全幅の信頼をよせて出発(たびだって)いく。

最新の木の花ファミリーブログには出発(たびだち)プロジェクトのことが掲載されています。ここで言う「出発(たびだち)」とは「死」のことであり、みんなで死生観を深め、共通のものを育むためにアンケートを行っています。そのアンケート冒頭の文章をここでもシェアしておきます。

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私たちは「死」を人生の終わりではなく、新たな旅の始まりととらえています。それは今世の最終章としての卒業式であり、送る側と送られる側が生死の壁を超えた共通の認識を持つセレモニーなのです。

そのため、いわゆる葬式を「出発式(たびだちしき)」と捉え、葬送の儀は「出発人(たびだちびと)」との出会いを通して人生を振り返り、人生の最終章を迎えた者を祝福し見送るものと考えています。

私たちが「生きている状態」とは、肉体と魂が一体となって生命世界において循環している状態です。それに対して、「死ぬ」ということは、肉体と魂が分かれ、肉体は生態系の構成要素として3次元宇宙の中に、魂はそれぞれに相応しい異次元宇宙に還っていくことです。

このように捉えると、肉体は死を境に消滅してしまうわけではありません。人間や動物、植物といった、ひとつの生命としての一時的な姿が終わるに過ぎないのです。常に変わり続けるもの、それが3次元生命の姿です。

これに対して、3次元生命を生命として束ねているものが魂・霊性です。私たちは魂と肉体の分離を死と呼びますが、それは終わりであると同時に始まりでもあるのです。死によって肉体は生命としての循環の仕組みから解き放たれ、原子の単位となってこの世界へ散らばっていきます。一方、魂は新たな次元において次の旅の準備を始めるのです。

「死生観」という表現は、死を生の側からの視点だけで捉えた言葉であると言えます。しかし、生死を超えた視点から死を捉えると、死生観というように、生の奥に生を支える魂の世界が連綿と続いていることになります。つまり私たちの本来の姿は魂、霊性であり、いわゆる「死後の世界」こそが本来の居場所であることになるのです。つまり、私たちは生死を繰り返すことによって学び、本来のあるべき立ち位置に目覚めていくのです。ですから死とは、その学びの大切な節目なのです。

しかし今の社会において、死生観という概念は一人一人違うものです。人それぞれが持っているその人の価値観によって、生きることも死ぬこともその受け取り方が違ってくるわけですから、人の数ほどあることが当然なのです。


そこでアンケートによって個々の意識を確認し、私たちの死生観に対する認識を共通のものとし、ファミリーとしての出発式の様式に反映させたいと思っています。

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出発(たびだち)に関するアンケートは2013年に一度実施しているのですが、その時は個人の気持ちに焦点を当てたものとなっていました。一人ひとりの想いを尊重する。それは今の価値基準では当然に思えるかもしれませんが、それ以上の親しさや豊かさ、深みのある世界があるのです。昨年の12月、いさどんは「出発(たびだち)」について以下のように語っています。

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全幅の信頼があればいい。それはなんでこの生活しているかを突き詰めていけば、そこに行きつく。充分にそこまでいきついていないといろいろな意思表示がでてくる。でもそれが現状ならば、それを踏まえる必要がある。それを共通の目的と照らし合わせる、そしてそれと社会との整合性。ここには社会に対する責任もある。個人の意思木の花全体の目的。その3つを表現していく必要がある。
個人が自分だけのことを考えたら、私が死ぬときは・・・・という発想になる。でも逆に言うと、あなたが自分のことを考えるよりも僕はあなたのことを考えている。そして全体も。ならば、あなたはあなたのことを考える必要があるの?

出発(たびだつ)ときの位置。それを少しでも高くしたい。日頃から自分の発想の元の心を見ることでそのチェックをする。それが自分を高めることになる。

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木の花全体の目的とは、宇宙の意思をこの世界に顕すことです。それは「時代人」としての生き方です。それは個人的な願望や思惑を超え、流れをいただく生き方です。ですが、実際の個人がそこに至っていない場合、それを踏まえる必要があります。一人ひとり、自分の想いを正直に語ることで、それを手放していくのです。それが僕ら木の花ファミリーの日常です。

そして社会です。今の社会はまだ個人の願望や権利を尊重する中で成り立っています。その結果、表面的な違いが際立ち、分断や対立が生まれ混乱が極みに達しています。そんな社会のルールや現状を踏まえ、その中に宇宙に意思を顕していく必要があります。だから僕たちは社会との繋がりを大切に暮らしています。アメリカ大統領選や日印原子力協定、TPPなどの世界情勢を意識し、出会う人々との交流から今の社会を感じ、人間についての学びを深め、その奥にあるこの宇宙の本質を知っていくのです。

これが僕らの日常、そして出発(たびだち)はその延長にあります。「死」という現実に向き合うことで生じる個人的な想い。それを表現し手放すことで、常に変化し続ける生死の本質へと至り、目覚めていくのです。それをみんなで祝い、そこから学ぶことで、今の社会の中で生死の本質を示していく。出発(たびだち)式はそのような場となっていくのだと思います。それは「死」を恐れ「生」に執着することで混乱が生じている今の社会の中で希望の光となっていくことでしょう。

きっと僕らはそんなふうに生きて、そして出発(たびだって)いくのです。

そんな僕らの生き方が凝縮された祭りが富士浅間木の花祭り次回は2017年1月28日に開催されます。艮の金神の復活、生まれ清まり舞い踊る、うれしたのしの地球のお祭りです。是非、一緒に踊りましょう♪


木の花祭りの登場する金神さまです。



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