いらなくなった状態を超えた世界

常に意識を全体性に持っていく必要があります。あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?それが重要です。個人的願望が全体性と共通していればいいのです。例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、全体性と個人は本来、共通していることなのです。ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。

心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。

だから何より心を磨き続けることです。

そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。

それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。



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いさどんのこの言葉は、このブログでは何回も引用していますが、読む度に湧いてくることがあります。個人的願望とは自我の産物ですが、心を磨き自分を高めていくと自我の動きから自由でいることが出来るようになります。すると何もいらなくなるのです。

いらなくなるというのは拒絶するのとは違います。意図的に何かを求めることがなくなるということで、出会うことは素直にいただいていきます。


自我を超えていらない状態となった時、世界を動かす宇宙の法則が見えてきます。それはこの世界のすべてを生み出しているもので、みんなに共通する世界です。ただその世界を極めていく。それは法則のままに生きるということで「みんなで」「一つになる」世界です。木の花ファミリーの暮らしはそんな世界を表現する試みです。


昨晩、いさどんから働くこと、そして生きることについて語られました。


いさどんの話は、仮想通貨ビットコインの分裂や社会保障給付金の話、そしてアメリカトランプ政権のスカラムッチ広報部長の解任と、その日のニュースの話題から始まりました。それらは今の社会の状況を表しています。


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人間がお金や物に執着するのは
生きることの本当の意味を失っているからだ。
だから、それは死生観の問題だ。

今の人間は生きることの意味を履き違えている。

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いさどんのこの言葉が端的に示す通り、今の社会では多くの人がお金と引き換えに働いており、働くことが生きることそのものではなくなってしまっています。そして、人びとは仕事でストレスをためこみながら、個人的欲望を追い求めていますが、それが社会に分断や対立などの混乱をもたらしているのです。

本来、はたらくことは生きることそのものであり、生きることを通して傍(はた)を楽(らく)にすることであり、それは自分を超えた大いなるネットワークの中で役割を果たしていくことです。この宇宙の中で自分に与えられた役割をしっかりと担っていくこと。自分が大いなるものの一部であること。その自覚が人に喜びと安定感を与えます。そんなふうに生きて働くことが木の花ファミリーの暮らしでそれは人類の未来へ向けての希望となるのです。

こんなふうに語るいさどんの言葉からみんなでその大事を確認しました。

そこには個人的欲望はいらないのです。

いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界。

みんなと一緒にそんな世界を表現していこうと思っています(^-^)


昨晩、いさどんからみんなに生きること、働くことの意味について語られました。



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