「木の花ファミリーは知れば知るほど奥が深く、
さらに奥があることにびっくりさせられます。
私はずっと木の花のメンバーもお小遣いを貰っていて、
それを自由に使っているのだと思っていたのだけれども、
全くお小遣いはないのですね。
みんな必要な時になかのんからお金を貰って使っているのですね。
それはとってもびっくりすることでした。」
木の花ファミリーのメンバーは一人一人、自分名義の通帳(お金)を持っています。
それは個人のお金であり、好きに使おうと思えば使うことが出来ます。
ですが、僕たちは、それを自らの意志でみんなのものと見なしています。
僕たちにとって個人のお金を使っても全体のお金を使っても、結局は同じことです。
すべてがみんなのお金なので。
ですが、個人個人が自分のお金を使い始めると、
コミュニティ全体のお金の流れを把握するのが困難になります。
なので、僕たちは、全体のお金から支出をするようにしているのです。
※ここで言う全体のお金とはみんなから一定の金額を集めた生活費のことです。
「自分のお金」と考えることは、人と自分を切り離すことに繋がるのではないでしょうか?
城南信用金庫の吉原毅さんは「お金は個人主義が生み出した最大の幻想。」と述べています。
そして、お金の三大機能について以下のように語ります。
交換機能 → あなたと私は主体が別だ。
価値保存機能 → あなたにはあげないで自分で貯め込む
価値尺度機能 → 物事は自分を中心として一元的な価値で合理的に判断できる
そのため、お金は持てば持つほど孤独になるというのです。
ですが、僕たちはお金を「みんなのお金」と考えています。
僕たちはお金を持つことでメンバーとの繋がりを感じます。
そして、それを社会に還元することで社会との繋がりも感じます。
「みんなのお金」と考えることで、人と繋がっていけるのです。
物々交換から考えるお金の役割で書いたように、
循環の補助こそがお金の一番の役割なのです。
それは交易の歴史からも伺えることです。
栗本慎一郎氏の『経済人類学』には沈黙交易についての記述があります。
沈黙交易は、お互いに接触をせずに交互に品物を置き、
双方が相手の品物に満足した時に成立します。
原始経済社会の時代、共同体外部は異人の住むところであり、
畏敬の念を持っていました。
交易の成立は、その異人との間に平和が成立したことを意味するのです。
クラというトロブリアンド諸島の交易ネットワークがあります。
人々は、隣の島の人々とクラを行うために、
カヌーの船団を組織し、危険な航海を成功させます。
そこでは、白い貝の腕輪を反時計周り、赤い貝の飾りを時計周りに
財の交換がなされていきます。
クラ交易用首飾り |
信仰や儀礼、神話や物語、信頼や名誉などが
埋め込まれた複雑な関係であり、人々を結びつけているのです。
交易は物々交換です。
ですが、その物々交換はモノの必要性から生まれたのではなく、
共同体外部との交流手段だったのです。
お金はこの延長に生み出されます。
人と繋がっていくこと。それが人の一番根源にある望みであり、
原動力です。
そして、物々交換、お金はその補助の役割をしていたのです。
日本のお金は日本を循環し日本を豊かにする。
世界のお金は世界を循環し世界を豊かにする。
その視点を得ることが出来た時、「自分のお金」は必要なくなります。
あるのは「みんなのお金」だけです。
「みんなのお金」は人と人を繋げて、みんなを豊かにしていきます。
そんな世界を実現している木の花ファミリー。
この暮らしが広がることを願い、僕たちは淡々と生活しています。
税金は、国を屋根とした家族の「みんなのお金」です。
返信削除税収が少ない国はどうなるか想像して下さい。
父として母として子どもたちの未来に真摯に向き合って下さい。
球ペンさま
削除コメントありがとうございます。
球ペンさんの言う通り税金はみんなのお金であり大切なお金です。
私たちが事業を行っている農事組合法人は毎年黒字でしっかりと法人税や消費税を納めています。
赤字決算の法人が70%を超えていると言われていますが、私たちの法人が赤字になることはまずありません。
その理由は「不可能を可能にする暮らし」などに書かれているので、是非読んでみて下さい。
それは事業としての納税で、個々人としての納税は別ものです。
返信削除日本の税収の内訳の第1位は個人所得税や住民税など個人における税収です。
また、「不可能を可能にする暮らし」を銘打つあなたたちが赤字決算法人などを比較の対象にするのですか?
多くの企業は様々な事情を持っています。
事業として必要とされている立場にあって赤字であっても経営を続けざるを得ない法人もあったりと、様々な企業が経営努力をしています。
住民税・個人所得税・健康保険料・年金掛け金・消費税を支払うために、国内の法人は被雇用者に対し必要水準以上の給与支払いを求められています。
もしもあなたたちのようなシステムで低所得申告をする共同体が増えれば国内の個人税収は格段に減少します。
税収の少ない国はどうなるか想像して下さいと前にわたしはかきました。
(もしくは納税システムが円滑に行えていない後進国の例を見ても他人ごとでないことがわかります)
ライフラインは不安定になり
多くの公共事業が継続不能になり
公道の舗装や公共施設は廃墟化し
子どもたち皆が就学できなくなり(識字率が下がり)
災害が置きても早急で平等な救助を受けられず
事件に巻き込まれても泣き寝入りに追い込まれ
怪我・病気・出産において病院で高額請求され
社会情勢は正しく報道されず
暴動が頻発し
スラムが増え
安定的な労働が行えなくなり
安全な生活体は失われるでしょう。
中流以下の多くの国民が最低限の生活に支障を抱えることになり、諸外国から支援と支配を受けることも起こりうるでしょう。
ミクロとマクロ、どちらの視点においても進歩的でなければ、真に「不可能を可能にする暮らし」などありえません。
法人が黒字なら、労働者が低所得申告をして納税義務を減免させるような経営をするべきではないのではありませんか?
球ペンさま
返信削除税収が少なくなると国が不安定になり、人々が不幸になるかというと、
必ずしもそうとは言えないのではないでしょうか?
税収の大きさとは経済規模の大きさです。
経済規模の大きさと幸福度に相関関係がないことは、
近年、様々な機会に言われていることです。
例えば、以下のページをご覧ください。
http://middleeast.asahi.com/column/2010081700001.html
大切なのは、収支のバランスだと思います。
仮に私たちのような暮らしを多くの方が始めたら、
支出は抑制されるでしょう。
現在、食糧の輸送には、多大な経費と環境負荷が掛かっていますが、
自給自足の暮らしはそれを最小限にすることが出来ます。
また人々が健康に暮らすことにより、医療費(保険料の支出)も抑制できるでしょう。
この暮らしは国を含めた人々の収支バランスを健全なものに導くと思っています。
これがマクロの視点からのこの暮らしの価値です。
こう書いてきましたが、私の視点も球ペンさんの視点も可能性について書いているわけです。
未来は確定したものではなく、そういう意味でお互い反論の余地が残るのかもしれません。
なので、大切なのは、
人々の幸福を真に願っているか?
自分の都合に固執していないか?
をチェックし、そこを正しながら、
自分の信じる道に基づいた具体的な行動を取っていくことだと思います。
それが出来ているならばお互い尊重し合える。
そんなふうにしてそれぞれの道を歩みながら、世界を豊かにしていきたいですね。