改善のために努力しつつも改善を求めない

素晴らしい存在がいることをシェアしてくれてありがとう。ただ、わたしたちにとっては長生きすることや健康であることが最大の目的ではありません。極端なことを言えば、自分が望むように生きられることが一番の目的ではないのです。たとえ寿命が短くても、病気であっても、それはこの世界の多様性であり、そのことによって何かを失うわけではありません。つまり、病気であることから学び、寿命をもらうことによって学び、そして存在しているのですから、受け入れられないことは何もないのです。それが、この世界の本来の受け取り方です。ですから、学び受け取る姿勢がありさえすれば、すべてはこの世界の実態そのものなのです。それは、何でもいいということです。

その手法が画期的ですばらしいと思うということは、現状を改善したいと思っているからです。僕が常に皆に伝えていることは、そういった「~したい」「~になりたい」という願望を消しなさいということです。そして与えられるがままに存在しなさい、ということです。すべてを受け入れれば、己から解放されます。僕はそのことが伝えたいだけなのです。

今の姿のあなたがすべてではないのですから、いくらでも変化・変容・変態を繰り返すことが可能です。そして、それが宇宙の実相なのです。

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上記は効果を上げている癌の治療法を木の花ファミリーに紹介してくれた人に対して、いさどんに湧いてきた言葉で、僕たちの生きる精神を端的に表しています。

自分の想いを手放し、ただただ出会うことをいただく時、自分の想像をはるかに超えた世界が展開します。木の花ファミリーの生活はそのことを世界に示す実験の場となっています。

僕たちは手法を否定しているわけではありません。必要な時には病院の治療も受けています。木の花ファミリーブログ「きょうこちゃんのどこまでもいただきます物語」には癌の治療を通したきょうこちゃんとファミリーみんなの学びが描かれています。必要な治療をただ淡々と受けるならば、それは有難いいただきものであり、時には人の学びともなります。

僕たちが問題にしているのは、手法や治療を受ける時の心の動きです。改善したいという気持ちが強い時、効果的な手法に出会うと、その手法を絶対視したり、その手法に依存する心が育っていきます。その時、人の心は目覚めから遠ざかり、症状の改善が世界のすべてとなっていきます。そして、症状は改善したとしても、それを生み出した心の姿勢(種)は変わらないままとなっているので、その種は人間関係など他の場面で問題となって表れることになり、この世界を創っていくのです。

改善のために努力しつつも改善を求めない。

それはただ道理を通すことを心掛けることであり、そんな姿勢で症状や出来事に臨む時、結果がどのようにものとなったとしても、その症状や出来事に出会った意味を知り、そしてそこから大きな学びを得ることが出来るのです。それがこの世界を生きる醍醐味であり、表面上の出来事に右往左往していては味わえない喜びなのです。

この世界は一人ひとりの心の反映なのだから、大切なのは心を育むことです。

改善を求める心は、過度になると自分都合の世界を求める心となります。自分都合の世界を求めると思い通りにならない世界に苛立っていきます。外にばかり悪を見て、自分を振り返らずに改善を求める。それが今の多くの人々の姿勢であり、今の社会を創っています。大切なのは道理を通すこと、出来事に柱を立て意味を見出すことです。

みんなが平和を求めます。

ですが、平和を求めることが大切なのではなく、平和な心を育むことが大切なのです。

平和のために努力しつつも平和を求めない。

そんな心を育むことで、変化変容に富んだこの世界を楽しんでいこうと思っています(^-^)

そう、ただ出会う出来事を楽しんでいくのです。



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