行動基準~死の向こうまで伴える価値を積み上げていく

ふっと気を抜いた瞬間に今までの疲れがどっと出て、身体が重くなる。

僕は時々にこういう経験をして来ましたが、昨日からもそんな感じになっていました。
そして今朝、ともちゃんと会話をしている時、身体が重くなることで、
思考が弱気になっていることに気づきました。

そしていさどんの言葉を思い出しました。
先月、僕が滞りを経験し立ち直った時、いさどんは以下のように語ったのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分というものを内からだけ見ていてはいけません。

外から見える自分と内から見える自分というものが、
自由自在に行ったり来たり出来る状態になることが大切です。
ブログを読んでそれが少し出来るようになってきたことを感じました。


☆彡 ☆彡 ☆彡

内から見える自分、それは自分の感情や感覚に基づいて物事を経験し、判断していくことです。
気を抜いたことで、自分がそちらに引きずられ外からの視点を失っていたのです。

弱気な思考は身体をさらに重くしていました。
そのことに気づいた時、疲れは残っているけれども身体が少しずつ軽くなるのを感じました。

身体の重さ → 弱気な思考 → 身体の重さ ・・・・

今まで自分が時々生み出してきた余計なサイクルを見通すことが出来ました。
身体が重くなったとしても心まで重くなる必要はないのです。
だから次に疲れが出た時はこれまでとは違う展開にしていけます。

癖は内から見える自分に留まることによって繰り返されます。
ですがそこから一歩外に出れば、それを見通し変化していくことが出来るのです。
僕は今、そんなふうに生きています。
だから癖の発見は常に変化へ向けての喜びとなるのです(^-^)

そして、外からの視線にもいろいろなものがあります。

僕は最近、昨年の6月にいさどんと交わした会話を思い出していますが、
その会話には重要な視点が示されています。以下、その内容を紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

いさどんのいただきます人生「死の向こうまで伴える価値を積み上げていく」より転載。

いさどんがなかのんと一緒に出張したとき、
以前ここを離れた元メンバーのことが話題になった。

彼について
いさどんはこう語った。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

彼がまだメンバーだったとき、
交通事故を起こしたでしょ。

その裁判の際、
弁護士を相手にどういうふうに付き合っていくのか。

それから、
弁護士の精神状態だけではなく、
被害者の性質を読み解きながら、
どうやって裁判を進めていくのかという
アドバイスをしていたんだよ。

結論としては、
こちらにとって特別有利に話を進めようとは思っていなかったけれど、
向こうのわがままに乗ってはいけないからね。

そういった正義感も持ちながら、
弁護士がついたからといって向こうの思うままにならないという意味では、
弁護士の精神状態も読みながら話を進めていったんだよ。

最終的にどこに結論が行くのかについては
裁判所が決めることだけどね。

そして、
結果的に当初の話の5%をこちらが勝ち取ったのだけど、
そういったお金の話が一番大切なのではなく、
人と交渉するときの交渉術を大事な学びとして彼には教えてあげたんだよ。

でも、
そういった学びを生かすことなく、
彼はここを離れていった。

結局、
根本の大事を忘れず求めるこころがないとダメだね。

彼は母親に対して、
まったく自己主張ができないのだから。

もし、
学びを生かせていたとしたら、
ここを離れていったときの
あの傲慢な態度はないはずだよ。

結局、
彼からしたらあの裁判は、
単なる数字だけの話になっていたのだろう。

でも場合によってはね、
今ちょっとばかり良い思いをするよりも、
たとえば余分に払ったとしても
それが将来の価値に対する種まきになることもあるんだよ。

つまり、
そういった波動を未来にもたらしているのだからね。

大切なことは、
そこが読み解けるかどうかだよ。

正確に言うと、
読み解くのではなく、
本能みたいなものだよ。

そのときに、
あせってすぐに結論を出そうとすると、
冷静さに欠いているから、
情報を正しく精査できなくなる。

さらに
損得勘定から「損をしてはいけない!」という思惑が働きすぎると、
そういった直観は鈍ってしまうね。

だから、
何かプラスアルファか感じ取れる状態でいることが
大切なんだよ!


そういった学びの位置に立てることすら、
なかなかできないからね。

まずその位置に立って、
その価値を思考することが人にはできないんだよ。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

いさどんの話を聞いていたなかのんは、
「本当にそう思います。

人はなかなかそこに行かないですよね。

ついつい、
結果を求める発想になってしまい、
結果がこうだから良かった・悪かったとなってしまうのです。

そのプロセスをしっかりと観ていって、
そこを味わっていき、
そしてそこから学んでいくことが大切ですよね。

当たり前の日常の中に、
たくさんの学びが詰まっているんですよね」と伝えた。

それを受けて、
いさどんはこう続けた。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

そこがわかると、
すごくダイナミックだよ!

ほんのちょっとのことが、
すごくダイナミックなんだよ!!

世界はね、
とてつもなく深いんだよ♪

そこまで心が通じる人は、
なかなかいないね。

だから、
僕はこの道を歩み始めてから、
ずっと孤独だった。

僕はね、
彼が母親と一緒に来てここを離れるときに、
「彼は今、今まで積み上げてきたものを全て崩して、
彼にとって一番大事なものを失おうとしている。
今までのことは彼にとって一体何だったのだろう?」
と思ったんだよ。

彼は、
「僕の人生の目的は悟ることです!」と言っていたのに、
最後、離れるとなったら、
もともと納得してここで暮らしていたはずなのに、
自分たちの主張だけを通して、
そのときに約束したことすら守らなかった。

彼のこころはぐらぐらしながら、
母親に対してさえ、
「お母さん、僕の話なのだからやめてくれよ」と
伝えることもできなかった。

なかのんは、
経理担当として
あのとき立ち会っていたけれど、
こちらの側にいて、
その柱のない人の姿を見せてもらう立場にいた。

この違いは大きいんだよ!

僕は最後に彼に言ったんだよ。

「よく観ているんだよ。
必ず、この目的は達成するからね。」

そしてこころの中で、

「あなたはその船を降りたんだよ。
そのことがよくわかっているか」と想い、
無言の意志を伝えたんだよ。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


「本当にそうですよね!
こちらの側にいて本当に良かったと思います!」となかのん。

そんななかのんに対し、
いさどんはこう伝えた。


゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

そんなあなたを観ていると、
うらやましいと思うよ♪

うらやましいと言ったら変かもしれないし、
一番誇り高い自覚を持っているのは
自分だと思うけどね。

そこに出会っているなかのんは、
普通の人からしたら
『よくぞ、そこに立てたね!』ということでしょ。

だからね、
そろそろ人々は、
そういった個人的なことを優先して生きることをやめるトキが来ている。

結局、
人間が個人的なことを優先し、
それが70億人集まって、
今のような世界を創っているのだから。

それと、
人間の世界の中で
どんなに優劣を競ったところで
たかだか知れているよ。

そのたかだか知れているところで生きても、
いつか自分が霊的な存在になるときに、
自らの価値を突きつけられることになるんだよ。

これから大切なのは、
つないで、
時代を創っていくことなんだよ。

死の向こうまで理解するものたちが生きているからこそ、
死の向こうまで伴える価値を積み上げていくことができる。

それが人生の勝利者であり、
道を目指すものにとって

一番大切なことだと思うんだよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

死の向こうまで伴える価値を積み上げる。

外からの視点で最も重要なのはその視点です。
それは宇宙の始まりから今に至る時代の流れを感じることであり、
自らの魂の向上であり、社会的評価や利益を超えたものです。

それを一番の大事として生きていきます。

自我が与えられ、それに基づいて生きていく以上、内からの視点は常に存在します。
僕らは内からの視点に基づきこの世界を経験していくのです。
ですが内からの視点は固定したものではありません。
一歩外に出ることにより、内からの視点は自由自在に変化していくのです。

その変化を味わうことは喜びです。
そこからこの世界の無限の可能性へと心が開いていくからです。
僕は今、そのほんの一端を味わっているだけですが、
そこに大きな可能性を感じています。

ところで今、日本の隣国、北朝鮮や中国は軍事行動により世界を騒がしています。

北朝鮮はG20開催中にミサイルを発射し、その後、核実験を強行しました。
そして中国は常設仲裁裁判所の判定を無視し南シナ海の軍事拠点化を進めています。

どちらの行動も外からの視点はなく、内からの視点、自分たちの想いに基づいたものです。
そして、それに対する日本やアメリカの対応も内からの視点、自分達の想いからとなっています。
どの国も自分の視点から外に出ようとすることはありません。
そのためそこには変化が生まれることがないのです。
この状況は多くの人の生きる姿勢の現れなのだと思います。

自らの想いを叶えることを重視し、そこから外に出ようとはしない。

そんな態度で生きていると、癖が繰り返され滞りとなり、人生に本質的な変化は生まれません。
そしてそんな姿勢の人が多いからこそ、その集合体である国々も同じ姿勢となり、
変化は生まれず対立が続くのだと思います。

一人一人が自らの姿勢を変えることは世界の動きへと繋がります。
自らの視点から一歩外に出て、世界に対して開かれること。
そんな姿勢が人々を繋げ、世界を平和へと導きます。
僕は世界の動きも見据えてそんなふうに日常を生きていきます。


人参の間引き。木の花ファミリーの日常の様子です。


「自分ごと」から全体性へと至る道

木の花ファミリーでの僕の基本的な役割は「金庫番」で、
お金を中心とした事務仕事を主にしています。
ですが、農繁期で忙しい時は、畑に行ったり、田んぼに行ったりもします。
そして、お弁当の注文が沢山入った時はお弁当を詰める手伝いをしたりと・・・

木の花ファミリーの暮らしは多種多様な役割によって成り立っています。
そしてその土台には、自然からの恵みがあり、天の流れに基づいた生活となっているのです。


朝6時からスタートする落花生収穫の様子です。


田んぼに行ったり畑に行ったりすると、
自然のダイナミックな動きがリアルに感じられてとても楽しい時間となります。

木の花の暮らしは天の流れの下、一つの生き物のように動いていきます。
それはこの世界も同様で、時代は一つの生き物のように動いていきます。
その動きを感じられたら、この世界はとてもダイナミックで楽しい日々となるのです。

そんな世界観へと繋がる話を紹介します。

とりあえずはいさどんの言葉から。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この道を極めることが大切です。
そこに向けて真っ直ぐに行くと人の価値が上がります。
そして価値が上がると自然にみんなから支持されるようになるのです。
その位置で願いが叶っていくことが大切です。
想うと叶うというのはそういうことです。

ところがあなたの場合、叶わない現状にありながら、
願いを叶えたいという願望や欲望になっているものだから、
宇宙の法から外れてしまったのです。
だからそれは「自分のこと」であり、我欲となっていくのです。
宇宙は「もっと叶えたい。あなたの望みは全部叶えたい。」と願っています。
その代わり宇宙の法に沿って願えということです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

僕は最近なんどもこのいさどんの言葉を引用していますが、
この言葉は僕の思考を整理してくれました。

僕らはよく「自分ごとではなく全体のこと考える」と話していますが、
このいさどんの言葉により「自分ごと」とは何かが明確になったのです。

僕はずっと意識の関心が自分に向いていることが「自分ごと」だと思っていましたが、
この認識は正確ではありませんでした。

この世界で自分を最大限に生かすために、自分を正確に知っていく。

そんなふうに自分に関心を向けるならば、それは「自分ごと」ではなく、
世界のことであり全体性へと至る行動となるのです。

その一方、途上国の支援など社会貢献と言われる活動をしていたとしても、
それが自分都合になってしまっていたら、その活動は「自分ごと」なのです。

活動の動機をしっかりと観ることが大切です。

例えば、ODA(政府開発援助)ですが、本来、途上国のための援助のはずが、
日本企業の利益に繋がり、途上国に累積債務と環境破壊をもたらす事例もあります。
 ※Wikipedia「日本のODAの問題点」参照
このような活動は決して全体のことを思った行動とは言えません。
社会貢献活動を利用して日本は「自分ごと」で動いていたのです。
しかも日本全体ではなく、一握りの人の利益のためであり、極めて「自分ごと」と言えます。

今、G20が中国の杭州で開催され各国の首脳が集まっていますが、
どれだけの指導者が地球全体のこと思っているかは疑問です。

例えば、先日発表されたアメリカと中国によるパリ協定への批准ですが、
これは確かに全世界のためになる行動と言えます。
ですが、その動機は「全体のため」を思ったものではないのです。
これはあくまで各々の利害に基づく判断で、
だからこそ南シナ海の問題では米中は対立したままとなっているのです。

これでは真の平和には至りません。

指導者だけではありません。
今、この世界は「自分ごと」の集まりで動いているのです。

宇宙の法の下では、自他の区別を超えてすべてが繋がり生かしあっています。
それから外れた「想い」や「行動」はすべて「自分ごと」なのです。
世界のことを考えていても、社会貢献をしていても、
「自分が」という想いに基づいていたら、それはやはり「自分ごと」となります。

そして、「自分ごと」の想いや行動は、たとえそれが実現したとしても、
この世界に偏りを生み出し、いずれ対立や格差、喪失などの滞りとなって現れるのです。

だから「自分ごと」を超えていくことが大切です。

自我が与えられた人間は、当然のように「自分ごと」の願いや想いを持ちます。
そして、それは意欲にも繋がるものです。
だから、それらを追い求めることは大切なことではあるのです。
ただ、その際、宇宙の法を意識する必要があるのです。

宇宙の法とは天の流れあり、それは時代が生み出しています。

自らの希望を追い求めながらも、天の流れを感じ、結果をいただき学んでいく。

そんな姿勢でいると、自分が高まり、自然と全体性へと至るのです。

それは自分と向き合う旅であり、その旅は果てしない冒険であり、新しい発見は尽きません。
新しい発見により自分がどこまでも果てしなく広がっていくのです。

ということでまたここでいさどんの言葉を紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

常に意識を全体性に持っていく必要があります。
あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?
それが重要です。
個人的願望が全体性と共通していればいいのです。
例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。
個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、
全体性と個人は本来、共通していることなのです。
ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。

心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。
「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。

だから何より心を磨き続けることです。

そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。

それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。



☆彡 ☆彡 ☆彡

いらなくなった状態をさらに超えた世界。
「みんなで」「ひとつになる」ことを極めた世界。

それはきっと「自分ごと」を超えて宇宙の法の下に生きる人々が、
自らの個性を最大限に発揮した豊かな世界。

バラバラな特徴を持つものが一つのハーモニーを表現する世界。

真の平和が実現しすべての存在が生かされ調和した世界。

言葉にすればこんな感じでしょう。

そんな世界へ向けて、日々の暮らしを大切にし、この道を極めていきます(^-^)




宇宙の法に沿って願いを叶える

昨日の午後は苺の定植に行きました。
僕は木の花ファミリーに移住して8年目となりますが、苺の定植は初体験でした。
とても繊細な作業でしたが、楽しく充実した時間となりました。

苺をメインで担当しているのは和子ちゃんです。
和子ちゃんは昨年の6月、苺についてこんなふうに書いています。

いちご定植中の和子ちゃん(右)と僕


☆彡 ☆彡 ☆彡

毎日、いちごさんのお世話をさせてもらっている和子です。

いちごさんが実をつけるのも、もうあと少し。収穫しながら、打ち上げ花火のクライマックスのように、数々の花を咲かせてもえつきて終わっていく、そんなイメージと重なって、本当にいちごさんありがとう、おつかれさま、と語りかけました。

定植してから8ヶ月間ずっとみてきて、天然循環法である作物の声をききながら育てていくということを心がけて、試行錯誤しながらここまできました。ふりかえった時に、なんだか涙が出てきました。こんなに心をかけていとおしく思う気持ちは、お金をもとめるのではなく、作物から学ぶことを目的としているからです。毎日顔をみにいくのが楽しみです。赤い実がずらっとならんで輝いているのをみると、本当にうれしくなり、甘くていい香りが最高です。

~ 中略 ~

今年は、いちごの植えてあるところに落ち葉をしき、その上にいただいたワカメをしき、さらに青草をしきました。台風のさなかに、もしかしてハウスがたおれて崩壊するかもしれない、私の命も、いちごさんも危ないかもしれない、と思いながらワカメをしきつめていたことを思いだし、なんだかこっけいでした。

~ 中略 ~

化学肥料、化学農薬ばりばりする農家さんにとって、無農薬で化学肥料を使わないでできることは、おどろきのことだと思います。でも、できるんです。こんなにきれいないちごが!農家さんも、とてもびっくりしていました。

難しいことが可能になっていきます。しかも、味が濃くておいしいし、体に良い。一口食べただけで力がわいてくるといわれたこともあります。一度食べた人が、おいしかった、またお願いします、とリピーターになってくれて、配送や、近くのお店においてもらって、出荷しています。

~ 中略 ~

というわけで、もうすぐいちごも終了になりますが、一方で、今年の9月に定植する苗をそろそろ作りはじめます。親株からランナーをのばして、苗をとっていきます。もうクリスマスにむけてのいちごの苗を育てています。こうやって命が循環して、まわっているなぁと感じている今日この頃です。

作物を通して、どうすくすく育っていってもらえるのか、手助けし、何をしてほしいのかよみとって、会話していくことが、本当に大切だとあらためて思います。そして、太陽であり、水であり、空気であり、大地であり、自然が一体となってその中に自分もいる。すべてひとつだと感じます。
いい響きをもって、作物と接し、心を学んでいきます。これからも、エネルギーのある野菜を作っていきますので、宜しくお願いします。ありがとうございました。




☆彡 ☆彡 ☆彡

和子ちゃんと一緒に作業をしながら、僕はこの文章を思い出していました。
そして、苺に対する想いをこうして共有出来ることを嬉しく思いました。

そして今、和子ちゃんの文章をあらためて読んで、いさドンブログ「瞬間瞬間がオリジナル~群れが個人を目覚めさせる~」の以下の文章を思い出しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕は群れの中の一人ひとりに、個性的であることを求めている。しかし与えられることに慣れてしまった人々は、自らそれを目指し、獲得して、輝いていくということを怠る。もっとギラギラしたらいい。そのギラギラとは、宇宙の実相である活性であり、我々が生きる上での生活の表現でもある。そしてそれは、エネルギッシュで魅力的だ。その延長線上に、それぞれの役割や個性的な表現が充実していく。
そこでは、個人プレーは大いに歓迎される。それは全体性のための個人プレーだから。

☆彡 ☆彡 ☆彡

和子ちゃんは苺を通して自らの個性を表現しているのです。

同時に僕はいさどんの以下の言葉も思い出しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この道を極めることが大切です。
そこに向けて真っ直ぐに行くと人の価値が上がります。
そして価値が上がると自然にみんなから支持されるようになるのです。
その位置で願いが叶っていくことが大切です。
想うと叶うというのはそういうことです。

ところがあなたの場合、叶わない現状にありながら、
願いを叶えたいという願望や欲望になっているものだから、
宇宙の法から外れてしまったのです。
だからそれは「自分のこと」であり、我欲となっていくのです。
宇宙は「もっと叶えたい。あなたの望みは全部叶えたい。」と願っています。
その代わり宇宙の法に沿って願えということです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

作物は宇宙の法に沿って育っていきます。
その作物に心を寄せることは自ずから宇宙の法に沿うことになり、
法に沿って、願い(苺の成長)を叶えていくことになるのです。
それは人間としての価値を上げていくことに繋がります。

孤独感と万能感を超えていく」で僕は、小難しいことを書きましたが、
要は自我の持つ「思い通りにしようとする心」が様々な害をもたらしていると言いたいのです。

思い通りにしようとして強引なことをするのも害となりますが、
思い通りにならないと臆病になり何もしないのも害となります。

思い通りにしようとする心は人の行動に歪みをもたらしているのです。

想いを表現することで活力を得ることが出来ます。
だからまず想いを表現することが大切です。
ですが、その「想い」が宇宙の法から外れると、それは幻想となり、滞りへと繋がります。
だから「想い」を宇宙の法に沿わせる必要があるのです。

作物に想いをよせることにより、僕たちは法に沿った心を育てることが出来るのだと思いました。

人間は自我を持ち、思考する自由を与えられました。
そのため法から外れた「想い」を膨らませることも出来るようになりました。
ですが、人間も法の下に存在しているのです。
法から外れた「自分ごと」の想いは滞りとなって実を結ぶことになります。
そしてそれはその想いを持っている間、繰り返されます。

宇宙の法はこの世界に流れを生み出しています。
その流れに沿って生きる時、「自分ごと」だった想いや願いは自然と変化していきます。
変化の中で願いはみんなのものとなり叶っていくのです。

想うと叶う。

いさどんの言葉はそういうことを言っているのだと思いました。

想うと叶う。

それがこの世界に実相。だからそこには希望しかないのです(^-^)







孤独感と万能感を超えていく


僕は自我について以下のように書いたことがあります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

我思う、故に、我あり。(コギト・エルゴ・スム)

私が存在するのは、私が思考しているから。

自分の存在基盤を自分の思考に求めたこのデカルトの言葉は、
自我による自然からの独立宣言で、
他者の存在なしでも自分は存在出来るという幻想を生み出しました。

自然から独立した自我は、自然をただの物質と捉え、切り刻み利用していきます。
その結果、物質文明は発展しますが、自然環境は限界を迎えています。

その自然に対する態度は他者に対する態度にも反映されていきます。
自我にとって他者の存在は分析し利用する対象となってしまっているのです。
そして、それは他者の自我から見た自分にも言えることです。

近代以降、自我は孤独となり、不安を抱えています。


ニーチェは「神は死んだ」と表現しましたが、
人々は神である自然から命を奪っているのです。
そして、本来、人は自然の一部です。
自然から命を奪うことは自らの命を奪うことであり、
存在の基盤を失う結果に繋がります。
そのため自我は孤独となります。
孤独となった自我は他者を求めますが、
その態度に変化はなく、他者は分析し利用する対象のままなのです。

不安な自我は、安心を得るために自分に賛同してくれる存在を求めます。
他者からの承認を支えに生きていくようになります。
そのため、「間違え」は致命的な出来事であり、自らの「正しさ」を信じていたいのです。
自らの「正しさ」を信じるために、他者の間違えを指摘し続けているのです。




☆彡 ☆彡 ☆彡

孤独になった自我は同時に万能感も隠し持っています。

「他者の存在なしでも自分が存在出来る」という幻想は人間に傲慢さをもたらし、
自然を切り刻み、利用し続けることでバーチャルな空間を創り上げました。
現在の金融システムやテレビやインターネットの世界、
そしてポケモンGOに代表されるゲームの世界はその最たるものでしょう。
バーチャルな空間の中で人間は現実に向き合わずに暮らすようになっています。
そんな中、ますます傲慢となり万能感も育まれていくのです。

万能感はなんでも思い通りにしようとする気持ちとなって人間に現れます。

こんなことを書くと、

そんなことはない。自分は自分のことを駄目な人間だと思っている。

というように思う人もいるかもしれません。

ですが、思い通りにしたい気持ちは自分を責める言葉となって現れることもあります。

例えば、こんな感じです。

今の状況を自分は駄目だと思っている。
自分は本当に最低だと思う。
だから何とかする必要があるのだけれども、自分にはどうすることも出来ない。
本当に自分は駄目だ。

こんな言葉の奥に、誰かに改善してもらおうとする気持ちが含まれていたら、
それは他者を使用して状況を思い通りにしようとしている証です。

自分を責めている人を放っておくのは難しいことです。
そう考えるとこれは脅迫とも言える行為なのです。

自分を責めている人。

それを表面だけ見たら、苦しんでいる人に見えます。
ですが、奥の心を見ると脅迫し、要求している人なのかもしれません。

奥の心を見なければ、真実は見えてこないものです。

奥を見ていくと、無反応の中にも思い通りにしようとする気持ちが現れることがあります。

自分は反応をしない。でも誰かに状況を改善して欲しいと思っていたら、
それも他者を利用して状況を思い通りにしようとしている証です。

こんな気持ちを抱えていると無反応も一種の脅迫と言えます。

そして正義を貫く気持ち。

そんな一見正しい行動の奥にも思い通りにしようとする気持ちが隠れていることがあります。
だからいつでも奥の心を確認することが大切です。

万能感が満たされたらいい。思い通りになればいい。

そう感じる人もいるかもしれません。
ですが、万能感は孤独感と表裏一体なのです。

思い通りになる状態とは一方的な動きであり、他者との真の交流は生まれません。
そのため心の奥にはいつも孤独感を抱えることになります。

万能感。

それは自我から生み出された怪物、宇宙の法からはみ出た異物です。
その起源は、「他者の存在なしで自分は存在出来る」という法を無視した幻想にあります。

法の中で生きる人間が法を無視している。

その矛盾が今、社会の混乱や環境破壊という滞りとなって現れているのです。

現代人の自我は万能感と孤独感に汚染されてきました。
それは心の奥深くまで染み渡っています。
そして気付かぬうちに人々を苦しめ、世界を混乱させています。
その苦しみや混乱はバーチャルな空間や幻想から生まれているのです。

だから大切なのは現実の自分と向き合うことです。
そして宇宙の法に沿って、自分の想いを表現していくことです。

そうすることで、現実の中で自分がもまれ、想いも自分も変化していきます。
その変化が喜びとなり、新しい時代に向けた希望となっていくことでしょう。

僕は今、そんなふうに生きています。

昨日は新月。

決意を表現するのに適した時です。

僕は自我がもたらす幻想、万能感と孤独感を完全に超えていきます。
そして時代の変化と一体となり変化の喜びを体現していきます(^-^)

数日前の朝の富士山。空には三日月も浮かんでいます。



僕は流れに導かれる

分断し対立し続ける社会


子どもの貧困問題を扱ったNHKのニュース番組が放映されました。
そして、そこで自らの体験を語った一人親家庭の女子高生がインターネット上で中傷され、
それに対する抗議デモが起きています。(※以下のリンク先を参照)

子どもの貧困 語った高校生を批判、・・・・

貧困たたき 新宿で緊急講義デモ

こんなニュースに触れると社会が本当に分断されてしまっていることを感じます。
人々は分断され、自分の視点からのみ社会を眺め反応しているのです。

女子高生を批判している人々は「彼らの正義」で動いています。
彼らなりに真実を明らかにしようとしています。
ですが、それは偏った視点であり、事実の確認や他者への思いやりが欠如しています。

その一方、抗議デモをしている人たちも正義の下に動いています。
それは彼らなりに真実に基づいた行動であり、その真実は正しいのかもしれません。
ですが、事実の確認をしていないという点ではおそらく前者と同様です。

事実の確認なしに大きな対立となり、そしてそこには対話がありません。
そこで行われているのは感情の発散であり、自己主張であり、
何かが積み上がることはありません。
自らを正義の立場に置くことで、真実や自分自身に対する探究はストップし、
対立の構造は続いたままとなるのです。
今の社会では、こんな事例は他にもいくらでもあるのではないかと思いました。

大きな流れのもとに生きていく。


ところで最近僕は、木の花ファミリーを離れた人が当時書いていた文章を読む機会がありました。

彼は自分と向き合い自分を超えていくことを誓い木の花ファミリーのメンバーとなったのですが、
心変わりをし、今は木の花ファミリーを離れて暮らしています。

メンバーだった頃、彼は言葉では「自分を超える」と話しながら、
実際は多くの時間を自らの感情に翻弄されて過ごしていました。
そして、そんな自分を正当化し他者が変わることを求めることもありました。
木の花の暮らしに共鳴し、頭ではその大事を理解し追究しながらも、
実際の人間性が追い付いていなかったのです。

そんな彼が当時「すべての出来事が有難い」と書いていました。
僕はそれを見て、何が有難かったのだろうと思いました。

すべての出来事は、それが生かされた時、本当に「有難い」ものとなります。
生かされなければ、「痛み」は「痛み」、「苦しみ」は「苦しみ」のままとなります。
自分の感情に翻弄され続けていた彼は苦しかったのではないかと思います。

途上の苦しみはおそらく誰にでもあることです。
ですが、それを超えた時、真の喜びに出会えます。
僕自身今までいくつもの山を越え、その度に喜びに出会ってきました。
その喜びを糧にこれからも「自分という山」に向き合い登り続けていきます。

彼は自分に向き合う決意をし、その苦しみとも向き合いました。
ですがその苦しみを超えることなく、木の花ファミリーを離れていきました。
苦しみながらも自分と向き合った彼の時間は生かされなかったのです。

そして今は分断と対立が溢れる社会の中で暮らしています。
そんな中、自分と向き合うのはより困難になっていることでしょう。

出来事を生かしていくには、出来事を超えていく必要があります。
そして、自分を生かしていくには、自分を超えていく必要があるのです。

この世界を運営する視点に立ち、自分のことも他者のことと同じように眺めます。
そして、自分も他者も同じように生かしていく。
それは自分を正当化することでもなく、正義の立場におくことでもありません。

自然界ではすべての存在が繋がり生かしあっています。
生きているものが生きているものを支える。
そんな循環の中で生命は育まれています。

そこには正義や悪という概念は存在しません。
ただすべての存在が繋がり生かされているのです。

そんな視点に立ち、自分たちの体験を生かしていくことが大切です。
その時、社会は分断と対立を超えてすべての経験は生かされていくのです。

最近、木の花ファミリー通信 Vol.87 - 2016年夏号【医療革命】 が発行されました。
そこにはこんなことが書かれています。



☆彡 ☆彡 ☆彡

この世界には、流れがあります。出来事の表面ではなく、
その奥に心の目を向ける時、全ての出来事の背後を常に変わることなく流れ続ける、
大きな流れがあることが観えてきます。
自らの立ち位置を離れ、その流れに乗って生きると、
不思議なほど色々なことが連鎖し、とんとん拍子に物事が進み、
自力で何かを成し遂げようとしていた時には想像もできなかった世界が現れるのです。

その流れの中では、余分なものは自然とそぎ落とされ、
人々の中に眠る無限の可能性が花開いて、
様々な個性が響き合いつながり合い、美しく循環していくことでしょう。
それは個人の満足をはるかに超える、ダイナミックな生命の喜びにあふれた世界なのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

こんな世界をみんなと表現していこうと思っています(^-^)

僕は流れに導かれる。




制限の中で無限の可能性を生きる

ポケモンGOが原因での死亡事故が発生しています。

ポケモンGOしながら車運転 初の死亡事故徳島

「ポケモンGO」死亡事故2例目・・・女性が被害

それでも多くの人にとってポケモンGOは楽しいソフトであり、
経済発展をもたらす素晴らしいものなのでしょう。

高揚感を生み出していく」でも書きましたが、ポケモンGOは依存症にも繋がります。
それでも問題にならないのは、多くの人が経済発展の依存症になっているからでしょう。

歴史を簡単に振り返れば、経済発展は資本主義や市場経済によりもたらされましたが、
その背後には「価値が無制限に増殖する」という思想があります。

価値の源泉は昔、土地(自然)と考えられていました。
つまり自然という限界を意識する必要があったのです。
ですが、人間は価値の源泉を労働に求めるようになりました。

働けば働くほど価値が増える。

それは自然の制約を無視した行動へと繋がっていくのです。
そして、現在では価値の源泉に「貨幣の取引」が加わっています。

貨幣には利子が存在します。

利子が存在することにより、お金は置いておくだけでその価値を増やしていきます。
そこにも制限はありません。
加えて、それは自然とは無関係なバーチャルな空間となっています。
マネーゲームに夢中になる人々はバーチャルな空間で価値を無限に増やそうとしているのです。

ですが今、地球環境は限界に達しつつあり、その有限性を明らかとなっています。
「価値が無制限に増殖する」ということが幻想だったということを示しているのです。

ですが、人類は今でも経済発展を求めています。
それはいまだに「価値が無制限に増殖する」という幻想に囚われている証であり、
多くの人が現実ではなく、バーチャルな幻想の中で暮らしているということです。

そんな中、悲惨な現実は置き去りにされています。

バーチャルなポケモンGOに夢中になる人々の姿にもそのことが現れています。
その先に未来への展望があるようには思えません。
だからこそ、人々はさらに幻想の世界に籠っていくのかもしれません。

ですが、現実を受け止めることで切り拓かれる未来があります。

ここでいさどんの言葉を2つ紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この道を極めることが大切です。
そこに向けて真っ直ぐに行くと人の価値が上がります。
そして価値が上がると自然にみんなから支持されるようになるのです。
その位置で願いが叶っていくことが大切です。
想うと叶うというのはそういうことです。

ところがあなたの場合、叶わない現状にありながら、
願いを叶えたいという願望や欲望になっているものだから、
宇宙の法から外れてしまったのです。
だからそれは「自分のこと」であり、我欲となっていくのです。
宇宙は「もっと叶えたい。あなたの望みは全部叶えたい。」と願っています。
その代わり宇宙の法に沿って願えということです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

お釈迦さまはそういうことを人々に伝えようとしたのだろうと思います。お釈迦さまの時代は、これから人々がエゴを表現し、欲望を膨らませていく時代でした。そんな時代だったためお釈迦さまの言葉は人々の救済のためのメッセージとなってしまいました。宗教が救済になってしまったのです。ですが、宗教の本質は、自らが何者であるかを悟るためにあります。一人一人の道は違います。個性豊かな道が用意されています。共通しているのは共に一つの方向に向かって悟ろうとする動き、これは宇宙の動きです。そうすると今までの宗教のように価値が固定化し、信者が既製品のようになることはありません。


☆彡 ☆彡 ☆彡

みんな、宇宙の法則という縛り(制限)の中で生きています。
生きとし生けるものは必ず衰え、いずれ死を迎えます。
そして、空気、水、太陽、風や大地など、自然の恵みに生かされています。
生き物が生き物を支え循環しているのがこの世界であり、
その法則から抜け出せるものは存在しません。

そしてエネルギーの絶対量も変わりません。
循環の中で形を変えていくだけであり、価値の増殖は幻なのです。

ですが、同時に可能性は無限でもあるのです。

宇宙の法則という制限の中で無限の可能性が開かれている。
そこにこれからの未来への希望があります。

例えば人間の脳ですが、現在その機能の10%程度しか使われていないと言われています。
そして、肉体にもまだまだ開発されていない可能性が存在しています。

例えば、シンクロナイズドスイミング、ロシア代表のナタリア・イシェンコ選手は、
水性哺乳類としての潜在能力を覚醒させています。(NHKスペシャル「ミラクルボディより」
それや肉体という制限に向き合うことにより開発された能力です。
加えて、強い向上心から常に相手に合わせる能力も獲得しているのです。

それは自分と向き合うことによって開発される人間の可能性を示しています。

宇宙の法則から外れた願いを持つとそれは「自分ごと」となり、幻想を必要とします。
そしてそれはいずれ滞りとなって現れます。
(※このこと自体も法の中にある出来事ではあるのですが・・・)

今、多くの人がこのような「自分ごと」の願いを持ち、
世界は幻想で溢れ、現実は混乱し、様々な問題が発生しています。
ですが、宇宙の法則に沿って願い努力する時、現実世界に無限の可能性をもたらします。

それは決して思い通りの世界ではありません。
ですが、どんなふうになるかは分からない。
そんなワクワクする想像を超えた可能性に開かれていくのです。

そして、それは一人一人の個性や歴史に応じたオリジナルな道でもあります。
共通しているのは「法則に沿っている」という事実だけです。
そして、その法則が人間の想像を超えた世界をもたらすのです。

宇宙の法則に沿うこと。

それは自分と向き合い続けることであり、
天の流れを読むことであり、
責任を持って決断し、結果を潔くいただくこと。

そんな生き方が切り拓く未来はきっと生きとし生けるものが支え合う調和した世界。

個性豊かな花開く。

そんな未来に向けて木の花ファミリーのみんなと日々を大切に暮らしています(^-^)


木の花ファミリーのみんな@8月27日「恵みいただきます」。


ちなみにこれは8月27日「恵みいただきます」でお客様に提供した料理です。

宇宙の法則を生きて、それを知っていく。

尖閣諸島に中国船団が押し寄せ日本と中国の領土問題が話題になる中、
木の花ファミリーでは昨日から今日に掛けて8名の中国人のお客様を迎えています。
彼らは仏教を実践者で、中国でコミュニティを立ち上げようとしています。

昨晩の大人ミーティングでは、いさどんブログ「イスラム教徒は何を伝えようとしている?~ダッカ人質テロ事件から時代を読む」がシェアされ、そこからテロや平和、禅、お釈迦さまの悟りとこれからの悟り、時代の流れなど様々なことを語り合いました。そして、その最後にいさどんは以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

日本と中国は世界の情勢の中で立場が違います。その違いは認識の違いから生まれます。
そこからお互いに異質なものを感じるとそれが最終的に対立に至ります。ですが、広い世界観で見るとみんな同じとなります。この地球という同じ環境を共有しています。すべてのものは微細なものの集合体です。その違いはどこにあるのでしょう。人々には差別の意識が生まれ、それが表現されます。自我が差別を創っているのです。自然を見ると多様な生命が存在し、一つの生態系を表現しています。すべてのものは一つです。それが弱肉強食のように見えるのは部分的に区切るからです。巨大な宇宙の中にいて、微細な集合体によって一つの世界が創られているのです。

お釈迦さまはそういうことを人々に伝えようとしたのだろうと思います。お釈迦さまの時代は、これから人々がエゴを表現し、欲望を膨らませていく時代でした。そんな時代だったためお釈迦さまの言葉は人々の救済のためのメッセージとなってしまいました。宗教が救済になってしまったのです。ですが、宗教の本質は、自らが何者であるかを悟るためにあります。一人一人の道は違います。個性豊かな道が用意されています。共通しているのは共に一つの方向に向かって悟ろうとする動き、これは宇宙の動きです。そうすると今までの宗教のように価値が固定化し、信者が既製品のようになることはありません。


今は21世紀初頭ですが、2000年までの物質的発展の時代が終わり3000年に向けての人類の新たな扉が開いたのです。開いたばかりなので、これを生きる人には困難が待っています。あなたがたは中国という体制に中で生きています。日本でも自由の中にありながら、人々は既製品化されていっています。人々は現代の価値観に囚われて縛られています。これは自らとの闘いであり、古い時代の衣を脱ぐ必要があります。あなた方のお話しを聴きながら、共通の使命をもって生まれてきていることを感じました。そして共に暮らすこの活動が始まりました。今はまだ草の根の活動ですが、明らかにこの動きは時代が創り出しています。2000年から3000年に向けての扉が開いたといいましたが、私たちの付き合いも扉があきました。これからもよろしくお願いします。

☆彡 ☆彡 ☆彡


新しい時代に向けた素晴らしい出会いとなりました。
このような人と人との出会いが積み重なり、国と国との関係も変化していくのでしょう。
それは希望の物語です(^-^)


話しは少し変わって・・・

昨日一日考えていたことを書いてみたいと思います。


自分とは何か?


自分と一言でいうけれども、何をもって自分とするか、
自分という表現から何を思い浮かべるかは人それぞれ異なります。

自我、真我、心、意識、身体、感情、思考、・・・・

自分や「自分の・・・」という言葉から繋がる言葉はいろいろなものあります。
その言葉は発する人の意識によりいかようにも変化していきます。
とりあえず、ここでは今の僕の関心から「自分」というものについて書いてみます。

「自分」には2種類あるということを思いました。

一つが「今まで積み上げてきた自分」であり、
自動的に行う思考や行動、つまりは習慣となっているものがこれにあたります。

そして、もう一つが「すべてから自由な自分」。
これは意識的に物事を認識していく自分であり、
お釈迦さまの「天上天下唯我独尊」、デカルトの「我思う我あり」などの「我」がこれにあたります。

この2種類の自分の相互作用により、現実は展開していきます。

今まで積み上げてきた自分。


人は普段何も考えずに生活し続けることが出来ます。
それは日常生活で必要になる行動を身体が覚えているからです。
そして、無自覚のまま反応し、時には感情的になり、毎日が過ぎていきます。
自分の身の回りに起きる現実はここから生まれていくのです。

だから、現実を変化させたいと思ったならば、ここにメスを入れていく必要があります。
意識的に積み上げてきた自分を見ることにより、必要な修正を加えていくのです。
その時、出来事は自然と変化していきます。

変化を起こそうとする必要はありません。
そういう意図はどうしても表面的なものとなり、本質へとは至りません。
意識的に自分を見て、そこに修正を加えていく。
その積み重ねにより、自分が変わり、出会う出来事も変わっていくのです。

すべてから自由な自分


人間の思考は自由です。どんなことだって考えていられます。

現実を無視して空想の世界に入り込むことも出来ます。
今まで積み上げてきた自分という実態を無視し、
都合のよい自分を思い描いていることも出来ます。
それは一見すると気持ちの良い行為に思えるかもしれません。
ですが、このような態度でいると、積み上げてきた自分にメスが入ることはなく、
今まで通りの日々が繰り返されていくのです。
そしてそれは大抵、本人にとって受け入れがたいものなのです。

意識を「自分の実態=積み上げてきた自分」に向け続けることが大切です。
そうすることで必要な修正を加えることが出来て、日常に変化が生まれるのです。

そして、もう一つ大切なことは、意識を広げていくことです。

自分の実態からスタートし、身の回りから人間社会、自然から宇宙へと意識を広げていくのです。
この時、自分を知ることが世界を知ることに繋がり、自分の変化が世界の変化に繋がります。
そして、この宇宙の流れが見えてきて、変化は時代が起こしていることも見えてくるのです。

自分の変化を通して宇宙の法則を知る


今まで積み上げてきた自分が現実を生み出しています。
その自分を手放し、出会う出来事をただいただいていく。
そのようにして自分を知り、必要な修正を加えていきます。
そしてまた自分を手放していく。
この繰り返しによって変化が自然に起こります。

それはこの宇宙の法則に基づいたものであり、自分の予測を超えたものです。
そんなふうにして自らが宇宙の法則を生きて、法則を知っていくことが出来ます。

それがきっとこれからの時代の悟りであり、それは常に変化の過程の中にあり、
その過程は一人一人オリジナルで、個性豊かなものとなるのです。

だからそんなふうに生きていきます(^-^)









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