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混乱とは泥の中にいるということ。そこから蓮の花は咲く。

1月22日、夜明け前のお月様です。

今から2年前、2017年1月20日にトランプ氏は大統領に就任しましたが、当時、その就任演説を聞いたジイジは以下のように語っています。

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トランプ氏の演説は、歴代の大統領の演説よりも極めて明快でわかりやすい。今までのアメリカ大統領の演説には、世界戦略に向けての含みがあった。しかし、トランプ氏の演説にはアメリカ的本音が観えてきた。それは、地球の富を握るトップの人々から人間の本音が出てきたということ。その本音とは、結局自らの利益しか考えていないということだ。

アメリカの姿勢はずっとそういうものだったが、世界の警察だの正義だのと言って、本音の部分を隠してきた。しかし実際にその根底にあったのは、自国の利益の追求だった。そういった意味では、地球上の人類の歩みのエゴの部分を表現した象徴的な国家と言える。それを外面上は美しく装っていたが、内部ではどんどん矛盾が膨らんで格差が広がり、今やアメリカの格差は世界の格差となった。
アメリカはまた訴訟の国でもあり、多くの人々が自らの利益のために歪んだ主張をして争っている。イスラム世界との対立も「テロとの戦い」と言って自らを正義の立場に置いているが、それも自らのイデオロギーや宗教的主張を正当化しているに過ぎない。本来、多民族が暮らす大らかな国でありながら、とても不正義で欺瞞に満ちた国であることが観えてきた。
今の世界情勢を観ていると、そういった今まで世界を支配してきた体制が終焉を迎えていることがわかる。さらに明快なことに、太陽や宇宙の星々が示しているターニングポイントが、地球上の時代の切り替わりを表しているということを、これまでにも何度も語ってきた。今、演説でどれだけ華やかに希望を語ったとしても、その延長線上に未来はないだろう。もし今までの体制がこのまま続くとしたら、それは宇宙の法則から外れていることになるのだから。
今のアメリカを代表とする世界情勢は、人間が欲のままに生きてきた時代の最後のあがきを、とてもわかりやすく表現している。アメリカは言わば大きく成長した分家のような存在であり、もともとの本家はイギリスだ。産業革命以降の世界戦略の結果が今の混乱に表れており、今、イギリスもまたアメリカと同じように、イギリスファーストを語り出した。これは、産業革命以降の世界をリードしてきた物質的発展の象徴である国々が、終焉を迎えたということだ。そのように捉えると、やっと訪れた新たな時代のメッセージが現実となっていることを感じて、心地よい思いにもなる。


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先日、イギリス下院議会で、EU離脱案が大差で否決されました。そしてアメリカでは、メキシコ国境の壁建設を巡る対立から予算の執行、政府機関の一部閉鎖状態が続いています。上記ジイジの言葉から2年が経ちますが、実際にアメリカもイギリスも政治が機能しない状態となってきています。そして、これは今の世界の一人ひとりの生き方の反映となっています。上記の言葉に続いてジイジは以下のように語っています。

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これまでは、欲や感情に任せ、物事の本質を失った者たちが自らの内から湧き出てくる欲望のエネルギーに翻弄されて闇雲に時代を創ってきたと言えるだろう。しかしこれからの時代は、ものの本質を捉え、それを情報として冷静に判断し、世界に貢献できる人材として、欲望のコントロールをできる人であることが求められるだろう。だから、次の時代を生きる個人は、その視点を持って日常を生きることが大事なのだ。
人間には、人それぞれの性質がある。その人らしく思考し、それが表現された時に、そこに調和が生まれたり、対立が生まれたりする。つまり、対立も調和も、その人の人柄が創り出しているものだ。
人々は、例えば日常の中の小さな家族のいがみ合いや身近な人との不調和は、国同士の戦争や地球環境の汚染とは別のものだと思っている。しかしその出来事の本質は、同じものだと考えるべきだ。毎日どのように生き、どのようなものを食べると病気になっていくのか、そしてそれを治すためにどのような医療を受けるのかということも、人々は戦争や環境汚染とは別だと思っているが、実はそういったことが積もり積もって戦争や環境汚染が起きている。
この世界は相似形で、小さなものから大きなものまで全て同じ仕組みで成り立っているのだから、実はとてもわかりやすい。宇宙を理解することも、地球を理解することも、生態系や環境を理解することも、人類社会を理解することも国家を理解することも、すべて自らの姿勢を観るのと同じように観れば、よく理解できる。自らの姿勢は自己責任によるもの。平和的に生きるのも対立的に生きるのも、自らの姿勢次第だ。
国家というのは、民主主義であっても共産主義であっても独裁国家であっても、必ず民衆の支持の元に成り立っている。人々が自らの日常の生活を平和的で健康なものにすれば、その連鎖は必ず国家に反映される。調和的で健康な人々の住む国家は必ず優れた国家になり、優れた国家が集う地球は優れたコミュニティになるだろう。それは何も難しくない。ところが人々は、どこかで自らとこの世界を仕分けている。だから世の中に対して不満を言い、ひどい時代だと嘆きながら、自分自身にメスを入れないのだ。

しかしそのことが本当に観えてきたら、世界に逆の現象が起きる。人々が自らの中にある矛盾を見出し、それを改善していくようになれば、世の中の問題は憂うべきことではあるが、世の中が混乱すればするほど「来たぞ来たぞ!」とその時が来たことを楽しめるようになるだろう。一たびその視点を持った者は、混乱が起きれば起きるほど、それを別次元から眺めるようになる。
混乱とは、泥の中にいるということ。その泥をかき混ぜて、活性化し、芽が出ると、そこには蓮の花が咲く。

富士山に登る時、登り口はたくさんある。しかし頂上へ近付くにつれて、道は一本になっていく。時代はいよいよ、真実を観る時がやってきた。それが21世紀であり、30世紀に向けて人類はどのように進化していくのか、地球上でどのように役割を果たしていくのか。今は個人も国家も皆、自らの損得勘定によって動いているが、個人ならば国家が自分に何をしてくれるのかではなく、自らが国家に対して何ができるのかを考える。国家は世界に対して何ができるのかを考える。いよいよそういう時代がやってきたのだ。
あなたの責任はあなた自身が取ること。それによって、あなたはこの地球上に自らの意思を役割として反映する義務があるのだ。誰かがやってくれるのではない。ひとつひとつのことに魂を込めて、あなた自身がやるのだ。

人間の体は、地球全体からすれば点にもならないような小さなものだ。しかし心は、地球をいつくしみ、宇宙と一対になって対向発生するような壮大なスケールにもなれる。

そのような視点から現代の世界情勢を観てみると、いよいよ面白くなってきたぞ、とウキウキするね。

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人がその人らしく思考し、表現することで、調和や対立が生まれる、対立や調和もその人の人柄が生み出しているもの、そして、一人ひとりの日常のいがみ合いが戦争や地球環境汚染へと繋がっている。

ジイジはこんな風に語っています。

今までの時代、人々は自らの欲望を満たすために都合のよい社会を創ってきましたが、その姿勢が一人ひとりの人間性に反映されています。そしてその人間性が、この世界に孤立や対立を出しているのです。それは天体の動きが生み出したトキの流れと言えますが、銀河の夜明けを経て、その流れは大きく変わろうとしています。

一人ひとりの人間性が、この世界に、戦争や紛争、格差や対立、環境破壊や異常気象などの混沌を生み出してきましたが、混沌は泥であり、泥をかき混ぜ、その奥に眠る調和の種を見出し育てれば、美しい蓮の花が咲きます。今、混沌という泥は極まり、泥の中から蓮の花を咲かせるトキが来ています。だから今までの自分や世界を否定するのではなく、混沌を生み出してきた人間性にメスを入れ、その奥に眠る調和の種を育てていくのです。それは一人ひとり自分の責任で出来ることです。

調和を表す蓮の花が咲くには、混沌を表す泥が必要となります。混沌という泥と向き合いかき混ぜることで、美しい蓮の花が咲き誇ります。

トランプ大統領をはじめとする世界の指導者たちは今、混沌という泥をかき混ぜています。それは大切な役割ではありますが、新しい世界を生み出すには、それだけでは不十分で、その奥に眠る調和の種を見つけ育む必要があります。それは私たち一人ひとりに託されています。

だからまずは一人分、泥と向き合い、美しい蓮の花を咲かせ続けます。


価値あるものとして自分の想いを表現する(2)

憎しみは未熟な人間の愛情表現。

ふと、そんな言葉が浮かんで来ました。そしてすぐに「愛情の反対は憎しみではなく、無関心」という有名な言葉を思い出しました。憎むということは、その対象に関心を持っていて、心の中には対象が居続けることになります。そして何らかの形で対象に関わろうとしているのです。無視をしていても、無視することを通して、相手に影響を及ぼすことを期待するでしょうし、関わらないようにしていても心のどこかで相手が変わる(=相手に影響を与える)ことを期待しています。憎んでいる時は、エネルギーが相手に向かっているのです。

そして、ジイジの言葉を思い出します。

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物事の捉え方はたくさんあってね。

善意で捉えようと思ったら、
この世界にある全てのことは、
善意になるんだよ。

ただ、
人にはそれを善意で捉える力がないだけなんだよ。

宇宙は全て善意でできている。

なぜかというと、
宇宙は調和でできているから。

調和は、
悪意では保てない。

調和は、
善意によってしか、
成り立たない。

だから、
物事を善意で捉えられないときには、
自分が未熟だと思わないといけない。

そこを悪意で捉えるということは、
自分を観ないで、
悪意は相手から来ると思っているのだけど、
悪意は、
自らの未熟さから生まれるものなんだよ。

だから、
自分が言っていることは全て、
自分自身を表しているんだよ。




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自分が言っていることは全て、自分自身を表している。

この世界は鏡とも言われています。悪意に出会うことも、自分の中に悪意が生じることも、自分がそのような響きを発しているからであり、すべては相応しく与えられていることです。そして、悪意を持つことは、対象に関心を持っていることの表れであり、そこに自我の未熟さや反応パターンが反映されているため、悪意となっているのです。そして悪意を持っていると、本来は繋がり合うことを求めているにも関わらず、分断や対立、そして孤立が深まっていきます。それは自我の未熟さが生み出している自己矛盾と言えます。

トランプ大統領は、誕生して以来、様々な国際的な枠組みをぶち壊してきています。パリ協定やイラン核合意、TPPなど。そして今、中距離核戦力廃棄条約も破棄しようとしています。どれも他国や世界を意識したものであり、心を奥底では繋がり合うことを求めているのだと思います。ですが、不信感や支配欲が邪魔をすることにより、それが対立や分断となって表れています。それは今の人類全体の未熟さの表れとも言えます。

日々、いろいろな感情が沸き上がり、それに基づいて行動するのが人間ですが、その感情の出どころを見通すことが大切です。

善意で繫がり、愛が生まれ、調和がもたらされるのがこの世界です。もとの心に至ればすべては一つであり、そこには善意しかありません。すべての生命はその中で生かされています。だから僕はこの世界そのもの、そしてすべては自分自身の顕れだから、自分以外のものに何かを求める必要はないのです。ただただ自分を見通し、世界の流れと共に変化し、すべてをいただいていくだけなのです。

日々の暮らしの中で様々な感情が湧き上がるものですが、それらを上記の視点に照らしてみたら、ほとんどの感情の出どころが、自らの未熟さ、些末なところから生まれていることが見えてきます。だから自分の感情に囚われる必要はないのです。

すべてはひとつ。

その視点から世界を眺めたら、すべての出来事に理解が及び、生まれる感情は、愛と慈しみと感謝。このような善意に基づくもののみとなっていきます。常にその状態を保てるように。ただただ自分を磨いていこうと思っています。

ところで、今日の1時46分、牡牛座満月です。そして、そこに天王星が重なっているそうです。天王星は5月16日に牡牛座に移動しましたが、その前日、5月15日は牡牛座新月でした。そのタイミングで書いた文章が、「価値あるものとして自分の想いを表現する」。そこにはこんなふうに書いていました。

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天王星は牡牛座に移動しました。牡牛座は五感の美しさ、豊かさを表現する星座です。これからそこに革命を起こしていきます。それは高い志の下、価値あるものとして自分のいろいろな想いを表現することできっと実現します。「みんなで」という気持ちで豊かさを表現していこうと思っています(^-^)

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価値あるものとして自分の想いを表現する。

僕は、「すべてはひとつ」という視点から、愛と慈しみと感謝を表現していくことで、そのことを実現していきます(^-^)

木の花ファミリーのみんなです。

光を感じながら光を求めない

牡羊座満月です(^-^)

9月19日、韓国の文在寅大統領は、北朝鮮の平壌にて15万人の平壌市民を前に約7分間の演説を行いました。その内容をここに転載したいと思います。

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平壌市民の皆さん。
平壌で皆さんにお会いでき本当に嬉しいです。南の大統領として金正恩国務委員長のご紹介で皆さんにご挨拶することになったのですから、その感激を言葉で表すことはできません。

皆さん。
私たちはこのように、新しい時代を作っています。

同胞の皆さん。
金正恩委員長と私は、4月27日に板門店で会い、熱い抱擁を交わしました。

両首脳は、朝鮮半島においてもはや戦争はなく、新しい平和の時代が開かれたことを、8000万の私たち同胞と全世界に闡明しました。

また、私たち民族の運命は私たち自身が決定するという、民族自主の原則を確認しました。南北関係を全面的かつ画期的に発展させ、断絶した民族の血脈をつなぎ、共同繁栄と自主統一を早めることを固く約束しました。

そして今年の秋、文在寅大統領は、こうして平壌を訪問することになりました。

平壌市民の皆さん、愛する同胞の皆さん!
金正恩委員長と私は、朝鮮半島における戦争の恐怖と武力衝突の脅威を完全に排除するための具体的措置をとることに合意しました。

また、白頭山から漢拏山までの美しい私たちの山河を、永久に核兵器と核の脅威がない平和の地にし、子孫に受け継がせることを確約しました。

そして手遅れになる前に、離散家族の痛みを根本的に解消するための措置を速やかにとることにしました。

私は、私と一緒にこの大胆な旅を決断し、民族の新しい未来のための偉大な旅を一歩一歩歩む金正恩国務委員長に、惜しみない賛辞と拍手を送ります。

平壌市民の皆さん、同胞の皆さん!
私は、今回の訪問で、平壌の驚くべき発展を見ました。金正恩委員長と北の同胞の皆さんがどんな国を作っていこうとしているのかを確認し、胸が熱くなりました。

どれだけ平和を渇望しているかを確認しました。 困難な時代にも、民族の自尊心を守り、ついに自ら立ち上がろうとする不屈の勇気を見ました。

平壌市民の皆さん、同胞の皆さん!
私たちの民族は優れています。私たちの民族は強靭です。私たちの民族は平和を愛しています。そして、私たちの民族は共に生きなければなりません。

私たちは、5000年を共に生き、70年を別れて生きました。私は今日この場で、過去70年の敵対関係を完全に清算し、再び一つになるための、平和の大きな一歩を踏み出すことを提案します。

金正恩委員長と私は、北と南の8千万同胞の手を固く握り、共に作っていきます。
私たちは共に、新しい未来へと進みましょう。

今日、多くの平壌市民、青年、学生、子どもたちがマスゲームに出演し、私たちの代表団を熱く歓迎してくださったことにも改めて感謝いたします。 お疲れ様でした。

ありがとうございました。



※闡明(せんめい):それまではっきりしないかった事を明らかにすること。

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この演説には当然リップサービスが含まれているのでしょうが、読んでいて胸が熱くなるものがありました。韓国の大統領が北朝鮮の国民に向けて演説をする。こんな日が来るとは1年前は誰も思ってもいなかったでしょう。未来は常に未知なるものです。そして何か時代の流れを感じさせるものがあります。

話は変わって。

先日発行された木の花ファミリー通信秋分号のテーマは、「21世紀の死生観 第3部 美しいとは」です。そこにはこんなことが書かれています。

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私たちの体は、数十兆個もの細胞から成る多彩で複雑な機能の集合体です。あなたの体を見てください。目、耳、鼻、口、腕、足、全身に張り巡らされた血管や神経、骨、筋肉、様々な働きの臓器から髪の毛や爪に至るまで、数え上げればきりがないほど多様な器官の一つひとつの中に、さらに複雑で緻密ないくつもの機能があり、それらがすべて連携し、奇跡のような調和のもとに、あなたというひとつの命を形成しています。もしもそれらが連携せず、バラバラに存在していたら、命はたちどころに成り立たなくなるでしょう。つまり、宇宙の本質はつながることにあるのです。つながるとは、善意によってしか成り立ちません。即ち、宇宙は善意によって創られているのです。

その善意のつながりの中で、すべての存在は時という共通した乗り物に乗っています。

私たちの肉体は、母親の胎内で受精後、わずか1mmにも満たないほどの小さな生命から、魚類、両生類、爬虫類を経て哺乳類へと至る38億年の生命進化の歴史を胎内でたどり、280日でこの世に誕生します。そして日々、地・水・火・風・空という自然の五大要素の循環の中で、細胞レベルでの生死をくり返しながら、赤ん坊から子どもへ、そして大人へと成長していきます。年月とともに肌にはしわが刻まれ、髪は白くなり、やがて寿命を迎えれば、魂の抜けた肉体は原子レベルへ解体し、次の生命を構成する材料となります。死は、それまでの縁から解き放たれて、生態系の循環の中へと還っていく美しい瞬間です。

このように個々の存在は時の流れと共に変化し続け、その個々の集合体である全体もまた、新陳代謝をくり返しながら、常に新しく生まれ変わり続けています。この、淀みなく変化していく姿が、この世界の美しさです。

美しいとは、すべてが淀みなく流れ、未来へ向かって変化しながら、進化していくことです。それは、宇宙の姿そのものです。宇宙は常に未知なる場所へと進みながら、変化・変容・変態をくり返しています。それは宇宙が生命だからです。生命とは留まることなく変化し続けるものであり、私たちの体は、その仕組みをもっとも身近に現しながら、命とは何か、美しいとは何であるかを、教えてくれているのです。

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美しいとは、すべてが淀みなく流れ、未来へ向かって変化しながら、進化していくこと

文在寅大統領の演説は、言葉だけ見れば、そんな美しい未来を感じさせるものです。

22日の夜、木の花ファミリー通信秋分号が大人ミーティングでシェアされました。そして、どんな流れだったかは覚えていませんが、ジイジは以下のような話をしてくれました。

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昔、みんなで神社を巡っていた頃、自分たちが神社に行くタイミングに合わせたように雨が止んだり晴れたりした。その頃、いろいろな超常現象に出会ったが、それはどうしてあったかというと、この世界には人智を超えたもの、自分たちの理解を超えたものが存在することを教えてくれるため。超常現象は、自分たちの未熟を教えてくれるためにあった。だから自分たちの中に「今度、神社に行くから晴れて欲しい」という心が育ったトキ、それは違うと思いそういうのを止めた。求めることを止めた。求めることを止めていって、心を磨いていくことで自ずと天のリズムと合うようになっていった。そのトキ、超常現象は特に必要とするものではなくなった。

生命の美しさ、それは木花咲久夜姫だよ。命の儚さ、潔さ、美しさ。それが木花咲久夜姫で木の花ファミリーの名前はそこから頂いている。

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儚く潔い姿の中に美しさがあります。そしてそれを生み出すのは求めることを止めることだと思いました。

文在寅大統領の演説からは未来への光を感じます。ですが、光を求めることはしないことです。求める心は人智となり、人間の中に思惑を育てていきます。思惑は自我を育て、自我は、都合の悪い現実を排除することで、人々の間の違いを強調します。現代はそれが際立つことで孤立や争いが生まれています。



光を感じながら光を求めない。

それは天の意思という光を感じそれをいただきながら、そこから生まれる自分の欲や思惑を手放していく生き方です。

ひかり

カタカムナで見ると、宇宙最極小微粒子である「カ」が秘かに分離していくさま。ものの始まり。すべてを生み出すものと言えます。

そして今日、9月25日11時53分牡羊座満月です。牡羊座は始まりの星座。そのタイミングで光を感じることで、始まりに想いを馳せ、それと同時に自分の欲や思惑を手放していこうと思いました。そして、儚く潔く美しい。これからきっとそんな世界が生まれます。


諦めることで明らかにするトキ

秋分の朝の富士山と太陽です(^-^)


最新のジイジのブログではジイジが長年培ってきた「手かざし」の極意について語ってくれています。以下、その一部を引用します。

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手かざしを行なう上で理解すべき最も重要なことは、欲の心を絡めて行なうのではなく、人の内在する可能性を開発するために行なうということです。そういった内なる気付きを得るための機会にしたいものです。とかく人間は、健康になろうなどと、私欲の延長にそういった行為を行なうことにより、それが本来の人としての優れた気付きを得るためのものとは、違うものになってしまうのです。

そのためには、「私は空っぽですから、私をあなたのエネルギーの通り道にしてください」と天を意識することです。「治してあげよう」とか、「良くしよう」という私欲の意識を持って行なうことは禁物です。その場合、そこに自我が入ることにより、発せられるエネルギーはきれいなものとは言えないことになってしまいます。ですから、その発せられるエネルギーには、何も想いが入っていない美しいものとして、エネルギーの通り道を創り、それを圧縮して発しているだけの意識として行なうことが肝要です。



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手かざしを行う際、ジイジは、欲の心を絡めること禁止していますが、それはジイジの一貫した姿勢と言えます。昨年の7月26日、マヤの新年を迎えてジイジ(当時はいさどん)は以下のように語っています。

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私たち人間は、生きている限り、この地球上で様々な出来事に出会います。人生の中で出会うことは、すべて私たちの生きた証であり、それまでの生き様にふさわしい結果として出会っているのです。今、世の中には、世界的な規模で解決策を見出せないようなたくさんの滞りがあり、それを何とか解決しようと世界のリーダーたちは模索していますが、その動きでは解決できないでしょう。なぜなら、どのような現象も、そこに生きる者たちのそれまでの生き様の結果として与えられたものですから、その現象を変えるには、それをもたらした人々の生き様を変える必要があるのです。その現象に出会った結果、それまでの自らの生き様がどのような結果をもたらすものであったのかを悟り、その生き様を変えていくことによって、自ずと、自動的に、その現象は存在する意味をなくし、消えていくのです。そこで、原因である生き様を変えずに、学びのない姿勢のまま、現象を追い求めていることを「欲」と言います


この自然界、そして宇宙の法則は、すべて因果応報の仕組みで成り立っています。原因があって結果がある。そこでは、その原因にふさわしい現象が起きることが約束されているのです。こんなにありがたいことはありません。なぜなら、その者にふさわしい現象が顕れるからです。そして今、この場に立ち会う人々も、なぜここに集うのかというと、それにふさわしい生き方をしてきたからです。今皆さんは、どのくらいの意識を持って今日この場に集っているのか。その今の意識が、皆さん一人ひとりのこれから先の人生に形として顕れていくと同時に、社会を創っていくのです。それは当然のことなのです。

人類はそろそろ、そのことを知らなければなりません。出来事の表面だけを見て、それが不愉快だと言って解決しようとする時代は終わりました。これからどのような時代を生きていくのかは、その者が自らの人生をどのようにしようとしているのか、そこで何を望んでいるのかによって変わっていきます。つまり、生きることが自らの手の中にあるのです。これまで、なぜそれが人々の手の中になかったのかというと、自らの独りよがりで、この世界から与えられている命の仕組みを無視し、欲のままに生きてきたからです。



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学びのない姿勢のまま、現象を追い求めていることを「欲」と言います



ジイジは「欲」について、上記のように述べていますが、「欲」が生まれるには、生まれる「余地」が必要なのだと思います。「欲」と「余地」。両方とも「よ」がつきますが、カタカムナで見ると、「よ」は「4」であり混沌を表す思念です。「よ」(4)は、「い」(5)の方に進めば、「よい」となるのですが、「み」(3)の方に戻ると、「よみ(黄泉)」となり、死の世界に入っていきます。「よ」はどちらにも転がりえる、混沌の中にあります。「よ」がつく言葉を見ると、喜び、良い、淀み、汚れなど両義的なのはその表れであり、それは「世」、人間の世の中そのものと言えます。


「余地」の「ち」は持続を表す思念であり、「余地」とは混沌が持続している状態、どう転がるか分からない何にでもなり得る状態と言えます。そして「欲」の「く」は自由を表す思念であり、混沌のままに自由に動きまわる状態が「欲」と言えます。

自我を与えられた人間は、自分の思考という「余地」を与えられ、そこから「欲」が生まれます。出発点が「自分の思考」なので、欲深い人は物事が思い通りになることを求めます。そしてそれは思い通りにならないことへの苛立ちや不安となり、時には未来への恐怖となって表れます。思い通りにならないことを恐れるのです。ですが、僕たちが出会う出来事は、自分の生きた証であり、相応しい結果です。ということは、苛立ち、不安となり、未来を恐れることは、自分自身に苛立ち、不安となり、自分自身を恐れることを意味します。

変化変容が本質であるこの世界では、未来は常に未知なるものです。そして、それは自分自身にも言えることです。現象を追い求める「欲」の心は、そのような未来や自分を思い通りにしようとします。その結果、未来や自分の現実が見えなくなり、混沌が深まっていくのです。「欲」の心は、混沌のままに動きまわることで、混沌を深めていきます。


気候変動や自然災害、紛争や戦争、貧困や餓死。今の世界には様々な問題がありますが、ただそれを解決しようとしても、それは現象を追い求める「欲」の心であり、混沌を深めるだけとなります。それらの問題を生み出している元の心、人間一人ひとりの姿勢を明らかにし、それを正していくトキ、今ある問題は自ずと消えていくのです。

今日は秋分の日、秋の真ん中です。収穫の秋は、種まきの結果をいただくトキであり、明らかになることで諦めるトキです。自我という「余地」が与えられたことで人間には自ずから「欲」の心が生まれます。それは絶えず続く心の動きです。だから人は、絶えずその心の動きを諦めることで明らかにし、自分と世界の現実と向き合い正していく必要があるのです。その動きが世界に彩りを生み出すと共に調和というバランスをもたらします。

国連総会が開幕しています。国連総会が毎年秋に行われるのは、「欲」の心を明らかにし諦めることの大切さを表しているようにも思えます。

そして、このブログを立ち上げたのも秋分の日、今日で丸4年となりました。秋分の日に立ち上げたのはたまたまですが、今思うと、このブログを通して表現し、自ら実践することも、「欲」の心を明らかにし諦めることにあります。それは最初に意図したこと(木の花の経済について書く)とは全く違うことですが、物事は自らの意図を超えたところで動いていきます。ブログ4年目、「よ」、混沌、「欲」の年を終えてそのことに気づきました。

今、世界は諦めることで明らかにするトキと迎えています。




諦めることで明らかにする



9月9日は重陽の節句で、重陽の節句は、菊理姫(ククリヒメ)と縁があるとも言われています。この菊理姫(ククリヒメ)についてWikipediaには以下のように書かれています。

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神産みで伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、イザナミの変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、イザナミと口論になる。 そこに泉守道者が現れ、イザナミの言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言った。 つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言うと、イザナギはそれ(泉守道者と菊理媛神が申し上げた事)を褒め、帰って行った、とある。 菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない。

この説話から、菊理媛神はイザナギとイザナミを仲直りさせたとして、縁結びの神とされている。 夜見国でイザナミに仕える女神とも、 イザナギとイザナミの娘、イザナミが「故、還らむと欲ふを、且く黄泉神と相論はむ」(古事記)と言及した黄泉神(よもつかみ)(イザナミ以前の黄泉津大神)、 イザナミの荒魂(あらみたま)もしくは和魂(にぎみたま)、あるいはイザナミの別名という説もある。 いずれにせよ菊理媛神(泉守道者)は、イザナギおよびイザナミと深い関係を持つ。 また、死者(イザナミ)と生者(イザナギ)の間を取り持ったことからシャーマン(巫女)の女神ではないかとも言われている。 ケガレを払う神格ともされる。

神名の「ククリ」は「括り」の意で、イザナギとイザナミの仲を取り持ったことからの神名と考えられる。菊花の古名を久々(くく)としたことから「括る」に菊の漢字をあてたとも、また菊花の形状からという説もある。菊の古い発音から「ココロ」をあてて「ココロヒメ」とする説もある。 他に、糸を紡ぐ(括る)ことに関係があるとする説、「潜(くく)り/潜(くぐ)る」の意で水神であるとする説、「聞き入れる」が転じたものとする説などがある。 白山神社(石川県鳳珠郡能都町柳田村)では、『久久理姫命(久々利姫命)』と表記している。

なお、神代文字で記されているとされる『秀真伝(ホツマツタヱ)』には、菊理媛神が、天照大御神の伯母であるとともにその養育係であり、また万事をくくる(まとめる)神だと記されている。

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9月9日は括りの日、何かを締め括る日でした。そんなことを意識したのは今年が初めてです。そして、9月10日は新月、新しい始まりの日となって、何かが終わり何かが始まるタイミングなのだと思いました。

黄泉の国にイザナミに会いにいったイザナギは、菊理姫(ククリヒメ)の言葉を褒めて地上に戻っていきました。ずっと一緒に神生みをしていたイザナミが恋しくて黄泉の国を訪れたイザナギはイザナミを諦め単身で地上に戻ります。そしてその後、イザナギは神話の表舞台からは姿を消し、主役の座はアマテラスやスサオノへと移っていきます。それは自分の想いを諦め、トキの流れを受け入れ、変化を受け入れる姿勢と言えます。菊理姫(ククリヒメ)がもたらす締め括り。それは変化を受け入れ、それぞれが相応しい役割を引き受けるということなのでしょう。


諦める(あきらめる)とは明らか(あきらか)にすることでもあります。そしてそれは実りを結果としていただく秋(あき)に相応しい心の動きです。

「アキラメル」をカタカムナで読み解くと、「高次元の始まりが生まれるトコロにわずかに出ている芽」となり、諦めるという行為は物事を明らかにすることであり、そこから新しい動きが生まれるのです。9月9日は、諦めることで新しい動きを生み出す締め括りの日と言えます。

そして9月9日は北朝鮮の建国記念日でもあります。今年は70周年でしたが、軍事パレードは抑制的な内容だったようです。それは北朝鮮が何かを諦めた証なのかもしれません。なんにせよ、核問題などで世界を騒がせている北朝鮮の建国記念日が括りの日である9月9日なのは興味深いことです。その存在は、人類の実態を明らかにすることで、何かを諦めるように訴えているようにも思えます。

ソナイビレからのお客様です。
そんな9月9日、木の花ファミリーでは、韓国から樹仙齋(ソナエビレ)の人々が訪れ交流を深め、その場で「世界の側から自分を見る」が共有されました。それはきっと「高次元の始まりが生まれるトコロにわずかに出ている芽」であり、これから世界は国境を超えて一つになっていきます。

今まで、一人ひとりが自分の側から世界を見て世界をどうにかしようとして世界は混乱していきました。これからは、一人ひとりが世界の側から自分を見て、自分を正していく時代であり、その姿勢が人々を一つにしていきます。

世界の側から自分を見る

それは天の流れに沿って物事を見ていくことであり、目の前の出来事を自分自身の表れとして受け入れると同時に、変遷として見ていくことで一喜一憂しない姿勢を育むことです。自分の視点から自由になるために、一人ひとりが自らの想いを「話す」ことで手放し、物事を明らかにすることで諦めていきます。そうすることでトキの流れは「高次元の始まりが生まれるトコロ」から新しい芽を生み出し続けることでしょう。

自分視点が生み出す世界を締め括り、トキの流れが生み出す世界へ心を開いていく。

今というトキはそんなタイミング、それを感じて実践します。


覚悟・さとって自由に転がり出る


ぼくたちは
とても大それたことをしているんだよ。

大それたということは、
恐れ多くも、ということを言っているのではなく、
非常に重要で誇らしい生き方をしているということなんだよ。

いずれ、
人々が到達すべきことを
先に知ってしまうということは、
まわりにはまだ知らない人がたくさんいるということなのだから、
孤独にもなる。

しかし、
世界観が広ければ、
そのカラクリがわかっているのだから、
たとえどのような無理解に出会ったとしても、
やり続けることができるんだよ。

時代を切り開いていくことが
使命だとわかっていたらね。

そうやって
世の中は開かれていくし、
惑星の動きや時代もそれを後押ししていくんだよ。

そこで、
そのようになっていくから
放っておけばなるのかといったら、
必ずそのようになるときには
ぼくたちの生きる現象世界では、
誰かがそれを受けて示すことが必要になる。


それを示すものたちは
どのような意識であるのかというと、
星の意志や時代の流れを
受け取れるものであるわけだ。

それが高い意識であり、
天とつながることだよ。

しかし、
その役割を受けたものであっても、
役割を怠っていたら、
代わりは他にもいるということでもある。

星のサイクルのように、
時代の流れのように、
時は刻んでいく。

木の花は、
確実に時代の意志を受けている。

なぜなら、
それを提唱している僕がそういう人だから。

そして、
それに共鳴した人たちと共に
歩んでいるのだから。

だから、
わからないからわかりたいとか、
こういった立場に立ちたいとか、
自我に囚われることは禁物だよ。

星の意志や時代の流れを受け取るものとして、
そこでは明快な覚悟があるからこそ、
時代の意志(天)と共に歩めるんだよ。



☆彡 ☆彡 ☆彡

上記は3年前の夏、夜道を歩きながらジイジ(当時はいさどん)がみちよちゃんに語った言葉です。昨晩、大人ミーティングでジイジの話を聴いていたら、この話を思い出しました。

僕ら木の花ファミリーメンバーは星の意志や時代に流れを受けて生きている。

その自負があるからこそ、自我を超えて空っぽになって星の意志や時代の流れの器となっていくのです。そしてその答えは現実の中でいただき続けます。

明快な覚悟をもって歩む。

覚悟をカタカムナでみると以下のようになります。

宇宙最極小微粒子である「カ」。「カ」は宇宙の内外を問わず普遍的に存在している潜態エネルギーですが、その「カ」が自由に(ク)極限を超えて転がり出ていく(コ)状態。これは現象化、何かを実現する力と言えます。

そして漢字で見ると、「覚」も「悟」も「さとり」という意味です。「さとり」は「差取り」。自他の区別を超えて一つになっていく。あなたはわたし。わたしはあなた。そんな世界の表現となります。

一人ひとりの人間が持つ思惑や感情はこの世界に表面的な「差」を生み出します。それぞれの立場や性格の違いによって別々のものを求めるようになります。ですが、その奥ではすべての存在が繋がり合っています。思惑や感情を超えることで、世界とひとつになること、それが覚悟を持つことであり、そのトキ、時代の流れの現象化を担えるのです。

人類の歴史は繰り返しとも言えます。各国は思惑でもって近づいたり離れてりしていますが思惑が時代を動かすことはありません。それは空に浮かぶ雲のようなもの。発生したり消えたり形を変えたりしますが、雲を生み出しているのは大気であり、そこには太陽の働きかけがあります。

トランプ大統領と金正恩氏との世紀の会談。お互いの思惑によって成り立ったものですが、その奥には時代の流れがあります。それを感じ取り現象化を担えるように。

明快な覚悟をもって歩みます。


今の社会は自分の未熟を表している(2)

以下、3年前の大人ミーティングでのジイジの言葉です。

☆彡 ☆彡 ☆彡


物事の捉え方はたくさんあってね。

善意で捉えようと思ったら、
この世界にある全てのことは、
善意になるんだよ。

ただ、
人にはそれを善意で捉える力がないだけなんだよ。

宇宙は全て善意でできている。

なぜかというと、
宇宙は調和でできているから。

調和は、
悪意では保てない。

調和は、
善意によってしか、
成り立たない。

だから、
物事を善意で捉えられないときには、
自分が未熟だと思わないといけない。

そこを悪意で捉えるということは、
自分を観ないで、
悪意は相手から来ると思っているのだけど、
悪意は、
自らの未熟さから生まれるものなんだよ。

だから、
自分が言っていることは全て、
自分自身を表しているんだよ。

そこに気付かないと、
自らを改めることはできないね。

人間というものは、
必ず自分の都合の良いように
答えを求めようとするんだよ。

だから、
自分の本心があっても、
そういった人たちは「けど」「でも」と言って、
本心と違う行動を取るんだよ。

そのカラクリをわかって、
自分自身に修正の目を向けられるようになったら、
人は成長できる!

そのためには、
自らの想いをどんどん外に出していって、
まわりからフィードバックをもらい、
客観的な視点を育てていくことが大切だね。




☆彡 ☆彡 ☆彡

昨日、米朝首脳会談が行われ包括的な合意文章に署名がされました。これは平和へ向けての動きと言えますが、その一方でトランプ大統領はイランとの核合意を破棄し、イスラエルの米大使館をエルサレムへ移動しています。これは中東情勢を不安定にする行為であり、ヨーロッパ諸国との関係も悪化しています。

また先日行われたG7サミットでは、トランプ大統領は一度纏まった合意文書(コミュニケ)への承認を撤回し、海のプラスチックごみを減らす数値目標を盛り込んだ文書への署名も拒否しています。海のプラスチックごみは近年深刻な問題として話題となっていますが、アメリカそして日本は署名を拒否し、後ろ向きな姿勢を示しているのです。

滅茶苦茶な状態で、そこに善意があるようには見えません。

そこに自らの未熟さを見る。

ジイジの言葉はそういう姿勢へと導いています。

米朝首脳会談の様子を見ながら、僕は昨年の秋分の日にジイジがケア滞在者に語った以下の言葉を思い出していました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

理屈っぽい人は理屈で先に結論を出す傾向がありますが、それは良くないことです。そうすると「あなたはなんでそんなふうに断定するの」となって人間関係が壊れていく原因にもなりえます。結果は常に現象をもって判断する必要があります。大事なのは常に努力していくことで結果はいただくものです。やってみること。試すことは必須です。理屈をこねる人は、結果を想定し、そこに持っていこうとするのだから、それは傲慢とも言えるのです。いただく姿勢が大事です。

人に対しては、相手の行動をあなたの理屈の中で分析しようとしています。分析してはいけません。相手には相手の好き嫌い、モードがあります。理屈なしで生きていきたい人もいるし、理屈抜きでやり取りをする必要がある場面もあります。それを無視すると、相手があなたを避けて通るという現象になって表れます。相手を感じて相手に合わせて接していく必要があります。そういうことは、相手の目線を意識するとだんだん分かるようになります。人にはそれぞれ生きてきた経緯があります。それを理解することです。これは無理に合わせるということではなく、人はそれぞれ違うということを理解し、それを踏まえて行動することが大切なのです。

あなたは「どうせ理屈で分かり合えないのだからいいや」と言いますが、そこに投げやりな姿勢を感じます。その状態だとお互いに嫌な感情を残します。どういう結論が出るにしてもその場の出来事を完熟させ、しこりのない状態にする必要があるのです。違いがあるならば、お互いの違いを認め合って終わりにする必要があります。

ところが、あなたの場合、自分の理屈を通そうとする結果、勝ち負けになる傾向があるのです。相手に理屈で勝とうとしています。それは、トランプ大統領と金正恩氏と一緒です。2人はお互いに、相手を否定して自分を立てようとしています。それをとことんしようとしてどんどんエスカレートしているのが今の状態です。今まで、アメリカの大統領はそれをしなかったから北朝鮮を育てたとも言えます。だから悪いことばかりではないのかもしれませんが、あまりにも過激になると取返しがつかないことにもなりかねません。そこで理性、人としても道が問われるのです。しこりがないように完熟させる必要があります。そのために相手を理解し、自分を手放す姿勢が必要となるのです。


宇宙を生きる」より

☆彡 ☆彡 ☆彡

当時、核実験やミサイル発射を繰り返す金正恩氏のことをトランプ大統領は「ロケットマン」と揶揄し、お互い舌戦を繰り広げていました。それが昨日、お互いに握手を交わしました。その握手の背後にはお互いの思惑が渦巻いているのですが、一つのしこりが消えてなくなる可能性が生まれました。それを単純に喜べないのは、その一方でイランやパレスチナに新たなしこりを生み出し続けているからです。

そこに自らの未熟を見ます。

自らを分けると書く「自分」は、世界から際立ち「自分の」想いや感情を重視しますが、そこから他者と分かり合えない未熟が生まれます。それは絶え間なく続くプロセスであり、この世界には常に未熟が生まれ続けます。ですが、ヒトには自分を手放す道が与えられています。道を歩むことで、ヒトは生まれ続ける未熟を手放し続けることが出来るのです。

トランプ大統領と金正恩氏の握手はそれぞれの思惑の中でなされたものです。だから別のところであらたなしこりを生み出します。ですが、お互いに自分を手放したトキになされる握手はすべてのしこりを消し去ります。今、世界に求められているのはそのような握手であり、それは一人ひとりの日常の中で表現していくものです。

今の社会は自分の未熟を表しています。

その未熟は絶え間なく生まれ続けるもので、だから僕はその未熟を超え続け、そしてその先に表現される世界を見ていこうと思っています。

木の花ファミリーのみんな(心学堂ツアーの人たちと)

恵みいただきます

下之坊の藤の花

先日、下之坊へ行ってきれいに咲いている藤の花を見てきました。ここに来ると3年前のこの時期を思い出します。下之坊で僕は「匂いの世界」に入って行きました(「見えない世界、そしてない世界を生きていく」参照)。

当時の僕は視界から自由になりたいと強く思っていました。それが自分の自由を奪っていると感じていたので。その後、しばらくして僕は自らの感情に飲み込まれそして自由を失っていきました。

感情は浮かんでは消える波のようなものです。その奥には海である自分がいて全世界と繋がっているのですが、波に飲み込まれると海である自分を見失い、波(感情)だけの認識に囚われていきます。それは思惑も同様で、常に感情や思惑の奥に行くことを心掛けることが自由への道だと思っています。そこに宇宙と共に変化変容を繰り返す本当の自分、そして本当の認識があります。そこに至った時、本当の自由を得ることが出来て、視界もそこから生まれたものならば、きっと自分に自由をもたらすものとなります。今はそんなふうに思っています。

話しは変わって。

3年前、木の花ファミリーでは月に一度の食事会「恵みいただきます」が開催され、毎回200名前後のお客様をお迎えし、豊かな時間を提供していました。そしてその頃、いさどんは以下のような話をしていたのを思い出しました(「恵みいただきます」は2017年1月を最後に休止しています)。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「恵み」とは生きることそのもの。人間は何かを貰った時やご利益を得た時に「恵み」と考える傾向がありますが、人は生きることにより物事を認識していきます。その認識こそ「恵み」です。先にこの世界があり、自分という個性が組み合わさります。一人一人個性的な眼鏡でこの世界を認識していきます。人間は他の生命とは違い自由が与えられ、自己実現の願望を持ちます。そして広い視野を持ち尊く生きることも出来るし、狭い視野に陥り地獄を生きることも出来るのです。それらすべてが恵みです。




☆彡 ☆彡 ☆彡

「恵み」とは認識。これはお釈迦様の「天上天下唯我独尊」にも繋がる言葉です。

この世界ではすべてが繋がりあって存在して、他が存在しなければ自分は存在しません。ですがそれを認識するのは「我」です。そういう意味では「我」がなければ、無に帰するとも言えます。そのため、「ただ我だけを尊ぶ」という宣言に繋がります。これがお釈迦様の天上天下唯我独尊で、認識に価値を置いた宣言と言えます。

そして別の場面で、いさどんは「いただく」という言葉についてこんなふうに述べています。

☆彡 ☆彡 ☆彡


宇宙は、この世界をどんどん変化させていきます。それは、無限の宇宙の中で、トキ軸を柱にし、常に先へ先へと、未知なるところに向かって旅し続けているということです。それが生命の宿命であり、宇宙を生きる上で正常な状態なのです。その中で、私たち人間も、自らの価値観を絶対とするのではなく、宇宙が変化していく流れをいただいていく。「いただく」ということは、古いものを捨てるということです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

そして「いただきます」は「頂き(いただき)」が「増す(ます)」ということ。これはガンと向き合ったきょうこちゃんといさどんやみかちゃんとの会話の中から出て来た言葉です。

ということで。

「恵みいただきます」とは、出会う出来事を通して古い認識を捨て、新しい認識を得ていくこと。絶えずそれを繰り返すことで「恵み」である認識を広げ「頂き(いただき)」という無限に増していく高みへと昇っていくことなのです。

またはこうも言えると思います。

生きているということは生かされているということでこの世界の恵みをいただいているのです。人間は認識という恵みによってそのことを知ることが出来ます。そしてその恵みはいただく、古いものを捨てることでどんどん増していく、つまりどんどん豊かになっていくということです。

認識という恵み。それを生かすも殺すも僕らの自由。それを生かそうと思うならば、古いものを常に捨て続けることなのだなと思いました。

そして今日、南北朝鮮の首脳会談がはじめて韓国で行われました。そして両国の首脳が軍事境界線を超えて互いの領地に足を踏み入れました。その姿を見て、なぜかとても感動してしまいました。あまりこういう政治パフォーマンスで感動することはないのですが、今回はなぜかとても感動しました。こういう会談にはお互いの思惑があるものですが、思惑があったにしても歴史的な一歩が刻まれました。それは時代というトキの流れに刻まれ、互いの思惑を超えた展開を見せることもあるのではないか。そんなふうにも思えました。まぁ、変に期待し過ぎるのも思惑になってしまいますが。なんにせよ、新しい動きに合わせて古い認識を捨て、新しい世界を見て感じていこうと思いました。

この世界の恵みをいただき、常に認識を新たにしていくこと。それが「恵みいただきます」という言葉が伝えてくれるメッセージです。

ということで。

最後に、以前「恵みいただきます」で提供していた料理を少し紹介しますね。この「恵み」は今、カフェ&ショップ ロータスランドにて生かされています。








正義のメッキを剥がして本当の姿を見ていく

4月16日の10時56分に牡羊座新月となりました。今回の新月は天王星と並んで起きています。天王星は2011年3月12日、東北大震災の翌日に牡羊座へと移動し、今年の5月16日には牡牛座へと移動します。そのことについて、かとうゆかさんは以下のように表現しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

天王星と牡羊座の新月。

天王星といえば、7年間牡羊座にあったわけですが、来月の中頃に牡牛座に移行し、ここから7年間牡牛座にとどまります。

この新月は、天王星の7年間のサイクルの総仕上げ。私たちは7年間かけて、「自分」というものに革命を起こしてきました。

「自分」の本来の持ち味や、情熱を阻害する全てから脱却しようと取り組んできた7年ではないでしょうか?

何のために生きているのか?

という問いから、

人間関係のリセットを行い、属する分野やカテゴリー、環境などから脱出する決意を持った人も多かったのではないかと思います。

「自分」を偽ったり誤魔化したり制限したりする、あらゆるものを取り壊していく革命を起こすような7年間。

ある人にとっては、間違ったルールで縛りを設ける古い体制の会社や環境に対して、No!を突きつけた実機もあるかもしれません。

しかし、壊すべきは自分。

古い体制の物を壊すのではなく、古い体制のものの中にいとどまり、自ら自由に生きる世界をクリエイションするためのチャレンジができない自分を壊していくことが重要です。

革命という言葉を聞くと、他者や社会に向けて改革を起こしていくイメージを持ちがちですが、自分の生き方が革新的であることでしか、社会を変えることはできません。社会を変えたり、誰かを救うことができる人は、自分を変え、自分を救った人だけです。手を差し伸べ誰かを救うために立ち止まり取り組むのではなく自分が率先して自己改革を進めることによって、同じように自分を救う自立した人への刺激を与えることでしか、人を本当の意味で救うことはできません。

自分でしか自分を救うことはできません。

自分が誰かを救うことはできない。

自分が自分を救う方法を体現して見せることならできる。

そこから目を背け、自分の人生へのチャレンジよりも、誰かの人生に意識が向いてしまうことを本気でリセットし、潔く、言い訳も、回り道もせず、自分の人生に本気で取り組むための決意を固めるのが、今回の天王星と重なる、牡羊座の新月です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そんな牡羊座新月の夜、木の花ファミリーではいさどんからここで暮らす意味を再確認する話がされました。その話から僕が感じたエッセンスは以下の通りです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

生きることの目的は変化変容を繰り返すこの宇宙の流れに沿って生きること。木の花ファミリーの暮らしはその先駆け。一人ひとりの人生の意味は、流れに沿う中で明らかになっていく。そのために出会う出来事に心を開き、今までの自分が生み出したものとしていただいていくこと。環境と響き合って変化していく。そういう心を一人ひとりが創り上げて、みんなでひとつの世界を表現していく。

☆彡 ☆彡 ☆彡

変化変容を繰り返すことは今の自分を壊し続けることです。

ちなみに2010年12月、天王星が牡羊座に移動する少し前、僕は以下のような状態にありました。

☆彡 ☆彡 ☆彡 (2010年12月7日に書いた言葉)

メッキがはがれたのだと思う。困難からは逃げて、自分の都合の良いように解釈し、嘘をつき、びくびくして、いつも自分をみんなが忘れてほしいと願う。
自分は生きる資格のない人間で、本来なら死ななければならないけれど、死ぬことも許されない。だからもがき続けるだけ。そんなふうに思って生きてきた自分。
でも、ここ数年そんな思いは忘れていた。でも時々「しくしく泣いちゃう感じ」として出てきた。絶望感と無力感。僕はやり過ごしていた。
自分に別の人格を作り上げることで、最低人間の自分を超えようとしてきた。
そして、超えたと思っていた。でも、今、自分が噴き出してくる。
結局、僕が今までしてきたことはメッキを塗っていただけ。
剥がれてくれば、最低の自分が噴き上がる。
あの苦しみはもう味わいたくない。もうこのままぼーとして無気力に生きていたい。
そんな気持ちが湧き上がる。そうしたい。
でもそれはできない。僕はもうあまりにも木の花のみんなと関わりすぎた。
僕の心はもうすでに僕だけのものではない。
はじめからそうか。世界と僕は一つなんだから。
ここでの暮らしはその事実を分かりやすくみせてくれているだけ。

僕はこの地球に対して自分ひとり分の責任を負っている。だから投げ出さない。

☆彡 ☆彡 ☆彡

メッキの奥にある本当の自分にメスを入れ始めた瞬間です。そしてそれが出来たのは木の花のみんながいたから。みんながいたから自分の責任に気づくことが出来ました。みんながいなければ僕は自分が生み出す苦しみに埋没し投げ出していたと思います。

人は出会う出来事を通して自分を知り、出会う出来事を通して変化していきます。

それは自分の思考や思惑、想像を超えたもので、世界が人を生かし、世界が人を変えていくのです。大切なのはその流れに沿っていく意志を持つことです。

あれからほぼ7年。天王星が牡羊座にいる間にそんな意志を育んできました。その意志は生きる上での根本姿勢と言えます。

そして一昨日、陶芸小屋に行った時、興福寺の阿修羅像のチラシを見たことから阿修羅について知りたくなり以下のような文章に出会いました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

古代インドの神々を統率していた神は帝釈天といい、阿修羅(あしゅら)は統率されていた一神格です。

阿修羅には舎脂(しゃし)という娘があり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていましたが、そうとは知らない帝釈天は舎脂を力ずくで奪い、凌辱しました。怒った阿修羅は帝釈天に戦いを挑みました。

一方、舎脂は、戦の最中にも関わらず、逆に帝釈天を愛してしまい、阿修羅はそのため更に逆上し、争いは天界全体を巻き込む大戦乱となりました。

このため阿修羅は復讐に燃える悪鬼とされてしまい、勝てる筈もなく敗れた阿修羅は天界から追放されてしまったのです。

ところで、阿修羅と帝釈天はどちらが正で、どちらが悪でしょうか。

阿修羅は我が娘を陵辱した相手を懲らしめようとしたのであり、帝釈天は他神の娘を陵辱したのですから、阿修羅は正しく、帝釈天は悪であるはずです。

しかし、阿修羅の娘である舎脂は帝釈天の正式な夫人となっていたにも関わらず、戦いに目を奪われた阿修羅は相手を赦す心を失ってしまったのです。

つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となってしまうという教えを読み取ることができましょう。

仏教では死後に生まれかわる世界を六道世界(天界・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄)と説きますが、天界を追われた阿修羅は、正義を振りかざす妄執の悪鬼として人間界と餓鬼界の間に置かれたとされています。

地獄・餓鬼・畜生よりはましだが、復讐の鬼となっている姿は人間以下だという意味が込められているのでしょう。

興福寺の国宝・阿修羅像は有名ですが、あのお顔はどこか神経質そうな顔をしています。


☆彡 ☆彡 ☆彡

たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる

これはとても大切なメッセージだなと思いました。人は正義に側に立つとそれで「善し」にして自分を見なくなります。ですが、その正義は絶対的なものではなくあくまで自分の視点から見た正義です。先日、アメリカ、イギリス、フランスが正義を主張しシリアを攻撃しましたが、ロシアは別の正義を主張しています。お互いが正義を主張した結果争いへと至っています。正義はメッキのようなものです。その奥には汚い心があるため争いへと至るのです。

今、世界は正義のメッキを剥がし本当の姿を見ていく必要があります。そしてそのためには出会う出来事と謙虚と向き合う必要があります。だから僕は一人分その実践をし続けます。それはきっと本当の幸せへと至る道となっていくことでしょう(^-^)

木の花ファミリーの暮らし(ウェルカムコンサート)です。


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