天の流れは天体の動きとなって示されます。その大きな流れとしては、2012年12月21日に迎えた銀河の冬至、その前後7年間の銀河の夜明けがあります。銀河の冬至、闇のピークへ向けて、人間は個々の欲望を追求し分断と対立を極めていきました。ナチスのヒトラーはそんな中で生まれた人ですが、ヒトラーについていさどんは以下のように語っています。
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ヒトラーが上行菩薩であるという捉え方もこの世界にはあるのです。ヒトラーという魂が地上に降りる前、天の神様はたくさんの優れた魂たちに、「この役割は地上では人々のうけは悪いが、大切な役割であるゆえ、誰かそれを引き受けてくれる者はおらんのか?」と尋ねました。しかし、地上で悪人とされる役割を引き受けようとする者はなかなかいなかったのです。そのときに、勇気ある魂が「それではわたしがその役割を引き受けましょう」と言って、地上に降りてきました。そして見事、その難しい役割を成し遂げたのです。役割を終え、天に還っていったとき、天にいる魂たちからは「難しい役割だったが、おまえはよくやった」と褒め称えられ、その魂は上行菩薩として悟りに至りました。わたしたちの中には、ヒトラーという存在は悪の権化としての認識が定着していますが、あのような出来事を起こす人間がいることによって、人々は自らの行いを戒めることができるのです。
もしも、そういった悪人の人生を生きる者たちがわざわざそれを役割として生まれてきているとしたならば、善人と言われる人々はそういった悪人の役割をする人々に支えられて、善人の立場にいることになります。ですから、この世界には善も悪もなく、ただ人間の可能性の枠の中の役割があるだけなのです。そういったことを自らの感情や特定した視点から判断するのではなく、広い世界観のもとにすべてのことを情報として判断し理解した上で、活かしていくことが大切なのです。
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人はみんな生まれる前に使命を与えられますが、誕生の瞬間にそれを忘れる。
そんな言葉をよく聴きます。使命を忘れた人間は、狭い自我に基づいてこの世界を経験し、感情を育み、目の前の出来事に一喜一憂するようになっていきます。自我は様々なことを願い、望みます。それらは叶うこともありますが、叶わないこともあります。
自我の望みが叶わないことは最大の祝福です。
なぜなら、それは自我を超えるきっかけとなり、忘れてきた使命を探るきっかけとなるからです。どんな使命であったとしても、それは人間の可能性の枠の中の役割です。それを引き受ける覚悟が人を尊いものとしていきます。
ヒトラーはその時代の要請に応じた使命を生き抜いた。だから尊いと言えるです。
今、木の花ファミリーで暮らす僕の使命は?
2年前の8月。夜空を歩きながらいさどんはみちよちゃんに以下のように語っています。
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ぼくたちは
とても大それたことをしているんだよ。
大それたということは、
恐れ多くも、ということを言っているのではなく、
非常に重要で誇らしい生き方をしているということなんだよ。
いずれ、
人々が到達すべきことを
先に知ってしまうということは、
まわりにはまだ知らない人がたくさんいるということなのだから、
孤独にもなる。
しかし、
世界観が広ければ、
そのカラクリがわかっているのだから、
たとえどのような無理解に出会ったとしても、
やり続けることができるんだよ。
時代を切り開いていくことが使命だとわかっていたらね。
そうやって
世の中は開かれていくし、
惑星の動きや時代もそれを後押ししていくんだよ。
そこで、
そのようになっていくから
放っておけばなるのかといったら、
必ずそのようになるときには
ぼくたちの生きる現象世界では、
誰かがそれを受けて示すことが必要になる。
それを示すものたちは
どのような意識であるのかというと、
星の意志や時代の流れを
受け取れるものであるわけだ。
それが高い意識であり、
天とつながることだよ。
しかし、
その役割を受けたものであっても、
役割を怠っていたら、
代わりは他にもいるということでもある。
星のサイクルのように、
時代の流れのように、
時は刻んでいく。
木の花は、
確実に時代の意志を受けている。
なぜなら、
それを提唱している僕がそういう人だから。
そして、
それに共鳴した人たちと共に
歩んでいるのだから。
だから、
わからないからわかりたいとか、
こういった立場に立ちたいとか、
自我に囚われることは禁物だよ。
星の意志や時代の流れを受け取るものとして、
そこでは明快な覚悟があるからこそ、
時代の意志(天)と共に歩めるんだよ。
とても大それたことをしているんだよ。
大それたということは、
恐れ多くも、ということを言っているのではなく、
非常に重要で誇らしい生き方をしているということなんだよ。
いずれ、
人々が到達すべきことを
先に知ってしまうということは、
まわりにはまだ知らない人がたくさんいるということなのだから、
孤独にもなる。
しかし、
世界観が広ければ、
そのカラクリがわかっているのだから、
たとえどのような無理解に出会ったとしても、
やり続けることができるんだよ。
時代を切り開いていくことが使命だとわかっていたらね。
そうやって
世の中は開かれていくし、
惑星の動きや時代もそれを後押ししていくんだよ。
そこで、
そのようになっていくから
放っておけばなるのかといったら、
必ずそのようになるときには
ぼくたちの生きる現象世界では、
誰かがそれを受けて示すことが必要になる。
それを示すものたちは
どのような意識であるのかというと、
星の意志や時代の流れを
受け取れるものであるわけだ。
それが高い意識であり、
天とつながることだよ。
しかし、
その役割を受けたものであっても、
役割を怠っていたら、
代わりは他にもいるということでもある。
星のサイクルのように、
時代の流れのように、
時は刻んでいく。
木の花は、
確実に時代の意志を受けている。
なぜなら、
それを提唱している僕がそういう人だから。
そして、
それに共鳴した人たちと共に
歩んでいるのだから。
だから、
わからないからわかりたいとか、
こういった立場に立ちたいとか、
自我に囚われることは禁物だよ。
星の意志や時代の流れを受け取るものとして、
そこでは明快な覚悟があるからこそ、
時代の意志(天)と共に歩めるんだよ。
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すべては人間の可能性の中の役割。そして、時代は闇のピークを過ぎ、光へと向かっています。それは宇宙全体が光へ向かって上昇しているということです。自分の与えられた役割が自我の思惑と違っていたとしても、それは光へと向かう途上にあるものです。だからただただ有難くいただくだけです。それが自分ごとを離れるということであり、尊い道を歩むことに繋がります。
自我の望みが叶わないことは最大の祝福です。
感情が波立ち自分の未熟を知り、そして自我を超える道へと進めます。
人は皆、使命を忘れて生を受け、そして狭い自我に閉じ込められ、目の前の出来事に一喜一憂するようになります。喜びも悲しみも浮かんでは消える儚いもの。それに囚われ苦しんでいきます。ですが自我を超え、自らの使命を思い出し、ただ淡々と役割をこなしていけば、人は常に宇宙の流れ、時代の意志と一体となります。
出会う役割が自分の使命。その役割を果たすことで天と共に歩んでいます(^-^)
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