願いを通して自分を知っていく

大人ミーティングで「結果を追い求めるのではなく結果から自分を知る」をシェアした時、
「願い」ということが話題になりました。

そこで話したのはこんな感じです。

願いから自由になることは願いがなくなることではありません。
その願いに囚われないということです。
願いが良いか悪いか現象が教えてくれるので、そこから学べばいいだけです。
なんにせよ、自分の願いではなく、大きな流れに沿って生きていくだけなのです。

そして今、願いについてこんなことを思っています。

願いに良し悪しがあるとしても、それは固定したものではなく、
心の成長や状態によって日々刻々と変化していくものだと思います。

願いと似たものとして食欲を例に取り上げます。

食欲自体は誰にでもあるもので、そこには良いも悪いもありません。
食欲の良し悪しを決めるのは心の状態なのです。

節度を持って食事をすれば、食欲は人にエネルギーを与えてくれます。
そして、食事を通して人との交流も生まれます。
すると、食欲は良いものとなっていくでしょう。

ですが、なんらかの理由で暴飲暴食をし、身体を壊してしまったとします。
こうなると食欲は悪いものとなっていきます。

食欲の良し悪しを決めるのは、その人の人格であり心の状態なのです。

生きていれば様々な願いや望みは自然と湧き上がるでしょう。
そして、その願いや望みを通して様々な現象に出会います。
その現象を通して、自分の心の状態を知り、自己認識を深めていく。
大切なのはただそれだけなのだと思います。

大人ミーティングでは、オバマ大統領の広島訪問に合わせて、
2009年4月5日に行われたプラハ演説をみんなで読みました。

オバマ大統領はこの演説で「核兵器のない世界」を目指すことを宣言したのですが、
アメリカは未だに包括的核実験禁止条約に批准していません。
そして、オバマ政権の核弾頭削減率は13%(2015年会計年度時点)で、
冷戦後の歴代政権の中で最も低い数字となっています。

アメリカ、そしてオバマ大統領はこの現実を直視し、自らを知る必要があるでしょう。
それをしなければ、広島訪問もただのパフォーマンスに終わってしまいます。

平和への願いは言葉だけ聴けばよいものに思えます。
ですが、人類は平和を求めて対立してきた歴史があります。

例えば昨日まで開催されていたG7伊勢志摩サミットは、
世界の平和と繁栄のために集まったはずなのですが、
ロシアや中国はG7に対する反発を強めています。

これは各国が「自らの」平和を求めた結果であり、
そこから自分たちを知り正していく必要があるのです。

真の平和を実現するためには、一人一人が広い世界観を持ち、
個々の自我を超越していく必要があります。
最後にそれを端的に表現した文章、地球談話を紹介しますね。






「地球談話~真の平和を地球にもたらすには~」
2015.8.15

真の平和を地球にもたらすために、今わたしたちにできることは何でしょうか。それは広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。人間が自我の狭い枠に囚われている時、他者との違いによって他者に違和感を持つようになります。それが対立や争いの始まりです。しかし、わたしたちが存在しているこの世界は無限に広大な世界であり、そこは多様ないのちのネットワークで成り立っています。その調和のネットワークは、個を存在させるために全体があり、全体を存在させるために個がある相似形の仕組みによって成り立っているのです。
この世界の真実は、全てが一つということです。ですから、全てのものと自分自身との区別はないのです。このように人々の世界観が広がれば、平和な世界を創り上げようとしなくても、地球上に平和は自ずと訪れるものです。
日本の漢字に「働く」という文字があります。これは「労働」を意味します。しかし、真の意味は「傍(はた・他者)を楽(らく)」にすることです。働くことはある意味生きることですから、生きるとは自分を超えたネットワークの中で役割を果たし、他者のため、世の中のために生きることなのです。ですから、生きることは世界に平和をもたらすことになります。
ところが、今の世界は国なら国益、個人なら自身の利益を優先しているため、国家レベルの大きな戦争から個人レベルの小さな争いに至るまで、平和が保たれない状態になっているのです。それは人間の世界観が狭いことが原因です。対立や争いは、自我が優先された人間の姿勢から生まれてくるのです。
地球上の生命進化の歴史を観ると、過去6億年の間に6回大量絶滅が起きています。そしてその統計からすると、近い将来生命が絶滅する可能性があると言われています。過去から現在に至る地球生命の中で最も高い能力と大きな影響力を持つのが人間です。地球生命の頂点に立つ人間は、暴走することによって次の絶滅をもたらす可能性もあれば、絶滅の危機を超えてさらに進化した世界をもたらす可能性もあるのです。
21世紀に入り、わたしたちはいくつもの大いなる転換点を迎えています。太陽は天の川銀河を22600万年かけて1周し、その間に約9000回の螺旋を描きます。その1螺旋は25800年です。20121221日、25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、宇宙的には闇と争いの時代から光と調和の時代に入りました。さらに、冥王星は太陽のまわりを248年かけて1周します。2008年、冥王星の1周期を経て、ヨーロッパ産業革命以降250年間続いた西洋物質文明は終焉を迎えました。そして今、東洋精神文明が開花していく時代が始まったのです。
宇宙的には、すでに一人ひとりが目覚める段階に入っています。それゆえ、多くの人々は今までの価値観に疑問を感じ始めるようになり、新たな時代に向けての価値観が求められているのです。人類一人ひとりの精神革命が国を変え、そして世界を変えます。あなた自身が変わることが世界を変えることの始まりです。それは宇宙の意志であり、時代のサイクルの表れです。したがって、個人レベル・国家レベルそして地球規模で起きる全ての出来事も宇宙の意志であり、時代の流れの中にあるのです。そのように時代を読む捉え方は、わたしたちの個人的エゴからの解放と広い世界観を持つことによって可能となるのです。人類は肉体という物理的には小さな器の中にいたとしても、最終的には宇宙全てが自分自身であるという意識に到達することもできるのです。
21世紀中に人類はその意識レベルに到達することでしょう。それはこれからの1000年間で、物質的豊かさを追求する時代から、わたしたちの内面にある未開発の能力を開花させる時代へ移行していくということです。それを司るのがまだ使われていない人間の脳の90%です。わたしたちの内面に眠る未開発の能力が開花すれば、宇宙の意志・時代の流れを感受する直観が働き、地球にいながらにして宇宙を理解することが可能になるのです。そこでは宇宙を探査するテクノロジーの可能性は大いに広がることでしょう。新たな時代を生きるわたしたちは、近代的テクノロジーと物質的豊かさに加え、高い精神性とともに進化していくことができるのです。

21世紀はわたしたちが地球人として、さらに宇宙人としての意識を持ち、この世界に貢献していく時代の始まりです。今わたしたちは、次の地球生命の絶滅のきっかけをもたらすものになるのか、それとも新たな時代をもたらす存在となるのかの転換点を迎えています。そして、人類が次の時代が示す精神性を地球上に表現した時に、平和はもたらされることでしょう。







結果を追い求めるのではなく結果から自分を知る

5月20日の富士山からの日の出です。

5月20日は24節気で「小満(しょうまん)」。
そして、僕が木の花ファミリーに移住して7周年の記念日でした。
僕は今、木の花での8年目の日々を過ごしています。

6周年を迎えた昨年は、「願いから自由になるために生まれてきた」というブログを書きました。

この頃の僕には強い願いが湧いてきていました。
そして、それを振り払おうとしてこのブログを書きました。

ですが、この後、僕は「願い」に翻弄されることになります。
 ※詳細は以下のブログをお読みください。

 心を磨いた結果出会うこと。

 正しい自己認識が世界を変え、世界に平和をもたらす。

 相応しいものになっていく。

 空っぽへのあこがれ

「願い」に翻弄されることで、自分自身を知り、そして、その「願い」の奥を知りました。
結果、僕は願いから自由になりました。

「7」はカタカムナでは質的転換を表す数字です。
木の花ファミリー7年目の1年間で僕は質的転換を果たしました。
それは個人の願いではなく天の意志に基づいて生きるということです。

そして「8」はカタカムナでは飽和安定。
僕はこれからの1年で天の意志に基づく生き方をより強固なものにしていきます。

今、僕は体調を壊し、咳が止まらない状態となっています。
この咳は僕が意図したものではありません。
天とは何かを尋ねると・・・」にも書きましたが、
自分が意図していないものはすべて「天」なのです。
だから、この咳は天が与えて下さっています。

なぜ、天は僕に咳を与えて下さるのか?
最近の自分に思いを馳せます。
すると結果を求めて無理をしていた自分自身の姿が見えてきます。
この咳は結果を求めて無理をしたことに対する答えです。

結果は求めるものではなくいただくものです。
過去から未来へと繋がるこの世界においてはすべての瞬間が今まで生の結果です。
人は常に結果をいただいているのです。
そして、その結果から自分を知ることが出来るのです。

とはいえ、今とは違う結果を求める時もあるものです。
ですが、それを無理に引き寄せる態度は世界に歪みを生み出します。
沢山の人々が今とは違う結果を求めて、
そして沢山の歪みが生じて今の世界は出来ています。
このような中、結果を無理に求めても世界に新たな歪みが生まれるだけです。

結果を求めるならば、その結果に相応しい自分になることです。
その時大切になるのは日常の地道な積み重ねであり、
プロスポーツ選手ならば普段から身体作りをし、コンディションを整えています。

僕たちは心の道を探求するスペシャリスト。
ならば、日々の心の動きを緻密にチェックし、常に客観的な位置に立ち続けることです。

大切なのはそれだけで、その姿勢からずれていたから咳を与えてもらいました。

それに気づいたらリセットしニュートラルになるだけです。

最近僕は、木の花ファミリーのみんなと塚本晋也監督の映画「野火」を観ました。

太平洋戦争末期のフィリピン戦線を舞台に極限状態に追い込まれていく主人公の姿。
人間の醜さと自然の美しさが対照的に描かれています。

こういう映画は戦争の悲惨さを再確認する機会となります。
そして、多くの人が二度と戦争を起こしてはいけないと思うのではないでしょうか?
ですが、なぜか世界から戦争がなくならない現状があります。

昨年の夏、日本では安全保障関連法案を巡り大きなうねりが生まれました。
賛成派も反対派も平和を求めているのに、結果、対立しているのです。
それはそれぞれの立場の人が求める結果に固執しているからではないでしょうか?

今週、アメリカのオバマ大統領が被爆地・広島を初めて訪問します。
それは歴史的な出来事で、大きな流れを感じます。
核廃絶、そして人類の平和へ向けての大きな一歩ともなりえます。

ですが、本当に大切なのはきっと出来事や形ではないのです。

共和党の大統領候補となることが確実なドナルド・トランプ氏は、
以前に日本の核武装を容認する発言をしています。
そして最近、北朝鮮の金正恩労働党委員長との会談に前向きな発言をしました。
それは北朝鮮に核開発を放棄させるためです。

相矛盾するようにも思える発言ですが、どちらも選挙を意識したパフォーマンスなのでしょう。
そんなトランプ氏の支持率が民主党のヒラリー・クリントン氏の支持率を上回りました。
トランプ氏が次期大統領になる可能性が大きくなったということです。

それがアメリカ国民の意識だとしたら、
オバマ大統領の広島訪問もパフォーマンス以上の意味を持たない可能性もあります。
それでは真の平和に繋がることはないでしょう。

表面の出来事や形に目を奪われ、それを求めても、人々は望みに翻弄され続けるだけです。

オバマ大統領がアメリカの大統領として初めて広島を訪問します。
その出来事を通して、人類が歴史を客観的に振り返り、人間についての学びを深めていく。
そして、全ての出来事に対する慈しみの心を育んでいくこと。
それが出来た時、この訪問が本当の意味で生かされていくのでしょう。

結果を追い求めるのではなく、結果から自分を知ること。
表面の出来事ではなく、その奥に流れている心に思いを馳せること。
そして、調和に向けて自分の人間性を高めていくこと。

真の平和が実現するために必要なのはそういうことなのです。

僕はそう確信しています(^-^)










生きることが事務

栁澤さんは学校事務職員時代の仲間ですが、今年の3月毎日新聞で紹介されました。
そして、今回、本(『本当の学校事務の話をしよう』)も出版するようです。  

当時、僕は栁澤さんからたくさんの刺激を受けていました。

彼と学校事務の話をするのはとても楽しくて、夢が広がって、
いろいろなアイデアが沸いてきました。
そして、そのアイデアを実践に移し、そのいくつかを実現してきました。

例えば、教材費の集金方法を決めるのに保護者アンケートを提案し実施したのですが、
それは学校での意思決定の在り方に一石を投じたのではないかと思っています。

学校事務時代、僕は栁澤さんを含め多くの仲間に恵まれました。
仲間と共に学ぶことで、僕は「事務」についての考えを深めていきました。

事務とは全体を効率よく運営すること。

これが仲間との交流の中で育まれた考えです。

お金の計算も、書類の作成もすべて全体を効率よく運営するためにあります。
効率よくするために情報の共有や発信が重要になります。
情報の共有や発信を通して、日々の地道な作業が「みんなで創る学校」へと繋がっていくのです。

僕が栁澤さんと共に過ごしたのはもう7年も前になりますが、
当時から栁澤さんは、教職員や保護者向けに事務だよりを発行し、
みんなの視点を広げ、みんなの学校創りに大きく貢献していました。

きっと今はもっともっと成長しています。

新聞や本の出版を通してそんな彼の活躍を知るととても刺激になります。

今、僕は木の花ファミリーにて、経理や管理事務をしています。
場所は違うけれども、事務をしている僕にとって、
栁澤さんは目標でもあり最大のライバルです(と僕は思っています)。

そう、僕は木の花ファミリーで事務をしているのです。
ここで暮らしてもうすぐ丸7年になります。
この7年で僕も当然成長をしています。

どんなふうに????

どんなふうに僕は成長しているのでしょう????

昨晩の大人ミーティングでは、以下のようなことが話されました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

日常のなんでもないようなことの奥に、この宇宙の意志が隠されている。

人それぞれ日々の暮らしで出会うことは、その人オリジナルな体験であり、
それを読み解くことにより、人生の目的、宇宙の意志が明らかになる。

☆彡 ☆彡 ☆彡

日々の暮らしの奥には宇宙の意志が隠されています。
それは日々、僕が行っている事務も同様です。

学校事務職員時代、僕は意図をもって事務を行い、
その意図を通そうとしていました。

僕は頭で考え、意図し、それを実現するために行動していました。

目標が思い描いたものに固定していたのです。

それは宇宙の意志ではなく、僕の意志でした。

それでは今は?

今はどうかというと、僕は何かを実現することを目的にはしません。
出会うことを通して、自分を知り、世界を知ることを目的にしています。

日々の事務作業を通して、宇宙の意志を感じ顕かにしていくのです。

この世界を運営している宇宙の意志。
それを顕かにすることは全体の効率に繋がっていきます。

全体の運営を宇宙の意志に委ねる。
そして、それに沿って最大限の努力をしていく。

それが今、僕にとっての事務です。

生きることが事務。

そうとも言えるかもしれません(^-^)

木の花ファミリーのみんな@恵みいただきます。みんなと共に生きることが僕にとっての事務です。








意図を手放し超えていく。

非暴力と言えば、ガンジーによるインド独立運動が有名ですが、「いさどんの七夜物語-第七夜「太陽の導き」」の中にそのガンジーについての言葉があり、とても印象に残りました。以下、その言葉を紹介します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そして、ガンジー。平和を訴え、非暴力・不服従をうたいました。その時の映像をよく観てみると、暴力をふるうイギリス兵に対して、非暴力を掲げて果敢に挑戦する、非暴力の暴力をふるっている人たちがいるのです。
それを非暴力と言うのでしょうか。その結果どうなったかと言うと、最後には非暴力が「勝った」と言うのです。暴力がないところに、勝ったも負けたもないはずです。そこでは、ただ銃を使わなかったとか相手を殴らなかったというだけで、精神はイギリス兵と同じなのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

非暴力とは何か?

この文章を読んで以来ずっと僕の中にはその問いがありました。

非暴力って何だろう????

話しは変わって。

最近、僕は、「豊かな人間性を育み、結果、世界を豊かにしていく」の中で日本国憲法について書きました。そこでは、「一人一人が平和な人間性を育み、結果、平和憲法に顕されることが大切で、人間性が育まれることなく、憲法で平和を謳っても意味がない」と書いています。そして、このブログをFacebookでシェアしたのですが、それによりいろいろなフィードバックをいただきました。以下、いくつか紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分の身は自分で守らなければならない。平和を守るためには警察官が必要。

家族や大切な仲間がやられたら理性を保つのは難しい。

チベットやモンゴル、ウイグル、ブータンなどのおぞましい現状を知ると、非暴力主義が通るとは思えない。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これらのフィードバックを読みながら、僕の中に非暴力のついての言葉が沸いてきました。
それはこんな感じです。


チベットやモンゴル、ウイグル、ブータンなどでおぞましい状況にあり、自分が被害者の立場だったら・・・と想像し胸を痛め、非暴力の難しさを感じる。それと同時に自分が加害者でもあることを理解する必要があると思うのです。多くの人が人間の残虐性を一部の虐殺者に押し付けて自分を見ていないのではないでしょうか?

非暴力主義は自身の「汚れ・残虐性」を深く認識し、それを乗り越える作業と共にあるべきものだと思うのです。現状の非暴力主義は抑圧された側の抵抗としてクローズアップされることが多いように感じますが、非暴力主義は本来、被害、加害を包含し、それらを超えた立場へと精神性を高める取り組みなのだと思います。

そしてこれが達成された時、被害、加害という枠組みがなくなり、真の平和へと至るのだと思います。

ガンジーはインド独立をもたらした英雄です。尊敬されて然るべき存在です。
ですが、その後、インドからパキスタンが生まれ、両者に争いが生じました。

平和はいまだ実現していません。

ガンジーは抑圧されたものが抵抗する手段して非暴力・非服従を掲げました。
それはあの時代、あの状況では誇り高い取り組みだったのだと思います。
ですが、それは対立軸を超えてはいませんでした。

僕は今、真の非暴力とは意図を手放すことだと思っています。

天とは何かを尋ねると・・・」でも書いたように、すべてが一つのこの世界で、人間はそれぞれ意図を持ち、この世界に違いと彩りをもたらします。それらは世界を豊かにするのですが、こだわりが強くなると、違いが際立ち、対立、そして争いへと発展していきます。それが今の社会の姿です。

意図は浮かんでは消えて、また浮かびます。

その過程で天やみんなと混じり合い、変化が生まれ世界は発展していくのです。

それが自然な姿です。

ですが、人は自らの意図を所有し、それに囚われ、こだわることがあります。
そうなると、自然な流れは滞り、他者に苦しみを与えるようになります。

この状態こそが暴力なのだと感じています。

だから浮かんでは消える意図を手放し、自然な変化に身を委ねていこうと思っています。

またまた話は変わって。

昨晩の大人ミーティングでは、「ストッパーを外す」ということが話題となりました。

フィギアスケートの羽生結弦くんや体操の白井健三くんは新しい記録や技を生み出しています。
それは今までの常識を超える行動で、二人は常識というストッパーを外しているのです。

今までの常識の延長に未来があるわけではありません。

アメリカのオバマ大統領は広島訪問を決めました。
これはアメリカ大統領による初の被爆地訪問で、今までにはないものです。

北朝鮮の金正恩は「責任ある核保有国」として現在の核保有を正当化した上で、
「主権が侵害されない限り核兵器を使うことはない。」
「世界の非核化を実現するために努力する」とも述べています。
この発言を非難しているメディアが多いようですが、
今までの金正恩の発言と比べると理性が感じられるものなのではないでしょうか?
ここにも僅かですが、変化を感じます。

何かが動いているのは確かです。

人は自らの枠組みの中で何かを意図します。
その意図を手放し超えていく。

そんなふうに。

僕は分からない未来を自由に生きていきます(^-^)

木の花ファミリーのみんな@田楽祭。昨晩の大人ミーティングでは田楽祭でのいさどんの話もシェアされました。




豊かな人間性を育み、結果、世界を豊かにしていく。

少し前の話ですが、3月8日、木の花ファミリーメンバー&真学校生30名ぐらいが長野県の皆神山に行きました。僕は現地には行っていませんが、それが特別な体験であったことは帰ってきたみんなの話や様子から伝わってきました。
※皆神山については天下泰平ブログ世界最大のピラミット「皆神山」を参照して下さい。

その皆神山にて、ようこちゃんといさどんは以下の会話を交わしたそうです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ようこちゃん

皆が神としての自分に気付く山。でも本来、神社はそういうものなのだろうね。神殿に向かって神様に何かをお願いするのではなく、人間は神社という場に行くと、「実はわたしたちはこちらの神の側にいるのだった!」と気付くことが本来の神社の目的なんだよ。

いさどん

神社には「鏡」があるからね。己が鏡に映ったら、実は神殿側から人間界を観ていることになる。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分の外に特別なものを見出し、そこから何かをもらおうとするのではなく、
自分自身の特別さに気づき、そして自分自身を磨いていくことが大切になる。

そんなことを思っている時、二人の会話を聴いてとても印象に残りました。

自分の外に特別なものを見出し、そこから何かを貰おうとしたり、そこに依存したり・・・

人物や場所を含め、その対象にはいろいろなものがなりえます。

5月3日に施行から69年を迎えた日本国憲法もその一つなのではないでしょうか?

7月に参議院選挙を控え、憲法改正が話題になる中、
NHKのクローズアップ現代+でも憲法について取り上げていました。
 ※「密着ルポ わたしたちと憲法

番組では改憲派、護憲派、それぞれの立場の人たちを交互に紹介していました。

(改憲派)
北朝鮮や中国など周辺の状況が緊迫しているので、9条を変えていく必要がある。

(護憲派)
9条が抑止力になって日本は戦争に巻き込まれずに済んだ。9条は守る必要がある。

などなど。

それぞれの立場の人には言い分があり、それは真剣に考えた結果なのだと思います。
ただその思考はそれぞれの立場(視点)に固定しているように感じました。

憲法を変えたら(憲法を維持すれば)日本を守れる。

というように先に憲法が来てしまっているのではないでしょうか?

ですが、大切なのは平和であり、そのために憲法議論があるはずなのです。

憲法は確かに大切なものなのですが、
それを特化し、それに依存する態度は違うと思います。
それでは一人一人の人間性は育つことがありません。

一人一人が平和な人間性を育み、それが平和憲法に顕されていく。

それが本来あるべき姿であり、そうでなければ、憲法で平和を謳っても意味がありません。

今、世界は平和と言えるでしょうか?

そして未来はどうなるかは誰にも分かりません。

ですが、番組に登場する人々は自分の思考の延長に未来を見ています。

(改憲派)
軍隊を持たなければ、これから日本を守ることは出来ない。

(護憲派)
軍隊を持ったならば、日本は世界の紛争に巻き込まれ危険になる。

などなど。

それぞれの立場から別々の未来を見て交じり合うことがありません。
不確定な未来に固執し分かり合えない状態です。
その先に平和な世界が生まれるのでしょうか?

改憲、護憲。

どちらかの立場に立つのではなく、自由な立場で世界や平和について考えていく。
その時、本当に相応しい憲法の形が見えてくるのではないでしょうか?
世界が平和になるならば、憲法はどのような形になっても良いはずです。

シリアを初め、今、世界各地で内戦や紛争が起きています。
そして、昨年末からフランスやベルギー、トルコなど様々な場所で大きなテロが起きています。
これら世界で起きていることは一人一人の人間の心の顕れです。

この世界は「鏡」であり、みんなが映しあって創られていくのです。
ですから一人一人がそこから自分を知り、自分を改めることで世界は変わっていきます。

結果ばかり求めても、求める結果は生まれません。
結果を求めるのではなく、結果から自分を知り調和に向けて自分を変えていくのです。

一人一人がその姿勢になった時、この世界に真の平和が訪れるのだと思います。

憲法記念日の5月3日。

木の花ファミリーでは田楽祭田植え祭りが行われました。

田楽祭は豊作を祈る行事ではありますが、これも豊作という結果を貰おうとするのではなく、
その結果に至るような人間性を育み、日々を送ることが大切なのだと思います。

豊かな人間性を育み、結果、世界を豊かなにしていこうと思っています(^-^)

最後に、田楽祭当日の写真を紹介しますね。



















天とは何かを尋ねると・・・

天とは何かを尋ねると、

自分の意図したもの以外すべて

という答えが返ってくる。(天から)

そこで想いを巡らせてみました。

自分の意図したもの以外すべてが天ならば、
自分以外の存在はすべて天と言えるのではないでしょうか?
毎日の生活で出会う自分以外のすべてのものが
天の顕れであり天からのメッセージ。
そういう気持ちで毎日を送ることが天と対話することであり、
それが天との共同作業となるのでしょう。

さらに想いを巡らせます。

自分はどうなのだろう?
僕は僕の心臓を自分の意図で動かしているだろうか?
意図して呼吸をしているだろうか?

意図していません。僕は僕の意図とは関係なく生かされています。
ならば、僕自身も天の顕れということです。

僕も僕以外のものもすべて天の顕れ。
そこに差はなくなります。
そして「差取り(さとり)」こそ「悟り(さとり)」なのです。

ならば意図とは何なのでしょう?

僕の意図は?
何かをしようとする想いは?

「幻(まぼろし)」という答えが浮かんできます。

すべては天の顕れであり一つであるこの世界で、
僕は意図を持ち、判断を下し、この世界に「差」や「違い」をもたらします。
「差」や「違い」はこの世界に彩りをもたらし豊かにしていきますが、
それらを生み出したのは僕ではありません。

僕の意図は何も生み出しません。
ただ彩りを与えるだけです。

意図は幻(まぼろし)。

消えてはまた現れる。

だから一瞬で変化することもあり得るのです。

ところで、熊本で震災が起きて翌日、
僕はいさどんと2人で富士に出掛けました。
その日はとても天気が良く富士山がとてもきれいに見えました。
とてものどかな1日です。

そんな富士山を観て、いさどんは熊本の地震を想い憂鬱になったそうです。
と同時に地球から観たら、今回の地震はちょっとした振動に過ぎないということも語りました。

視点を地球や宇宙に移す。

それは大いなる流れの中に自分を位置付けることに繋がります。

今、自分の目の前で起きていることを通して、
僕は僕の歴史を刻むと共に、宇宙の歴史も刻んでいるのです。

その流れは僕の意識を超えてずっと続いていくのでしょう。

朝、散歩をしながらそんな想いを巡らせました。

※以下、今朝6時前の富士山と太陽の写真です。

※震災についてのいさどんの言葉は以下のブログをお読みください。
  「1ヶ月間の真学校@木の花ファミリー:災害はメッセージ









どんどん分からなくなってどんどん喜びに溢れていく

多くの人で暮らす木の花ファミリー。スリッパや靴も沢山あります。
そして、そのスリッパや靴が乱れている時もあるのです。

そんなスリッパの状態を見て、

「菩薩の里」を目指しているここがこれでいいのだろうか?

そんな憤りを感じる人もいて、昨晩の大人ミーティングではそんな気持ちがシェアされました。
その話の中でいさどんは以下のような話をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡


現象に出会って感情的になる人は自分の求める答えを欲しがっているのです。

人はこの世界に生かされています。
どこに自分で生きている要素があるのでしょうか?

自分の意志で呼吸をしていますか?
心臓を自分の意志で動かしていますか?

人間は生きているのではなく生かされているのです。

ですが多くの人にはそのことが見えず、生きていると思っています。
そして自分に権限があると思っています。
だから自分の思う通りの答えを欲しがっているのです。

思う通りにしたければ、この世界の流れに沿う必要があります。
流れに沿っていれば、自分の見通しに沿った出来事が起きていきます。
ですが、その時、それは自分の想いではなくなっているでしょう。

宇宙の流れに乗ってしまえば、その流れはどこにでも通用します。
それは毎日の生活で確認できることです。

「神は物理性」、この世界の現象の中に顕されているのです。

みんなはこういう生活をなんのためにしているのでしょうか?
日々、それを問い掛けてみて下さい。
その姿勢でいろいろなことに出会ったら脇道にそれずに進んでいけます。

今、国会では保育園の待機児童をなくすことに一生懸命になっています。
ですが、待機児童よりも外で働かなければ暮らせない経済の方が問題なのではないでしょうか?

本人が望むならば、外で働くのも良いでしょう。
ですが、母親が子どもと一緒に過ごせるのも良い暮らしです。

安倍首相は一億総活躍社会の実現を掲げています。

お母さんが家のことをきっちりやるのも活躍ではないでしょうか?
家にいても活躍は出来るのです。
それなのにお金を稼ぐことだけが大切になっていないでしょうか?

本当の大事、大本はどこにあるのでしょうか?

大本の話がなく、物理的な話をしても上滑りをするだけです。

スリッパのような細かいことに気がいくのは大きな心を持つ人の姿勢です。
ですがそこだけに気が行くと大きな心を失ってしまいます。

バランスが大切なのです。

昔、近所の公園の掃除をしている人がいました。
彼女はそれをしていることで「自分は出来ている」と思っていました。

自らの人間性を見詰めずに、トイレの掃除をしたら「出来ている人間」となっているのです。
そんな彼女に僕は伝えました。

~ ~ ~

あなたが掃除をしているのは公園のトイレが汚れているからです。
ではなぜ公園のトイレは汚れるのでしょうか?
多くの人は自分のトイレではないから汚く使うのです。
ですが、あなたがキレイにしてしまうとみんなそのことに気付きません。
みんなに汚い状態で使わせることが大切なのではないでしょうか?
あなたは人が気づくチャンスを奪って、「自分は出来ている」という頑なな姿勢をしているのです。

~ ~ ~

これはトイレの掃除を問題にしているのではありません。

その行為が何をもたらしているか?

常にそのことを考える姿勢が大切だと伝えたのです。

そして、その時は自らの感情をフリーにすることが大切です。
フリーの状態で考え、フリーの状態でみんなに語るのです。
その時、自らが語ることで起きる反応に開かれ、変化していくのです。

会話する際、相手に関心があるのではなく、
「自分が理解されたい」と思っている人が多いのではないでしょうか?

ですが、僕は自分を理解してもらおうとは思っていません。
関心は相手にあるのです。
相手の思考の動きに注意し、コミュニケーションを円滑にすることを考えています。
その時、その場に生み出さることは常に新しいことになるのです。

常に新しい見解を求めていく姿勢。

その姿勢があれば、自分の中から新しいものが沸いてくるのです。
そしてその時、起きる現象も変化していくでしょう。


☆彡  ☆彡 ☆彡

こんないさどんの話を受けて、みんなで以下のことを確認しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人の話しを聴いて、「分かった!」と思うことがあるが、実はその「分かった」も怪しいのです。
なぜなら、その「分かった!」が自分の範疇のこともあるので。
本当に分かった時、人は反省するものです。

分かっていないことは実は喜びです。
「分からない」と苦しんでいたとしたら、
そのこと自体、宇宙の仕組みを理解していないのです。
なぜなら、この宇宙のことはどこまで行っても分かることはないからです。
知れば知るほど、新たな疑問が生まれます。
どんどん分からなくなってどんどん喜びに溢れていくのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

こんな感じの大人ミーティング。とっても面白かったです(^-^)

木の花ファミリーのみんな@恵みいただきます


暗闇の中に光の柱が立ち上がる

賢者は己の敵から多くのことを学ぶ

これは古代ギリシアの喜劇作家アリストファネスの言葉。
風呂場の日めくりカレンダーで目にしました。

この世界は自分の鏡と言います。

敵が目の前にいるということは自分が敵を生み出す心をしているということです。
敵と向き合うことは己と向き合うことになり、
そのためそこから多くの学びを得ることが出来るのでしょう。

人々がこんな姿勢になったら、世界で起きている戦争もなくなるのでしょうね。

3月19日トルコのイスタンブール、3月22日ベルギーのブリュッセルと大規模なテロが続いています。
テロが起きた時の対応は、テロリストを敵とみなし、それを排除しようとするのが一般的です。

自分とは全く別の存在と見なす。

そこには敵から学ぶ姿勢はなく、自分自身に対する認識も深まらず、
だから現状は変わらないのではないでしょうか?

そんなことを思いました。

日々の生活でいろいろな判断が自分の感情に彩られているのを感じます。
無自覚に自分視点の物語を生み出しているのです。

その自分視点の物語が時に敵を生み出していくのです。

この世界で起きることは良いも悪いもなくすべてお互いさまです。
それが一人一人、自分の視点に立つと自分が正しく感じるようになります。
自分自身の価値基準でこの世界を裁き評価します。
そして、悪を排除しようとして争いが生まれます。

それらはすべて自我(エゴ)の働きです。

1ヶ月間の真学校最終日、いさどんが語った挨拶「あなたのリセットはあなたに託されています」では、自我の囚われからの解放としてリセットという言葉が使われています。そのリセットは一人一人に託されているのです。

自我の囚われの中にいると、人は自らが記録する歴史の中で世界を経験し判断します。
ですが、リセットし、囚われから解放されると、無限に続く宇宙や生命の歴史が呼び覚まされていくのです。その時、自らの生命も無限となり、すべての存在と繋がっていくのでしょう。
そして、世界から争いがなくなる日が来るとしたら、人類がその意識に目覚めた時です。

3月20日は春分の日でした。
太陽が春分点を通過する春分の日は、天体上では1年の始まりと言えます。
宇宙の歴史の小さな節目であり、新たな始まりです。

その節目を機に、日々の生活の中で自らの意識を宇宙に繋げていくことを新たに誓います。

(^-^)

ちなみに春分の日、僕は子どもたちとサッカー観戦に行っていました。
1年の始まりに普段より多く子どもと接し、子どもたちを知り、自分を知る機会ともなりました。

一緒にサッカーを観に行った子どもたち


サッカー観戦の時、キッチンさんが作ってくれたお弁当

そして、宇宙と言えば、3月17日、夜中の1時頃。

僕は西の空に明るい光を観ました。赤く輝いていてとてもきれいで厳かな感じがしました。
その時、僕はカメラを持っていなかったのですが、取りに行って写真を撮りました。


暗闇の中に光の柱が立ち上がる。

そんなことを感じたのですが、この輝きに出会う直前、
僕は大人ミーティングにてみんなと子どもについて語り合っていました。

大人の姿勢が子どもに現れる。だから日々、自分たちの暮らしに柱を立てる必要がある。

そんなことを確認した直後に出会った輝きです。

今年は子どもが大きなテーマとなる。

そんなことを感じています。


目標達成♪(^-^)♪

農事組合法人木の花ファミリーの法人税申告、そして、個人としての確定申告。
2月から3月に掛けてはこの2つの仕事を抱えて、毎年大きなプレッシャーを感じることになります。
昨年と一昨年は、足がむくんでゾウさんの足のようになり、その前の年は肺炎になりかけました。
こんなふうにこの時期は身体に異変が生じみんなに心配を掛けてきたのです。

それはなぜか?

甘えたい気持ちがアピールしたい気持ちに発展し滞りを生み出す。

僕は今、当時の自分をそんなふうに分析しています。

大変な状況にある時、心と身体にストレスが掛かり甘えたくなります。
ですが、僕は普段から甘えるのは下手なので、その気持ちを素直に外に出すことはありません。
その時、その大変な状況に没頭していくことで周りにアピールをするようになるのです(無自覚に)。
そして、没頭することにより負荷が余計にかかり、いっぱいいっぱいになっていきます。
それが体調不良などの滞りに繋がっていったのです。

今年はみっちゃんが全面的にサポートに入ってくれて、大分助けられたのですが、
それでも法人税申告&確定申告は大変な仕事です。
そこに他の仕事が重なったことで大きなプレッシャーを感じることになりました。
そして恐怖からなんども自分の仕事に没頭したい気持ちに襲われました。
ですが、恐怖は自分が創り出しています。
恐怖心は大変な状況をアピールしたい気持ちには好都合なのです。

今年は恐怖心と向き合いコントロールすることが出来ました。
そして日々を淡々と過ごしました(^-^)

昨年の2月、法人決算でいっぱいいっぱいになっている僕にいさどんはこう言いました。

もしあんたが一生懸命にやって法人税の申告が間に合わなかったとしても、
それはここ全体の実力として受け入れるだけ。

そして、その言葉にみんなも同意しました。

「こうでなければならない」というように縛られることはないのです。
とはいえ、「出来なくても気にしない」というわけでもないのですが。

一生懸命にやりつつも結果は求めずすべてを受け入れる。
すべてを受け入れつつも、結果を大切にする。

矛盾するような「ゆらぎ」。

お餅つき大会の様子です。
今年はこんな姿勢で、子どもと一緒に散歩を楽しんだり、誕生日会お餅つきなど、
日々のイベントを楽しんだりと、出来るだけみんなと過ごすことを大切にしました。

特に甘えずアピールもせず。

ただ淡々とみんなと過ごすことでみんなからエネルギーを貰っていました。

みんなの真ん中で生きていく」に書いたように僕はみんなの中に溶けて生きていくのです。

真ん中で際立つのではなく溶けていくのです。

目立つ必要はないのです。

目立たないこと。

誕生日会の様子です。
それを目標にし仕事を淡々とこなしていました。

そして今日これから。とうとう仕事を終わらせ確定申告に行ってきます。

今年は身体に何の異変も起きていません。

とりあえず目標達成です(^-^)








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