様々なレベルの流れを読み解く

1年前、天の流れについていさどんは以下のように語っています。

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天は流れを創る。そしてその流れに具体的にことを乗せるのは、地の仕事である。流れを観て、流れに応じた行動をする。そういうコラボである。
道理を考えて人智を回すことも大事だが、それをやり過ぎると人智だけになり流れを忘れるから、流れを観ながら人智を回していく。当たり前のことだが、ついつい出来事に意識が行き過ぎると、そのことを忘れる。流れを観ていれば、ことはスムーズに進む。
それは流れているのだから、行きつくところに行きつく。

流れを観るとは、結論が出るということではない。

流れを観て、それに沿うと、行きつくところに行きつくから、その時に「ああそうか」といただく。結論はない。しかし流れをしっかり読める人間は行き着く先が想像できるものだから、思った通りにことが成るということだ。それは最初から成るべきことが成るように生きているということである。このようなものの捉え方でいると、道理が常に通っているから、自分の考えている通りにすべてが回る。



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そして、最近、いさどんがこんな話をするのを聴きました。

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この世界は氷山なんだよね。海面から見えるのは氷山の10%だけ。残りの90%は隠れている。それで、世間が言っていることは見える部分で、それを無視するわけにはいかないが、例えば、風が北から南に吹いている時、氷山は別の方向に動くことがある。それはなぜか?奥にある海流が別の方向に流れているからだよね。世間の風はこっちに吹いているのに現実が違う方向に動くことがある。安倍首相がいくらデフレ脱却、実質2%、名目3%の経済成長を目標にし、日銀を利用してマイナス金利まで導入しても、それはうまくいっていない。それは時流を読んだら、今の人間社会の表面に見える人間の欲得の世界ではなくて、時代の動き、宇宙は今、何を人間に与えようとしているのかということを読んだら、安倍首相は逆をやっている。だから表面に見える社会現象をすべてとしそれに乗ることを止めなければならない。たとえ世間からは理解されなくても何か別のものを見て時代にのっていくことが大切。本当の流れは表面からは見えない海流が生み出しているのだから。

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最近、支持率が低迷している安倍内閣ですが、2015年の夏、安全保障関連法案を成立させた時はとても強気でした。世論が反対していても、実行すれば世間はいずれその正しさを理解するという趣旨の発言をしていたのを覚えています。安倍首相は世論を甘く見ていたのです。今、南スーダン国連平和維持活動の日報隠ぺいが問題になっていますが、これは駆け付け警護の前例を生み出すために敢えて行ったように思えます。そこにも世論を甘く見る姿勢が伺え、その結果として今の支持率低迷がありますが、その種はずっと前からあったのだと思います。

高い支持率を維持していた安倍内閣がここ1、2ヶ月で国民の支持を大きく失っています。それは海上を吹く風、世間の流れです。世間の風は、人々の関心、損得や欲得でコロコロ変わります。そして表面に表れる現象の種は常にちょっと前に蒔かれています。現象は収穫のようなもの、種は常に前に蒔かれていて、そして今この瞬間は未来の種となっているのです。だから目の前の出来事に一喜一憂せず今を大切に積み上げていくことです。

その際に必要となるのが、天が生み出す流れを感じることです。天の流れは海流です。どんなに風が強くとも氷山を動かすのは海流であり、天の流れに基づくことであらゆる出来事が生かされていきます。そして、そんなふうに生きるためには目に見える出来事の奥を感じていく必要があります。

安倍首相は日本の総理大臣ですが、その支持率の高低は表面に表れている現象であり、その奥には天が生み出す流れがあります。近代以降特に、人間社会は個人の欲望を追い求めてきましたが、その結果、格差や貧困、環境破壊など様々な問題が発生し行き詰まりを迎えています。これは今までの人間の在り方が限界に達している証であり、天の流れは人間に変化を促しているのです。ですが、安倍首相の政策はそのような流れを掴めてはいません。

流れを観て、それに沿うと、行きつくところに行きつくから、その時に「ああそうか」といただく。結論はない。

いさどんはそんなふうに語りますが、その流れが海上の風、世間の流れならば、それはコロコロ変わるものであり、天の流れに沿っていなければ、おそらくどこにも行きつきません。その時その時の状況で一喜一憂するだけとなるでしょう。だからそれらはきっとどうであってもいいのです。

大切なのは、海流である天の流れに沿うことです。そして、天の流れは表面上の出来事の奥にあるものだから、それを感じるには、自分を離れ、高い視点に立つ必要があります。高い視点に立つことで初めて人は自分を通して天を表現することが出来るのです。

そし流れを観るとは、結論が出るということではない。といさどんは言います。

人はとかく結論を出したがるものですが、結論を出した途端に人智となり、天の視点を失います。常に新しいところ、未知なるところを進んでいく。それも天の法則の一つであり、天の流れは常に未知なるものなのです。

未知なる道を進み、行きつくところで「ああそうか」といただく。そしてまた未知なる道へと進んでいく。そんなふうに生きて経験を積み上げていこうと思っています。



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