の花ファミリーが選抜したメンバーが日々の暮らしをサポートする“サポーター”として一人ずつつきますが、滞在に慣れてきたら、直感で「ピン」とくる別のメンバーをサポーターに指名することもできます。メンバーとの相部屋も可能です。
20代から70代まで、多彩なメンバーたちがあなたの学びを全力でバックアップします!
  
140322-162058
【4つの特徴】
■ 実践的な学び
多彩な講座を、創立から20年間ひたすら実践の道を歩み続けてきた木の花ファミリーという現場で学ぶことで、机上の論理では終わらない、実践的な学びをリアルに体験できます。
■ 生涯の仲間
これまで知らずにいた本当の自分自身と出会う日々の中で、喜びも悲しみも分かちあい、真に互いを想いやることを共に学んだ塾生たちは、強い絆で結ばれた生涯の仲間となります。
■ 継続的なサポート
講座終了後も、より良い未来を共に築いていくパートナーとして、木の花ファミリーは継続的に塾生たちをサポートしていきます。
■ 共に進化する場
「1ヶ月間の真学校」は、常に進化し続ける学びの場です。その進化の過程に参加し、塾生自信も進化しながら共に場を創り上げていけるところが、このプログラムの最大の醍醐味です。
  
【講師】
■ 古田偉佐美(宇宙おじさん/NPO法人ぐりーんぐらす代表理事)
■ 嵯峨美雅子(宇宙講義プレゼンテーター/木の花楽団ボーカル)
■ 北尾晃一(天然循環百姓)
その他ファミリーメンバーが講師を務める他、下記の方々をゲスト講師としてお迎えする予定です。
■ 芳賀俊一(カタカムナ研究家)
■ 平井健之(ヒプノセラピスト)
  
140315-172723
【定員】
15名
*定員になり次第締め切りとさせていただきます。
お申込みはお早めにどうぞ!
  
【参加費】
収入に応じたスライド制になっています。
(自己申告制)
① 年収400万円以上 22万円
② 年収200万円以上 20万円
③ 年収200万円未満 18万円
*参加費には、受講料、宿泊費、食費、保険料等一切を含みます。
*分割払いをご希望の方はご相談ください。
 分割の場合にも、講座開始までに全額を納入いただく必要がございます。
  
【お申込み】
下記のお申し込みフォームよりお申し込みください。
→ 「1ヶ月間の真学校」へのお申し込み
  
【お問合せ】
ご不明な点は、下記までお気軽にお問い合わせください。
電話:0544-66-0250(担当:池谷)
メール:konohana-jyuku★konohana-family.org

コミュニティの仏陀 ~個性豊かな人々の集まり~

今年は戦後70年ということで安倍首相は終戦記念日に談話を発表する予定です。その談話について、伊勢神宮を参拝した安倍首相は、年頭の記者会見で、「(戦後50年の)村山談話を含め歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいく」と表明しました。(Yahooニュース参照)

村山談話は、戦後50周年(1995年)の終戦記念日に出されたもので、日本の戦争責任を認め、それを反省し謝意を表明しています。そして、独善的なナショナリズムを排し、唯一の被爆国として世界平和に貢献していくことを誓うものとなっています。

天皇陛下も新年の感想で、先の戦争が満州事変(日本陸軍による南満州鉄道の爆破)から始まっていることに触れ、歴史から学ぶことの重要性を伝えています。(「天皇陛下のご感想」平成27年

一人一人が、歴史から人間の闇を学び、平和な社会へと繋げていくことが大切なのです。

ところで、木の花ファミリーでは1月4日(日)、サンデーモーニングの特集「”群衆”と戦後70年」をみんなで観て、みんなで語り合いました。この時話し合った内容については、みかちゃんBLOGに上手に書かれているので、そちらをお読みください。

群集心理の時代から個々の目覚めの時代へ -宇宙の秘密みかこのブログ

ここでは少し違う視点を提供出来たらと思います。

l  在日コリアンに対するヘイトスピーチ(日本)
l  イラクやシリアで勢力を拡大するイスラム国(80ヶ国 15,000人以上が参加)
l  民主的選挙を求めてデモを続けた香港の学生(最大10万人以上集まる)
l  スコットランドの独立運動(イギリス)
l  カタルーニャ地方の独立運動(スペイン)
l  極右勢力による移民排斥デモ(ドイツ)
l  白人警官による黒人射殺をきっかけにした黒人デモ(アメリカ)


今、世界各地で群衆の動きが頻発しています。この番組では、群衆の動きから、現代の世界や日本で起きている様々な問題~環境問題、貧富の格差、地域紛争など~について考えていました。

群衆については『群衆心理』(著者:ル・ボン)を参照し、以下の9つの特徴を掲げています。

(1)感染する (2)過激に走りやすい (3)衝動的である (4)暗示に弱い
(5)時に高い徳性を示す (6)国民も群衆化する (7)反復・断言に弱い
(8)群衆は同一化する (9)群衆は服従する

市民革命を経て、民主主義が浸透していく中で、群衆が歴史を動かす時代となっていきます。ですが、その心理はいまだ未熟であり、同調の心理が働き、指導者に服従する状態となっています。それは今の社会の混迷を生み出している要因の一つでしょう。

群衆は群衆心理を超えた集団になる必要があるのです。


デカルトのこの言葉により、人(精神)は、身体(物質)を自分から切り離し、分析対象とするようになります。そして近代科学が生まれ、物質生活を豊かにしましたが、精神は荒廃していきます。身体との繋がりを失った精神は世界との繋がりを失ってしまったのです。そして世界とは神そのものだから、神の存在も見失うことになります。ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で「神は死んだ。私たちが殺した」と語ります。そして、その後時代が下り、虚無や人間疎外などの言葉も生まれるようになります。この状態が群衆の心理にも影響しているのだと思います。世界との繋がりを失った人々は、不安定なため同調し服従する必要があるのです。

自らの身体感覚を取り戻し、天に心を向ける。

それにより世界との繋がりを取り戻し人は安定します。安定した人と人との繋がりが、新しい集団を生み出すのです。コミュニティの仏陀を目指す木の花ファミリーは、日々そうなることを心掛けていますが、まだまだ足りない状態にあります。日々の暮らしの中で、考えずに他人と同調すること、誰も意見を言わずに場が固まってしまうこともあります。

では、どうすればよいのでしょうか?

一度、木の花ファミリーを離れ戻ってきたかとけんは、以前と比べて、重たい場でも自由に発言が出来るようになっています。何が変わってきたのか?かとけんは以下のように話してくれました。

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かとけん(大町ビレッジにて)
自分はもう固まるだけ固まった。もうこれ以上それをする必要はない。一昨年の10月、木の花ファミリーを離れた時は、自分はもう終わったと思った。どん底の体験をした。あの頃は、意識が全部、自分に行っていた。なんとかしようとしてもどうすることも出来なかった。でも今は違う。場が固まっている時でも、この場を面白く展開するためのシナリオが自然と湧いてくる。気持ちが内にこもらずに、とてもフリーな状態。自分に囚われなくなっている。

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かとけんはどん底を知ることで余計なプライドを手放したのだと思いました。そして、自分に対する囚われが弱まり自由になっているのでしょう。デカルトの「コギト(我思う)」は人間を世界から切り離すだけでなく、自意識過剰な状態ももたらしたのかもしれません。それを克服することも大切な要素なのだと思いました。

※かとけんはファミリー通信Vol.79に登場しています。是非、こちらもお読みください。


さて、1月4日は帰省していて木の花ファミリーにいないメンバーも多くいました。そこで、昨晩あらためて「”群衆”と戦後70年」をみんなで観ました。以下はその後のいさどんの話です。

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今の時代になぜ群衆心理について考える必要があるのでしょうか?例えば、コマーシャルを観て下さい。それは完全にマインドコントロールの手段となっています。コマーシャルにはメッセージが巧妙に入っているのです。美しい映像、例えば、幸せな家庭の映像が流れます。そこではみんなが笑顔で楽しそうにしています。それを観ていると、家を買いましょうということが言われます。ローンを組みましょうと勧誘が始まります。ローンは一生の話。一生、お金に縛られるようになります。お金を使いましょう。お金を使って幸せになりましょう。次から次へとそのようなメッセージが流れてきます。テレビを観ていて思考が停止している状態では、誘導されてしまいます。そこに何の罪も感じないでしょう。僕たちはここにいて、今の経済や環境問題について理解しています。テレビで魅力的な商品が紹介されていたとしても、それが世界に与える影響を知っています。だから、自分の心をコントロールしています。今日、花祭りの練習を観ていて、あらためてここの暮らしの豊かさを感じました。この生活は世の中の流れに翻弄されていません。独自の歩みを続けています。他にこのような場所はないのではないでしょうか?

安倍総理は年頭所感で、「輝かしい日本を取り戻す」と述べています。まだ経済成長を夢見ているのです。今は厳しい時代です。環境破壊は深刻で、生活を根本的に変えなければならない時が来ています。文明周期説で見ても今は大きな変化の時です。それは一人一人が自分で考え、人間の尊厳を考えて生きて行く時代で、価値観は完全に変わります。その時、木の花ファミリーの暮らしはデータとなって新しいモデルとなっていることでしょう。

それを思う時、胸を張って生きていけます。これから先この暮らしはもっと大事となるでしょう。その自覚を持って日々を過ごしていくことです。自分の価値を自分で創っていきましょう。

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それを聴いたともちゃんは以下のように言いました。

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ともちゃん@出航祈念祭(2014年11月)

今の人たちは、自分の頭で思考して変になっています。頭の使う位置が違うのだと思います。直観が大切です。そして謙虚であることが大切なのだと思います。今朝、いさどんは「僕には、他人や世界を変えることは出来ない。自分は無力なもの。無力だからこそ、天意を顕していける」と話してくれました。無力であることを誰よりも知っているから謙虚で深く学んでいくのだなと思いました。過去に悟りを啓いた人たちは個人で悟りを啓きました。個人で悟ることはその人の枠の中で出来ることであり、個人の努力の問題です。私は個人では悟ることは出来ないと思ったのです。でも、コミュニティの仏陀を目指すならば、みんなと一緒に悟るのならば出来ると思いました。足りないところを助け合って、一つを表現していく。そういうことをこれからやっていくのです。

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戦後70周年。冒頭の安倍首相や天皇陛下の言葉は、一人一人が謙虚に振り返ることの大切さを伝えています。ですが、安部首相は同時に「経済を最優先にする」と述べ、「輝かしい日本を取り戻す」とも述べています。そして、先の衆議院選挙でも多くの政党が経済成長について触れていました。政治家たちの意識転換はまだまだ遠い状態にあるようです。僕たちは先に時代の流れにのり変化していきます。

群衆は同一化し一人一人の個性が生かされません。これからの集団は、お互いに助け合い、一人一人の個性が充分に活かされるものとなるでしょう。一人一人が正直に自分の気持ちを出し、素直に相手の言葉を受け取ります。そして、すべては善きことのためにあると信じます。出来事を謙虚にいただき、その意味するところを考えていきます。その実践に積み重ねる中で、自分への関心を弱め、他人や世界に気持ちを向けていけるようになるでしょう。その先にきっとコミュニティの仏陀が立ち顕れます。そんな未来が楽しみです(^-^)




正しく世界を見る。それが人間関係を豊かにしていく。

いさどんとひとみちゃん(2014年8月7日川遊びにて)
いさどんひとみちゃんは毎日、昼間に散歩をすることにしたそうです。散歩をする時、いさどんは、先に行ってしまったり、「あっちに行くから」と言って違う方向に歩くそうです。いさどんはそんなふうにして散歩を楽しんでいるのです。ひとみちゃんはそんないさどんにへっちゃらな顔でついてくるそうです。いさどんはゼイゼイ言っているのに・・・。

ひとみちゃんを疲れさせたい! アップアップさせたい!

そう意気込むいさどんは運動靴を買うことにしました。そんなふうに二人は散歩を楽しんでいます。表面的行動だけ取り上げたら、いさどんの行動はただの意地悪になってしまうのでしょうが、いさどんの心の奥には愛があり、ひとみちゃんとの間には信頼関係があります。だから、そのやり取りは微笑ましいものとなっているのです(^ー^)


ところで、日本の高齢者人口は3,000万人を突破し、そのうち600万人は一人暮らしをしているといいます(NHKスペシャル『老人漂流社会‟老後破産”の現実より)。貧しい人間関係の中で暮らすお年寄りが増えているのです。そんなお年寄りをいかにケアしていくかは今の社会が抱えている課題と言えるでしょう。

木の花ファミリーでは月に一度、「恵みいただきます」という食事会が開催されます。恵みいただきますには毎回、多くのお年寄りが参加しています。そして、食事や買い物、人との交流を楽しんでいかれます。地域にお年寄りを元気にする場となっているのです。
※当日の様子や詳しい情報は以下の記事をお読みいただけたらと思います。

「恵みいただきます」と、僕たちが目指す世界 - HIROッチDairy in 木の花ファミリーより

恵みいただきます/経済的効率より大切なもの - このBLOGの記事です。

みんなの中でよみがえり生きていく - このBLOGの記事です。

こんなふうに僕たちは、お年寄りのケアに貢献しています。それに加え、木の花ファミリーの協力団体、NPO法人ぐりーんぐらすでは、地域社会に繋がりを生み出す事業として便利屋を行っています。便利屋も、お年寄りの人間関係を豊かにすることが出来る事業であり、まっちゃんが主担当を務めています。


便利屋を担当しているまっちゃんです。
まっちゃんは最近、苦手な相手から便利屋の依頼を受けて悩んでいました。「またお願いします」と言われていましたが、その仕事に意味を感じることが出来ず、今度頼んできたら断ることを検討していました。というのは、家の中に牛糞の匂いがするため、シルバーシートを貼って防いで欲しいと言われていましたが、牛糞の匂いはしないし、仮に匂いがするとしてもシルバーシートで匂いを防ぐことは出来ないと判断していたのです。効果がないことをお願いして来ていて、しかも細かい要求もしてくるということでした。

結局、まっちゃんはこの依頼を断るのですが、その時の電話の対応に嫌悪感がにじみ出ていたようです。そんなまっちゃんに対して、いさどんは以下のように伝えました。

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今の社会では、人間関係が貧しい人たちが沢山います。そんな人たちの人間関係を豊かにするのが便利屋です。それは相手の意向に沿って進める仕事で、自分の好き嫌いでやる仕事ではないのです。様々な仕事を引き受ける便利屋は大きく広がる可能性を持っています。それは曖昧な仕事とも言えますが、曖昧なところを明確にすることで進めていくことが大切です。それはお客さんを緻密に見るということです。今回のお客さんのように人間関係が希薄になっている人は、その人自身にその原因があります。なので、要望にすべて付き合うのがよいというわけではありません。ですが、最初の印象が悪くとも、仕事を引き受けて、当たり前のことを当たり前にこなすことで信頼関係を築いていけます。そして親しくなった時にお客さんの状態について伝えていくことが可能かもしれません。その見極めを慎重に明確に進めていくのです。相手に対する理解は愛です。愛を持って緻密に見ていく。それは世の中の心の貧しさを埋めていく取り組みとなるのです。
ところが、まっちゃんの姿勢はパートタイマーの姿勢です。いやな仕事を引き受けている。そんな気持ちでいます。その心は相手に伝わり、相手は細かいことを気にするようになるのです。そうするとどんどんいやになる悪循環が生まれます。楽しくない状況は自分で生み出しているのです。発想の転換をし、本来の便利屋の使命に基づいて行動すれば、お客さんとの関係も豊かになり、どんどん楽しくなっていくのです。

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これを聴いたまっちゃんは心を切り替えてやる気になっています。まっちゃんの姿勢が気になったので、僕やオフィスチームの人たちもそのことを伝えていましたが、僕たちにはまっちゃんの心を開くことは出来ませんでした。その違いは愛の深さにあり、僕らにはそれが足りなかったです。

では愛とは何か?ティク・ナット・ハンは「愛とは理解に基づくもの。理解がなければ愛することは出来ない」と言っていますが、いさどんも同じことを言いました。そして、そこから深い世界観を展開しました。

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愛とは正しく見ることです。すべての現象は、この宇宙の法則に基づいて起きています。そこに対する信頼が愛です。この信頼があるからこそ、安心して心磨きをすることが出来るのです。愛はすべての場所に遍満しています。それはこの世界の実態、心の実態を忠実に表すもの、仕組みと言うことも出来ます。この仕組みの中に我を持つ自分がいます。陰と陽。相反するものが向かい合うことで新たなものを生み出すのがこの世界です。一つの世界(愛)から分かたれた自分(我)は、世界に向かうことで新たなもの、より大きな調和を生み出します。人間は、生きることで現象を貰い自分の位置を知ることが出来ます。滞りも痛みを持って導こうとして下さる愛の顕れです。すべては鏡(かがみ)であり、「我(が)」を取ると神となります。神とは愛です。心磨きをすることで「が」がなくなり神が顕れ神と一体となり愛そのものになります。みんな幸せになりたいと思っていて、自分に対する愛を持っています。ならば、自分が広がり世界と一体になれば、世界に対する愛を持ち愛そのものになっていきます。この世界に愛は遍満しているのです。

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思いやり、相手への愛、世界への愛が大切であり、それは自分と世界を知ることで深まっていくのでしょう。そして、愛とは神のことでもあります。続けていさどんは語ります。

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神は世界に遍満しています。それを人間が知って喜びを表現することが大切です。神は最も謙虚な存在です。「神はいない」と人々が言っても、何も言わずに人々を見守り続けます。そして、宇宙の法則に基づいて愛を注ぎ続けています。分からないようにしているけれども、気が付くとどこにでもいるのです。

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宇宙に遍満している愛。どこにでもいる神。それに気づけば何でもないふつうの日常が特別なものとなります。冒頭のいさどんとひとみちゃんの話しはそんな特別な日常の一コマです。楽しそうですよね。この豊かな関係は、愛に基づき精密に見ていくことで生まれているのです。







木の花ファミリーでの正月 ~天の物語を生きるために~

今年の正月は木の花ファミリーで過ごしています。新年になりいろいろな人が自らの想いを発信していますが、1月2日の大人ミーティングでは、みんなでそれを共有しました。以下、共有したBLOGを紹介します。

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みっちゃんの想い~老人ホームで働いて -木の花ファミリーブログより

2015年の「船出の年」を迎えて  - 木の花ファミリーブログより(まりねえの投稿)

やっぱり天の物語を生きる ~新年の挨拶として~ - このBLOGの投稿です。

第1回「木の花ファミリー 大カルタ大会」開催しました! -まっちゃんのBLOGです。

明けましておめでとうございます - シャイニング ジュピター(りゅうしろうのBLOGです)

木の花ファミリーで起きたこと - 宇宙の秘密みかこのブログ(みかちゃんのBLOGです)

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みっちゃんは木の花ファミリーから近所の老人施設に働きに出ています。その経験から語るみっちゃんの言葉は、今の老人福祉の現状とそれに対する木の花ファミリーの暮らしの価値を教えてくれます。みっちゃんが働く施設だけでなく、お金儲けが優先していたり、そうではなくても採算を取るために充分な人材が確保出来ていない老人福祉施設は多いのではないでしょうか?そのような状態では、利用者のことを充分に理解し、深い関係を築いていくことは難しいのではないでしょうか?お年寄りが生きがいを持って暮らせているのか疑問です。

木の花ファミリーでは、赤ちゃんからお年寄りまで幅広い年齢層の人々が共に生活することにより、自然とみんなが元気に暮らしています。お年寄りや赤ちゃんも「世話する/世話される」という関係を超えて、共に生活を創り上げる仲間となります。みんなが自分らしさを発揮し生きいきと暮らすことが出来るのです。

お年寄りは小さな子どもと遊ぶことで元気になります。そして、子どもはお年寄りからその知恵を学ぶことが出来ます。福祉施設は、同じ年代の人だけを集めてサービスを提供するのではなく、多様な年齢層の人々が集まり共に助け合っていく場となっていくとよいのではないでしょうか?木の花ファミリーの暮らしはまさにその実践例となっているのです。

このようなメッセージを自分の言葉でしっかりと語ってくれるみっちゃんの存在は僕たちの誇りです。是非、リンク先の本文を読んでみてくださいね。

ちなみに僕たちの暮らしは、経済的観点からも老人福祉を改善する可能性を持っています。健康寿命(健康状態に問題がなく自立して過ごすことが出来る期間)を伸ばすことで、10年間で2兆円から5兆円節減出来るという試算が出されているのです(Yahooニュース参照)。お年寄りを健康にする木の花ファミリーの暮らしは健康寿命を延ばすことにも大きく貢献するのです。

まりねえが書いたBLOGは、僕たちが大切にしていること、目指している境地が適格に表現されています。言葉を超えた繋がり「阿吽(あうん)」がその一つで、具体的なエピソードとして僕が紹介されています。大人ミーティングの場では、この時、僕に起きたことを検証する時間も持って貰いました。

こはるちゃんが涙を流しながら気持ちを伝えている時、その気持ちはひとみちゃんには全然入っていませんでした。跳ね返している感じがしました。そして、ひとみちゃん自身その自覚があるようで、「私に余裕がない」と言っていました。僕はそんなひとみちゃんに対して、天に心を向けながら、「ひとみちゃんは余裕がないの?」と話しかけました。なんと、その瞬間に泣いてしまったのです。そして、ひとみちゃんも泣いていて、自分の気持ちをコントロール出来ずに苦しんでいることを話してくれました。僕は、自分が泣いたタイミングから、ひとみちゃんの苦しみが伝わって涙したのではないかと推察しています。でもこの苦しみはひとみちゃん自身が創り出したもので超えるべきものです。なので、この涙はあまり良い涙とは言えません。ですが、言葉を超えて共振が起きたことは事実でしょう。なお、この背後には、ひとみちゃんに変化を促すいさどんの大きな愛があり、今、ひとみちゃんは苦しみを超えて前向きに自分と向き合っています。さらに成長していくひとみちゃんの姿が楽しみです。

みかちゃんのBLOGは、2014年の木の花ファミリーを振り返り、そして、今、僕たちが迎えている大きな流れについても触れられています。まっちゃんのBLOGは、大カルタ大会を通して感じた学びを共有し、りゅうしろうのBLOGは新年の挨拶をしています。

是非、それぞれの個性豊かなBLOGを読んでみてくださいね。

大人ミーティングでは、BLOGのシェアから「自分の強さ」が話題となりました。自分がない人ほど、物事をスムーズに進め、楽に生きることが出来ます。自分の思い通りにしたい人は、それだけ周りとぶつかる機会が多くなり滞りを生みます。そして、自分への関心が強い人(自意識が強い人)は、評価を求め、失敗を恐れることで、自分を縛り正直ではなくなります。結果滞りに繋がるでしょう。自分を手放すことで、自由になり、結果、より多くの力を発揮することが出来るのです。

そんなことを確認した後、初日の出の写真と1月2日の太陽の写真をみんなで観て、この日の大人ミーティングは終わりました。


1月2日の太陽の写真です。日和が撮影したものです。

1月3日、みんなで心の話を思い切りしよう!ということで、午後2時からホールに集まりました。そして、子どもたちも同じ空間で過ごす中、夜の12時まで様々なことを話しました。そのうちのいくつかを紹介したいと思います。


ホールにこたつを運んできました。
(1)いさどんの今朝の夢の話から

いさどんはみんなに質問をしました。

「この暮らしの価値としていくらの値段をつけるか?いくら貰ったらこの暮らしを離れるか?」

それに対して、具体的な金額の答えはあまり出ませんでした。

「お金に換えることは出来ない」

それがみんなの気持ちなのです。その気持ちの再確認が目的で、いさどんはこの質問をしましたが、この質問は朝に見た夢で思いついたそうです。いさどんの夢の中では、ファミリーメンバーひとりひとりにいろいろな値段がついていて、それが見えたそうです。


(2)なぜこの道を選んでいるのか?大多数の人が別の生き方をしている中でなぜ?

この時代に生まれこの場所にいるのはなぜなのか?一人一人にここに至るまでの物語があります。それを再確認しようという投げかけがありました。その場では話しませんでしたが、この投げかけに対する自分の答えを書いておこうと思います。

矛盾のない生き方がしたい。正しくありたいという気持ちがここに僕を導きました。ですが、正しくありたいという気持ちはこの暮らしの中で手放すことになります。善悪はあくまで相対的なもの。正しいを主張すると悪者を生み出すことになります。善悪を超えて、自由になることが大切なのです。自由になった今、この道を選んでいるのは、天の物語を生きていきたいからです。それを実践する場としてはここ以外に思い当たりません。

子どもたちも一緒に話を聴いています。
(3)自我を超える方法は?

生命を維持しようとすることが自我の始まりです。自我は必要なものとして与えられていますが、強い自我は対立の原因ともなります。自我を超えていくことで物事の流れがスムーズになります。自我を超えるには2つの方向性があります。一つは自分の想いが沸いて来た時に、それに気づき手放すこと。もう一つは自分の枠を広げ、自分と万物が一体となることです。自分に執着がある状態では、世界を広げることは出来ないので、まずは想いを手放す取り組みが大切となります。それが出来るようになってきた時、今度は我を大きくしていくのです。このことについて、いさどんは以下のように語りました。

我が大きくなるとこの世界全部になります。その時、特定の個人という我がなくなり、自分の感情にも囚われなくなります。無所有と言いますが、無所有とは絶対所有のことなのです。なぜなら、すべてを所有したら、すべてが自分となり所有の感覚はなくなるからです。無の境地というものがありますが、いくら無と言っても自分はここにいるのです。その事実に変わりはありません。無という囚われのない状態から意識を広げることが大切なのです。この境地に至った時、自分は存在するけれども、瞬間瞬間変わり続けています。有るけれども無い。特定出来るけれども特定出来ないものなのです。巨大な宇宙と一体であり、巨大な宇宙の中で、ここにある必要があるからここにあるのです。

(4)精密に物事を見ていくことの大切さ

ものをあまり考えないで表面的に反応している人がいますが、それは子どもの頃からの癖でそうなっています。適応するために評価を求める必要があったり、自分を押し殺す必要があったり、原因は様々ですが、子どもの頃からの体験の蓄積で、その反応は出来上がっています。では、その人は被害者かというとそんなことはありません。こういう場合、親も子どもの頃、同じ体験をしていることが多く、親のことを責めることは出来ないのです。そして、何よりその人の魂がその場所を選んでいるのです。その状態を超えることを求めて、その場所に魂は降りてきたのです。この状態を超えるためには自分と向き合い、精密に見ていく必要があります。一つ一つの自分の反応の動機を確認していくのです。それには自分を探求する覚悟が必要になります。木の花ファミリーのことを評価するけれども、ここの生活を選ばない人がいます。その人たちは探究したいという気持ちをアクセサリーにしているのです。自分を探求することが大切だと分かっているので、そのように振る舞うことを求めています。ですが、覚悟がないので、自分自身に向き合う必要が生じた時、逃げ出してしまうのです。人生は自分との出会いです。そこが出発点で、そこから世界を知っていくのです。

(5)木の花ファミリーで語る「天」とは?

木の花ファミリーで語っている「天」とは宇宙の法則であり、現代物理学やカタカムナが示しているものです。僕たちはそれを感じる時、思惑を挟むことはありません。お告げなどとは違うのです。あくまでそれは客観的なものであり、その背後にある意志を感じているのです。

(6)エントロピー

エントロピーは、熱力学や情報学で使われる言葉ですが、大きくなる状態は、拡散、無秩序の方向へ進むことであり、小さくなるのは、収縮、秩序化の状態と言えます。人間関係の中でも、エントロピーが小さくなり、収縮、秩序化の方向に進むと、省エネで物事を進めることが出来ます。文明の歴史に応用すると、西洋文明(物質文明)はエントロピーが増大していく方向で発展し、東洋文明(精神文明)はエントロピーが縮小していく方向で発展すると言えるのではないか?そして今は、精神文明が発展する時なので、これからエントロピーは縮小していくのではないか?そんな話をしました。そして、それは腐敗分解と発酵分解にも言えることで、腐敗分解は、分解が早く形がすぐになくなります。それはエントロピーの増大をもたらします。一方、発酵分解は、酵素を出し、いつまでも形が残ります。発酵は蘇生であり、エントロピーは縮小するのです。

(7)ない世界(潜象界)/みえない世界・ある世界(現象界) ~ カタカムナ ~

みかちゃんがホワイトボードに書いたものです。

このBLOGの投稿「今年もあと1日」にも書いた通り、今、見えない世界(幽界)にはたくさんの不浄の霊が存在しています。それが靄(モヤ)となり地球を覆っているのです。肉食を続けることは、家畜を屠殺(とさつ)することであり、地球は霊的に汚れていきます。僕たちは自然環境だけでなく霊的なことも視野に入れて、菜食をしています。そして、天然循環法の暮らしを営んでいます。

(8)この時間を持った意味

船出の年を進むにあたって、天の物語を生きていく覚悟を再確認しました。そのことをいさどんは以下のように語りました。

人が生きるということは楽しんで生きることが目的です。思うようにならないと苦しむ人がいますが、それはからくり(宇宙法則)を知ると解放され、世界が楽しい場所となっていきます。無我の方向へ行くと天意が顕れます。自我は世界を無秩序にし、執着へ向かいます。方向を間違えると人はいつでも(地獄へ)と落ちていきます。(天へ)上がっていくためには出来事や自分の心を吟味する必要があります。確実に緻密に学びを積み上げていく。そのような覚悟を創るためにこの場はありました。わけがわからないけれどもこれが大事という心が大切です。道理を調べていけば、揺るぎない心を育てることが出来ます。ここの生活やみかちゃんの書くもの、それと日月神示の記述は一致します。その確認は確信をもたらします。揺るぎない心で生きて行く。今、帰省で帰っていて、ここにいない人も分も表現して、この場を仕上げていきましょう。


元旦のいさどん。ある方は、胸にある光を富士山のご神体と表現されました。

とにかく天の物語を感じ、それを生きて行く。僕はこの2日間でその心を深めました。そして、これからもどんどん深めていきます。それがどんな物語がとても楽しみです(^-^)

※1月3日に話されたことについてはみかちゃんBLOG「群衆心理の時代から個々の目覚めの時代へ」にも書かれています。こちらも合わせてお読みください。


やっぱり天の物語を生きる。~新年の挨拶として~

新年あけましておめでとうございます。ここ静岡県富士宮市の元旦はとてもきれいな青空が広がっていました。木の花ファミリーの聖地、宮下広場まで歩き、そこからみんなでご来光を眺めました。

初日の出(木の花ファミリーの聖地、宮下広場から)


元旦の富士山です。(同じく宮下広場から)

みんなで撮った写真です。

天の物語を生きる~1年の振り返りと来年の抱負として~」でも書いた通り、今年の正月は実家には帰らずに木の花ファミリーで過ごします。昨年末、そのことを妹に伝えたら、以下のような返事が来ました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ブログ読みました。ちゃんとは理解できませんが、お兄ちゃんの気持ちは分かりました。私は甘えや愛着があっての人間だと思っているので、お兄ちゃんのようには生きられないと思います。人間は弱くて甘えながらも支えあっていくものと思います。そんな自分におちこんだり、ときどきはほめてあげたり、そんなものが人間らしさだと思います。木の花ファミリ―やお兄ちゃんの姿は歴史上の聖職者の姿と重なります。弱い私は今後も俗世で、今を生きますが、応援しています。
よくわからない文章で気を悪くしたらごめんなさい。
離れていてもお兄ちゃんの幸せを祈っています。よいお年を・・・


☆彡 ☆彡 ☆彡

人間が個人として生きる時、様々な特別な関係を持ちます。親子関係や夫婦、兄弟姉妹、恋人や友達など。人は、これらの関係を通して感情を育み、成長していきます。これらは、個人としての自分を育ててくれるとても大切なものです。僕にとっても両親や妹は自分を育んでくれたとても大切な存在です。その恩を忘れることはありません。ですが、これは僕個人の感情であり、大きな視点で見るとそれ以上に大切なことがあるのです。

血縁のお蔭で今、僕は生きている。それも事実ですが、それ以前に、世界が僕を生かしてくれています。宇宙や地球、太陽や雨、動物や植物、微生物など、この世界を構成するすべての要素が今この瞬間も僕を育んでくれています。僕は空であり、木々であり、山であり、土であり、水なのです。僕の中にすべての存在が息づいているのです。

天とは宇宙であり、この世界そのもの。その意思を僕は感じます。だから僕は、木の花ファミリーのみんなと天の物語を生きるのです。それはとてもわくわくする物語なのです(^-^)

僕の妹のようにこの暮らしが理解出来ない方が多いのかもしれません。それも無理のないことで、この暮らしは大いなる実験なのだと思います。個人的な感情を超え、自他の区別を超えて世界と一つになれた時、人々の関係はどのように変化するのか?どんな世界が実現するのか?人と人が心の底から繋がり調和した世界。僕らはそれを菩薩の里と表現し、ティク・ナット・ハンの言葉を借りれば、コミュニティの仏陀となるでしょう。それは今の人々の想像力を超えた世界で、こんな世界を実現させるために、僕たちは日々、心を見詰め精神性を高めているのです。

ところで、昨年11月に公表された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次報告書から地球環境が危機的な状態にあることは明らかなのに、まだ多くの国々は経済成長を求め続けています。
財政危機の後、支援を受ける代わりに財政緊縮策を実施するギリシャでは、それに反対する野党に支持が集まり、財政再建の遅れ、それによる世界経済への影響が懸念されています。ウクライナ情勢ではロシアとヨーロッパ、アメリカが対立し、イラクやシリアではイスラム国が勢力を伸ばし、そこに参加する先進国の若者も生まれています。香港では民主派が真の自由選挙を求めデモをし、日本でも経済格差により貧困率(相対的貧困率:16.1%、子どもの貧困率16.3%)は増大し続けています。そして、在日コリアンに対するヘイトスピーチなど社会の不寛容さを現わすニュースも報道されています。

まだまだ上げたらきりがないのですが、今の社会には問題が山積みです。それはそれぞれの国や人々が自分の立場から利益を求めている結果なのではないでしょうか?そんな今の社会に対して、僕たちの暮らしは希望の光となります。自他の区別を超えた視点に立つことにより、様々な問題が生まれる種を明らかにし、そこを超えていくことを可能にします。もしあなたが今の社会に絶望しているのならば、ここを訪れてみて下さい。希望に出会うことが出来るはずです。



年越し大人ミーティングの様子です。
新年を迎えるにあたり、大晦日の晩、僕たちはいさどんのインドでの体験をあらためてみんなで共有しました(いさどんBLOG「天教山から地教山に向って」参照)。いさどんの体験はみんなの体験であり、それは天の物語でもあります。だから、インドには行っていないみかちゃんがその報告を書くことも出来るのです(「アジアが一つに、そして地球が一つに・・・インドの旅が示したものは?」を参照して下さい)。そして、その後、ともちゃんが作成してくれたスライドショー「木の花ファミリーで起きたこと2014」をみんなで観ました。太陽マヤ族尊母ナー・キン氏との出会い、高野山や玉置神社(世界の高天原)、花窟神社(はなのいわやじんじゃ)への旅、そしてインドのヒマラヤ、ハルトラビレッジオーロビル。それはすべて繋がっていて、僕たちが天の物語を生きていることを再確認させてくれました。

そして、いさどんは新年の挨拶として以下のようにメンバーに語りました。(要約です)
※いさどんBlog(2015年「船出」の年を迎えて)に全文が記載されています。



みんなに語るいさどんです。
四季の中で自然の恵みをいただき、夜に眠り朝目覚めること。こんな日常の中に宇宙の法則、つまりは神様が顕れています。カタカムナとの出会いは私たちにあらためてそのことを教えてくれました。そして、そのことを常に自覚しておくためには「謙虚」な心が大切です。自然に生かされている。自然のお蔭で生きている。その「お蔭さま」という心が、他者のため、この世界のために生きるという心を生み出します。その心が働くことで傍(はた)を楽にするのです。
人類はしばらく天を意識しない暮らしを営んできました。自分の都合で計画を立て、自分の想いを実現しようとしてきた結果、他者に対する配慮の心が薄れ、現在のような社会を創ってきました。ですが、私たちは天の仕組みに気づいたものです。気づいたものとして、その尊さを知り、無理解の中でも歩む覚悟が求められます。時代は今、変わろうとしています。一人一人の気づきと直観が働き出す時代です。その結果、人々の縁が紡がれたこのような生き方が必要となります。新しい時代のモデルとしてこの暮らしはあるのです。天然循環法により田畑を育てる私たちは、カタカムナの48音を響かせています。ですが、これはただ響かせればよいというものではないのです。日々の暮らしの中で調和の心を育み、波動量を上げて、そのネットワークを広げていく。その時、響きは相応しいものとなり有効となります。調和の心が作物や料理、子育てなど日常生活のすべてに反映されていく。それが天然循環法なのです。一人一人が当然のように高い波動量を持って、美しい響きによる有難い恵みの中で生きていける。そしてそれが当然のように展開されていく世界。そこを歩む決意こそが今年のテーマ「船出」なのです。この新年の節目に決意を確認して歩んでいきましょう。

☆彡 ☆彡 ☆彡


そんな心で迎えたお正月。夜は美味しいおせち料理をいただき、その後はみんなで遊びました。
以下、その様子を写真でお伝えしますね。


え!?びフライ。海老ではないですよ。
ライスペーパー野菜巻きです。



食事の前にお祈りをしています。
色鮮やかな海苔巻きです。
キッシュです。
天然循環法で育てられた苺と餡子による苺大福です。


食事の風景です。


体調が悪い人のためのお弁当です。

食後は子どもたちも含めてみんなで遊びました。今回はみんなでカルタ大会もしました。なぜカルタ大会をしたのか?その経緯はまっちゃんBlogの記事をご覧ください。

  カルタ団体 木の花ファミリー始動!?

  カルタ団体への道Vol.2 ~「木の花カルタ」作り~

  第1回「木の花ファミリー 大カルタ大会」開催しました!


フルーツバスケットをしています。
妖怪ウォッチのダンスを踊っています。
じゃんけん列車をしています。
カルタ大会予選の様子です。
カルタ大会決勝戦です。

カルタ大会決勝で使用した手づくりの「木の花カルタ」です。

そして、ゲームの脇では、普段、東京で美容師をしているせいたろうがみんなの髪をカットしてくれました。せいたろうは木の花ファミリーで育った子どもで今は独立しています。


えいこばーちゃんの髪をカットするせいたろう。隣にいる玲衣花もこの4月から美容師となります。

こんな感じで過ごした元日。あらためて思うのは、やっぱり天の物語を生きる です。
それは世界の物語だから、全人類に関係があることで、父さんや母さん、妹とその旦那さん、子どもたち、そして今まで出会った僕の友人たち。すべての人々の幸せに繋がる物語だと確信しています。ということで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


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