一人ひとりの認識がこの世界を創っている。

三角エコビレッジ・サイハテ坂井勇貴さんが以下の問いを発しているのを目にしました。

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人間らしさを学び、育む場としての村づくりやコミュニティ作りは今後ますます求められていきますが……あなたにとって『人間らしさ』とはなんでしょう?コメントお待ちしています!

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それに対して僕は以下のように答えました。

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仏陀がすべてが繋がり合うこの世界の中で「天上天下唯我独尊」と語ったのは、自分が消えたら認識が消え去るから。これは認識に価値を置いた言葉で、人間を人間にしている人間らしさは「認識」にあると思っています。

だけれども、人間の認識は自分の身体や経験に縛られていて、そのままではこの世界の真実の姿を観ることが出来ません。だから心を磨いて自我を手放し自分の視点を超えていくことが大切なのだと思っています。


自分の思惑や感情を手放し目の前の出来事に心を開き、そこから学ぶトキ、変化は自ずから起きて、そして自ずから成長していきます。自分の想像を超えた自分と出会うことが出来ます。

多くのヒトが共に暮らすコミュニティは多くの視点が混じり合うことで自分の視点を超えるようにと導いてくれます。その先にあるのは、この世界の実相への認識。それは無限の深みがあるもので、探求しても探求してもきりがなくて、いつも自分の想像を超えてきて、面白く面白くて仕方がないものなのです。

長くなりましたが、思うことを書かせていただきました。
読んでくれてありがとうございます。


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一人ひとりの認識がこの世界を創っている。

今はそう確信しています。だからこそ認識には価値があり、仏陀は「天上天下唯我独尊」と語っているのです。ですが今、多くの人の認識は、エゴから生まれる欲や不安、恐怖に染まっていてバラバラになっています。バラバラの認識が世界に反映されて、戦争や紛争、孤立や分断となって表れているのです。

だから今、大切なのは人々が共通の認識を得ることです。そのためには自らを囚われから解放し、現象の奥へと探求を深めていく必要があるのです。

本来、ニュースや報道はそのような視点を提供するものなのだと思います。誰の立場にも立たずに客観的視点から出来事を紡いでいくトキ、そこからその奥を感じられるようになります。それは探求の入り口となるのです。ですが、今のニュースは国や団体などの立場からの視点を提供しています。それはそれぞれの立場の視点を強め、分断を助長する結果となって表れています。

そしてコマーシャルは、大量消費社会の中、人々の欲望を刺激しています。これも人々の囚われを強化することに繋がります。

それぞれの視点に対する囚われが強化され、そしてその表れとして社会は混乱していきます。それは一人ひとりの認識が生み出していることです。

だから認識を新たにすればいいのです。ただこれは何でも自分の思い通りになるということではありません。

この世界を平和だ

そう思い込めば平和になる。そんな簡単な話ではありません。思い込みと認識は違います。何かを実現しようとして願ってもそれは認識とは違うものです。認識とは恵みであり恵みとは認識です。そしてそれは出来事をいただくことで「頂き」が「増し」、視野が広がっていくものなのです。ジイジは恵みと認識について以下のように語っています。

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「恵み」とは生きることそのもの。人間は何かを貰った時やご利益を得た時に「恵み」と考える傾向がありますが、人は生きることにより物事を認識していきます。その認識こそ「恵み」です。先にこの世界があり、自分という個性が組み合わさります。一人一人個性的な眼鏡でこの世界を認識していきます。人間は他の生命とは違い自由が与えられ、自己実現の願望を持ちます。そして広い視野を持ち尊く生きることも出来るし、狭い視野に陥り地獄を生きることも出来るのです。それらすべてが恵みです。



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広い視野は尊い生き方に繋がり、狭い視野は地獄へと繋がっていきます。自分の思惑や感情を超えて出来事をそのままいただくことで視野は広がっていきます。その開かれた視野がすべての存在を繋げ、この世界に調和をもたらしていくのです。

この世界は一人ひとりの認識が創っています。

だから自らの認識を広げることによりこの世界に実相に向けて深めていく。そしてそれをみんなに共有することは世界平和に向けての力強い取り組みです。なぜなら、この世界の実相は一つで、そこではすべてのものが調和しているからです。

蓮池の花が咲き始めています。


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