インターネットと暴力
2016年6月21日、夏至の日にオープンしたサイト「木の花ファミリーで起きたことを検証する」に新たなページが加わりました。題して「インターネットと暴力」です。夏至の日から地球が30度動いた7月22日、大暑の日に加わったことに宇宙の流れを感じます。
上記のページに書かれていることを簡単にまとめると以下のようになります。
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私たちは一人一人独自の世界観を持って暮らしています。そのため同じ出来事に出会ってもその捉え方は人それぞれ異なります。一つの出来事が人間に多種多様な体験や解釈を生み出すのですが、そこにその人の人間性が現れます。
この世界は70億人の人々の心が折り重なり出来ています。一人一人の自我が生み出すイメージは自然界から自由であるため、それはともすれば実体からかけ離れたものともなるのです。今、この世界は巨大なバーチャルな空間となっています。例えば、お金です。今、お金はただの数字となりつつあります。世界の大部分のお金はコンピューター上でやり取りされ、それは人々の欲望や熱狂、不安や恐怖などにより価格変動を繰り返しています。そして、インターネット。誰でも気軽に発信できるこの空間は、実態とかけ離れた内容も検証されることなく拡散されていきます。そこでもてはやされるのは、上手に表現できる人であり、実際の人間性は問われることはありません。評価や注目を集める言葉が氾濫し、それらは現実から遊離し、この世界は混乱の極みにあります。インターネット上での風評被害は社会問題となり、中には自殺にまで繋がる事例まで存在しているのです。
木の花ファミリーは、このような社会の中、地に足の着いた生活を大切にして来ました。そして、自我が生み出すイメージを離れ、実際の自分を知り、人間性を育んで来ました。そこには現代社会の混乱を超える揺るぎない価値、そして希望があるのです。
2014年6月、「木の花ファミリーで起きたこと」というサイトが立ち上がりました。このサイトでは「これから書くことはあくまで可能性に過ぎません」と巧みな表現を用いながら、木の花ファミリーについて、暴力的で危険なマインドコントロール集団という物語が創作されました。木の花ファミリーでは、同サイトを管理する「コミュニティの課題と可能性を考える会」に対し、真実を検証する場を持つことを提案して来ましたが、同会が応じることはなく、上記サイトは今も存在し続けています。
彼らは木の花ファミリーを悪と見立て、社会正義の側に立っています。ですが、その情報は歪んだものであり、真実とは異なります。その証として、どんなにバッシングを受けようとも木の花ファミリーの暮らしが揺らぐことはありませんでした。それはこの暮らしが宇宙の法則に基づいたものであり、実態が伴った本物の生活だからです。だからこそ、実際に木の花ファミリーを訪れる人々にはその価値が伝わっていきました。その事実こそが、木の花ファミリーをバッシングする人々の心を浮かび上がらせます。そこで語られていることは彼らが創り出している世界なのです。
彼らは社会正義の立場に立ちます。ですが、その心に奥にある動機は純粋なものとは言えません。現代の社会規範がその行為を許したとしても真実は心の奥にあります。自分自身の中にある歪みや悪意の存在に真に向き合う時、この世界の実態に触れ、人は生を受けた本当の意味を知ることが出来るのです。それこそが木の花ファミリーの実践です。
今、多くの人が自我に囚われ、己に都合のよいイメージの中で暮らそうとしています。それが社会の混乱を生み出し、木の花ファミリーへのバッシングも生み出しています。私たちはそんな社会の風潮を懸念し、「木の花ファミリーで起きたことを検証する」を立ち上げました。その目的はあくまで人々を真実、そして新しい時代に誘うことにあるのです。
片山佳代子氏とプロバイダーの対応
「インターネットと暴力」にも触れられていますが、「木の花ファミリーで起きたこと」を情報源とし木の花ファミリーを訪れたことのない人々までもがネット上で木の花ファミリーへの批判を展開しました。ガンジー研究家である片山佳代子氏はその一人で、ホームページやブログで木の花ファミリーの批判を展開しています。
片山氏は「木の花ファミリーで起きたこと」の情報を鵜呑みにし、私たちの言葉を聞き入れることはなく、実際に木の花ファミリーを訪れることもありませんでした。それは真実から目を閉ざし、対話も拒否している状態です。
例えば、片山氏は「集団で共同生活をするとなると、どうしてもリーダーを置いて、そのリーダーに従うような組織にならざるを得ない」と書いています。そして、「木の花ファミリーはリーダーが間違え、組織全体がおかしくなった」と結論づけます。ですが、共同生活にリーダーが必要な根拠はどこにも示されていません。そして、木の花ファミリーで起きた出来事を具体的に検証することもしていないのです。もし出来事の背景、そして、そこに至る流れを検証する姿勢があれば、全く違う景色が見えるはずなのです。
検証をせずに暴力やマインドコントロールという物語を真に受け、それを広げていく。
そこに片山氏の人間性が現れています。
私たちは、そのような片山氏の姿勢を受けて、プロバイダーにサイトの削除申請を行いました。それは真実を明らかにするための取り組みです。
例えば、片山氏は「集団で共同生活をするとなると、どうしてもリーダーを置いて、そのリーダーに従うような組織にならざるを得ない」と書いています。そして、「木の花ファミリーはリーダーが間違え、組織全体がおかしくなった」と結論づけます。ですが、共同生活にリーダーが必要な根拠はどこにも示されていません。そして、木の花ファミリーで起きた出来事を具体的に検証することもしていないのです。もし出来事の背景、そして、そこに至る流れを検証する姿勢があれば、全く違う景色が見えるはずなのです。
検証をせずに暴力やマインドコントロールという物語を真に受け、それを広げていく。
そこに片山氏の人間性が現れています。
私たちは、そのような片山氏の姿勢を受けて、プロバイダーにサイトの削除申請を行いました。それは真実を明らかにするための取り組みです。
NIFTYへの削除申請
私たちはプロバイダー責任法に則り、NIFTYに対して削除申請をしましたが、郵送した2日後には「通知書」が返送されました。「通知書」には「貴依頼書の記載内容からは、貴殿の権利が不当に侵害されていると信じるに足りる相当の理由があると判断できない」と書かれ、NIFTYがサイトに削除には応じることはありませんでした。
2日後に通知書が返送されてくる速さからすると、NIFTYは片山氏に削除申請について照会を掛けることもしていないと思われます。つまり削除申請の内容について吟味をしていないのです。そこに顧客からの利益を優先するNIFTYの姿勢が伺えます。その姿勢が社会に何をもたらしているかをNIFTYには問いたいです。
Hatenaへの削除申請
HatenaはNIFTYとは違い、片山氏へ削除申請についての照会を掛けました。
ですが、片山氏は週刊文春の存在を根拠とし、記事の削除を断りました。その際、以下のページの文章を引用し、私たちが週刊文春の記事を事実と認めていると結論づけています。
「私たちも望んでいない不幸なことが起きたことは、外部の人たちからご指摘を受けるまでもなく、私たち自身が大切にすべきこととして学び、今後同様のことが起きることのないことを確認し合いました。そのことを改めてここに宣言します。」
(「木の花ファミリーの総意として 〜「週刊文春」への掲載を受けて」より)
(「木の花ファミリーの総意として 〜「週刊文春」への掲載を受けて」より)
ですが、私たちは週刊文春の記述について事実と認めたことはありません。週刊文春の記事により、インターネット上にてバッシングが広がり、私たちを支援して下さっている方々に心配や迷惑を掛けることになりました。そのことを不幸なことと表現し、同様のことが起こらないように努めているのです。上記のページ全部を読めば、そのことは理解できるようになっているのですが、一部分のみを取り上げるところに片山氏の作為を感じます。
このことをHatenaに伝えたのですが、Hatenaが取り合うことはありませんでした。「照会を再び掛けることは、発信者に削除を強いることに繋がる」という理由です。そして、このブログも削除されずに今に至っています。片山氏の作為についてはそのままです。
Hatenaの対応にも形式的なものを感じました。
加えて、片山氏が普段から週刊文春の記事を信頼しているのかどうかも疑問です。なぜなら週刊文春の記事を名誉毀損で訴える事例が多々あるからです。非暴力を掲げる片山氏ならば、人を傷つけている週刊文春の記事は批判の対象なのではないかと思います。ここにも片山氏の作為を感じます。
ちなみにマツコ・デラックス氏も週刊文春の報道姿勢を疑問視し、以下のように述べています。(【マツコ・デラックスが週刊文春の報道姿勢を疑問視「抹殺したいのかな」】)
(現在のインターネット社会では、週刊誌で報じたことが、週刊誌だけでおさまらず、インターネット上で)「世論が形成されてしまって、ひとりの人生をボロボロにすることが簡単にできてしまう」
「唯一、週刊誌が攻撃できるメディアだった時代と、同じ論調でやっちゃっていいのかなと思う」「ネットを含めた世論の形成のされかたを見てると恐怖は感じるよね」
片山氏、そしてHatenaこのような言葉に耳を傾ける必要があるのではないかと思います。
真実を明らかにする
木の花ファミリーのみんな@マヤの式典(2016年7月26日) |
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