そぎ落としにより発展する

6月9日は射手座満月でした。射手座満月について天下泰平さんは以下のように述べています。

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今晩、2210分より満月となります。

201769日の満月は「射手座満月」。


  ~ 中略 ~

その射手座満月のポイントは、ずばり「和合・調和」のようです。

まず、数秘術の世界でも69日」というのは“6”“9”の陰陽和合を意味する特別な日であり、それに加えて今回の射手座満月の星の配列は、太陽と月、そしてラッキースターである木星が直角三角形を形成していることに大きなポイントがあるようです。

射手座の支配星である木星、そして太陽と月という陰陽の調和。

この射手座満月は「和解」などが大きなテーマとなるようです。

さらに、今年26日から「逆行」に入っていた木星が、なんとこの満月の1時間後には4ヶ月ぶりに「順行」に戻ります。

ラッキースター木星は、今は地球や地球人個人にとってとても強く影響を及ぼす重要な惑星。

この4ヶ月間、滞っていた物事がスムーズに行き始めたり、今晩を境に明日からは心機一転新たな流れが始まると思います。


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6月9日、陰陽和合を意味する日にロータスランドはちょうど営業69日目となりました。3月21日、太陽が春分点を通過した最初の朝にプレオープンし、水星逆行が終了し立夏を迎えた5月5日にグランドオープンしたロータスランド。その動きは常に宇宙の運行と共にあることを感じさせます。

同じく6月9日、天皇退位の特例法が成立しました。ライオンズゲートの日であり、アース・オーバーシュート・デー」(1年分の資源を使い果たす日)でもあった昨年の8月8日、天皇陛下は退位についてのお気持ちを表明しました。そして退位のための法案が陰陽和合を意味する日に成立するのも宇宙の流れの中にあることだと思われます。

※ちなみに6月9日のロータスランド来店者数は88名でした。

静ちゃんプロデュースの中国人お客様ツアー(5月30日~6月1日)@ロータスランド

その6月9日の22時10分。僕はどうしていたかというと風邪をひいて寝込んでいました。そして、次の日も寝込み、何も食べずに過ごしました。発展や拡張を意味する木星が順行になるタイミングで寝込み断食する自分。自分の思惑とは大違いの出来事に出会いましたが、これは僕にとっての発展や拡張が「そぎ落とし」によって成り立つことを意味しているのだと思いました。

自らを分けると書く自分。天の流れに沿って生きていこうとしている僕にとって、自分から生まれる想いや願いや不要なものです。例えば、いさどんは以下のように語っています。

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僕が常に皆に伝えていることは、そういった「~したい」「~になりたい」という願望を消しなさいということです。そして与えられるがままに存在しなさい、ということです。すべてを受け入れれば、己から解放されます。僕はそのことが伝えたいだけなのです。

今の姿のあなたがすべてではないのですから、いくらでも変化・変容・変態を繰り返すことが可能です。そして、それが宇宙の実相なのです。


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上記のいさどんの言葉にあるように「~したい」「~になりたい」という願望を消し、己から解放されれば、ただ出会う出来事を楽しんでいくことが出来ます。それは「流れ」という全体性と一体になり、この宇宙そのものを楽しむ道です。そこにこそ、僕の発展や拡張があり、そのために日々、自らに湧き上がる想いや願いをそぎ落としていく必要があるのです。自らの想いをそぎ落とすことで大いなる流れと和解し調和する。風邪という都合の悪い出来事はそんなふうに生きていくことの再確認の機会となりました。

今もまだ残る頭痛。それは思考を超えよう!!!というメッセージと受け止めています。

常日頃から「頭で考えるのではなく、信じて歩んでいくと、後からその意味が示され解る」と語るいさどん。以下の絵はそんないさどんの話を聴いたジョイさんからいさどんに手渡された本の表紙です。



泥のようにも感じる自分の都合の悪い出来事。それは自分の段取りや思考を超えるきっかけを与えてくれます。段取りや思考を超えて信じて歩いていく。その先に美しい蓮の花が咲くのでしょう。

泥の中で自分の都合をそぎ落とし美しい花を咲かせますね(^-^)

余裕がほとばしり出るような徳の積み方(2017)

大いなる力には大いなる責任が伴う」に書いたように、僕には心の道を歩む責任があると思っています。とは言っても、人には結果をコントロールすることは出来ません。未来がどうなるかはいつも未知であり、未知だからこそ道と言えます。だからただいつも目の前の出来事に丁寧に向き合うだけであり、結果やそれに伴う評価については完全に手放すことになります。

ところで僕は2年前の6月、いさどんからこんな言葉を貰っています。

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なかのんは真面目で一生懸命やっているが、もう少しそこに余裕があると、あの人は本当に徳を積んでいるねということなんだけど、一生懸命「この道だぁぁぁ」とやっていると、そこに余裕がないと、何とか一生懸命気合いを入れてそこを保っているという状態。

余裕がほとばしり出るような徳の積み方というものがある。



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2年前に比べると今の自分には大分、余裕があります。その余裕がどこから来るかと言ったら、結果や形に囚われない姿勢から生まれているのだと思っています。

結果や形に囚われない。

言葉では当時も同じことを語っています。ですが、これは頭の理解ではなく体験を通して育まれていく姿勢です。自らを分けると書く「自分」は、この世界を切り取り固定することを求めます。そして自らが切り取った世界に対する評価や承認を求めます。その「自分」、自我の動きから自由となり、そこから「自分」を眺め、「自分」を育んでいくのです。これは終わりのない旅であり、僕はこれからさらに自由となり、余裕を育んでいくことでしょう。

多くの人は自らの思惑で状況を変化させようとします。そして努力をするのですが、その努力は現実とぶつかりなかなか思うようには進まないものです。自分と相いれない他者の思惑に出会い、苛立ち苦しむことになります。フランスや韓国の大統領選挙、そしてアメリカによるパリ協定離脱宣言と社会の分断を表すニュースが続いていますが、それらは多くの人々が自らの思惑に基づき努力をした結果です。今、人智による努力は社会を混乱させています。

ですが、結果や形から自由となり余裕を育んでいくと出会う出来事が変化していきます。そして、その変化を楽しむことが出来ます。それは自らの想像を超えた世界で、様々な立場の人を繋げていきます。人智を超えた大いなる流れ。人々がそれを意識し委ねた時、世界はきっと新しい扉を開くのだと思います。

そんな心を育むための集まりが2017年7月15日(土)~17日(月)まで開催される第11回大人サミット~私たちはこれから何を目指すのか〜」です。以下、案内文を引用しますね。

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人は、見えないと「どうなるかわからない」と不安になり、未知なるものを恐怖に感じて何とか現状を維持しようとします。ところが地球は、広大な宇宙空間を実に秒速30kmというスピードで、らせんを描きながら常に未知なるところへ未知なるところへと進み続けています。どんなに今いる場所を絶対だと思っても、次の瞬間にはもう、私たちはまったく違った新しい場所にいるのです。変化変容し続けるのが地球の、そして宇宙の実体であり、そのエネルギーは我々人間の力など到底及ばない、とてつもなく大きなものなのです。

宇宙探査機が目的地に向かう時に、「スイングバイ」という方法を使うことがあります。探査機のエネルギーだけで遥か彼方の目的地に行こうとすれば、莫大なエネルギーが必要になります。そこでどうするのかというと、天体のエネルギーを利用するのです。とてつもないエネルギーで宇宙を移動し続ける天体の引力を利用し、その公転軌道に乗ることで探査機の推進力を上げ、しかるべきタイミングで軌道を離れて目的地に向かえば、少ない燃料で効率よく到達することができます。探査機だけの力では行けなくとも、天体の推進力に乗ればいいのです。

今、最も力強い推進力は、20121221日の「銀河の冬至」から始まった新たな時代の流れです。地球が一年に一度冬至を越えて光を増していくように、太陽系もまた25800年ぶりの冬至を越えて、闇の時代から光の時代へと切り替わる大転換期が始まりました。今こそ、私たち人類は出口の見えない混乱を抜け出し、この壮大なる時代の流れにスイングバイする時がやってきたのです。その先には必ず、今はまだ見ぬ新たな世界があります。もしも今あなたが生き辛さを抱えているとしたら、それはきっと「そろそろ新たなルートへ進みなさい」という天からのメッセージであり、あなたへの追い風なのです。

さあ、準備は整いました。個々が幸せを求めて一生懸命エネルギーを費やしてきた結果が今の社会ならば、個々の囚われを手放し、大いなる時代の流れに乗る時がやってきたのです。これから世界には、大変革の時が訪れます。人々が恐れようと理解できなかろうと、確実に時代はその方向へ進んでいます。その時代の流れを感じ、そこに乗って新たな世界へと踏み出した時、私たち人類はこの世界に生きる真の意味に目覚め、時代と共に希望溢れる未来を創造していくことができるようになるのです。そして、世界に二つとないあなただけの人生の花が美しく花開くことになるでしょう。


どうぞ共に時代に乗って、新たな世界へスイングバイしませんか。

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自らの思惑を叶えるのではなく、ただ出会う出来事を楽しんでいく。その結果、人と人が繋がり幸せになっていく。そんな心を育みたい方。是非、大人サミットにご参加下さい。共に未知の未来を楽しみましょう(^-^)


2016年7月に開催された第10回大人サミットの様子です。

未知であるからこそ道

6月になりました。昨年、一昨年と6月を起点にしてしばらく「自分の望み」に囚われた苦い思い出があります。それは僕が抱えていた爆弾で、大きな波に飲み込まれたようなものです。

この課題を達成することで壁を超える
この課題を達成することで新しい世界を切り拓く。

当時はそんなふうに思っていて、そこには決心もあったのですが、その奥には「自分の望み」があって、その波に飲み込まれていただけなのです。自分が設定した課題に向って努力をしてはいましたが、それは囚われた思考の下の努力なので、心はどんどん狭くなっていきます。だから当然のように滞りをいただきました。

波に飲み込まれ、罠に引っかかり盲目となった当時の僕。

その痛みは僕を謙虚にしてくれますが、これ以上繰り返す必要はありません。だから今年は違う道を行きます。未知(みち)の場所に行くからこそ道(みち)と言えます。繰り返しは歩みの停滞。僕はもう歩みを止めません。立春正月にひっくり返り、春分を機にただ出会うことを楽しむようになった今年の僕は、今までとは立脚点が違います。

自分の側から世界を見るのではなく、世界の側から自分を見る。自分に湧き上がる想いは満たすためのものではなく、世界に向けて解放するものです。解放することで想いは変化変容を繰り返しこの世界と一つになっていきます。行動や判断の基準は自分の想いではなくこの世界の流れであり、そこに彩りを与え筋道を通すことです。

そんな視点から1年前の今日に書いた以下の文章を見てみます。

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僕は子どもの頃、誘拐される夢を沢山見ました。
それらの夢はとっても怖かったです(-_-;)。

ある日の夢では、僕は両親と妹と自動車に乗っていました。
その時、かぼちゃの顔をした「かぼちゃマン」が走って僕らの車を追いかけてきたのです。
かぼちゃマンはとっても早くて僕らの車に逃げ切ることが出来ません。
そして、かぼちゃマンは高らかに笑っています。
かぼちゃは当時の僕が最も嫌いだった食べ物。
そのかぼちゃが迫ってくるのが本当に怖かったのです。

プロセスワークでは、子どもの頃の夢を「人生の神話」として捉えています。
それは人の人生を貫く大きなテーマとなるのです。

僕は子どもの頃の夢での中で何度も何度も誘拐されました。
それは、血縁の家族や個人的な繋がりではなく、
もっと大いなるものに導かれて生きていくということです。

大いなるものとはこの世界のすべて。
世界は僕で、僕は世界。
この世界が僕を生み出し、僕がこの世界を生み出している。

だからこの世界に起きることすべてに僕は一人分の責任を持ちます。

それで再び「願い」について思います。
そして、以下のような結論に達しました。

それが道の途上にあるものならば必ず実現する。
なぜなら僕は心の道を極めるから。

それは手に入れようとするものではなく、自然となるもの。

これから価値あるものとして僕のいろいろな思いが表現されていきます。

それが天との約束だから。

ちなみにかぼちゃは今、僕の最も好きな食べ物となっています。
かぼちゃはきっと僕にとって天からの使者なのです(^-^)




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この文章、だいたいそうだなと思えるのですが、「願い」についての結論でおかしくなります。道は未知だからこそ道と言えます。それなのに、僕は「必ず実現する」と書いています。変化変容を繰り返すのがこの世界の本質で、「願い」も常に変化するものであり、その実現はどうでもいいのです。ただ大いなるものに導かれ生きていくだけです。

そして世界に目を向けると、アメリカのトランプ大統領が「パリ協定」からの離脱を表明し、国際社会、そして人々の分断がさらに際立つようになりました。その分断は、多くの人が今の自分の想いや願いを満たそうとして生まれています。それが変化していくことは考えず、ただただ今の自分の願いや想いに固執し、その結果、違いが際立ち分断が進んでいくのです。そして平和への願いすら、それに固執することで争いや分断を生み出す原因となっています。

人は自らの想いに基づき未来を固定しようとして道を外れて来ました。未知であるからこそ道であり、未来を固定しようとする思惑は滞りへと繋がっていきます。それが今の地球の姿です。未知なる道、未知なる未来に向けて自らの想いを解放する時、思いもよらない出来事をただただ楽しむことが出来ます。それは人智を超えた動きであり、すべてを一つにする動きであり、そこに未来への希望があります。

僕は道を歩みます。それは未知への旅であり、ただ出会うことを楽しむ旅です。

今朝の富士山と太陽です(^-^)






改善のために努力しつつも改善を求めない

素晴らしい存在がいることをシェアしてくれてありがとう。ただ、わたしたちにとっては長生きすることや健康であることが最大の目的ではありません。極端なことを言えば、自分が望むように生きられることが一番の目的ではないのです。たとえ寿命が短くても、病気であっても、それはこの世界の多様性であり、そのことによって何かを失うわけではありません。つまり、病気であることから学び、寿命をもらうことによって学び、そして存在しているのですから、受け入れられないことは何もないのです。それが、この世界の本来の受け取り方です。ですから、学び受け取る姿勢がありさえすれば、すべてはこの世界の実態そのものなのです。それは、何でもいいということです。

その手法が画期的ですばらしいと思うということは、現状を改善したいと思っているからです。僕が常に皆に伝えていることは、そういった「~したい」「~になりたい」という願望を消しなさいということです。そして与えられるがままに存在しなさい、ということです。すべてを受け入れれば、己から解放されます。僕はそのことが伝えたいだけなのです。

今の姿のあなたがすべてではないのですから、いくらでも変化・変容・変態を繰り返すことが可能です。そして、それが宇宙の実相なのです。

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上記は効果を上げている癌の治療法を木の花ファミリーに紹介してくれた人に対して、いさどんに湧いてきた言葉で、僕たちの生きる精神を端的に表しています。

自分の想いを手放し、ただただ出会うことをいただく時、自分の想像をはるかに超えた世界が展開します。木の花ファミリーの生活はそのことを世界に示す実験の場となっています。

僕たちは手法を否定しているわけではありません。必要な時には病院の治療も受けています。木の花ファミリーブログ「きょうこちゃんのどこまでもいただきます物語」には癌の治療を通したきょうこちゃんとファミリーみんなの学びが描かれています。必要な治療をただ淡々と受けるならば、それは有難いいただきものであり、時には人の学びともなります。

僕たちが問題にしているのは、手法や治療を受ける時の心の動きです。改善したいという気持ちが強い時、効果的な手法に出会うと、その手法を絶対視したり、その手法に依存する心が育っていきます。その時、人の心は目覚めから遠ざかり、症状の改善が世界のすべてとなっていきます。そして、症状は改善したとしても、それを生み出した心の姿勢(種)は変わらないままとなっているので、その種は人間関係など他の場面で問題となって表れることになり、この世界を創っていくのです。

改善のために努力しつつも改善を求めない。

それはただ道理を通すことを心掛けることであり、そんな姿勢で症状や出来事に臨む時、結果がどのようにものとなったとしても、その症状や出来事に出会った意味を知り、そしてそこから大きな学びを得ることが出来るのです。それがこの世界を生きる醍醐味であり、表面上の出来事に右往左往していては味わえない喜びなのです。

この世界は一人ひとりの心の反映なのだから、大切なのは心を育むことです。

改善を求める心は、過度になると自分都合の世界を求める心となります。自分都合の世界を求めると思い通りにならない世界に苛立っていきます。外にばかり悪を見て、自分を振り返らずに改善を求める。それが今の多くの人々の姿勢であり、今の社会を創っています。大切なのは道理を通すこと、出来事に柱を立て意味を見出すことです。

みんなが平和を求めます。

ですが、平和を求めることが大切なのではなく、平和な心を育むことが大切なのです。

平和のために努力しつつも平和を求めない。

そんな心を育むことで、変化変容に富んだこの世界を楽しんでいこうと思っています(^-^)

そう、ただ出会う出来事を楽しんでいくのです。



みんなの人生を生きる

昨年の9月、僕は自我について以下のように書いています。

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近代以降、人間の自我は好き勝手に振る舞ってきました。
そんな行動を積み重ねることで人間は業を深め、自我は混乱の極みにあります。
今、自我の選択は多くの場合、自らを不幸にしていくのです。

例えば、それは依存症や引きこもりなどの社会不適応として現れています。
そして、世界に目を向けてもそのような事例は多々あります。

例えば、北朝鮮はミサイルの開発や核実験を重ねていますが、
それは国の自我、国家エゴに基づいた行動です。
国家エゴに基づいた行動が国際社会で北朝鮮を孤立させていきます。

そして、経済発展。今、人々のエゴは経済成長を求めていますが、
それが経済格差や環境破壊をもたらし、人々そして自然との分断を広げています。

思い通りに行動することが自分や社会、自然に不幸をもたらしているのです。
人間は今、そのような状態にあるのですが、そこに歯止めが掛かりません。

そんな中、本当の幸せや平和を求めるならば、混乱した自我を超えるしかないのです。
木の花ファミリーに出会い、その道の大切さに触れながら、そこを離れていく。
それも混乱した自我の振る舞いと言えるでしょう。


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自我は浮かんでは消える波のようなもの。本当の自分は海そのものですべての存在と繋がっています。だけれども多くの人は波がすべてと思って、それに固執し自我の波に飲み込まれ右往左往して暮らしています。

どんな大きな波が来ても、自分が海だということを覚えていれば、飲み込まれることはありません。そして、すべての波(自我)が繋がっていることが理解出来ます。そんな心を育むことが自我を超えることであり、木の花ファミリーの暮らしです。

もうすぐ「まなこい」から3年に書いたように、3年前、僕は「場創りをしたくない」と宣言しました。そんな僕が今、足りないところは多々ありますが、場創りを楽しんでいます。人は変わるもので、そんな僕を見て、「目標だ」と言ってくれる人がいます。僕を見て「目標だ」と感じる人がいる。ならば、そうあり続ける責任(Responsibility)が僕にはあって、そうすると僕の人生は僕だけのものではないと思うのです。

木の花ファミリーの暮らしは「みんなで自我を超える」実験の場です。それは僕たちの趣味ではなく人類の未来へ向けた実験です。ならば、僕の人生は人類の未来のものです。

僕は海。そして浮かんでは消える波として人生を送ります。

波としての自分に焦点を当てれば、それは自分の人生と感じるかもしれませんが、僕は本来、海そのものなのです。だから、波(自我)としての自分は他のすべての波(自我)と同様で、世界の彩りの一つに過ぎず、それはみんなのものなのです。

僕は自分を通してみんなの人生を生きる。

それは僕の人生が僕だけのものではなくみんなのものでもあるということです。

ところで今日はふたご座の新月です。

ふたご座の新月は「選択」がテーマとなると「双子座新月はベストチョイスが出来る時」には書かれています。そして、その時大切になるのが、自分自身のハートで選択するということです。このタイミングで僕は、自分の人生ではなくみんなの人生を生きることを心の底から選択します。

それは自分の満足を求めるのではなく、みんなの満足、この世界の道理に基づき生きるということ。山の裾野は広くとも、頂上は一つ。この道は進めば進む程狭くなっていきますが、それは窮屈になるということではなく、より明快になるということで、高みに行けば視界は開け、心はクリアになっていきます。心がクリアになればなるほど、自分の人生が自分だけのものではなくみんなのものであるということが見えてくるのです。

そして今日、この新月のタイミングで合同会社ロータスランドが生まれます。

特に新月を意識していたわけではないのですが、たまたまこのタイミングで準備が整いました。この会社は、まずはカフェ&ショップ・ロータスランドのショップ部門に担うことから始まりますが、これから木の花ファミリー、そして社会に新しいお金の流れを生み出していきます。これは僕らの選択から生まれる新しい流れで、これからお金を通して、この世界に幸せの循環を生み出していくことでしょう(^-^)

午前4時44分。毎朝、僕が起きる時間に月はふたご座で新月となりました。

僕は月の後押しを受けて目覚め、みんなの人生を生きていきます(^-^)





世界に向かって転がり出る

5月20日で木の花ファミリーに移住し、丸8年となり、今は9年目の日々を過ごしています。「9」という数字から思い出すのは、小学校6年生の時、校長先生が語っていた以下の言葉です。

苦(9)を超えなければ、充(10)の喜びは得られない。

当時の校長先生(服部先生)は、卒業式の時、色紙にこの言葉を書きみんな(160名ぐらい)に贈ってくれました。その色紙は今も実家の部屋に飾ってあります。

そしてこの言葉は、遠藤周作さんや河合隼雄さんが生前に語っていた「くるたのしい」という言葉に通じるのではないかと思い、ネットを検索すると以下の文章に出会いました。

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「くるたのしい」とは、苦しさと楽しさとが同居している様子をいうようですが、もう少し掘り下げて考えてみましょう。

作家が書いた小説というものは、その作家が頭で描いた構想を膨らませてできたものですから、作家が思うようにコントロールしてできたもののように思われますが、『ケアの本質』の著者であるメイヤロフ氏は、小説というものは作家が思いつくままに書いたものではなくて、小説を書くとは、自分が選んだある構想が自分の中で成長していくのを援助すること、あるいは、その構想が持つと考えられる本質的な特徴を発見し探索することであると言っています。

同時に、作家の関心は、自分にではなく、自分が取り組んでいる構想自体に向けられているとも言っています。

要するに、小説とは作家が構想を練ることによって出来上がるわけですが、その「練る」とは、作家が勝手にコントロールすることではなくて、その構想が自ら成長していくのを援助することが「練る」ことであって、創作活動の主体は構想の側にあって作家の側にはないということです。

メイヤロフ氏はこのように言っているわけですが、書く者としては、やはり自分が主体となって書こうとするでしょう。そうすると、行き詰って書けなくなり苦しくなるという事態に追い込まれるというわけです。

そこで、自分が主体になっていることに気づき、それを棚上げして構想の方に主体を移し、構想に耳を傾けることができるようになったとき、作家の筆はなめらかとなり、苦しみはいつの間にか楽しみに変わっているのではないかと想像します。

この辺のところを河合さんは、植物は太陽の熱と土とがあればゆっくりと成長していく、そのゆっくりとした成長に心を合わせてやると、植物の成長がとても楽しみに思えてくるが、植物の成長をこっちがコントロールしてやろうとすると、思いのままにならないことが出てきていやになってくるのではなかろうか、と言っておられます。



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「自分が・・・」という思いに基づき行動すると、思いもよらない出来事に出会いいらだち苦しくなります。ですが、「自分が・・・」という思いを手放す時、思いもよらない出来事を楽しむことが出来るようになるのです。世界を楽しむコツは自分を離れることにあるようです。

冒頭の、苦(9)を超えて、充(10)の喜びを得る。という言葉。

それは「自分が・・・」という心を超えて、天の法則、流れに身を委ねることなのだと思います。

視点を変えて、カタカムナでみると、「9」は「転がり出る」です。「7」で質的転換し、「8」で飽和安定した存在は、「9」で転がり出て、「10」で統合へと至ります。

転がり出る先は???

きっと世界です。魂は自らの感情や身体と出会い、様々な経験を通して自分を育んでいきます。世界から分かれた自分を育んでいく。その状態が飽和し安定した時、世界に向けて転がり出ることで、世界と一つとなり存在は完成していくのです。

「自分が・・・」という心を超えて、世界に転がり出ることで、天の法則の下、世界と一つとなり、充の喜びを得て統合へと至ります。

今年は木の花ファミリー9年目。世界に向けて転がり出ることで10年目、2018年での統合へと至りますが、2018年には平成の終了が予定されています。平成は「イワト(平=一八十)成る時代」。その終了と共、僕の木の花での1サイクル(ヒフミヨイムナヤコト)も終わるわけで、そんな時代の流れも意識して日々を送ろうと思っています。

そんな感じで世界に目を向けたら、「9」と言えば、憲法9条です。9条は前文と共に平和憲法の核となる部分ですが、今、改憲に向けた動きが加速しつつあります。

世界が平和でありますように。

そんな思いはきっとみんな共通しているのに世界は争いが絶えません。きっとそれはみんなが自分都合の平和を求めているからだと思います。自分「が」平穏でいたいから・・・だから平和であって欲しい。そんな動機から平和を求めていたら、他人の痛みや苦しみは目に入りません。そして、その態度は争いを生み出す原因ともなります。

争いを排除することで争いを引き起こす。

多くの人が自分都合の平和を求めているからそんな世界が展開するのだと思います。

憲法9条は平和を謳っています。ですが、改憲にしろ護憲にしろ、それを自分都合で求めていたら、生まれる世界は争い、いがみ合いの世界です。

自分都合、自分が・・・という心はこの世界に苦しみをもたらすのです。

だから大切なのは、思いもよらない出来事に心を開いていくことです。自分の都合、自分が・・・という心を手放し、ただ出会う出来事を楽しんでいく。みんながそんな姿勢で世界に転がり出る時、個性豊かな存在が繋がり合い、真の統合が生まれるのでしょう。

そんな未来に向けて、僕は世界に転がり出ます。

5月20日、木の花ファミリー蓮池の写真です。






大いなる力には大いなる責任が伴う

大いなる力には大いなる責任が伴う

これは映画『スパイダーマン』の中で主人公ピーター・パーカーの叔父さんがピーターに語りかけた言葉です。特別な力を得たピーターは最初その力を自分のためだけに使いました。そしてある日、一人の強盗が逃げるのを腹いせに見逃します。その後、自分が逃がした強盗が叔父さんを殺害したことを知ります。この出来事の後、ピーターは叔父さんの言葉を胸の人々のために戦うようになるのです。

大いなる力には大いなる責任が伴う

これは映画全体を覆うテーマでとても印象が深い言葉です。それで責任とは何かを考えると、英語では責任は "Responsibility" = Response(応答する)Ability(能力)と書きます。応答できること、対応できることにきちんと応えていくことが責任なのだと思います。なので、力が大きくなればなるほど、それが大きくなるのも当然です。また、これは逆の言い方も出来て責任を果たせば果たす程、それだけ力を得るとも言えます。

そして、力とは何かを考えた時、権力や腕力など目に見えるものもそうですが、それだけでなく人への影響力、包容力、信頼や信仰など目に見えないものも力と言えて、そのような力を育むことが大切なのだと思っています。

僕は心の道を歩むことを選びました。自分の選択には責任が伴っていて、それに応えていくことで目に見えない力を育んで行こうと思っています。

ところで、今日はさそり座の満月です。さそり座満月について天下泰平ブログには以下のように書かれています。

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511643分はさそり座満月です。

満月の中でも5月の満月は特別であり、世界中の聖地で「ウエサク(五月満月)祭」が開催されています。

太古の昔、5月の満月の日にヒマラヤにあるウエサク渓谷に強いエネルギーが降り注ぎ、そこでお釈迦様が悟りを開いたことにちなんで開催されるウエサク祭。

伝承地であるヒマラヤをはじめ、日本でも古来より京都の鞍馬寺でウエサク祭が催され、今ではアメリカの聖地シャスタでもウエサク祭をやっているようです。

地下世界「シャンバラ」とも関係の深い、ヒマラヤ、鞍馬寺、シャスタ。

この5月の満月の日は、目に見えない世界と目に見える世界を繋ぐゲートが開き、すべてのものの目覚めのエネルギーが天界から降り注ぐとも言われています。

~ 中略 ~


蠍座のキーワードは、何と言っても「死と再生」。

また蠍座の支配星は「冥王星」であり、この冥王星も「破壊と再生の星」と呼ばれ、蟹座満月は「根本からの変容」が起こる時とも言われています。


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心の道とは自我から自由となる道です。自我、自らの思いは浮かんでは消えるもので、執着や囚われなど余分な感情がなければ、常に「死と再生」を繰り返すものなのです。その奥には常に宇宙と共に変化変容し続ける大本の自分がいて、そこではすべての存在が繋がっています。そこに身を委ねる時、根本からの変容が起こり続けるのです。

浮かんでは消える、死と再生を繰り返す自我は自らを際立たせます。その表面だけを見ていると、他者との違いが際立ち分断が進んでいきます。フランスや韓国の大統領選挙では社会の分断が話題となりましたが、それは人々が自我に固執しその表面だけを見ているからです。その状態では社会を根本的に変える力を得ることは出来ません。

根本からの変容が起きるためには、自我から自由となる必要があります。それは絶え間なく続く終わりのない試みで人は常に出来事を通して試されているのです。それに応えることでこの世界の無限の深みへと至るのですが、そこではすべての自我が繋がり生かし合うことが可能となります。

僕は心の道を歩むことを選択しました。その責任に応えることで、この世界の無限の深みを知り、目に見えない力を育んでいきます。それがこの社会に何をもたらすかは、僕の思考を超えたことだから、ただただ先を見て行こうと思います。

2012年12月17日鞍馬寺にて撮影


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