なかのんが進むとそのままズトンと落ちる

昨日の朝、散歩をして富士山と川を眺めていたら、
昨年の5月に書いた「願いから自由になるために生まれてきた」を思い出しました。
以下、そこからの文章を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この豊かな世界では様々な願いごとが生まれる。
誰かを好きになったり、美味しいものが食べたくなったり、旅をしてみたくなったり。
願いが叶うことは嬉しいことだが、それは一時的なものですぐに次に願いが生まれる。
願いが叶って喜んだり、叶わずに苦しんだり悲しんだり。
それはそれで楽しく豊かな人生なのかもしれない。
でもそれは刺激と反応の繰り返し。
その奥に更なる幸せがあることを僕は知っている。

願いを叶えるために生まれたのではなく、願いから自由になるために生まれてきた。

願いから自由になって、個人的視点から離れる。
そしてこの世界の真実を知り、それと一体になる。
僕はそのために生まれてきた。

それは宇宙や地球と一緒に学び幸せを味わう生活。

そこに至るためにこの暮らしがあり日々心を磨いている。


☆彡 ☆彡 ☆彡

多くの人は目の前の出来事に一喜一憂しています。
それは刺激と反応の繰り返しで、自分の人生が感情に支配されている状態です。
人生が自分のものとはなっていないのです。

例えばアメリカ大統領候補のトランプ氏は歯に衣を着せない発言で人気を集めて来ました。
それは人々がなかなか言うことが出来ない本音だからこその人気だったのだと思います。
ですが今、トランプ氏は窮地に立たされています。
トランプ氏は過去に女性を蔑視した発言をしており、そのビデオが公開されたのです。
今、トランプ氏は非難にさらされています。

確かにトランプ氏の発言は問題あるもので、非難されるのは当然です。
ですが、女性に対する蔑視は男性優位の社会が続いた中で生まれた歪みであり、
社会全体で乗り越える必要がある課題です。
それは一人の人を責めればそれでよいという問題ではありません。

トランプ氏を賞賛する時、人々は自分の中の望みをトランプ氏に託しています。
そして非難する時は、自分の中にある汚れをトランプ氏に見ているのです。

どちらも本来は自分の中にあるものです。
それを外に見て、状況の変化により一喜一憂しているのです。
これは自分自身の特性や想いを外に投げ出してしまっている状態です。
この状態では自分が変化することはありません。
自分は変化しないから、出来事が繰り返されるのです。

自分を直視してその自分を乗り越えていく。

その時、初めて人生が自分のものとなり未来へと進んでいくのです。

そして思いました。

宇宙と自分は一つです。
ならば宇宙や世界で起きることと自分の体験は同じものなのです。
本来すべてが自分のこととして感じられ理解されるはずです。
ですが、実際はそうではありません。
そうではないのは自分と世界が切り離されているからです。
それはこの身体だけが自分だという勘違いから始まっています。
その勘違いにより、人は自分の人生を失っているのです。
なぜなら、この世界、この宇宙で起きる出来事はすべて自分の人生なのだから。

世界と自分が一つになる道。

それは悟りへの道であり、山に登り、川となって流れる道でもあるのです(^-^)

昨日の朝の富士山です。

ここまでは昨晩の大人ミーティングの前に書いた文章です。
そしてこれ以後は大人ミーティング後に書いた文章であり、
新しい自分が書いた文章です。

昨晩の大人ミーティングでは「分からないことの先に無限の広がりがある」をシェアしました。
いさどんは、その最後の方の文章を見て「なかのん道」を感じたといいます。
それはマニアックな方へと行く危険性ということです(^-^;)

以下、いさどんの言葉を箇条書きしますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

何のために文章を書いているのか?

全体のためでなく自分のため、自分のこだわりになり始めている。

変に力が入っている。だから疲れる。

余分な力を入れずにもっとニュートラルになることが大切。


なかのんの中では今でも地球は平らになっている。

だからなかのんが進むということはそのままズドンと落ちるということ。

☆彡 ☆彡 ☆彡


面白い!!!

と思いました。

特に「なかのんが進むとそのままズドンと落ちる」というあたりが。

だから僕は前には進まずに天へと昇っていくのです。

な・ん・て・ね♪

なんにせよ、こんなふうにチェックが入るのは有難いことです。

理屈抜きで納得です(^-^)



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