ラベル 心のシェア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

余裕がほとばしり出るような徳の積み方(2017)

大いなる力には大いなる責任が伴う」に書いたように、僕には心の道を歩む責任があると思っています。とは言っても、人には結果をコントロールすることは出来ません。未来がどうなるかはいつも未知であり、未知だからこそ道と言えます。だからただいつも目の前の出来事に丁寧に向き合うだけであり、結果やそれに伴う評価については完全に手放すことになります。

ところで僕は2年前の6月、いさどんからこんな言葉を貰っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

なかのんは真面目で一生懸命やっているが、もう少しそこに余裕があると、あの人は本当に徳を積んでいるねということなんだけど、一生懸命「この道だぁぁぁ」とやっていると、そこに余裕がないと、何とか一生懸命気合いを入れてそこを保っているという状態。

余裕がほとばしり出るような徳の積み方というものがある。



☆彡 ☆彡 ☆彡

2年前に比べると今の自分には大分、余裕があります。その余裕がどこから来るかと言ったら、結果や形に囚われない姿勢から生まれているのだと思っています。

結果や形に囚われない。

言葉では当時も同じことを語っています。ですが、これは頭の理解ではなく体験を通して育まれていく姿勢です。自らを分けると書く「自分」は、この世界を切り取り固定することを求めます。そして自らが切り取った世界に対する評価や承認を求めます。その「自分」、自我の動きから自由となり、そこから「自分」を眺め、「自分」を育んでいくのです。これは終わりのない旅であり、僕はこれからさらに自由となり、余裕を育んでいくことでしょう。

多くの人は自らの思惑で状況を変化させようとします。そして努力をするのですが、その努力は現実とぶつかりなかなか思うようには進まないものです。自分と相いれない他者の思惑に出会い、苛立ち苦しむことになります。フランスや韓国の大統領選挙、そしてアメリカによるパリ協定離脱宣言と社会の分断を表すニュースが続いていますが、それらは多くの人々が自らの思惑に基づき努力をした結果です。今、人智による努力は社会を混乱させています。

ですが、結果や形から自由となり余裕を育んでいくと出会う出来事が変化していきます。そして、その変化を楽しむことが出来ます。それは自らの想像を超えた世界で、様々な立場の人を繋げていきます。人智を超えた大いなる流れ。人々がそれを意識し委ねた時、世界はきっと新しい扉を開くのだと思います。

そんな心を育むための集まりが2017年7月15日(土)~17日(月)まで開催される第11回大人サミット~私たちはこれから何を目指すのか〜」です。以下、案内文を引用しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡


人は、見えないと「どうなるかわからない」と不安になり、未知なるものを恐怖に感じて何とか現状を維持しようとします。ところが地球は、広大な宇宙空間を実に秒速30kmというスピードで、らせんを描きながら常に未知なるところへ未知なるところへと進み続けています。どんなに今いる場所を絶対だと思っても、次の瞬間にはもう、私たちはまったく違った新しい場所にいるのです。変化変容し続けるのが地球の、そして宇宙の実体であり、そのエネルギーは我々人間の力など到底及ばない、とてつもなく大きなものなのです。

宇宙探査機が目的地に向かう時に、「スイングバイ」という方法を使うことがあります。探査機のエネルギーだけで遥か彼方の目的地に行こうとすれば、莫大なエネルギーが必要になります。そこでどうするのかというと、天体のエネルギーを利用するのです。とてつもないエネルギーで宇宙を移動し続ける天体の引力を利用し、その公転軌道に乗ることで探査機の推進力を上げ、しかるべきタイミングで軌道を離れて目的地に向かえば、少ない燃料で効率よく到達することができます。探査機だけの力では行けなくとも、天体の推進力に乗ればいいのです。

今、最も力強い推進力は、20121221日の「銀河の冬至」から始まった新たな時代の流れです。地球が一年に一度冬至を越えて光を増していくように、太陽系もまた25800年ぶりの冬至を越えて、闇の時代から光の時代へと切り替わる大転換期が始まりました。今こそ、私たち人類は出口の見えない混乱を抜け出し、この壮大なる時代の流れにスイングバイする時がやってきたのです。その先には必ず、今はまだ見ぬ新たな世界があります。もしも今あなたが生き辛さを抱えているとしたら、それはきっと「そろそろ新たなルートへ進みなさい」という天からのメッセージであり、あなたへの追い風なのです。

さあ、準備は整いました。個々が幸せを求めて一生懸命エネルギーを費やしてきた結果が今の社会ならば、個々の囚われを手放し、大いなる時代の流れに乗る時がやってきたのです。これから世界には、大変革の時が訪れます。人々が恐れようと理解できなかろうと、確実に時代はその方向へ進んでいます。その時代の流れを感じ、そこに乗って新たな世界へと踏み出した時、私たち人類はこの世界に生きる真の意味に目覚め、時代と共に希望溢れる未来を創造していくことができるようになるのです。そして、世界に二つとないあなただけの人生の花が美しく花開くことになるでしょう。


どうぞ共に時代に乗って、新たな世界へスイングバイしませんか。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自らの思惑を叶えるのではなく、ただ出会う出来事を楽しんでいく。その結果、人と人が繋がり幸せになっていく。そんな心を育みたい方。是非、大人サミットにご参加下さい。共に未知の未来を楽しみましょう(^-^)


2016年7月に開催された第10回大人サミットの様子です。

未知であるからこそ道

6月になりました。昨年、一昨年と6月を起点にしてしばらく「自分の望み」に囚われた苦い思い出があります。それは僕が抱えていた爆弾で、大きな波に飲み込まれたようなものです。

この課題を達成することで壁を超える
この課題を達成することで新しい世界を切り拓く。

当時はそんなふうに思っていて、そこには決心もあったのですが、その奥には「自分の望み」があって、その波に飲み込まれていただけなのです。自分が設定した課題に向って努力をしてはいましたが、それは囚われた思考の下の努力なので、心はどんどん狭くなっていきます。だから当然のように滞りをいただきました。

波に飲み込まれ、罠に引っかかり盲目となった当時の僕。

その痛みは僕を謙虚にしてくれますが、これ以上繰り返す必要はありません。だから今年は違う道を行きます。未知(みち)の場所に行くからこそ道(みち)と言えます。繰り返しは歩みの停滞。僕はもう歩みを止めません。立春正月にひっくり返り、春分を機にただ出会うことを楽しむようになった今年の僕は、今までとは立脚点が違います。

自分の側から世界を見るのではなく、世界の側から自分を見る。自分に湧き上がる想いは満たすためのものではなく、世界に向けて解放するものです。解放することで想いは変化変容を繰り返しこの世界と一つになっていきます。行動や判断の基準は自分の想いではなくこの世界の流れであり、そこに彩りを与え筋道を通すことです。

そんな視点から1年前の今日に書いた以下の文章を見てみます。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕は子どもの頃、誘拐される夢を沢山見ました。
それらの夢はとっても怖かったです(-_-;)。

ある日の夢では、僕は両親と妹と自動車に乗っていました。
その時、かぼちゃの顔をした「かぼちゃマン」が走って僕らの車を追いかけてきたのです。
かぼちゃマンはとっても早くて僕らの車に逃げ切ることが出来ません。
そして、かぼちゃマンは高らかに笑っています。
かぼちゃは当時の僕が最も嫌いだった食べ物。
そのかぼちゃが迫ってくるのが本当に怖かったのです。

プロセスワークでは、子どもの頃の夢を「人生の神話」として捉えています。
それは人の人生を貫く大きなテーマとなるのです。

僕は子どもの頃の夢での中で何度も何度も誘拐されました。
それは、血縁の家族や個人的な繋がりではなく、
もっと大いなるものに導かれて生きていくということです。

大いなるものとはこの世界のすべて。
世界は僕で、僕は世界。
この世界が僕を生み出し、僕がこの世界を生み出している。

だからこの世界に起きることすべてに僕は一人分の責任を持ちます。

それで再び「願い」について思います。
そして、以下のような結論に達しました。

それが道の途上にあるものならば必ず実現する。
なぜなら僕は心の道を極めるから。

それは手に入れようとするものではなく、自然となるもの。

これから価値あるものとして僕のいろいろな思いが表現されていきます。

それが天との約束だから。

ちなみにかぼちゃは今、僕の最も好きな食べ物となっています。
かぼちゃはきっと僕にとって天からの使者なのです(^-^)




☆彡 ☆彡 ☆彡

この文章、だいたいそうだなと思えるのですが、「願い」についての結論でおかしくなります。道は未知だからこそ道と言えます。それなのに、僕は「必ず実現する」と書いています。変化変容を繰り返すのがこの世界の本質で、「願い」も常に変化するものであり、その実現はどうでもいいのです。ただ大いなるものに導かれ生きていくだけです。

そして世界に目を向けると、アメリカのトランプ大統領が「パリ協定」からの離脱を表明し、国際社会、そして人々の分断がさらに際立つようになりました。その分断は、多くの人が今の自分の想いや願いを満たそうとして生まれています。それが変化していくことは考えず、ただただ今の自分の願いや想いに固執し、その結果、違いが際立ち分断が進んでいくのです。そして平和への願いすら、それに固執することで争いや分断を生み出す原因となっています。

人は自らの想いに基づき未来を固定しようとして道を外れて来ました。未知であるからこそ道であり、未来を固定しようとする思惑は滞りへと繋がっていきます。それが今の地球の姿です。未知なる道、未知なる未来に向けて自らの想いを解放する時、思いもよらない出来事をただただ楽しむことが出来ます。それは人智を超えた動きであり、すべてを一つにする動きであり、そこに未来への希望があります。

僕は道を歩みます。それは未知への旅であり、ただ出会うことを楽しむ旅です。

今朝の富士山と太陽です(^-^)






改善のために努力しつつも改善を求めない

素晴らしい存在がいることをシェアしてくれてありがとう。ただ、わたしたちにとっては長生きすることや健康であることが最大の目的ではありません。極端なことを言えば、自分が望むように生きられることが一番の目的ではないのです。たとえ寿命が短くても、病気であっても、それはこの世界の多様性であり、そのことによって何かを失うわけではありません。つまり、病気であることから学び、寿命をもらうことによって学び、そして存在しているのですから、受け入れられないことは何もないのです。それが、この世界の本来の受け取り方です。ですから、学び受け取る姿勢がありさえすれば、すべてはこの世界の実態そのものなのです。それは、何でもいいということです。

その手法が画期的ですばらしいと思うということは、現状を改善したいと思っているからです。僕が常に皆に伝えていることは、そういった「~したい」「~になりたい」という願望を消しなさいということです。そして与えられるがままに存在しなさい、ということです。すべてを受け入れれば、己から解放されます。僕はそのことが伝えたいだけなのです。

今の姿のあなたがすべてではないのですから、いくらでも変化・変容・変態を繰り返すことが可能です。そして、それが宇宙の実相なのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

上記は効果を上げている癌の治療法を木の花ファミリーに紹介してくれた人に対して、いさどんに湧いてきた言葉で、僕たちの生きる精神を端的に表しています。

自分の想いを手放し、ただただ出会うことをいただく時、自分の想像をはるかに超えた世界が展開します。木の花ファミリーの生活はそのことを世界に示す実験の場となっています。

僕たちは手法を否定しているわけではありません。必要な時には病院の治療も受けています。木の花ファミリーブログ「きょうこちゃんのどこまでもいただきます物語」には癌の治療を通したきょうこちゃんとファミリーみんなの学びが描かれています。必要な治療をただ淡々と受けるならば、それは有難いいただきものであり、時には人の学びともなります。

僕たちが問題にしているのは、手法や治療を受ける時の心の動きです。改善したいという気持ちが強い時、効果的な手法に出会うと、その手法を絶対視したり、その手法に依存する心が育っていきます。その時、人の心は目覚めから遠ざかり、症状の改善が世界のすべてとなっていきます。そして、症状は改善したとしても、それを生み出した心の姿勢(種)は変わらないままとなっているので、その種は人間関係など他の場面で問題となって表れることになり、この世界を創っていくのです。

改善のために努力しつつも改善を求めない。

それはただ道理を通すことを心掛けることであり、そんな姿勢で症状や出来事に臨む時、結果がどのようにものとなったとしても、その症状や出来事に出会った意味を知り、そしてそこから大きな学びを得ることが出来るのです。それがこの世界を生きる醍醐味であり、表面上の出来事に右往左往していては味わえない喜びなのです。

この世界は一人ひとりの心の反映なのだから、大切なのは心を育むことです。

改善を求める心は、過度になると自分都合の世界を求める心となります。自分都合の世界を求めると思い通りにならない世界に苛立っていきます。外にばかり悪を見て、自分を振り返らずに改善を求める。それが今の多くの人々の姿勢であり、今の社会を創っています。大切なのは道理を通すこと、出来事に柱を立て意味を見出すことです。

みんなが平和を求めます。

ですが、平和を求めることが大切なのではなく、平和な心を育むことが大切なのです。

平和のために努力しつつも平和を求めない。

そんな心を育むことで、変化変容に富んだこの世界を楽しんでいこうと思っています(^-^)

そう、ただ出会う出来事を楽しんでいくのです。



みんなの人生を生きる

昨年の9月、僕は自我について以下のように書いています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

近代以降、人間の自我は好き勝手に振る舞ってきました。
そんな行動を積み重ねることで人間は業を深め、自我は混乱の極みにあります。
今、自我の選択は多くの場合、自らを不幸にしていくのです。

例えば、それは依存症や引きこもりなどの社会不適応として現れています。
そして、世界に目を向けてもそのような事例は多々あります。

例えば、北朝鮮はミサイルの開発や核実験を重ねていますが、
それは国の自我、国家エゴに基づいた行動です。
国家エゴに基づいた行動が国際社会で北朝鮮を孤立させていきます。

そして、経済発展。今、人々のエゴは経済成長を求めていますが、
それが経済格差や環境破壊をもたらし、人々そして自然との分断を広げています。

思い通りに行動することが自分や社会、自然に不幸をもたらしているのです。
人間は今、そのような状態にあるのですが、そこに歯止めが掛かりません。

そんな中、本当の幸せや平和を求めるならば、混乱した自我を超えるしかないのです。
木の花ファミリーに出会い、その道の大切さに触れながら、そこを離れていく。
それも混乱した自我の振る舞いと言えるでしょう。


☆彡 ☆彡 ☆彡

自我は浮かんでは消える波のようなもの。本当の自分は海そのものですべての存在と繋がっています。だけれども多くの人は波がすべてと思って、それに固執し自我の波に飲み込まれ右往左往して暮らしています。

どんな大きな波が来ても、自分が海だということを覚えていれば、飲み込まれることはありません。そして、すべての波(自我)が繋がっていることが理解出来ます。そんな心を育むことが自我を超えることであり、木の花ファミリーの暮らしです。

もうすぐ「まなこい」から3年に書いたように、3年前、僕は「場創りをしたくない」と宣言しました。そんな僕が今、足りないところは多々ありますが、場創りを楽しんでいます。人は変わるもので、そんな僕を見て、「目標だ」と言ってくれる人がいます。僕を見て「目標だ」と感じる人がいる。ならば、そうあり続ける責任(Responsibility)が僕にはあって、そうすると僕の人生は僕だけのものではないと思うのです。

木の花ファミリーの暮らしは「みんなで自我を超える」実験の場です。それは僕たちの趣味ではなく人類の未来へ向けた実験です。ならば、僕の人生は人類の未来のものです。

僕は海。そして浮かんでは消える波として人生を送ります。

波としての自分に焦点を当てれば、それは自分の人生と感じるかもしれませんが、僕は本来、海そのものなのです。だから、波(自我)としての自分は他のすべての波(自我)と同様で、世界の彩りの一つに過ぎず、それはみんなのものなのです。

僕は自分を通してみんなの人生を生きる。

それは僕の人生が僕だけのものではなくみんなのものでもあるということです。

ところで今日はふたご座の新月です。

ふたご座の新月は「選択」がテーマとなると「双子座新月はベストチョイスが出来る時」には書かれています。そして、その時大切になるのが、自分自身のハートで選択するということです。このタイミングで僕は、自分の人生ではなくみんなの人生を生きることを心の底から選択します。

それは自分の満足を求めるのではなく、みんなの満足、この世界の道理に基づき生きるということ。山の裾野は広くとも、頂上は一つ。この道は進めば進む程狭くなっていきますが、それは窮屈になるということではなく、より明快になるということで、高みに行けば視界は開け、心はクリアになっていきます。心がクリアになればなるほど、自分の人生が自分だけのものではなくみんなのものであるということが見えてくるのです。

そして今日、この新月のタイミングで合同会社ロータスランドが生まれます。

特に新月を意識していたわけではないのですが、たまたまこのタイミングで準備が整いました。この会社は、まずはカフェ&ショップ・ロータスランドのショップ部門に担うことから始まりますが、これから木の花ファミリー、そして社会に新しいお金の流れを生み出していきます。これは僕らの選択から生まれる新しい流れで、これからお金を通して、この世界に幸せの循環を生み出していくことでしょう(^-^)

午前4時44分。毎朝、僕が起きる時間に月はふたご座で新月となりました。

僕は月の後押しを受けて目覚め、みんなの人生を生きていきます(^-^)





世界に向かって転がり出る

5月20日で木の花ファミリーに移住し、丸8年となり、今は9年目の日々を過ごしています。「9」という数字から思い出すのは、小学校6年生の時、校長先生が語っていた以下の言葉です。

苦(9)を超えなければ、充(10)の喜びは得られない。

当時の校長先生(服部先生)は、卒業式の時、色紙にこの言葉を書きみんな(160名ぐらい)に贈ってくれました。その色紙は今も実家の部屋に飾ってあります。

そしてこの言葉は、遠藤周作さんや河合隼雄さんが生前に語っていた「くるたのしい」という言葉に通じるのではないかと思い、ネットを検索すると以下の文章に出会いました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「くるたのしい」とは、苦しさと楽しさとが同居している様子をいうようですが、もう少し掘り下げて考えてみましょう。

作家が書いた小説というものは、その作家が頭で描いた構想を膨らませてできたものですから、作家が思うようにコントロールしてできたもののように思われますが、『ケアの本質』の著者であるメイヤロフ氏は、小説というものは作家が思いつくままに書いたものではなくて、小説を書くとは、自分が選んだある構想が自分の中で成長していくのを援助すること、あるいは、その構想が持つと考えられる本質的な特徴を発見し探索することであると言っています。

同時に、作家の関心は、自分にではなく、自分が取り組んでいる構想自体に向けられているとも言っています。

要するに、小説とは作家が構想を練ることによって出来上がるわけですが、その「練る」とは、作家が勝手にコントロールすることではなくて、その構想が自ら成長していくのを援助することが「練る」ことであって、創作活動の主体は構想の側にあって作家の側にはないということです。

メイヤロフ氏はこのように言っているわけですが、書く者としては、やはり自分が主体となって書こうとするでしょう。そうすると、行き詰って書けなくなり苦しくなるという事態に追い込まれるというわけです。

そこで、自分が主体になっていることに気づき、それを棚上げして構想の方に主体を移し、構想に耳を傾けることができるようになったとき、作家の筆はなめらかとなり、苦しみはいつの間にか楽しみに変わっているのではないかと想像します。

この辺のところを河合さんは、植物は太陽の熱と土とがあればゆっくりと成長していく、そのゆっくりとした成長に心を合わせてやると、植物の成長がとても楽しみに思えてくるが、植物の成長をこっちがコントロールしてやろうとすると、思いのままにならないことが出てきていやになってくるのではなかろうか、と言っておられます。



☆彡 ☆彡 ☆彡

「自分が・・・」という思いに基づき行動すると、思いもよらない出来事に出会いいらだち苦しくなります。ですが、「自分が・・・」という思いを手放す時、思いもよらない出来事を楽しむことが出来るようになるのです。世界を楽しむコツは自分を離れることにあるようです。

冒頭の、苦(9)を超えて、充(10)の喜びを得る。という言葉。

それは「自分が・・・」という心を超えて、天の法則、流れに身を委ねることなのだと思います。

視点を変えて、カタカムナでみると、「9」は「転がり出る」です。「7」で質的転換し、「8」で飽和安定した存在は、「9」で転がり出て、「10」で統合へと至ります。

転がり出る先は???

きっと世界です。魂は自らの感情や身体と出会い、様々な経験を通して自分を育んでいきます。世界から分かれた自分を育んでいく。その状態が飽和し安定した時、世界に向けて転がり出ることで、世界と一つとなり存在は完成していくのです。

「自分が・・・」という心を超えて、世界に転がり出ることで、天の法則の下、世界と一つとなり、充の喜びを得て統合へと至ります。

今年は木の花ファミリー9年目。世界に向けて転がり出ることで10年目、2018年での統合へと至りますが、2018年には平成の終了が予定されています。平成は「イワト(平=一八十)成る時代」。その終了と共、僕の木の花での1サイクル(ヒフミヨイムナヤコト)も終わるわけで、そんな時代の流れも意識して日々を送ろうと思っています。

そんな感じで世界に目を向けたら、「9」と言えば、憲法9条です。9条は前文と共に平和憲法の核となる部分ですが、今、改憲に向けた動きが加速しつつあります。

世界が平和でありますように。

そんな思いはきっとみんな共通しているのに世界は争いが絶えません。きっとそれはみんなが自分都合の平和を求めているからだと思います。自分「が」平穏でいたいから・・・だから平和であって欲しい。そんな動機から平和を求めていたら、他人の痛みや苦しみは目に入りません。そして、その態度は争いを生み出す原因ともなります。

争いを排除することで争いを引き起こす。

多くの人が自分都合の平和を求めているからそんな世界が展開するのだと思います。

憲法9条は平和を謳っています。ですが、改憲にしろ護憲にしろ、それを自分都合で求めていたら、生まれる世界は争い、いがみ合いの世界です。

自分都合、自分が・・・という心はこの世界に苦しみをもたらすのです。

だから大切なのは、思いもよらない出来事に心を開いていくことです。自分の都合、自分が・・・という心を手放し、ただ出会う出来事を楽しんでいく。みんながそんな姿勢で世界に転がり出る時、個性豊かな存在が繋がり合い、真の統合が生まれるのでしょう。

そんな未来に向けて、僕は世界に転がり出ます。

5月20日、木の花ファミリー蓮池の写真です。






人間を壊して「ヒト」へと至る

2017年も3分の1が終わりました。このタイミングで年初に語ったことを振り返ってみました。「心を爆発させ思考の枠を吹き飛ばしていく」にも書いているように、年越しのタイミングは木の花ファミリーのみんなと「ヒトイズム₋ヒトという存在の実体は何ものなのか₋」を読んでいました。ヒトイズムについていさどんは以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

宇宙創成のプロセスは、「ヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ・ヤ・コ・ト」という数理で表すことができる。その始まりである「ヒ」から最終の「ト」までのプロセスを理解し、それらを統合して成り立つ存在が、ヒトだ。それが時代人(じだいびと)であり、時代主義(Eraism=エライズム)を生きる存在だよ。

~ 中略 ~


ヒトというのは、人間という地球上で物理的に進化してきたもののことではないんだよ。それは、物理的に進化してきたものが最終的に到達する目的地点であり、宇宙にはもともとヒトという意識レベルの存在があったはずだ。なぜなら、ヒトとは宇宙の仕組みをマスターした存在を言うのだから。
ついつい人間たちは、ヒトのことを人間と勘違いする。人間とヒトでは、定義が違う。ヒトは形ではない。宇宙の法を理解し、マスターした存在をヒトと言うのであり、それは目覚めということでもある。


~ 中略 ~


宇宙は奇跡の連続だ。なぜなら、もともと人間の思考のキャパを超えたところで成り立っているのだから。だから宇宙を生きるという意識レベルを考えるのならば、科学や理屈を超えたところでものごとを受け取る器を持つことが必要だ。そうでなければ、真実は観えてこない。
それには、人間壊しをすることだ。人間を壊して、ヒトとして存在する。それがヒトイズムだ。


☆彡 ☆彡 ☆彡

2017年のテーマは「爆発」です。今、ロータスランドが始まりとても忙しい毎日を送っていますが、それは心を爆発させ思考の枠組みを取り払うためにあります。その先にあるのは、人間壊しであり、ヒトへと至る道です。心を亡くすと書く「忙しい」日々ですが、僕らは思考のキャパを超えるためにそんな日々を過ごすのであり、心の豊かさを失ってはいけません。だから常に初心を思い出し、天に心を向けることが大切です。その先に宇宙の法の理解があり、それを生きる日々があるのです。

経理を担当する僕は今、新しいお金の流れと向き合うことになっています。ロータスランドが始まることで日々のお金の流れがガラリと変わりました。そのリズムに慣れ、新しいシステムを構築していく必要があります。これは僕にとってかつてないチャレンジであり、まだこれだ!という結論には至っていません。でもそれでいいのだと思います。今年のテーマは爆発であり、僕は思考の枠組みを取り払っていくのです。だからこれから構築するシステムは自分の思考から生み出されるものではなく、流れの中から生み出されていくものなのです。きっと先に行けば見えてきます。

僕らは自分たちのためにお金を得ているのではありません。活動の維持に必要な利益は当然上げていく必要がありますが、真の目的な健全なお金をこの世界に循環させることにあります。このブログでは何度か紹介していますが、いさどんはこんなふうに語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今の社会では、みんな収入を得るために必死に仕事をしています。お店ならば、お客を獲得するために一生懸命、商品開発や営業活動を行っています。お客の増減はお店にとっては死活問題なのです。ですが、木の花ファミリーの活動はそれとは違います。私たちは天の恵みである作物をいただき、それを基盤として生活を営んでいます。収益を得ることが死活問題とはなっていません。ですから、私たちの商売は一般とは違うものなのです。同じ基準で考えてはいけません。天の恵みによって暮らす私たちは、心に余裕やゆとりがあります。そして、その余裕を心磨きに向けることが天との約束です。商売もその延長にあります。天の恵みの恩恵を世の中に広げていく。それが私たちにとっての商売で、心を伝えること、幸せを循環させることがその本質にあるのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

横浜でアジア開発銀行の総会が開催され、TPPはアメリカ抜きでは発行が目指されています。どちらもグローバル化した経済の中でお金を循環させる約束を創り上げているのですが、そこに自分を離れた全体視点はありません。すべての参加者が自国の視点から世界を眺め、自国の利益を追求しています。そのため約束ごとは利害関係の調整に終始し心豊かな関係には繋がりません。今、お金を巡るトラブルが多発していますが、それは自分の利益を追求する人々の姿勢の反映であり、お金の流れが人々を苦しめるようになっています。

そんな中、僕たちは天の恵みによるお金を生み出しこの世界に流し込んでいきます。その動きは人々の心に豊かさをもたらします。日々、ロータスランドを訪れて下さるお客様の言葉からもそのことは感じることが出来ます。

自分の利益、自分の幸せを追求する姿勢が人との違いや距離を生み出し、人は苦しんできました。それが人間としての生き方だとしたら、これからはその人間を壊し、ヒトとなることで、繋がりが生まれ、人々は幸せになっていくのでしょう。宇宙の法を理解するヒト、宇宙とはこの世界全体であり、自分視点を離れ、全体視点へと至ることが幸せへの道なのだと確信しています。

是非、ロータスランドに遊びに来て下さいね(^-^)
※営業時間 8:00~19:00(ラストオーダー18:00)、月曜定休日です。












もうすぐ「まなこい」から3年



3年前(2014年)の5月、木の花ファミリーにて僕の「まなこい」が行われました。そして2年前(2015年)の4月、僕は「まなこいから11ヶ月」という文章を書きました。

「まなこい」とは何か?そこでどんなことが行われたのか?

以下、「まなこいから11ヶ月」の文章を引用することで説明します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「まなこい」とは何か?

それは「まな板の上の鯉」の略で、僕はまな板の上の鯉のように抵抗することなく、みんなに自分を晒し料理をしてもらいました。まず僕自身が自分の分析をして、それに基づいてみんなが僕についての分析をするのです。そうすることで、お互いの認識のギャップを埋めて、みんなで客観的な視点を身に着けていくことを目的にしていました。

この「まなこい」の場で僕は以下のようなことをみんなに伝えていました。

  • 自分は基本的に場を創りたくない人。
  • みんなの前で話をしようとするとただの事務連絡だけでも心臓がバクバクする。
  • この場をよくしていこうという提案に乗れない自分がいる。そのため「こんな自分はここにいてはいけないのではないか?」という考えが浮かんでくる。そして、実際に出ていくことをシミュレーションしてみる。「自分が出ていくならば、引継ぎとして最低でも1ヶ月は必要だよな~」とか「ここを出て行った場合、道義として同じような暮らしは出来ないよな~。そうすると、生きていくために適当な仕事を探して無気力で生きていくのかな~。」なんて考えて、「こんなことを考えても仕方がないので、ダメかもしれないけどやれるだけやろう」と言い聞かせて過ごしている。


そんな僕に対してみんなが見える視点を伝えてくれました。

  • こんなふうに言うことでなかのんは失敗した時のための予防線を張っている。
  • 本当は良くしていきたい気持ちがあるのに、それを推し進める力がない。ならば人に心を開いて頼ればよいのに、それもプライドが高いために出来ずにいる。
  • なかのんは無駄な思考、エネルギーを使っている。ここを出ていくことに良いイメージがないのに、そんな考えにエネルギーを使っている。湧いてきた無駄な想いを手放していくということをしているようだが、本当に高い視点を持って、その位置にい続けたら、そんな想いは湧いてくることがなくなる。そこまで自分を高めることが大切。


☆彡 ☆彡 ☆彡

当時(2014年5月)の僕がやる気を失っていたのは、特定のもの(結果)を求めてそれが手に入らなかったから。言ってしまえばただそれだけです。そして、僕はまなこいを機会にしてやる気を出そうと決意します。そして積極的に行動しましたが、「変わろう」と思って行動しても僕は変わりませんでした。2014年の終わり、そんな僕に転機が訪れました。以下、天の物語を生きる~1年の振り返りとして」から文章を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡
僕はこれまでずっと自分の物語を生きて来ました。

それは「世界が僕を変える」や「世界と一緒に変化を楽しむ」に書いた英雄物語だったり、「僕といさどんと木の花ファミリー」に書いた「虐げられた状況から逆転する物語」だったりします。その自覚はずっとあって、それを意識的に変えようと努力を重ねてきました。ですが、それらの努力は功を奏しませんでした。僕は変わりませんでした。

そんな中、今年の9月24日、このBLOGを立ち上げました。タイトルは「木の花ファミリーの経済から世界を見る」。「世界を見る」とタイトルをつけたからには、そこに書かれるものは、世界を意識したものでなければならない。そんなふうに思いました。そして普段から世界で起きていることと木の花ファミリーの暮らしを繋げて考えるようになりました。そうすることで、この暮らしの意味をあらためて感じることになりました。そして、その意識を保つために一定のペースでこのBLOGを書き続けました。

すると大人ミーティングが今まで以上に面白い場となってきました。そこから世界が見えるのです。そんな大人ミーティングの場で、12月の初め不思議な体験をしました。その時、いさどんがみんなに向って語っていたのですが、僕は天から暖かいエネルギーが降り注ぐのを感じたのです。いさどんの話が天の扉を開き、そして、天からエネルギーが降り注いでいたのです。そのエネルギーはとても大きく暖かいものでした。僕はこの時、初めて天の存在を感じました。ずっとあることを知っていた天の存在をリアルに感じたのです。この日から僕は天に意識を向けるようになりました。

天に意識を向けると、自分の感情や枠を超えることが出来ます。自分から自由になって、天の温かさを感じることが出来ます。それがとても心地よく毎日がとても幸せなのです。そんなふうに過ごしていると、周りから「変わった」と言われるようになりました。

このBLOGを立ち上げた時、僕は別に「変わろう」とは思っていませんでした。ただ広い視点を持つことを心掛けて毎日を過ごしていました。その結果、僕はとても幸せになりみんなに変わったと言われます。一方、僕が意識的に変わろうと努力した時、僕は変われなかったし、あまり幸せにもなれませんでした。

その違いは何か?

僕が意識的に変わろうとした時、僕は自分の変わる姿をイメージしていました。評価される自分、出来る自分をイメージしていました。要は自分がかわいかったのです。そして、自分に囚われていました。その囚われが僕の変化を邪魔していたのでしょう。

今は自分に対するイメージは持っていません。「どうなりたい」という思いもありません。ただ、天を意識し感じ続けること。それが僕の一番の望みで、それだけ出来ればよいのです。だから僕はこれから何があってもずっと幸せだろうなと思います。

僕を変えて幸せにしてくれたのは世界であり、天です。
自分では幸せになれませんでした。
だから、これからは天の物語を生きていきます。
それは僕を幸せにし、そしてみんなを幸せにする物語になるのだろうなと思っています(^-^)

☆彡 ☆彡 ☆彡

2014年の終わり、「天の物語を生きる」と書いた僕ですが、その後も自分の物語、自分の想いを追求したい心を残していました。それは時々浮上してきては僕の人生に滞りを生み出してきました。だから今年の立春正月にひっくり返る必要があったのです。以下、「僕はひっくり返った」からの文章を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

1年前の僕には望みを追求したい心がありました。結果は委ねると言いながら、望みを追求していました。その態度は世界を望みの中に閉じ込めることになります。望みは世界を歪め出来事に一喜一憂する心を強めていきます。僕はひっくり返っていなかったのです。

それが分かっているから今は望みを追求しません。どんな望みが生まれようと気にしないようにしています。それは叶うこともあれば、叶わないこともある。どちらにしてもそのうち変化していきます。宇宙の本質は変化にあるのだから。


法則性を理解し、自分が・・・という心を超えていく。

その時展開される世界は自分の想像を超えていきます。想像を超えた流れを通して自分を見て、自分を知っていく。その時、広い世界の中に自分をしっかりと位置付けることが出来るのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

この道を歩く上で大切なのは、どれだけ自分を離れることが出来るかなのだと思っています。人はみんな自分の視点で世界を観て体験していきます。それがそれぞれの物語となり世界に彩りと多様性を与えていきます。ですが今、人々の物語はバラバラとなり分かり合えなくなっています。それは人々がすべての奥に流れる天の物語を忘れているからです。天の物語が糸(意図)となりすべての物語を束ねているのです。

自分の想い、望みを離れることで天の物語が見えてきます。そしてそこから世界を眺める時、自分を含めたすべての物語が繋がり分かり合えるのです。

イギリスのEU離脱の決定、アメリカでのトランプ大統領の誕生、そしてフランス大統領選挙でのルペン氏の台頭など。世界は今までの秩序が壊れる方向で動いています。分断が進む世界は一人ひとりが自分の想いを追求した結果であり、その姿勢が限界を迎えていることを教えてくれているのです。

それぞれが自分の都合を離れたら、そんな世界の姿が見え、その奥にあるメッセージを感じ取っていけるのです。

まなこいを経験し、オフィス障がい者の認定を受け、秋分にこのブログを立ち上げた2014年は特別な1年でした。「2+0+1+4=7」。「7」は「なる」。カタカムナでは質的転換を意味します。文字通り質的転換を遂げた僕は、2015年に飽和安定(8)し、2016年に転がり(9)出て、今年(2017年)統合(10)し新たに歩き始めています(1)。

自分が・・・という心を超えていく。

それは世界に向けて自分を解き放つということであり、一度達成したら終わりというものではなく常に心掛ける姿勢です。自我を持つ人間は常に「自分が・・・」という想いを浮上させます。その想いを感じながらも離れている。そしてすべてを世界に委ね行動していく。出来事を求めるのではなく出来事から自分を知っていく。今僕はそんなふうに生きています(^-^)


視点が変われば景色が変わる。

一昨日の夜、僕は「僕はこの世界について全然知らない」という記事を書いたのですが、その記事に対して以下のコメントをいただきました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

安心感という言葉や抽象的な言葉を使い過ぎていてかえってその根底にある不安感や焦燥感が浮き彫りになってしまっていますよ。これだけブログで生活の中の安心感という言葉を使う人を初めて見ました。あなたは恐らく不安で空虚でなんとか生きようと未だもがいているのでしょう。もっと日常のありのままを書いてみてください。宇宙が天が視点がなど抽象的な言葉を使わず日常的なありのままを表現してください。このままではあなたは奴隷のままですよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

このコメントは公開せずに削除させていただいたのですが、せっかくだから思うところを書いてみようと思います。 

これだけブログで生活の中の安心感という言葉を使う人を初めて見ました」と書かれていますが、この記事には安心感という言葉を使っている場所は最後の一文だけです。それはこんな文章です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

その先のあるのはきっと、とびっきり個性的で大いなる安心感の中で調和した予測不能な暮らしです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

正確には記憶していませんが、安心感という言葉を使っている記事はそれほど多くないのではないかと思います。それなのに安心感という言葉をたくさん見ているということは、この方は僕のブログをたくさん読んでくれているのではないかと思いました。そして僕を気遣ってアドバイスをして下さっています。的は外れていますが、有難いことです。

確かに天や宇宙という言葉は沢山使っていますが、これらは僕にとって抽象的な言葉ではなくとってもリアルな言葉です。「そんなの幻だー」という突っ込みが入りそうですが、人の感じていることなんてすべて幻ということだってできます。

この世界は自分の鏡。

よく言われることです。

僕が不安で空虚に見えるならば、それはあなたの姿なのかもしれないのです。

あくまで可能性の話ですが。

天との約束に基づき人との約束を創り上げていく」に対しては、

客観的にはカルト集団にしか見えてないよ、、、 

というコメントをいただきました。これも公開せずに削除しましたが。

客観とは何でしょうか?

客観が現代社会の価値観なのだとしたら、そこから僕らの暮らしを見たら確かにカルト集団に見えるのかもしれません。そんな記事を書いている方もいますし。

ではカルトとは何でしょうか?

もともとは正当な宗教に対する新しい宗教という言葉だったそうです。
新しいもの。そういう意味では僕らはカルトと言えると思います。

ただ反社会的という意味で用いるならば、僕らは別に社会に反してはいません。
天の法則を大切にしつつ、今の社会との対話も大切にしているのです。

僕らは新しい社会のモデルを創り上げている。だから簡単には理解されないと思っています。それでもこの暮らしが大事だと思うからそれ以外に道はないから歩み続けています。

それは僕の自負です。あくまで自負ですが。

視点が変われば景色が変わります。

僕の生き方が奴隷に見える視点もあるのでしょう。その視点を否定するつもりはありません。人生は選択で、自分の選択の責任は自分で取ります。僕はこの生き方を選びました。それが幸せだろうが不幸せだろうが、その責任は僕にあります。

どんなふうになろうと、ふっと心を緩めて「にこっ(^-^)っと」笑って生活するんだ。って思っています。

大いなる安心感と書いておきながら、僕は保証なんてないとも思っています。

そこに矛盾は感じません。

僕は大いなる矛盾の中で矛盾を感じずに矛盾を楽しみながら矛盾した生き方を真っ直ぐに生きていくのです。


最近の富士山です。


僕はこの世界について全然知らない

りょうちんが2つのブログ(「みんな一緒」と「みんな違う」感情は個性を磨く言動力)を書いて、みかちゃんが6年前に書いた絵をシェアしてくれました。

みかちゃんが書いたイラストです。

このイラストについてみかちゃんはこんなふうに書いています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

6年前に描いていたイラストが今頃になって浮上してきて、あの当時も「宇宙図書館」で少しは話していたと思うのですが、一人一人が天にフィードバックを返すための宇宙探査機であることに目覚めれば、もっとわくわくする学びの日々になるはずだと思いました。それがまさに心の天然循環です。
物理的には、天然循環する世界に生かされていますが、一人一人の心はまだまだ天然循環していません。まずはそのことを認識しよう。そして、天然循環して、世界を美しくしよう、そのための場が木の花ファミリーなのだから。

~ 中略 ~

「自らが不十分の認識がない」ことを、絵を見ながら話しあいました。そして、地上のものが、連携して天に心を向けること、または一人一人が天を意識して地上で連携することが大切だということが、その場では理解できました。
天の心が元になってこの世界は作られているのだから、心を思い出しましょう。
心を亡くすと横に書けば「忙しい」縦に書けば「忘れる」です。

漢字ってうまくできてるね。ループする円循環ではなく、螺旋の天然循環の流れに乗ることを目指そう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

調和の中で個性的であろうとするりょうちん。

心の天然循環をもたらそうとしているみかちゃん。

どちらも現状を突破しようとしていて、だからその響きを感じて何かを書いておこうと思いました。

りょうちんはブログで感情について書いていますが、それは6根の世界だからこそ生まれるものです。肉体を持った僕らは出会う出来事に一喜一憂して生きています。そしてそれを共有することでお互いに知り合っていきます。こんなふうに感情は世界に彩りを与えてくれているのですが、今、多くの人はそれに翻弄されている状態です。

欲しいものを欲しいと表現して手に入れる。

そこに喜びを見出し、それを追究することで人は感情に翻弄されるようになったのではないかと思っています。この時、自分の欲しいという感情がすべてとなり、そこに執着が生まれ羨望や失望、優越感に繋がっていくのです。

そこに現代社会の混乱の種があると思っています。

僕にとって感情とは自分を知るための材料であり満たすためのものではありません。

というか、今まで木の花ファミリーのみんなに対して語ってきたこと、そしてこのブログで語ってきたことを思えば、自分の感情を満たすために行動することなんて出来ません。その想いは立春正月の翌日に「僕はひっくり返った」を書いてから特に強くなっています。

ひっくり返りとはつまり立脚点の大転換。自分の側から世界を見るのではなく、世界の側から自分を見る。この時、僕はそう宣言したのです。

これは一見、自分を縛り付けているようにも見えるかもしれませんが、実は大いなる解放なのです。なぜなら自分の感情から自由になる試みだからです。

自分の感情から自由になればなるほど、見える世界、そして出会う出来事が変わってきます。それは未知の世界で、実は僕はこの世界について全然知らないのです。この世界を体験し視野を広げていく。それは物理的に旅をすることでも可能でしょうが、心を磨き、自分を知り、感情から自由になることでも可能なのです。それはこの世界の深みを知っていく旅路で、同じ場所にいて同じ経験をしていても心によってこの世界は全く別物へと変わっていくのです。それは驚きの連続でとっても楽しい旅路です。

この世界の無限なる深みへと。

僕は全然知らない世界を歩んでいくのです。

その先のあるのはきっと、とびっきり個性的で大いなる安心感の中で調和した予測不能な暮らしです。


際立ち分かち合う

昨日、4月11日は天秤座の満月で、占星術ではパートナーシップに恵まれる周期のピークと言われています(天下泰平ブログ「今後のパートナーシップのあり方」天秤座満月参照)。パートナーシップという言葉を聴いて、最大のパートナーは自分自身でそれは世界そのものという言葉が浮かんできました。

昨晩、満月の夜、僕は夢の中で「なかのんは完全に仕上がっている。ただ自分という表現を使い過ぎている」というメッセージを受け取りました(あくまで夢の中での話です)。それで自分というものに意識が向かいました。

自らを分けると書く自分。

このブログで何度か書いているように自我を持つ人間は世界から自分を分けて自らを際立たせます。それが人々の個性となりこの世界に彩りを与えているのです。

自らを分けると書く自分。

それは自らを分かち合うということでもあって、際立った自分を世界と分かち合うのです。

世界から際立って自分となり、その自分を世界と分かち合って自分となるのです。その時、自分は世界そのものです。

自らを際立たせる自分。その奥には世界と繋がっている自分がいて、それは世界そのもの。その自分が最大のパートナーで、そこを通して僕は世界と繋がり世界を知ります。

自分、自分、自分。

それは、

世界、世界、世界。

と同義語。

この世界で自分を際立たせ個性を輝かせるのはすべて、その自分を世界と分かち合うためです。自分は常に世界から離れ世界と一つ。世界を通して自分を知り、自分を通して世界を知る。それは常に変化変容をし続けます。

個人の欲望を追い求めた現代社会は一人ひとりの違いを際立たせてきましたが、その際立たせたものを分かち合うということをしてきませんでした。トランプ大統領の存在が象徴するように国も人も自国、自分の利益を追求するだけです。それでは片手落ちで国も人も本来の姿を見失っているのです。際立たせたものを分かち合う。その時、本当の自分となり、その姿はこの世界そのものとなるのです。

満月の夜、夢やパートナーシップという言葉からこんなことを思いました。

2015年9月28日のスーパームーンです。





後ろを向いて歩く

明日から水星が逆行するようです。以下、天下泰平ブログ「明日から水星逆行の始まり」の文章を転記します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

明後日は天秤座満月となりますが、その前日の410日より、今年2度目の「水星逆行」が始まります。
水星逆行とは、太陽系の中で一番太陽にも近い水星が地球から見て逆方向に進むように見える目の錯覚の天体現象であり、1年に3回〜4回ほどの頻度で1度に3週間ほど続きます。
西洋占星術の考え方で水星が象徴しているのは、コミュニケーション・通信・連絡 ・知識や知性 ・技術、テクノロジー ・旅行 ・輸送などであり、これらの分野やキーワードが水星逆行中は、大きく乱れたり、上手くいかなかったりする現象が起こりやすいと言われています。

~ 中略 ~

明日からは親しい間柄でも「メールが返ってこない」「意見の食い違い」が起こったり、仕事でも「思わぬ失敗」をしたり、会議もはかどらなかったり、大事な決断や契約もうまくいかない場合もあるようです。
また交通機関の乱れが起こりやすく、仕事や約束に遅れないように余裕を持った行動や遠方への旅行も時間だけでなく安全にも十分に気をつけながら行動されることをオススメします。
とにかくコミュニケーションミスが起こらないように、相手にも慎重に確認しながら物事を進め、いつも以上に細かい点も気にするように対応していけば、大きなトラブルもなく、水星逆行期間も充実して、逆行明けにアクセル全開で飛躍することができると思います。
逆行という意味では、旧友との再会や繋がりも水星逆行の1つの特徴であり、しばらく連絡を取っていなかった友人とばったり遭遇したり、急に連絡が入ったり、そんな過去の繋がりが再びこのタイミングに戻る可能性もあります。
今回の水星逆行の期間は「2017410日午前814分から54日の午前132分」まで。明日からの25日間は、少し慎重に日々を過ごす方が良いかもしれません。
多少調整が可能であれば、大きな決めごとやプロジェクトのスタートは、GW明けにすると良いかもしれませんね。また、GW期間中の移動も十分にご注意くださいませ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

もう一つ「Keiko的占星術な日々・水星逆行中の幸運アクション」より引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今回の水星逆行が意味するものは決してそればかりではなく。
もっと深い意味も、もちろんあるのです。

牡牛座4度で逆行して牡羊座24度まで戻るということは、

 「 急ぎ過ぎて
   テキトーにやり過ごしてしまったことを
   もう一回、丁寧にやり直しなさい 」

ということ。

~ 中略 ~

最後に、いちばん大事なこと。

 今年になってから
「ヒラメイタけど とくに行動はしなかった」
 というようなことはなかったかしら?

 ピンときたんだけど 忙しかったからそのままにしていた。
 ヒラメイタことがあったんだけど 行動には移してない・・・・・

もしそんなことがあるならこの水星逆行中にぜひ、行動に移してみて。

 水星が牡羊座に戻るということは
 昔ひらめいたことを形にしなさい
 という 宇宙からのメッセージですので。


☆彡 ☆彡 ☆彡

3月21日、地球が春分点を通過した翌日の朝プレオープンしたカフェ&ショップ・ロータスランドは水星逆行が終了する翌日(5月5日)にグランドオープンします。プレオープンから忙しい日々が続いて来ましたが、明日からの水星逆行期間に丁寧に振り返ることでグランドオープンでの飛躍に繋がっていくことでしょう。

逆行という言葉とは少し意味が違うのかもしれませんが、この言葉から「後ろを向いて歩く」という言葉が浮かんできました。後ろを向くことで過去の行いをしっかりと見つめることが出来ます。今の状況に至る流れが見えてきます。そして、前を見ないことにより余計な思考を巡らすことがなくなります。前(未来)を見る時、人は様々な思惑を持って眺めるものです。その思惑が出会う出来事をそのまま受け取ることを邪魔し、人を現実から切り離していきます。だから後ろを向いて歩くといいと思っています。

変化は自然の法則だから自然の法則に従って生きていると自ずと変化していきます。それを邪魔するのは自我の思惑です。思惑を手放して出来事をただいただく時に起きる変化を見て楽しんでいく。それは自分で人生を構築するのではなく世界に人生を構築してもらう生き方です。

後ろ(過去)を眺めると、そこに天や自然の法則が見えてきます。
前(未来)を眺めるとそこに思惑を挟みたくなります。

僕は思惑ではなく天の法則と共に生きるから、だから後ろを向いて歩いていくのです(^-^)

ロータスランドで先週提供していたおまかせセット「春のお花見弁当」です。



Your left Slidebar content. -->