
カルマとの対向発生、そして意識が変わる
ある日の大人ミーティングにて、ジイジはこんなふうに語りました。☆彡 ☆彡 ☆彡生命にとっては、変化変態することが進化することですが、人間が自我に取り込まれると、その自我が創り出すカルマ(=心の垢)に汚染されていって、カルマが変化を阻むようになります。 いいことも悪いこともカルマとなります。いいことも囚われていくと心の垢になっていきます。悪いことはなおさら心の垢になります。 だから常に柔軟性を持って、その都度、どこにいくかを見ていくという話をしています。 今、大人ミーティング中にマコモダケの処理をしていますが、365日毎日あんなことをやっていたら嫌になってしまいますが、今がマコモのピークだから、今はその気になってやりましょうね、ということでエネルギーが湧いてきます。そうやって地球でやることは変化していきます。 若い時もあれば、熟してきて終わっていく時もあります。それに相応しい自分自身の扱い方、そういうものも柔軟であれば、器用に有効に自分を使っていけます。 ですが柔軟でない人は、通り一辺倒になります。もっと酷いのは、自分の柔軟さに欠けている状態が見えない状態です。見えていて分析できる状態で、それをやるならば、それは超えていく作業になる可能性があります。分からないで頑なにやる人は、本当にいくら一生懸命にやったとしても、そのパターンを超えていくことが出来ません。それをやり続けていると、次へとクリアするために語る言葉が、その場逃れのものとなり、それが癖になってカルマになると、カルマが独り歩きするようになります。何か問題を起こして、周りから「これはこうだよ」と言われると、その「こうだよ」と言われる場面をクリアするための言葉を言うだけで、相手の言葉を心に入れなくなります。言葉では「改善する」と言いますが、それは魂の入った言葉ではなくて、その時点で噓八百を語りだすことになりますが、そういう自分も周りから言われないと分からなくなります。自分を全くコントロール出来ていない状態。こういうふうになるのは固いからで、その時その場に応じた相応しい自分の扱いが出来ていないのです。 自分から発した言葉が自分の心から発した言葉ではなくなっていきます。自分から発した言葉は魂込めて言霊としなければなりません。そうでないと、嘘をつくことになり、その偽物の言葉が発せられたことによって矛盾が自分に返ってくるのです。ここは、自業自得の世界ですから。反対に、矛盾のない魂を込めた言葉を発したら、矛盾のない出来事が返ってくるのです。 今ある現象を見て、これが答えだからこんなものだと思っていてはいけません。心磨きをしないでいたら、どんどんどんどん負債が溜まっていきます。それをいつ見て気づくかですね。 学ぶつもりになれば、どこからでも人は学べます。ただ学ぶ意思がある人のみです。「ガンジスの砂のごとく衆生はおる。そのすべてに仏性あり。」そうお釈迦様は言われたのですが、僕にはそれに付け加えて、「ただし、その道を歩んだものだけにな。」と言われました。その道を歩まなければ仏性は表れてこないのです。☆彡 ☆彡 ☆彡変化変容を繰り返すのが生命の本質で、それが進化するということなのですが、人間のカルマは変化を阻んでいます。道を歩むとは、そのカルマを超えていくこと、その方法を語っているのが、ジイジのブログ「カルマよ、ありがとう。私は次のステージに行きます」です。以下、その一部を紹介しますね。☆彡 ☆彡...
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