コミュニティの仏陀 ~個性豊かな人々の集まり~

今年は戦後70年ということで安倍首相は終戦記念日に談話を発表する予定です。その談話について、伊勢神宮を参拝した安倍首相は、年頭の記者会見で、「(戦後50年の)村山談話を含め歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいく」と表明しました。(Yahooニュース参照)

村山談話は、戦後50周年(1995年)の終戦記念日に出されたもので、日本の戦争責任を認め、それを反省し謝意を表明しています。そして、独善的なナショナリズムを排し、唯一の被爆国として世界平和に貢献していくことを誓うものとなっています。

天皇陛下も新年の感想で、先の戦争が満州事変(日本陸軍による南満州鉄道の爆破)から始まっていることに触れ、歴史から学ぶことの重要性を伝えています。(「天皇陛下のご感想」平成27年

一人一人が、歴史から人間の闇を学び、平和な社会へと繋げていくことが大切なのです。

ところで、木の花ファミリーでは1月4日(日)、サンデーモーニングの特集「”群衆”と戦後70年」をみんなで観て、みんなで語り合いました。この時話し合った内容については、みかちゃんBLOGに上手に書かれているので、そちらをお読みください。

群集心理の時代から個々の目覚めの時代へ -宇宙の秘密みかこのブログ

ここでは少し違う視点を提供出来たらと思います。

l  在日コリアンに対するヘイトスピーチ(日本)
l  イラクやシリアで勢力を拡大するイスラム国(80ヶ国 15,000人以上が参加)
l  民主的選挙を求めてデモを続けた香港の学生(最大10万人以上集まる)
l  スコットランドの独立運動(イギリス)
l  カタルーニャ地方の独立運動(スペイン)
l  極右勢力による移民排斥デモ(ドイツ)
l  白人警官による黒人射殺をきっかけにした黒人デモ(アメリカ)


今、世界各地で群衆の動きが頻発しています。この番組では、群衆の動きから、現代の世界や日本で起きている様々な問題~環境問題、貧富の格差、地域紛争など~について考えていました。

群衆については『群衆心理』(著者:ル・ボン)を参照し、以下の9つの特徴を掲げています。

(1)感染する (2)過激に走りやすい (3)衝動的である (4)暗示に弱い
(5)時に高い徳性を示す (6)国民も群衆化する (7)反復・断言に弱い
(8)群衆は同一化する (9)群衆は服従する

市民革命を経て、民主主義が浸透していく中で、群衆が歴史を動かす時代となっていきます。ですが、その心理はいまだ未熟であり、同調の心理が働き、指導者に服従する状態となっています。それは今の社会の混迷を生み出している要因の一つでしょう。

群衆は群衆心理を超えた集団になる必要があるのです。


デカルトのこの言葉により、人(精神)は、身体(物質)を自分から切り離し、分析対象とするようになります。そして近代科学が生まれ、物質生活を豊かにしましたが、精神は荒廃していきます。身体との繋がりを失った精神は世界との繋がりを失ってしまったのです。そして世界とは神そのものだから、神の存在も見失うことになります。ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で「神は死んだ。私たちが殺した」と語ります。そして、その後時代が下り、虚無や人間疎外などの言葉も生まれるようになります。この状態が群衆の心理にも影響しているのだと思います。世界との繋がりを失った人々は、不安定なため同調し服従する必要があるのです。

自らの身体感覚を取り戻し、天に心を向ける。

それにより世界との繋がりを取り戻し人は安定します。安定した人と人との繋がりが、新しい集団を生み出すのです。コミュニティの仏陀を目指す木の花ファミリーは、日々そうなることを心掛けていますが、まだまだ足りない状態にあります。日々の暮らしの中で、考えずに他人と同調すること、誰も意見を言わずに場が固まってしまうこともあります。

では、どうすればよいのでしょうか?

一度、木の花ファミリーを離れ戻ってきたかとけんは、以前と比べて、重たい場でも自由に発言が出来るようになっています。何が変わってきたのか?かとけんは以下のように話してくれました。

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かとけん(大町ビレッジにて)
自分はもう固まるだけ固まった。もうこれ以上それをする必要はない。一昨年の10月、木の花ファミリーを離れた時は、自分はもう終わったと思った。どん底の体験をした。あの頃は、意識が全部、自分に行っていた。なんとかしようとしてもどうすることも出来なかった。でも今は違う。場が固まっている時でも、この場を面白く展開するためのシナリオが自然と湧いてくる。気持ちが内にこもらずに、とてもフリーな状態。自分に囚われなくなっている。

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かとけんはどん底を知ることで余計なプライドを手放したのだと思いました。そして、自分に対する囚われが弱まり自由になっているのでしょう。デカルトの「コギト(我思う)」は人間を世界から切り離すだけでなく、自意識過剰な状態ももたらしたのかもしれません。それを克服することも大切な要素なのだと思いました。

※かとけんはファミリー通信Vol.79に登場しています。是非、こちらもお読みください。


さて、1月4日は帰省していて木の花ファミリーにいないメンバーも多くいました。そこで、昨晩あらためて「”群衆”と戦後70年」をみんなで観ました。以下はその後のいさどんの話です。

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今の時代になぜ群衆心理について考える必要があるのでしょうか?例えば、コマーシャルを観て下さい。それは完全にマインドコントロールの手段となっています。コマーシャルにはメッセージが巧妙に入っているのです。美しい映像、例えば、幸せな家庭の映像が流れます。そこではみんなが笑顔で楽しそうにしています。それを観ていると、家を買いましょうということが言われます。ローンを組みましょうと勧誘が始まります。ローンは一生の話。一生、お金に縛られるようになります。お金を使いましょう。お金を使って幸せになりましょう。次から次へとそのようなメッセージが流れてきます。テレビを観ていて思考が停止している状態では、誘導されてしまいます。そこに何の罪も感じないでしょう。僕たちはここにいて、今の経済や環境問題について理解しています。テレビで魅力的な商品が紹介されていたとしても、それが世界に与える影響を知っています。だから、自分の心をコントロールしています。今日、花祭りの練習を観ていて、あらためてここの暮らしの豊かさを感じました。この生活は世の中の流れに翻弄されていません。独自の歩みを続けています。他にこのような場所はないのではないでしょうか?

安倍総理は年頭所感で、「輝かしい日本を取り戻す」と述べています。まだ経済成長を夢見ているのです。今は厳しい時代です。環境破壊は深刻で、生活を根本的に変えなければならない時が来ています。文明周期説で見ても今は大きな変化の時です。それは一人一人が自分で考え、人間の尊厳を考えて生きて行く時代で、価値観は完全に変わります。その時、木の花ファミリーの暮らしはデータとなって新しいモデルとなっていることでしょう。

それを思う時、胸を張って生きていけます。これから先この暮らしはもっと大事となるでしょう。その自覚を持って日々を過ごしていくことです。自分の価値を自分で創っていきましょう。

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それを聴いたともちゃんは以下のように言いました。

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ともちゃん@出航祈念祭(2014年11月)

今の人たちは、自分の頭で思考して変になっています。頭の使う位置が違うのだと思います。直観が大切です。そして謙虚であることが大切なのだと思います。今朝、いさどんは「僕には、他人や世界を変えることは出来ない。自分は無力なもの。無力だからこそ、天意を顕していける」と話してくれました。無力であることを誰よりも知っているから謙虚で深く学んでいくのだなと思いました。過去に悟りを啓いた人たちは個人で悟りを啓きました。個人で悟ることはその人の枠の中で出来ることであり、個人の努力の問題です。私は個人では悟ることは出来ないと思ったのです。でも、コミュニティの仏陀を目指すならば、みんなと一緒に悟るのならば出来ると思いました。足りないところを助け合って、一つを表現していく。そういうことをこれからやっていくのです。

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戦後70周年。冒頭の安倍首相や天皇陛下の言葉は、一人一人が謙虚に振り返ることの大切さを伝えています。ですが、安部首相は同時に「経済を最優先にする」と述べ、「輝かしい日本を取り戻す」とも述べています。そして、先の衆議院選挙でも多くの政党が経済成長について触れていました。政治家たちの意識転換はまだまだ遠い状態にあるようです。僕たちは先に時代の流れにのり変化していきます。

群衆は同一化し一人一人の個性が生かされません。これからの集団は、お互いに助け合い、一人一人の個性が充分に活かされるものとなるでしょう。一人一人が正直に自分の気持ちを出し、素直に相手の言葉を受け取ります。そして、すべては善きことのためにあると信じます。出来事を謙虚にいただき、その意味するところを考えていきます。その実践に積み重ねる中で、自分への関心を弱め、他人や世界に気持ちを向けていけるようになるでしょう。その先にきっとコミュニティの仏陀が立ち顕れます。そんな未来が楽しみです(^-^)




正しく世界を見る。それが人間関係を豊かにしていく。

いさどんとひとみちゃん(2014年8月7日川遊びにて)
いさどんひとみちゃんは毎日、昼間に散歩をすることにしたそうです。散歩をする時、いさどんは、先に行ってしまったり、「あっちに行くから」と言って違う方向に歩くそうです。いさどんはそんなふうにして散歩を楽しんでいるのです。ひとみちゃんはそんないさどんにへっちゃらな顔でついてくるそうです。いさどんはゼイゼイ言っているのに・・・。

ひとみちゃんを疲れさせたい! アップアップさせたい!

そう意気込むいさどんは運動靴を買うことにしました。そんなふうに二人は散歩を楽しんでいます。表面的行動だけ取り上げたら、いさどんの行動はただの意地悪になってしまうのでしょうが、いさどんの心の奥には愛があり、ひとみちゃんとの間には信頼関係があります。だから、そのやり取りは微笑ましいものとなっているのです(^ー^)


ところで、日本の高齢者人口は3,000万人を突破し、そのうち600万人は一人暮らしをしているといいます(NHKスペシャル『老人漂流社会‟老後破産”の現実より)。貧しい人間関係の中で暮らすお年寄りが増えているのです。そんなお年寄りをいかにケアしていくかは今の社会が抱えている課題と言えるでしょう。

木の花ファミリーでは月に一度、「恵みいただきます」という食事会が開催されます。恵みいただきますには毎回、多くのお年寄りが参加しています。そして、食事や買い物、人との交流を楽しんでいかれます。地域にお年寄りを元気にする場となっているのです。
※当日の様子や詳しい情報は以下の記事をお読みいただけたらと思います。

「恵みいただきます」と、僕たちが目指す世界 - HIROッチDairy in 木の花ファミリーより

恵みいただきます/経済的効率より大切なもの - このBLOGの記事です。

みんなの中でよみがえり生きていく - このBLOGの記事です。

こんなふうに僕たちは、お年寄りのケアに貢献しています。それに加え、木の花ファミリーの協力団体、NPO法人ぐりーんぐらすでは、地域社会に繋がりを生み出す事業として便利屋を行っています。便利屋も、お年寄りの人間関係を豊かにすることが出来る事業であり、まっちゃんが主担当を務めています。


便利屋を担当しているまっちゃんです。
まっちゃんは最近、苦手な相手から便利屋の依頼を受けて悩んでいました。「またお願いします」と言われていましたが、その仕事に意味を感じることが出来ず、今度頼んできたら断ることを検討していました。というのは、家の中に牛糞の匂いがするため、シルバーシートを貼って防いで欲しいと言われていましたが、牛糞の匂いはしないし、仮に匂いがするとしてもシルバーシートで匂いを防ぐことは出来ないと判断していたのです。効果がないことをお願いして来ていて、しかも細かい要求もしてくるということでした。

結局、まっちゃんはこの依頼を断るのですが、その時の電話の対応に嫌悪感がにじみ出ていたようです。そんなまっちゃんに対して、いさどんは以下のように伝えました。

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今の社会では、人間関係が貧しい人たちが沢山います。そんな人たちの人間関係を豊かにするのが便利屋です。それは相手の意向に沿って進める仕事で、自分の好き嫌いでやる仕事ではないのです。様々な仕事を引き受ける便利屋は大きく広がる可能性を持っています。それは曖昧な仕事とも言えますが、曖昧なところを明確にすることで進めていくことが大切です。それはお客さんを緻密に見るということです。今回のお客さんのように人間関係が希薄になっている人は、その人自身にその原因があります。なので、要望にすべて付き合うのがよいというわけではありません。ですが、最初の印象が悪くとも、仕事を引き受けて、当たり前のことを当たり前にこなすことで信頼関係を築いていけます。そして親しくなった時にお客さんの状態について伝えていくことが可能かもしれません。その見極めを慎重に明確に進めていくのです。相手に対する理解は愛です。愛を持って緻密に見ていく。それは世の中の心の貧しさを埋めていく取り組みとなるのです。
ところが、まっちゃんの姿勢はパートタイマーの姿勢です。いやな仕事を引き受けている。そんな気持ちでいます。その心は相手に伝わり、相手は細かいことを気にするようになるのです。そうするとどんどんいやになる悪循環が生まれます。楽しくない状況は自分で生み出しているのです。発想の転換をし、本来の便利屋の使命に基づいて行動すれば、お客さんとの関係も豊かになり、どんどん楽しくなっていくのです。

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これを聴いたまっちゃんは心を切り替えてやる気になっています。まっちゃんの姿勢が気になったので、僕やオフィスチームの人たちもそのことを伝えていましたが、僕たちにはまっちゃんの心を開くことは出来ませんでした。その違いは愛の深さにあり、僕らにはそれが足りなかったです。

では愛とは何か?ティク・ナット・ハンは「愛とは理解に基づくもの。理解がなければ愛することは出来ない」と言っていますが、いさどんも同じことを言いました。そして、そこから深い世界観を展開しました。

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愛とは正しく見ることです。すべての現象は、この宇宙の法則に基づいて起きています。そこに対する信頼が愛です。この信頼があるからこそ、安心して心磨きをすることが出来るのです。愛はすべての場所に遍満しています。それはこの世界の実態、心の実態を忠実に表すもの、仕組みと言うことも出来ます。この仕組みの中に我を持つ自分がいます。陰と陽。相反するものが向かい合うことで新たなものを生み出すのがこの世界です。一つの世界(愛)から分かたれた自分(我)は、世界に向かうことで新たなもの、より大きな調和を生み出します。人間は、生きることで現象を貰い自分の位置を知ることが出来ます。滞りも痛みを持って導こうとして下さる愛の顕れです。すべては鏡(かがみ)であり、「我(が)」を取ると神となります。神とは愛です。心磨きをすることで「が」がなくなり神が顕れ神と一体となり愛そのものになります。みんな幸せになりたいと思っていて、自分に対する愛を持っています。ならば、自分が広がり世界と一体になれば、世界に対する愛を持ち愛そのものになっていきます。この世界に愛は遍満しているのです。

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思いやり、相手への愛、世界への愛が大切であり、それは自分と世界を知ることで深まっていくのでしょう。そして、愛とは神のことでもあります。続けていさどんは語ります。

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神は世界に遍満しています。それを人間が知って喜びを表現することが大切です。神は最も謙虚な存在です。「神はいない」と人々が言っても、何も言わずに人々を見守り続けます。そして、宇宙の法則に基づいて愛を注ぎ続けています。分からないようにしているけれども、気が付くとどこにでもいるのです。

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宇宙に遍満している愛。どこにでもいる神。それに気づけば何でもないふつうの日常が特別なものとなります。冒頭のいさどんとひとみちゃんの話しはそんな特別な日常の一コマです。楽しそうですよね。この豊かな関係は、愛に基づき精密に見ていくことで生まれているのです。







木の花ファミリーでの正月 ~天の物語を生きるために~

今年の正月は木の花ファミリーで過ごしています。新年になりいろいろな人が自らの想いを発信していますが、1月2日の大人ミーティングでは、みんなでそれを共有しました。以下、共有したBLOGを紹介します。

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みっちゃんの想い~老人ホームで働いて -木の花ファミリーブログより

2015年の「船出の年」を迎えて  - 木の花ファミリーブログより(まりねえの投稿)

やっぱり天の物語を生きる ~新年の挨拶として~ - このBLOGの投稿です。

第1回「木の花ファミリー 大カルタ大会」開催しました! -まっちゃんのBLOGです。

明けましておめでとうございます - シャイニング ジュピター(りゅうしろうのBLOGです)

木の花ファミリーで起きたこと - 宇宙の秘密みかこのブログ(みかちゃんのBLOGです)

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みっちゃんは木の花ファミリーから近所の老人施設に働きに出ています。その経験から語るみっちゃんの言葉は、今の老人福祉の現状とそれに対する木の花ファミリーの暮らしの価値を教えてくれます。みっちゃんが働く施設だけでなく、お金儲けが優先していたり、そうではなくても採算を取るために充分な人材が確保出来ていない老人福祉施設は多いのではないでしょうか?そのような状態では、利用者のことを充分に理解し、深い関係を築いていくことは難しいのではないでしょうか?お年寄りが生きがいを持って暮らせているのか疑問です。

木の花ファミリーでは、赤ちゃんからお年寄りまで幅広い年齢層の人々が共に生活することにより、自然とみんなが元気に暮らしています。お年寄りや赤ちゃんも「世話する/世話される」という関係を超えて、共に生活を創り上げる仲間となります。みんなが自分らしさを発揮し生きいきと暮らすことが出来るのです。

お年寄りは小さな子どもと遊ぶことで元気になります。そして、子どもはお年寄りからその知恵を学ぶことが出来ます。福祉施設は、同じ年代の人だけを集めてサービスを提供するのではなく、多様な年齢層の人々が集まり共に助け合っていく場となっていくとよいのではないでしょうか?木の花ファミリーの暮らしはまさにその実践例となっているのです。

このようなメッセージを自分の言葉でしっかりと語ってくれるみっちゃんの存在は僕たちの誇りです。是非、リンク先の本文を読んでみてくださいね。

ちなみに僕たちの暮らしは、経済的観点からも老人福祉を改善する可能性を持っています。健康寿命(健康状態に問題がなく自立して過ごすことが出来る期間)を伸ばすことで、10年間で2兆円から5兆円節減出来るという試算が出されているのです(Yahooニュース参照)。お年寄りを健康にする木の花ファミリーの暮らしは健康寿命を延ばすことにも大きく貢献するのです。

まりねえが書いたBLOGは、僕たちが大切にしていること、目指している境地が適格に表現されています。言葉を超えた繋がり「阿吽(あうん)」がその一つで、具体的なエピソードとして僕が紹介されています。大人ミーティングの場では、この時、僕に起きたことを検証する時間も持って貰いました。

こはるちゃんが涙を流しながら気持ちを伝えている時、その気持ちはひとみちゃんには全然入っていませんでした。跳ね返している感じがしました。そして、ひとみちゃん自身その自覚があるようで、「私に余裕がない」と言っていました。僕はそんなひとみちゃんに対して、天に心を向けながら、「ひとみちゃんは余裕がないの?」と話しかけました。なんと、その瞬間に泣いてしまったのです。そして、ひとみちゃんも泣いていて、自分の気持ちをコントロール出来ずに苦しんでいることを話してくれました。僕は、自分が泣いたタイミングから、ひとみちゃんの苦しみが伝わって涙したのではないかと推察しています。でもこの苦しみはひとみちゃん自身が創り出したもので超えるべきものです。なので、この涙はあまり良い涙とは言えません。ですが、言葉を超えて共振が起きたことは事実でしょう。なお、この背後には、ひとみちゃんに変化を促すいさどんの大きな愛があり、今、ひとみちゃんは苦しみを超えて前向きに自分と向き合っています。さらに成長していくひとみちゃんの姿が楽しみです。

みかちゃんのBLOGは、2014年の木の花ファミリーを振り返り、そして、今、僕たちが迎えている大きな流れについても触れられています。まっちゃんのBLOGは、大カルタ大会を通して感じた学びを共有し、りゅうしろうのBLOGは新年の挨拶をしています。

是非、それぞれの個性豊かなBLOGを読んでみてくださいね。

大人ミーティングでは、BLOGのシェアから「自分の強さ」が話題となりました。自分がない人ほど、物事をスムーズに進め、楽に生きることが出来ます。自分の思い通りにしたい人は、それだけ周りとぶつかる機会が多くなり滞りを生みます。そして、自分への関心が強い人(自意識が強い人)は、評価を求め、失敗を恐れることで、自分を縛り正直ではなくなります。結果滞りに繋がるでしょう。自分を手放すことで、自由になり、結果、より多くの力を発揮することが出来るのです。

そんなことを確認した後、初日の出の写真と1月2日の太陽の写真をみんなで観て、この日の大人ミーティングは終わりました。


1月2日の太陽の写真です。日和が撮影したものです。

1月3日、みんなで心の話を思い切りしよう!ということで、午後2時からホールに集まりました。そして、子どもたちも同じ空間で過ごす中、夜の12時まで様々なことを話しました。そのうちのいくつかを紹介したいと思います。


ホールにこたつを運んできました。
(1)いさどんの今朝の夢の話から

いさどんはみんなに質問をしました。

「この暮らしの価値としていくらの値段をつけるか?いくら貰ったらこの暮らしを離れるか?」

それに対して、具体的な金額の答えはあまり出ませんでした。

「お金に換えることは出来ない」

それがみんなの気持ちなのです。その気持ちの再確認が目的で、いさどんはこの質問をしましたが、この質問は朝に見た夢で思いついたそうです。いさどんの夢の中では、ファミリーメンバーひとりひとりにいろいろな値段がついていて、それが見えたそうです。


(2)なぜこの道を選んでいるのか?大多数の人が別の生き方をしている中でなぜ?

この時代に生まれこの場所にいるのはなぜなのか?一人一人にここに至るまでの物語があります。それを再確認しようという投げかけがありました。その場では話しませんでしたが、この投げかけに対する自分の答えを書いておこうと思います。

矛盾のない生き方がしたい。正しくありたいという気持ちがここに僕を導きました。ですが、正しくありたいという気持ちはこの暮らしの中で手放すことになります。善悪はあくまで相対的なもの。正しいを主張すると悪者を生み出すことになります。善悪を超えて、自由になることが大切なのです。自由になった今、この道を選んでいるのは、天の物語を生きていきたいからです。それを実践する場としてはここ以外に思い当たりません。

子どもたちも一緒に話を聴いています。
(3)自我を超える方法は?

生命を維持しようとすることが自我の始まりです。自我は必要なものとして与えられていますが、強い自我は対立の原因ともなります。自我を超えていくことで物事の流れがスムーズになります。自我を超えるには2つの方向性があります。一つは自分の想いが沸いて来た時に、それに気づき手放すこと。もう一つは自分の枠を広げ、自分と万物が一体となることです。自分に執着がある状態では、世界を広げることは出来ないので、まずは想いを手放す取り組みが大切となります。それが出来るようになってきた時、今度は我を大きくしていくのです。このことについて、いさどんは以下のように語りました。

我が大きくなるとこの世界全部になります。その時、特定の個人という我がなくなり、自分の感情にも囚われなくなります。無所有と言いますが、無所有とは絶対所有のことなのです。なぜなら、すべてを所有したら、すべてが自分となり所有の感覚はなくなるからです。無の境地というものがありますが、いくら無と言っても自分はここにいるのです。その事実に変わりはありません。無という囚われのない状態から意識を広げることが大切なのです。この境地に至った時、自分は存在するけれども、瞬間瞬間変わり続けています。有るけれども無い。特定出来るけれども特定出来ないものなのです。巨大な宇宙と一体であり、巨大な宇宙の中で、ここにある必要があるからここにあるのです。

(4)精密に物事を見ていくことの大切さ

ものをあまり考えないで表面的に反応している人がいますが、それは子どもの頃からの癖でそうなっています。適応するために評価を求める必要があったり、自分を押し殺す必要があったり、原因は様々ですが、子どもの頃からの体験の蓄積で、その反応は出来上がっています。では、その人は被害者かというとそんなことはありません。こういう場合、親も子どもの頃、同じ体験をしていることが多く、親のことを責めることは出来ないのです。そして、何よりその人の魂がその場所を選んでいるのです。その状態を超えることを求めて、その場所に魂は降りてきたのです。この状態を超えるためには自分と向き合い、精密に見ていく必要があります。一つ一つの自分の反応の動機を確認していくのです。それには自分を探求する覚悟が必要になります。木の花ファミリーのことを評価するけれども、ここの生活を選ばない人がいます。その人たちは探究したいという気持ちをアクセサリーにしているのです。自分を探求することが大切だと分かっているので、そのように振る舞うことを求めています。ですが、覚悟がないので、自分自身に向き合う必要が生じた時、逃げ出してしまうのです。人生は自分との出会いです。そこが出発点で、そこから世界を知っていくのです。

(5)木の花ファミリーで語る「天」とは?

木の花ファミリーで語っている「天」とは宇宙の法則であり、現代物理学やカタカムナが示しているものです。僕たちはそれを感じる時、思惑を挟むことはありません。お告げなどとは違うのです。あくまでそれは客観的なものであり、その背後にある意志を感じているのです。

(6)エントロピー

エントロピーは、熱力学や情報学で使われる言葉ですが、大きくなる状態は、拡散、無秩序の方向へ進むことであり、小さくなるのは、収縮、秩序化の状態と言えます。人間関係の中でも、エントロピーが小さくなり、収縮、秩序化の方向に進むと、省エネで物事を進めることが出来ます。文明の歴史に応用すると、西洋文明(物質文明)はエントロピーが増大していく方向で発展し、東洋文明(精神文明)はエントロピーが縮小していく方向で発展すると言えるのではないか?そして今は、精神文明が発展する時なので、これからエントロピーは縮小していくのではないか?そんな話をしました。そして、それは腐敗分解と発酵分解にも言えることで、腐敗分解は、分解が早く形がすぐになくなります。それはエントロピーの増大をもたらします。一方、発酵分解は、酵素を出し、いつまでも形が残ります。発酵は蘇生であり、エントロピーは縮小するのです。

(7)ない世界(潜象界)/みえない世界・ある世界(現象界) ~ カタカムナ ~

みかちゃんがホワイトボードに書いたものです。

このBLOGの投稿「今年もあと1日」にも書いた通り、今、見えない世界(幽界)にはたくさんの不浄の霊が存在しています。それが靄(モヤ)となり地球を覆っているのです。肉食を続けることは、家畜を屠殺(とさつ)することであり、地球は霊的に汚れていきます。僕たちは自然環境だけでなく霊的なことも視野に入れて、菜食をしています。そして、天然循環法の暮らしを営んでいます。

(8)この時間を持った意味

船出の年を進むにあたって、天の物語を生きていく覚悟を再確認しました。そのことをいさどんは以下のように語りました。

人が生きるということは楽しんで生きることが目的です。思うようにならないと苦しむ人がいますが、それはからくり(宇宙法則)を知ると解放され、世界が楽しい場所となっていきます。無我の方向へ行くと天意が顕れます。自我は世界を無秩序にし、執着へ向かいます。方向を間違えると人はいつでも(地獄へ)と落ちていきます。(天へ)上がっていくためには出来事や自分の心を吟味する必要があります。確実に緻密に学びを積み上げていく。そのような覚悟を創るためにこの場はありました。わけがわからないけれどもこれが大事という心が大切です。道理を調べていけば、揺るぎない心を育てることが出来ます。ここの生活やみかちゃんの書くもの、それと日月神示の記述は一致します。その確認は確信をもたらします。揺るぎない心で生きて行く。今、帰省で帰っていて、ここにいない人も分も表現して、この場を仕上げていきましょう。


元旦のいさどん。ある方は、胸にある光を富士山のご神体と表現されました。

とにかく天の物語を感じ、それを生きて行く。僕はこの2日間でその心を深めました。そして、これからもどんどん深めていきます。それがどんな物語がとても楽しみです(^-^)

※1月3日に話されたことについてはみかちゃんBLOG「群衆心理の時代から個々の目覚めの時代へ」にも書かれています。こちらも合わせてお読みください。


やっぱり天の物語を生きる。~新年の挨拶として~

新年あけましておめでとうございます。ここ静岡県富士宮市の元旦はとてもきれいな青空が広がっていました。木の花ファミリーの聖地、宮下広場まで歩き、そこからみんなでご来光を眺めました。

初日の出(木の花ファミリーの聖地、宮下広場から)


元旦の富士山です。(同じく宮下広場から)

みんなで撮った写真です。

天の物語を生きる~1年の振り返りと来年の抱負として~」でも書いた通り、今年の正月は実家には帰らずに木の花ファミリーで過ごします。昨年末、そのことを妹に伝えたら、以下のような返事が来ました。

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ブログ読みました。ちゃんとは理解できませんが、お兄ちゃんの気持ちは分かりました。私は甘えや愛着があっての人間だと思っているので、お兄ちゃんのようには生きられないと思います。人間は弱くて甘えながらも支えあっていくものと思います。そんな自分におちこんだり、ときどきはほめてあげたり、そんなものが人間らしさだと思います。木の花ファミリ―やお兄ちゃんの姿は歴史上の聖職者の姿と重なります。弱い私は今後も俗世で、今を生きますが、応援しています。
よくわからない文章で気を悪くしたらごめんなさい。
離れていてもお兄ちゃんの幸せを祈っています。よいお年を・・・


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人間が個人として生きる時、様々な特別な関係を持ちます。親子関係や夫婦、兄弟姉妹、恋人や友達など。人は、これらの関係を通して感情を育み、成長していきます。これらは、個人としての自分を育ててくれるとても大切なものです。僕にとっても両親や妹は自分を育んでくれたとても大切な存在です。その恩を忘れることはありません。ですが、これは僕個人の感情であり、大きな視点で見るとそれ以上に大切なことがあるのです。

血縁のお蔭で今、僕は生きている。それも事実ですが、それ以前に、世界が僕を生かしてくれています。宇宙や地球、太陽や雨、動物や植物、微生物など、この世界を構成するすべての要素が今この瞬間も僕を育んでくれています。僕は空であり、木々であり、山であり、土であり、水なのです。僕の中にすべての存在が息づいているのです。

天とは宇宙であり、この世界そのもの。その意思を僕は感じます。だから僕は、木の花ファミリーのみんなと天の物語を生きるのです。それはとてもわくわくする物語なのです(^-^)

僕の妹のようにこの暮らしが理解出来ない方が多いのかもしれません。それも無理のないことで、この暮らしは大いなる実験なのだと思います。個人的な感情を超え、自他の区別を超えて世界と一つになれた時、人々の関係はどのように変化するのか?どんな世界が実現するのか?人と人が心の底から繋がり調和した世界。僕らはそれを菩薩の里と表現し、ティク・ナット・ハンの言葉を借りれば、コミュニティの仏陀となるでしょう。それは今の人々の想像力を超えた世界で、こんな世界を実現させるために、僕たちは日々、心を見詰め精神性を高めているのです。

ところで、昨年11月に公表された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次報告書から地球環境が危機的な状態にあることは明らかなのに、まだ多くの国々は経済成長を求め続けています。
財政危機の後、支援を受ける代わりに財政緊縮策を実施するギリシャでは、それに反対する野党に支持が集まり、財政再建の遅れ、それによる世界経済への影響が懸念されています。ウクライナ情勢ではロシアとヨーロッパ、アメリカが対立し、イラクやシリアではイスラム国が勢力を伸ばし、そこに参加する先進国の若者も生まれています。香港では民主派が真の自由選挙を求めデモをし、日本でも経済格差により貧困率(相対的貧困率:16.1%、子どもの貧困率16.3%)は増大し続けています。そして、在日コリアンに対するヘイトスピーチなど社会の不寛容さを現わすニュースも報道されています。

まだまだ上げたらきりがないのですが、今の社会には問題が山積みです。それはそれぞれの国や人々が自分の立場から利益を求めている結果なのではないでしょうか?そんな今の社会に対して、僕たちの暮らしは希望の光となります。自他の区別を超えた視点に立つことにより、様々な問題が生まれる種を明らかにし、そこを超えていくことを可能にします。もしあなたが今の社会に絶望しているのならば、ここを訪れてみて下さい。希望に出会うことが出来るはずです。



年越し大人ミーティングの様子です。
新年を迎えるにあたり、大晦日の晩、僕たちはいさどんのインドでの体験をあらためてみんなで共有しました(いさどんBLOG「天教山から地教山に向って」参照)。いさどんの体験はみんなの体験であり、それは天の物語でもあります。だから、インドには行っていないみかちゃんがその報告を書くことも出来るのです(「アジアが一つに、そして地球が一つに・・・インドの旅が示したものは?」を参照して下さい)。そして、その後、ともちゃんが作成してくれたスライドショー「木の花ファミリーで起きたこと2014」をみんなで観ました。太陽マヤ族尊母ナー・キン氏との出会い、高野山や玉置神社(世界の高天原)、花窟神社(はなのいわやじんじゃ)への旅、そしてインドのヒマラヤ、ハルトラビレッジオーロビル。それはすべて繋がっていて、僕たちが天の物語を生きていることを再確認させてくれました。

そして、いさどんは新年の挨拶として以下のようにメンバーに語りました。(要約です)
※いさどんBlog(2015年「船出」の年を迎えて)に全文が記載されています。



みんなに語るいさどんです。
四季の中で自然の恵みをいただき、夜に眠り朝目覚めること。こんな日常の中に宇宙の法則、つまりは神様が顕れています。カタカムナとの出会いは私たちにあらためてそのことを教えてくれました。そして、そのことを常に自覚しておくためには「謙虚」な心が大切です。自然に生かされている。自然のお蔭で生きている。その「お蔭さま」という心が、他者のため、この世界のために生きるという心を生み出します。その心が働くことで傍(はた)を楽にするのです。
人類はしばらく天を意識しない暮らしを営んできました。自分の都合で計画を立て、自分の想いを実現しようとしてきた結果、他者に対する配慮の心が薄れ、現在のような社会を創ってきました。ですが、私たちは天の仕組みに気づいたものです。気づいたものとして、その尊さを知り、無理解の中でも歩む覚悟が求められます。時代は今、変わろうとしています。一人一人の気づきと直観が働き出す時代です。その結果、人々の縁が紡がれたこのような生き方が必要となります。新しい時代のモデルとしてこの暮らしはあるのです。天然循環法により田畑を育てる私たちは、カタカムナの48音を響かせています。ですが、これはただ響かせればよいというものではないのです。日々の暮らしの中で調和の心を育み、波動量を上げて、そのネットワークを広げていく。その時、響きは相応しいものとなり有効となります。調和の心が作物や料理、子育てなど日常生活のすべてに反映されていく。それが天然循環法なのです。一人一人が当然のように高い波動量を持って、美しい響きによる有難い恵みの中で生きていける。そしてそれが当然のように展開されていく世界。そこを歩む決意こそが今年のテーマ「船出」なのです。この新年の節目に決意を確認して歩んでいきましょう。

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そんな心で迎えたお正月。夜は美味しいおせち料理をいただき、その後はみんなで遊びました。
以下、その様子を写真でお伝えしますね。


え!?びフライ。海老ではないですよ。
ライスペーパー野菜巻きです。



食事の前にお祈りをしています。
色鮮やかな海苔巻きです。
キッシュです。
天然循環法で育てられた苺と餡子による苺大福です。


食事の風景です。


体調が悪い人のためのお弁当です。

食後は子どもたちも含めてみんなで遊びました。今回はみんなでカルタ大会もしました。なぜカルタ大会をしたのか?その経緯はまっちゃんBlogの記事をご覧ください。

  カルタ団体 木の花ファミリー始動!?

  カルタ団体への道Vol.2 ~「木の花カルタ」作り~

  第1回「木の花ファミリー 大カルタ大会」開催しました!


フルーツバスケットをしています。
妖怪ウォッチのダンスを踊っています。
じゃんけん列車をしています。
カルタ大会予選の様子です。
カルタ大会決勝戦です。

カルタ大会決勝で使用した手づくりの「木の花カルタ」です。

そして、ゲームの脇では、普段、東京で美容師をしているせいたろうがみんなの髪をカットしてくれました。せいたろうは木の花ファミリーで育った子どもで今は独立しています。


えいこばーちゃんの髪をカットするせいたろう。隣にいる玲衣花もこの4月から美容師となります。

こんな感じで過ごした元日。あらためて思うのは、やっぱり天の物語を生きる です。
それは世界の物語だから、全人類に関係があることで、父さんや母さん、妹とその旦那さん、子どもたち、そして今まで出会った僕の友人たち。すべての人々の幸せに繋がる物語だと確信しています。ということで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


今年もあと1日。

NHKのニュースで東京証券取引所の大納会のニュースが流れていました。年末終値は前日より279円7銭値下がりして1万7,450円77銭、これは終値としては15年ぶりの高値のようです。東洋経済ONLINEでは2営業日で368円下落したことに注目して報道されていますが、NHKは高値を強調して報道していました。そして、来年も株価が上昇することを願う言葉を伝えています。

昨晩の大人ミーティングにて、いさどんはこのニュースを話題の出発点として以下のように語りました。(僕の記憶で書いているので、完全には正確ではありません)

株価が上がって喜ぶ人は一部の人で、汗水流して働く人々はその恩恵は受けません。でも、こんなニュースが流れると、株で儲けたいと思う人が多くなります。すると、汗水流して働く人が減っていきます。それは健全な社会の姿でしょうか?汗水流すことで得る僅かな収入で暮らし大人は、子どもには勉強をさせて将来、楽をさせたいと願います。そして、そんな子どもたちの中には、貧しい人たちを助けたいと医者を志すもので出てきます。ですが、医者は病人がいて初めて成り立つ仕事です。病に依存しています。加えて、生活を成り立たせるために収入におわれ、最初の理想も失っていく可能性が大きくなります。現実の中で何かが狂っていくのです。

加えて、そんな子どもたちが医者になれる可能性はとても低い現状があります。東大生の親の年収ですが、57%は950万円以上というデータがあります(年収ガイド参照)。子どもが東大に入るためには莫大な投資を必要とするのです。教育基本法3条では教育の機会均等が謳われていますが、現実は経済格差が教育格差に繋がっているのです。結果、東大には今、受験勉強が出来る、記憶力が優秀な人ばかりが入学しています。それは本当の意味で「頭が良い」とは言えません。「頭が良い」人とは直観力が働く人です。そんな本当の力を持つ人たちが出て来れない世の中になっているです。

そして、スポーツの世界に目を向けても、そこには歪みが見えます。トップを夢見ること。そこへ向けて人間の可能性を追求することは素晴らしいことですが、反面多くの落ちこぼれを生んでいます。プラス思考ばかりを追求すると、これも歪みに繋がります。例えば、フィギュアスケートのジュニアたち。彼らが表舞台に立つために親はどれだけ多くのお金を投資しているのでしょうか?その背後に親の涙ぐましい努力があります。それは子どもへの欲の心から生まれているのではないでしょうか?その姿は美しいものでしょうか?

そして世界に目を向けると、イラクやシリアで勢力を拡大しているイスラム国があります。イスラム国がどうして生まれたか?宗教や社会、貧富の差など。イスラム国が生まれるにはそれだけの物語があるのです。そういうことはなかなか分かりません。オバマ大統領が悪と言ったら悪となります。日本でも国益に適わないことは報道されません。真実はいくらでも捻じ曲げられるのです。

ですが、正しい情報が出ていないから間違えということでもないのです。大切なのは、なぜそういう世の中になっているのか?人々の何がそれを生み出しているのか?そういうことを見抜いていくことです。

多くの人々が勘違いをしています。それで一生懸命に生きているのに、世の中を悪くしていっています。その勘違いに気づくように促す必要があるのです。そして、木の花ファミリーの天然循環法の暮らしはそのことを伝えていくことが出来るのです。

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子どもたちの洗車風景です。
年末です。昼間は大掃除をし、子どもたちも楽しそうに洗車の手伝いをしてくれています。汚れを洗い流しているのです。同時に僕たちは心の汚れも掃除していきます。そして、それは世界の汚れの掃除にも繋がっていきます。大人ミーティングでは以下のような話もされました。


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この世界は、ない世界(潜象界)と見えない世界、見える世界(現象界)で出来ています(カタカムナ参照)。そして今、見えない世界には悪い思念が溢れています。山口県で鳥インフルエンザが確認され、3万7千羽が処分されました(NHKニュース参照)。多くの鳥は鳥インフルエンザには掛かっていないでしょう。ですが、生きながらにして殺されていくのです。牛や豚も毎日、屠殺(とさつ)
されています。その怨念はこの世界(見えない世界)に留まります。そして、イスラム国は、1700人の処刑をしていると言われています。多くの無念の魂が見えない世界に留まっているのです。それが世界に影響を与え続けています。ですが、目覚めた人類は見えない世界に働き掛けることが出来ます。天然循環によりない世界に無念の魂を導くことも出来るのです。

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今年もあと1日になりました。みんなで語り合うことで場を熟成させ、天の物語をみんなで確認し、新しい年を迎える。今晩の大人ミーティングはそんな場になることでしょう。今から楽しみです。


天の物語を生きる。~1年の振り返りと来年の抱負として~

一昨日の晩、父親や母親に「普段の何気ない行動が戦争に繋がっている」ということを力説している夢を観ました。夢の中の僕は、ムキになって伝えていてあまりよい感じではありませんでした。起きた後、これは両親に理解して貰いたい自分の気持ちの現れだなと思いました。普段あまり感じることも意識することもありませんが、僕の中には両親の対する愛着、甘えがあった証です。(愛情ではありません)。

僕は、来年の正月、帰省はしません。木の花ファミリーで過ごすことにしています。電話でそのことを母親に伝えた時、母親が動揺したことを感じました。ですが、特別な会話を交わすことはなく、「身体に気をつけて」とお互いに伝え合って終わりました。両親の夢を観たのはその影響なのでしょう。

僕は木の花ファミリーにて、血縁を超えて絆を結ぶ生活をしています。それはすべての存在を自分自身と同じように感じ、大切にしていくための実践です。そのような暮らしをしている中、帰省をすることの意味をファミリーメンバー各自で考える機会を持ちました。

実家に帰るか帰らないかを考えた時、どちらでもいいのだなと思いました。ですが、今回に限って言えば、帰らない選択をすることが大切だと感じました。その理由は上記の夢に現れています。自分の奥深くにある両親への甘えや愛着。この感情は誰も幸せにはしません。両親にも僕にも良いものはもたらさないでしょう。そして、の意志を感じて、その物語を生きようとする時、僕の目を曇らせます。だから、この感情は手放す必要があり、今回はその良い機会となりました。帰らないことで、僕はこの感情を整理し、より自由になることが出来ます。そして、その僕の波動は離れている両親にも伝わり、なんらかの影響を与えるでしょう。甘えや愛着ではなく、真の愛に基づいて生きていく。そして、すべてのことは流れに委ねること。ただそれだけを心掛ければいいのです。

そんな帰省について、昨晩の大人ミーティングで話題になった時、空気が重くなり、場がなかなか展開しない状態になりました。その時、みかちゃんが自然循環と天然循環の話しをしました。

自然界の物質循環を自然循環と言うならば、天然循環はそこに潜象界(見えない世界)が加わります。自然界を循環するだけだと物質は消耗していきますが、潜象界(見えない世界)に還ることで、再生し、新たなエネルギーを得ていくのです。そもそもすべての存在は天然循環をするものなのですが、現代は人々の歪んだ心、執着が、それを妨げているのです。そして、物質は消耗し、エネルギーを失っていきます。現代の環境破壊はその表れと言えます。人々が心を磨き執着を離れた時、天然循環が発生し、調和のエネルギーに満ちた世界が実現します。人間の心が環境破壊を生み出し、そして、人間の心によりそれを超えることが出来るのです。

自分の中に湧き上がる想い、それをお互い伝え合うこと。これだけでは自然循環の状態です。想いが現象界(見える世界)だけで展開しています。この状態は場に停滞感をもたらします。心を開いた人間には、天からの意志が降りてきます。そして、天へと思いを伝えることも出来ます。この天との交流が加わった時、人と人との交流は天然循環となり場は活性化するのです。だから、一人一人が自分の想いという枠を超えて、天に心を向けることが大切なのです。

場が展開しないのは、一人一人が個人的な想いから自由になれていないからです。自由になった時、一人一人が天を感じて、その場は天との協同作業となり、大きく展開します。みかちゃんの話はそのことを再確認させてくれました。

ちなみにいさどんは帰省の話にはまったく口を挟みませんでした。関心が全く違うところにあり、言葉で浮かんでこなかったそうです。天の物語を生きているいさどんには、帰省をどうするなんてことはどうでもよいことなのです。そのいさどんの姿勢が場に変化をもたらします。それはいさどんが天と繋がっているからであり、その大切さを実感させてくれました。

僕もこれからもっと天に心を向け、繋がっていこうと思いました。

こんなふうに日々を送っていますが、もうすぐ今年が終わります。そこで振り返りを書いてみようと思います。僕にとって今年はとても重要な年となりました。なので、今年の振り返りはそのまま人生の振り返りともなります。

僕はこれまでずっと自分の物語を生きて来ました。

それは「世界が僕を変える」や「世界と一緒に変化を楽しむ」に書いた英雄物語だったり、「僕といさどんと木の花ファミリー」に書いた「虐げられた状況から逆転する物語」だったりします。その自覚はずっとあって、それを意識的に変えようと努力を重ねてきました。ですが、それらの努力は功を奏しませんでした。僕は変わりませんでした。

そんな中、今年の9月24日、このBLOGを立ち上げました。タイトルは「木の花ファミリーの経済から世界を見る」。「世界を見る」とタイトルをつけたからには、そこに書かれるものは、世界を意識したものでなければならない。そんなふうに思いました。そして普段から世界で起きていることと木の花ファミリーの暮らしを繋げて考えるようになりました。そうすることで、この暮らしの意味をあらためて感じることになりました。そして、その意識を保つために一定のペースでこのBLOGを書き続けました。

すると大人ミーティングが今まで以上に面白い場となってきました。そこから世界が見えるのです。
そんな大人ミーティングの場で、12月の初め不思議な体験をしました。その時、いさどんがみんなに向って語っていたのですが、僕は天から暖かいエネルギーが降り注ぐのを感じたのです。いさどんの話が天の扉を開き、そして、天からエネルギーが降り注いでいたのです。そのエネルギーはとても大きく暖かいものでした。僕はこの時、初めて天の存在を感じました。ずっとあることを知っていた天の存在をリアルに感じたのです。この日から僕は天に意識を向けるようになりました。

天に意識を向けると、自分の感情や枠を超えることが出来ます。自分から自由になって、天の温かさを感じることが出来ます。それがとても心地よく毎日がとても幸せなのです。そんなふうに過ごしていると、周りから「変わった」と言われるようになりました。

このBLOGを立ち上げた時、僕は別に「変わろう」とは思っていませんでした。ただ広い視点を持つことを心掛けて毎日を過ごしていました。その結果、僕はとても幸せになりみんなに変わったと言われます。一方、僕が意識的に変わろうと努力した時、僕は変われなかったし、あまり幸せにもなれませんでした。

その違いは何か?

僕が意識的に変わろうとした時、僕は自分の変わる姿をイメージしていました。評価される自分、出来る自分をイメージしていました。要は自分がかわいかったのです。そして、自分に囚われていました。その囚われが僕の変化を邪魔していたのでしょう。

今は自分に対するイメージは持っていません。「どうなりたい」という思いもありません。ただ、天を意識し感じ続けること。それが僕の一番の望みで、それだけ出来ればよいのです。だから僕はこれから何があってもずっと幸せだろうなと思います。

僕を変えて幸せにしてくれたのは世界であり、天です。
自分では幸せになれませんでした。
だから、これからは天の物語を生きていきます。
それは僕を幸せにし、そしてみんなを幸せにする物語になるのだろうなと思っています(^-^)


今年の初日の出です。この日から1年が経とうとしています。


天を感じて行動し、感情を通して自分を知る。

昨晩、木の花ファミリーのみんなで「風の谷のナウシカ」を観ました。何度観ても感動する作品で、常に周りの人や世界のことを思い行動し続けるナウシカの姿に心を打たれました。

例えば、風の谷を攻めたトルメキア兵に、ナウシカの父親ジルが殺された時、ナウシカは怒りに任せて、トルメキア兵数名を殺してしまいます。ユパの制止により、この行動は止まりますが、その後、ナウシカは風の谷の人々へ争わないようと自重を促します。そして、この時に生じた、自分の暴力性を見詰めていきます。父親を殺されたことで怒りの感情が沸いて来た時、その感情を正当化するのではなく、そこから生じた闇(暴力性)を見詰めていくのです。

感情を通して自分を見詰め自分を知っていく。でも、行動や判断は全体を客観的に眺めて行っていく。その姿勢は見本だなと思いました。

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ところで、年末ということもあり、昨日は書類の整理をしていました。その時、6年前に自分が将来のヴィジョンを書いた紙が出て来ました。そこにはテーマ(目標)として、「に自分を使ってもらう」と書いてありました。天の存在をありありと感じ、天に意識を向け始めたのは最近のことなので、6年前に「天」という言葉を使っていたことにすこし驚きました。ですが、よく見てみると、その頃と今では、天に対する意識が全然違っているのです。

「天に自分を使ってもらう」と書いた時、僕はそのために自分を空っぽにしておこうと心掛けました。自分の中がいっぱいだと天からのメッセージが入ってくるスペースがなくなってしまいます。スペースを保つことが大切でそのために自分を空っぽにしておこうと思っていたのです。ですが、今は、天の存在を感じて、天に心を向けています。

太陽に呼ばれた気がして撮った写真です。


  天に自分を使ってもらう。

  天の存在を感じて、天に心を向ける。



同じように聞こえるかもしれませんが、この2つの態度は全然違っているのです。「天に自分を使ってもらう」と言う時、意識の中には「自分」が入っているのです。関心が天よりも自分のあり方、自分の状態にあります。そして、受け身の態度でもあります。メッセージが降りてくるのをただ待っているのですから。

一方、「天に心を向ける」時は、関心は天の存在にあります。自分に対する意識は、天の存在の前では弱まっていきます。ただ、天の心を感じて、それを表現出来ればよいのです。そして、これは能動的な態度であり、自分から天の意向を感じようとしています。天と共に世界を創っていこうとしているのです。

自分がどんな人間か?そして、自分はどんな状態か?

恵みいただきます」ではトナカイになっていました。
これらのことは現象が教えてくれます。現象を受け止め、そこから学ぶ。それが自分を感じることであり、自分を知ることなのだと思います。自分はこれこれこういう人間で・・・・なんてことを頭で考える必要はないのです。その思考は、自分に限界を設定することに繋がります。自己概念が固定化してしまいます。自分を知る際に思考はあまり大切ではありません。目の前の現象をいただき真剣に向き合うことが大切なのです。

時代は常に変化しています。天に心を向けて心を開いていれば、世界が僕を変えてくれるのです。それがどんな姿なのか?どんな形なのか?は天に委ねていればよいのだと思います。

世界は僕をどんな姿に変えようとしているのか?

それを感じて実践する方が、自分の姿を自分で思い描くよりはるかにわくわくします。そして、そこから生まれる感情を通して自分を知ることも出来ます。

天を感じて行動し、感情を通して自分を知る。

ナウシカもきっとそんなふうに生きているのだと思います。「自分がどんな人間か?」なんてことは考えず、流れを感じて、必要な行動をしています。そして、それがナウシカという人間を創っているのです。

ナウシカに行動と変化を促す世界。それは、巨大産業文明が崩壊し、土が汚染され、猛毒の瘴気(しょうき)を放つ「腐海(ふかい)」と呼ばれる菌類の森に覆われ、巨大な虫たちに人類が脅かされる世界です。その中でナウシカは虫たちと心を通わせ、世界を浄化する「腐海(ふかい)」 の謎を知っていきます。その世界観に僕たちはわくわくしているのではないでしょうか?

今、僕たちが暮らす世界も、背後に流れる大いなる存在に心を向ける時、環境破壊や食料問題、紛争や経済格差、紛争や戦争に想いを馳せる時、同じぐらい大きな世界観を描くことが出来ます。世界に心を開くことで、世界と共に変化することでわくわくすることが出来るです。

だから僕は木の花ファミリーのみんなと一緒にそんなふうに生きていくのです。


世界と一緒に変化を楽しむ

12月24日、クリスマスイブの夜、久しぶりに更新されたBLOG『わけあり女in木の花ファミリー』の投稿「サヨナラ 明石家サンタさん」が大人ミーティングでシェアされました。

200mしか歩けなかったわけあり女さんは今、塾の講師をしていて、年末のハードスケジュールをこなすという「ありえへんこと」に挑戦しています。その変化をみんなで共有しました。


コンサートで歌う子どもたち
そして、ウェルカムコンサートの時などにいつも率先して楽しい踊りを披露し、場を盛り上げるいさどんは、昔、踊るのが大の苦手だったと言います。ですが、場を創るために自分を押して、前に出て踊り続けていたのです。そして、人前で話をするのも苦手だったのですが、それを克服するために生徒会長などをして来たといいます。そんないさどんのエピソードも共有されました。

わけあり女さんの行動もいさどんの行動も、自分の感情を手放して、新しい行動に踏み出しています。それが人々に感動を与え、みんなの中でわけあり女さんやいさどんの存在が強く残り生かされていくのです。

自分を手放すことで、自分がみんなの中で生きていく。

これらは、まさに「みんなの中でよみがえり生きていく」で書いたことの実践例と言えるでしょう。
そして、2人の行動は世界も少しだけ変えていると思うのです。

12月25日、クリスマスの夜、まゆちゃんがいつかみんなで観ようと提案して「PEACE BED アメリカVSジョン・レノン」の予告編を観ました。

僕には、反戦のムーブメントを生み出したジョン・レノンの姿がかっこよく見えました。そして、胸に熱いものがこみ上げるのも感じました。

ですが、この映画を観たことがあるという晃ちゃんやいさどんはこの映画をあまり評価していませんでした。

これはムーブメントを描いた映画であってとても浅いもの。ジョン・レノンは反戦を掲げることにより、権力の側に対して戦争を仕掛けているようなもの。一方の役割をしているに過ぎない。

それが二人の見解で、これはまさにその通りなのです。

正義を掲げ、その正義を貫くことに熱くなる。

予告編を観た時、僕の中に湧き上がった感情はそういう種類の感情です。それは麻薬のように僕を気持ちよくさせます。きっとジョン・レノンもそんな感情に突き動かされていたのではないかと思います。そして、それが人々に伝わり大きな動きを生み出したのでしょう。

それは悪いことなの?平和を求める心は良いことだから、それでいいのではないの?

こんなふうに思う人もいるかもしれません。もし、人類が今のまま変化せずに暮らし続けるのならば、それでよいのかもしれません。ですが、真の平和を求めるのならば、この手の感情は手放す必要があるのだと思います。

視点を変えてみて下さい。今、イラクやシリアで大きな勢力となっているイスラム国。彼らにも彼らの正義があります。そして、その正義を貫くことに熱くなり冷静さを失っているからこそ、過激な行動に及んでいるのでしょう。残忍な集団に見える彼らですが、戦乱の先に平和を夢見ているのではないでしょうか?そして、ジョン・レノンが批判したアメリカ政府にも正義があります。正義に基づき戦争をしています。そして、その先には平和がある想定しています。

それぞれの立場にそれぞれの正義があるのです。そして、その正義は平行線です。ですから正義に基づいて平和を求めても、それは有効に働かないのです。

正義を掲げ貫くことは英雄的で気持ちが高揚します。ですが、正義を貫くためには悪が必要となります。そして、そこに対立が生じます。こんなふうにして今の戦争は生まれ、維持されているのではないでしょうか?

世界が僕を変える」を書いた時、僕はこういう感情は超えたと思っていました。でも刺激があれば、こんなふうに湧き上がることもある。そのことを再確認しました。そして、それはそれでよいのです。感情が湧き上がることが問題なのではなく、湧き上がる感情から自由であればよいのです。

今の世界には、正義を掲げ貫く心がたくさん存在しています。それは人類で共有している心と言えるでしょう。自らの感情から自由になった時、僕と世界は完全に繋がります。世界を感じることが出来るのです。感情が湧き上がってくる時、自分を離れることが出来れば、その感情は世界の一部が表現している感情となります。そして、世界は変化を求めているのです。この視点に立ち感情を手放す時、僕と世界は少しだけ変化します。そんなふうに世界と一緒に変化を楽しんでいこうと思っています(^ー^)


みんなの中でよみがえり生きていく

12月21日、木の花ファミリーでは、月に一度の自然食レストラン「恵みいただきます」が開催されました。今回も200名近いお客様を迎え、一緒に素敵な時間を過ごすことが出来ました。ご来場いただいた皆さまに心から感謝します。

今月はクリスマス特別メニュー〜スペシャルサンクスプレート「星々の輝き」~でした。みきちゃんが作成したチラシは 「Merry Xmas スぺシャルサンクスプレート」の文字を絵で表現しています。そしてその絵はイエス・キリストの物語となっています。

みきちゃん作成のチラシです。

多くの人々に救いをもたらしたイエス・キリスト。イエスは処刑されますが、予言通り3日後に復活します。僕は常々、イエス・キリストの死と復活については、心の成長過程をモチーフになっていると思ってきました。

イエス・キリストはすべての人間の罪を背負って磔(はりつけ)にされ、命を落とします。人間の罪とはすなわち「自我(エゴ)」だと思うのです。自我の元、人間は自らの欲望を叶えようとし、世界に働きかけます。その結果が今の社会であり、環境問題、経済格差、人種差別、民族紛争など様々な問題を生み出しました。イエスの死は、問題を起こしてきた自我の死を意味します。自我の死とは自意識を捨てることであり、自分視点を離れることです。その体験は人に恐怖を与えるのかもしれません。執着の感情が湧き上がるのかもしれません。ですが、自我の死、自意識を手放すことは人間に新しい可能性をもたらします。

磔にされ肉体の死を迎えたイエス・キリストは、3日後に復活するのです。それはイエスの魂の復活であり、それ以後、イエスは人々の中で再生し、今も世界を見まもり続けています。人が自意識を捨てる時にも同じようなことが起こります。

自意識を捨てる時、人は今まで囚われていたものから解放されます。その時、人は、自分(自意識)が知らなかった自分と出会います。思いもよらない感情や能力が湧き上がってくるのです。そしてそれは波動となって世界に広がり、人々の心に伝わっていきます。自意識の元、自分の中だけに留まっていた心、感情が動き出し他の人々の心の中に入っていくのです。そして、その心は人々の心の中で生き続けます。自分の魂が肉体を超えてみんなの中で生きていく。自意識を超えた時、そんな生き方が可能となるのです。

木の花ファミリーの生活は自我を手放す生き方へとみんなを導いてくれます。多くの人と共に暮らす生活では、調和の心が何よりも大切になります。自分だけの都合で動くことは、軋轢が生じるきっかけとなります。毎日の生活の中で、現象を通して、自分を知り、自意識を手放していくことが出来るのです。そして、自意識を手放し空っぽになった自分の中には、みんなの心が入ってきます。
個性豊かな人々の心によって自分が創られていくのです。こうなると成長の可能性は無限大となります。出会う人々、出会う体験が自分を創っていくのです。それがどんなものになるかは自分の想像をはるかに超えることです。人生はまさに道(未知)への旅です。わくわくします(^-^)

宇宙の始まりから今にいたる大いなる流れがあります。本来、すべての存在はその流れも元にあるのですが、自我を持つ人間は自らの囚われにより、その流れに抵抗し苦しみます。自我を手放すことは、その流れに沿うことであり、宇宙の根本原理を知ることです。それを知り感じた時、ちっぽけな自分を手放し、無限の宇宙と一つとなることを心掛けるようになるのです。

心磨きはそのためにあります。そして、恵みいただきますはそんな心を表現する機会となります。「恵みいただきます/経済的効率よりも大切なもの」にも書いたように、恵みいただきますは準備から本番に掛けて多くの学びと感動を生み出します。今回もたくさんの学びと感動を与えてもらいました。そんな恵みいただきますの様子を写真でご覧ください。


お客様に提供した料理です。いつもどおり1,000円(65歳以上は500円)で提供しました。

こちらは料理の説明のイラストです。

デザートのトライフルに使われた苺です。一つ一つ手作りです。

テーブルには蜜蝋キャンドルが置かれていました。
子どもたち手づくりのクッキー。当たりが出たお客様にプレゼントしました。
たくさんのお客様で賑わっています。

当たりが出たお客様には子どもたちが手づくりクッキーと共にハンドベルの演奏を披露しました。
外の売店の様子です。毎回、クッキーあられ生はちみつお米米粉商品など様々なものを販売しています。
年末ということでお餅とあんこ、黒豆きな粉や小豆を特別に販売しました。
こちらはクリスマス特別商品。天使のクッキーとギフト用生はちみつです。
僕はトナカイとなってレジ打ちを担当していました。
バザーも開催。バザーの売上はNPO法人ぐりーんぐらすによる国際協力の資金として使われます。
最後にみんなで写真撮影です。どうもありがとうございました(^-^)

当日の様子をさらに詳しく知りたい方はこちらを参照して下さい。


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