目指す世界を実現するために何も目指さない

「なかのんのブログに書いている事は仕上がってきてはいるが、
実際の心情についてはまだ仕上がっていない」という事でもある。
微妙な所だけど、ブログには「僕にはこの道しかない」となかのんは宣言している。
心情的には何かが残っているんだけど
「僕にはこの道しかないから、辛くても行きます」
というような事になると、目指すものと違う。
目指す所は、「人間を磨いていくと磨くことによって次の次元、
高い意識になって自ずと新しい現象に出会う、
自ずと過去に自分が思ってた事が叶うという事がある」という話だよ。
それは、目指していく事でもなければ、
それが尊い事だからといって我慢していくという事でもない。
それでは目指す所と違う世界になってしまう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これは数日前のいさどんの言葉で、僕は心に留めて日々を送っています。

僕は昨日、社労士をしている女性から話を聴く事がありました。
彼女は人事・労務管理の重要性、職場環境を整える重要性を一生懸命に話していました。
そして、こんなエピソードを話して自慢げになっていました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

契約を結んでいる会社で出社出来なくなっている若い子がいて、
私は個人的にその子をランチに誘ってあげたの。
それも3回。私がランチをおごるのだから2,000円は下らない。
例えば、2,000円のイタリアンのコースにおまけにデザートをつけてあげたりしたの。
そしたらね、その子はまた会社に行ってみようという気になっているの。

☆彡 ☆彡 ☆彡

話しを聴きながら、これは良いことなのだろうか?と疑問に思いました。
出会う出来事はその人の人間性の現れであり、
出社出来なくなるからにはそれだけの理由があるはずなのです。
出会った出来事を通して自分を見る機会となるはずなのに、
ご馳走になって元気になるだけなら自分を見る貴重な機会を失うことになります。
結局また同じ状態に陥るだけなのではないかと思いました。

社労士は法律に則り職場環境の改善など、
一人ひとりが働きやすい場創りを考えているのでしょうが、
その視点はどうしても一面的になるのではないかと思いました。

例えば、今の経済システムは地球環境には大きな負荷を掛けています。
そういうことも踏まえて、労働というものを考えていく必要があると思うのですが、
そのような視点はなかなか持てないのではないかと思います。

自分の専門の視点から状況を眺め改善に努めていきます。
それはある部分から観たら改善しているのでしょうが、
全体から観たらそうとは言えないのかもしれません。

先に紹介した社労士の女性は自分が良いことをしていると思っています。
そして自慢げになっています。
ですが、その行動が社会にもたらすものは本当に良いことなのでしょうか?

今の社会は混乱し様々な問題が山積みになっています。

それは人々の思惑が絡み合い出来上がった世界です。
それが正義であろうが善意であろうが、
思惑から結果に対する所有や執着が生まれ、不満や対立が生まれていくのです。

世界をよくしようと思ったとしても、思惑を手放せなければ、
社会の混乱を助長するだけです。

自分ではなく出来事を主役にする。

そんな姿勢が大切なのだと思いました。

自分の意図で何かを生み出そうとするのではなく、
出会う出来事を通して自分を知っていく。
そして出来事の奥に流れる天意を感じていくのです。
そこに生まれる物語は自分だけのものではなく、
出来事を共有するみんなの物語となっていきます。

出来事を主役にすることで、人々が繋がっていきます。
そして、それは過去から現代、そして未来へと繋がっていきます。

ここで冒頭のいさどんの言葉です。

僕らは目指す世界を実現するために何も目指さないのです。
なぜなら何かを目指すことで思惑となるから。
心情的に何かが残っているならば、ただ淡々とそれを見つめ整理するだけです。
そして世界と出会っていく。

主役はこの世界であり、出会う出来事すべて。

僕はその物語の一部です。

僕が出来事を共有している木の花ファミリーのみんなです。

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